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Full text of "Tanigawa kenʼichi chosakushū"

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UNIVERSITY OF 
ILLINOIS LIBRARY 
AT URBAIMA-CHAMPAIGN 
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第 
十 

巻 


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'86. 1 



1 



私が 三 一 書房に 入社した の は 一 九 五 七 年 六月 一 日であった。 その 前日の 五月 三十 一 日に 平凡 社から 

『風土記 日本』 (全 七 巻) の 第一 巻 「九州 • 沖總 編」 が 刊行され ている。 この ユー 11 クな 全集 を 企 

画 • 編集した のが 谷川 健 一さん であった が、 当時の 私 は、 そのこと を 全く 知らなかった。 何しろ 日本 

共産党の 軛 から 政治的 • 思想 的に どうや つ て 脱出す るか を 模索して いた 私に と つ て、 民俗学 や 考古学 

など は遙か 遠い 存在であった からだ。 

やがて 六 〇 年 安保 闘争。 その 直前に 『日本 読書 新聞』 にいた 谷川 公彦さん (現、 吉田 公彦、 日本 ェ 

デ イタ ー スク ー ル 理事長) と 知り合った。 公彦さん は 健 一さん の 末弟に あたる。 当時 公彦さん と は 酒 

を 飲みながら "編集者と は 何 か" について 議論し あった こと もあった。 続いて 健 一さん の 次 弟で ある 



詩人の 谷川 雁さん とも 安保 闘争の さなかに 会った。 その 頃 私 は 松 田 政 男さん (当時 未来 社)、 岩 淵 五 

郎 さん (故人、 春秋 社)、 石井恭 二さん (現代 思潮 社) たちと 六月 行動 委員会と いう 非 組織的な 組織 

をつ くって 国会 周辺に 出かけて いた。 この 組織 は その 名称から も わかる ように、 三 井 三 池 闘争の なか 

で 雁さん たちが 創出して いた 大正 行動 隊を 意識した ものであった。 組合 もない 零細 出版社の 従業員 や 

出版 労 協の 方針に 飽きたり ない 威勢の いい 連中が 何となく 集ま つ て、 その 日 その 日で 行動 を 起こす、 

いわば 全学連の 私設応援団 という 恰好であった。 詩人の 秋 山 清さん や 吉本隆 明さん、 時には 竹 内 好 さ 

んゃ 清水 幾太郎 さん も 顔 を 出した。 雁さん も 上京の 際に は その 精悍な 瘦身を 見せて いたので あ つ 

考えて みると、 私 は 谷川さん 兄弟と は、 下から 順番に 知り合い、 長兄の 健 一さん にお 会いす るの が 

一 番 おくれる ことと な つたので ある。 

もっとも 谷川さん の 手になる 『日本 残酷 物語』 (全 七 巻) は 安保の さなかに 読んで 激しい 衝撃 を受 

けて いた。 一 見地 味な 装幀の この 本に よって、 私の なかに あった "プロレタリア" とか "人民" とか 

という 観念的 抽象的な "民衆 像" は 根底から くつがえされ、 日本の 風土と 伝統の 底辺に 息づ いている 

"庶民" の 姿が 重い 存在 感を もって 私に 迫って きたので ある。 そして、 私 はこの "庶民" を 手がかり 

に、 "日 共 イデ ォロギ ー" と 完全に 訣別し、 左翼 政治の 世界 を 越境す る ことができた のであった。 

谷川さん と 私が 初めてお 会いした 経緯に ついては 谷川さん 自身が すでに 書かれて いる。 

〈さて 原稿が 出来上が ると、 私 は 知り合いだった 詩人の 秋 山 清 氏に、 どこか 出版社 を 世話して ほしい 

と 頼んだ。 秋 山 氏と 私 は 三 一書 房の 正木 重 之 氏と 四 谷の 喫茶店で 会った。 秋 山 氏が 私の 希望 を 正木 氏 

に 伝える と、 正木 氏 は 言下に、 



「よろし ゆう ございます。 出しましょう。」 

と 答えた。 その 答えが あまりに も 早い ので、 ひとまず 原稿 を 読んで いただきたい と言うと、 正木 氏 

は それに は 及ばない と 言った。 「では 筋書き だけで も 話します か」 と 私が 言う と、 彼 は 「それ も 結構 

です」 と 答えた。 私 は そのと きまでに、 一冊の 著書 も 出して いなかつ たので、 彼が どうして 信用した 

のか 分からない。 ただ 彼の 答えが 大変 気持ちが よかった ので、 今 も おぼえて いる。〉 

すぐれた 編集者に は 神が かり 的 ともいうべき 勘が あり、 作者の 前に 座れば、 ビタリと その 原稿の 中 

身の 良し 悪しが わかる といいた いところ だが、 実は、 私 は 谷川さん についての 多少の 予備知識 はすで 

に 述べた ように 持ち合わせ ていた。 一九 六 二 年 新春 号から 『日本 読書 新聞』 に 「近代 畸人 伝」 の 連載 

が 始まり、 谷川さん は その 第一 回に 土方 久功 をと りあげ、 つづいて 岩 崎 卓爾、 笹森儀 助の こと を 書か 

れ ていたし、 柳 田 国 男の 死に際して は、 やはり 『日本 読書 新聞』 に 一文 を 草され ていて、 これらの 硬 

質な 文章に はお 目に かかって いた。 そのうえ、 あれほどの ショック を 私に 与えた 『日本 残酷 物語』 が- 

週刊誌の アンカ ー 方式 を とりいれ、 執筆者 原稿 をデ ー タ にして 谷川さん たち 編集者の 手に より リライ 

ト された ものである こと も 伝聞して いた。 

また、 その 頃、 私 は 明治維新 前後に 関心 を 持ち、 ちょうど、 「奇 兵隊」 「萩の 乱」 「天狗 党」 など 

を 手がけて おり、 奇 兵隊の 反乱 や 雲井 竜 雄 ゃ大楽 源太郎 などに も 興味 を 抱いて いた。 

私が 谷川さん の 『最後の 攘夷 党』 を 一 も 二 もな く 出版した いと 思った 背景に は、 以上の ような こと 

が 介在した。 それが 断定 的な 口調に な つ て 表れた ので はな か つた かと 思う。 

『最後の 攘夷 党』 は 一九 六 六 年 三月、 谷川さん の 紹介に より 秋 山 法 子さん の カバ ー デザインで 刊行 さ 



3 



れ、 その 年の 上半期 直 木 賞 候補 作と なった。 

その後、 この 明治維新 に対する 私の 関心 は 『明治の 群像』 (全 十 巻)、 として、 また 『日本 残酷 物 

語』 から 受けた 衝撃 は、 『日本 庶民 生活 史料 集成』 となって 結実す る ことになるの だが、 そこで 示さ 

れた 谷川さん の 企画 者、 編集者と しての 驚歎すべき 力量 は、 この 『谷川 健 一 著作 集』 と は 別の 意味で、 

日本 出版 史上 高く 評価され なければ ならない と 思う。 (^中小企業 研究所 所員) 

ともに 大 楽に 興味 を 持って 内 田 伸 

谷川 先生に お会いし たの は、 もう 二十 年余り も 以前の ことで、 先生が 平凡 社に 御 勤務で、 雑誌 『太 

陽』 刊行よりも まだ 四、 五 年 も 前の ことであった。 私 は その 頃、 山 口 市 教育委員会に 勤めて いたが、 

仕事の かたわら、 幕末の 志士、 大楽源 太郎の 伝記 を まとめるべく、 資料 を 集めて いた。 

私の 住所 は 山 口 巿錄銭 司 (旧 铸銭司 村) で、 維新の 功臣、 大村益 次郎の 出生の 地で ある。 各所に 大 

村の 遺跡 も 残って いる。 私 は 昭和 二十 八 年、 大 村の 旧宅の 襖の 下張りから、 大 村の 手紙 六 百 余 通の 外、 

多数の 文書 を 発見し、 これの 整理に 当っていた。 この 大村 文書 は 貴重な 新 資料で あり、 いままでの 大 

村の 伝記 を 書き改める 必要の ある 程の ものであった。 

大楽 源太郎 は、 銬銭司 村の 東 隣、 大道 村の 出生で あるが、 大村益 次郎の 思想 行動に 対して 大の 反対 

者であった。 私が 大 村の その 文書 を 整理して いる 時、 大道 村の 人から、 大楽 関係の 資料 を 二、 三 もら 



ないような 人物、 その 大 楽に なぜ 目 を 向けられた のか。 今にして みると、 それ は 先生が 編集に 当ら れ 

た 『日本 残酷 物語』 を はじめ、 『魔の 系譜』、 さらに 先生が 最近 精力 的に 取り組んで おられる 「地名 

保存 運動」 に 通じる、 先生の 一貫した 社会 批判 精神の あらわれ であると わかる。 

『最後の 攘夷 党』 は 先生の 処女作と 聞く。 送って いただいた 三 一 書房の 新書 本の 扉に は、 「深き 感謝 

の 意 を こめて」 と 先生の 自署が あった。 そして 同時に 来た 手紙に は 「充分 自信の ある 作品と なった」 

と 記されて いた。 その 通り、 直 木 賞 候補と なった この ノンフィクション 小説 は、 明治維新 をと りあげ 

た 数多くの 小説 や 記録の 中で、 全く 形態の 違った 注目すべき 谷川 文学の 名 を 不朽の ものと する に 充分 

な 大作で あると いえよう。 (山 口 市 歴史 民俗 資料 館 館長) 

谷川さん と 「海の 群 星」 の ナガ ー 稲福 政吉 

谷川さん と 私との かかわり、 そして 初めての 出会い は、 私が 学生時代 をす ごした、 南 灯 寮 (沖纖 県 

出身の 学生 を 収容して いる 学生寮、 東京都 北 多 摩 郡 泊 江 町に 在る) であった と 記憶す る。 それ はちよ 

うど 六十 年 安保で 東京 中が ゆれ 動いて いた、 昭和 三十 五 年の 秋で、 谷川さん が 平凡 社で 『日本 残酷 物 

語』 の 編集の 仕事 をな さって いて、 たまたま 南 灯 寮に おいて 座談会 形式で 取材 中、 『日本 残酷 物語』 

の 執筆者の 一 人だった、 森 田 孟進君 (現在 琉球 大学教授) の 紹介に よる ものである。 

その 時、 私が 残酷 物語に 最も ふさわしい 物語と なると 昭和 三十 一 年頃まで 沖繙の 八重 山に 存在した、 



糸満 売い、 いわゆる イチ マン ウイで はない かと 問題 提起した のがき つかけ で、 実は 「私と 私の 弟が そ 

れを 体験した 人間な のです」 といって しまった。 谷川さん は 深く 感動され たようで、 別の 機会に 私の 

体験談 を もとに、 糸満の 海人の 生活 史をテ —マに して、 一 種の ノン フィ クシ ョ ンノべ ルに まとめたい 

といわれた。 

それから 幾度と なく、 南 灯 寮 近くのお 宅へ おじ やまして 体験談の 聞きと り を やった。 当時 まだ テ ー 

プレ コ —ダ 1 'が 今の ように 普及して なく、 谷川さん は 専ら 大学 ノ ー トに 私の 話 を 書きと る 方法 を とら 

れ、 大変 ご苦労な さった よう だ。 特に 毛 遊びの 時の やりとりの、 いわゆる かけ 歌、 琉 歌に は 当時 沖 ii 

方言 を 余り 解ら なか つ た 谷川さん と、 毛 遊び を 経験して 方言の かけ 歌に 知悉して いた 私との 間に かな 

り 乖離が あって、 二人とも 相当 消耗した こと もあった。 

それから しばらく 「海の 群 星」 のこと もす つかり 忘れて しまったが、 昭和 六十 五 年の 春、 突然 谷川 

さんから 電話で 「海の 群 星」 を 脱稿して 集英社 発刊の 雑誌 『すばる』 に 約 三百 枚 を 一 挙 掲載す る 運び 

になつ たと 聞かされ 驚きで あ つ た。 

本当に 当時 を 思いお こすと 懐し いことば かり。 谷川さん のお 宅で 奥さんの 手料理 をいた だき 幾日も 

泊り こみで 聞きと りの 連続 だ つ た。 

時には 上野の 水族館に 足 を 運び、 魚 を 観察しながら 魚の 名前 を沖繩 方言に なおして 覚えて いただき 

実際に 魚 を 理解して もら つ たりした。 

雑誌 『すばる』 の 「海の 群 星」 を 読んで、 毛 遊びの 経験 も、 素 潜りの 経験 も、 また サバ 二で 帆走し 

た 経験 も 全くない 谷川さん が、 特に 冬の 寒中の 海の なかでの 魚 とりや、 鰹の 餌の 雑魚と り、 嵐に おそ 



われる、 きびしい 帆走 情景な ど、 いずれに おいても 場面 場面が 実に リアルで 体験 者の 私 を 感動させる 

に 充分だった。 谷川さん に 誠に 失礼になる が、 余程 私の 話し方が よかった の だと 一寸 自惚れた くなる 

程であった。 

主人公の ナガ— の モデル はとい うと、 私で あるが、 沖繙で その 時代、 私の 値段 は 円 軍票で、 三千 円 

(百 二十 円が 一 ドル) で 相場と して は 高い 方だった。 何故なら 胴長だった ことと、 泳ぎが 出来た こと 

が 高い 価格が ついた ものと 考えられる。 ナガ ー の 仇名 も 胴長の 体形から きた、 それからして 胴長の 子 

供 は 高く 売買され たこと は 事実で ある。 方言で 腹 ナガ ー の 子供 は 潜りが うまくなる 要素と 信じられて 

いた。 吸い込む 息 を 潜りながら 徐徐に はきだして いくと、 それだけ 長く 深く 潜れる いう 理屈で ある。 

肺活量に 関係して いるよう に 私 は 思う し、 現実的で ある。 かって 私 も 錘 を 利用して、 約 五十 メ ー トル 

まで 潜った 経験 を もつ。 今では ボンべ や コンプ レッサ ー などで、 いとも簡単に、 いわゆる ャナ ハン サ 

1 をして いるし、 裸で 襌ー 本から ゥ ヱ ッ トス— ッに 変り 冬の 寒さ もさ ほど 苦痛で なくなった。 ダイナ 

マイトに よる 漁法 は殆ん どなくな つた。 しかし ァ ギヤ ー は 今な お 健在だし、 スン カリヤ ー という 新し 

い 漁法 も 生れた。 昔からの ァ ギヤ ー ときれ いに 調和 を 保って いるの はすば らしい。 

「糸満 の 社会 構造と 海と いう 自然との 間に 生きた 少年た ちへ の 鎮魂の 気持 を 表現した か つ た」 と 谷川 

さん はい われて いる。 

私 もど こかの 国の 遠い昔の 出来 ごとの ように 思いたい。 生活苦から とはいえ 売られて い つ た 少年た 

ち だが、 強い 海人へ 成長して いく 道程で 一種の 無限への 可能性への あこがれが、 培れ たから こそ 少年 

たち はたえて いったの だろう。 私 はそう 思う ので ある。 (沖鼯 在住) 



8 



谷川 健 一 著作 集 

10 



文学 篇 

海の 群 星 

わたしの 「天地 始 

最後の 攘夷 党 



久米島 仲 里 村 • 奥武 島の 海岸 (撮影 高 梨豊) 



タ NOT ゾ 



パ 



谷川 健 一 著作 集⑩ I 文学 篇 

海の 群 星 

わたしの 「天地 始之事 

最後の 攘夷 党 



巨 
次 



うみ むりぶ し 

海の 群 星 3 

てんち はじまり のこと 

わたしの 「天地 始之 事」 

最後の 攘夷 党 ^ 

第 一 章 久留米 応変 隊 ^ 

第二 章 晚鳥 大将 t 

第三 章 三月 十六 日夜 

終 章 憑かれた 人々 

あとがき , 

第 十 巻 あとがき ^ 

初出 一覧 1- 



135 



5 海の 群 星 



1 

人通りの 絶えた 午後の ヤン ゴ— 通り を 一人の 少年が 影 を 引きずりながら 歩いて いた。 繮で 絢った ように、 よれ 

よれの 影だった。 道の 両側に 植えて ある クバの 樹の 頭上に、 真夏の 陽が 爆発して いた。 その 高い 梢から ふりそそ 

ぐ 木洩れ陽 は、 煮えた ぎった 鍋から とびはねる 油脂と なって、 彼の 小さい 身体 を 侵して いた。 

料亭 や 飲食店の 軒下で 日 ざし をよ けながら 町角まで きたと き、 少年の 眼 はと ある 家の 内部に 吸い こまれた。 瞳 

を 細めながら 見る と、 赤茶けた 髪の 男た ちが 四、 五 人で もの を 食べて いた。 猿股 一 つの 裸の 男 もいた。 彼ら は 一 

様に 頑丈な 胸板と、 低い 背 をして いた。 耳た ぶの 大きい、 肥った 女が、 クバの 葉の 団扇で、 テ ー ブルに むらがる 

蠅を 追っていた。 

少年の 眼はテ ー ブ ル の 上の 白く かがやく、 まば ゆい ものに 釘付けに されて いた。 

r 坊、 よってい かんかね」 

家の 中から、 まだ 四十に 間が ありそうな 男が 声をかけた。 

「御飯 は 食べた か?」 

傍の 肥った 女が やさしく 聞いた。 

「何 を 食べた かね」 

「 」 



6 「飯 はま だ だね」 

「食べて いきなさい」 

男 や 女た ちが、 飢えた 子どもの 自尊心 を 損わない ように、 さり 気な く 言った。 茶碗に 白い 米の 飯 を 一杯 盛りつ 

け、 豚の 三枚 肉 を 皿に のせ、 彼の まえに 押し やった まま、 自分た ち も 食べつ づけた。 三枚 肉 は 肉と 脂と 皮と が 重 

なりあって いる 豚の 腹 肉で、 南 島で は 祝い事な どのと き 欠かせな いものな の だ。 

《俺 は どの位 御飯 をお かわりし たか おぼえて いない。 豚の 三枚 肉が 火の ように 喉 をす ベり 落ちた。 鼻の 穴が 焼け 

るよう に 感じた。 

「どう だ。 うまい か」 

傍の 男が 毛む くじ やらの 腕 をのば して、 俺の 頭 を 撫でた。 一 

「こんな 米の 御飯 を 食べたい か」 

俺 はうな ずいた。 

「おまえ、 八重 山に いかん か? 米の 飯が 毎日 食べられる、 いい 所 だぞ。 家で は 蘇鉄のお かゆ かなん かだろう」 

その 通りだった。 俺の 家で は、 蘇鉄のお かゆ か 団子、 でなければ、 推の 実 を 拾ったり、 竹の子 を 探し、 ゆがい 

て 食べ § え を 凌ぐ 毎日だった。 米の 飯が 毎日 食べられる という こと をい くら 信じまい としても、 眼 や 口が 言う 

こと を 利かなかった。 

すると クバ の 葉の 団扇で テ ー ブ ル の繮を 追っていた 女が 言った。 

「晚 もき なさい。 米の 飯 を 食べさせて やる から」 

俺 は その 声 をう しろに 外に 出た。 萎れ かえっていた 町角の 並木が、 にわかに 生 気づいて 見えた。 雨が 近づいて 

くるしる しだった かも 知れない。 街に は 涼風が 吹いて いた。 俺 は 走って 名 瀬の 町はずれ にある 家に かえった。 落 



7 海の 群 星 



着かなかった。 遊びに も 加わらず、 家 を 出たり 入ったり して 時間 をす ごし、 陽の ほ とぼりが まだ 残って いる ころ、 

ヤン ゴ ー 通りの 家に 入って い つた。 

r 坊、 またき たな」 

みんな は あいそよ く 迎えた。 

昼間と おなじように 米の 飯と 豚の 三枚 肉が 出た。 むさぼり 食った。 食べながら、 自分が 八重 山に いくこと はき 

まった ことのよ うな 気がして いた。 その実、 八重 山が どこか、 まったく 知らなかった の だ …… 。 

帰ろうと すると、 赤茶けた 髪の 男が 呼びと めた。 

「家に 戻ったら、 八重 山に いく からと言って、 この 書き付けに ハン を 押して 貰いなさい。 坊は むずかしい 字が 読 

めないだろう が、 父さん や 母さんに は 分る はず だ。 それ を もって また 明日き なさい」》 

男 は 一枚の 紙片 を 渡した。 それに は 少年から 聞いて、 すでに 住所氏名が 書き こまれて あり、 あと は 父母の 署名 

掠 印が あれば 済む ことにな つていた。 

雇傭 契約書 - 

鹿児島県 大島郡 三方 村 宇大 熊 拾 番地 

佐 仁政 太 当 拾武歳 

一 金 武 阡 円 也 

右 私 長男 政 太 貴殿 方へ 雇傭せ しむる 契約に て 頭書の 金額 健かに 借用 仕り 候に 就きて は 左記の 各項 堅く 遵守 



8 



仕る 可く 候 

一、 私 長男 政 太 は 来る 昭和 参 拾 年 七月 迄 向う 八 年間 (本人の 満 弍 拾 歳 迄) 貴殿 方へ 雇傭せ しむべく、 而し 

て 其の 期間 中に 貴殿 御 指定の 場所に 住居 致し、 御 指 命の 職業に 従事 致し、 聊か とても 我儘 勝手の 所行 等 をな 

さしめ ざる こと 

1、 右 契約期間 中 雇人 政 太が 如何なる 理由 ありと も責 殿の 同意 を 得ず して 責 殿方 を 故な く 立ち去る か、 

走す るかした とき は、 債務者 は 直ちに 相当の 処置 を 為し、 一切 雇主に 迷惑 を 掛けざる こと 

一、 前条の 場合に 於て 債務者が 相当の 処置 を 為さざる 為め、 雇主より 人足 を 要した ると き は、 日当 有 日に 

付 金 参 拾 円 宛 債務者より 支弁す る こと 

一、 雇人 政 太が 業務 を 怠り 病気の 外 休業した ると き は、 休業日 数に 応じて 日 雇賃有 日に 付 金 拾 円の 割を以 

て 計算し、 本人 又は 債務者より 雇主へ 支払う ものと す 

一 、 右 政 太に して 契約期間 通り 貴殿 方に て 御 奉公 相 遂げ 候 時 は 頭書の 借用 金 全部 返済の 義務 を 免る る こと 

右の 各項 堅く 履行 仕り 候 依て 契約書 如 件 

鹿児島県 大島郡 三方 村 宇大 熊 拾 番地 

佐 仁坊熊 

昭和 fll^ 拾 fli- 年 七月 拾 有 日 

石垣 市 字 新 川 参 番地 

新 城 昌雄様 

昭和 二十 二 年、 日本 本土の 農村で は 米 一俵が 七 百 円 位であった から、 わずかに 米 三 俵に も 満たない 金額で 少年. 



9 海の 群 星 



に 指定の 場所で 指定の 期間 指定の 職業に 従事す る こと を 義務づけた 契約書な ので あるが、 その 期間 は 無報酬と い 

うこと であるから、 一種の 人身売買と いってよ かろう。 

しかし そうした 慣習が かって 南 島に なかった わけで はない。 奄美 では、 借金に 困った 者が 負債 を 返す ことので 

きないと き、 代償と して 年季奉公 をつ とめた。 奄美 ではこう した 境涯に おかれた 人び と を 家人と 呼んで いる。 一 

生、 主家で 働き 通さなければ ならなかった 家人 は、 ある 時代の 大 島の 人口の 二、 三 割に 及んだ だろうと いわれて 

いる。 家人の 出現 は、 薩摩 藩が 奄 美の 農民に 強制した 砂糖黍 栽培と 関わりあって いる。 粗糖の 上納が できない と 

みのし ろとう 

き、 貧しい 農民 は 身代 糖と 引き換えに 自分自身 を 富裕な 地主に 差し出した。 大体、 男子 は 砂糖 千 五 百 斤から 二 千 

斤、 女子 は 七 百 斤から 千 斤の 身代 糖であった。 建て まえ は 十 年限り であった が、 その 間の 労働 は 身代 糖の 利子に 

当てられ たので、 年季奉公の 期限 内に 返済す る こと はいたつ て 困難であった。 

そうした 背景に は、 近代 ま で つづいた 奄 美の 日常 的な 貧窮が よこたわ つていた。 

奄 美の 山 は 推の 木に 蔽 われて いるので、 推の 実 拾い は、 どの 家で もお こなって いた。 風の 強く 吹いた あくる 日 

に 出かけて は、 カゴに 一杯 椎の実 を 拾って くる。 椎の 実は ゆでてから 乾燥し、 俵に 詰めて 高 倉に 保存して おき、 

食べる とき 必要な 分 だけ 取り出し、 臼に 入れて 竪 杵で搗 き、 殻 を 枠く。 殻 をと つた 実は 水に 浸し、 ふや かして か 

ら饮 く。 椎の 実に 米 を くわえて 炊く ばあい も ある。 椎の 実の 粥をシ ー ガイ、 椎の 実の 飯をシ ー メシと 言った。 主 

食の 足しに したの は、 椎の 実ば かりで なく 蘇鉄 も 同様であった。 蘇鉄の 実は そのまま では 食べられない。 赤い 殻 

を 割り、 中の 白い 実 をと り 出して 臼で 搗き 砕いて 乾燥して おく。 蘇鉄の 幹 はまず 外側の 黒い 鱗の ついた 皮 を 削り 

取り、 中の 白い 部分 をての ひら ほどの 大きさに 切り、 水に 浸けて ァクを 抜き、 陽に 晒して 乾燥す る。 充分に 晒さ 

ない と 中毒した。 毒素が なくなった 時分 を 見計らって、 臼で 搗 いてに ぎり 固め、 また 晒す。 

蘇鉄の 実 も 幹 も 粥に して 食べた。 米の 粥に まぜる こと もあった。 奄美 では 大正時代まで は 蘇鉄の 実 も 椎の実 も 



主食の おぎないに 食べた といわれる。 敗戦 前後の 窮乏 時代に は、 そうした 食 習慣が 否応なしに 復活せ ざる を 得な 

かった。 奄 美の 山野に 椎の 木と 蘇鉄が ふんだん にある ことが、 飢餓に さらされた 島民の 生存 を 辛うじて 支えて い 

た。 

だが その 中で も 少年の 家 は 格別の 窮乏 状態であった。 彼の 父 は フィリピンで 戦病死し、 母 は 彼 を 連れて 再婚し 

た。 彼の 下に は 弟 や 妹が 幾人 も 生まれて いた。 彼 は 自分が 家の 中で 余計者 だとい うこと を 知っていた。 十二 歳で- 

あくる 年 は 小学校 を 卒業す る ことになるが、 彼 は 長期 欠席 児童だった。 それでなくても、 中学に 入れて 貰える こ 

とな ど は、 まったく 見込みがなかった。 八重 山に いけば、 それだけ 家の 方 も 楽になる にちがいないと 少年 は 思う _ 

《あくる 朝、 継父が 山 仕事に 出かける の を 待って、 母に 言った。 

「俺 は …… 八 iiffll 山に いく。 家 は 貧乏 だし、 中学に あがる こと もで きない。 家で は 邪魔 だから」 

母 は 俺の 顔 を じっと見 詰めて 「いいように しなさい」 とだけ 言った。 俺 は 書き付け を 母に 手渡した。 

母 は 書き付けの 文書に ひととおり 眼 を 通す と、 立ち上り、 部屋の 奥の 簞笥の ひき 出しから 印鑑 をと つてき て、 

雇傭 契約書に 無雑 作に 押した。 そして、 

「八 年したら 帰れる よ」 

と 言った。 母に そう 言われても、 実感が 湧かなかった。 二十歳に なった 自分 を 想像す る ことな ど とてもで きな 

かった。 

俺 は ヤン ゴ ー 通りに 行って、 雇傭 契約書と 引き換えに 二 千円 を もらい、 母に 手渡した。 母に とっても はじめて 

手に する 大金な ので、 嬉しそうな 顔 を かくそうと はしなかった。 俺 は 部屋の 隅の 箱から ズボン を 一 つと り 出す と- 

風呂敷に 包み、 家 を 出た。 



II 海の 群 星 



俺 はまた ヤン ゴ ー 通りの 家に 入った。 すると、 耳た ぶの 大きい、 肥った 女が、 

「明日 か 明後日、 船 は 港 を 出る から、 裏の 家に いきなさい」 

と 追い立てる ように 言 つ た。 

家の 裏木戸 を 開け、 細い 露路 をく ぐり 抜けて 裏の 家に いくと、 おどろいた。 ふすま や 障子 を 外した、 だ だっぴ 

ろい 家の 中には、 俺と 同じ年 頃の 者が、 ごろごろ していた。 男の子 は 三十 人、 女の子 も 十 人 はいた。 その 中には 

顔見知りの 者 もま じっていた。 裏の 家 は 表通りから まったく かくれて いる。 表通りから 見える の は、 家の 中で 大 

人た ちが 飯 を 食べて いると ころ だけ だ つ た。 

その 家 は 古びて 使わ なくなった 料亭ら しく、 こわれ かかった 鏡台が 置き忘れられて あったり、 派手な 鼻緒の 下 

駄が 上り 框に 残って いたりし ていた。 部屋の 丸窓 を 俺た ち は 出入りして はしゃいだ。 八重 山に いって 何 をす るか、 

そんな こと は 頭に はまった くなかった。 俺 はもう 家の ことな ど は 考えなかった。》 

四日 目の 夕方、 人の 顔 も はっきり 見分けが つかなくなる 頃、 名 瀬 港の 浅 橋 近くに ある 魚 揚げ場の 下に、 七隻の 

カツ ォ 船が 宵 やみにまぎれて はいって きて、 いっせいに 錨 をお ろした。 それ を 合図に、 押し込められ ていた 子 ど 

もた ち は、 ヤン ゴ ー 通りの 裏の 家から 追い出され ると、 魚 揚げ場に せき 立てられ、 カツ ォ 船に 分乗 させられた。 

「沖に 出る まで は 甲板に 出る こと はならん」 

これまで やさし か つ た 男た ちが 声 を あらげ、 子どもたち を カツ ォ 釣りの 餌に する 雑魚 を 入れる ダンプ ルの 中に 

押し込めた。 六 畳 位の ダン ブルの 中に 六、 七 人が 詰め込まれた。 ダン ブルの 上 は 船板で きっちり ふさぎ、 更に 防 

水 布の カバ ー を かぶせ、 外から は 何も 見えない ように 工夫した。 

夜の 九 時 頃、 七隻の カツ ォ船は 港 を 出た。 海のう ねりが いくらか 高まった 頃、 男た ち は、 ダン ブルの 中に いる 



12 



子どもたちに、 

「立 神 を 過ぎたら、 出ても いい ぞ」 

とどな つ た。 

立 神 岩 は 名 瀬 港の 入口 をふさぐ ように 立 つ ている 海中の 立 岩で、 そこ をと おりす ぎる と茫々 たる 外海に 出る。 

子どもたちが ダンプ ル から 甲板に 這い 出す と、 眼の 前 を 日頃 見なれ た 立 神 岩の 大きな 黒い 影が 横切 つ た。 波の 

うねりの はるか 後方に 名 瀬の 町の 灯が 遠ざかって いった。 船の 振動に つれて 顔に あたる 潮風 をと おして、 空の 星 

が 上下に 揺れて いた。 

船 は 島 づたいに 南下した。 

奄 美大 島から 徳之 島まで 十八 里。 

徳之 島から 沖 永 良 部 島まで、 おなじく 十八 里。 

沖 永 良 部 島から 与論 島まで 八 里。 

与論 島から 沖繙 本島の 北端まで 五 里。 

南へ と 島 をた どるに つれて 海の 色 は 明るい 青 さ をまして い つ た。 

船が 沖繙 本島の 北端に 近づく と、 大きな 岩山が 目立って 見えて くる。 それが 古来 航海の 目印と されて きた 辺 戸 

の 安須 森と 呼ばれる 御嶽 だ つ た。 

七隻の カツ ォ船 は、 日用の 薪炭 を 積んで 与論 島に はこぶ 船と すれちがって いった。 樹木が 少なく、 ァ ダンの 葉 

を まきの 代りにす る ほかない 与論 島で は、 建築の 用材 や 薪炭 類 はすべ て沖繙 北部の 山 原 地方に 求めて いた。 また 



13 海の 群 星 



クリ ブネ 三艘を 丸太で かたく むすびつけ、 その上に 板 を 置いて イカ ダ のようにし、 カジ を 二つつ け、 牺柱を 二 本 

たてた &ll 船 を 見かける こと もあった。 平安 座 船 は 高波に も くつがえらない 安定性 を もってお り、 牛 や 豚 や 山 

羊な どの 家畜 を 運搬す るのに 便利で、 沖 永 良 部 島 や 与論 島と 沖繙 本島の 間 を 往復して いた。 

めずらしく 菅 草で 編んだ 帆 を かかげた 船 もあった。 菅 草の 帆 は 陽が つよく 照る と、 草が ちぢんで 隙間 だらけに 

なる ので、 水 を かけて は 帆 を 湿らせながら 走って いた。 

船 は 「道の 島」 をす ぎる と、 沖繙 本島の 西海岸と 伊平屋 島との 間の 波 あらい 伊平屋 渡 をと おって、 本部 半島の 

ぎ 久地港 ゃ那覇 市の 泊 港に 立ちよ つ た。 

沖 織 本島の 南部で は、 奄 美大 島で 見馴れた ような 険しい山 並み も 望め なくなり、 白つ ぼい 大地が 低い 丘陵 を 形 

成す る 風景に 変った。 

那覇 市の 南 三 里、 海に 突き出した 隆起 珊瑚礁の 上に 漁業 部落が 見えた。 名 瀬の 港 を 出てから 三日 目、 夜が 明け 

切らない 頃に、 船 は 速力 を 落して、 ゆっくり 糸満 港に 入った。 

《奄 たち は、 獲った ばかりの 魚 を 満載した マル キ ブネが 帆 を かかげて 次々 に 帰って くるの を、 甲板の 上から 眺め 

ていた。 璋頭 では 女た ちがかん 高い 声で 喚き あいながら、 マル キ ブネの 魚 をう ばいと るよう にして つかみ 出し、 

手渡しに はこんで 積み あげていた。 手で もち 切れない 大きな 魚 は 尻尾 を もって 引きずつ ていた。 積み あげた 魚 は- 

な かの 一人の 女が 要領よ く、 1^ にかけ て はかって いく。 それが 済む と、 女た ち はめい めい バ ー キ (かご) に 何 匹 

, ^ずつ の 魚 を 入れ、 頭に のせて 散って いった。 赤、 青、 黄色の 目の さめる ような 極彩色の 魚 をて きばき と 捌いて 

いく 光景 は、 ふしぎな ほど 鮮明だった。》 



14 



しかし それ も 一 瞬 だ つ た。 港の 朝霧が 晴れ あが つ たと き、 , 

「MP がきた ぞ。 みんな ダン ブルに 入れ」 

カツ ォ 船の 男た ちが 狼狽しながら 叫んだ。 今まで 波止場の 風景 を 眺めて いた 子どもたち は、 穴に かくれる シォ 

マネ キ のように、 いっせいに ダン ブルの 中に 入った。 男た ち は その上に ふた をす ると、 防水 カバ ー を かけ、 何事 

もなか つ たかの ようにす ましていた。 

MP が 立ち去つ たのち、 カツ ォ 船の 男た ち は 子どもたち を ダン ブルに 押し こめた まま、 迎えに きた ハシケ で 上 

陸した。 糸満は 彼らの 故郷だった。 彼ら は 打ち連れて 港の 近くの 丘の 下に ある 白銀 堂に 足 を はこんだ。 洞穴の 奥 

に は、 糸満 漁夫が 祈願と 感謝 を ささげ あがめる 神が 祀られ ている。 フカ を 釣った とき は、 フカの ヒレ を 切りと つ 

て 竹の 先に はさみ、 白銀 堂の 神前に 供えた。 「旅」 に 出かける とき 「旅」 からかえった とき、 彼ら は 白銀 堂に 参 

詣 した。 「旅」 と は 泊り がけで 出かける 漁 や 航海 を 指す 糸満 漁夫の 用語で ある。 

「最近、 慶良 間で シジャ ー に やられて 死んだ 奴が いるよ」 

と 一 人の 男が つぶやいた。 

な ぐら あらかわ 

「八重 山の 名 蔵 湾で も、 新 川の 漁師が 左の 胸 を 突かれて 即死した。 一 突きだった というよ」 

他の 男が 応じた。 

「おれ も 若い ときに やられた ことがある。 夜 漁に いって、 懐中電灯 をつ けた 途端、 シジャ ー が 飛んで きた。 おれ 

が 身 を かわした ので、 そいつ はものす ごい 勢いで 額 を かすめた。 まるで 野球の バットで 撲り つけられ たような 感 

じだった」 

シジャ ー はダッ のこの 地方での 呼び名で ある。 ダ ッはサ ヨリ を 大きく したよう な 魚で、 上下 顎 は 錐の ような 嘴 

となって するどく 光って いる。 灯火に 照らされ ると、 おどろいた 拍子に 飛び かかって くる。 糸満の 浜に しか 道の 



15 海の 群 星 



なかった 頃に は、 松明 をと ぼして 歩いて いたり、 また 夜 漁 を するとき に ダッに やられる ことが しばしばあった。 

こうした ことから、 糸満の 人た ち は 旧 四月の 吉日に、 白銀 堂に ダッの 切身 を 供えて、 その 危難 を 避ける ことが で 

きる ようにと 祈願 をつ づけて いる。 それ をヒ ー タチ御 願と 呼んで いる。 この 御 願 は あとで は、 ダッの 豊漁に めぐ 

まれる ようにとの 祈願 祭に 変つ ていって いる。 

白銀 堂の 名が 銭 瓶 を 埋めた 洞穴に 由来 するとい うの は 後世の 付会に すぎない。 『琉球 国 由来 記』 の 兼 城 間切 糸 

満 村の 条に 「ヨリ ァゲ ノ嶽、 神 名シロ カネ ノ御ィ ベ」 と 記されて いる。 ヨリ ァゲ というの は 魚の よく 寄って くる 

海辺の ことで あり、 砂浜 を金久 というよ うに、 シロ カネ は 白砂 を あらわす 語で ある。 それが 白銀と いう ふうに 歪 

曲され て 伝承され、 白銀 堂の 縁起に 組み こまれた もので、 もとから 糸満が 漁業 集落と して 存在して いた こと は 明 

らか である。 だが 糸満の 集落が 強固に なり 膨張す るに は、 そのほかの 理由が あった。 

それ は 北方に 首 里、 那覇 という 膨張す る 大都市 を 控えて いた ことで ある。 魚が どんなに 獲れ て も、 それ を 売り 

さばく 所がなければ 腐らして しまう ほかない。 冷凍す る ことができ なか つ た 時代の 魚 は あ つと いう 間に 腐つ てい 

く。 そこで 糸満の 女た ち は、 负を 入れた 桶 を 頭に のせ、 独特の 腰の ふり 方 や 歩き 方 をしながら、 急ぎ足で、 那覇 

の 魚市場に もっていって は 売った。 「魚 買い 候」 と 呼 売りして 歩く 糸満 女性の 姿 は 那覇ゃ 首 里の 風物詩の 一 つで 

あった。 

三 

糸満の 漁法と いえば、 何十 ピロ もの 深い 海で、 大ぜ いの 漁夫た ちに よる 追 込 網が 有名で あるが、 環礁に とり か 

こまれた 沖 織での 原始的な 漁法 はィ ノウと 呼ばれる リ —フ の 内側の 浅瀬で おこなわれ ていた。 海が 引き潮の とき 

に 潮 溜りに 取り残された 小魚 や 貝類 を 拾う こと や、 夜、 灯火 を 片手に おこなう 夜 漁が 最初の 漁の 形態であった。 



i6 



それ を 恒久化し たのが 魚 垣で ある。 海 石 を 使って 浅瀬に 石垣 を こしらえ、 満潮 時に 入って きた 魚が 干潮 時に 取り 

残されて 出られなくなる ように 工夫した ものである。 魚 垣が 沖に むかって 狭めた 石垣 をき ずくのに たいして、 海 

の 深いと ころから 浅瀬に たてた 網に むかって 追い込む 漁法が あった。 岸の 方に 魚 を 追い 「あげ」 るので ァ ギヤ ー 

といった。 ァ ギヤ ー の 呼称 はの ちに は 干 瀬の 外での 追 込 網に 使われる ようにな つ た e 

浅瀬の 追 込 網の 最初 はサガ マ ー と 呼ばれる もので あ つたら しい。 一 一十 艘 ばかりの クリ ブネが よりあつま つて、 

一艘の 舟に は トモに 老人が いて カジ をと り、 へ サキに 少年が いて、 長い 竿 を 海底に 突き立てたり、 竿で 海面 を 叩 

いたりしながら 魚 を 追い立て、 浅瀬に 張った 網に かかった もの を 捉える の だが、 この クリ ブネ は 櫂 を こぐ 六つ 七 

つの 幼い 子どもが 乗って いるの が 特徴であった。 狩 撒 民が 膝に 乗って いる 子に 弓矢の 練習 をさせる ように、 糸満 

漁夫 もまた そうして 漁業の 見習 を させた ので ある。 この サ ガマ ー は、 老人と 子どもの 組合せから 成り、 弱者で も 

できる 漁業で あつたが、 しかし そこに は 共同体の 漁業と いう 意味 も こめられ ていた。 というの もサ ガマ ー を やる 

クリ ブネ は、 糸満の 各部 落に 何艘 ずっと 割当てられて、 それで あつまった 二十 艘 ばかりの 舟で おこなって いたか 

ら である。 

小さい トビ ゥォ を糸満 では トブ グヮ というが、 この トブグ ヮをサ ガマ ー とも 呼んで いる。 それ はサ ガマ ー の 網 

で トビ ゥォを さかんにと つたこと を 暗示して いるが、 トビ ゥォ をと る 漁法 だから サ ガマ— という 以外、 その 名の 

由来 は 明らかで はない。 刺 網 を 最初 はササ 網と いったの だが、 現在で は サザン 網 または サザ 網と いえば、 小型の 

追 込 網の 名称と な つてい る ことから、 その サザン 網が 糸満 では サガ マ ー と 呼ばれた ので はない かと 思われる。 

サ ガマ ー に みられる 原始的な 共同 漁法 は、 どこか 宗教 的な 匂いが する。 それ はやが て 個人的な、 数 少ない 舟で 

おこなう 漁法へ と 移行す る。 パン タタ 力 ー というの は、 その 名のと おり、 海面 を 棒で 叩いたり、 舟べ り を 手で 叩 

いたりして 魚 をお どしながら、 二 艘のサ バニで、 たて 網の 中央に ある 袋網に 追い込んで いく 漁法で ある。 あとに 



17 海の 群 星 



なると、 舟から 追い込む ので はなく、 雇いん 子た ちが 海に とびこんで 棒 や 手で 海面 を 叩きながら 追い込む 仕事 を 

させられた。 パ ンタ タカ ー のとき に、 サバ 二 と 袖 網と をむ すぶ 繙の とこ ろ どころ にァダ ン の 芯 芽な ど を さげて お 

くこと があった。 ァ ダンの 芯 芽 を スルと 呼ぶ が、 その スルは 海中で きらきらと ひかり、 白く ひるがえって、 魚た 

ち をお どかす 効果 を もっている。 そこで、 深海で おこなう ァ ギヤ ー という 追 込 網のと きに も、 ながい 繙の ところ 

どころ にスル をつ け、 繩 の 尖端に は 海底で 大きな 音 をた てる 石 を むすびつけた 道具が 使われた。 これ を糸満 漁夫 

は スルシ 力 ー と 呼んで いる。 スルシ 力 ー を 手に もった 幾 十 人 もの 漁夫が、 ときには 海面 を 泳ぎ、 ときには 海中に 

もぐりながら、 魚群 を 袋網の 中に いっせいに 追い こんでいく。 では、 スルの 利用 はいつ 頃から はじまつ たの だろ 

うか。 

十八 世紀 初頭の 沖鼯の 辞書 『混 効験 集』 に は 「しらつな の 御 初」 という 言葉が 出て い る。 伊波 普猷は 『沖繙 

考』 の 中で、 しらつな は繩 にいろい ろな もの を 下げて 魚類 を 追い あつめ、 手 網 または 網で 取る ことで あり、 俗に 

サザ— とか タタ チヤ— と 呼ばれて いると いう 説 を 紹介し、 更に 幕末 奄 美大 島に 配流され た 名 越 左 源 太の 『南 島 雑 

話』 に 「白 綱の 寧」 という 一条が あると 述べ、 また 『宮 古島 旧記』 に 仲 宗根豊 見 親が 赤 牛に またがって 海岸へ 白 

織 を 見物に 出かけ、 この 日の 白繩、 過分に 魚 を 得たり、 と ある 記事に 注目して いる。 

こうして みれば 白 綱と 白繙は 同一 物で ある。 島 袋 源 七 は 『沖繾 古代の 生活』 の 中で シラ チナは 縦のお どし 織 を 

使つ て 磯 魚 を 追い込む 中型の 追 込 網と 説明して いる。 白 綱と は 白く 光る ァダ ン の 芯 芽すな わち ス ルを 綱に はさみ 

こんで、 魚 をお どす ために 使用した ものである こと はまちが いない。 その 漁法がず いぶん 古くから おこなわれて 

いた こと も、 さきに あげた 例から して 推測が 可能で ある。 

しかし ァ ギヤ— と 呼ばれる 大型の 追 込 網の 出現に は、 さらに 多くの 条件が 必要であった。 糸満 言葉で フカ キと 

いうの は 「干 瀬の 外」 つまり 珊瑚 碟の 外側の 深海で おこなう 操業の ことで ある。 それまで は もっぱら 干 瀬の 内側 



8 のィ ノウで、 ^^ーを網に追ぃ込んでぃた。 しかし 明洽十 年代から 二十 年代に かけて、 フカ キを 可能と する さまざま 

な 考案 や 発明が あい ついで おこなわれ、 ァ ギヤ— 網の 漁法 もそう した 技術の 進歩 を 土台に して 生まれた フカ キに 

ほかなら なか つ た。 

もぐり 漁法で は 水中の 状態 を 見極める ことが 肝心 だが、 ガラスが 普及し なか つ た 時代の 海人 は 水中で ながく 眼 

を 開 けて いる こと はでき なかった。 明治 以前、 隠岐の 海女 は ァヮビ のはら わた を 口に 含んで は 嚙んで 吐き出し、 

その はらわたの 油 を もって 海面 を 平らに し、 海底 をの ぞいた。 沖 繙 でも フカの 油 を 海面に 流して 波 底 を 見た。 ガ 

ラス 張りの 箱 眼鏡の 登場 は、 もぐり 漁法に 大きな 進歩 を もたらし たが、 それでも 海中での 自在な 活動 はでき なか 

つた。 明治 十 年代の 後半に 糸 満の玉 城 保 太郎が 水中眼鏡 を 考案した こと は 画期的な 事件であった。 これによ つて 

深い 海底 を 泳ぎ まわり、 魚 を 突いたり、 網 を はずした りする ことへの ながい 間の 漁民の 夢が 叶えられる ようにな 

つた。 

水中眼鏡の 枠 は、 海岸に 生えて いる ハ マ スゥと 呼ばれる 木 を 使った。 ハ マ スゥに は 木の 中に やわらかい 芯が と 

おってい る。 それ を斜に 切って 乾かした もの を 細工す る。 ハ マス ゥには 木目が あるから 海底に はいった ときには、 

水が 眼鏡の 中に 少し 入る。 それ を 利用して 海中で 頭 を 振って 眼鏡 を 洗う。 また 眼鏡に はいった 水 は、 体温で 蒸気 

のように なって、 眼鏡の くもり を 内側から 拭う 役割 を果 す。 深海に もぐる ともの すごい 圧力が かかり、 金属製 や 

ゴ ム 製の 眼鏡 は 眼窩に つよく くいこんで 痛み を おぼえる からよ くないと されて いる。 糸満 漁夫 は 今でも ハマ スゥ 

の やわらかい 木で 作った 水中眼鏡 を 使用して いる。 

一七 五一 年、 琉 球王府 は、 マル キ ブネ を 作る に は 大木が 必要 だが、 大木 をむ やみに 伐る と 唐 船ゃ楷 船の 用材が 

欠乏 するとい う 理由で、 マル キ ブネの 製造 を 禁止し、 ハギ ブネの 製造 をす すめた と 記録に あるから、 明治維新の 

百年 まえに はサバ 二が 出現して いた こと は 明白で ある。 



19 泡の 群 星 



しかし 糸満の 古老の 言で は、 ァ ギヤ— と 呼ばれる 追 込 網 も はじめは 松 や 樅 ゃ椎の 大木 を くりぬいた マ ル キ ブネ 

でお こなって いたと いう。 その マル キ ブネが 今日の サ バニに 見られる ような ハギ ブネに 変った の は、 糸満 では 明 

治 一 一十 年代の ようで ある。 ハ ギ ブネの 構造 は マ ル キ ブネと はちが うが、 形状 はよ く 似て いる。 ハ ギブ ネは はじめ 

は 松材を 使った が、 のちに は 杉材に 変った。 杉材 も 水 を 吸って 舟 足が 重くなる 屋久杉 はきら われ、 日向の 油津か 

らくる 杉が よろこばれ たという。 

戦後 は 南洋 ハギと 呼ばれる サバ 二 も 登場した。 従来の サバ 二 は 竹の 釘 を 使い、 板の つぎ 目 は 蝶 型の 木の くさび 

で 閉じ あわせて いたが、 南洋 ハギは 鉄 釘 をつ かってい る。 

サ バニの 特色 は、 舟が 軽く、 底が とがって いるので、 波の 抵抗 を 乗り こえて はやく はしる ことができる ことで 

ある。 逆三角形で 不安定 だが、 くつがえった 舟 を もと 通りに 起す に はかえ つてつ ごうが よかった。 これに 対して 

網 干な どの 浅瀬の たて 網 漁に 使用す る 舟 は ひらたい 底 を もっている。 

ァ ギヤ— 綱 は 袋網と 動力 船 を もっている 組頭が 中心に なって おこなう。 それ は六艘 から 十艘 のサバ 二が 参加す 

る。 それぞれの サ バニに は 袖 網と その 舟 を 所有して いる トモ ヌィ (艫 乗り) がいて、 船頭の 役割 を果 す。 一艘の 

サ バニに は トモ ヌィの ほか 三 名から 五名が 乗り組んで いる。 サ バニ は 動力 船に 曳 かれて 漁場に つくと、 潮の 流れ 

を 見定めて、 袋網 を 潮の 流れの 下流に 張る。 袋網 は 以前 は 麻糸で あつたが、 紡績 業の 発達と 共に 木綿糸 を 使用す 

るよう になった。 また 袖 網 は 上端に は 杉の 平たい 板の 浮 子、 下端に は 宝貝の が 子 をつ けて あるが、 それ を 袋網の 

両袖に 八の字 型に 百ヒ 口 から 百 五十 ピ 口 の 間 張る。 

網の 設定が 終る と、 サ バニに 乗った 幾 十 人 もの 男た ちはいつ せいに 海に 飛び こみ、 七、 八 ヒロから 十 ピロの 間 

隔で、 もぐって は 浮き 浮いて はもぐ つて、 魚 を スルシ 力 ー でお どしながら 袋網に 追い こむ。 深さ は 二十 ピロから 

三十 ピロ ある 海な ので、 スルシ 力 ー も それ以上の 長さがない と 海底に とどかない。 魚 を 袋網に 追い こむ とその 口 



をし め、 袖 網と 袋網 をつな ぐ 藁繙を 切り はなし、 袋網 を 引き揚げる。 この ァ ギヤ ー 網の 作業に は 大!: 直の 人手 を 要 

する ことから、 糸満 漁夫 はまず しい 家の 子どもたち を 買って、 労働に 従事 させた の だ。 それ は 明治 末期から 大正 

にかけ て 急激に 需要 をました。 

糸満 漁夫 はサバ 二 を あやつって 「道の 島」 づたいに 北上し、 九州 西海岸に 沿って 佐 世 保から 五島、 対 馬で 活躍 

した。 対 馬の 南端の 豆 酸で は 追 込 網 をお こなって いた。 阿連で は 豆 K の糸満 から その 漁法 をなら つた。 糸 満は対 

馬 北部の 佐 護の 井口 浜に も あらわれた。 それば かりで なく 隠岐の 島に も 若 狭に も、 また 太平洋 側 は 土 佐に も 出漁 

している。 若 狭 湾で は 海面 を 棒で 叩いて 魚 を 追い こむ パン タタ 力 ー の 漁業 をお こなった。 それが 毎 夏の こと だつ 

たので、 小 の 人た ち は糸満 漁夫の 姿 を 見る と 「もう 夏が きた」 と 思った という。 

糸満 漁夫 は 北上す る だけでなく、 南下 もした。 彼らが 八重 山に 進出した の は、 明治 十 年代と されて いる。 明治 

十五 年、 沖纈 本島から 親子 二人連れの 糸満 漁夫が 渡来し、 八重 山村 (現在の 石垣 市) に 住んで、 魚 を ヤスで 突き 

取って 売って いた。 また 明治 二十 年頃、 さらに 親子 三人 連れの 糸満 漁夫が 今日 石垣 市に ふくまれる 新 川に 居住し 

て、 漁業 を はじめた。 これが 八重 山に おける クリ ブネ 漁業の 始まりで ある。 

しか との ぐす く いしがき あらかわ 

そのの ち 続々 と糸満 漁夫が 沖纆 本島から 移住して きて、 石垣 島の 四箇 村のう ち 登 野 城、 石垣、 新 川の 三つの 集 

落の 海岸に 家 をた てて 住み、 漁業に 従事した。 それだけで なく 明治 四十 年代に なると、 黒 島、 小 浜 島の 細 崎、 与 

那国 島の 久部 良な どに 枝 村 を 作って いった。 久部 良で は 大正 三年、 細 崎で は 大正 八 年に カツ ォ 節の 製造 加工業が 

始まって 一 時期 さかえる。 

八重 山に おける 糸満 漁夫の 活動 は、 古賀辰 四郎の 事業と 不可分にから まっている。 古賀は 福岡県 八 女の ひとで 

那覇 にきた の は 明治 十二 年。 三年 後の 明治 十五 年に は 八重 山に 進出し、 糸満 漁夫に 貝ボタンの 材料に する 高瀬 貝 

や 広 瀬 貝の 採集 をた のみ、 それ を 買 上げる 商売 を はじめた。 貝ボタンの 材料に する 巻貝の 多い 八重 山の 海 は、 古 



21 海の 群 星 



賀 商店 ことっても 糸満 漁夫に とっても、 目 をつ ける ところと なった。 これらの 貝類 を もぐって とる にに 家族^ 

外に も 多くの 人手が 必要で ある。 そこで 糸満 漁夫 は、 貧しい家の 子ども を 前借金の 抵当に 働かせる ことにした。 

「糸満 売り」 をされ た 子どもたち は 一 買いん 子」 または 「雇いん 子」 と 呼ばれて きた。 

點ハん!^たちをのせたカッォ船は、 糸満 港に 立ちよ つた あと、 先 島へ とむ かった。 沖繙 本島 南部の 喜屋武 岬が 

遠ざかる と、 あと は 島影 一 つ 見えない、 びょうび ようとした 青海原だった。 宮 古島まで 七十 里。 

奄 美大 島から 沖繩 本島までの 「道の 島」 では 一 つの 島が 去る と 次の 島が あらわれ、 船 は その 島影 をった つて 走 

つた。 イカ ダ のよう な 平安 座 船が 家畜 をのせ て すれちがったり すると、 カツ ォ 船の 買いん 子た ち は 歓呼の 声 を あ 

げた。 しかし 今、 彼ら は 頼りなげ に 海に 浮いて いた。 南 をい そぐ 渡り鳥の 不安な 翼、 波間 をぬ う トビ ゥォの 冷た 

い 肌の 感触が 彼らに も 伝わって いるの だろう か、 彼ら は 甲板で はしゃぐ こと もせず、 海 を 眺めて いた。 

水平線に g|| が 立ちのぼり、 スコ ー ルが 船の 甲板 を 荒々 しく 叩いて 通りす ぎ、 その あとに は 壮大な 虹が 両 つの 

脚で、 海の 国を領 する 光景が 見られた。 

「見ろ、 あまぐれ (雨雲) が 沖に さがって きた ぞ」 

頭に 手拭 を まきつけ、 シャツから 胸毛 を のぞかせた 男が 指さした。 水平線の 雨雲 は 低く 垂れ、 漏斗の 形 をして _ 

わずかに 移動して いるよう に 見える が、 その 竜巻 は 猛烈な はやさで 移動して いる はず だ つ た。 

「竜 下り だ。 こちらに くる かも 知れない ぞ」 

別の 男が 叫んだ。 . 

r ィ ー ダン (鈷) を もつ てこい」 



誰かが あわてて、 甲板の 隅から するどい 铦を もってき た。 

「竜 下り」 とよ ばれて いる 竜巻に 海上で おそわれた とき、 ィ ー ダン を 突き出せば、 竜巻の 方から 避けて とおると、 

糸満 漁夫 は 信じて いる。 竜巻 を 退散させる ために、 船の 帆柱め がけて 鉄砲 を 打つ こと もす る。 昔、 is 船 や 

船 は 竜巻 除け のために、 百足の かっこう をした 旗 を ひるがえ していた。 百足 は 竜 を 征服 するとい う 俗信が あるか 

らだ の 中に 百足が くるまって いると きも、 大漁 だと、 漁師た ち は よろこん: _ こ。 

結局、 おそれて いた 竜 下り は 近寄って こなかった。 

やっと 宮 古島が 見えて きた。 低い 雑木と 草で 蔽 われた 平たい 島だった。 船 は 港に 停泊した あと、 多 良 間 島 

をへ て、 石垣 島に むかった。 宮 古島と 石垣 島の 間 は 三十 五 里。 

石垣 島に 近づく と、 宮古ゃ 多 良 間に は 見られない 高い 山が 重なって 現われた。 

石垣 港に 着く と、 カツ ォ 船の 一同 は 桟橋の 際の 検疫所に 連れていかれて、 耳から 血 を とられた。 そして 足 裏 か 

ら炎 がまき あがる 白砂の 道 を 西へ ニキ 口 あるく と、 新 川の 海岸へ 出た。 ディ ゴの 木蔭に 立ったり しゃがん ビ りし 

て、 彼ら を 待ち受け ている 一団が あった。 買いん 子た ち を 迎えに きた 糸満 漁夫の 家族た ちだった。 そこで、 彼ら 

は、 おまえ は 亀 谷屋、 おまえ は 山城 屋、 おまえ は 何々 屋と 分けられた。 

《「おい、 おまえ はこ ちら だ」 

ヤン ゴ— 通りで 声をかけた 赤 髪の 男が 俺の 腕 をつ かんだ。 俺よりも 年下で、 やっと 十 歳になる かならない 位の 

少年 も、 追い立てられて あとに ついて きた。 俺た ち 二人が こんど 新しく 小島 屋に 買われた 子どもだった。 

小島 屋の 家屋 は、 奄 美の 俺の 家と 変らない、 みすぼらしい カャ ぶきで、 屋根 は 台風に 吹きとば されない ように、 

古い 魚網が かけて あった。 母屋の 柱に は 珊瑚礁の まるく 平たい チ ブル 石が 用いて あった。 家の まわりに 直え て あ 



23 海の 群 星 



る ユウ ナの 葉が、 そのみす ぼらし さ をわず かに 隠して いた。 

二 間し かない 家の、 竹の 簀の子 を 敷いた 床に はゴ ザが のべて ある だけで、 畳はなかった。 二番 座に 仏壇の 飾つ 

て あるの が 目につく ほか、 家具ら しい もの は 見当らなかった。 衣類 はすべ て 四方の 壁に つるして あった。 母屋の 

台所 は 土間に なって おり、 裏木戸 をぬ けた 家のう しろ は、 裏 座に なって いた。 そこ は 雨戸が なかば 閉めて あって、 

穀物 を 入れる 倉庫に 使われて いた。 

俺 は 母屋から 少し はなれた 掘 立 小屋に つれていかれた。 今にも かたむき そうな その 小屋に は、 小島 屋の 雇いん 

子た ちが 寝起きし ていた。 

屋敷の 北西の 隅に は 芭蕉 を 植えた 一区 画が あり、 なかば かくれる ように 豚小屋が もうけられ ていた。 豚小屋 は 

一 間 四方く らい を 珊瑚礁の 切 石 を 積んで かこ つてあった。 そのと なりに は 便所が あった。 

「夕飯 だ ぞう」 

親方が どなった。 

^から 帰って 海 着物 をぬ ぎ 捨て、 たて 縞の すその 短い 単衣に 着かえ たばかりの 雇いん 子た ちが、 掘 立 小屋から 

飛び出し ていった。 その あとに ついて、 俺 も 母屋に いった。 先輩の 雇いん 子た ち は、 炊事場の 土間に ありあわせ 

の 箱 や 板 ぎれ をお き、 その上に すばやく 坐った。 俺が うろうろして いると、 

「下駄で もなん でもい いから、 そこらに ある もの を 尻に 敷いて はやく 坐れ」 

と 親方から つきとばされた。 

俺と もう 一人の 新参者 を あわせて、 全部で 六 名の 雇いん 子た ちが 輪 を 作って 坐った その 真中に、 親方の かみ さ 

んが、 签ゃ鍋 を はこんで きた。 釜に は 甘藷が 皮つ きの まま 丸 煮に してあった。 鍋の 一 つに は 豆腐の 粕が 山盛りに 

され、 もう 一 つの 鍋に は 魚の 骨 を だしにして 煮た 芋の 葉が 入れて あった。 



24 



その 魚の は、 力 マ ボコを 作る ために 身 を 削ぎと つた 残りで、 力 マ ボコ屋 でさえ も 捨てて かえりみない ほどの 

代物 だ つ た。 

俺 は 眼の 前の 食物 をみ て 事態 を 諒解した。 米の 飯な ど、 どこに も 見当らなかった。 芋が 喉に つかえ、 口惜し 涙 

が 出た。 だまされ たこと を 知った。 だが、 今から 奄 美大 島に 引き返そう としても、 八重 山から 奄 美まで は、 あま 

りに も 遠かった。 親方の 家族が 二番 座で 食卓 を かこんで、 米の 飯 や 厥 肉 を 食べて いるの が、 見る ともなく 見えた。 

烈しい いきどおり を おぼえた。 しかし それ もな がくは つづかなかった。 俺 は 眼の 前の 甘藷の 皿に 眼 を 落した。 

夕食が 終る と、 俺 はだ まって 外に 出た。 一緒に 雇われた 子 もつ いてきた。 家の 前に ある 護岸の 堤防に よりかか 

つて、 眼の 前に 浮ぶ 竹 富 島 を ながめて いるう ちに、 それまで 耐えて いた ものが 一挙に ふき 出した。 となりの 雇い 

ん子も 悲鳴に 近い 大島 弁の 片言で しゃくり あげ、 俺の 肩に むしゃぶりついた。 あたり を 見る と大 島から 連れて こ 

られた 子どもたちが 方々 の 家から 出て きて、 護岸の 堤防に よ り そっていた。 海に は 夕風が 一 面に ひろが つてい 

た。》 

五 

奄 美大 島から 買われて きた 十二 歳の 少年の、 無限に ながい 日々 が、 あくる 日から 始まった。 彼 は 夜明けと 共に 

叩き起された。 

水平線 は 薔薇色に 染 つていた が、 空 も 海 も 大地 もま だ 眠りから さめず、 况 文の ような もの を つぶやい ていた。 

うみぎ ん 

親方 は 彼に 海 着物 を 渡して 「これ を 着ろ」 と 言った。 それ は アメリカの 兵隊た ちが 着て いた、 HBT という 緑色 

の 作業服 を ほどいて、 こしらえ 直した ものだった。 彼より 年下の 少年 は、 家に 残されて、 甘藷の 皮む きを 言いつ 

けられた。 



25 海の 群 星 



先輩の 雇いん 子た ち は、 護岸の 内側に 置いた 六 人の りの サ バニ を かつぐ と、 砂地 を 這って いる 朝顔に 似た 浜 力 

ズラの 紫色の 花 を ふんで、 波打 際にむ かった。 舟に は 貝 をと る 道具 や 網、 それに ザルに 入れた 芋が つみこまれた ハ 

一番 年季の 入った 雇いん 子の ヒ ー ヌィ (舳 乗り) は、 まず 帆綱の 金具 を 海水に つけて しめらせ たのち、 へサキ 

に 坐った まま、 帆柱 をゥ シカキ (帆柱 を 立てる 穴) に 立てた。 ながさ ニメ ー トル も ある 帆柱 をた てるの は、 体力 

と 熟練 を 誇示す る 仕事で ある。 風の 強い 日 は 海の 中に 投げ出される 危険が 待って いる。 

帆柱 をた てた ヒ ー ヌィ は、 すばやく 茶褐色の 帆 を かかげた。 帆 は ヒル ギ、 つまり マング 口 ー ブの 木の 皮で 染め 

た 木綿 帆で、 竹の 横 栈が幾 木 も 入って いる。 帆に は それ を もちあげる ム チン ナ という 綱と、 手に もって 操作す る 

ティン ナ という 帆綱が ついている。 舟の トモに は 親方が 乗り、 一方の 手に は カジ を、 一方の 手に は 帆綱の ティン 

ナを にぎって いる。 他の 雇いん 子た ち は、 舟の なかほどに 膝 を 折り まげて 正座し、 しずかに 櫂 をう ごかして いる" 

太陽の 光線が あさい 水底まで 届いて 緑の 縞模様 をつ くる 海 を、 あるかな いかの 南の 微風 を 受けながら、 舟 はかろ 

やかに すすんだ。 申し分のない 紙と 言って よかった が、 それでも 沖に 出る とサバ 二 は 揺れ はじめた。 彼 は 舟べ り 

に 手 を かけた まま、 サ バニの 真中に 若い 牡 山羊の ように うずくまった ままだった。 彼は奄 美で は 一度 も 海で 泳い 

だ ことが なか つ た。 

舟 は 一時 問 も かからず 石垣 島の 南 五 キロに ある 午の 方の 干 瀬に ついた。 そこ は 暗礁に なって いて、 潮が 引いた 

とき は 水深が 一、 ニヒ 口し かない。 

「カンパ チ、 海 を 見ろ」 

親方が 注意した。 カンパ チ (充) とよ ばれた 若者 はへ サキに 立って、 前方の 海に 眼 を そそいだ。 暗礁 を いちは 

やく 見つけて 知らせる の はへ サキ にいる ヒ ー ヌィの 仕事 だ。 見 あやまる と、 舟 は 暗礁に のりあげる。 サ バニ を珊 

瑚礁の 暗礁に ひっかけ ると、 毛が できる。 舟の 底に できた キ I をサ カン ギ という。 ヒ ー ヌィは 場所 を 見定めて、 



6 石の アンカ ー を 海に おろした。 年季の 入った 雇いん 子た ち は、 ひとしきり 海に もぐって は、 高瀬 貝 や 広 瀬 貝 をと 

り、 海から あがって、 舟の 中で 休憩した。 

「ミ ー チラ—。 もぐって、 何でもよ いから 見本 をと つて こい」 

親方が、 舟の 中程に いて 煙草 を ふかして いる 少年に 言いつけた。 その 少年 は、 まぶたに 傷が あるので、 ミ ー チ 

ラ— (目の 切れた 奴) と 仇名で 呼ばれて いた。 一般に 糸満の 漁師た ち は、 本名よりも 仇名で 呼ぶ。 その 仇名 も 身 

体 的な 特徴で つけられた。 ミ ー チラ ー と 呼ばれた 若者 は 吸って いた 煙草 を もみ 消す と、 吸殻 をつ ぶして、 海水で 

水中眼鏡 を 洗った。 そして 海に 飛び こむ と、 二分 もしない 間に 高瀬 貝 をと つてき た。 

「おまえ も、 これとおなじ 貝 をと つて こい」 

親方 は 舟の 真中に うずくま つてい る 彼に 言 つ た。 一 

《俺 は おずおずと 親方の 顔 を 見 あげた。 親方の 髪 は 潮風に なぶられて、 赤茶けて いると いうより は 白 茶色に 変じ 

ていた。 けわしい 太陽の 光 を 相手に してきた せいか、 陽に やかれた 顔に は 深い 横 皺が 並んで おり、 とても 四十に 

間の ある 年齢と は 思えない。 その 下で、 眼 は ほそく、 死んだ ふり をして いた。 

とつぜん 親方の 腕が のびて、 俺 は 海の なかに 突き落された。 無我夢中で、 手足 を 動かしながら、 すがる ように 

して、 舟の トモに いる 親方 を 見 あげたと き、 親方 はリ ー フの むこうに うねる 黒い 海の 色と おなじ 眼の 色で 俺に 答 

えた。 それ は 海の 眼 そのものだった。 

次の 日 も その 次の 日 も 泳ぎ を 習わされた。 あまりの 苦し さに 舟べ りに 手 を かける と、 その 手 を 櫂で 叩かれて 海 

に 落ちた。 どうにか サ バニの まわり をぐ るぐ る まわって 泳ぐ 程度の ことができる ようにな つたが、 まだ もぐり は 

できない。 すぐ 浮き あがって しまう。 二、 三 ピロの 海の 底の 高瀬 貝 を とってくる こと もで きない。 それ を 見た 親 



27 海の 群 星 



方 は、 サ バニの 中に 置いて あった 三メ ー トル ほどの 竹の 竿の 先に 俺の 手首 を ゆわえつ け、 竹竿 もろともに 俺の 身 

体 を 海に 突き 入れた。 俺 は 竹竿と 一緒に おもむろに 海底に 沈んだ。 息が つまり そうだが、 どうす る こと もで きな 

ヽ 

竹竿の 先が 海底に 着いた という こと は、 俺の 手首が 水底に 着いた という ことになる。 サ バニの 上に いる 親方 は、 

時分 を 見計らって、 竿 を 引き あげる。 それに つれて 俺の 身体 も 水面に 浮いて 出る 仕掛になる の だ。 

それ をく りかえ すうちに、 だんだん 馴れて、 いつの 間に か、 苦 痛感 もな しに 二、 三 ピロ はも ぐれる ようになつ 

た。 それが できる と、 こんど は 親方 はサ バニで 五、 六 ピロのと ころに 連れていって、 おなじ 要領で それ をく りか 

えした。 

ある 日、 親方が はじめて 俺 を ほめた。 

「お前、 なかなか できそう じ やない か。 腹が ながいから、 これから ナガ ー という 名前に しろ」 

年の わりに 大柄な 身体 をして いた 俺 は、 腹、 つまり 胴が ながく 息が つづく ので モグリ がうまい という ことから、 

ナガ ー と 仇名 をつ けられた。 

次の 日、 親方 は 一 本の あたらしい 櫂と 水中眼鏡 を 渡して 言った。 

「櫂 は糸満 の海ャ カラの たましい だ。 どんな ことがあっても、 お前の 櫂 を 手放して はならん。 舟が てんぷく する 

ような ことが 起っても、 櫂 をに ぎって 放さず、 櫂と 一緒に 海に 落ち るんだ。 この 水中眼鏡 は、 おまえの 眼の 長さ 

にあわせて 型 をと り、 ハマ スゥの 木で わざわざ 作らせた やつ だ。 櫂 も 水中眼鏡 もな がく 使って いると 海苔が つく 

ようになる。 置き 放しに してお くと、 つかない。 海ャ カラで 威張れる の は、 海苔の ついた 櫂 や 眼鏡 を もつ こと 

だ。》 



28 



六 

《俺 は 先輩の カンパ チゃミ ー チラ ー とおなじように サ バニに 乗って シン サグャ I (潜 探りす る 者) の 仲間入り を 

する ことにな つた。 シン サグャ ー のとき は、 袋 を もたなかった。 もぐって いて、 高瀬 貝 や 広 瀬 貝 を 二十 個 も 袋に 

入れる と、 海から 上る ことができなくなる。 獲物 をと つたら 直ぐに 浮き あがって、 舟に のせる ことにし ていた。 

親方 はもぐ つてい る 雇いん 子た ちの 周りで、 自分の 身体に 三十 ピロ 位の 綱 を まきつけて、 泳ぎながら 舟 を ひつば 

つていた。 高瀬 貝 も 干 瀬の 内側の ィ ノウに いるの は 小さかった。 広 瀬 貝 は 高瀬 貝より は 深い 海の 底に いた。 

広 瀬 貝 を 採って くる 途中、 あと 一 メ ー トルで 舟に 届く というと き、 息が 切れる ことがある。 一 呼吸 海中に 長く 

いたた めに、 はい あがって、 サ バニの 中での びる こと もあった。 意識が 不明に なって 何もかも 分らなくなる。 こ 

れ をべ ー ン ブイと いう。 そのと き は あわてずに 水中眼鏡 を 外して やる と、 たちまち 息 を ふき 返す。 このと き 誰か 

が、 気絶した 者の まわりに いないと 死んで しまう ことになる。 

「ナガ I、 おまえ、 いまべ —ン ブイし たんだ ぞ」 

と 親方から いわれて、 失神した ことに はじめて 気がつく のだった。 

魚 をと るに は、 すべて 潮 どき を 考慮し なければ ならない から、 潮が 合う ときには 舟の 上で 甘藷を 食う。 潮が 合 

わない となったら、 飯 も 食わないで 仕事 を させられる。 泳ぎながら 食う こと もあった。 先輩た ち は、 獲った 魚 を 

刺身に して 潮水に つけて 食う が、 新入り の 俺た ちに は 許されな か つた。 

雨の 日 は 合羽 をつ けて 海に 出た。 海の 上で 浮きながら 雨の 滴 を 飲んだ。 下から 見る と 海面に 雨が ぶっかる のが 

見えた。 

翼 を するとき は 潮の 流れの 上に いって たれる か、 海底の 岩 をつ かまえて やる。 それ を 食う 魚が いる。 海の 上で 



29 海の 群 星 



翼 を たれる と、 自分の 身体の まわりに 浮いて 始末に こまる。 先輩た ち はお もしろ がって 海底で 貝 を とっている 俺 

をめ がけて、 上の 方から 糞 を たれる ことがあった。 おどろいて、 海面に あがる と、 浮いて いる 糞に 顔 をく つつけ 

た。 まわりで 泳いで いる 者た ちはいつ せいに 笑った。 

悔の 仕事 は 夜明けに 始まって 日没 頃に 終る。 夕方 海から 引き あげる と、 舟に 積んで かえった 網 や 口 ー プを 堤防 

こまかす。 が 荒れて 漁に 出られない 日 は、 畑に はしめ りがくる から 植付 を させられた。 嵐で も よろこべ なかつ 

た。 また 網の つくろい や 薪 取りで 休む 暇はなかった。 薪 取り は 一里の 道 を 往復す る 重労働だった。 それだけ では 

な,^;った。 先輩が 肩 を もめ、 水 をく めと いったら、 そのいうな りになる ほかなかった。 

豚 こ. 餌 を やつてから でなければ、 夕食に ありつけ なかった。 豚に 餌 を やる の は 新入り の 雇いん 子た ちの 日課 だ 

つた。 

集の 切 石で, A こった 豚小屋の まわりに は、 暗緑色の つややかな 葉 をつ けた 福 木が 数 本、 まっすぐな 幹 をの 

--, H していた。 夕方に は が i の梭 のように 幹の まわり を 飛び交つ ていた。 ときには 福 木の 幹に とまって いる キ 

ノ ボリ トカゲ が、 かこいの 切 石から 首 を つき出した 豚と けんかし ている 光景に 出会う ことがあった。 沖繙 方言で 

は キノ ボリ トカ ゲをヮ ー ト ー ャ ー (豚と 闘う もの) と 呼んで いる。 

それに 見とれて いる 俺のう しろから、 肥った 親方の かみさん のかん 高い 声が 追つ かけて きた。 

「I に 物- ■ まち、 いった あや 物 食わて い」 

豚 さまに 食事 を 差 上げた か、 そしてお 前た ち は 飯 を 食った かと、 豚 以下に 雇いん 子た ち を あしらう その 罵り 声 

を:^ の 空で 聞きながら、 俺 はナネ ー ズ (桑の 実) をと つて 口に 入れた。 ナネ ー ズ はまな かい 風 (台風) にう たれ 

て も 突が 生る といわれて、 年中 生って いる。 

ある 日、 奄は にやる ァ ー ラ (ハタ) の 内臓 を 大鍋で 煮て いて、 空腹に 耐え 切れずに それ を ごまかした。 何時 



3。 



間 経った か, その 夜 すさまじい 腹痛と 吐 気に おそわれて 倒れた。 背骨 は 錐 を もみ こんだ ように 痛み、 痙攣す る 全 

身から 力が 抜け落ちた。 ァ— ラは 毒魚で はない が、 チン ガニ という 蟹 を 食って いるば あい は、 たまに 毒性 を 帯び 

る ことがある。 俺が のた うち 廻って いると、 先輩の カンパ チ はいそいで 力 マ ドの灰 を搔き 集め、 灰汁の すました 

もの を 作って 飲ませ、 すっかり 吐 篇 させて くれた。》 

小島 屋の 雇いん 子た ち は、 毎日 海に 出て はもぐ り、 泳ぎ、 そして 浮んだ。 海 はま だ 夏の かがやき をと どめて い 

たが、 空の 雲に は どこか 秋め いた もの を 感じる ようになった。 夕方に なると、 東の 水平線 上に 六つの 星が のぼつ 

て 銀糸の ように 烈しく もつれあって いるの が 見えた。 それ は 八重 山で 群 星と 呼んで いるすば る 星 (プレイ アデ 

ス) だ。 ナガ— はもぐ り、 泳ぎ、 浮んで いる 自分た ち 雇いん 子た ちが 群 星の ように 思えた。 毎日 水平線 上に のぼ 

り、 また 海に 沈んで いくことの くりかえし、 それ は 六つの 群 星と 変り はなかった。 

ナガ— が 疲れて 海の 上で あおむけに 浮ぶ と、 新 北風の 吹き出した 空 を、 サシバ が 舞いながら 渡って いく。 彼 は 

胸が しめつけられる 気がした。 彼 はふる さと 大 島で 毎年 秋になる と、 ピッピ ー と 鳴く サシバ の 声 を 聞いて いた。 

サシバ は 眼の まわりに 黄色な 輪の ある 小さな 魔 だ。 はぐれたり、 傷ついた りした サシバ は 翌年まで 大 島に とどま 

つた。 彼 は 大きな 木に とまって いる サシパ を、 そっと よじのぼって とりもちで ひっかけ てとり、 籠に 入れて しば 

らく 飼った こと もあった。 奄 美大 島の 上空 を 通って きたに ちがいない サシバ が、 今 八重 山の 空に 姿 をみ せて いる 

と 思う と、 彼に は サシバ がかす かな ふるさとの 匂い を はこんで いるよう に 感じられ てなら なか つ た。 

北風が 吹きつ のる 頃に は、 さすがに 海水 は 冷たくな つた。 気温が 十 度 以下に さがった 明け方に は、 寒さに 弱い 

魚が 浅瀬で 凍死して いるの が 見受けられる こと もあった。 凍え死んだ 魚 は あまりう まくない ので、 漁師た ち は そ 



31 海の 群 星 



のま ま棄 てて 置く。 糸満の 雇いん 子た ち はそう した 寒い 日で も、 海に 飛び こんで 朝早くから 正午 近くまで、 五 時 

問 もぶ つ つづけに 貝 採り を やらされた。 

《夏の あいだ は、 海中で も 魚の 頭と しっぽが はっきり 見分けられて いたのが、 冬の 最中 は、 一 一時間 もす ると、 眼の 

芯が 立た なくなって、 どちらが 魚の 頭 かしつ ぼか 区別が つかなくなる。 海の 底が 濁り 立ち、 珊瑚礁の するどい 岩 

が 奇妙に やわらかく、 1^ に ゆれうごく。 それ はもう ろうとして 意識不明の 一歩 手前まで いった こと を 示して いる。 

俺た ちが 舟に のせて くれ、 休ませて くれと いっても、 親方 は それ を 許さない。 寒くて 仕方がない。 眼の 芯が 立 

たず、 魚 や 貝 をと る こと はとても できない。 タコは 岩の 色に 自分の 身体の 色 を 似せる から、 なおさら 捕る のがむ 

ず かしい。 それでも 親方 は 舟に のせて はくれ ない。 もぐる 時間が すくなく、 それだけ 収入が 減る からだ。 

ある 寒い 日の こと だ つ た。 俺のと なりで もぐ つ ていた 雇いん 子が とつぜん 手足 をば たつ かせて 水面 を 叩き はじ 

めた。 俺 は 一瞬、 気が狂つ たので はない かと 思った。 その 唇 は 色 をう しなって 紫色に 変って いた。 こごえ 死ぬ の 

ではない かと、 死の 恐怖が おそう。 他の 者 も、 海の 中で、 すこしで も 身体 を あたためようと、 気ち がいじみ た 動 

作 をく りかえ した。 俺 も あたり かまわず、 海水 を はねとばしながら、 海の 中で あばれまわった。 

そうした 日々 が 数日 つづく と、 親方 はさす がに、 海の 仕事 を 三日間 やすむ と 言った。 そして どこから か 山羊 を 

一頭と 犬 を 二 頭 つれてき た。 ふつう 山羊 は 食っても 犬 は 食わない の だが、 この 三 頭 をつ ぶして 一緒にして、 山羊 

の 脂で 煮て しまう。 山羊の 句い がつ よいから、 犬の 匂い は 消されて、 みんな 山羊の 肉の ようになって しまう。 

親方 は 俺た ち を 全員 一 部屋に とじこめ、 毛布で つくった 着物 を 二 枚 も 三枚 もっけ させ、 まんなかで 火 を もやし 

た。 汗が ながれ、 いつしか 冷汗に かわって いく。 そして、 火に かけられた 鍋の 中で ぶつぶつ 煮えた ぎる 山羊 を 食 

うの だ。 火の 傍で 厚着して、 身体から 汗 を 流しながら、 沸々 としてい る 山羊の 肉 を 食ったら、 三 杯 も 四 杯 も 食え 



32 



る。 五 杯 食っても 六 杯 食っても 食った 感じが しない。 食う だけ 食って、 喉が 乾いても、 親方 は 水 を 飲まさない。 

こんなに 腹一杯 食った あと、 冷水で も 飲んだら、 山羊の 脂が 固まって しまって、 たちまち 死ぬ。 そこで 湯 をの ま 

せる ことにする。 

昆 張りが いて、 部屋の 外に も 出さない。 こうして 三日間 ほど 看視 付きで 寝て は 食い、 食って は 寝る。 肉 だけ を 

食いつ づける。 その あと 一日 休んで 五日 目に 海に いくと、 まえに は 二 時間 泳いだら 眼の 芯が 立た なくなつ ていた 

のに、 四、 五 時間 泳いでも、 まだ 眼の 芯が 立って いる。 犬の 肉が 身体 を あたため、 山羊の 肉が 脂肪 を 与える 役割 

を もつ。 海で 獲れ る ものの 量 を 倍加す る。 一月 位したら また 眼の 芯が 立た なくなる。 それで 山羊と 犬の 肉 を 食う _ 

これ をく りかえ しながら やっと 冬 を 越す の だ。》 一 

「二月 風 ま ー ありい」 は 南から 北の方に かわって 激しく 吹く 突風で、 漁民た ちが ひどく おそれて いる。 この 風 は 

老練な 漁夫た ち をかず 知れず 海の 藻屑と している。 それが 吹き やむ と、 砂浜の 波打 際に、 ッノ メガ 二が 穴 を 掘り 

はじめる。 ッ ノ メ ガ 二 は 「^!^る馬」 のょぅなカ 二 とぃぅことから、 八重 山で は パル マヤ ー カンと 呼ばれて いる。 

この 力 二 は 波打 際 を 眼に もとまらない はやさで 走る。 

旧 三、 四月に なると、 陸上で は クバの 黄色い 花が 咲き、 水中で は 海人 草 や ホンダ ワラが 花 をつ ける。 

旧 五月 四日が 近づく と糸満 漁夫た ち は 落着かなかった。 漁夫た ち は 「家の ため」 に 海に 出て ュ ラブ 海蛇 をと つ 

てく る。 それ を 輪の ように 巻いて 火に 炙る と、 ェ ラブの 身体から 脂が いつば いは じき 出る。 小島 屋の おかみさん 

ま、 

「この 脂 を 出さない ように 炙る のが コッ だよ」 

といいながら、 鉄の 棒 を わたした 力 マドの 上で それ を 炙った。 炙った あと 燻製に した エラ ブ 海蛇 を、 輪 切に し 



33 海の 群 星 



て、 豚肉と 一緒に 煮て 旧 五月 四日に 食べる。 糸満 漁夫 は 海に 浸る ので、 脂肪 分 を 身体が 要求す るの だ。 

旧 五月 四日の 当日 は、 テンプラと 力 マ ボコの 御馳走 を 作る。 力 マ ボコは 真 赤に 塗って 厚く 切る。 砂糖と メリ ケ 

ン 粉を汕 あげした ド ー ナツの ような 味の サ ー タ ー アン ダァギ ー (砂糖 油 あげ) も 子どもたちに よろこばれ るから、 

欠, A せない。 それにい つも は 食べ られ ない 米の 飯と 豚の 三枚 肉が この 日ば かり は 雇いん 子た ちに も ふるまわれた。 

雇いん 子た ち はまた 親方から 手拭 一 本と あたらしい 下駄 を もらった。 

旧 五月 四日の 最大の 行事で ある ハ ー リ ー 船の 競走 は、 石垣 市の 四つの 部落のう ち、 糸満 漁夫の 住みつ いた 登 野 

1、 石垣、 新 川の 三つの 部落の 問で おこなわれ、 それぞれの 組から ニ隻 ずつ 出場させる。 十二 人 乗る 大型の クリ 

ブネ は 極彩色に いろどられ ている。 一人 は カジ トリで 年季の 入った 者が なる。 一人 は 証 打ちで、 それ には子 ども 

がなる。 十 名が 15 ぎ 手で ある。 一番 まえに 坐る 一番 櫂 は 若くて 体力の ある 者が えらばれる。 ハ ー リ ー 船の 競走 は 

三 通り ある。 最初 はゥ ガンバ ー リ ー (御 願ハ ー リ ー) で 信仰的な もの だ。 次に クン ヌカセ ー。 これ は 船 を ひつく 

りかえ し、 またもと に 戻し、 それに 乗って はやく 到着した 組が 勝ちで ある。 第三 はァ ガイ バ ー リ ー で、 ひたすら 

力漕し 競走す る。 これに 乗る のが 一番 名誉と される。 

. ^島 g の カンパ チはゥ ガンバ ー リ ー に、 ミ ー チラ ー は クン ヌカセ ー にえら ばれた。 ナガ ー はま だ 出場 させても 

ら えなかった が、 いっか ァ ガイ バ ー リ ー の 一 番櫂 になり たいと 思った。 

ノ 

八重 山の 石垣 島と 西 表 島に はさまれた いわゆる 「石 西礁 湖」 のま わり を、 竹 富 島、 黒 島 

^真 島な どの 離島が とりまい ている。 そして 岛と 島との 間をリ ー フ がつな いでいる。 

石 匿 市 登 野 城の 南に 突き出し、 西に 曲って 竹 富 島の 東海岸に 達する 大きな 珊瑚礁が ある 



、 新 城 島、 小 浜 島、 嘉 



ひつじば え 

J れ は未坡 15 という 名 



4 ^を もってい るが. 地元で は 石垣 島に 近い 部分 をァ ー サビ I、 竹富島に近ぃ部分をュ クサンピ—の名で^^んで 、 

る。 ピ— は 干 瀬 を 指す 八重 山 方言で、 リ I フ (珊瑚礁) に ほかなら ない。 これらの リ I フは、 長さ 十 キロに も 及 

び、 幅 もい ちばん 広い ところで 一 キロに 近い 部分 も ある。 

ァ I サピ— の 更に 南に はゥ マノ ファノ ピ— (午の 方の 干 瀬) が 大きな 弓形 をして 海中に 横たわつ ている。 この 

i 瑚礎も 十 キロに 及んで いる。 ナガ ー が 売られて きた あくる 日に、 サ バニで 連れていかれて 泳ぎ を 習わされ たの 

は、 ゥ マノ ファノ ピ, ー だ。 

ァ ー サピ ー もゥ マノフ ァ ノビ ー も 毎年 石垣 島に おそいかかる 台風のと きの 大波 を 防ぐ 防波堤の 役割 を 果してき 

た。 

ピ ー は 竹 富 島と 小 浜 島の 間にある。 そこの ピ ー とピ I の 間に は 切れ目が あ つて、 ゥラ ミ ジ ュ と 呼ばれる 水路 こ 

なって いる。 ミジュ は 溝の 意で、 船の 出入りに 適した 箇所で ある。 

こうした リ ー フゃ 島々 にと りかこ まれて いるので、 石西礁 湖の 内側の 海 は あさく、 太陽光線 は 底までと どく。 

晴れた 日に、 透明な 青 緑色に かがやく 礁湖 は、 神酒に ふさわしい 色で ある。 石垣 島の 於 茂 i さ 缶に、 ill の 神が 現 

われる とき、 夜の 漁 を 終えた 糸 満のサ バニ は 微風 を 帆に 受けながら 次々 に 帰って くる。 サ バニのへ サキ よこの 礁 

湖に 竪琴の 弦の ふるえの ような さざなみ を 起す。 朝の 太陽が サバ 二の 茶褐色の 帆 を、 もう 一度 曙の 色に 染め直す。 

石垣 島の 於 茂 登 岳に は 一 つの 伝承が 残されて いる。 この 於 茂 登 岳の 神が 真 1|k という 美人に 思い をよ せて、 彼 

女 を 於 茂 登 岳に つれての ぼり 三 力 月 も 岩屋に とじこめて 自分の 思い を とげよう としたが、 真白 美 はこれ を 拒んで 

最後まで 処女 を 守り 通した。 ついに 於 茂 登 神の 許し を 得て 帰る 途中、 それでも なお 神 は 彼女 を 帰すまい として 大 

水 を 出し、 真白 美 は 水死して 果てた。 その 水流の そばに 大きな 木が 生えた。 大工た ち はより あつまって それ を 切 

り 船 を 作った。 作った 船のう しろ は 真白 美の 白い 臀 のように 美しく、 船の まえ は、 真白 美の 乳房 を 見る ように 



35 jf5 の 群 星 



美しかった。 船に 乗って 見る と、 真白 美に 乗る ような 思いが した。 という 官能的な 結末に なって いる 

これ は 真白 美が 死んで 木に 変身し、 更に 船と して 復活した こと を 物語って いると いわれて いる。 そして この 伝 

説 は、 八重 山で は船材 がいかに 重要視され たかを 述べた もので も ある。 この 伝説 を 裏書きす るよう に 『慶 来慶田 

城 由来 記』 に は、 十六 世紀 初頭に 活躍した 宮 古島の 政治的 統一 者の 仲 宗根豊 見 親が、 八重 山 を 征服した 折に、 西 

表 島の 御座 岳の 近くで、 数百 人の 男女 を 使役して 大木 を 切らせ、 それ を 海岸まで 引き出させ ていたが、 豊見 親が 

死んだ という 報せ があった ので 人夫た ち は 大変 よろこび、 その 材木 を 打ち捨てて 帰 つ たという 話が 記されて いる。 

この 挿話 は 八重 山の 西 表 島が 宮 古島に 対する 良材の 供給地であった こと を 伝えて いる。 

仲 宗根豊 見 親の 時代より 少し 前、 一 四 七 七 (文明 九) 年に 朝鮮 済 州 島の 船が 沖 繙の与 那国島 付近 を 漂流 中 救助 

され、 島 を 順送りに 送られて 帰還した ときの 見聞 記録が 残って いる。 それによ ると、 西 表 島に は 山に 材木が 多く、 

ほかの 島に も 移出して いると あり、 波 照 間 島で は 材木がない ので 家 を 建てる に は 西 表 島まで 買いに いく、 新 城 島 

や 竹 富 島 や 黒 島 も 同様 だ、 と ある。 また 多 良 間 島に も 材木がない ので 西 表 島に いって 取って くる、 という 記事が 

見出される。 波 照 間 島 や 多 良 間 島の ような 離島から わざわざ 西 表 島まで 材木 を もとめに いったの は、 それなりの 

理^がなくて はならぬ。 現在 残って いる 宮古ゃ 多 良 間の 民謡の 中に も、 船材を 求めて 八重 山に いったと いう 言葉 

が 見出される。 このような ことから して、 八重 山ゃ宮 古の 島々 の 交流の 原動力 は 船 を 作る 良材 を 求める ことが そ 

の 基本に あ つ たと 推測され る。 

しかし 原始的な マル キ ブネなら いざ 知らず、 ふつうの 船 をつ くると き は、 大木 をた おすに も、 削る にも、 你板 

を はぎ 合わせる にも、 鉄の 道具が 不可欠で ある。 こうした 鉄器と それ を 作る 鍛冶の 技術の 輸入と は、 沖 繩 の 農業 

に 革命 を もたらした だけでなく、 造船 技術に も 取 命 を もたらさずに はす まなか つ た。 

先 島で 船 を 作る ために 造林が 奨励され た 記録と して、 たとえば 一六 九 八 (元禄 十一) 年に は、 西 表 島の 古 村 



にある 松の木 は 八道 山の 公用 船の 帆柱 用に 使う 重要な 樹木で あるから、 その 保護 育成に 役人 はい つそう 監視す. る 

こと、 という 法令が 出て いる。 また 宮古 では 一六 八 一 (天 和 元) 年に、 小 松 二 千 本 を沖繙 から もってき て 造林し 

ている。 西 表 島で もこの 頃、 古 見の 大本山に 造林した。 

造船所 ももう けられた。 『遗老 説 伝』 によると、 八重 山での 造船の はじまり は 竹 富 島で あつたが、 その 船が 航 

海 しないう ちに、 黒 島に ながれついた。 黒 島の 人 はこれ を 見習って 船 をつ くって 竹 富 島へ 航海 を はじめた。 航海 

の はじまり は 黒 島で あると 言い伝えが ある。 最初 は 黒 島に 造船所が もうけられ たが、 のちに 良材 を 産出す る 西 表 

島の 古 見 村に 移されて、 ジャンク 型の マ ー ラン 船 もつ くるよう になった。 こうして 船材を 切り出す ために、 八重 

山 島民 は 一 力 月 以上 も 西 表 島の 山中で 労役に 服した。 

西 表 島で 船材を 切り出す ときの 苦労 は、 最近まで とだえる ことなく つづいて いた。 新 城 島の 人た ちが クリ ブネ 

を 作る とき も、 西 表 島の 奥山に 入って 松の 大木 を 探し、 まず 根 を 切って 倒し、 更に 適当な 長さに 切った。 表面 を 

手斧で 荒削りに し、 一、 二 力 月 は そのまま にして 乾燥 させた。 それから 西 表 島の 海岸まで おろして、 ニ艘 のサバ 

二の 間に 船材を はさみ、 新 城 島まで はこんで いった。 新 城 島の 海岸で、 きれいに 削って 舟に 仕上げた。 新 城 島の 

島民 を 人夫と して 大ぜぃ 頼まねば ならな か つたので、 その 費用 も 犬が かりだ つ た。 

西 表 島の 良材が 八重 山ゃ宮 古の 島民に とって どれほど 重要視され てい たかは、 これで 推察つ くが、 八重 山の 統 

一 を 促進 させた ものに は、 おなじく 西 表 島の 米が あった。 さきに あげた 朝鮮人 漂流者の 記録に も、 波 照 間 島 や 黒 

島に は 米が できない ので 西 表 島に 買いに いくと 記されて いる。 西 表 島 はかつ て 古 見 島と 呼ばれて いた 時代が あ つ 

た。 新 城 島、 黒 島、 竹 富 島の 土地 ははな はだ やせて いて、 鍬 を 使用す る ことができない。 針で 土 を ほり 起し、 そ 

こに 麦 や 豆 や 粟 を まく ほかない。 だが それ とても、 十日 も 雨が 降らない と、 根 は 枯れ、 茎 や 葉 は 赤茶けた。 台風 

が 襲って 潮風 を かぶっても 作物 はだめ になった。 水が なく、 土地 もない から 田 を 作る こと はでき ない。 そうした 



37 海の 群 星 



離島の 人び とに も、 人頭税 は 重く のしかかった。 田の 作れない 島の 人た ちに、 米 を 供出せ よと いう 理不尽な 命令 

が 下された が、 それ を 拒む こと は 不可能であった。 そこで 離島の 民 は 豊富な 水と 沃土に めぐまれた 西 表 島に いつ 

て 田 を 開き、 稲 を 作った。 西 表 島の 北に ある 鳩 間 島の 人た ち は 西 表 島の 上 原 や 船 浦の 荒 地 を 開いて 田 を 作らされ 

た。 西 表 島の 東南 部の^ k 見 村 は 新 城 島 や 黒 島の 人た ちが 田んぼ を 開いた ところだった。 高 那は小 浜 島民に よつ 

て 村が 作られた。 竹 富 島 や 黒 島の 人た ち は、 由 布 島の 対岸の よなら 川の 流域に 田 を 作った。 これらの 人び と はす 

ベて マレ キ ブネで 海 を 渡つ て は 耕作し、 また 島に かえると いう 不便 さ をし のびながら 数百 年 をす ごして きた 

九 

八重 山の 島々 は 船材ゃ 米な どへの 欲望 を 満たす ために、 他の 島へ 渡ろうと する 原 衝動 を もっていた。 島々 にと 

りかこ まれた 礁湖 は、 八重 山の 世界の 核と しての 役割 を果 した。 しかし それだけ ではなく、 礁湖を とりまく リ ー 

フょ、 卵 を 産みに くる 魚 や、 そこ をね ぐらと する 魚の 巣で もあった。 また 高瀬 貝 や 広 瀬 貝な ども おびただしく 棲 

自 5 していた。 八^ 山の 糸満 漁夫に とって、 この 礁湖は 文字 どおり 彼らの 生活の 場であった。 彼ら は そこに 生き 死 

に を 賭けた。 彼ら は、 南風 を 受けて 石垣 島から 西へ と 帆走し、 操業した のちに、 また 南風 を 利用して 石垣 島へ 日 

MB りし. こ。 日 帚り しないと 魚 はくさって しまう。 日帰りで きないよ うな ときには、 幾日も、 ときには 幾 十日 も、 

この 礁 湖の まわりで 貝 や 雑魚 をと りながら 「旅」 をつ づける のが ふつうだった。 時にはと おく 西 表 島の 西部まで 

遠征した。 力— チイ パ 

小島 屋の 親方が 雇いん 子た ち を 連れて 「旅」 に 出かけた の は、 ナガ ー が 糸満に 買われた あくる 年の 夏、 夏至 南 

i が 吹き はじめる 頃だった。 いつも はだしの 雇いん 子た ち も、 このと きば かり はァ ダン 葉の 草履 を 履かされた。 

旅の 用意と して、 ザ ルゃカ マスに 芋 を 一杯 詰め込んだ。 芋 はいく さきざきで 鍋に 入れて ふかし、 それ を 櫂の 柄で 



38 



つきまぜて、 ん ぼの 頭 位の 大きさに まるめる。 t 干の 表面 は 日数が たっと カビが 生える ので、 その カビを 削りと 

つてお ベる。 これ をム チガテ という。 つまり 携帯 食糧で ある。 味噌 は 持って いくが、 醬油は 持って、 かな、,。 ま 

先で は 獲った 魚 を 刺身に して、 潮水に つけて 食べる。 

《旅の 前になる とかみさん は 針仕事 は 一切 やめた。 いつも 髪の 手入れ をせ ず、 洗髪の ままな のが、 きれいに 髪 を 

結った。 また 親方 は 鋏 やかみ そりな ど を 使わず 不精 鬚 を はやした ままだった。 そうした タブ ー をお かすと、 海の 

災難が あり 不漁 だとお それられ ていた。 

旅の 前日に なって、 親方が 急に 寝 こんで しまった。 親方 は 蒼い 顔 をして、 台所の 隅 や 桶の 中な どと ころ かまわ 

ず 吐いた。 俺が 何の 病気 だと カンパ チに 聞く と、 カンパ チは 薄ら 笑い を 浮べながら、 なんでも あれ は 男の つわり 

だと 教えて くれた。 腹の 大きい かみさんの ほう は 何事もなく、 雇いん 子た ち を 使い まくった。 

親方の つわりで 出発 は 四、 五日お くれてし まった。 

旅 はまず 新 城 島から はじまった。 新 城 島の 上 地の 海岸に 砂 を ほりく ぼめ、 そこに ゴザを 敷いた。 その上に 櫂 を 

支柱に して、 舟の 帆 を かぶせ、 雨露 をし のぐ だけの 仮小屋 を こしらえ、 親方 はじめ カンパ チ、 ミ ー チラ ー、 俺な 

ど 六 人が 寝た。 

新 城 島の まわりの 海で は 高瀬 貝 や 広 瀬 貝 をと つたが、 たまに は 魚 を 突く こと もあった。 とった 魚 は 新 城 島の 部 

落に もっていって、 米 や 芋と 交換す る こと もした。 その 夏 は 雨が 降らなかった。 もともと 新 城 島の 井戸 は^から 

い。 その 水が もう 出 なくなって しまったの だ。 あちこちの 家で 水 もらいが はじまった。 甕に たくわえた 水 を 一升、 

二 升と 借りる の だ。 とても 他の 島から きた 者が もらい 水 をす る わけに はいかなかった。 俺た ち は 親方に ひきいら 

れて、 西 表 島まで 飲み水 を 取りに いった。 大 富の 部落 を 流れる 仲間 川の ァ の 井戸から 水 を 汲んで きた。 ま 



39 海の 群 星 



たソ ー デ ー ケ とか 力 ピツカ ー ラ といつ て 水源地から 浜に 水が 流れ 溜って いるの を 甕に 入れても つ てきた。 

しまらく して、 海岸 近くの 洞窟に 移った。 まず、 みんなで マラ リャ 蚊が 棲まない ように 洞窟の まわりの 木 を 切 

つて、 松葉で 蚊い ぶし をた てる。 灯りに は 石油の かわりに 油 を 含んだ トブシ (琉球 松の 芯) を 使う。 松の 幹 は 白 

ァリに 食われ やすいが、 芯に は 油が あって 食われな いし、 腐る こと もない。 トブシ は 一束 五 円で 束ねて 石垣の 店 

で 売って いるの を 買って きた。 マ ー 二 (ク ロッグ) の 葉の 骨で 床 を 作り、 その上に 筵 をし いた。 そうすると 風 通 

しがよ かった。 

新 城 島 は ヤシ ガ 二の 多い 島 だ。 シケで 海に 入れない 日に、 親方 は、 俺た ち を ヤシ ガニ とりに さそった。 まず 力 

ャを 切って その 茎 を 編んだ すだれ を いくつか 作った。 ヤシ ガニ はァ ダンの 葉 や 幹に いるか、 その 近くの 洞穴に ひ 

そんで いる ことが 多い。 みんな は 手分けして ヤシ ガ 二の いそうな 洞穴 を 探した。 その 洞穴の まえに、 ヤシ ガ 二の 

好物の 熟した ァ ダンの 突 を 餌と してお き、 餌と 洞穴の 入口の 間に、 カャで 編んだ すだれ を 垂らした。 ヤシ ガニは 

自分の 身体です だれ を 押しの けて、 ァ ダンの 実 をと りに 出て くるが、 こんど は 垂れさが つてい るす だれ を まき あ 

げて、 中にはい る ことができない。 洞穴の まえ をう ろうろ している ところ をつ かまえる の だ。 

果して、 夜になる と、 餌 を 求めて 出て きた 大きな ヤシ ガ 二が すだれの まえに 這い 出して いた。 眼が ぴかぴか光 

つてい る。 

「ナガ ー、 用心し ろ、 こいつに 挾まれたら、 指 一本ぐ らい はつぶ してし まう ぞ。 挾みつ けたら、 なかなか 放そう 

としない。 そのと き は、 こいつの 尻 を 細い 棒で つつく か、 尻 を マッチで 焼く と、 すぐ 放す からな」 

親方 はそう 言いながら、 ヤシ ガ 二 を 棒で おさえて とらえた。 

海岸に 打ち あげられ ている 流木 を あつめて 焚火 をし、 そのうえで ヤシ ガニ を焐 つた。 火 はいきお いよ く^え、 

ヤシ ガ 二の 脂肪と 肉が はじけた。 六 人で 分けて、 腹一杯に なるほど 大きな ヤシ ガ 二だった。 



o だが 俺た ち は ヤシ ガ 二に 後日、 復警 された。 親方 は 密漁の ため ひそかに ダイナマイト を 洞穴に もちこん でいた。 

ところが 密漁す る 段に なって、 ダイナマイトの 導火線が ズタ ズタに 切られて いる こと を 発見した。 さて は 漁 を 邪 

魔し にきた 者が いたかと、 みんな は 色めき立った。 あるいは 監視船から やって きた 警官 かも 知れない と 疑った。 

だれも 侵入した 気配 はなく、 だれの 仕業 か 手がかりが つかめない。 結局 犯人 は 洞穴の 奥に ひそんで いる ヤシ ガニ 

である こと をつ きとめた。 

あいかわらず 新 城 島の 洞窟に 寝 泊り する 生活が つづいた。 

ある 夜 俺 はふし ぎな 声 を 聞いた。 赤ん ぼの 泣き声の ような ものが、 夜風に 乗って 聞え てく る。 近くの 泣き声と 

遠くの 泣き声が 呼応して いる。 みんな も 耳 を そば 立てた。 

「ザ ンが この そば までき てい るんだ」 

親方が むしろの 上で 寝返り を 打ちながら 言 つ た。 

「あいつら は 湾の 浅瀬に 生えて いる ヒ ラナ (アマ モ) や ナチ ヨウ ラ (海人 草) を 食べに くるんだ」 

昔 は 八重 山の 海に は どこに もザン (ジュゴン) がいた。 とくに 新 城 島の 海域に は 多かった。 それが 戦後 ダイナ 

マイトの 密漁で、 一、 二 年の 間に 数百 頭 殺されて、 またたく 間に 姿を消し たという。 しかし まだ 生き残つ たもの 

がいた の だ。 

「おまえた ち は ザンダ マ シ という 言葉 を 知 つ ている か」 

と 親方 は 聞いた。 ダマ シはタ マスの ことで、 分配す る こと だが、 ザ ンの肉 はまる で 牛と 豚の 最上 肉 を 合わせた 

ような、 よい 味が する ので、 分配 するとき も 不公平に ならない ように 心 懸ける。 そこで 公平に 分配す る こと を ザ 

ン ダマ シ とい うと の こ とだ つ た。 

ザンの 身体 は 何から 何まで 人間に そっくり だ。 馬の たてがみに 似た うす 赤い 髪の毛の ような もの、 そして 腋毛 



41 海の 群 星 



も 陰毛 も ある。 ザ ンの胸 びれ は 人間の 手と おなじように 自由自在に うごく。 だから 人魚と も 言われて いると 親方 

は 言った。 雌の ザンが 子ども を 胸 びれ で 抱いて 添 寝す る 格好で、 海に 浮びながら 乳 を 飲ませて いる 光景 を 見た こ 

とが あると いう。 

ザ ンの声 は、 新 城 島と 黒 島との 間の 深く えぐれた 海溝の あたりから 聞え てく るよう に 思われた。 そこに はかつ 

て 海底 噴火が あつたの ではない かとい われて いる。 海の まんなかの 奥深い ところから ひびいて くる 声が 耳に つ い 

て はなれな か つ た。 海の たましいが 俺に 呼びかけて いるよう に 感じられた。》 

それから 数日後、 ナガ ー は 新 城 島 前 泊の 入江の さきに つき出した クイ ヌ 端と 呼ばれる 崖の 上に のぼ つてい つた „ 

その 日 は 漁が はやくお わった ので、 みんなで サ バニ を 砂浜に かつぎあげ、 網の 手入れ をす ると、 その あと は 薪に 

する ための 流木 を 拾わされた。 それが 済んだ あと 夕食まで しばらく 間が あった。 

クイ ヌ 端に は 一人の 老人が しゃがんで 海 を 見て いた。 真正面に 小 浜 島が みえ、 左手に 西 表 島、 右手に 黒 島、 そ 

してと おくに 石垣 島が 見えた。 海 は 夕風の しずか さ をた たえて いた。 

ナガ— は 老人に 夜中に ザ ン の 声 を 聞いた 話 をした。 

「むかし は、 この クイ ヌ 端に 立って、 ザンを とってかえる 船 を 待った もんだ よ」 

と 老人 は 言った。 

「明治の なかばまで、 この 新 城 島 はザン をと つて、 それ を税 のか わりに 沖 繙の王 さまに 納めねば ならなかった。 

わしが まだ 若い 頃 は、 新 城 島の 船 はザン とりに しばしば 出かけた。 おやじの 乗った 船が 帰って くるの を、 わし も 

この 崖の 上から 待つ ていた ことがある」 

老人 は、 父の 思い出に 視線 を あわせる ように 遠く を 見た。 



2 「サン をと るに は、 一本 マストの 二 反 帆の 船が ニ艘 一組に なって 出かける。 一艘の 船に は 十 人から 十五 人が 乗り 

4 

組んで いて、 ザンを さがす の だが、 その 船が ザン をと つて 帰って くるの は、 まだ 水平線に 帆が 見えて いると きで 

も 分った。 ザン とりの 船 は 一本 マストの 片 帆船と きまって いた。 それでな、 新 城 島の 歌に も、 

北ん 向かて い 見り ば 片 帆船で 見り ば 真帆 どや ゆる 

北 を 向いて ザン とりの 片 帆船が 帰 つ てく ると 思つ て 期待して いたら、 そうではなくて 真帆の 船 だとい う 歌 だ。 

さら な 

だが 今の ように 木綿の 網が ある わけ じ やない。 ァ ダンの 根 をと つて 数日間 晒して おき、 その 繊維で 繮 を 絢った 

もの だ。 網の 目の 大きさ は 人間の 頭の 太 さぐらい。 網の 高さ は 一 丈、 長さ は 二百 ヒロ、 それに 浮 子と 錘 をつ けて 

ある。 ザン をと るに は、 四、 五日から 一 週間、 海上です ごさなくて はなら ないから、 食糧 ももって い つた。 新 城 

島で は 米が 作れない から、 麦 を つて 石臼で ひき、 その 粉 を 芋に まぜて こね、 水分が あると 腐り やすいの でもう 

一度 蒸し、 大きな 団子 を こしらえる。 それ を ティルと 呼ぶ 蓋の ある ザルに 入れて 海に もっていく。 それで 幾日も 

もった。 

ザ ン の 居所 はもぐ つ て 海底 を しらべ ると 分る。 ザ ン は 砂地に 生えて いる ヒ ラナ ゃナ チヨ ゥラ などの 海藻 類 を 馬 

みたい な 鼻先で 掘り起して、 その 白い 根の 部分 を 食べる。 ザンの 食べた 跡 はまつ すぐに つづいて いる。 海藻の 様 

子 を みれば、 ザンが 朝の 潮で 食べた か、 夕方の 潮で 食べた かが 判断で きる。 

ザンは 潮が 満ちた ときに 浅瀬に 近よ つてく るので、 網 を 入れる の は、 上げ潮の とき だ。 網 をた てて 逃げ道 を 遮 

断し、 海の 中で 潮の 引く まで 網 を 支えながら 立って いる。 網 を 入れる と、 その 近く を 他の 島の 船が とおる こと は 

できない。 となりの 小 浜 島の 船が とおっても、 なぐった もんだ。 ザン をと るの は 上納の ためだから、 そうする こ 



43 海の 群 星 



とが 許されて いた。 ザン を 逃したら 仲間から 制裁 を 受け る か ら 懸命 だ 

潮が 引き はじめる と、 二 艘の船 は 網の 端 をた ぐって 次第にお たがいの 間 を ちぢめ、 海岸の 方に 引き よせてい く。 

見え かくれし ていた ザンの 姿が あらわになる。 網に かこまれた ザンは あばれまわる。 ザンの 前にう つかり 出よう 

ものなら、 ザ ンは胸 びれ で 人間 を ひきよせ、 抱きす くめる。 そうすると 漁師 は 即死す る。 そこで どうす るか」 

老人よ 波 こ, A こまれた 眼の 中に、 海から しのびよつ てく る堇 色の 暮色 をし みこませた 

「そのと きはだな、 これ はわし の 親父が 話して くれた こと だが、 ながい 木の 柄の ついた 大きな 斧 を かかえて、 ザ 

ン のうしろ に 泳ぎつ き、 折 を 見計らって、 ザ ンの尾 びれ を、 斧で 二回、 三回 打って 逃げる。 ザ ンは痛 さの あまり 

立ち上って、 尾 びれ でつ よく 潮 を 蹴り、 ひっくりかえる。 その 拍子に 尾 びれ の 骨が ピ シンと 折れる。 その 音 をき 

くと、 近くの 海中に 立った まま 網 を 支えて いた 漁師た ち は、 やった と 叫び、 なかには 感極まって 泣き出す 若者 も 

いたそう だ。 

漁夫 ヒち は、 尾 びれ の 骨 を 折って 泳ぐ のに 肉 由が 利か なくなった ザ ンに綱 をつ け、 ニ艘の 船の 間に それ を はさ 

みつけ、 ザンを 捕った ときの 歌 をうたい ながら 島に かえる。 島の 方で はこの クイ ヌ 端に 立って、 ザン とりの 船が 

いっかえ つてく るか、 今やお そしと 見て いる わけ だ。 片 帆船が 姿 を あらわす と、 島の 人た ち は、 叫びながら 浜に 

かけ 降りる。 新 城 島の 民謡に、 - 

ザン見 るんで 走りき 

亀 見 るんで 飛び やき 

と あるが、 じっさい そのと おりだった。 『あまり 急いで かけ 出した ので、 若い 娘が ザン につまず いて ひつく り 



4 かえり、 自分の 隠し 所 を さらけ出して しまった』 という 民議も あれば 『若い 娘が ザンの 夫婦 を 見に きて、 乳房 も 

4 

あれば 隠し 所 も そっくり なので、 まともに それ をみ る ことができなかった』 という 民謡 も 残って いる」 

老人 は ほほえんで ナガ ー をみ た。 

「新 城 島の 巻 踊に は、 若い 乙女 を 真中に 置いて、 ザンに 見立て、 また 周りの 輪 を 網に 見立てて、 踊りの 輪 を ちぢ 

め、 ザンを 捕る ときの 仕草 を 真似る もの もあった」 

周囲の 暮色と おなじに な つ た 老人の 瞳に は 昔の 思い出が 星の ように きらめい ていた。 

「それから どうした というの かね。 まず 部落の 東の はずれに ある アル ォ ガンに もっていった。 それ は イツ ショウ 

ゥ ガンと も ザンの 御嶽と も 言った。 イツ ショウと いうの は 漁の こと だ。 漁 を するとき は、 島の 人た ち は 神 女た ち 

を 先頭に たてて 祈願す る。 だから こんど は 感謝の 祈り を ささげ、 ザンの 頭骨 だけ を 奉納して かえってくる。 あと 

の 肉 は 島中で 分けてた ベ た」 

「ザン ダマ シ というん でしよう」 

ナガ ー は 言った。 老人 は 眼 を まるくした。 

「そうだ。 カメの 肉もう まいが、 ザ ンの肉 は それより もうまい。 こたえられない。 だから 分配が 不公平 だと 喧嘩 

が 起る。 肉 だけでなく、 内臓 も 食べた。 煮て 脂 をと り、 灯火の 材料に 使う こと もあった。 新 城 島で は 医者 も 産婆 

もい なかった ので、 お産が 長引く と、 ザンの 切れ端 を 削って、 汁 を 作って 飲ませて いた。 ザンは 哺乳動物 だから、 

それに あやかって お産が 軽く 済む ようにと 願って やった。 問題 は ザ ンの皮 だが、 それ は 干 乾に して、 厚みと 長さ 

をき め、 まとめて 上納した。 これ はわし の 祖父の 話 だが、 毎年 二回、 首 里の 王 さまの 方から 一艘の 船 を 仕立てて、 

上納の ザ ン の 皮 をと りに きたそう だ」 

老人の 話 はお わった。 老人と ナガ,' は 一緒に 立ち上った。 



45 海の 群 星 



ナガ ー たち は 獲った 魚 を 新 城 島の Is ぎに 売りに いった。 そこで 若い 娘た ちと たわいな いこと を 言いあって ふ ざ 

けたり する の は、 海岸で 洞窟 生活 をつ づけて いる 者た ちに とって、 ただ 一 つの 気ば らしだった。 

ナガ ー は 魚 売りに いったと き、 ふと このまえ 会った 老人の 言葉 を 思 い 出した。 

「イツ ショウ ゥ ガンに は ザンの 頭骨が ごろごろ 置いて ある。 苔が 生えて、 もう 大分 ふるくな つてい るが、 近頃 は、 

この 骨が 印鑑の 材料になる とか、 入れ歯の 材料になる とかで、 他所者が 入り こんで は、 どんどん とってい つてし 

まう。 そこで 頭骨 を 岩の 下に かくして ある。 しかし 一 つや 二つ は、 木の 鳥居 をく ぐった 奥の 石の 上に 置いて ある 

はず だ」 うがん 

部落の 北西の 海岸 を 歩いて いて、 大きな 石の 鳥居に ぶっかった。 それ をく ぐって すすむと、 石垣で 力 こった 拝 

g が あり、 白砂 を しきつめた 広場に なって いた。 広場の 更に 奥に は、 白く 塗った 石の 門が あり、 その 門に は 真 赤 

な 太陽と 三日月が 描かれて いた。 広場の 白い 砂と、 あたりのう つそうと 茂りあった 樹木の 間で、 その 朱塗りの 日 

月の 模様が ぶきみだった。 石の 門の 更に 奥に は マ ー 二 (ク ロッグ) が 大きな 葉 を 垂れ、 つるくさが 大木に からみ 

ついている。 しんと しずまりかえった 空気の なかで、 鳥た ちの 羽ばたき だけが 聞え る。 鳥た ち は ときには、 ナガ 

1 の 間近く を 平気で 飛び、 その 羽風に 頓をぁ ふられて、 思わず 身 を ひくよう な 姿勢になる。 人魚の 頭骨ら しい も 

の は どこに も 見当らなかった。 > 

ら とで..^ くと、 そこ は イツ ショウ ゥ ガンと はちがつた ナ ハヤ マと 呼ばれる 拝 所で、 新 城 島の 人た ちが 最も 大切 

に祀っ ている ところ だ つ た。 



47 海の 群 星 



する。 そこ は、 地底の はるかな 神の 国で ある 二 ー ラスクと 通じてい ると 信じられて いると ころで. 島で は ミラ ャ 

ァと 呼ばれる 聖域で ある。 

ミラ ャァは 真夏の 太陽 も 暗く さえぎつ ている 原生林の 中央に ある。 いく 抱え も ある ガジュ マルの 大木の 幹 や 枝 

から、 気 根が 無数に 垂れさが つて 地面に 達して いる。 その 間わず かば かりの 空間が あり、 祭の 二日 目、 そこに 生 

まれた ばかりの 赤 マタ黒 マタの 神が 坐って いる。 その 日の 午後、 ミラ ャァに 近い 道路で、 新しく その 祭祀 集団 

(ャ マシン 力、 あるいは ャ マニン ジュ という) に 加入す る 若者た ちが 試練 を 受ける 儀式が おこなわ れ る。 彼ら は 

ひざまずき、 いざって 歩かされる。 周りに いる ャ マシン 力の 屈強な 男た ち は、 よってた かって、 若者た ち を 棒で 

叩いたり、 突き ころばした りする。 地面に うずくまった まま、 歩け ない 若者 も 出て くる。 こうして 十六、 七 歳の 

せ n 者た ち は、 苦痛に 顔 を めながら、 二、 三百 メ ー トル も ある 道路 を じりじりと いざって 歩き、 ミラ ャァ にた ど 

りつく。 そこで また 年配の ャ マシン 力から、 

「なんの ためにお 前 はこ こ にきた のか」 

「お前の ような 弱い 身体で はャ マシン 力の 一 員に はなれない」 

「お前 はきつ と、 おれたちの 秘密 を 洩らす だろう」 

などと、 さんざんに いじめられる。 そうした あげく、 ガジュ マルの 根本の 空地に 坐った 赤 マ タ黒マ タの神 を 礼 

,し、 ャ マシン 力の 秘密 をぜ つ たいに 口にしな いこと を 誓 つ て 神酒 をのむ。 まわりに は ディ ゴゃュ ゥナの 木が 生 

い 茂り、 また 大きな 羊歯の 葉が 重なり合つ ている。 こうして 森の 儀式 は 終り、 島の 若者た ちはャ マシン 力に やつ 

と 加入 を 許される の だ。 

その 夜、 島の 人び とはナ ハヤ マウ ガンの 広場に あふれ かえっていた。 そのな かに 小島 星の 親方 はじめ 雇いん 子 

たち もま じっていた。 参会者 みんなに 赤飯と 焼 魚、 それに ヤシ ガ 二の 身 をつ ぶして どろどろ にし、 卵と じの よう 



48 



にした ものが 吸物と して ふるまわれた。 ヤシ ガ 二 は 祭の 前に、 部落の 入口の 拝 所の ガジ ュ マ ルに IS でつ るされ. て 

ぃヒ ものだった。 力 二 は 脱皮して、 あたらしい 生命 を 得る ことができる という ことから、 縁起が よいと された 

祝い酒 も 出された ので、 島の 人た ちの 酔い は 夜が 更ける につれ て、 まわって いった。 

とつぜん、 地の 底から 湧き あがる ような、 どろどろ という 太鼓の 音が した。 ナガ ー はお どろいて その 方向に 注 

目した。 ァ —チ 形の 石の 門と はまた 別の 右手の 門から、 最初に は 旗 を もった 男、 次に は 杖 を もつ 男が 出て きた。 

三番 目に 赤い 仮面 を かぶ つ た 異様な 神が 出て くると、 広場に は どよめきの 声が 起った。 

「赤 マ タ さまが おいでな された」 

という つぶやきが、 あちこちで 聞え た。 一 

赤 マ タの神 は、 頭に は 鳥の 羽の ように マ ー 二の 枝葉 を ひろげた 飾り をつ け、 野葡萄の つるです っぽり と 身体 を 

蔽ぃ、 仮面の 目に は 夜光 貝 を はめこん でいた。 広場に 焚かれた カャの 束の かがり 火に 照らされて、 夜光 貝の 目 は 

ぶきみに 光った。 その 顔 は 少し 笑って いるよう だった。 赤マタ のうしろ から 黒い 仮面の 神が やって きた。 更に そ 

の あとから 赤 マタの 子どもの 神と、 黒 マタの 子どもの 神が つづいた。 この 四 神が すっかり 出そろう と、 島び とた 

ち は 我 を 忘れた ように その まわりで おどり 狂った。 赤 マ タ神ゃ 黒 マ タ神 もお どった。 

見物人の 中に 白い 鉢巻 をして いる 人が いた。 祭 をと りしき つてい る 者が やって きて、 「その 鉢巻 を とれ」 と 怒 

鳴った。 赤い 鉢巻 は 赤 マタの 集団が しめ、 白い 鉢巻 は 黒 マタの 集団が しめてい たから、 見物人が そうする こと は 

許されな か つたの だ。 

島び とたち は 踊りながら、 

「ゥ プュ ー (豊年) を もってき て 下さい」 

と 歌う。 彼 は その 時 はじめて、 魚 を 持って いった 家の 主婦が ひとり 楽しそう にうた つていた 歌が、 その 歌 だつ 



49 海の 群 星 



たこと を 知 つ た。 

その あと 赤 マ タ黒マ タの神 は 大勢の 供 を したがえて 部落の 家々 を まわ つ た。 ナガ ー たち も 一行のう しろから つ 

いていった。 最初 は トニ モト (刀禰 元)、 次 は 役人 宅、 あと は 年齢の 順に 各 家に おとずれて、 ゥプュ ー を もって 

きたと いいながら 祝福 を 与える。 それぞれの 家で は 一番 座の 前の 庭に、 東に 赤 マタ、 西に 黒 マタが 並んで 島の 人 

たちと 一緒に 歌ったり 踊ったり する。 折から 十六夜の 月光が、 家の 庭 や 道路に しきつめた 白い 珊瑚礁の 砂 を 照ら 

し 出す。 

夜明けが 近くなる と、 赤 マタ黒 マタは 島び とと 共に、 小学校の 脇の 道路に あつまる。 道路ぎ わの 大きな 木の 上 

に は 放し飼いの 鶏が のぼって いる。 ァケ トラの 刻になる と、 その 鶏が 時 をつ くる。 その 声 を 合図に して 赤 マタ黒 

マタの gl 神 は 退場して いくが、 いきつ もどりつ しながら、 島民と 別れ を 惜しむ。 ャ マシン 力の もった 松明の 火に 

照らし 出された 異形の 神 は、 切ない 身ぶ り をく りかえ す。 老人 は 来年 ふたたび 赤マタ さまに 会える だろう か、 そ 

れ まで 命ながら える ことができる だろうかと 思い、 涙 を 流して 拝む。 神々 が 二、 三百 メ ー トル も 遠ざかつ たと 思 

う 頃に、 太鼓が なる。 それ をき つかけ に、 赤 マ タ黒マ タの姿 は、 ばつと 森の奥に 消えて いく。 

ナガ— たちに は、 赤 マ タ黒マ タの祭 はまる で この 世なら ぬ 光景 を 見せられて いるよう に 思われた。 それ は 明け 

て も 暮れても 海の 労働 を 強いられる 雇いん 子た ちに は、 醒めたくない 夢に ちがいな か つ た。 

十一 

《新 城 島に 一月 余りいた のち、 俺た ち は 嘉弥真 島に 移った。 それ は 小 浜 島の 近くに ある 周囲 一里 程の 無人島で、 

牧場が あって、 水が 一箇所 出る。 ァ ダン ゃカャ がー 面に 生い茂る だけで、 ほかの 樹木 はない。 カャの 葉っぱの 中 

で、 , ^さな 岩 倚 ゼミが ジジと 鳴いた。 白い ゥサギ がいた。 夜になる と、 ときどき クリ ブネで 小 浜 島に のりつけ、 



o 西瓜 をぬ すみに いった。 小 浜 島の 畑 は 砂地で、 西瓜 は 外から 見て は 分らない ように、 穴 を 掘って 埋めて ある。. 砂 

地 を ごろごろ 転が つてみ ると、 背 や 肩に まるみが あたる ので 西瓜で ある ことが 分る。 

はとば なれ じ ま 

嘉弥真 島から 鳩 離島に いった。 そこに は 鳩が いた。 漁に 出ない 日 は 魚網 を 仕 かけて キジ パト、 ァォ パト をと つ 

た。 

鳩 離島から こんど は 西 表 島の 西南 部の 鹿 川 湾に 移った。 白い 砂浜 は、 眼 を 突き出して いるので 八重 山で ミダガ 

I マと 呼ばれて いる コメ ツキ ガ 二に 蔽 われて いた。 ミダガ ー マ は 引き潮の とき、 小さな 砂の かたまり を こしらえ 

る 習性が ある。 近づく と あっとい う 間に 穴に 入る が、 それ は 潮が 引く ときの 音 を 思わせた。 俺た ち は それが おも 

しろく、 仕事の 合間に 浜 を 走り まわった。 

月夜に なると、 鹿 川 湾の 白い 砂浜に ゥミ ガメが 産卵し にやって きた。 満ち潮に 乗って きて、 引き潮に なり かけ 

の 頃 卵 を 産んで 海に 帰つ ていく。 旧 五月に 一 回、 旧 七月に 一 回、 つまり 年に 一 一度 卵 を 産む。 ァ カガメ とべ ッコゥ 

が 最初に 産み、 ミズ ガメの 方 はや やお くれる。 

ゥミ ガメは 陸に あがっても、 すぐに は 卵 を 産まない。 ヒレで 砂 を かき 分け、 穴 を 掘って 卵 を 産んだ ふり をし、 

また 砂 を 埋めて おく。 何度も それ を 繰り返し、 そして さいごに、 自分が 海に 降りて いくと ころに 産卵す る。 卵 を 

産む のに これほどまで 慎重な の は、 他の 動物に 卵 を 食べられない ためだ。 無事 卵から かえっても、 绪を 目指して 

降りて いく カメの 子 を 待ち かまえて、 アジ サシ などの 海鳥が ねらう。 波打 際で は 魚が 口 を 開いて いて 生まれた ば 

かりの カメ の 子 を 食べ る。 メバ ル の 腹に は 力 メ の 子が よく はい つてい る。 

鹿 川 湾で はチ ナカ キエ ー と 呼ばれる 追 込 網 を やった。 これ は 小島 屋の 人数 だけで はで きないので、 「旅」 に 出 

てきて いた 他の 糸満 漁夫と 仲間 を 組んで やった。 チ ナカ キエ ー はァ ギヤ ー 網の ように 干 瀬の 外の 深海で、 もぐり 

ながら 魚 を 網に 追い こむ 漁法で はない。 浅瀬に 網 を はって 藁ゃァ ダンの 芯 芽な ど を 下げた 繙を もって、 舟の 上 か 



海の 群 星 



ら 海面 を 叩いて、 魚 を 袋網に 追い こむ 漁法 だ, 

西 表 島から 石垣 島の 名 蔵 湾に 移 つ た。 

海岸に 寝 泊り すると マラリア を もつ 蚊に おそわれる 危険が あるので、 海岸から すこし はなれた 海中の 大きく 平 

たい 岩 を 利用す る ことにした。 そこの 岩 は、 ときどき 糸満 漁夫が やって きて は 寝 泊り して かえるので、 イト マン 

岩と f ばれて いる。 イト マ ン岩は 石垣 島の 周辺に 点々 と ある。 

^ヒち も 名 荒 湾の イト マ ン 岩に 寝 泊り しながら、 もっぱら カツ ォの 飼に する 雑魚 探しに 出かけた 

雑魚と りに は、 親方 だけが サ バニに 残って、 五名の 雇いん 子た ちが 十メ ー トル 位の 間隔で ャナが 見つかる まで 

泳ぐ。 カツ ォの輒 になる 雑魚 は 夜の あいだ は プランクトン を 食べ まわる が、 夜明けの 太陽と 一緒に 珊糊礁 の 岩の 

穴に 寝に かえる。 そのと きを 待ち受けて ャナ をつ きとめる の だ。 ャナは 雑魚の はいる 岩 をい う。 ャナを 探し あて 

ると、 親方から 花 を 貰える ので、 俺 も カンパ チもミ ー チラ ー も、 みんな 懸命に 海に もぐって はまた 浮び あがって 

泳いで いつ た。 

海の 中で 力 マサ ー (力 マス) ゃミジ ュ ン (イワシ) ゃガ チュン (アジ) に 出会った。 ィ ラブ チヤ ー (ブ ダイ) 

も 白い 煙の ような 糞 を たれながら 群 をな して 泳いで いく。 さらに もぐる と 青い 色の ヒ チヤ ー グヮ (ス ズメ ダイ) 

や 黄色い ェ ー グヮ (フ エフ キア ィゴ) が 俺た ちの まわり を とりまき、 身体に ぶっかり そうにな ると、 すばやく 体 

を かわし 方向 を 変えて いく。 

俺の まえに 珊瑚礁の 岩の 裂け目が あらわれた。 ャナは その 中が 深く、 暗い から、 八重 山で は クラシンと よばれ 

ている。 奄は クラシンの 中に 入って いった。 身体が やっと はいる 位の せまい 入口 だ。 出られな いので はない かと 

いう 恐怖 感が頭 を 掠める。 それ を ふりはら うように、 奥に すすんだ。 少しい くと、 そこ は 谷間の ように 広くな り- 

ナガ ー グヮ が かぞえ 切れない ほどいた。 金色の ナガ ー グヮ が 洞穴の なかで 真黒く 見える。 影の ように 泳ぎ まわり、 



52 



俺の 身体に ぶ つかつ て は 方向 を かえる。 金冃 もいた。 こ の 魚はグ ラグ ラ と^を 出して 鳴く から グ ラグ ラ ともい. う。 

グ ラグ ラは 船の 上から 撒く と、 海, K にもぐ る 倾向を もつ て いて カツ ォの 飼と して はよ くない。 

ナガ ー グヮの 群の 真中に もぐりながら、 手で かきまわし、 魚の 群の 厚み を 勘定した。 ナガ ー グヮは 五 センチ 位 

の 大きさの 雑魚 だから、 その W 早 位 は 一 カゴ であら わす。 どうやら 百 カゴ位 はあり そうで、 とりつく すのに も、 半 

月 や 一月 はか かりそう だった。 もときた 岩の 裂け目 をく ぐり 抜け、 ャナの 入 口を出る と、 ト ー ガシ チヤ ー (ォニ 

ヒ トデ) に 気をつけて 珊瑚礁の 岩 を 足 裏で 蹴った。 ト —ガシ チヤ ー の 棘 は 猛毒 を もってい るので、 足に 刺さって 

折れたり すると 一 命 を 失う ことがある。 

俺 は 波の 上に 浮び あがり、 親方に 報告した。 親方 はサバ 二の トモに 櫂 を 立てた。 泳いで いる 雇いん 子た ちに、 

すぐ 舟に あが つて こいとい う 印な の だ。 

さっそく 親方と 俺た ち はサバ 二の 上で 網 を かける 位置 を 話しあった。 潮の 流れ を 見定める ことが 大切 だ。 珊瑚 

礁 のャナ にかけ た 網 を はずす ャナ ハン サ ー の 役目 は、 ほんの 二、 三分の 勝負 だから、 熟練した 者で ない とつと ま 

ら ない。 ャナ ハン サ ー の 指名 を 受ける の は 名誉な ことだった。 親方 は カンパ チとミ ー チラ— を 指名した。 

サ バニの 上での 話し合い がすむ と、 五 人 はいつ せいに 海に 飛び こみ、 ャナの 入口に 網 を かけた。 ャナ にかえつ 

てく る 雑魚の 群 を 待ち受けて、 網に 入れる ためだ。 網 を かけ 終る と、 いったん 浮き あがって 舟の 上で 休息 をした。 

頃 合を昆 計らって また、 舟の 上から 真逆様に 飛び こむ。 俺た ち は 加速度 をつ ける ため 二十 キンの 鉛の 玉 をつ かん 

で、 十二 ヒロの 深さの 海 を 落下した。 カンパ チとミ ー チラ ー が 手足 をた くみに つかって 網 を 外して いく。 俺と も 

う 一人の 雇いん 子 は 魚が 逃げない ように 網の 袖 をお さえる。 親方と 雇いん 子 一人 は、 舟に 残って いて、 網 を 引き 

あげる。 網の 中の 雑魚 は、 生簀 のか ごに 移し、 竹筒で かご を 海の 上に 浮かして おくと、 朝の 十 時 頃、 本船が きて、 

生簀の 雑魚 を 本船の ダ ン ブ ル に 入れ かえても つ ていく。 



53 泡の 群 星 



網 を 引き あげ、 かごに 移して みて、 なお 獲物が すくない ときには、 ヒル サ グイ (昼 探り) を やった 力 ヒル サ 

グ ftfsw の 習性 を 無視して やる 作業 だから、 雑魚に 逃げられる ことが 多 か つ た 

カツ ォ の^となる 雑魚 をと るに はャナ さがしから はじめる 時 も あるが、 雑魚の 多く あつまる ャナ はふつ うき ま 

つてい るので、 漁師た ちの あいだで 一番 ャナ はだれ、 二番 ャナ はだれ という ふうに クジを 引いて きめた。 

名 蔵 湾で はクブ シ ミと いう 大きな イカ を 追 つ かけた こと も あ つ た。 クブ シ ミの雄 は 身体に 横線が 入 つてお り、 

谁の jr> よ ^点が 入って いる。 クブシ ミの限 玉 は 横につ いている から、 横から 近づく と 逃げる が、 泳いで いる クブ 

シミ 2丄 、ヒ から 近づく とけつして 逃げない。 ィ ー グン (铦) で 頭 をお さえる と、 しだいし だいに 海底に さがって、 

也 面の 色に 変って しまう。 自分の まわりの 色に あわせる の だ。 地面が でこぼこして いると、 クブ シミの 方で そう 

した 形 をつ くる。 自分 は そこにい ない こと を 示す の だ。 

名 蔵 湾で は 海中に 網 をた てて トウ ブ ー (トビ ゥォ) や シジャ ー (ダッ ) もとった。 また 潮流に 乗って プランク 

トンが 流れる。 それ を 目が けて iil が 波に 浮び あがる。 それ も 網で 取った。 「旅」 は 七月 初旬の 梅雨明けの 頃 か 

ら はじまって、 九月 一杯、 まる 三 力 月 も つづいた。 俺 は 三 力 月の 「旅」 をお えて、 ひとわたりの 漁業の 知識と 径 

験 を 身に つけた。 

海の 上の Il.Ji の 動きよう で、 波の 下に どんな 魚が いるか を いいあてる ことができる ようにな つ た 海鳥の 

動きよう で、 あれ は 大きい カツ ォを 追って るんだ な、 あれ は 小さい カツ ォを 追ってい るんだ な、 と 分る。 金に な 

る カツ ォ と金に ならない カツ ォが ある。 小さい カツ ォは 金に ならない が、 このと き は、 鳥の 位置 は 低く、 大きい 

カツ ォが 泳いで いると き は、 鳥 はたかく 舞って いる。 カツ ォが 波の 下に 沈んで いったら、 鳥 は 高く あがり、 カツ 

ォが) 半いて きたら、 雑魚 も カツ ォに 追い あげられて、 波の 上に あがる ので 鳥 は 急降下して それ を 食べる カツ ォ 

よ 雑, を 上に まい あげる 習 生 を もっている。 鳥 は カツ ォが 相当 沈んでも それ を 見て いる。 カツ ォが 浮いて きたら 



M 御 を 追し あげてく るの を 知ってい るから、 それで 上空 を 一緒に 廻って いる。 マ グロ を 追ってい ると き は、 鳥 はき 

ォレに 並んで 廻って いるが、 なかなか 急降下 しないので、 波の 下にい るの は マ グロ だな と 分る。 マ グロ は あまり 

餌 を 追わない から、 鳥の 方 もなかな か 急降下し ない。 ィ ルカの 群に も 餌の 雑魚が つく。 ィ ルカ も 小魚 を 追い あげ、 

波間に 飛び あがる。 鳥はィ ルカ を 低く おさえて いて、 ィ ルカが 餌 を 上に 追い あげる の を 待って いる。 アジ. k シま 

ゥ マノ ファノ ピ ー の 軍艦 石に いて 卵 を 産む。 力 モは名 蔵 湾の マング 口 ー ブの 下に 卵 を 産む。 ミズ ナギ ドリ は嘉弥 

真 島と 竹 富 島の 間の リ ー フの 岩に 卵 を 産む。 海鳥が 魚の 群 を 発見したら それ を 離さない ように、 俺 は 魚の こと を 

知り、 魚 を 離さない ようになった。 

俺 はまた 海の 中に も さまざまな 地形が あり、 その 地形に よって 色々 な 名前が つけられ ている こと を おぼえた。 

干 瀬の なかの 浅い 海が ィ ノウで、 干 瀬の 外の 深い 海が ヒ シン クチ だ。 また それ を フカ トと 呼ぶ こと も ある。 外海 

で 海底 力 もりあがって はいるが、 潮が 引いても 海面の 上に でない ところが スニ。 ィ ノウの 中で、 潮 * 瓜に よってよ 

せ あつめられた 砂 や 石ころで できた 浅瀬が ュ ニグ ヮ。 ス ニゃュ ニグ ヮの すそのと ころで、 魚が 多く 住む 箇所 をァ 

シ という。 ィ ノウの なかで とくに 深くな つて 黒く みえる 場所が クルス。 ィ ノウの なかで 青 みどりに 見える 浅い 砂 

地が シ ラマ ー。 ィ ノウの なかで 珊瑚礁が あって 浅瀬に なって いる 場所が ハ ー ガヤ ー。 海岸 近くの ひじょうに 浅い 

場所で 海藻が 一 面に 生えて いると ころが タン ダサ 。 岩が 畳みたい に 平たくな つてい る 海底が ナン ガタ ー。 

海底 や 干 瀬で 起伏の 多い 地点が ミ ー ヮル ー。 それにた いして 海底 や 干 瀬で 起伏の 少ない 地点が ハダ カキ。 小さく 

浅し珊^15^礁地帯だが 潮が 引いても 干 あがらない ところが ミジ ュ キ。 海岸から 海底へ そのまま つなが つ ている 岩 

盤で、 ァォサ などの 海藻の 生えて いるの がグ ー グヮ。 海底から つき出して、 海上に いつも 姿 を あらわし ている 岩 

がシ ー グヮ。 陸の 近くに あって、 波に よる 浸蝕で キノ コ形 になって いる 岩が 二 ー ガジラ ー。 波に 打ち上げられて 

干 瀬に 散在して いる 大きな 石が キジ ュシ。 干 瀬の なかで 一番 高くな つていて なだらかな ところが ハズッ ティ。 干 



海の 群 星 



瀬の 端の ほそい 割れ目 を.、 ハダ。 干 瀬の 上 や 海底に ある 小 範囲の くぼみ を クム ィ。 潮が うずまく 場をス ー ガン ク 

ブシミ が 好んで よる 海底の 岩 をスガ イデ。 魚の すみかと なって いる 海底の 珊瑚礁 を チブラ ー という 》 

十二 

新 = の 護岸 は、 夕方に なると、 日中の 労働から 解放され た 雇いん 子た ちで にぎわった。 陽の 昏れ はお そく、 海 

もまた 水平線が 燃えて いた。 白い 光と 青い 影の まじりあった なかで、 海人の 仕事に 追われる 雇いん 子と 力 マボコ 

屋に 雇われて 働かされる 女た ちが、 毎日の ように 会って は、 たそがれの ひととき を 過した。 

ナ-: T,l よいつ も 一人の 女 を さがした。 あの 力 マが 今日 も 出て きている こと を 期待した。 雇いん 子の な 力に は宮 

古 や 中^の 山 原から きた もの もい る。 そうした ところの 女た ちと 話 を するとき は、 

「ごはん は 終った のか」 

と 男から 聞いたり、 女の 方から、 

「大漁 だ つ た?」 

とたず ねたり する ことがあつ た。 

だが、 奄 美大 島から きた 女に そんな 言葉 は 何も 要らなかった。 どちらも 奄 美の 者 だと 分って いるから、 手招き 

しないでも よいし、 誘い もしなくて かまわなかった。 喜びが あっても 悲しみが あっても、 自然に 話 をす るよう に 

なった。 

何気なく 護岸の 堤防のと ころで 一緒にな り、 気持が 合って、 竹 富 島の 方に むかって 故郷の こと を 話し あい 

「島に かえりたくない か」 



6 「親が 元気 かどう か、 レ配」 

と 言いあった。 女 は 島 を 思い出して 泣いた。 力 マ も その 一人だった。 

力 マ ボコの 製造 をす る 家で は 雇いん 子の 女た ち を 幾人 も 抱えて いた。 ナガ ー は、 その 女の 誰彼に、 カンパ チゃ 

ミ ー チラ ー など 先輩の 伝言 を もっていく ことが 多かった。 女た ち は 喜んで 力 マ ボコを くれたり、 西瓜 を たべさせ 

て くれたり する。 

そこで 後輩の 少年た ち は 誰でも 使いに いきた が つ た。 

ナガ— は 力 マ ボコ屋 に 使いす るた びに、 力 マの 顔 を 見る のが 楽しみだった。 ただ それだけの ことだった。 

いつの 間に か ナガ— の 腕 は 赤樫で 作った 櫂の 柄の ように 強くな り、 彼の 喉 骨 は サザェ のように 固くなった。 そ 

うして あたらしく 小島 屋に 売られて きた 少年に むかって、 「今夜、 あの モク マオ ゥの ところで、 月が 水平線から 

五寸 あがった 頃に 待って いるから と、 アマ —ャ— の 力 マに 伝えて こい」 というよう になった。 

《十六 歳の 夏の 終り、 幾度 目 かの 「旅」 から 帰って すぐ、 俺 は マラ リャ にか かってし まった。 マラ リャょ 中慝で 

はャ キイと いう。 焼ける ように 身体が 熱くなる からだ。 ガチャ ンメ ー (餓鬼 病み) ともいう。 餓鬼の ように 見る 

影 もな くやせ おとろえる からだ。 俺 は 小島 屋の 家族 や 雇いん 子た ちに 感染す る 怖れが あると いうので、 母屋の ーク裘 

座に 移された。 クチャ は 一番 座の 裏手に ある 三 畳 位の 真暗い 部屋で、 外から 自由に 出入りが できる ようになって 

いた。 日頃 は 穀物 置き場に 使われて いて、 粟な どが 二つ割り にした ヒョ ウタンの 容器に 入れて 部屋の 隅に おいて 

ある。 

クチャに 移された 日の 夕方、 その 戸が 開いた かと 思う と、 力 マが はいって きた。 俺 は 病気に なった こと を、 力 

マに 知らせろ と、 後輩の 雇いん 子に 言って おいた。 



57 海の 群 星 



力 マよ ト さな、 ルを 抱えて いた。 夢うつつ のなか を さまよつ ていた 俺の 枕 もとで、 力 マが ささや レた 

「兄さん、 芋と 水」 

^は 思うよう に 返事が できず、 弱々 しく 首 を 振った。 

力 マ は 外に 出て いったが、 屋敷の 片隅の 林から 切りと つた バナナの 葉と 茎 を かかえて 戻って きた。 力 マ は 小豆 

や 粟 を 人 ュたヒ ヨウ タンの 容器 を 押しの けて、 ムシ 口の 傍に 自分の 坐る 場所 をつ くると、 バナナの 広レ 葉で、 熱 

に 浮かされた 俺の 顔 を 包んだ。 そうして バナナの 茎 を 叩いて 水 を 出し、 その 冷たい 水 を 手拭に しぼって、 俺の 胸 

に しあて た。 そのと きかす かな シ ー 力 ー サ ー の 匂いが 鼻を撲 つた。 シ ー 力 ー サ ー は 小さな 蜜柑で、 それ をす り 

つぶして、 洗濯した 衣類に つける。 糊に まぜる と、 虫が つかない し、 匂いが よし 

俺 は 横 を 向き、 壶の水 を 一 口 呑んだ。 力 マの 顔 は 額の 生えぎ わが 険しく 見える ほど、 間近に あった。 力 マはバ 

ナナの 葉 や 茎 を とりかえて 看護しながら、 つぶやいた。 

「兄さん …… わたし、 兄さんのお なりになる」 

その 言葉 は あまりに 唐突 だ つ たので、 條は 思わず 眼で 問い返した。 おなりと 言えば 俺に もよ く 分る 感情だった。 

俺が 妹 を いじめる と、 妹 は 位が 高い から、 大切に しなければ ならない、 と 母 はさと した。 姉妹 は 兄弟に 対する 透 

視力 を そなえて おり、 海に いく 兄弟の 守り神と された。 そのと きおな り 神 は、 蝶と なって その 兄弟 を 守る。 蝶 は 

親しい 者の たましいと 考えられ ている。 俺の 父が 戦死した という 公報が 届いた 日、 黄楊 羽が 家の なかに 舞い こん 

できた。 母 は 顔色 を 変えて、 その 蝶 を じっと見 守り、 俺 を 呼びよ せて 「お父さんの 霊魂 だよ」 とつぶ やいた こと 

を はっきり おぼえて いる。 蝶 は 家の 中 を とびまわって、 なかなか 外へ 出て いかなかった。 蝶の 行方 を 追ってい る 

母の、 なつかし さとお それの まじりあった 視線 を、 俺 は 忘れる ことができなかった。 

そ rMJ しても 俺と 力 マの 間に、 兄と 妹と しての 情が ながれる ことがあり 得る だろう か。 二人が 奄 美大 島の 出身 



58 



で、 しかもお なじく 糸満に 売られた 子と いう 境遇に ある こと はたし かだった が 。 , 

俺 は 眼 をつ むつ た。 疑いの 念 は 言葉に ならずに 口の なかに 溶けた。 

「兄さん、 こんど、 兄さんの 海 着物 を 作って くるね」 

力 マ はそう 言い残して 去 つ た。 

数日た つて、 膝まで しかない 木綿の 単衣 を もってき た。 それ は 三角形の 布 切 を 幾 十 枚 もつ ぎ 合わせた 着物 だつ 

た。 力 マの 小さい とき、 その 母親 は、 三角形の 布 切 をつ ぎ 合わせながら、 その 一 つず つ を、 これ はお 祖母さん の 

たましい、 これ は曽 祖母さん のた ましい、 と 教えた の だとい う。 力 マから そう 言われて 思い当る ことがあった。 

俺が まだ 幼い 頃に 着せられた 着物の 後 襟に は、 三角形の 赤い 袋がぬ いこんであった。 訝しく 思って その 訳 を 母に 

聞く と、 それ は 俺の たましいが 身体の 外に 出ない ようにとの まじないで、 三角形 は 蝶 を かたどつ たもの だとい う 

返事 だ つ た。 

蝶の かたち をした 海 着物 は、 おなり 神の 着物 だと 思って 着て ほしいと 力 マ は 言った。 俺 は 最初 力 マが その 着物 

を もつ てきた とき、 つぎはぎ だらけの 着物 だと 思つ たこと を はずかしく 思つ た。 

マラ リャの 熱 は なかなか 下らなかった。 俺が ながく クチャず まい をして、 漁に 出ない、 と 親方 は 文句 を 言った" 

病気 だから 仕方がな いじ やない か、 と 口答えす ると、 親方 は 腹立ち まぎれに 寝て いる 俺の 腰 を 蹴った。 

俺 は 満期まで つとめよう とする 気持 を 失って いった。 なんとかし てもとの 身に かえりた いと 思った。 なかには 

金 を もって 買い もどしに やってくる 肉親 や 伯父 伯母 もいた。 それ を どんなに うらやん だか。 糸満の 雇いん 子 は、 

金 さえ 返せば いつでも 引き とられる ことにな つてい る。 だが 俺に はそう した ことが 起らない こと も 確実 だ つ た。 

俺が 家に いれば、 一家に 邪魔な こと は 明らかだった。 母 は 恋しかった。 ふるさとが 恋しかった。》 



59 海の 群 星 



ナガ ー は 力 マ に 言つ た。 

「力 マ、 奄 はこれ から 仕事の あいまに 黒 蝶貝 を さがす。 あの なかには 黒 真珠が 入って いる ことがあ るんだ。 大き 

なのが 一 つで も 見付かれば、 それだけ でもう 大した 値 打 だ。 アメリカの 進駐軍に 売りつ ける と 大金が 手に入る か 

ら、 俺 は 自分 を 買い戻 すんだ」 

ナガ ー の 話 を 聞いて いた 力 マの 顔に は、 とらえどころのない 微笑が 浮び、 次に は、 急に 額ぎ わが きびしく なつ 

た。 自然に 雙 息して いる 黒 蝶貝の なかには、 たまに 黒 真珠が 入って いる ことがある。 しかし、 それ は 平たく レ 

びつな 形の ものが ほとんどで、 まんまるな 天然 真珠 を 発見す るの は、 クジ にあた るよりも 大変な こと だとい うこ 

と を 彼女 も 知っていた。 彼女 は 気 をと りなお して ナガ— に 言った。 「そのと き 私 も 一 緒に 大 島に 連れていつ て」 

き 蝶貝 ま流ュ のよ やい、 水の 澄んだ ところに 好んで いる。 ナガ ー はとき どき、 高瀬 貝 や 広 瀬 貝 をと るふり をし 

て 黒 蝶貝 をと り、 それ を こっそりと 開けて みたが、 所詮む だな ことだった。 ナガ ー はしかし あきらめずに それ を 

くりかえした。 

ナガ— は 力 マ から マラ リャの 看護 をして 貰ったり、 海 着物 を 作って 貰ったり したので 何 か 礼 をしたい と 考えた- 

彼 は アメリカ 軍の 落して いつ た 鉄砲の 弾丸の 真鍮の 薬英 をう まく 切って 指輪 を 作り、 それ を 力 マ に 渡した。 

なんじ やゆび なぎ さ 

銀 指輪 うたち 指しみ りば 

手洗い かじぐ と わん 思む り 

(銀の 指輪 を 作って、 君の 指に さして やる から、 

手 を 洗う ごとに、 自分の こと を 思い出して くれ) 



6o 



彼 は 真 鐘の 指輪 を 力 マ の 指に さして やりながら 笑って 言った。 - 

「これ は 銀の 指輪 じ やない が、 つぎはべ ッコゥ の 指輪 を こしらえて やる よ。 かんたん なんだ。 ベ ッコゥ ガメの 尻 

尾の 部分 を 切って、 熱い 湯に 入れ、 指輪の かたち をつ くる。 それに 黒 蝶貝の 裏の ピカピ 力した ところ を、 ハ ー ト 

形に 切って はめこんで しまえば、 永久に とれる 心配 はな いんだ」 

そう 言う ナガ ー の 顔 を 力 マ は 頼もし そうに 見上げた。 

十三 

昨年 見た サシバ がまた 八重 山の 空の 一角に あらわれた。 彼ら は 西 表 島から 石垣 島に かえって きた。 新 川の 部落 

の 通りで は、 小学校に も 上らない 子どもたちが、 

ォ ー フ ォ ー フ ダカ マイ マイ チ ガチガ 

と 歌って いた。 

「鷹よ 魔よ、 舞え 舞え」 という 歌 だ。 チガチ ガは囉 し 言葉で ある。 鷹が 舞いながら 渡って いくの を、 鷹が モ ー レ 

(舞う) という。 鷹の 真似 をして 鴉 も 舞う の を、 ガ ラシ ンモ ー インと 言って いる。 

八重 山の 子どもたち は、 はしゃいで 種取り 祭の 日 を 待った。 種取り 祭 は 陰暦 十月の 戊 の 日に おこなわれる。 

その 日、 八重 山の 家々 では、 白い 米飯と 赤飯 をた き、 円 錘形の にぎりめし を 作る。 それ を ィ、、 ハツと いう。 庭の 石 

垣 や 蘇鉄の 葉の 上な どに、 その にぎりめし を そっと 置いて、 そ 知らぬ顔で、 種取り 祭の 朝、 まるで 鷹が くれた 贈 

り 物の ようにみ せかけ て、 子どもたち を 起す。 子どもたち は あっち こっちに 置いて ある ィバッ を 見付けて、 拾つ 

て 歩く。 紅白の ィ 、、ハツ を 拾った 子どもたち は大 よろこびで、 鷹が 群れ 舞う 空 を 仰ぎながら、 



6i 海の 群 星 



竹 田 御嶽の こん まう ま 

りて おうりょう 種子 取り さ 

あんだけ 待つ だる 赤 ィバッ , 

あんだけ 待つ だる 白 ィバッ 

(竹 田 御嶽の 社から 飛び出た 瞻 よ、 

種子 取りに 降りて きて 下さい。 

あれほど 待つ ていた 赤ィバ ッ。 

あれほど 待って いた 白 ィ、、 ハツ) 

と 歌 をうた う。 

糸満の 漁師た ちの 家で は 八重 山の 行事 をお こなわない が、 小島 屋 では、 子どもに せがまれて、 ィパッ を 珊瑚 礎 

の 切 石で 作つ た 石垣に のせて おいた。 

種取り 祭の 朝 はやく、 小島 屋の 子どもが 起きて、 石垣の 上の ィバッ を 探した。 ところが 今し がた 親方の かみ さ 

んが こしらえて 石垣に おいた ィバッ がいつ の 間に か 二 個 見当らなかった。 それが ちょっとした 騒動と なった。 ナ 

ガ ー がうた がわれ たの だ。 

《八重 山に きてから、 i は 三度 三度 芋ば かりの 食事に 耐えて きた。 俺 は 親方の 子どもが サシバ の 贈り物の ィパ ッ 

を 見付けて、 よろこぶ さま を ぼんやり ながめて いた。 羨し いという 感情 を あらわす ことが 無力で ある こと も、 知 

つて、: こ。 しかし 奄が 親方の かみさんから ィ 、、ハツ を 盗んだ と 疑われた とき、 八重 山に きてから 一度 も 体験した こ 



2 とのなかった 暴な 感 3ir か 全身 を つきあげた。 

6 - 

俺 は その 朝、 みんなが 連れ立って 海に いく 隙 を ねらって、 逃げた。 新 川の 部落から 西へ と 道 をと り、 一 の 橋 を 

わたって 屋疲名 をす ぎ、 名 蔵 川のと ころに さしかかった。 丁度 満潮で わたれな いので、 川口 を 泳いで わたる こと 

にした。 水ぎ わに 生えて いる 芭蕉の 幹 を、 もっていた 小刀で 切りた おし、 葉 を 取り払って、 浮袋の 代用品 をつ く 

つた。 その 幹に つかまりながら、 川口 を 横切って いった。 泳いで いる エラ プ 海蛇に はなん ども 出会った。 岸に 沿 

う マング 口 ー ブの 樹林の 薄暗い 根の あたりで、 ェ ラブ 海蛇が 球の ようにから みあって 交尾して いた。 

俺 は 岸に はい あがる と、 疲労と 飢えの ために、 あるく 力 も なくなつ ていた。 そのと き あと を 追い かけて きた 親 

方に つかまった。 親方 は 何も 言わず、 俺 を 脇に かかえた まま、 新 川の 海岸に 連れ戻した。 俺 は 逃げた ハん? が 

どのような 仕打ち を 受ける か、 話で はよ く 聞いて いた。 部落に つくと、 親方の 手 をぬ けて 走り出し、 近, の 漁師 

の 家の 床下に もぐりこんだ。 外から 親方が 呼んでも、 奥の 床下に うずくまった まま、 出て いかなかった。 すると 

親方 は そぎ 立てた ながい 竿の 先 を 俺に つきつけた。 俺 はどうしょう も なくなって、 床下から 外へ 這い 出した。 親 

方 は 俺 をつ かまえ、 砂浜に 生えて いる ァ ダンの 茂みの 所に 引き立て ていき、 手足 をと つて その 中に 投げ こんだ。 

ァダ ン のトゲ の ある 葉が、 もがけば もがく ほど 俺の 身体 を 刺した。 

俺 は 血 だらけに なって やっと ァ ダンの 茂みから 砂地へ ぬけ 出した。 親方 は その 姿 を だまって みおろし ていたが、 

えり 首 を 引きずる ようにして、 波打ちぎ わに 連れていき、 櫂 を ふりかざした。 櫂の 刃 は 相手の 肉 を 刃物の ように 

切り裂く。 糸満 人の けんか はすべ て 櫂な の だ。 幸いだ つたの は、 櫂の 刃で なく、 峰だった という ことだろう。 

「殺 すんどう 」 

親方 はわめ いた。 俺 は 砂の 中に のめった まま 動け なかった。 

陽が 沈む までに はいくら か 間が あった。 海 は 黄ばんで いた。 



海の 群 星 



浜辺で、 腐った 豚の 血 をサパ 二に 入れて 網 を 染めて いる 漁師た ちがいた が、 俺た ちの 方 を ちょっと 振り向した 

だけだった。 先輩の カンパ チゃミ ー チラ ー は 護岸に もたれて、 その 困惑した 顔に、 うすら 笑い をう かべて、 光景 

を ながめて いた。 J 、 

親方よ 砂浜こう つ. おせに なつ た 俺 を そのまま にして、 カンパ チゃミ ー チラ ー をうな 力して 束^ をお ろしに-^ つ 

た。》 

彼が 自分に 気がつい たの は 夜の 冷気が 降りる 頃であった。 起き 上ろうと したが、 砂が 膝に ねばりついて 思う ィょ 

うに 防け なかった。 彼 はう ずく 身体から にじみ 出る 記憶 を、 もう 一度 砂地に こすりつけた。 潮の 引いた 干 瀬で 夜 

漁 をす る 人た ちの 松明の 火が ちらちらと 見えた。 . わ 

東の 空 こよ liSj が 彼 を 見守って いた。 海に 浮んで はもぐ り、 もぐって はまた 浮ぶ 雇いん 子と おなじように 思つ 

ていた li"si。 しかし 彼 は 今ち がった こと を 思い出した。 彼 は 以前に 群 星 は 六 人の 盗人 だとい う 話 を 聞いて いた。 

がちよ つと でも 空に あがったら 消える 大きな 明るい 星が ある。 その 星 は 群 星が 海の 中に 沈む と、 逆に 空に あ 

がる。 それ は ヨシヤ. S という 名の 星 だ。 sl^i^ という 名高い 遊女に 因んだ 名前 だとい う。 六 人の 盗人 星が 追つ 

かけて いるが、 遊女 星 は なかなかつ かまらない。 そんな 話が きりきり 痛む 頭の 中に ぼんやりと よみがえった。 彼 

はもう 一度、 群 星 を 見た。 そうして さいごの 勇気 を 振い 起して 決心した。 

「奄 よ、 つ;^ 甚ザ C やる。 こんど こそ、 俺 はへ マ をし ない。 そして 親方の 鼻を明か してやる。 かならず 逃げて 仕 

返しして やる 一 



" 十四 

ナガ ー はいつ ものよう に 夕食 を 済ます と 新 川の 護岸に 出た。 新参の 雇いん 子た ち は、 豚に 餌 を やったり、 薪割 

りの 仕事 を させられ たが、 先輩 格になる と、 海から あがった のちの 労働 は 免除され た。 海 は 暮れ 切らず、 一日の 

労働 を 終えた 快 さと、 これからの 遊び へ の 期待が みんな を 活気 づけて いた。 い つ の 間に か 誰かが 三絃 を 鳴らした 

り、 ハ— モニカ を 吹いたり する。 いつも そのな かに ナガ— と 力 マ もいた。 

その 日、 ナガ ー は 誘われて、 力 マた ちの 女の 一団と は 別れ、 新 川の 一の 橋に いった。 新 川と 屋慶名 部落との 境 

目の 小川が 眼と 鼻の さきの 海に 流れ そそいで いる。 竹 富 島 は 新 川の 部落で 見る よりも もっと 間近に みえる。 一 の 

もうあし ゆ * 

橋の 堤防に は 毛 遊びす る 連中が 好んで あつまった。 

ちう 

毛 遊びの 毛 は 芝草の 生えた 広場 を 意味す る。 毛 遊び は その 毛で 若い 男女が、 歌の かけあいな どしながら 遊ぶ 南 

島の 古い 習俗 を 言う。 沖繙 本島の 農村で 古くから おこなわれ たもので、 糸満の 海人 はやらなかった し、 八重 山に 

もとから 住む 者 も 毛 遊び をし なかった。 沖繙 本島 東部の 勝 連 半島に ある 屋慶名 部落から 移住した 開拓 民が、 その 

習俗 を もちこんだ。 屋慶 名の 若者の 影響で、 糸満の 雇いん 子た ち も 毛 遊び をす るよう になって いた。 

一 の 橋の 堤防に はかなり の 男女が かたま つていた。 ナガ— と 一 緒に 小島 屋に やとわれ ている テ ィ ー グヮ ー もす 

でに そこにき ていた。 彼 は 中指 を ダイナマイト 漁で 失って、 ティ ー グヮ ー (手の 小さい もの) と 呼ばれて いたが、 

指の 切れた 右手で 器用に 三絃 をつ まびきながら、 眼 はたえず、 新しい 女た ち を 探して いた。 いつも 見なれ た 女の 

中に 新しい 顔が まじる と、 毛 遊びの 刺戟になる。 格好な グル ー プが 見つかった。 

ティ— グヮ I は 近づいた。 

「おまえた ち は、 あがりぐ やか I 



65 泡の 群 星 



女の 一人が そうだと 答えた。 石垣 市の 東の はしの 登 野 城 は 東 小屋と ふつうい われて いる。 登 野 城の 糸満 漁夫に 

雇われて いた 女た ち は、 月の 明るさに 誘われて、 海の 見える 護岸 通り を、 西 小屋の 新 川 部落まで やって きて、 一 

の 橋に 足 をのば したの だった。 

それ は 冒険に ちがいな か つ た。 登 野 城の 若者た ち は 自分の 部落の ものと 思って いる 女た ちが 新 川の さきまで 遠 

征 したと いう ことが 分る と、 ただで はす まさない こと はたし か だ つ た。 

それ を 見越して ティ ー グヮ ー は、 即興の 歌 を ジン トウ 節に のせて うたった。 ジン トウ 節 は、 その 歌の さいごに 

ジン トウ ャル ハジ ドウと いう ハヤシが はいる。 ほんとうにそう である はず だ、 という ハヤシ だ。 

ティ ー グヮ ー は 即興に うたった。 

なまい ちゆる あばぐ わ 

色 じゅら さあし が 

がまく から 下 やや 

た むら 通て い 

(今 そこ を ゆく 乙女 は 色白で は あるが、 腰から 下 は 他村に 通つ ている) 

すると 女た ちの 中から、 ややかん 高い、 しかし 抑揚の ある 声が はね 返って きた。 

歌 あびれ あびれ 

誰が ちくが あびれ 



66 



意味し らん 歌 や , 

あまにし ていれ 

(うた をうたい なさい。 誰が 聞く もんか。 意味の ない 歌 は あっちに 捨てなさい) 

女た ち は そっぽ をむ いた。 三絃の 音 を 聞きつ けて、 ナガ ー の 顔 見り の 若者が 四、 五 人 やって きた。 男た ちの グ 

ル— プと 女た ちの ダル ー プが 自然にで きた。 女た ち は 月の出る 東の 海の ほうに 背 を 向け、 やわらかな 草を藉 いて 

坐った。 若者た ち は 手拭 を 首に 巻き、 昼間の 労働で 魚 臭い 手 を 気にしながら 腰を下ろした。 はじめは 男の ほうの 

ダル I プ から 歌が はじまった。 一 

さんしんぐ わ 弾きば 

歌す しゃた みし 

あんぐ わ 首 抱きば 

すしやた みし 

(三絃 を 弾けば 歌が 入る の は 当り前、 乙女の 首 を 抱けば 寝る の は 当り前) 

と、 男 は 寝る の をとう ぜんの ことのよ うに 言う。 それに 対して 女の ダル ー プ から 声が あがる。 

しみれ かさぎ ゆい 

かさぎ りば なすい 



67 海の 群 星 



なしば くち やぐまい 

いるる ぐ わしる でい 

(寝たら 孕む。 孕めば 生む。 生めば 裏 座の 中に ひっこみ、 色白な 日陰 ものになる) 

男の 挑発に 対して、 女 は 控え目に 自重し、 男の 欲望に 水をさそう とする。 それが 男た ちの 欲望 を かえって 搔き 

立てる。 

かさぎ りばぬ やが 

くわな しばぬ やが 

なま さかぬ はなぬ 

ないち さち ゆが 

(妊娠 すれば といって どうした というの か。 子ども を 生んだ からといって どうした というの か。 大した こと 

はない。 いま 咲かない 花なら、 いつ 咲く というの か) 

男の 方は大 阻で 高飛車になる。 それ を 受ける ように 女た ちの 含み笑いが はじまる。 男た ちと 女た ちが かわる が 

わるうた つ ている うちに、 女た ちの ほう は 男から 追い詰められて しま つ た。 

女 一 人が、 草 をむ し つ て 男の 方に 投げながら ふざけた 調子で 歌い 出した。 

一 一三 月ぬ まや や 



68 



とち どち るく りる 

い つ た 村に しえ や 

め ゆるく りて い 

(二、 三月の 猫 は 時々 しか 発情期 はない が、 君の 村の 青二才 は、 畜生よりも 下、 毎夜 発情して いる) 

まぜっかえされて、 男女の 双方から どっと 笑い声が あがった。 ティ ー グヮ ー は 三絃の 調子 を はずませた。 男の 

方が こんど は 違った 歌で 女に 呼びかける。 

-ー 

むとう や 遊ぶ たる 

い つ た 村 やしが 

なま やとうり どうりと 

しちよ るかな さ 

(もともと は 遊んだ 君の 村で あるが、 現在 は 閑散と して さびしい ことよ) 

女が 男 を 相手に しなくな つたので 悲しく、 それで 探し まわって いるんだ よ、 と 男が いう。 しかし 女の 方 は 取り 

合わない。 

別り てい やい ちゆい 

なさき 

ぬう ぬ 情き ゆが 



69 海の 群 星 



歌に くい かきてい 

なさき 

うりと. liln^ 

(別れて いくのに どういう 情け を かけて やれば よいの か。 歌で 声をかけて、 ひと 声うた つて、 それが 情け) 

と 冷たく 突っ放す。 しかし 男の 方 は 追う こと を やめない。 

遊び 楽しみ や 

毛 遊び やしが - 

にんてい 楽しみ や 

んぞが 枕 

(遊んで 楽し いのは 毛 遊びで あるが、 寝ての 楽しみ は、 思う 女の 枕) 

と 女に 訴える。 女の 方 は 気持 を徐々 に 変えて いく。 

遊びう む かじゃ 

まり まり ど うたち リる 

あ ひぐ わう む かじゃ 

め ー ゆるた ちゆ さ 

(i びの 思い出 は 時々 しか 現われな いが、 あなたの 面影 は 毎夜 現われる) 



そこが 男の つけめ だ。 

かさぎ りば あばぐ わ 

我がとう じに す ゆ さ 

りち やよう しちり てい 

遊 りんだ な 



(孕んで しまえば 乙女よ、 自分の 妻に する よ。 さあ 一緒に ゆこう。 ,) んで, o< ようじ や,, い 




とさそう。 女の 方 は 軟化す る。 

歌ち きばに しえ ぐ わ 

ないぶ さや あしが 

むし かゆす 知らば 

いちやが す ゆら 

(若者よ、 あなたの 歌 を 聞いて いると、 一緒にな りたい の だが、 もし か、 他人に 知られたら どうす るか) 

と 男の 気持 をう かがうよう になつ ていく。 



海の 群』 



わみ やじよ に 立た ち 

にんら りみ んぞょ 

うむ かじゃ 立た に 

いみ やんだ に 

(私 を 門に 立た してお いて、 自分 独りで 寝られる か 我が 女よ。 面影に 立たない か。 夢 は 見ない の 力、 

と 男が 歌う。 

いかな 思り わん 

わがう じょに 立つな 

みぐ てい やぬ くしぬ 

く ぬしち やに 

(どんなに 思って いても 自分の 家の 入口に は 立つな。 裏 座のう しろに まわれ、 クバの 木の T に 立って いなさ 

い) I 

だが それでも、 男 は ねばりづよく 女 を 求める。 

みぐ ちゃくし や 

うとる さぬ んぞょ 



2 んぞ がくち やばし る , 

開きて いた ぼり 

(家のう しろに まわる の は、 こわい よ 我が 思う 女よ。 あなたの 部屋の 戸 を 開けて 入れて おくれ) 

くち やばし る 開きて い 

入りぶ さや あしが 

むし かう やちょで ぬ 

知りば ちゃす が 

(わたしの 部屋の 戸 を 開けて、 入れた いのは やまやま だが、 もし 親兄弟に 知られたら どうす るか) 

うや やりばぬ やが 

ち よで やりばぬ やが 

なま 咲かぬ 花ぬ 

ないち 咲ち ゆが 

(親が なんだ、 兄弟が なんだ、 今 咲かない 花が いつ 咲く というの か) 

このように、 最初 は 男の 方が 懇願し、 女の 方 は 困惑す るが、 あとで はな かば 男の 意向 を 聞く ようになる。 そこ 

で 男 は 一転して 強気になる。 沖纆 では 年頃の 娘 は 座敷の 裏に ある クチャと いう 裏 座に 住まわせた。 クチャ は 家の 

中 をと おらず 外力ら 自由に 出入りで きる 部屋で、 娘の 恋人で ある 若者が ひそか 

に 通う ことができる ようになつ 



73 海の 群- 



ていた。 それ を ふまえた 歌の やりとり なの だ。 

そのうちに ジン トウ 節の 三紘の 調子が はやくな り、 歌の 呼吸が 乱れ、 緊張が なくなり、 それから は 急に もっと 

露骨で でたらめな 歌の やりとりが 始まった。 ナ— ベ —ラ ー (へ チマ) を 女の 乳房に たとえたり、 パパイヤ を 女 陰 

とほの めかしたり、 歌 は むざんな 形に くずれた。 それから また 別の 歌が まきおこった。 

約束 やさしが 

待ち どくる しらん 

ちゆい どめい どめい 

さら 夜 あかち 

(4? 束 はした が、 待つ 場所 を 忘れて しまった。 グル ー プの ひとりびとり を 探して いる あいだに、 夜 を 明かし 

た) 

天の 白雲に 

はしぬ 架 きらり み 

う ゆばらん 我 身ぬ 

ていが きな ゆみ 

(天の 白雲に はしご はか けられない。 及ばない 自分の 身の、 どうして \IV がと どこう) 

そう 男が いうと、 女 は、 



74 



う ゆばらん とむ てい 

いぢ ひくな にせぐ わ 

高さ あるえ だに 

花や 咲かに 

(手が 届かない といって、 いじけるな 青年よ、 高い 木の 枝に も 花が 咲く ではない か) 

女 たちのな かで、 ナガ— はさき ほどから 自分の 隣に いる 女が 気に かかって いた。 男の 歌 を はじきかえす ように 

才気が あって、 女の ダル ー プを たえず リ— ド していた。 口かず はむしろ 少なかった。 額に 髪 は 乱れ、 横顔 はする 

どかった。 

その 女が ナガ ー の 耳 もとに ささやいた。 

「うむつ こうねん ぐとう、 ん じらな (おもしろく ないから 出ましょう)」 

「あんや さ (そうだね)」 

ナガ ー はとつ さに 答えた。 天頂に あった 天の川 は 竹 富 島の 方に 傾いて いた。 二人 は 何気ない ように 列 を はなれ 

て、 肩 を 並べながら 林の 中に 入って いった。 今にも キジ ムン (木の 精) が 化けて 出そう な 暗やみの なか を、 ナガ 

1 は 初めて 火の ような 色彩の 渦 を 描きながら 歩いた。 林 を 通り抜け ると、 日中で も 薄暗い 拝 1^ に 出る。 拝 所の 広 

場の ディ ゴの 木の 根に つまずいた のがき つかけ だった。 二人 は クバの 枯れ葉の 上に たおれた。 ヤシ ガ 二が あわて 

て 逃げた。 

その 夜 こそ ナガ— の はじめての 経験だった。 ナガ ー の 耳に 吹きつける 熱い 息吹が 彼 を かぎりなく 暴に した。 

ナガ ー は 女の 着物に しみた 丁字の 匂いが 彼 を 包む の を 感じた。 彼の 胸 を そそり 落す 女の 声 を 夢うつつ のなかで 聞 



75 海の 群 星 



いた。 女に はじめての 経験 かどう か、 それ を 問う 余裕 は 十七 歳の 若者に はなかった。 

ナガ— は その 夜から 変った。 珍ら しく 女 を 知らない 若者と 朋輩から 冷やかされ ていた 彼が、 夢中に なった。 そ 

の 女と いうの は 登 野 城の 糸満 漁夫に 雇われた 女で、 力 マ ボコ屋 ではたら いている マカト という 名の 女だった。 テ 

ン トン マ カトと 呼ばれて 三絃のう まい 女と して 通って いた。 また 多情な 女と して 知られて いた。 そこで ナガ ー に 

忠告す る 者 も 出て きたが、 彼の 耳に 入らなかった。 

登 野 城の 女 は 登 野 城の 若者た ちの 思い者と みなされ、 他 部落の 青年と 通じる こと は 許されない。 ところが マ 力 

トは大 狙な 女で、 そうした ル ー ルを 無視す るよう に、 一の 橋に つどう 毛 遊びに やって きて は、 ナガ ー と 一緒に 歌 

つたり おどったり 三絃 を 弾いたり した。 そうして おきまり は 林の 奥だった。 マカト はいつ も 余裕 を もっていた。 

時計の ない 者 同士 だから、 「明日の 夜 は 月が 東の 海の 水平線から 四寸 あがった 時刻に ここで 会おう」 とか 「一週 

間 後 は 月の出が おそくな るから 水平線に 出た ころ 会おう」 とか 打ち合わせ をした。 それが 夜中に なるとき も あつ 

た。 彼が 林の 中で 待って いると、 ふいにう しろの くさむらから、 

つき ぴるま みやらび のしつ き 

(月 は 天頂、 乙女が 出て くると き) 

と 言いながら、 マ 力 トが姿 を あらわした。 ナガ ー は 夢うつつ の 境目に ある 気がした。 月がない 晩に は 力 ャの束 

に 火 をつ けたたい まつ を もって、 待ち合わせの 場所に いった。 

ナガ ー は あの 才 はじけた マ 力 卜が、 どうして 男 を 次々 に 変える ような こと をす るの か、 それが 口惜しかった。 

尻軽な女 は サン グ" ナ ー といって 皆から 軽蔑され るのに、 それに 気がつこうと もしない 女が 情けなかった。 その 



76 



こと をな じる ように 言う と、 女 は 笑いながら ナネ— ズ のように 熟れた 唇 を 押しつけ てきた。 - 

だが、 登 野 城の 青年た ちと 道で すれちがった とき、 ナガ ー は 袋叩きに 遭った。 それ は 日頃 新 川の 男が 登 野 城の 

女に 手 を 出した という ことに 対する 腹い せに 相違な か つ た。 それでも ナガ ー は マ 力 卜と 会う の を やめな か つ た。 

ナガ ー は あるとき 自分の 頭髪 をと つて カモジ にして マ 力 卜に 与えた。 マ 力 トは琉 歌 を 節 をつ けて 口ずさんで 礼 

を 言 つ た。 

いびな ぎの なさき 

さすえ— だのな さき ; 

から じぎの なさき 

いくよ までい ん 

(指輪の 情け は 指に さしてい る 間 だけ だが、 髪の毛の 情け は 幾 世まで も) 

という 歌 だ。 ナガ— は 真鍮の 指輪 を 力 マ に こしらえて 贈った こと を マ 力 卜が 誰から か 聞いて 知つ ている ので は 

ないか、 とふと 思つ た。 

十五 

八重 山に 年に一度 沖繙 芝居が 巡業して くると、 人び と はもう 気 もそぞ ろだった。 太鼓が 鳴り、 芝居小屋の 旗が 

風に はためき、 そして 娘た ち は 着飾って 芝居小屋の まわり を 往き来した。 芝居小屋 は 仮り に 作られた もので、 幼 

い 子どもたち は、 壁の かわりに 垂れた 幔幕の 下に もぐって は 首 を 出して 芝居 をぬ すみ 見す るの を 得意がった。 八 



77 海の 群 星 



重 山の 各 島から、 竹 富 島から も 黒 島から も 舟 を 仕立てて、 老人た ちが 見に きた。 昼夜 二回 興行と レ うのに、 彼ら 

は 夕食の 弁当 を 持参して、 十 時間 もぶ つ つづけに 見る の をた のしみ にして いた。 

糸満の t 師の 家々 でも あちこちの 家で 芝居 見物す ると ころが あつ た。 カマボ コ屋 につと めて いる 雇い 女た ち は 

晴着の ない こと を 気にしながら、 それでも いそいそと 出かけて いった。 男の 雇いん 子た ち も、 まだ 幼い もの は 連 

れ ていかれ なかった が、 すこし 年上の 少年た ち は、 いっぱしの 若者 気どりで、 煙草 を ふかしながら 夕方の 風に さ 

そわれる ような 格好で、 芝居小屋の 木戸 をく ぐった。 

《g も それ をしたかった。 そこで 親方の 女房に、 他の 家の 雇いん 子た ち は 芝居に 行かせて もらって いるから、 自 

分に も 芝居に いく 金 を くれない かとせび つた。 すると 親方の 女房 は、 おまえに 芝居 をみ るお 金 を やれば、 今夜の 

食事のと きのお 汁に 入れる 野菜 は 買えない ではない かと 言 つ て 金 を くれない。 

これまで 六 年間 も 休みな く 働いて きたのに、 それだけ のこと もして くれない のか、 よし、 それなら 必ず この 家 

から 逃げて 見せる、 と 俺 は 決心した。 

俺 は 雇いん 子た ちが 眠って いる 部屋に いって、 自分の 水中眼鏡 をと つて、 夜の 十 時 頃 家 をぬ け 出し、 石垣 港の 

浅 橋の 道 を あるいて いった。 運搬 船が 桟橋に ついていて、 焼 玉が パン パンと 鳴って いる。 その 船の 会計 をして い 

る 男に むか つ て 「俺 は イト マ ン の 雇いん 子 だが、 この 船に のせて 逃がして くれない か」 と 頼んだ 

男よ じろ りと 俺 を 見た が、 船の ダン ブル を 開けて くれて 「そこに 入って おけ」 と 言った。 ダン ブルに 入る と、 

男 は 上から ふた をした。 ダン ブルの 中には 薪と 味噌と 塩 樽が 積まれて いた。 俺 は その 間に 首 を 突つ こんで がまん 

していた。 

交 十 一 時 頃に な つ て、 小島 屋の 親方と 女房が 走 つ てきて、 「自分の 家の 子どもが 逃げて こ の 船に の つてい る S 



^ すだ」 と 言う。 船員 は 「そんな 子ども は 見た ことがない」 と シラを 切った。 しかし それでも 親方 夫婦 ュ 11155 用し な 

いで ダン ブル を 片端から 開けて みた。 俺の 入れられ ていた ダン ブルの ふた は、 羽 釜 や 鍋が ころばな いように 置く 

ときの 敷板で、 誰が みても ダン ブルの ふたと は 見えない。 親方 夫婦 は 俺 を 発見で きず 空しく 引き返した。 

船 は それから すぐ 糸満 港に むけて 出航した。 石垣 港 をす ぎて かなりし てから、 俺 はやつ と ダン ブルから 出た。 

観音 堂が とおくに 見える ので 安心し、 自分 を かくまって くれた 船員から 聞かれる ままに 「小島 屋の蜃 いん 子で、 

ナガ I という もの だ」 と 答えた。 

船 はまる 一 昼夜 かかつ て沖繃 本島の 喜屋武 岬が 眼の まえに 見える 地点まで きた。 その 頃から 急に 海が 荒れ はじ 

め、 まるで 暴風のと きのよう にシケ た。 船の 積 荷の 一部 も 海に 流された。 船に は 与那国 島から 沖繮 本島に いく 女 

の 客が 一人 乗って いた。 ダン ブルの 上に マ スト をた おして カバ ー を 張って あるな かに 彼女 は 赤ん i:!;! (赤ん ぼ) を 

抱いて 坐って いた。 船が あまり ゆれる ので、 その 拍子に 女の人 は 赤ん ぐ わ を 手から 落して しまった。 赤ん ぐ わ は 

甲板の 上 を 船べ りのと ころまで ころげおち ていった。 誰も そこにと りに いかれない。 俺 は よろめく 足で 船べ り ま 

でい つて 赤ん ぐ わ をつ かまえた。 赤ん ぐ わ は 火が ついた ように 泣き はじめた。 俺 は 自分の タオルで 赤ん ぐ わ をぐ 

るぐ るまい て ゆすって いた。 赤ん ぐ わ は 泣き やんだ。 しかし 船の 動揺が 烈しい ので、 女 は 俺のと ころまで 赤ん ぐ 

わ を 受けと りに 来る ことができない。 

そのうちに 風 もやんだ。 俺 は 赤ん ぐ わ を 船員に 渡し、 船員 は それ を 女に 渡した。 やがて 糸満 港が 見え はじめた 

ので、 船員 は 俺に むかって 「きっと 八重 山から 電報が いってい るから、 MP と 警察官が 臨検に くる はず。 見付か 

ると まずい ので、 また ダン ブルに 入って おけ」 と 言った。 

船 は糸満 港に ついて アンカ— をお ろした。 たまたま 糸満 港に は ハヤ ブサ 号が 停泊して いた。 それ ュ糸満 市に 住 

む 小島 屋の 女房の 兄の 船で、 ハヤ ブサ 号に は 小島 屋の 親方の 弟た ち 二人が 乗り組ん でいた。 そのこと よまえ から 



79 海の 群 星 



俺 は 知っていた。 これ は 困った ことにな つたと 思った。 まごまごして いると つかまって しまう 肩 を 深く 吸い こ 

んで、 船の 上から 海 をめ がけて 高く とんだ。 糸満 港内の 深さ は 七、 八 ヒロ 位 あるが、 それ を 海底 いっぱい もぐつ 

て、 底の 砂 をつ かまえる ような かっこうで すすんで いった。 水面に あがって 息をした くても、 顔 を 出す わけに は 

いかない。 もぐって、 いく だけい くと、 眼の 先に 出 雲 丸と 記した 船が 浮いて いる。 俺 は 船腹のと ころに かけて あ 

るタ ラップ をの ぼって、 出 雲 丸の 船員に、 「自分 は イト マンの 家から 逃げて きた。 かくまって くれ」 というと、 

船員 はうな ずいて、 俺 を 無線 室の 中に かくした。 

これで やっと 助かる と 思つ ていたら、 MP と 警察官の 乗つ た 舟が 出 雲 丸に 横 づけして、 幾人 かが ばらばらと あ 

がって きた。 「力 マン 力 マン」 という 声に、 無線 室の 窓 を 開けて みると、 ピストル を かまえた MP が 立って いる _ 

その 傍に は 警察官 も、 また ハヤ ブサ 号に 乗り組ん でいた 小島 星の 親方の 弟た ち もい るで はない か。 俺 は 手錠 を か 

けられて、 連れていかれ、 ハヤ ブサ 号に 移された。 ハヤ ブサ号 は 八重 山に むけて、 すぐ 出港した。 

俺が 泳いで い つ たの を 教えた の はだれ なのか。 それ は 嵐の 海で 赤ん ぐ わが 今にも 海に 投げ出され そうだ つ たと 

き、 それ を 拾って やった、 あの 女が 告げ口 をした の だ。 俺が いつ 船 を 降りる か、 と 見て いた その 女 は、 俺が 高と 

びした の を 見て、 警官 や 小島 屋の 弟た ちに、 あの 辺に 泳いで いったと 告げ口した。 もし 彼女が 告げ口し なければ、 

俺は奄 美大 島に 帰れた はず だ。 石垣 港から ずっと 俺 を かくまって くれた 船の 連中 は 口 を かたくして、 雇いん 子 は 

のせな かつ たと 言 つ て くれたのに、 あの 女が 言 つ たために つかまえられて しま つ た。 

俺 は 糸満の 海岸 を 眼の まえにして、 また 八重 山に 送り もどされる ことにな つたの が、 なんとしても 腹の虫が お 

さまらなかった。 そこで ハヤ ブサ 号が 糸 満港を 五百メ ー トル 位 はなれた ところで、 よしと パンツ 一枚に なって、 

船の 上から また 高と びした。 そのと き 手錠 は 外されて いた。 ところが ハヤ ブサ号 は 速力が はやい ので、 ス クリュ 

1 の 渦に まかれて あがれ なくなった。 もう 息が 切れそう だと 思った とき、 やっと 水面に 浮び あがれた。 



8o 



糸 満の方 を 見たら、 右手に 摩 文 仁の 丘と ヒメ ユリの 塔が 見えた。 一生懸命、 陸に 向って 泳いだ。 ハヤ ブサ号 は 

十三 ノット 位で 走って いたが、 俺が 高と びした ことに 気がついて U タ ー ン して 全速力で 追つ かけて きた。 ハヤ ブ 

サ号は 吃水が あるし、 波が 高い から、 リ ー フ にきたら 自分の 勝 だと 思って、 力の かぎり 泳いだ。 リ ー フ のなかへ 

は、 波の 力で 百メ I トル 位 一挙に はいった。 ハヤ ブサ 号はリ ー フに はは いれない。 そこで 糸満 港に 引き返し てい 

つた。 浜に たどりつ くと、 やれやれ 逃げお おせた と 思って、 砂浜 を 歩いて いった。 ァ ダンの 林のと ころまで くる 

と、 ジ ー プ でかけつ けた MP がまた 俺 を 待ち かまえて いた。 

俺 は 手錠 を かけられ、 糸満 港に 連れていかれ、 ハヤ ブサ 号に のせられた。 こんど は 後ろの マストに くくられた 

ままだった。 船員が 俺の 口に ごはん を 入れて くれた。 宮 古島が すぎ、 多 良 間 島が すぎた。 八重 山の 平久保 崎が 見 

える 頃に なって やっと 身体 をし ばった 口— プを はずして くれた。 そこで また 海に とびこむ すき を 狙った が、 みん 

な 俺 を 見て いるので どうす る こと もで きない。 そのうちに 石垣 港が 見えた。 ハヤ ブサ号 は 沖 どまり で、 ハシケ で 

港に あがった。 そこから、 水上 警察署の 二階に つれていかれ、 三 名の 巡査に とりかこまれた。 「責 様、 買われた 

人 問が 逃げる と は 何たる こと だ」 と 竹刀で 叩かれ、 小島 屋の 親方の 弟た ちの 見て いるまえ で 「詫びて まじめに 働 

く か。 そうすれば これで 帰して やる が、 そうしないなら 半殺しに する ぞ」 とお どかされた。 だが 俺 は 負けて はい 

なかった。 警官に むかって、 「一 対 一 なら やっても よい。 やる か」 と 開き直った。 

小島 屋 では 親方と 女房が 相談し 合い、 あの 子 は 警官 三 名 かかっても 詫びようと はしない、 詫びた ところで、 一 

度 逃げて 味 を 占めて いるから、 また 逃亡す るか も 分らない、 満期 を 一年 早くしたら、 まじめに やる かも 知れない、 

という 結論に なった。 二十まで あと 二 年 残って いるが、 おまえ は あと 一年で 満期に させる から、 まじめに 働く か、 

と 親方が いうので 俺 は 承知した。》 



8i 海の 群 星 



十六 

《海の 仕事 は凤 とりや カツ ォの餌 探しの ように 浅瀬ば かりで やる ので はない。 八重 山の 漁師 は 一 人前に なると 干 

瀬の 外 こ 出て、 危険な 漁の 作業 もやる。 俺 も、 小島 屋の 親方と サバ 二で 島影が まったく 見えない 外海に 出て、 フ 

力 釣り を やる ことにな つた。 フカ 釣りに は 二、 三人で いく。 南風 を 受けて 帆 はふ くらみ、 サバ 二 は 海の 上 を どこ 

まで も 走る。 途中 イカリ をお ろして みて、 西へ いくよう だったら、 そこで はま だ 黒潮に 出会って いない ことにな 

る。 更こ凡 を. A ナ て.^ を 走らせる。 黒潮に 近づく と、 水が あたたかく なり、 波の 色 もどす 黒く 変化す る。 黒潮と 

分ったら そこで イカリ をお ろして、 二日 も 三日 も フカ を 釣る。 餌の 膝 肉 を 二 キンず つ 切って 塩 づけに してお き、 

中に もっていく。 フカの 釣糸 は 豚の 血で まっくろに 染める。 針 も 大きい。 針の 先につ けた 豚肉に いつまでも フカ 

の 歯が つかなかった らまた 塩 をつ けて 海中に 投じる。 弁当 は 「旅」 に 出る ときの サ ツマ 芋の 団子。 舟が くつがえ 

つたと きの 用心に、 めいめい 手首と 舟と を むすびつけて おく、 クバの 葉で 作った ュ 1 'トリ (あか 汲み) や 櫂 も 舟 

と むすびつけて おく。 綱 は 二十 ピロ 位の ながさで、 余り 短い と 自分の 身体が 海に 投げ出された とき、 舟に 衝突し 

て S 我 をす る。 フカの ヒレ は 高く 売れた。 油 は 腐らして サ バニに 塗る。 フカの 肉 は 力 マボコ にした が、 また 乾し 

ていつ でも 食べられる ように 取って 置いた。 フカ 釣りのと きの イカリ は、 舟 を 安定させる ように、 また 潮の 流れ 

がそれ にあた るよう に 石 二つ を 棒の 端に くくる。 この イカリ は 帆の 役目 を はたす。 黒潮に イカリ を 落す ことで、 

黒潮に 乗る。 黒潮に 乗って 帆 を はしらせ ると、 サ バニ は 石垣 島の 近くまで 帰って くるの だ。 

フカ は 夜で も 昼で も 穴の 中に 眠る。 もぐって いって、 その 眠って いる フカの 尻尾に 繙を つけて サバ 二 に 引き あ 

げる こと もす る。 

サ バニの 上で 待ち かまえた 漁師 は、 繩で 引き あげた フカの 頭のう しろの 大きな 筋のと ころ を、 すばやく 槍で つ 



^ き あす その 途端 フカ は 身体 をね じり、 自分です じ を 切って しまう。 その 筋に は 神経が とおって いるので、 切る 

と フカ は 全然 動け なくなる。 

フカと り は ハエ ナヮの 先に 枝繙を 垂らし、 二十 五本 位 釣針 を 付けて、 ィ ラブ チヤ ー や アバ サ— (針千本) ゃ大 

ゥナギ など を 餅に して 釣る こと もあった。 ハ H ナヮの 両端に は イカリ を 入れ、 イカリの 上に 浮 子 をつ けて おく。 

夜、 網 をお ろして 朝 ひきあげる。 敗戦 直後 は 油がない ので、 食用油 をと るた めに やった。 大きな フカ だと 一匹 か 

らーチ 集 三 杯 位の 油が とれる。 フカの 肝臓 は 何しろ 盥を 二つ あわせた ほどの 大きさ だ。 サバ 二に 塗る フカの 由 を 

とる ときには、 フカ を 弱らして とる とよけ いに とれる というの だが、 食用油 をと るに は、 殺して すぐの もので な 

ければ ならない。 肝臓 をと り 出して、 すぐ 油 をと る。 油が 出たら 山ミ カンの 枝に 火 をつ け、 油につつ こんで、 そ 

の 葉で 油 を やく。 それで 匂いが なくなる。 油 を 冷却 させ、 下の 溝り を 捨て、 上澄み をと つて 食用油 を 製造す る。 

いい 油 は イッチ ヨウ サバ (ホ ォジ ロザ メ) からと つた もの だとされ ている。 戦前、 機械油に 不足して いたと き は、 

船の ュ ン ジン を 動かす のに 使用した こと も あつ た。 

フカの 胃 は 大きくな いが、 どれ だけ 大きな 獲物で も 呑み こむ ことができる。 フカ は 針千本が 大好物 だが、 針 千 

本の 卜ゲは 呑み こまれる と、 まるで 素麵 のように やわらかくなる。 だが 針千本 を 呑み こんだ フカ はま かりまち が 

うと かえって やられる。 針千本 を 口に 入れて すぐ 呑み こまない と、 針千本 は 胃袋の 中に 空気 や 水 を 呑んで ふくれ 

あがる。 フカ は 口 を あけた まま、 苦しそう にの たうち、 死ぬ。 針千本 は 五、 六 キンから 三十 キン 位の ものが ある。 

針千本 をと ろうとして 漁師が やられる ことがある。 針千本が 岩の 穴に 入って いるの をィ ー ダンの 先で 突いた が 

とれな レ 漁師 力 針千本の 眼 玉 をつ かんで 引き出そう とすると、 針千本が ふくれて、 漁夫 は 穴につつ こん、:, こ 手 を 

針千本と 岩の 間に はさまれた まま 引きぬ くこと がで きずに 死んだ 例が ある。 

八重 山で ギラと 呼ばれる シ ャ コ 貝に 足 をつ つ こんで はさまれて 死んだ 者 もい る。 十一 一、 三ピ 口 のと ころに は大 



83 海の 群 星 



きな ギラが 海の 竪琴の ように 口 を 開いて いる。 それ をと るに は、 まず 石 を ギラに はさませ、 その 隙間 力ら ィ ー グ 

ンを 中に つき 入れて 貝柱 を 切る と、 口が 開く。 その あと 手で 肉 をと るの だ。 

©の^^,3布はまだぁっ た。 名 蔵 湾の 北側の 屋良部 崎 や 西 表 島の 西部に 突出す る 宇 奈利崎 は、 ュ ラブ ゥナギ が 産卵 

しにくる ところで ある。 産卵す る 穴 は 横にな つて 入らねば ならない ほど トンネルの ようにせ まく、 真直ぐ に 入る 

こと は むずかしい。 穴 をく ぐると 中 は ひろく、 そこに は 岩棚が あって、 エラ ブゥ ナギが あつまつ ている。 しかし 

他の 海蛇 もま じっている。 白黒で、 頭の 小さな 海蛇 だが、 猛毒 を もっている ク ビグ ヮも 産卵の ために 入り こんで 

、る。 ク ビグ ヮょ 漁夫が もっている ィ ー ダンに まきつく ことがある。 ィ ー ダン を 自分の 同類と かんちがい してい 

るの だ。 エラ ブゥ ナギも 交尾 するとき 球になる が、 ク ビグ" も 産卵の 時期に は、 幾 十 匹と なく、 もつれ あいなが 

ら、 襲って くる。 漁夫 はェ ラブ 海蛇 をと るた めに 穴に 入った ものの、 あわてる とせまい 穴の 口を出ら れ なくなつ 

て 死んで しまう の だ。 

人 をお そう 海の 生物に は ウジ ュ (ゥ ッボ) がいる。 赤 ウジ ュ と 白い 皮膚に 黒い 点が 入 つ ている 白 ウジ ュ とが あ 

る。 ウジ ュ はふつ う 穴の 中に いる。 ウジ ュも 産卵の 時期に 人に 害する。 ィー ダンで 突き はずして 皮が 切れた ば あ 

い、 その するどい 歯で 人に むかって 飛び かかる。 手負い ウジ ュは槍 をへ しまげ る。 ウジ ュを とらえる に は 三名必 

要 だ。 一 人で は 捕りに がす。 

シ ジャ— (ダッ ) も 人 を 殺す 力 を もっている。 とつぜん あかり を 照らし 出される と、 おどろいて 飛び かかって 

くる。 そして 胸 や 顔 を 一 突きに 刺す の だ。 

カメと り (力 ー ミ ー ト ウイ) も 危険な 作業 だ。 ゥミガ メは夜 は フカに おそわれ るから 浅瀬に 入って きて、 海人 

草 を 食べて いる。 昼 は、 十二、 三 ピロから 二十 ピロ 位の 深さの 珊瑚礁の 近くの 砂地に やって きて は、 午前 十 時 頃 

から 午^ 一時 項まで 眠る 習癖が ある。 ゥミ ガメの 眠る 場所 はき まっている。 珊瑚礁の 砕かれた 砂地 は、 ゥ ミガメ 



84 



の 胸 や ヒレで こすられ 平 になって いるから、 地面 を 見て カメが そこにい つやって きた か、 カメの 動静が 分る, 

ゥ ミガメ をと るに は、 カメの 眠って いる 場所に 近づき、 竹の さきに 釣針 をつ け、 それに 綱 をと おして カメの 首 

に 引っかける。 そのと たんに 竹竿と 綱 は 分離す る。 カメ は 綱 を 引っぱって 逃げる。 綱 は 五十 ピロ 位の 長さ だが、 

ブン プンプンと 鳴る。 カメが 首 を さげて 下方に 逃げる と、 綱 を もった 漁夫 も 海底に 引き こまれて、 思わず 命 をお 

とす ことが よく ある。 そこで カメの 首 を 上方に 仕向ける ように、 綱 を ひつ ばらねば ならない。 カメ は 三十 分 位つ 

よく 引っぱって いるが、 しだいに 力 をよ わめて いく。 水面で いつも 肺 を 水平に 保って いて、 頭 を 下に もって はい 

けない。 こんど は 漁夫が 泳ぎながら カメ を ひっぱる。 

カメと り は 綱 を まるくた たんで 手に もっている。 もぐる とき その 綱 を 海面に 投げる。 海底で カメの 首 を 竿の 先 

に ひっかけ ている とき、 上から 綱が 沈んで くる。 もぐって いる 漁夫 は、 足 をた えず 動かさな いと 浮き あがって し 

まう。 足 を 動かし どお しだ。 しかも 後ろ は 見えない。 そのと き 自分の 足が、 沈んで きた 綱の 輪の 中に 入る ことが 

ある。 カメの 首 を ひっかけ ると カメ は 綱 を ひっぱる ので、 綱が 足にから みつき、 足 は 綱に くくられて 逆さ 吊りに 

なる。 そのうちに 息が 切れて しまう の だ。 手首 をく くられる こと も ある。 外す 余裕がない ので 指 一 つく くられて 

死んだ 人が いる。 以前 は 一斗 鑲を ハン ダ づけに して、 空気 を 入れ、 これ を 綱の 浮 子に していた。 そして カメに 綱 

を かける と、 その 綱 を 手から はなす ようにした。 しかし カメが 大きい と 浮 子に していた 一斗 鑲が 海底に ひきずり 

こまれ、 破裂して なくなって しまう。 そうして 綱 を 見失い、 カメに 逃げられる。 

海底で 眠る の は カメ や フカ だけで はない。 ときには 皿の ような 珊瑚礁の 下で 力 マンタ (エイ) が 寝て いるの を 

見る こと も ある。 ィ ー ダンの さきに 離頭铦 をつ け、 その 銘に綱 をつ ける。 それで 力 マンタ を 突き、 ある だけの 綱 

を くれてやる。 そして 力 マ ン タが舟 を 引つ ばる に まかせる。 力 マンタ は 一 キ 口 位 綱 を 引っぱ つて 止まる。 引き あ 

げて みると、 なかには 直径 一 メ — トル、 重さ 二十 キン 位 ある もの もい る。 力 マンタの 尻尾に は 幅 一 センチ、 長さ 



85 海の 群 星 



五 センチの 力 ミソリ のよう な 刃が そなわつ ている" それ はいつ も 尻尾の 裏側に かくれて レ るが、 敵に 出会う と 尻 

尾 を ひるがえして、 その 刃で 刺す。 その 刃の 根 もとから 発射され る 猛毒が 相手に 注ぎ こまれる という 仕 かけに な 

つてい る。 

浅顆 にいる 力 マン タと 大海に いる 力 マ ン タと では 大きさ も 色 もちが う。 浅い 海の 珊瑚礁の ない 白砂に いるの は、 

砂 力 マンタと いっている。 砂 を かぶって かくれて いるが、 その 形 だけ は 分る。 これ は 二、 三 キンから 四、 五 キン 

で 大きく はならない。 カラスみたい なの はへ ンジャ ー と糸満 漁夫が 呼んで いる 尻尾の ながい 力 マ ンタ である 大 

海 こ 、-る ガマ と 呼ばれる 黒い 力 マ ンタに は、 四畳半よりも つ と 大きい ものがたく さんいる やがて 天気が しける 

というと き は、 干 瀬の 近くまで よく 出て くる。 この 力 マンタに 襲われる とひと たまり もない。》 

十七 

ナシ、 、、の 準う 空の ヒこ 台風の 兆が あらわれた。 カザ ネと 八重 山で よばれて いる。 後光の ような ものが 空の 上に 

横にた なびき、 光の まんなかに 天 割れと いう 横 一文字の ひびわれが 見える。 それ をみ ると 親方の 顔 は 急に けわし 

あか はなれ > ic 

くな つ た。 彼ら は 西 表 島と 小 浜 島の あいだ を 流れる よなら 溝 をと おりぬ けて 赤 難に レ こうと して レた よなら おが 

は 満ち潮の とき は 北の方へ、 引き潮の とき は 南の 方へ 潮が ながれ、 十二 ヒロから 十五 ヒロの 深さが ある。 そこ は 

フカの かっこうの 住み処と なって いる。 しかも 潮の 流れが はやく、 ^!を巻ぃて、 よく サバ 二が てんぷく する。 

彼らの 前にい くつ も 力 マ ンタが 浮き あがつ て 波の 上 を 飛び、 そして 海の 面に 落ちた。 

親方が ナガ ー に 言った。 

「東の 方 の^が 鳥って いる。 台風の やってくる しるし だ。 うねりの ために 波の あたる 音が ふだんと ちがう の だ」 

老谏, 腐 方の 耳 は、 はやく も 波の音 を 聞き分け、 捉えて いた。 ナガ ー がう しろ を ふりかえ ると なる ほと i ハ 



6 ^:_?の東の方のリーフには白ぃ波がぁたって、 ものすご いしぶ きを あげてい る。 

「おぼえて おけ。 北の 海が 鳴る の は 季節風の せいで、 台風と はまた ちがう。 南の 海が 鳴る とき は 雨 だから、 し 配 

はいらない。 しかし こんど は 台風が かならずやって くる」 

ュ— トリ (あか 汲み) でサバ 二 の 中の 水 を かき 出して いた カンパ チが 叫んだ。 

「見ろ。 ヌ ー リが 下の 方の 雲と おなじ 方向に 走つ ている ぞ !」 

空の 高みに あるう すい 巻雲 を 八重 山で はヌ ー リ (梢 雲) と 呼んで いる。 ヌ ー リ はいつ も は 低い 所の 雲と よ 反 1 

に 屈 上の 方へ 流れて いる。 しかしい ま、 石垣 島の 於 茂 登 岳から 西 表 島の 古 見 岳の ほうへ 積雲が うごき、 その上 方 

高く、 ヌ— リも おなじように 風下の 方向に 走って いる。 

周 は 東の 方から 吹きつけ、 帆 は それ を まともに 受けて、 舟 は なかなか 進ま なくなった。 八重 山で はふつ う 西に 

向って 漁に ゆく。 南風 や 北風の ときには 帆で 走れる が、 東風のと き は 向い風になる ので、 漕がねば ならない。 

二百 メ ー トル も 前方から 風の かたまりが 吹きつけて くるの が 見え はじめた。 海面 はにわ かに 黒くな り、 白波、 わ 

あれくるう。 

「ナガ ー。 ムサが 大きい から 注意し ろ」 

親方の 声が とぶ。 波のう ねり をムサ という。 海底 はに ごり 立ち、 サバ 二の 舷を 掠めて すぎる 波 は、 刻々 にう ね 

り を 高めて いく。 つよい 風が 吹く たびに ヒ ー ヌィ (舳 乗り) の カンパ チが とっさに 帆 を さげる。 潮 を 含んだ 風で 

眼が 痛くな つ てきた。 

強風に 追われながら、 トビ ゥォの 群れが 飛び、 それが 影絵の ようにみ える。 一匹が 波のう ねりから はなれて、 

サバ 二の なかに とびこん できた。 

「ミ ー チラ—、 帆柱 を 前の 穴に 入れろ! そして 帆 を もっと 下げろ!」 



87 海の 群 星 



i 方が どなる。 ミ ー チラ ー が 海に 吹きとば されそう な 格好で、 帆柱 を 後方に 傾け、 風の 抵抗 を できるだけ すく 

なくしよう とする- 

風 は f 力 I から 北へ とま わり はじめた。 それ はいつ たんお さまっても、 また 時間 をお いて 吹きつけて くる こと を 

意味して いた。 

「風が 戾 るまで 寝ろ」 

親方が 命令した。 ミ ー チラ ー も カンパ チも ティ ー グヮ ー も ナガ ー も、 疲れ はてて いた。 彼ら は 舟べ りに 櫂 を 立 

てて 背 を もたせながら まどろんだ。 親方 は トモの 方で ァカ ガシの 大きな 櫂で カジ をと りながら 起きて いた。 どの 

位 寝た だろう か。 

「風が ォォ してく る ぞう」 

親方の どなり 声に 眼 を さました。 

案の定、 風 はふた たび 東に 戻って 一層 烈しく 吹きつけ てきた。 それまで トモに いた 親方と かわって、 ナガ ー は 

右手に 帆のと もづ なを、 左手に 撥 をに ぎりし めた。 そして 綱 を やったり とったり して、 風の 強弱に 帆の 向き を 合 

わせて いた。 

親方が とつぜん つよい 調子で 言った。 

もうあし ゆ 

「ミ ー チラ ー。 毛 遊びの 歌 をうた つて 見ろ」 

それ はし だいに 募つ てく る 舟の なかの 緊張 を 解く ための 配慮に ちがいな か つ た。 

ミ ー チラ ー は チマ トウ 節 を 口ずさんだ。 

ちちぬ ま さか ちいた ち じゅうご にち 

月の 真 盛い ゃ朔 十五 日 



88 



あんぐ わ ま さか 

乙女 真 盛い や 十七、 八 , 

ちいぐ わ うすむ む 

乳 小、 薄 盛い 盛い 

摑 でん 桐 でん 掴みぶ さぬ 

(月の まさかり は 一日と 十五 日、 乙女の 真盛り は 十七、 八。 かわいい 乳が うすく 盛り あがって、 さわっても 

さわっても、 いつまでも さわり 足りない) 

閣の 中に うす 紅色の 乳房が うかんだ。 それ は それぞれの 毛 遊びの 相手の 乳房な の だ。 

「こんど は カンパ チだ」 

そう 言われて、 カンパ チは 歌い 出した。 

よる は ふに 

夜 走らす 船 や 

子の 方 星 見やて 



カンパ チが そこまで 歌った とき、 親方が どなった。 

「やめろ。 なんで 小 浜 節 をうた うんだ。 小 浜 節 を 歌う と、 舟が ひっくりかえる と言われて いるの をお まえ 知らな 

いの か」 

力 ン パ チは首 を ちぢめた が、 こんど は 思い直し たように 別の 歌 をうた つ た。 



89 海の 群 星 



はいか じふに 

南風の 舟が 

+< 、, 

走ぐ りさす しゃ 

艫に いる さとが t i 

思いぬ くち 

(自 一風の 舟が 走りに くくなる の は、 艫に いる 楫 とりが 陸に いる 女の ことば かり 思 つ ている からだ) 

カンパ チの歌 は、 いま トモで 帆綱 を あやつつ ている ナガ ー をから かった ものだった。 そうなる と、 ナガ— も 引 

つ こんでいる わけに はいかな か つ た。 

ナ ガ I は ひとりのと きいつ もこ つ そり 口ずさんで いる 彼の 即興 歌 を、 大声で うたい 出した。 

一 の 橋 登て い 

東 小屋 見り ば 

いちぶ さや あしが 

自由 やならぬ 

(新 = の 一の ii^ 问の是 にの ぼって 登 野 城の ほう を 見る と、 ゆきたい 心 はやま やまだが、 思う に まかせぬ) 

ナガ— と マ 力 トの間 は 誰知らぬ 者はなかった。 ナガ ー はうたい ながら、 マング 口 ー ブの 下の、 紅色の 鋏 を もつ 

た 白い 力 二 のよう な マカト のこと を 思い 浮べた。 彼 は その 鋏に しっかりと はさまれ ている 自分 を 感じて いた。 

嵐 はます ます 烈しくな つた。 親方が トモに 坐った。 



o 「帆 を 下げろ!」 

9 , 

水力 サバ 二に はいって きた。 みんなで それ を 汲み出そうと した。 しかし 怒濤 を かぶって 舟 は 横倒しに なり かけ 

た。 全員 は 力 を ふりしぼった。 

「暗礁に 気をつけろ」 

親方が 叫んだ。 よなら 溝 はい ま 引き潮に 変り はじめていた。 南に 流れる 潮に 東の 風が ぶつつ かって、 三角波、 お 

た- た 涼のう ねり はサバ 二 をつ かんで 岩に 叩きつ けようと 待ち かまえて いた。 

- 、レン 力 (仲間) は 一 つ だ。 みんな 自分の 腹に 繩を くくれ」 

親方 はそう 命令した。 五名 はい われる とおり 繙を 腰に まきつけた。 親方 もそう した。 その 繙を サバ 二のと もづ 

なに 結びつけた。 舟と 共に 生き、 舟と 共に 死ぬ つもりな の だ。 

サバ ニはリ ー フとリ —フの 切れ目 をと おって 海岸に たどりつこうと もがいて いた。 だが 舟 は 潮と 風に ながされ、 

よなら 溝から 西 表 島の 南風 見 崎に 近づいた。 リ ー フに はものす ごい 波が たてつづけに 打ち よせていて、 サバ 二 を 

呑み こもうと する。 大波 は 三回、 五 回、 七 回と つづけて 干 瀬に 打ちつ け、 、が あっとく ず おれる。 その あと 次の 大 

波が くるまで ちょっと 余裕が ある。 漁夫 は 波 を 読み 波と 波との あいだの わずかな 隙 を ねらって、 すばやく 浅瀬に 

入る しかし 今 は、 それ もで きず、 サ バニ は 波に 翻弄され る だけだった。 

とつぜん つよい 衝撃が きた。 舟に 繙を むすびつけて、 ナガ ー たち は 夢中で 泳いだ。 しかし 泡立つ 波よ 彼ら を 無 

視 した。 

台風の 烈しい りの なか、 人び とが 家の 柱に つかまつ ている ときに、 彼ら は 南風 見 崎の 海浜に 打ち あげら, e た。 

意識不明 になった 彼らの 上 を 烈しい風が 吹いた。 足 もとから どんどん 砂に 埋まって いった。 砂 は 六 名の 身体 を か 

くした。 



91 海の 群 星 



それから どれほど 時間が 径っ たか、 嵐が おさまって、 南風 見 崎の 百姓が 浜辺の 西瓜 畑 を 見 まわりに きた サバ 

二、; A ー叟 流, e, ついていて、 その 中には 水が はいり 魚が ぴちぴち 泳いで いた。 サ バニから 跳ね だして 砂浜で うごい 

ている 魚 もいた。 それ を 拾おうと 百姓が 腰 を かがめた とたん、 砂の 中から 髪 毛が のぞき 動いて いた。 何かと 引- 

。よって 見る と、 人間の 顔が 出て きた。 あちこちの 砂 を 急いで 掘って みたら、 六 名の 身体が 出て きた。 みんな は m 

で 一緒に 身 本 をく くって いた。 地元で は、 大騒ぎに なった。 さいわいに 砂に 埋もれて いたた め、 介抱され ると み 

んな 蘇生した。 もう 少しお くれていたら、 寒さで 死んで いたにち がいなかった。 

ナガ ー は 砂から 掘り出されて 意識が 回復し はじめた ときの あの 鮮明な ようで 夢に 近い 状態 を おぼえて いる。 そ 

れは 色の ついた 夢の ようで あり、 現実ば なれした 感じの する 空 だ つ た。 嵐の あとの 真 蒼な 空が ふしぎに も 思えた _ 

未の 一. 5 つが 立ちの. まって、 海原 を 照らした。 夜明けの 太陽が あがる まえに だけ 見る ことので きる 雲が、 奔騰す る 

ように 東の 空に 現われた。 それ は ナガ ー の 意識と まじり、 ナガ ー をつつ み、 やさしく いたわる ように 見えた。 ま 

るで 力 マ の 手に 愛撫され ている ようで も あつ た。 

東 立ち 雲 や 

わが 妹 神で むぬ 

引かぎ やた ぼり 

うみない 

妹 神が なし 

(東の ほうに 湧く 雲 は 自分の 妹 神 だ。 引き あげた まえ。 尊い 妹 神よ) 

ナガ ー は 自分の まえに 力 マが あらわれ、 自分 を 助けた と 信じた。 



十八 

八重 山に 駐屯して いた 海軍の 特攻隊が、 戦後に なって 石垣 島と 竹 富 島の 間の 水道に、 特攻 用の 舟 を 沈めた。 ベ 

ニヤ 板で 作った 粗末な モ —タ— ボ ー トで、 へさき に 扇形の 一 トン 爆 彈 を 積んで いた。 この種の 特攻 用の 舟 は慶良 

間 列島で 活躍した。 アメリカの 艦隊 は その 周囲 を イカ ダで かこんで、 特攻用 舟艇の 攻撃 を 防いだ。 しかし 敗戦 直 

後 舟艇 を 処分し なければ なら なくなつ たので、 いそいで 海に 沈めた の だ つ た。 

戦後の 八重 山で は ダイナ マイトに よる 密漁が さかんに おこなわれた。 それに 使用す る 火薬 を 特攻用 舟艇の 爆弾 

からと り 出す 作業 を 命知らずの 連中が や つ ての けた。 まず 十五 ヒ 口 ほどの 海底に もぐ つ て 舟 にチ ュ ー ンを かけ、 

チヱ— ンを たぐりながら、 舟 ニ艘で 浜に ひきあげる。 それ は 夜中に 秘密のう ちに おこなわれた。 雷管 を 引き抜く 

仕事 は 命が けで ある。 ベ ニヤ 作りの 舟 体 は 燃やして 跡形ない ようにす る。 取り出した 火薬 を。 ハイン 饉 ぐらいの 空 

鑲に 詰め 直す。 あるいは 一 キンず つ セメント 紙で くくって、 織で まわり をき つくしば る。 その 中に 穴を開けて 雷 

管 を さしこむ。 雷管 は 本土の 工事現場の ものが 流れて きた。 

導火線 を 短く 切る と 海中で はやく 爆発す る。 ボラ ゃサ ヨリな ど 浮き魚 をと るのに は その 方が 便利 だ。 しかし 海 

中の 浅い ところで 爆発す ると、 三十 メ ー トル も 水柱が あがって、 水上警察が 望遠鏡で たえず 監視して いるから 発 

見され やすい。 また 潮流が あると とれない。 導火線 をな がくす ると、 深海で 爆発す るので 底の 魚が とれる。 ボラ 

のば あい は 五 センチ、 グル クン (タカ サゴ) のば あい は十セ ンチ、 力 タカシ (ヒ メジ) ゃタ マン (フエ フキダ 

ィ) のば あいの 導火線 は 二十 センチの ながさに する。 

ふつう 火薬 は 防水され た 木箱に 入れて 雷管 はさして いない。 ダイナマイト 漁のと き は、 すぐ 使える ように、 雷 

管 を さしこんだ 火薬 を 十 発ず つ 箱に つめて 入れて ある。 サバ 二に は、 海に もぐって 魚 を 探す 者、 舟 を こぐ 者、 ダ 



93 海の 群 星 



イナ マイト を 使う 者が 乗り組んで いる。 魚 を 探す 者 は、 小さな 石 を もっても ぐって いく- 魚群 を 発 J すると 彼 

よいつ たん 海面に 浮き 小石 を 投げて、 魚群の 位置 を 示す。 その 石 を 投げた 所に、 舟の 上から 別の 者が ダイナ マイ 

トを 投げる ようになつ ている。 導火線に 火 をつ ける。 火 をつ けたが 投げる 前に 消える ことがある。 そこで また 火 

をつ ける。 しかし ビ リツと 火 を 出して すぐ 消え、 けむりが 出ない。 もぐって 魚 を 探して いた 男 はは やく 投げろ と 

叫んで いる。 火が つかない 導火線 をサ バニの 上に 置いて、 箱 を あけ、 あたらしい 火薬 をと り 出し、 火 をつ けよう 

とする。 すると 火が 消えて しまったと 思って いた ダイナマイトが 爆発し、 箱の 中の 火薬に も 引火し、 サ バニに 乗 

つ たもの がみん な 死ぬ という 事故が 起る。 ダイナマイトに 火が つかないでも 海中に 投げて おけば それで 済む こと 

だった の だ。 昼間 は 導火線の 火の 花が 見えに くい。 とくに 湿気が はいって 火の 花が 見えない と、 間違い を 起し や 

すい。 

ダイナマイト を 海中に 投げて 爆発させる と、 魚群 は 爆 圧に やられて 一箇所に かたまる。 魚 は 逃げ道が 分らな レ 

まま、 まっくろに かたまって 動かない。 別の 場所に は 死んだ 魚が いる。 海中に もぐって 魚 を 拾って いる 者 もい る „ 

だが ザ-、、 二の 上から みると、 魚が まっくろに かたまって いるので、 そこ を 目が けても う 一度 ダイナマイト を 投げ 

る。 そのもの すごい 衝撃波で 海中に いる 者が 死ぬ こと もあった。 

カツ ォゃマ グロな ど 速力が はやい 魚 は ダイナマイト では 死なない。 ゆっくり 泳ぐ 魚 は 死ぬ。 フカ も 死なない が _ 

フカが ダイナマイト を 口にく わえ、 こっぱみじん になつ て 死ぬ ばあいが ある。 

ダイナマイト 漁 を やる と、 その 音 を 聞いて 目 は 悪い が 耳の よい フカが ものすごい 速さで 近よ つてく る。 フカ は 

死んだ 魚 は 食べない。 死に かけて いる 魚 をく う。 ダイナマイトに やられて、 内臓が めちゃめちゃ になり 腹 を 上に 

したり 下にした りして、 まるで 夢遊病者みたい になって いる 魚、 つまり ダ ー マ ー グヮを 食べる。 タ ー マに なって 

、, る 魚 を f — グン (铦) でと る。 ところが、 ダイナマイトの 音 を 聞きつ けて 三角の ヒレ を 見せながら あつまって 



94 



きた フカが ィ ー ダンに つき 刺そうと する 魚 もとって しまう。 魚が たくさん 浮き あがって いる ときには、 人間が 魚 

をと つてしても、 フカ は 別に たべものが ある。 しかし さいごの 一匹 を 相手に 渡さないで うばいあ うと、 フカ は 怒 

る。 十五、 六 匹 も フカが あつまる と 魚 はとれ ない。 奴ら の 食う の はは やい。 大きい もの だけ を 食う。 

魚の なかで ももつ とも 大きい ァ ー ラ (ハタ) が 岩の そばで 泳いで いると、 フカ はいきな り 尻尾で 叩く。 ァ— ラ 

は 投げ出されて、 ころころと よせられる。 そこ を フカが ー嚙 みする と、 ァ— ラは 頭と 尻尾し か 残らない。 4,、 こ、 

がぶ つ とやる ともう 何も 残らない。 

力 メ とりの 漁師が 百 五十 キン もの 力 メを フカ に 呑み こまれた ことがある。 力 メ の 首に つけて ある 綱 を 引く と、 

フカ は 力 メを 吐き出し たが、 背中 はぐ じ やぐ じ や になって いた。 

名 蔵 湾で 浅瀬に 張った ナイロン 網に かかった 魚 を 食いに フカが やって きていた。 それ を 知らないで、 漁師が 海 

にと びこんで 網 を 外そうと したと ころ を フカに やられた。 そのと き は 一 口で 食われ,, こ。 

ダイナマイト 漁のば あい は 海が にごる から、 もぐって みないと フカが いるか どうか 分らない。 もぐる と フカが 

いる ことがある。 

十九 

ヮ ン 

《俺 は 逃亡に 失敗した あと、 一年で 満期に させる からと いう 親方の 約束 を 信じて、 毎日 海に 出る とき、 柱に 傷 を 

つけて 一年 を 待った。 ところが 満期の 日が きても、 親方 は 約束 を 実行し ない。 は 親方 をな じった。 

「柱に 亥み を 入れて、 あの 日から 三百 六十 五日す ぎている のに 満期に させない のよ どうし,, こわ ナだ」 

というと、 親方 は、 

「あと 二 力 月 残って いる」 



95 海の 群 星 



と 吐かす。 俺 は、 

「おまえ だました な。 こんど 逃げる とき は、 俺 一人 じ やない。 雇いん 子 全員 つれていく からな」 

とお どした。 親方の 顔に 一瞬 おびえた 表情が 横切った が、 次の 瞬間、 親方 は 手許に ある 煙草盆 を 投げつ けた。 

俺が 首 をよ けたので、 後ろの 柱に あたった。 俺 は 猛然と 立ち上った。 そのと き、 俺 は 自分で 自分の 腕 をつ かまえ 

た。 あと 二 力 月 辛抱 すれば、 それです つかり ケリ がっくの ではない かとい う 考えが ひらめいた。 俺 は 親方の 言う 

通り 一 一力 月 待つ ことにした。》 

午の 1^ の 干 i のと ころまで いって、 小島 屋のサ バニ は アンカ ー を 降した。 そこで 竹 富 島に むかって 六 名が いつ 

せいに 泳ぎながら 貝 をと る 作業 を はじめた。 カンパ チもミ ー チラ ー も その 時 はすで に 満期に なって いたが、 小島 

星の 仕事 を 手伝って いた。 分け前 は 雇いん 子の時より は遙 かに 多かった。 先頭に なるほど、 いい 貝が とれる。 ナ 

ガ ー はまつ さきに 泳いだ。 途中、 潮が 引いたら 小さな 岩が 出る ところが ある。 その 近くに きたと きに イッチ ヨウ 

サバ (ホ ォジ ロザ メ) がかた わら を 横切った。 サバは 南 島 語で フカ を 指す。 ィ ー グン をと つてた たかう 準備 をし 

た。 フカに 出会ったら けっして あわてて はいけ ない。 櫂が あれば 櫂で、 板切れが あれば 板切れ をと つて、 自分 を 

できるかぎり 大きく 見せる ことが 必要 だ。 そうして フカと 目 を あわせて にらみあう。 フカ はぐる ぐる 二、 三回 ま 

わ つ て 自分の ながさと 比べ てみ たりす る けれども、 自分より 大きい と 思う と 去 つ ていく だが 逃げ出す と ガブ リ 

と やられる。 ナガ ー の そばから フカ は 姿を消した。 

ナガ ー はう しろから くる 力 ンパ チにフ 力が きた こと を 教えて やろうと ふりむいた。 カンパ チ は百メ ー トル はな 

れて 泳いで いた。 海の 深さ は 三 ピロ。 ナガ ー がふり むくと カンパ チは手 を あげてい る。 手が ぶらぶら している。 

てっきり タコ をつ かまえて、 その タコの 足が 彼の 手に ぶらさがつ ている のかと 思った。 というの も、 親方に みら 



96 



れ なしよう にタ コ をと つ て 背中に のせ、 ときどき 足 を かじる ことがある からだ。 こんなと きいた ずら をす るな、 

下に は イッチ ヨウ サバ が 泳いで いる ぞ。 ナガ— はそう 言おうと した。 すると ナガ ー の 方に 血が ひろがつ てきた。 

はっとして みると、 カンパ チが 足で 泳ぎ、 手 を 高く さしあげながら、 ァ ガヤ ァ ガヤと 叫んで いる。 

手 を フカに くい 切られた の だ。 血が ひろがつ てきた。 カンパ チが やられた と 思って ナガ— は 懸命に 泳いで 彼の 

ところに いった。 すると 二 頭の イッチ ヨウ サバ がお そつ てきた。 

フカが おそうと き は、 それまで 青黒かった 身体の 斑点が 血の 色に 近い 赤色に かわる。 最初の 一頭 目の フカ はィ 

—ダンで 目 を 突いた。 二 頭目 はかた わらの カンパ チを 食おうと したが、 ナガ ー はやつ とふせ いだ。 そして フカの 

胴体に ィ ー ダン を 深く つっこんだ。 フカ は ィー グンを 刺された まま 逃げた。 - 

そこで 大声で 叫んだ が、 仲間 は どこに もい ない。 やっと 舟のと ころまで いって、 親方と 共に カンパ チを 引き あ 

げた。 カンパ チの手 はだら りと さがった ままだった。 

カンパ チが やられて 気が おさまらない 雁 いん 子た ち は、 翌日、 フカ をつ りあげようと 考えた。 豚肉 を 三 キン 

ほど 買って きて、 五つに 切って 投げる と、 一匹の フカが かかった。 ィ —ダンで 眼 をつ ぶした フカ は 姿 をみ せなか 

つ た。 

そおから しばらく 時化が つづいた。 海に 出ない 日々、 ナガ ー は マ 力 卜と 会った。 モウ ァシ ュビの あと、 海ヌ: や 

木蔭で あいびき を 重ねていた。 また 力 マと も 会って いたが、 力 マ は 無口な ので 何も 語らない。 ナガ— が マ 力 卜と 

会って いる こと を 非難す るよう な こと は 一切 口にしない。 しかし その 眼 付から は、 あたたかみが 消え、 何 かする 

どくな つていた。 その 眼の 色 を どこかで みた ことがあ ると、 ナガ ー は 思った。 思い当つ たの は、 彼が はじめて 海 

に 投げ こまれて:,^ きをなら わされた ときに、 舟の まわり をぐ るぐ る まわりながら 見上げた 彼に、 親方が 答えた と 

きの 眼の 色だった。 それ は 海の 眼だった。 



97 海の 群 星 



朋輩の 海ャ カラた ちが 「ナガ ー はこの 頃 どうも 夜が おそくて 仕事に 身が 入らない」 などと 力 マの まえで 聞え よ 

がしに 言つ たという こと は 充分 あり 得る こと だ つた。 力 マ は ナガ ー が 他の 女と 通じてい る こと を あたりまえ とす 

る 訳に はいかない。 しかし 力 マ は ナガ ー に 向って マカト のように ふるまう ことができない。 血の タブ ー を 守らな 

ければ おなり 神の 効力が 失われる と 彼女 は 信じて いた。 実際の 兄と 妹で なくても 兄妹の ように ふるまわなければ 

ならない。 力 マの さびし さに ナガ ー は 気がつかなかった。 しかし 逃亡に 失敗して から、 彼 はもう 希望 をな くして 

いた。 その 荒れた 彼の 気持が 力 マに も 反映して いたの か。 それ を 知る すべはなかった。 

あのと き ナガ ー は フカ を 見た ので、 海底の 大きな 貝 はとらなかった。 しかし あとから 泳いで いた カンパ チはそ 

の 貝に 目 を とられて いたた め、 フカ を 見なかった。 そこで 貝 を 採ろうと 右手 をのば したと きに フカに やられた の 

だ。 

カンパ チが手 をく い ちぎられてから 半月 目、 小島 屋の サバ 二 はまた ゥ マノフ ァ ノビ ー で 貝 採り をお こなった。 

近くの 海で ダイナマイト を 使って いる サ バニが いた。 ナガ ー が 貝 を 採って いると、 ものすごい 水し ぶきが あが 

っヒ。 その 音 を 聞いて、 ナガ ー がィ ー ダンで 片目 をつ いて 怒らした あの フカが とつぜん 姿 を あらわした。 潮の 流 

れの 上に いた ナガ ー は 下流に 逃げた。 かたわらにいた 雇いん 子の 一 人が 叫んだ。 

「銭 玉の ある サバ だ! イッチ ヨウ サバ! 人食い サバ だ!」 

そのと き ナガ ー はふと 思い出した。 平久保 崎で 船が 難破して、 夜 八 時 頃、 四、 五 人が 行方不明 になり、 そのな 

かに 母親と 彼女の おんぶした 子どもが まじって いた。 平 久保は 裏 石垣の なかで も 最も 辺鄙な 場所だった。 八重 山 

では 死ぬ こと を 「平 久保 へいく」 と 言ったり した。 つまり 平 久保は 「あの世」 の 代名詞だった。 人 を 食った サバ 

はかならず あがる。 その 明け方、 御 願 崎 付近で 釣り あげられた。 人食い サバは そこまで 泳いで きたの だ。 釣り あ 

げられ た 三 間 も ある イッチ ヨウ サバ のなかに は、 帯 や 髪 毛 や 歯、 足の 爪、 それに 子どもの 衣服な どが 入って いた 



「人食い サバ が あが つ た ぞう」 

みんな は 口々 にそう 言い あいながら、 それ を 見に いった。 ナガ— もミ ー チラ— といつ しょに、 

r サバ に 食われた 親子に あやか つ てこよう」 

と 言 つ た。 

フカに 食われた 人 を 見に いこうと いう 意味な の だが、 それ を 彼 は 「あやかって こよう」 と 言って しまったの だ。 

それ は 意味の 不明な 言葉 だ つ た。 

「チ ュサ チムヌ ュムナ (人より 先に 物 をい うな。 考えても の をい え)」 

という 格言 を 思い出した。 今 その 不吉な 言葉が 実現しょう としてい る。 

フカ は 一度 その 人の かたわら を 横切る。 そして 二度目に 裏返って 腹 をみ せ、 人 をお そう。 ナガ ー は 赤い ふんど 

し をつ けて いたが、 片目 を やられて 狂った フカ は、 その 色に 恐怖 を 抱かなかった。 

「い つもと ちがう」 

何 か 水が 彼に は こわばつ たものに 感じられた。 フカが 迫って きた。 フカの 身体の 斑点 は 真 赤に なった。 ナガ— 

は、 それまでに 力 ミソリ のように 鋭く 切れる 珊瑚礁の 岩で 傷ついて いた。 フカ は その 血の 匂い を かぎつけ たの だ。 

海 は 無数の 眼と なって 彼 をお どかした。 孔雀が 羽 をた てるよう に、 華やかに みえた。 と 思う と、 鏡の ように ひや 

やかに 散り散り になった。 そして おそろしい 声で 吼 える 洞窟の 怪物と なった。 あの 海の 眼が 彼 をみ つめていた。 

それ は 彼 を 海に 引きずり こみ、 彼 を 一人 まえの 男に 仕立てた、 あの 慈悲と 残酷と を かねそなえた 海の 存在で あつ 

た。 海ャ カラと いう 言葉に こめられた 羨望と 誇り。 それし かない 彼の 身体 はこれ まで 誰よりも 優美に、 力強く 海 

を 征服し、 海と とけあつ ていた。 それな のに、 今 海が 彼に あらが おうとす るの は なぜだろう。 いな、 彼が 海 を 硬 



99 海の 群 星 



い 物質の ように 抵抗力の ある ものと 考える 理由 は 一体 何だろう か。 彼 は 自分の 足の 踵に 全力 を 賭け、 そして まさ 

に 逃げ切ろ うとした。 , 

そのと き、 力 マ はちょう ど 昼寝 をして いた。 力 マ ボコ屋 は その 日 材料がなくて 休みだった。 彼女 は 朋輩と 一緒 

に 海の 見える 家の 縁側で うたたね をして いた。 サ バニが 遠くで 漁 をして いるの がみえ た。 サ バニ は 一様に 赤褐色 

の 帆 だが、 近よ つてく ると、 その 帆の かっこうで 見分けが つく。 彼女 は ナガ ー たちの サバ 二 だとい うこと も 知つ 

ていた。 

力 マの 夢の なかで サ バニの 帆が 大きくな つて、 一面に ひろがり、 そして 透きと おった。 とおもうと 赤褐色の 帆 

は 暗 色に かわり、 暗くな つた。 そして 舟 は 横 ざまに たおれた。 舟の なかに いた ものた ち は 海に 投げ出された。 

黒い 海の 面に 白く 彼ら は 斑点の ように 浮んで いた。 東の 方の 空に 暴な 雲が 立ちのぼった。 それ はいつ か ナガ ー 

が 嵐の 日に みた 雲と おなじ だ つ た。 

「あがりた ちぐむ や わがうな いでむ ぬ 引かぎ やた ぼり うみない がな し」 

力 マ はいそいで ナガ ー をサ バニの 中に 引き あげよう とした。 ナガ— の 手と 力 マの 手が ふれた。 その 髪 は 波に な 

ぶら れ ていたが、 横 ざまに なった 顔で ナガ ー は 力 マの 眼 をみ た。 もうす こしで 舟べ りに ナガ ー の 手が かかろうと 

した。 

そ の とき、 

「力 マ! どうしたの。 何 をうな されて いる。 どうしたの」 

朋輩が 力 マ の 身体 を ゆすった。 

「あんた、 わるい 夢 をみ ていたん だね」 



100 



「いま、 兄さん を 救おうと していた のに、 なぜ 私 を 起した の。 もう 一歩のと ころで 救 けられた のに、 救 けられた 

のに!」 

力 マ は、 自分の 胸 を 叩き、 狂った ように 足ぶ みした。 そしてい つたん 朋輩に 身 を 投げた が、 また 身体 を はなし 

た。 浜に 走り出た がまた 帰った。 一番 座の 柱に かけて ある 双眼鏡 をつ かんだ。 それ はとき どき そこの 家の 親方が 

沖 をみ るのに 使う ものだった。 彼女 は 双眼鏡 を 手に して、 石垣の 上に よじのぼった。 そして 沖 をみ た。 双眼鏡に 

リ ー フの波 を 越えて、 潮に けむった 沖が みえた。 赤く 染めた 見 おぼえの ある 帆が、 こちらに 帰って くるの が 見え 

た。 それ は 弔旗の ようにう なだれて いた。 親方 はじめ シン 力の 者の 顔 はみ えたが、 ナガ ー の 姿 は どこに もなかつ 

た。 

二十 

ナガ ー の 死んだ 日 だけが 空白で、 それ 以外 は 昨日に つづく 明日だった。 親方 は 一日 漁 を 休んで 知り合いの 医師 

の 所で 死亡診断書 を 書いても らうと、 それ を 役所に 届けた。 奄 美大 島に いる ナガ ー の 親許に は 知らせた が、 何の 

返事 もこなかった。 八重 山の 青い 海と 真白い 雲の 変り ない 風景が、 かすかな 暗影の きざし を 孕んだ の も 束の間、 

ナガ ー の 死 は 忘れられた。 

しかし 彼が 死んで から 半年 余りの 間に、 不幸が 小島 屋の 家族 を つぎつぎに 見舞った。 最初 は 親方の 弟で、 ナガ 

1 が 逃げた ときに 糸満 港に 居合わせ、 ナガ ー を ハヤ ブサ 号で 八重 山に 送り かえした その 男が、 夜の 石垣 港の 埠頭 

を 酔って 歩いて いて、 海に 落ちた。 その はずみに 繫留 して ある 運搬 船の 底に もぐって しまったので、 あがれな く 

なって 死んだ。 それから 親方の 女房が リュ ー マチ を 煩った。 気丈な 女だった が、 杖に よりすがりながら 歩いて い 

る 姿 を 見受ける ようになった。 親方の 伯父 夫婦が さした る 原因 もな く、 あいついで 死んだ。 おまけに 嵐のと き、 



買った ばかりの 小島 屋の サバ 二が 海に 流された。 

小島 匿の 親方 は、 刺 網に かかった 魚 を 籠に 入れて いるよう なと き、 ふと 横切る 悪い 想念 を そのたび ごとに 打ち 

消そうと つとめた。 しかし 彼と 道で すれちがう 近所の 者が 「お前の 家 もほんと に 御難つ づき だな」 と 挨拶し なが 

ら、 どこかに 彼 を 咎める 眼 付 をして いるの を、 親方 は 見逃さなかった。 それが 自分た ちにまで 災いが ふりかから 

ないよう にとの 願望から 発せられた、 いたわりの 言葉で ある こと を、 親方 は 感じと つていた 

ナガ— の 浮ばれない 霊に 対して、 小島 屋の 親方が 何らの 措置 もとって いないと いう 暗黙の 非難が、 はじめて 口 

にされ たの は、 小島 屋の 本家の 主人の 六十 一 歳の i 年 祝に 親戚 一 同が あつまつ た 席上 だ つ た。 床の間 を 背に し 

た 主人が 祝賀の 言葉 を 受けて いる あいだ、 献杯が おこなわれ、 吸物の 椀の ふたが 取られた。 脇の 下座に は、 三絃 

を もった 壮年の 男た ちが 紋付を 着て 端座し 力 ギヤ デ風、 赤 馬 節、 鷲ぬ 鳥 節、 鶴 亀 節な どのお めでたい 歌 をうた つ 

た。 

ヌ宴 がた けな わにな り、 泡盛の 酔が まわった 頃、 日頃 ずけずけと 物 を 言う ので ハチ ャ ー (蜂) とお そえられて 

いた 遠縁の 老人が、 足 を ひきずつ ている 親方の 女房 を、 痛々 しそうに 見て 言った。 

「ナガ ー が 死んで から 半年 以上 経つ が、 ヌ ギフ ァ はした のか」 

それよ さりげない 問い かけで あつたが、 親方に は 詰問と して 受け とられた。 居合わせた 者た ちの 視線が 自分に 

集中す るの を おぼえた 親方 は 思わず 目を伏せた。 

星 「ナガ ー の 死んだ の は、 みんなが 漁に 出かける ところ だ。 もしもの ことがあったら どうす る。 おまえが ナガ ー の 

I たましい 浮べ をし なかった から、 と 非難され るぞ。 海に 死んだ 者 は、 いつまでも 思いが 残って いるから な」 

海 不慮の 死 をと げた キガ ズン (怪我人) のた ましい は、 死の 現場に 付着して いて、 そこ を 通りかかった 者 を 容赦 

^ なく 引きずり こんで、 おなじ 死に目に 遭わせる と、 おそれられ ている。 その わざわい をの ぞくた めに、 場所に 固 



102 



^.ゎしたキガズ ンの死霊を抜きとる儀式をしなければならぬ。 それ をヌ ギフ ァと 呼んで いる。 

r 屋慶 名から きた モ ノ シリの 婆に 一 応 聞いて みろ」 , 

老人 は 小島 屋の 親方に 言った。 さきほどまで にこやかな 顔で 周りの 者と 談笑して いたのと うってかわ つ たきび 

しい 調子だった。 その 声に は糸満 漁夫の 社会秩序 を 乱して はならない という 決意が こめられ ていた。 

「力 マ ボコ屋 の 二階で 占い をして いる 婆 か。 うちの 嬉 がよく 知っている」 親方 は 平常の 調子 をつ とめて 失わずに 

答えた。 「あの 婆の ハン ジ (判断) は与那 国ゃ宮 古から きた モノ シリ より は、 ずっと あたる という 評判 ビー 

沖繙 本島 東岸の 与那城 村の 屋慶名 は、 ユタ (モノ シリ) の 巣と いわれて いる。 そこの 人び とが 石垣 市の 新 川 部 

落のと なりの 屋慶 名に 移住して 開拓に 従事して きた。 その 中に まじって いた ユタ 占いの 老婆 も はじめは 農業 をし 

ていたが、 夫に 先立 たれて 身より が なくなつ たので、 力 マの 雇われて いる 力 マ ボコ屋 の 二階 を 借りて、 廿ー すぎし 

ていた。 

糸満の 漁師が 「旅」 で 幾 月 も 家 を 空ける あいだ、 女房た ち は、 ユタのと ころに 出かけて は、 何かと 相談 相手 こ 

な つ て もら つていた。 それが 男た ちの 留守中の 彼女た ちの 気晴 しで もあった。 

本家での 祝宴 を 勿々 に 切り あげる と、 小島 屋の 女房 は 力 マ ボコ屋 の ユタのと ころに 出かけた。 せまい 梯子段 を 

あがる と、 二 間つ づきに なって いる 二階の 奥の 祭壇に 近く、 小さな 老婆が 坐って 祈り を あげてお り、 うしろに は 

ハン ジを もとめに きた 女が かしこまって 控えて いた。 ふすまで 隔てられた 手前の 部屋に は、 四、 五 人の 客が つめ 

かけ、 盆の 黒砂糖 をつ まみながら、 順番 を 待って いた。 

小島 屋の 女房の 番 がきた。 女房が 足の 具合が 一 向に 渉々 しくない と 訴える と、 ュ タは 福禄寿と いう 大文字 を 書 

いた 懸 軸の まえに 線香 を 立てて しばらく 祈った のち、 祭壇の 上の 花 米 を ひとつまみ とって、 盆の 上に 散らして そ 

の 模様に じっと見 入って いたが、 



I03 ifS の 群 星 



「お前の 家で は、 何 か 海の 仕事に 変った ことはなかった 力」 

と 聞、:. こ。 ぞう 言われる と、 小島 屋の 女房 は ナガ ー のこと をく わしく 答えない わけに は レカカ 力った 

「その 羅 いん 子が サバ (フカ) に やられてから、 ヌ ギフ ァ した か」 

「まだ …… していない」 

女房 は おそるおそる 返事 をした。 

「竜宮の 神 さまから、 苦情の 中し 立てが きている」 

ュ タは おごそかな 調子で 言った。 

「親方の 弟が 酒 を 飲んで 海に 落ちて 溺れ 死んだ の は、 海に 障りが あるから だ。 お前が リュ ー マチで 片足が 不自由 

なの も、 藤 いん 子が サバに やられた とき、 逃げよう として 逃げ切れなかった 恨みが、 こもって いるから だ」 

小 島 屋の 女房 は 自分の 病気の かくれた 真の 原因が そこにあった のか、 と 思い当って 蒼くな つた。 勝 誇った ユタ 

はさら に 追い打ち を かけた。 

「竜宮の 神 さま を これ 以上 怒らせない ように しないと、 これから 小島 屋に はもつ とお そろし いこと が 起って、 立 

ちゆ かなくなる …… 」 

ト^!!?匿の女房ょそれを間くと、 そそく さと 家に 帰り、 待ち かまえて いた 親方に 逐一 報告した。 ユタの 言葉に 何 

か 思い あたる 節がない かと 考えて いた 親方の 頭に 突然 ひとつの ことが 閃いた。 それ は 八重 山の 労働 基準 監督 署が、 

年少者の 労働 禁止に 違反 するとして、 糸満の 漁師の 雇いん 子 制度に きびしい 眼 を 光らせ はじめた という 事実 だつ 

た。 

満期 後 も 小島 星の 仕事 をた すけていた カンパ チゃミ ー チラ— や ティ ー グヮ ー が、 ナガ ー の 死 を 契機に 独立した 

虫 立して 海の 仕事 を すればず つと 収入が よくなる ので、 そのき つ かけ を 狙つ ていたの た。 



4 ..T 島 星で はたち まち 人手不足に 陥った。 それに 不幸つ づき だとい うので 苛々 した 日々 を 送って いた 親方 は、 決 

I 心して 彼の 父の 郷里で ある 奄 美大 島に 出かけて いき、 前借金 を かたに 三人の 少年 を 雇い入れ てきた。 また 所用で 

沖緦 本島に 出かけた とき、 六 千円の 金が あれば 救われる という 窮乏した 家の 話 を 聞いて、 親方 は義俠 心から 即座 

に 金 を 渡し、 引き換えに 少年 を 雇う ことにした。 四 人の 少年が 小島 星に 姿 を 現わした 頃から、 八重 山の 労基署 は、 

雇いん 子 を 法に 抵触して いるから 親許に かえす ように 糸満 漁夫に つよく 勧告し 始めた。 小島 屋の 親方 は、 罰せら 

れる かも 知れない 不安 を 拭い 去る ことができなかった。 さりと て 折角 やとい 入れた ばかりの 雇いん 子 を、 元手 も 

とらずに かえした く はな か つた。 しかし 力 マボコ 屋のュ タが、 今にお そろし いこと が 起る と 言った 言葉が しきり 

に 気になった。 

一 一十 一 

ヌ ギフ ァの 日、 新 川の 海岸に あつまった 小島 星の 家族 や 親戚 や 近所の 漁師の 中には、 ハ チヤ— と 呼ばれる 老人 

も カンパ チゃミ —チラ— や ティ ー グヮ ー など もとの 雇いん 子 もま じっていた。 ュ タの 老婆が 女た ち を 指図し なが 

ら 砂浜に ムシ 口 を 敷き、 小さな 祭壇 を こしらえ ている あいだ、 男た ち は、 その 足 許に 波が 銀色の 小魚の 死骸 を は 

こんで くる 波打 際に 立って、 額に 手 を かざし、 潮で けむって いる 沖の 方 を 眺めた。 漁夫た ち は 暇 さえ あれば 浜に 

出て 海 を 見る 日頃の 習慣に したがつ たにす ぎなかった。 ナガ ー の 死んだ 午の 方の 干ぎ に は、 白波が あがって いた。 

「今日 も あのび つ この 鳥が きている ぞ」 

ミ ー チラ ー が 指さした。 二、 三十 メ ー トル 先の 波打 際 を 白と 黒の 羽 色の イソ シギが 片方の 足 を 引きずる ように 

歩いて いる。 . 

昨年の 冬、 ナガ ー がサ バニの 上から 砂浜に 投げた 櫂の 先が、 運 わるく イソ シギの 群の 一羽に 当って 足 を 傷つけ 



I05 海の 群 星 



たこと があった。 ふたたび 渡りの 季節に なって、 そのと きの イソ シギ がまた きている ことに ミ ー チラ Is 気力つ 

いたの、 ヒ。 その 傍に 立った ティ ー グヮ ー も、 びっこの イソ シギを しげしげと 眺めた。 ティ ー グヮ ー は 三絃 を 爪弾 

きする のが 得意だった が、 iJii だけ はけつ して 弾かなかった。 鳥が 死者の たましい であると する 考え は、 南 島 

でよ 今 も 生きて おり、 白鳥 節 は、 死者に 呼び こまれる 節 歌と いわれて、 きらわれ ていた 

ユタよ ムシ 口の 上に 坐り、 身づくろいし、 酒 や 米 や 塩の 茶碗 をなら ベた 高 膳 を まえにして、 香炉に 線香 をた て 

ると 一 心に 祈り はじめた。 ユタの 口から ヌ ギフ ァ の 呪文が 洩れた。 

フ: 呂の神 さま、 亥年 生まれの 男の マ ブイ (たましい) がま だ 成仏で きないで います。 どうか その マ ブイ を ここ 

までお 連れして 下さる ようにお 願いし ます」 

ユタ はそう 唱えながら、 香炉の 線香の 燃え 具合 をし きりに 気にした。 死者の マ ブイが 線香に のりうつ るの だ。 

線香の 火が 浜風に 煽られて、 赤くなる たびに、 ナガ— の たましいが 呼吸して いるよう だった。 ユタ は 紙 銭 を 燃や 

し、 神酒の 泡盛 を かけた。 その あと、 海浜の 小石 を 四十 九 個 ひろって、 白木の 箱に 入れる ように、 小島 星の 親方 

に 命じた。 ヌ ギフ ァの饞 式 は 終った。 うすらさむい 日だった。 浜の あちこちで、 ト ー ガシ チヤ ー (ォ ニヒ トデ) 

を 集めて 焼く 光景が 見られ、 それが 何 か 物 哀しかった。 

一同 はもと きた 道 を とってかえした。 先頭の ユタ は 歩きながら、 悪霊 払いの 花 米 をし きりに 撒いた。 小島 屋の 

親方 は 神妙な 面 もちで、 ナガ ー の 魂 石の 入った 白木の 箱 を ささげた。 背の 高い ハチ ャ ー が、 ナガ ー の たましいの 

|3 り 移った 線香の 火が 消えない ようにと 気 をく ばりながら、 香炉 を 手に もった。 小島 屋の 女房 は 足 を ひきずりな 

がら あるく ので、 行列の いちばん あとに なった。 

行列の 中 ほどに いた カンパ チが、 

「ナガ ー よ 俺の ために 身代りに なつたん だ。 俺が サバに やられ かかって いたの を 助けよう としたば かりに、 その 



o6 



サバ につけ 犯 われて 死ん だんだ」 

と 小さく 叫んだ。 しかし 誰も その 言葉に 関心 を 払わなかった。 誰かが 誰かの 犠牲に なり、 身代りになる という 

こと は、 八重 山の 海の 世界で はあり ふれた ことにち がいな か つ た。 

白木の 箱 は 力 マ ボコ屋 の 二階の 奥の 祭壇に はこばれた。 香炉 は その 脇に 安置され、 白衣の ユタ は あたらしく 十 

二 本の 線^ を 立てた。 まだ 満期に ならない ので、 ナガ ー の 死後 も 力 マ ボコ屋 に 雇われて いた 力 マ は、 その 日の 参 

会 者が 直 会す るた めの 膳 を、 下の 調理場から 運び あげていた。 祭壇に も 米の 飯 や 豆腐 や 味 をつ けないで 煮た 豚肉 

や 茶碗に 入れた 酒が 置かれた。 

ュ タ はさき ほどから 祭壇に むかい 目をつぶ つ て 一 心に 祈り を あげていた。 そのうち 合わせた 手が 小刻みに ふる 

え、 抑え 切れない 位に 烈しくな つてい つた。 襟 を かき 合わせ、 髪の ほ つれ を そろえ、 元の 状態に かえろう とする 

が、 ふるえ はと まらない。 そうして いるう ちに、 こめかみ は 引きつれ、 目 はつり あがった。 ナガ— の 霊 を 鎮めよ 

うとして、 それが でき なくなつ たの だ。 

とつぜん、 

「この 部屋の 隅に マ ブイが 立つ ている」 

と ユタ は 叫んだ。 重苦しい 沈黙が 一、 二分 つづいた。 ユタの 祈りの 声 は 聞き とれぬ 位 低くな り、 とぎれて はま 

た つづいた。 線香の 句い は 息苦しい ほど 立ち こめ、 祭壇に 置いて ある 鏡 や 水晶 玉が 妖しい 光 を 放ち はじめた。 ュ 

タ はとつ ぜん 蒼白な 顔に なり、 痙攣す るよう に 見えた。 みんな は 固 唾 を 呑んだ。 ユタの 口から 呻きと もっかない 

声が 洩れ はじめた。 

「ナガ—、 俺 は ::: ナガ—」 

部屋の 隅に いた 力 マが 膝で にじりながら 最前列に 進み出た。 その 眼 は、 見えない 一点 を 見す えた まま、 動かな 



かった。 

「兄さん、 もう ちょっとの ところで、 助けて あげられなくて 」 

「俺 も 力 マ が 助けて くれる と 思 つ ていた 」 

「兄さんの 手と 私の 手が、 触れる ばかりだった のに」 

ュ タの 老婆に のりうつ つ た ナガ ー の 声 は 力が なか つ た。 

「"で-そい かかって きたの は、 俺の ィ ー グン (铦) で 片目 を つぶされた サバ だった。 俺の 身体が 半分 食い ちぎられ 

ると、 残りの 身体 は 他の サバが やって きて、 もっていって しまった。 俺 は …… 俺の マ ブイ は それ を 追い かける わ 

けに はいかず、 しばらく 海面 を ただよつ ていた。 流れ 藻が 俺の マ ブイの 周り をと りまい た。 褐色の 雲が 波に 映つ 

ていた。 やがて 海の 面 は とつぷり 昏れ、 微かな 光 は 消えた。 海の 群 星が またたき はじめた。 俺のば あさんが 九 年 

I- の 小さな 実 を、 麻糸で 貫いて 首飾り をして いるの を 思い出した。 死んだ ばあさんが 途方 もな く 大きく、 間近に 

迫って 見えた。 力 マ、 おまえに も 言った ことがあった。 海の 群 星 を はじめて 見た とき、 それ はサ バニに 乗って 海 

の 仕事 をす る 雇いん 子 たちのよ うだった。 俺が 逃げた とき は、 群 星 は 俺 をつ かまえに 追ってく る 盗人 星の ように 

思えた。 今 はば あさんの 首に 飾られて いる 九 年 母の 実の ように 変った。 そのうち 俺の マ ブイ は 海底に 沈みながら 

漂って いた。 迎 りついた ところに なぎさが あった。 海の 底に もう 一 つなぎ さが あるの だろう か。 ふしぎな こと だ 

と 思って いると、 ばあさんが 迎えに きている ことが 分った。 ひっつめた 髪 をし、 たて 縞の 着物 を 着、 首に は 九 年 

星 母の 首飾り をして いた。 その 黄色が なつかしかった。 ここ は どこ だと 聞く と、 ばあさん は フシ マ だよ と 言った。 

I フシ マと は 何の ことかと 聞く と、 島の こと だよ と 答えた。 海面に 頭 を 出して いるいく つもの 干 瀬に、 白波の 

当ってく ビ ける 光景が まるで It 星の ように 見える から、 星ぬ 島と 呼 ぶんだ よ、 星ぬ 島 は 後生の 入口な のさ と 答 

7 ぐしょう 

W え,, こ。 そうすると 俺が 群 星 をみ て、 おばあさんの 首飾りの 九 年 母 を 思い 浮べた の は、 じつは 後生の 入口に ある 干 



:o8 



瀬に 白い 波が あが つてい る 光景 だ つたの だろう か。 , 

いっか 小島 屋の 親方に 連れられて、 宮 古の 池 間 島に 『旅』 をした ことがある。 池 間 島の 青 籠と いう 場所 は 潮の 

さしてく る 入江に なって いて、 波打 際と 向いあった 岩壁に 点々 と 洞穴が あった。 子どもの 時に 死んだり、 海で 事 

故 死したり した キガズ ンは、 一 族の 墓に 入れて はもら えず、 この 青 籠の 入江の ほとりの 岩壁の 隙間に 投げ こまれ 

た。 俺が 湿った 水草の 上 を 歩いて いくと、 岩壁の 下に 洞穴が 開いて いて、 潮水が 入り こんでいた。 上方に はァダ 

ンの 木が 茂って いて、 熟れて 赤く かがやく 実が 生って いた。 潮が みちて くると、 波打 際にい る 白い 鷺が 飛び立つ 

ていく。 夢の ように 思われた。 湿原に は 赤い 牛が 草 を 食んで いたが、 その 眼が じっと 俺 を 見つめて いた。 俺はフ 

シ マ がその 風景と 似て いる こと を 思い出した。 

ばあさんと 俺との 間に は、 潮が 川の ように 流れて いた。 ばあさん は 言った。 おまえ はキ ガズン だから、 生きて 

いる 者が だれか 竜宮の 神に お願いして くれなければ、 この 潮 川 は 渡れな いんだよ。 俺 は 後生 は どんなと ころ かと 

聞いた。 ばあさん は 答えた。 なに、 生きて いると きの 世界と ちっとも 変り はない さ。 五月 四日の ハ ー リ ー 船の 競 

走のと き は、 後生で もハ ー リ— 船の 競走が あるんだ よ。 後生に は 学校 も あれば 警察 も ある。 太陽 だって ある。 だ 

けど あつく はない。 霧が かかった ように 照って いる。 みんな 旧盆の 行事の あんが まあの 面 そっくりに 白い ひげ を 

生やした 爺 や 白い 髪の 姿の ような かっこう をして いる。 後生の 風景 は 夕 腿の ような 感じ だよ。 後生の 者が 生きて 

いる 人間に 会いに いくと きがある。 せまい 道で すれちが うとき は、 後生の 者の 方が 道の わきに 立って、 生きて い 

る 者に 道 を ゆずる ことにし ている。 生きて いる ユタが 後生に やってくる こと も ある。 両手 を ひろげて 空 を とんで 

くる。 後生から かえると きが むずかしい。 後ろ を ふりかえったら 後生から 戻れな くな るんだ よ」 

ュ タは 祭壇の 方に 向いて ながなが としゃべ つ ている うち、 ナガ ー のこと でな く、 自分の こと を 言つ ている よう 

になった。 一息つ いて みんなの 方に 向き 直った ユタの 顔 は、 しだいに 平常に 戻って いった。 小島 屋の 親方 は 祭壇 



星 

泡 



に 近よ つて、 ナガ 1 の マ ブイの ついた 線香の 火 I やさない ために、 あたらしい 線香 を 香炉に 加えながら、 ユタ 

にたず ねた。 

「ナガ ー の やつ は、 今日まで 後生の 近くに いたんだ ね」 

「私 は、 何 を しゃべつ たか 分らない」 

と ユタ は 答えた。 

「ナガ ー も 満期 問 近だった から、 色々 やりたい こと もあった だろう よ」 

ヽ チ ャ ー が 皺 だらけの ぶ 厚いての ひらで 顔 を こすりながら 言った。 

「そのこと も 聞いて みょうじ やない か。 思い残す ことがあ ると、 それが いつまでも 尾を引いて、 たたられて は 困 

るから 一 

それが みんなの 意向で も あると 知る と、 ユタ はまた 祭壇に 向き 直って 祈り 始めた。 し. ばらく すると、 また 前の 

「満期に なって 俺が 一番 先に 買いたかった の は、 鏡と ボ了ド だ。 t なそう だった。 俺た ちの 髪 は 潮水 をう かぶ 

るので 馬の 毛の ように 赤くな つてい るから、 恥 かしくて しょうがなかった。 映画館 ゃ舊 小屋で も イト マン 売り 

をされ た 子ども だとい うこと がすぐ 分る。 だからまず 毛染め をして、 それ かわらせ 柳 屋のボ 了ド をつ ける 人の つ 

ナ ている ポ了ド の 句い を嗅 ぐと それだけ でも ふらふらした。 その 匂いが 幸福 そのもの のように 思われた ボマ 

1 ドの次 は 自転車が 買いたかった。 いつも 海に もぐらされ ている 俺た ち は、 固い 土の 上 を どこまでも 真直ぐ にす 

つお.. よす ことに、 あこがれ ていた。 おなじ 年頃の ものが 自転車で 通り を 走って いる 姿 をみ ると ねたまし さ をお ぼ 

えず こ はすまなかった。 また 腕時計が ほしくて たまらなかった。 時間 を はかる の は、 太陽 や 月 や 星の 具合で 知る 

ことし かで きなかった。 いつも 時計がない ので 不便だった。 一年中、 裸で くらして いたから、 洋服 も ほしい 俺 



だけ じ やなく 雇いん 子 は みんなお なじ だ つ た。 

俺 は 満期に なったら 南方の 新 南 群島、 フィリピン、 豪州、 ニュ ー ギニァ などに 出かけて いって カツ ォ をつつ. こ 

り、 もぐって 貝 をと つたり する 漁船に 乗り組み たいと 思って いた。 いったん 出かけたら 三 力 月 は 帰って これない。 

しかし それで 金 をた くさん 貰える から、 奄 美大 島のお 母さんに 金 を 置いて、 その 余りの 金 はせ つ と宁 める」 

力 マ がす かさず 聞いた。 

「それから?」 

「それから、 力 マと 一緒になる」 

「でも 何 をして くらす?」 

「俺 はや はり 海人 だ。 海ャ カラ だ。 海の 仕事 をして くらす よ I 

「私と 一緒にな つても、 他の 女が ただ じ や 置かない さ。 力 マ ボコ屋 の 女た ち も 兄さんが 二度 も 逃げた というので、 

まるで 英雄の ように 見て いたさ。 それに マ カト のこと を 聞きたくない? I 

「別に 間きたい と は 思わな い」 

「うそをつ いている。 教えて あげよう か。 マカト はもう 八重 山に はいない よ。 那覇 の特飲 街に つとめて いる。 兄 

さんが マ 力 卜と 付き合わ なきや、 いや、 私が マカト のこと を 少しで も 考えずに 済んだ のなら、 私 は 兄さん を 助け 

られ たか も 知れない。 もちろん、 私 は 一生懸命に 海に 落ちた 兄さん を 引っぱり あげよう とした。 でもとう とうだ 

めだった。 マカト のこと がなければ、 邪魔され ずに、 助けられた かも 知れない。 私 はくやし かった。 私 は 兄さん 

を 守ら なきや ならない。 それが おなり 神の 役目 さ。 他の 女が 兄さんに 指 一本で も 触れる の はい やなのに、 私 は 動 

いて はいけ な いんだよ。 兄さん を 守る ために は、 それ も だまって みていなければ ならない のさ」 

力 マ は 満座の 者が 聞き入る なかで、 いきどおり をぶ ちまけ た。 それ は 奇妙な 風景だった。 ナガ— のか わりこ ュ 



Ill 海の 群 星 



タ がいて、 その ユタが ナガ ー になり、 力 マと 問答 を かわして いるの だった。 ユタ は 力 マに 責められ ると、 苦しぎ 

な 身振り をした。 そうして 次第にし どろ もどろ になり、 声 をつ まらせ、 居直った ような 格好に なり、 だまりこん 

でし ま つ た。 

「ナガ ー の 思い も 晴れた ろうから、 この辺で よかろう」 

ハ チ ャ ー が 口 を さしはさんだ。 

「それに、 力 マの ほう も 気が 晴れたろう からな」 

ハ チ ャ I は 言葉 を 添えながら 力 マ にむ かつ て 微笑した。 

一 一士 一 

新 = り 序 は 夕方に なると、 あいかわらず 賑わった。 昼間の 労働の ほと ぼり はま ださめ ない のに、 誰もが あた 

らしい 興奮に つき 動かされ たように、 護岸に あつまつ てきて は、 喋ったり、 戯れあった りした。 堤防の 切れ目 か 

ら 降りて いった 海岸に は、 夕陽 を 帆に 受けながら、 一 日の 漁 を 終えた サバ 二が つぎつぎと 帰って きた。 浜に まち 

かまえた 女た ちが、 獲れ た 魚 を 受けと つて 運び あげた。 そのな かに、 モ,. タ— をつ けた サ バニが 見られる ように 

なった のが 目新しい 風景 だ つ た。 

sl^ 防の 旁の、 舟 底 を 上に して 置いて ある サバ 二に 凭れる ようにして、 ハ チヤ ー が 五、 六 人の 若者 を あつめて レ 

た。 ミ ー チラ ー や カンパ チも まじって いたが、 小島 屋 から 独立した あとのく らしぶ り を 示す ように、 腕に は 安物 

の 時計 を はめて いた。 ハ チヤ ー は i 木った。 

「ぉれは沖繩本島の^^撤の生まれだった。 親 は 百姓だった が、 栽培して いた 砂糖黍の 暴落の ために 家が どうに も 

立ち ゆかな く,. ぶり、 糸满ニ 売られる ことにな つた。 糸満 にいつ て 魚 を 食べ たがよ いで はない かと 父に 言われて 連 



れ ていかれ た。 農村で はあった が、 米の 飯 は ほとんど 食べなかった。 魚 も 口にした ことがなかった。 だから おれ 

は よろこんで 糸満 にい つ た。 小学 一 年 を 一 学期お えたと きのこと だ。 それから きま つ た 道 をた ど つ た。 泳ぎ 一 つ 

知らない 子ども を 一 人前の もぐりに 仕立てる 訓練 だ。 おれ は 海底に 投げた ス ル シカ— の 重石 を 指先で ついて こい 

といわれて、 毎日 それ を 練習 させられた。 小さい 子ども はこ わい こと を 知らないが、 大きくなる とかえ つてお そ 

ろしが る。 十五、 六 歳になる と ドシル (身代 金) はやす くなる。 おれの 先輩に 那覇 からき たやつ がいた。 おれが 

かぞえの 十六、 その 男 はおれより 二つ 年上の 十八だった。 天気が 悪くて 海に いけない ので、 おれ は 親方に 自分の 

村で 遊んで くると 言い 先輩 を 誘って 小禄に いった。 帰って くると、 親方 は 先輩に むかって、 誰の 許し を 受けて 遊 

びに いった かとな じり、 サ バニに 帆柱 を 立てて、 その 帆柱の 綱で 両手の 中指 二つ をく くって 先輩の 身体 ごと 引き 

あげた。 両方の 中指 は 骨が 抜けて だめになった。 両方の 手 も 腫れて しまった。 やっと 許されて 夕食 を 食って 寝た 

が、 先輩 は 辛抱で きない ほど 痛が つた。 逃げろ とおれ は その 先輩に 言って やった。 先輩 は 逃げて 糸満 市に ある 親 

戚の 家に いった。 親戚 は 警察に 訴えた。 技 だけ は 売った が 身体 は 売った つもり はない と 抗議した。 翌日 親方に 呼 

び 出しが きた。 おれたち や 雇いん 子 も 警察官から 色々 たずねられた。 ほかの 子どもたち は 口 留めされ ている ので、 

何も しゃべらない。 おれ だけ はしゃべ つた。 親方 は 三年の 刑に 処 せられた。 罰金が 大きかった。 怪我した 雇いん 

子の 治療代 を 支払わされて、 一 人前の 職に つくまでの 金 を 負担 させられた。 親方 はもち ろん おれ を 恨んで 事 ごと 

に 意地悪し たが、 おれ は 負けて はいなかった。 ィ ー ダン (銘) を もって 親方 を 追つ かけた。 親方 は 言った。 あい 

つ は 本当の 蜂 だから、 復謦 がつ よいから、 御機嫌と つて 使わ なきや ならない。 おれ はハ チヤ ー という 仇名 をつ け 

られ た。 自分の 身 を 捨てて 何でも やる もの を ハテム ヌ という。 ハ チヤ ー も 身 を 投げ出す。 おれ は 怖がられた」 

老人の 話の 合間に、 その 足 許で は 朝顔に 似た 浜 カズ ラの 紫色の 花が、 海から 吹き あげる 風で ふるえて いた。 珊 

瑚礁の 向う に 水平線 はし だいに 低くな つた。 そして 波間で は 力 マンタ (エイ) が 跳んで いた。 老人 は それ を ちら 



"3 海の 群 星 



と 見ながら、 煙草の 火 を 点けた。 彼 もまた 右手の 中指と 人 指 指 を ダイナマイトで 失って いた。 ガザ ミ (蟹) の 鉄 

のよう な 手 をして いる その 右手で 彼 は 器用に 煙草 を 吸った。 

「力 マンタが 浮いて でた。 明日 は 雨 だな。 あまぐれ (雨雲) が 降りて きている」 - 

カンパ チが つぶやいた。 ハ チヤ I は 話 をつ づけた。 

「八重 山に きてから、 西 表の 炭坑に いって おれ は 魚 を 売った。 魚 は 炭坑で はよ く 売れた。 グル クンが おもだった ~ 

それと 引き換えに ダイナマイト を もらって きたりした。 戦後ば かりで なく、 戦前 も ダイナマイト は 使って いた。 

取締り は 今より はるかに きびしかった。 それでも やった。 見付かる と 警察の やつら は、 ダイナマイトの 出 所が 分 

るまで 足 をく くって 逆さに つりさげ、 樽に 水 を 入れて それに 首 をつつ こませ、 白状 させよう とした。 三年 間 は 金 

網に 入れられる こと を 覚悟し なくて はならなかった。 ^たちよりも 女た ちの 方が 安全 だとい うので、 女た ちに ダ 

イナ マイト を 売り あるかせた。 女 はっか まると 丸裸に させられて 警察に つれていかれた。 

炭坑の やつら はよ く 逃げた。 すると 人 繰りた ちが どこまでも 追つ かける。 その 炭坑 夫 を 雇いん 子が サバ 一一に か 

くまって 助けた ことがある。 おれ もなん どかそう した ことがあった。 海の 仕事で つらい 思い をして いる 雇いん 子 

に は、 逃げて きた 炭坑 夫の 切羽 詰った 気持が よく 分る の だ。 戦前 は、 買いん 子で 死んだ もの はたく さんいる。 親 

方 は 手柄 をと るた めに 冬の 寒い ときで も 何時間 も 泳がす。 十 キン、 二十 キンと きめて、 それだけの 貝 を 採らない 

限り は 舟に のせない。 今 はもぐ り 合羽 も あるが、 当時 は 何もない。 着物 は 一 つきり。 着替え はない。 ぬれた まま 

の 身体で かわかす。 さむくなる。 腹が へる。 そして 身体が 硬くな つて 死んだ。 海で 死んでも 本人の 勝手。 親方 は 

理由 を こしらえて 警察に 出す。 医者 も 親方の 言う 通りに しか 診断書 を かかない。 遺骨 は 国許の 親に 送る が、 葬式 

もして やらない。 何の 慰労金 もない」 

彼 はこれ まで 身の上 話なん かした ことがなかった。 それな のに、 今 それ を 口にする というの は、 一月 まえに ス 



H ギ フフ の 儀式 をお こなった ナガ— のこと を 思い出しての ことで あつたか。 それとも 十日 前に 起った 黒 島の 少年た 

ちの 脱走 事件の せいで あつたか。 老人の 話が ひとしきり 終る と、 ミ —チラ— が あと を 引きと つた。 

「おれが 売られた とき は、 親父 は 山 原で 百姓 をして いた。 地主から 金 を 借りた が、 利子 も 払えなかった。 せめて 

その 分で もと、 親父 は 地主の 家の 仕事 を 手伝いに いったが、 日 傭と りの 仕事ぐ らいで は、 利子 を 払えても 元金よ 

借金と して そのまま 残る。 返済の 期限 は 迫る というので、 とうとう おれ は 売られた。 そうで もしない と 借金が か 

えせな か つ た」 

「だから 漁師の 方で は 恩 を 着せる わけ だ」 

と カンパ チがロ を はさんだ。 老人 は 昔 を 思い返した。 

「ナカ ルイ (口入れ屋) が うろつく こと もあった な。 性質の 悪い 奴ら になる と、 糸満に 売って 置いて、 雇いん 子 

が 途中から 逃げ出す ように 仕向け、 また 別の 糸満に 売りつ ける の だ」 

ミ— チラ ー が 自嘲 的な 口ぶりで 言 つ た。 

「今から 考えれば、 おかしな こと だが、 ドシル (身代 金) が 多い ほど 威張って いて、 少ない 者 は 肩身が 狭かった。 

雇いん 子が くると、 おまえ はいくら で 買われた か、 おまえの ドシル はいくら だった か、 と 聞いた ものな。 しかし 

今 は ドシル を 返さなくても いいから、 といって 雇いん 子 を 親許に 戻す 家 もで てきて いる。 労 基署が 急に やかまし 

くな つ てきた」 

「それにしても」 と カンパ チが 言った。 

「貝 を 採る にも 追 込 網 を やる にも、 大ぜ いの 人手が 要る。 家族 だけで やろうと したって、 できる 訳 はない。 雇い 

ん子 をみ とめな いんだったら、 糸満の 漁業 は 立って いかない じ やない か」 

それ をミ— チラ— が 遮つ た。 



「本土で はとつ くに ナイロン 網に 変って いる。 それに どの 舟もモ ー タ ー をつ けて 走って いる。 八重 山 もい ずれ は 

そうなる。 そうな つたら、 チ ナカ キエ ー のよう な 追 込 網で も、 今よりか はるかに 人手が 少なくて 済む。 それに ボ 

タ ン の 材料に して いる 高瀬 貝 や 広 瀬 貝が 値 下り を はじめた。 ブラ スティックの ボタ ン がふえ てきた」 

老人 もミ ー チラ— の 肩 を もった。 彼 は 頑丈な 指で 沖の 方 を 指さした。 

「見ろ。 あの サバ 二 も アメリカ 軍の 払い下げの モ ー タ ー をつ けて 走って いる。 もう サバ 二 に 六 人 も 八 人 も 乗り こ 

む 必要 はない。 カジと りが ひとり いればた くさんだ。 糸満 市で はモ I タ— 付きの クリ ブネの 方が 多い 位 だ。 ナイ 

ロン 網 も 使い はじめて いる。 雇いん 子 を 新しく やとい 入れる 家なん かない。 それな のに 八重 山で はい まだに そう 

した ことが おこなわれ ている、 というんで、 目 を 光らして いるんだ。 小島 屋の 親方に も、 子ども を 買う の はよ せ、 

と 口 を 酸っぱく して 止めたん だが、 うんと いわな いんだ。 それで 今と なって は 困って いるんだ。 十日 まえ 黒 島の 

雇いん 子た ちが 逃げた 事件が あってから、 労 基署の ほうはいち だんと やかましく なった。 十万 円の 罰金、 十年以 

下の 懲役に でもな つてみ ろ。 小島 屋の 身上 は 元 も 子 もなくなる ぞ。 おれの 言う 通り、 買わ なきやよ かったん だ」 

老人 は ひとしきり 歎いて みせた。 

一 一十三 

一九 五 四 年 十二月 七日の 「八重 山 毎日 新聞」 は 黒 島の 糸満 漁夫に やとわれ ていた 六 人の 少年が ひどい 虐待に 耐 

星 え かねて 黒 島 を 脱走し 八重 山 警察署に 泣きつ いた 事件 を 報じた。 小島 屋の 親方が ナガ ー のヌ ギフ ァ の 儀式 を 終え 

の てから 二十日 後に それ は 起った。 

少年た ちが 八重 山 警察署 員に こもごも 訴える ところでは、 彼ら は 漁が すくない と 言 つ て は 櫂で 叩かれ、 病気 を 

I すれば お 粥が 食いたい のだろう と 罵られ、 前借金 をた てに 早朝から 日没まで 貝 を 採らされた。 小 遣 銭と いって は 



6 貝殻 十 キンに 対して 一円し かくれない。 ところが 一日 働いて 十 キン もとれない 時が あると いう。 こうした 雇储主 

の 虐待ぶ り を 見 かねて、 ある 雇いん 子の 母親が 自分の 子ども を 引きと りに きたと ころ、 前借金の 利子が 二 万円と 

いう 膨大な 額に 計算され ていて、 それ を 支払って から 連れていけ とお どかされ、 母子 泣き別れし たという。 八重 

山 警察署で は 「親に 会いたい、 黒 島に は 殺されても いかない」 と 哀願す る 少年た ち を 八重 山 福祉事務所に 引き渡 

したが、 福祉事務所 では 真相調査の 上、 八重 山 労働 基準 監督 署 とも 連絡 をと り、 児童 虐待、 労 基 法 違反で 処置す 

ると 言つ ている、 という 趣旨の 内容が 述べられ ていた。 

新聞記事の 最後の 箇所に は、 「金額の 多少に 拘らず 子供 を 金の 力で 奴隸 扱いす る こと は 許されない。 布令 第 一 

号と 労 基 法に 基いて、 今後 は 十万 円の 罰金、 若しくは 十 年 以下の 懲役の 罰則の 通り、 違反者 は 厳罰 主義で 取り 締 

りたい」 という 八重 山 労 基 署長の 強硬な 談話が 掲載され ていた。 

ここにい う 布令 第一 号と は、 一九 四 九 年に 出た 集成 刑法の 第五 章、 道徳に 反する 犯罪と して、 「奴 隸的 又は 意 

志に 反した 奴 役に 何人 を も 人身売買 する こと を 禁ずる。 この 目的の 為に 未成年者 は 自らの 行為に 依る も 又 その 親 

又は 後見人に 依る も かかる 奴 役に 承諾 を 与える こと は 出来ない」 

と 規定され ている ものである。 こ の 布令 第 一 号の 趣旨 は 四 年後の 一 九 五三 年に い つ そう 具体的な 形 をと つ た。 

その 年の 九月 一 日に 公布され た 立法 四十 四 号の 第 六 章 第五 十七 条 では、 

「満 十五 歳に 満たない 児童 は、 労働者と して 使用して はならない。 但し、 満 十四 歳 以上の 児童で、 法令で 定める 

義務教育の 課程 又は これと 同等 以上と 認める 課程 を 修了した ものに ついては、 この 限りで はない」 

立法 四十 四 号の 第 六 章 第五 十九 条の 1、 2 に は、 

「親権者 又は 後見人 は、 未成年者に 代って 労働 契約 を 締結して はならない」 「親権者 若しくは 後見人 又は 行政 主 

席 は、 労働 契約が 未成年者に 不利で あると 認める 場合に おいて は、 将来に 向って これ を 解除す る ことができる」 



117 海の 群 星 



と 記されて いる。 

また 立法 四十 四 号の 第 六十 条 では、 

「未成年者 は、 独立して 賃金 を 請求す る ことができる。 親権者 又は 後見人 は、 未成年者の 賃金 を 代って 受け取つ 

て はならない」 

と 規定され た。 糸満の 雇いん 子の 慣習が これらの 条文に ことごとく 抵触して いるの は 一 目 瞭然で ある。 

一九 五 五 年 二月 二十 三日の 「八重 山 毎日 新聞」 によると、 八重 山 郡 だけで、 三百 余 名の 子どもたちが 人身売買 

の 対象と なって いる。 年齢 は 最低 十 歳で、 十三、 四 歳の ものが もっとも 多く、 いずれも 漁業 や 農業 見習いだ と 言 

い 含められ、 前借金の こと は 知らない 者が 多い。 契約に 違反した とき は 大抵の 場合、 前借金の 倍額 を 即納す るか、 

前借金に 更に 契約期間から 違反 期間までの 食い扶持 として、 一日 三、 四十 円 を 加算す るの が 通例と なって いると 

いう。 同紙 は、 黒 島の 人身売買が きっかけ となって、 八重 山 労 基署、 同 福祉事務所 児童福祉 係で は、 徹底的に 人 

身 売買の 摘発に のり 出した と 報じて いる。 

戦前、 八重 山で 雇いん 子 を 使って クリ ブネ 漁業 をお こなって いたの は、 東 小屋の 登 野 城で は 五十 戸 位、 中 小屋 

の 石垣 部落と 西 小屋の 新 川 を 併せて 五十 戸 位であった。 合計 百 戸のう ち、 多い 家で 六、 七 名、 少ない 家で 一、 二 

名、 平均 すれば 各戸 三 名ぐ らいの 雇いん 子 を 使って いた。 したがって 雇いん 子の 総数 は 三百 名 位に のぼって いた。 

戦後 十 年 経って なお、 二百 余 名の 雇いん 子が 八重 山の 糸満 漁業 を 支えて いた。 それが 今 人身売買の 対象と して 烙 

印 をお されようと している。 

八重 山 労 基署ゃ 福祉事務所 はこれ まで も 漁業 者 を あつめて 労 基 法の 研究会 を 開いたり、 新聞 や ラジオ を 通して 

その 主旨の 普及 を はかったり してきた が、 糸満 漁夫た ち は ほとんど 冷淡だった。 毎日 海 を 相手と して 暮 してきた 

彼ら は、 何事に よらず ゥ ミンチ ュ (海の 人間) とァ ギン チュ (陸の 人間) と を 区別して きた。 日頃 イチ マ ー ナ ー 



(糸満 野郎) と 軽蔑され ている こと へ の 反感 も 手伝 つて、 ァ ギン チュと は 別の 生活が ゥミ ン チ ュ に は あると 思い 

こんでいた。 だが 黒 島の 雇いん 子 脱走 事件が、 八重 山 はいう まで もな く沖繙 本島に も 大きな 波紋 を 投げ かける と、 

糸満 漁夫た ち は 自分 だけの 生活に とじこもる こと は 許されな くな つ た。 

小島 屋の 親方 は ナガ ー のヌギ フ ァ をした にもかかわらず、 彼 を とりまく 情勢が 好転 を 見せない ことに 憂鬱 だ つ 

た。 浮き足立った 漁師た ちの 中には、 雇いん 子 を 親許に かえす 者が 出て きた。 その 一方で は 頑固に 雇いん 子 を 離 

すまいと する 者た ちがいた。 労 基 法に したがおう とする 漁師た ち は、 時代の 要請 を 無視で きないと いう 考えの 上 

に 立って いた。 しかし それ を 理解し ない 漁師た ちの 一群が あった。 二つの 異 つた 方向が 八重 山の 糸満 漁夫の 社会 

を 分裂 させて いった。 

生活の 慣習 を 従来 どおり 守って いこうと する 漁師た ちに 決定的に 打撃 を 与える 事件が 黒 島の 少年 酷使 事件から 

一 年 もた たない うちに 起った。 

一九 五 五 年 十月 二十 五日の 「八重 山 日 新聞」 と あくる 二十 六日の 「八重 山 新報」 は、 またもや 雇いん 子の 脱 

走 事件が 起きた こと を 報じた。 それらの 記事 を 総合す ると、 宮 古島の 城 辺 生まれの 三人の 少年が、 登 野 城の 上 地 

某に 一人 あたり 五 千円で 売られた。 その 少年 はいずれ も 父親 または 母親の いない 子どもたちで、 小学校 は 中途で 

やめて おり、 自分の 名前 もろく に 書け なかった。 その 三人のう ち 二人 は 十四 歳、 もう 一人 は 十七 歳だった。 少年 

たち は、 宮 古での ように 難儀せ ずに 済む し、 海の 仕事 もさせな いという 甘言に のせられて 八重 山に きて みると、 

夏 冬 をと わず、 一年中 もぐって 貝と りの 作業 を 強制され た。 一日に 貝 を 四、 五 キン とらない と、 彼らの 唯一 つの 

楽しみで ある 映画 代の 十 円 も 貰えない という ありさまだった。 正月の 三日間と 五月 四日、 五日の 二日 間 だけ は 石 

垣 市で 遊ぶ こと を ゆるされ たが、 それ 以外 は、 くる 日 もく る 日 も 離島の 「旅」 の 生活の 連続だった。 親方 は、 夏 

の 間 は 暑い からな まけない だろうと、 雇いん 子の 仕事 を 見に こなかった。 そうして 夏に は 食糧の 芋 もろく に 送つ 



てよ こさなかった。 彼らが 西 表 島の サバ 崎に 「旅」 をした とき は 三日間 も 食べ物 を 送らないで、 ギラ貝 (シ ヤコ 

貝) の 身 を 食べて 飢え をし のぎ、 仕事 を 休んで いた。 そこに 親方が やって きて なぐりつけた。 

冬 は 親方が つききりで 監視して 彼らに 仕事 を させた。 しかし 布団 もない ので、 南京袋 を かぶって 夜 をす ごした。 

あまりの 寒さに たえかねた 三人の 雇いん 子 はしめ しあわせて 逃亡した。 西 表 島の 大 富から 大原 港に 出、 そこから 

石垣 港まで サ バニ を こいで 渡り、 八重 山 警察署に かけこんだ。 いずれも 背が 低く、 十四 歳の 少年の 一人 は 一 メ ー 

トル 十 センチし かなかった。 少年た ち は 口 を そろえて 虐待され たと 言って いるが、 発育 不良の 姿 をみ ると、 彼ら 

の 言葉 を 疑う わけに はいかなかった。 この 三 少年の 雇い主 は 石垣 市の 登 野 城に 住む 漁師で、 違反 漁業の 常習者で 

あつたと 新^ は 報じて いる。 彼 は 労 基署を さっそく 訪れて 「私と して は 子どもたちの 世話 は 充分み てきた。 この 

ような 事が 起った の は、 誰かに そそのかされ たので はない かと 思う。 財産の ない 子どもの 親た ちから は、 漁師の 

技術 を 仕込んで、 将来 漁業で 身 を 立てられる ようにして くれと 頼まれて おり、 どういう わけで このような ことに 

なった か 分らない」 と 訴えた が、 もちろん 相手に される はず もな く、 法に 照らして 裁き を 受けねば ならない とき 

びし く 言い渡された。 

西 表 島の 脱走 事件が 起った あくる 日、 ハ チヤ ー は 小島 星の 親方の 家 を 訪れて、 もう 猶予なら なくなった、 ぐず 

ぐずして いたら、 その 分 だけ 不利 だから、 雇いん 子 を 親許に 即刻 かえす ように 忠告した。 

「登 野 城の 金城 徳は 雇いん 子との 契約 を 取り消した だけでなく、 七 千円 もの 金 を もたせて 親許に 帰した という 話 

星 が 新聞 こ M つてい る。 そうまで して、 これまで のこと を 帳消しに しょうと している 者が いるのに、 前借金な どに 

群 

の こだわつ ている 段階で はない」 

海 とハ チヤ ー はつよ くさと した。 小島 星の 親方の 眼から 鱗が 落ちた。 彼 は 決心し 雇いん 子た ち を さっそく 呼んで、 

I 親; こかえ るよう にと 言い渡した。 ふるくから 住み こんでいる 二人と 新しく やとわれた 三人、 あわせて 五 人の 少 



I20 



年 は 身支度す るまで もな く、 身体 一 つで 郷里の 奄 美大 島に かえって いった。 ただ ひとり 沖緦 本島の 山 原から きた 

岡 田弥ー だけ は、 両親の もとに はも どらない と 言って 肯 かなかった。 処置に 困った 小島 星の 親方 は 労 基署ゃ 福祉 

事務所に 相談した あげく、 岡 田 を 里親と いう 形で あずかり、 今まで どおり 置いて やる ことにした。 

雇いん 子が 一人し かいなくなる と、 小島 屋の 親方に できる の は、 夕方に なって 海に 刺 網 を 入れ、 明け方 それ を 

引き揚げる 位の 漁で しかなかった。 日頃 無口な 親方 は、 ますます 無口に なった。 小島 屋の 女房 は 以前に もまして、 

しげしげと 力 マ ボコ屋 の ユタのと ころに 通った。 ュ タの 老婆 は 不安で じ つ として おれない 女房の 心中 を 見透かす 

ように、 ナガ— の 死霊 はとく べつに 強い 力 を もっていて、 なかなか おとなしく ならない、 竜宮の 神 さまに 願い も 

せずに このまま 放置したら、 おそろしい 事が 起る、 とくり かえした。 

さまざまな 渦 を 巻きながら、 西 表 島の 事件から さらに 一年 近くが 経過した。 それまで、 八重 山 労基署 は、 雇い 

ん子 制度が、 年少者の 労働と 人身売買の 二つの 面から 違法で ある こと を 強調し 啓蒙、 指導して きた。 しかし それ 

が 依然として 根絶され ないで いるの を 見た 八重 山 検察庁 は 労 基署の 処置 を 手ぬ るいと 判断し、 法令の 公布され た 

後 も 雇いん 子 を 使って きた 糸満 漁夫の 取調べ を 開始した。 法令 施行の 時期に 遡って 労 基 法 違反の 罪 を 問う という 

検察庁の 方針が 明らかにな るに つれて、 雇いん 子 を 解放した ために まさか 法の 適用 は あるまい とたか をく くつ て 

いた 漁師た ち は 色 を 失った。 小島 屋の 親方 も 検察庁に よばれて、 なんどか 取調べ をう けた。 事情 を 聴取され た 漁 

師 たち は、 裁判に かけられて 牢獄に ぶちこまれる という 噂が ひろま つ た。 

ある 日、 小島 屋の 親方の もとに 八重 山 巡回 裁判所から 一通の 出頭命令 書が 届いた。 それ を 見た とき、 ヌ ギフ ァ 

でた ましい を しずめた つもりの ナガ ー の 面影が、 とつぜん よみがえった。 「ナガ ー の 野郎、 しっこい やつ だ」 彼 

は 思わず、 家の 入口の 戸 を 破れん ばかりに 足で 蹴った。 



海の 群』 



二十 四 

小島 屋の 親方、 新 城昌雄 は、 八重 山 巡回 裁判所で 開かれた 一九 五六 年 九月 三日の 公判に 被告と して 出頭、 与那 

嶺 検事から、 布令 百 四十 四 号なら びに 労 基 法 五十 七条に 違反した かどで、 懲役 六 力 月の 求刑 を 受けた。 それで 判 

決 を 待つ ばかりの 身で あつたが、 とうてい 有罪 は 免れまい というの が、 圧倒的な 意見であった。 

小島 屋の 親方 はいても 立っても いられなかった。 漁師 仲間の 寄り合い のとき など、 しぶしぶ 出かけて いっても 

泡盛 をつ いだ 茶碗 を 前にして、 一言 も 発せず うなだれ ている ことが 多かった。 彼 は 漁師た ちの はげまし をう わの 

空で 聞いた。 それと 同時に これまで 雇いん 子 を 使って 漁 をす る こと は、 毎日 飯 を 食う ことと おなじよう にあたり 

まえで、 自然な ことと 考えて いたのに、 何 かそれ が 自分と 縁遠い ものの ように 見え はじめて きた。 自分が どうし 

て 雇いん 子た ちに 固執して きた かも 分ら なくなった。 いずれ はお 上の 手に よって 処罰され るか も 知れない という 

不安と は 別の 不安が、 彼 を 内部から 突きう ごかし はじめた。 何十 年に も わたる 彼の 漁業の 生活の なかで も はじめ 

て 訪れた 不安だった。 小島 星の 親方 は、 漁に 出かける の を 休む ようになった。 新 川の 護岸で 網の つくろい をした 

かと 思う と、 昼から 家の 一番 座の 雨戸 をた てて、 寝て いたりした。 心配した 女房 は、 ハ チヤ ー に 相談した。 

ハ チヤ ー は 小島 屋に 出かけて いき、 親方に むかって、 弁護人 もっけないで おめお めと 判決 を 受ける やつが ある 

か、 と 叱った。 自分 はこれ から 石垣 市長に 会って 相談す るから、 小島 星の 親方 も 一緒にく るよう にと 言った。 ハ 

チヤ,' は 選挙のと き、 糸満 漁夫の 票 を まとめ、 現 市長の 側に 立って 応援した。 石垣 市長 は そのと きの 恩義 を 充分 

感じて いる はずであった。 

はたして 石垣 市長 はハ チヤ ー の 依頼に 応じて、 知人の 牧山広 を 特別弁護人 として 推薦した。 牧山 は糸満 漁夫の 

雇、, ん 子の 問題 は、 人権問題 として だけ 見る の は 不充分で、 歴史的 見地 を 考慮に 入れなければ ならない と 日頃 考 



えて レ たので 快く 承諾した。 牧山広 は 仲 本 判事 をたず ね、 この 際、 弁護人 もな く 求刑 をされ、 判決 を 言い渡され 

ようとし ている 気の毒な 被告の ために、 自分が 弁護す る 機会 を 与えて くれる ようにと 要請した。 牧 山と 日頃 顔 1 

知りであった 仲 本 判事 は、 牧 山の 要請 を容れ て、 新城昌 雄の 裁判 はすで に 九月 三日で 一応 結審と なって いるが、 

公判 を 再開す る こと を 約した。 

十一月 三日、 午前 十 時、 公判 は 再開され た。 その 日 は 旧暦で いう 「十月 夏 小」 にあたり、 夏の 再来 を 思わせる 

酷暑が、 八重 山 巡回 裁判所の 木造 平屋の 建物の まわり をと りまい ていた。 法廷に あてられた 十五 坪 まどの 部屋の 

窓 は 涼気 を 招き 入れようと 開け放 たれて いた。 その 窓から のぞきこむ ようにして、 裁判所の 書記 ゃ糸満 漁夫た ち 

が 裁判の 傍聴 をして いた。 その なかには ミ ー チラ ー や カンパ チの顔 も 見えた。 

開廷 間際、 正面 壇上に は、 色白で 柔和な 感じの 仲 本 判事が 着座した。 その 壇 下 左側に は 色黒で がっしりした 身 

体つ きの 与那嶺 検事、 また 右側に は 肥り 気味の 特別弁護人 牧山 広が 相対して 坐った。 被告の 新 城昌雄 は、 部屋の 

中央で 判事の 方 を 向いて いたが、 落着かない 感じだった。 入口 近くの 傍聴席に は、 赤茶けた 髪 をし、 上半身が 異 

常に がっしりした 背の 低い 漁師が、 七、 八 人 開廷 を 待って いた。 いずれも 小島 屋の 親戚だった が、 その 中に ハチ 

ャ ー の 姿 は 見えなかった。 その 日の 特別弁護人の 陳述が 裁判の 結果に 重大な 影響 を もたらす という ことから、 被 

告の新 城昌雄 はもち ろん のこと、 法廷 全体が 緊張した。 

所定の 時刻、 仲 本 裁判長が 開廷 を宣 すると、 牧山広 は 立ち上り、 用意した 草稿 をと り 出して 特別 弁護 要旨 をお 

よそ 半時 間に わたって、 ながながと 読み上げた。 牧山 のかん 高い 声が 法廷に ひびき、 その 額に は 汗の 玉が かがや 

いた。 

被告 新城昌 雄の 人身売買 事件に 関し、 特別弁護人 としての 所見 を 申し述べ たいと 存じます。 現在 人身 充買 とし 



123 海の 群 星 



て 問題 匕して おります ャト イング ヮの 問題 は、 戦前より 一 つの 社会的 慣習と して、 ながい 歴史 を もつ もので あり 

ます。 そのために 本 被告 事件の 適用 諸 法律 はいずれ も 戦前に はなかった 法律でありまして、 したがって その 運用 

について は、 いわゆる 人身売買と 称さる るャト イング ヮの 歴史的、 道徳的 点 や、 社会的、 法律 的、 さらに 経済的 

諸 点 等の 各面から 検討し、 これらの 各面 を 総合して 我々 の 社会の 現段階に おいて、 万人が 納得す る 最も 適切な 妥 

当なる 法の 適用が なされるべき である、 と 信ずる ものであります。 この 観点に 立って 論旨 を 進めたい と 存じます。 

まず 最初に ャト イング ヮ 慣習の 実質と 人身売買の 観念の 相違点であります。 そもそも 忌 わしい 人身売買の 悪習 

を 生んだ といわれる 奴隸 制度 は、 その 歴史 はき わめて 古く、 ョ ー ロッパ にも アメリカ にも 存在した こと は 周知の 

rfi りで あり、 文献に よれば、 西欧 文化 発祥の ギリシャ 時代 既に 存在して いたと いう ことであります。 又 日本に お 

いても、 古代から 奴隸 制度が 存在し、 婦女子の 売買が おこなわれ たこと は、 いろいろな 物語と して 残って いる こ 

とに よつ て 明らかであります。 

このように 人身売買の 悪習 は、 奴隸 制度すな わち 人間が 人格 も 自由意志 も 認められない 労働 商品と して 売買 さ 

れ、 一 生涯 悲 参な 奴 役に 甘んじなければ ならぬ という、 古代 あるいは 封建時代の 制度に 淵源す る ものの ようで あ 

ります。 

これから 見ます と糸満 漁夫の いわゆる ャト イング ヮ なる 一 種の 社会 慣習 は、 ふつう 満ー 一十 歳で 満期 解放と なり、 

この間 漁業 技術 を 習得し 独立の 希望 を 抱いて 生活して いるもの であつ て、 およそ 奴隸 制度より きた 人身売買の 観 

念と は、 はなはだしく おもむき を 異にして いる こと は 明らかであります。 なおこの 点に 関して は、 琉球 政府 労働 

局長より 行政 主席に 対し 報告され ている 一九 五 五 年 労働 基準 監督 年報 第三 十九 頁に、 次の 記事が あります。 すな 

わち、 

「現在 &身 売買 こ ついて 直接 規定した 法令と して は 一 九 五 五 年 三月 十六 日付 民 政府 令 第 百 四十 四 号が あり、 それ 



によると 『何人も 人身 を 売買し 又は 他人 を 奴隸的 労役 若しくは 不本意の 強制的 労役 を 契約す る こと を 禁ずる。 本 

項の 規定に 関し 未成年者 は 自らの 行為に よ つ て も 又は その 親 若しくは 後見人の 行為に よ つ て も かかる 労役の 契約 

に 同意す る こと はでき ない』 この 規定 を 犯す 者 は 断罪の 上 『十 年 以下の 懲役に 処 する ことが 出来る』 となって い 

るが、 奴隸 売買の ように 完全に 商品 化しての 人身売買 でない 不当 雇用と しての 今日の 『いわゆる 人身売買』 につ 

いて は 直接 規定した 法令 はない」 

とのべて おります。 「いわゆる 人身売買」 と はャト イング ヮを さすので あります が、 これから 見れば ャト イン 

グヮの 慣習 は、 けっして 商品 化しての 売買 取引で はなく、 これ はむしろ 前借に よる 一種の 特殊 労務 契約と 見なす 

ことが、 最も 妥当な 表現で あると 思う ものであります。 なおと くに 注目すべき は、 ャト イング ヮ なる 贋 習の 中に 

は、 前述の ように 漁業 技術 習得と いう 内容 を 包蔵して いる 厳然たる 事実であります。 このために こそ ャト イング 

ヮは、 満期 後 は 自ら 独立して、 クリ ブネ 漁業 を径 営し、 あるいは 漁船の 船長 または モグリ 長と なり、 カツ ォ 船の 

エサ 獲り の 責任者と なり、 あるいは 南方 行 漁船に 乗り組んで 採 貝 採 藻に 従事して、 それぞれ 琉球 水産業の 第一線 

に 絶対必要なる 人物と して 活躍し、 あるいは 職業の 上で 成功して 社会的に りっぱな 人物に なって いる 者な ど は、 

その実 例 は 枚挙に いとまがない ほどであります。 そもそも 教育 訓練の 期間と いう もの は、 いかなる場合でも、 常 

に 多少の 苦痛 や 不自由の 伴う ものである こと は 常識であります。 この 点に つ いて みれば ャト イング ヮ の 期間と い 

う もの は、 けっして 布令に いう 奴隸的 労役で もな く、 また 不本意の 強制で もな く、 じつに 強く 人生 を 生き抜く た 

めに 必要なる 技術 や、 働く 強固なる 意志 を 養成す る 教育 訓練 期間 ともいうべき であって、 これ を 戦前の 尾 類 (沖 

繾の 遊女)、 あるいは 今日の 特飲 街、 あるいは 赤線 区域と 呼ばれる 特種 区域に 売られて、 それ こそ 人肉 を 切り 売 

りする こと を 業と し、 前途に 希望な き 生活 を 繰り返し ている 悲惨な 境遇に 泣く 婦女子に くらべるならば、 今日 観 

念 的に 等しく これ も 人身売買と 呼ばれて いても、 彼と これと はまこと に 天地 雲泥の 相違が あり、 断じて 同日に 論 



ずヾ きで はない と 信ずる ものであります— 

以上 を 要するに ャト イング ヮ 慣習 を もって 人身売買と 呼ぶ けれども、 ふつう 満 二十歳までの 期限の ある 点に お 

いて、 また 自身の ために 蓄積す る もの、 すなわち 技能 を 習得す る ことな どの ある 点に おいて、 けっして 完全なる 

人身売買 とはいい 難く、 それ を 強いて 人身売買と 呼ぶならば それ はき わめて 不完全な、 パ ー セン テ ー ジの 低い も 

ので、 むしろ 一種の 特種 労務 契約で あり、 身代 金と 呼ぶ もの もけ つして 人身の 代金で はなく して、 労働の 提供 を 

前提と した 前借で あると 解す る 事が 妥当で あると 信ずる ものであります 

次 こそれ では どうして このような ャト イング ヮ なる 慣習が 生まれ、 今日まで もな お 継続して きた か、 という そ 

の 理由 や 環境の 点であります。 日本 厚生省 婦人 少年 局の 山形県に おける 人身売買の 調査結果に よります と、 原因 

の 明らかなる 四百 五十 四 件 中二 百 七十 三 件、 即ち 六 〇 パ ー セント は 貧困に よる ものである ことが 明らかにされて 

おります。 

我が 琉球 における いわゆる 人身売買の 焦点と されて いる ャト イング ヮの 問題に ついては、 琉球 政府 労働 基準 監 

督 課の 次の ような 発表が 最も 適切に これ を 説明して おります。 すなわち、 

「これまでの 取扱い 事件 其 他 情報 等 を 総合す ると、 子供 を 手 離して いる 家庭 は 戦争未亡人、 多 子 家庭、 病人の し 

る 家庭、 土地 を 失って 生活の 根拠 を 他 部落に 移した 家庭 等で、 農耕す るに も、 土地がない とか、 あるいは 一人の 

農耕で は 家族の 生計 維持が 困難で あると か、 あるいは 病人の 薬価 や 療養の 費用に 充てた 借金が 支払えない、 とい 

星 つた 生活の 困窮者で、 他に 方法 を 知らない ままに 子供 を 働かせる こと を 条件に して、 前借で きる ことに 魅力 を感 

I じて、 子供 を 他人の 手に 委して いる 状態で ある。 しかも その ほとんどが 家で は 養育が 困難で、 学 ほ ま にん:! やえ カレ 

海 ので、 むしろ 他人の 手で 養育され た 方が 子供の ために もよ く、 また 学校に もやれ ない くらいなら 糸満 売の 場合な 

^ ど、 【I 学校 こやった 方が まし だとい つた 考え方から 出て おり、 漁業 を 覚える ために 海 学校の 観念の 中で、 一人前 



^ の 漁夫と なって くれる ことに 希望 を かけて いる。 また 一方、 受け入れ 先と しても、 もちろん 労働力 を 安く. 得る こ 

X とも 考えて いるで あろうが、 こうした 悲惨な 家庭に 同情して まとまった 金 を 貸して やり、 成長期に ある 子供た ち 

の 養育 を 引き受けて、 極貧の 家庭の 建 直しに あたらせる ため、 一人前の 特殊 技能者と しての 漁夫に してきる と、 

つ た 考え方が 強いよう である」 

以上の 引用文 はャ ト イング ヮ 慣習のお こ なわれ た 環境 や 原因 等 を 遺憾な く 説明して い ると 思 い ます。 そして こ 

の 慣習の おこなわれる 根本 原因が 子供の 家庭の 貧困に ある こと は、 日本 本土の 場合と 同様、 厳然たる 事実で ある 

ことが よく 分 るので あります。 

思う に、 頑是ない 可愛い 子供 を 手放して 他人に 委せる という こと は、 親の情と して 何人もよ く 忍び難い ところ 

であります。 それ にもかかわらず、 背に 腹 は 替えられず、 あえて この こと をな すと いうの は 実に よくよく のこと 

であり、 今や 一家 全員が 生死 窮乏の 極に あり、 そして 万策つ き 果てた 結果であります。 

ことに 見逃し 難いの は、 戦後 民主主義の 導入に より、 自由 平等の 思想 や 人権 尊重の 観念が 急激に 浸透しつつ あ 

る 反面、 いろいろの 形 をと つた いわゆる 人身売買 事件 は 依然として 存在し、 思想と 生活の 現実と が 激しく 矛盾 を 

示して いる 事実であります。 

この こと はなが い 間の 慣習と 戦後の 混乱、 生活の 困難な どが 拍車 を かけて いる 結果で あると 思われます。 こ,. 

らの諸 点から 見て、 ャト イング ヮ 慣習の 底に はじつ に 重大なる 社会問題が 音 もな く 戦前 戦後に わたって ながい 間、 

流れ 続けて きた ことが よく 分る のであります。 

私 はこの 問題 を さらに 三つの 面から 考えて みたい と 思います。 その 一 は いわゆる 売買した という 当事者 双方の 

事情で あり、 その 二 は、 十五 歳 未満の 年少者の 処置の 問題で あり、 その 三 は 社会福祉 的 面の 問題であります。 

まず 第一の いわゆる 売買 当事者 双方の 事情の 問題であります が、 いわゆる 買った 方になる 被告、 新城昌 雄の 



合、 本人が 事業 経営に 労働力 を 必要と した こと は 事実であります が、 もともと 漁業 見習い を 希望す る 子供 カ大島 

にたく さんいた という こと もまた 事実であって、 それ は 本人の 陳述お よび 子供た ちの 申し立て によって 明らかで 

あります。 したがって 相談が まとまつ たという こと は、 子供の 家庭の 貧困が 重大なる 原因、 むしろ 主導 的 原因 を 

なして いる こと も 明らかであります。 

ことに 岡田弥 一の 場合の ごとき、 当時の 彼の 家庭の 事情 をき けば、 血 も 涙 も ある 人間なら ば 何人で も 同情 を禁 

じ 得な か つ たで ありまし よ う。 

すなわち 当時 弥 一の 父 秀治は ある 犯罪の ため、 裁判の 結果 罰金 六 千円の 判決 を 受け、 これ を 納付し 得ない 場合 

よ 刑務所に 入らねば ならず、 当時 また、 母 は 妊娠して いて、 もし 夫秀 治が 入所す る ことと なれば、 郷里 瀬 底に 帰 

ると いい、 そう なれば 弥 一は ひとり 路傍に 放棄され るか もしれ ない という 窮地に 陥って いた 際、 被告 は 断る に 断 

れず やむなく ついに 緣も ゆかり もない 人に 金 を贷し 与えて、 その 窮境 を 救って やり、 弥ー 本人 もまた 承諾の 上で 

これ を 引き取った のであります。 思う に 一家 を 救うた めに 犠牲と なった 子供 は 気の毒であります。 しかし この 子 

もの 儀牲 がなければ、 そしてた とい 労働に 従事せ しめる という ことが 前提で あるに せよ、 これに 金 を 出して 引き 

取って くれる 人がなければ、 その子 供 を 含む その 一家 全員が、 一家 心中 か、 飢死 か、 あるいは 人の 物に 手 を かけ 

るか、 一家 離散と なる か、 かならずや いずれ かの 道 をた どり、 結局より 以上の 不幸に 陥った であろう こと は、 察 

する に 難くない ところであります。 

星 しヒ がって このような 場合、 親子の 情に 忍び 難く とも、 幼い 子供にまで 犠牲 を 強いる 結果と なること は、 救済 

^ 機関の ない 社会に おいて は、 善い ことで はない こと は 知っていても 真に やむな き 仕儀で あると 申さねば ならない 

のであります。 また それで あれば こそ、 ャト イング ヮ 慣習が やむ を 得ない ものと 認められ、 一つの 慣習と してな 

I がい 間ず, 会に 存在して きた ものと 考えられる のであります。 



28 



しかるに このような 事情で ある にもかかわらず、 今日 これ を 違法と して、 しかも 道徳 違反の 犯罪と して、 雇主 

側の 責任 を 追及す るのに はなはだ 急で ある こと は、 果して 公平 を 失する 点 はないで ありまし ようか。 私 はまこと 

に 不可解と する ものであります。 

次に 第二の 十五 歳 未満の 年少者の 処置の 問題であります。 十五 歳 未満の 年少者 は 基準法 第五 十七 条 により、 労 

働 者と して 使用す る こと は 禁止され ている ので、 爾来 義務教育 も 受けて いない ャト イング ヮの 年少者 は、 雇主 側 

でも 親許に 帰す ように 処置して いるので あります。 被告 新 城 昌雄も 去年の 十月 末、 岡 田弥ー に 帰る ように 申し渡 

してあります。 しかるに 子供た ちの 多くが —— 岡田弥 一 も —— 親許に 帰る こと は 一 層の 不幸の 中に 飛び込む よう 

な ものである こと、 漁業 を 習う ことが 将来の ためによ いなどの 理由で 帰る こと を 拒んで いるので、 雇主 側と して 

も 進退に 窮 している のが 実情であります。 また ある 子供 はもし 強制的に 送り かえすならば、 観音 堂の 先から 海に 

とびこん でで もまた 戻って くると いうので、 そのまま となって いるの も、 また 宮 古島に 帰された 者の 中には 持つ 

ていった 衣類 等 ほとんど はぎとられて、 結局 ふたたび 石垣 市に 舞 戻った 者 もお ります。 このような 子供 はい まさ 

ら 小学校 一年生に 入学す る こと も 肯んぜ ず、 その 点で、 児童福祉 法の 里親 制度への 切替に ついても 問題 視 されて 

おり、 結局 このような 子供 を 使えば 違法と なる し、 その 故に 親許に 帰れと 言っても 帰らない と 頑張る。 里親 制度 

の 適用 も 教育の 点で 行 詰る。 一体 この 矛盾、 この 実情 を 法的に どう 解決 すれば よいので あるか? 堅い 壁に ぶつ 

か つ て 立往生し ている という のが この 問題の 現状であります。 

思う に、 これら 特殊 児童 は その 境遇の 故に 現在の ャト イング ヮで いる 方が 将来に 希望が あり、 むしろ 幸福で あ 

ると 思って おり、 また 客観的に みても そういう 子供が 多数い るよう にも 察せられる のであります。 このように 見 

て くれば、 法の 示す 理想 は 現実の 生活と いちじるしく かけはなれ、 これら 特殊 児童の 問題 を 解決す るに は 果して 

妥当で あるか どうか? すなわち これら 子供の この 境遇、 この 気持まで 考慮に 入れて あるか どうか、 まことに 疑 



問と せざるを得ない と共に、 現実の 問題の 深刻 さと 法の 不備 や 社会 機構の 欠如 を 切実に 感じざる を 得ない 次第で 

あります。 

第三に は 社会福祉 面の 問題であります。 子供の 親と して は 貧困の ために、 被告 新城昌 雄と して は 事業 上の 必要 

と 法 を 知らない ために やった のであります が、 これが 今、 人身売買に 該当する 行為と して、 その 責任 を 追及 せら 

,e ております。 しかし 私 は 反面、 国家 社会 もまた その 一半の 責任 を 負うべき ものであると 思います。 すなわち 貧 

困 家庭 を 救済し、 その子 弟 を 後顧の憂い なく 学業に または 職業に 挺身せ しめ 得る I すなわち 児童福祉 法 第 一 条 

こいう すべての 児童 は ひとしく その 生活 を 保障され 愛護され なければ ならない I ような 社会福祉 機構 または 社 

会 保障 制度の 確立が あれば、 あえて 人身売買 等と いう 忌むべき 事象 は 起り 得なかった はずであります。 しかるに 

人身売買 を 禁止す る 布令 第一 号 は 一 九 四 九 年 公布され ている にか かわらず、 その後 を 救済 または 指導 調整すべき 

児童福祉 法、 生活保護法、 社会福祉 事業 法 及び 身体障害者 福祉 法 等 社会福祉 関係 法令なら びに 労働基準法、 労働 

組合 法、 労働 関係調 整 法 等 いわゆる 労働 三 法 及び 職業 安定 法 等 はいずれ も 一九 五三 年に 至りよう やく 立法され て 

いる 実状であります。 

これらの 制度 や 組織 機構 等の 確立 は 当然 国家 政治の 責任であります。 いわゆる 人身売買 事件と レ われる ャ トイ 

ングヮ 慣習なる もの は、 実に 上述の ような 社会制度の 欠陥の 中に おいて 行われた のであって、 したがって ャ トイ 

ングヮ の 問題 を ひとり 個人 側の 責任の み を 責めて これに 厳罰 主義 を もって 臨む という こと は 私 はどうしても 妥当 

星 適切なる 措置と は 言い難い と 論ぜざる を 得ない のであります 

の 

泡 牧爿広 はこ こまで 一気に 読み あげる と、 滴り落ちる 汗 をぬ ぐった。 裁判所の 建物の 外に は 外 光の 鋭い 破片が 散 

つし 乱し、 その 西側に ある ガジュ マルの 木の 黒い 影が 熱風に 揺れて いたが、 法廷 はしず まりかえ り、 牧 山の 熱弁に 耳 



30 



を かたむけ ていた。 被告の 新 城 昌雄は 両手 を 膝の 上に おき、 身体 を 固く していた。 仲 本 判事 は、 日頃 牧山 広が 痛 

風に 悩まされ ている こと を 知ってい るので、 椅子に 腰かけた まま 陳述 をお こなっても かまわない、 といた わり を 

見せた。 牧山は その 言葉に 謝意 を 表し、 椅子 を 引きよ せまた つづき を 読んだ。 

顧みれば 我々 の 社会に おける 人権 思想の 浸透 は、 じつに 戦後の ことであります。 すでに 御 承知の ように、 戦後 

制定され た 日本 新 憲法 は その 第 十八 条に、 何人も、 いかなる 奴隸的 拘束 も 受けない、 又、 犯罪に 因る 処罰の 場合 

を 除いて は、 その 意に 反する 苦役に 服 させられな いと 規定して あります が、 このような 人権に 関する 明文 は、 戦 

前の 日本 旧 憲法に おいて は 全然なかった のでありまして、 まさに 人権の 暗黒時代で ありました。 したがって 日本 

国家 自身、 人権に 目覚めた の は 実に 戦後 昭和 一 一十 一 年 新 憲法 公布 以降の ことで あると いうべき であります。 

また、 我々 は 戦前、 教育勅語 により、 君に 忠、 親に 孝 は 国民 道徳の 基本 思想と して 教育され てきた ので ありま 

す。 したがって 親の 苦しみ や 一家の 困窮に 際して 子が 犠牲と なるとい うこと は、 万 やむ を 得ない 場合 は 当然と さ 

え 思われ、 時に よって は 美談と して 賞 讚され てきた のであります。 最近 日本 厚生省の 発表に よると、 子が 親 や 一 

家の 犠牲になる という ことの 是非に ついて 調査した ところ、 事情に よ つ て はやむ を 得ない と 思う ものが 全体の 三 

ニパ— セント、 当然 だと 思う ものが ーパ ー セン ト もお つ たと 報告され ております。 

私が これらの 事 を 前提と して 申し上げた いのは、 ャト イング ヮの 慣習 は、 このような 戦前の 社会 環竟ゃ 国民 道 

徳ゃ 教育 を 背景と して、 ながい 年月の あいだ、 なんら ふしぎと も 思われず、 また 関係者に おいても 犯罪 意識 もな 

く 公然と おこなわれ てきた という ことであります。 当時 はャト イング ヮが 逃げた とき は、 詐欺と して 一昌 主は警 

察に 訴え、 警察 もこれ を 犯罪と して 捜索して、 雇主に かえした ものであります。 

しかるに そうした 人権の 暗黒時代から 解放され て、 今日まで わずかに 十一 年、 人身売買 禁止の 布令 第一 号 公布 



131 海の 群 星 



後わず かに 七 年、 労働 三 法に いたって は 実に 三年に しかなら ない のであります。 このような 短時間に どうして 産 

業 饮土済 や 生 vK: につな がるな がい 間の 道徳 や 慣習 を 根底から 改変して、 違犯 を 一 掃す る ことができる であり ましよ 

うか。 私 はこの 短期間 を もってして は、 とうてい 法の 理想と する 目的 を 達成す る こと は 困難で あると 思う もので 

あります。 いわん や 保守 生が つよく、 また 一般に 単純 素朴なる 漁民 を 対象と する ことにお いて、 なおさら であり 

ます。 

たとえば 従来の 徒弟 制の 弊害 排除 を 規定した 基準法 第 七十 条 によって、 今 直ちに 徒弟、 見習、 養成 ェ などの 就 

労 を 禁止 するとせば、 大工、 鉄工、 指 物、 理髪、 菓子 製造な どの 各 業態 を はじめ、 運転 助手 を 使用す る 運輸 業な 

ど は、 事業 遂行 上 直ちに 大きな 混乱に 直而 せねば ならない のであります。 

それで 変革に ともなう 混乱 を 防止し、 これらの 青少年の 労働 環境 を 改善して、 平穏 裡に 労働 法規の 規定に 合致 

せし むる ために、 政府 労働 局 は 黒 島に おける 六 少年の いわゆる 人身売買 事件の のち、 急速に この 問題の 処理に 乗 

り 出しました。 一九 五 五 年 春 「年季奉公の 形で 漁業に 従事す る 青少年の 保護 対策 実施 要綱」 を 決定し、 これ を 公 

表する と共に、 全琉各 労働 基準 監督 署に 通達して います。 その実 施 要綱に 見る 通り、 ャト イング ヮ 問題の 処理に 

ついては、 自主的に 改善 を はからせる ことと なって おり、 悪質の ものに かぎり 法的 処罰の 処置 を 取る ようになつ 

ております。 

被告 新 城昌雄 はす すんで 八重 山 労働 基準 監督 署に 出頭し、 監督官の 指導 をう け、 是正すべき 点 はすみ やかに 是 

王して、 tj?- 府の 方針 や 法規の 主旨に そって 努力して きた こと はま ぎれ もない 事実であります しかるに レま 被告 

が、 その 改めた 従前の 違法に よって 更に 摘発 を 受け、 恪印を 押されて、 今日 法の 裁き を 受ける という こと は、 実 

施 要綱に 言う 政府 方針と 甚 しく 矛盾し、 何 か 割 切れぬ ものが あって、 まことに 理解に 苦しむ ものであります。 

これまで 縷々 申し述べ ましたが、 被告 は 政府の 指導 方針に したがって、 すでに 過去の 違法 を 改善して いる 占 r 



2. また 何ら 犯意な く、 したがって 犯 怠な きを 罰せざる は 刑法の 原則で ある 点、 さらに 被告の 性格 や 社会的 立:? 1^ など、 

I 諸般の 事情 を 御 考慮 下さいまして、 ねがわくは ぜひ 無罪の 判決 をた まわり ますよう、 とくに 懇願 申し上げる 次第 

であります。 

仲 本 裁判長 は 熱心に 牧山広 特別弁護人の 弁論に 耳 を かたむけ ていた。 それが 終る と、 判決 言い渡し は 追って 通 

知す ると 言い、 席 をた つ た。 

十 一 月 十一 一日、 八重 山 巡 裁で 被告の 新城昌 雄に 対して 次の ような 判決が 下された。 

判 決 

本 籍 石垣 市 字 新 川 参 番地 

住所 右 同 、 

漁業 

新 城昌雄 

明治 四十 二 年 十一 月 十三 日 生 

右の 者に 対す る 人身売買 労働基準法 違反 被告 事件 について、 当 裁判所 は 検察官 与 那嶺茂 歳 関与 の 上 審理 を 

遂げ 次の 通り 判決す る。 

主 文 

被告人 を 懲役 十月に 処 する。 

但し この 裁判 確定の 日から 一 一年間 右 刑の 執行 を 猶予す る。 



133 海の 群 星 



訴訟費用 は 全部 被告人の 負担と する。 

一 九 五六 年 十 一 月 十一 一日 

八重 山 巡回 裁判所 

判事 仲 本 正 真 

この 判決 を 被告の 新 城 はうな だれて 聞いて いた。 その 赤茶けた 髪 は、 今 は 白髪 まじりに なり かかって いた。 彼 

よ.^ 决を 受けて、 雁 いん 子と して 糸満に 買われた 時代からの 長い 歴史が、 自分の 身体 を 通りす ぎていく の を 感じ 

た。 彼 はた だ糸満 漁夫の 作法に したがって 買われ、 そして 独立した あと は、 おなじ 作法で 子ども を 買った にす ぎ 

なかった。 しかし それ は、 時代の 変遷に よって 罰せられよ うとした。 さいわいに 実刑 はまぬ かれた。 というの も 

彼 一 人に 負わせられるべき 罪で はな か つたから だ 



付記 海底の 地名に ついては、 琉球 大学 民俗 研究」 

ブの 一 九 七 二 年 研究報告 「うみ ー」 を 参考に した。 



137 わたしの 「天地 始之 事. 



1 

「l^g,M^5^5^」 の 世界 は、 私に とって は 他人 事に 属さない。 それが 私 ひとりの ために 書かれた もので はない にし 

て も、 少なくとも、 私 も その 一員に 含まれる 少数者の 世界に むけて 書かれた ものであると はいいうる。 

「天:^ 始之 事」 が なぜ 私 を そのよう に 引きつけ るかと いえば、 それが 日本列島で もっとも 日暮れの おそい 西の 海 

こ 生まれた 物語で あるから だ。 東シナ 海の 波の音 を 聞きながら 育った 私の 故郷と 「天地 始之 事」 の 舞台と は、 お 

なじ 海岸線で つながつ ている。 それだけではなかった。 私の 家の 女中 は 代々 かくれ キリシタンの 島と して 知られ 

る 五島 列島の 〈鼠 島〉 から やって きていた。 そうして 一人の 女中が 何十 年 も 私の 家に 居つ いた。 

私の 幼時に iM んだ家 は、 もと、 造り酒屋であった 家 を 買い取った もので、 玄関から 入った 土間の 屋根に 穿 たれ 

ベ ん がら ぞめ 

た 天窓から は、 高い 陽の 光が 拽れて 土間の 床に 落ちて いた。 格子戸 も 板戸 も 紅殻 染に 塗られて おり、 部屋の 柱の 

隅に は 白蜷の 羽が 散り こぼれて いた。 

家のう しろの 石畳 を 敷きつ めた 庭の むこうに 倉が 並んで いた。 倉の 裏手 は 海岸と つながつ ていた。 私の 幼時の 

記 億の なかには、 驟雨に とりかこまれながら も 海面の 一角が ふしぎに 陽に 輝いて いる 光景の ように、 いつまでも 

色 あせない 部分が ある。 冬の 夜 は、 風が 強く、 海岸の 砂が きしみ 鳴った。 春になる と 屋敷の 隅の 大きな 木犀に は- 

毎 免 梟が やって きて 啼 いた。 そんなと き 私 は 蒲団の なかで 眼 を 見開いて、 私 を かわいがって くれた 初老の 女中 力 

ら、 話 をた くさん 聞かされた。 



138 



, ^中 は、 かくれ キリシタンの くせに、 そのころ 隣の 屋敷に 住んで いた カトリックの 信者の 小母さんが もってき 

て くれた gl-es をよ く 読んで いた。 それでいて けっして 教会に 復帰し ようと はしなかった。 私 は 女中が 話した 聖書 

の 話の なかで イエ スが 彼の 弟子た ちに、 海に いつ て 釣った 魚の 口から 銀貨 を 出させる 話が いちばん 好きだ つ た。 

女中 はスタ テル 銀貨と いった。 スタ テルと いうの は どんな 銀貨な のか。 ふちに ぎざぎざが あるの か。 だれかの 顔 

が 彫って あるの か。 私 は 女中に それ を 聞いた。 女中 は 困った 顔 をした。 ジュ ワン さまの ような 顔じゃないだろう 

か、 と 答えた。 ジュ ワン さま は ある 日、 海の 上 を すたすた 歩いて、 消えて いったと いう。 私 は 海の 上 を 歩いて ど 

こへいった、 ときいた。 女中 はジュ ワン さま はきつ と 万里が 島の ほうに 行った にちがいない、 といった。 万里が 

島 は どこに ある、 と 聞く と、 〈鼠 島〉 の そのず つと さきで、 なんでも とても あつい 島ら しい。 女中 は それだけい 

つて、 遠く を 見詰める 顔つき をした。 

私の 記憶の なかで は、 女中の 話 はいつ の 間に か 魚の 呑み こんでいた 銀貨が 指輪に 変って いた。 びくの 底から、 

魚が 口 を まるく つき出して いるかつ こうが、 指輪 を 思い出させた のか もしれ ない。 私 は 魚の 口から 指輪が 出 やし 

ないかと、 いつも 漁師の びく をの ぞく 習慣が ついた。 

女中の 話に 出て くる 万里が 島の こと を もっと 知りたい と、 私 はせ がんだ。 …… 昔々、 大昔、 〈鼠 島〉 のず つと 

むこうに 万里が 島が あって、 その 島の 寺の 獅子 駒の 目が 赤くなる と、 島が 滅亡 するとい う 言い伝え があった。 島 

びとの なかに いたずら する 者が あって、 獅子 駒の 目 を 赤く 塗りつ ける と、 たちまち のうちに 大 津波が おそって き 

て、 島 は 一面の 大海に なって しまった。 島び とみんな 溺れ 死んだ が、 「はっぱ 丸し」 と 呼ばれる 信心深い 者 だけ 

は、 かねて 用意の くり 船に 六 人の子 ども をのせ、 板 や 柄杓 を 手に して 「万里が 島の 見えろ がな、 あり 王 島の 見え 

ろが な」 と 声 を あわせて、 波を播 いていった。 

「さすれば,^ すかに 見 ゆる あり 王 島、 その 島 便りに 搔 きつく る」 と、 女中 は 最後の 場面 を 歌うよう に 口ずさんだ。 



わたしの 「天地 始之 事」 



万里が 島よ 化んで しまったが、 島の あつたと ころ は、 引き潮の とき 通りかかった 船の 漁師が、 海底に 眼 を 凝らす 

と、 キ戸ゃ 家並 や 墓地な どが 透けて 見える という。 漁師が そこで 網 を 打つ と、 壺ゃ皿 や 茶碗の かけらの ような も 

の、: A、 ぐ わらぐ わらと かかって くる ことがあ ると 女中 はいった。 そのぐ わらぐ わらと いう 音が、 私の 耳に ながく 

ついて 離れなかった。 えんじ 

私が 六 歳に なった 年の ちょうど 初夏の 候 だ つ た。 家の 中庭に は 私の 背丈より 高い 立葵の 青 や 勝 脂 色の 花 カプリ 

ズムの 陽の ようにお ぼろげ にいぶ つていた。 私 は 近所の 友 だち と、 立葵の 下で 遊びに 余念がなかった。 

夕 IT, こなって、 付近の 小母さんが 私 を 呼びに きた。 町の 教会 主催の 映画 会が あるから、 私 を つれていく とレ 

うのだった。 私 は 手 や 着物に ついた 泥 を はらって、 友 だち にむ かい、 今日は これでお しまいと いう 仕草 をした。 

ト:; さん こ つれられて 央岡 館へ 行く 坂道に は、 暮色が 濃くなる につれ て、 ますます 遊びに 熱狂して しく 子ども 

たちの 叫び声が 欲と なって はね 返って いた。 

九:^ の 西の 果ての 漁村で は、 映画 はま だもの 珍しく、 巡回 芝居の かかる みすぼらしい 常設 小屋で、 たまに 弁士 

つきの 央 画が 上映され ると いう 程度だった。 私 は 看板の ぺ ン キの剝 げた その 小屋で 「イエスの 一生」 としう 映画 

を 見た。 それ は 布教の ための 宣伝 映 固に すぎなかった が、 それまで 乳 草の ような 愛し か 知らな 力った 私の 胸 を、 

はがね 色の 恐怖と 炎の 幾 時間 かが 通りす ぎていった。 映画が 終って、 うす 暗い 電灯が ふたたび 小屋の 内部 を 照し 

出した とき、 その 灯が なぜかい とわし かった。 私 は 生まれて はじめて、 胡桃の ような 頭脳 を かき 乱されて 家に 戻 

つ た。 

その 夜、 私の 夢の なかには、 自分よりも 幼い 嬰児の むれが、 数 限りなく 虐殺され ていった。 兵士た ちの サン ダ 

ルの 哄笑が 家から 家へ ひびき こだました。 追い つめられた 女た ちのうし ろで、 鏡 は 微塵に くだけ、 とまどう 裳裾 

を 槍が つら き、 若い 母親の 細い 首す じを締 木の ような 腕が 圧しつ ぶした。 息詰まる 場面の のち、 5^ 巻きから 吐 



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き 出される 木の葉の ように、 ひとりの 1^ 親に 抱えられた 幼児が、 ラクダ の 背に 乗せられて 遠い 国に 旅立った …… ~ 

十二のと き、 「彼」 はお 寺で 大人 も 舌 を 巻く ほどの 賢い 説教 をした。 …… 最後 は、 大地が 揺れ動き、 陽が 急に 昏 

くな つて、 処刑の 兵士た ちが 蒼 ざめ る 丘の 上、 盗賊た ちの 間に 挾まれて むごたら しい 死 をと げた …… 「彼」 はも 

う 一度:; g つてき た、 と 見る 間に、 「彼」 は 自分の 母 や 弟子た ちが 見守るな か を、 天空に 向って 昇って いった。 そ 

の 姿 はし だいに 小さくな つ て、 あと は 眼で 追つ ていく こと もで き なくなつ た …… 。 

その 夜の ことがあ つてから、 私 は 大切に 飼って いた 力 ナリヤへの 関心 も 薄らいで、 日課の 餌 を 忘れた ので、 小 

鳥 は 死んで しまった。 私 は それほど 失念が 烈しくな つた。 私 はあり あわせの ノ ー 卜の 裏 や 切れ端に、 かたつば し 

から 十字架に かかった キリストの 姿 を 描いた。 それ は キリスト を磔 にす る 行為 を、 もう 一度 私自身た どり 直す 

ことであった。 キリストの 手のひら や 足首に 釘 を 打ちつ ける とき は、 息 を 詰めて 苦痛 をし のんだ。 キリストの 顔 

立ち や 髪 毛の 箇所 を 描く ときには、 铅 筆で そっと 撫でる ようにいた わった。 しかし 私の イエス は、 どれ もこれ も 

大きな 眼と 捲 毛 を もった トランプの 王様の 姿 に似てく るの だった。 それ は、 幼児 だけし か 理解し えない 双葉の キ 

リストへの 親近だった ろうか。 

私が ノ ー トに 十字架の 絵 を 描いて いる 姿 を 見つける と、 女中の 瞳に は 今までに なか つ たうる おい をお びた 光が 

あらわれた。 彼女 は 小さい 時に 聞かされた 話 を、 自分から 進んで 節 をつ けて 語った。 

帝王よ ろう 鉄 は、 御身 様の 詮議、 土 をう がち 空 を かけ、 たずぬ ると いえ ども、 あり 所 知れず ゆえ、 いずれ、 

土民の 子供に まぎれこ みいる ほど も、 おぼつかな くと、 うまれ 子より 七つまでの 子供、 国中の こらず、 ころ 

すべし と、 みなころ しに ぞ、 なりけ り。 勿体なく とも、 哀れと も、 何に 譬えん よう もな し。 



わたしの 「天地 始之 事」 



女中 は 浄瑠璃 を 語る かの ように、 最後の 一 節 を ひときわ 高く 口ずさんだ 

その 箇所 を 聞く と、 私 もまた 七つに ならない 子どもだった から、 あわてふためき、 身の 置き どころ が なくなつ 

たように 感じないで はいられなかった。 「帝王よ ろう 鉄」 というの は、 身に 鉄の 鎧 を 着 こんだ 悪者の ように 思わ 

れた。 

女中が 話 をして いる あいだ、 私 は 目 を あげて 水平線の 彼方 を 望んだ。 〈鼠 島〉 のむ こうに 万里が 島が あり、 そ 

こに 「彼」 は 今 も 生きて いた。 椰子の 樹の 葉の 黒い 影が 熱風に 揺れ、 白い 光に 刻まれた 家々 の 立ち並ぶ 場所で、 

「彼」 は 私の 知らない 言葉 を 話しながら、 世界 を 支配して いる 権威に みちた 少年だった。 

.厶 は 毎夜、 「彼」 の 夢を見る こと を 願わずに は、 眼 をつ むらなかった。 だが、 蘇鉄の 実の 綿 をと つて 遊ぶ 夢 は 

あっても、 「彼」 は 一度 も 訪れて くれなかった。 ねがいの まったく 叶えられない ことが、 私 を ひどく 苦しめた。 

そこで、 私 を 映画に つれていった 小母さんの 所に、 よく 遊びに いった。 小母さんの 家で はう す 暗い 室に 十二 枚の 

絵が 懸 つていた。 今思うと、 それ は 「十字架の 道行」 の 御 絵な の だ。 

私よ ト 母さんから 呼び出され るまで は、 いつまでも その 室に とどまって、 絵 を 眺める のが 好きだった 光 も 半 

陰影 も 見当らない けばけばし い 原色の 絵 は、 無力 だけが 行為の 審判 者で ある 倒錯した 世界の 魅力 を 私に 訴えて い 

た。 十字架よ 重くな けれ、、 よなら ず、 キリスト は 幾度 もころ ばねば ならなかった。 芦の 鞭 は 素肌 を やぶる ほど 痛く 

…… 唾 はぬ ぐっても とれない 烈し さで 顔に 吐き かけねば ならない、 と 私 は 望んだ。 茨 だけが ほの 緑い かなしみの 

ように 浮んだ。 私 は 侮蔑され た 恋人に 接する ように 苦痛の 快感に つらぬかれて、 幾 時間 も 飽きずに、 爪立ち 眺め 

ていた。 

そうした 私の 傾向 を 心配した 母が、 あるとき 私 を 知り合いの 坊さん 宅に 連れていった。 この 子 は …… と 母 は 冗 

談 まじりに 坊さんに 説明した ので、 かたわらの 私 は ひどく 腹 を 立てて だまって いた。 坊さん は 笑いながら 私 をみ 



142 



て . 

「坊っちゃん、 今はョ ー 口 ッ パ でも 仏教 は 研究 熱が とても さかんで すよ」 

といった。 私 は それに も かすかな 侮蔑 を 受けた。 そして 今 思い出しても おかし いのは、 まだ 小学校に も 上らない 

私に 坊さんが 理窟め いた こと をい つたこと だ。 

それから 半年 後、 私の 上に 起った 変化が ふいと イエスの こと を 忘れさせる 原因と なった。 乳の 上に レモンの 滴 

が 暗い 波紋 を 描いて いくように、 納得す る こ ともなく 味わわされた 幼い 受難の 日々 を 私 は 思い出す。 大気の 動か 

ない ある 午後、 私 は 倉のう しろの 砂浜の かげに すわって いた。 すると 一陣の風が どこから ともなく 吹き 起る よう 

に、 かすかな、 しかし 忘れが たい 羽ばたき を 耳に した。 錯 落として 重なり合う 光の なか を、 それ は 影の ように ひ 

ろが り、 私に しのびよった。 私 は 思わず 身じろぎして、 海の ほう を 見た。 水平線の 彼方、 女中から 聞かされた 

〈鼠 島〉 のうしろ、 万里が 島と おもわれる あたりに、 白い 雲が 生まれ かけて いた。 私が 今し がた 聞いた の は、 そ 

の 雲の 翼の 不吉な 羽ばたきに ちがいなかった。 果して 私 は その 日の 夜から 高熱に 浮かされ、 熱 はなが く 引かな か 

つた。 私の 身体 は 病魔に 犯されて いた。 

その 年の 秋 はこと さら 雨が 多く、 幾 十日と 降り つづいた。 私の 病室に あてられた 家の 離れ座敷の 硝子 窓越しに、 

雨中 を 移動す る 烈しい しぶきが 寡婦の 影の ように 白く 閃めいて いた。 家の 廊下 は 酸っぱい 匂い を 立て、 壁に は蝸 

牛 やなめ くじが 這って いた。 それ をみ ると 私 は 子ども 心に も 何 か 悔恨の 思いが する のだった。 私が 愛して いた 饊 

形 花の 太陽、 層雲の かがやく 反射 面 ははる か 彼方に 遠ざか つてい つた。 

女中が 語つ て くれた ィ ェ ス の 受難の 物語で、 「帝王よ ろう 鉄」 が へ 口 デ である こと を 知った の は、 青年時代に 



143 わたしの 「天地 始之 事」 



なつ てからの ことで ある。 へ ロデの 幼児 狩りに 相当す る この 部分 は、 私の 見た 一 イエスの 一生」 という 映画の な 

かで も、 もっとも 強烈な 印象 を もって 私の 脳裡に 焼きつ けられて いた。 そこで、 後に 「天地 始之 事」 に 出会うよ 

うにな つて、 しらべて みると、 女中の 語った 文章 は 次のように 続いて いる。 

此事 御身 伝え聞き、 さて は 数万の 子供が 命 を 失な う 事、 皆 吾 故 なれば、 此 後世の 助けの ため、 ぜぜ丸 やの 

もりの 内に て、 あらゆる 苦 業 はなされ ける。 

かかる 所に、 でう すより 数万の 幼な 子の 命 失な う 事、 皆 其方 ゆえな り。 然る 時 は、 ばらい その 快楽 を 失な 

b ん事、 しもと なし、 よって 死せ し 子供の 後世の ために、 責めせ いた げられ、 命 を 苦しめ 身 を 捨てき たるべ 

しの 御告な り。 

ここで 「卸 身」 と あるの は イエ ス のこと である。 つまり イエ ス のために 巻き添え を 食って 数万の 子どもが 命 を 

落した の だから、 その をと むろうた めに、 イエス はこの 世の 責苦を 受けて 死なねば ならぬ ことが、 天帝から 

通告され る。 ここで 幼児 を 殺す ことが 人 問の 原罪に つながる という 考えが 披瀝され ている。 当時の 日本の 村 や 

漁村で さかんに 行なわれ ていた 間引きの 習慣が、 常 民の 心の底に 深い霧り を 落して いた ことが 読み とれる。 自分 

の 子 を 殺す というと きの 贖罪 意識が、 その 罪 を 背負って、 イエス は 命 を 捨てるべく 天帝から 命令 を 受けた とい 

う ふうに 転化され ていく。 イエス は 日本の 農民 や 漁民の 贖罪 者と して 立ち あらわれる。 それにしても 私の 夢魔の 

ように あらわれた 幼 旧ん たち を 考える と、 幼い 私 もまた 「知られざる 罪」 を 背負って いたのであろう か。 

女 4V がし 、、よし f 語って くれた 「万里が 島 I の 名 は、 「創世記」 の ノアの 洪水に 相当す る 「天地 始之 事」 の 津波 



144 



の 話の なかに 見つかる。 そこに 出て くる 「はつば 丸し」 という 帝王の 「はつば」 は 教皇、 一丸し」 はまる ちる- 

つまり 狗教 者の 意で ある。 この 話 はいう まで もな く、 高麗 島の 伝説 を 下敷に している。 

高 魔 島の 話 は 五島に いくと 今でも あちこちで 聞く ことができる。 たとえば 三 井 楽 町の 柏 港で 私が 聞いた ところ 

では、 柏から 北へ 二 時間 余り も 船で 行った 海中に 高麗 曽 根と 呼ばれる 浅瀬が ある。 そこ は 引潮のと き 水深 七、 八 

メ ー トルの 浅 さになる という。 女中の 話の ように、 海底に 建物 や 道路が みえ、 また 漁師の 網に 皿ゃ壺 がか かって 

くる ことがある。 その 皿 や を 秘蔵して いる 家が、 久賀 島に も 福 江 島に も ある。 私 も それ を 見せて もらった が、 

なかなかの 逸品で あつ た。 

この 高麗 曽 根に まつわる 伝承と いうの は 「天地 始之 事」 の 話と 大同小異 である。 むかし 高麗 島と 呼ばれる 島が 

あって、 そこに 祀 つて ある 地蔵の 顔 を 赤く 塗った ところ、 島 はみ るみる 沈没し、 人び と はかろう じて 島 を 脱出し 

た。 そのと き 赤 牛 も 海 を 泳いで 逃げて きたと いう 話が 柏 港に も 伝わって いる。 高麗 島から 逃げて きた 牛と いうの 

あお かた わらび 

で、 黒と 白の 斑の 牛 を 高麗 牛と 呼んで いたと いう 話 は、 上 五 €L? の 青 方で も 聞いた。 福 江 島の 北に ある 久贺 島の 芽 

という 部落に は、 岛を 脱出 するとき に 一緒にたず さえて きたと いう、 首の ほそい 異様な 地蔵 を 太子 堂の 脇に 今 も 

祀 つてい る。 ただし 首から 上 は 昭和 初年に どこかの 石工に 作らせた という 話であった。 この 高麗 島の 話 は 中国 渡 

来の ものであるが、 それが 長崎県の 海岸 部の 漁村に 定着して いた ものである こと はまちが いない。 五島の 高麗 曽 

根 は 水底に 没した 高麗 島の 一 端で あると 考えられ ている。 

「万里が 島」 は、 田 北 耕 也 氏に よると、 『采 覧異 言』 や 『和漢 船 用 集』 の ほか、 中国の 諸 書に も 見え、 外国に は 

リス ホ ー テンの 航海 図 を はじめ、 十六、 七 世紀の 諸 海図に 出て いると いう。 また 南 支那の 海図に は、 交趾に 近い 

海の 浅瀬で 航海 者の 難路と して 警 示されて いるものに 「万里 瀬」 が あると いう。 柳 田 国 男 は 『島の 人生』 のなか 

で、 鹿児島県の 西海岸の 彼方に 浮ぶ 下甑 島の 瀬々 というと ころの 某 家に は、 万里が 島 焼の 茶碗と いうの が 秘蔵 さ 



145 わたしの 「天地 始之 事. 



かく いおとし 

れ ていて、 その 茶碗の 糸底に は 万里 萑 という 三文 字が ある こと を 記して いる。 下甑 島の 藺 落の 付近で は、 茶碗 島 

が 西に あると いう 伝説が ある。 この 茶碗 島と いうの は、 そこに 陶器が 産 するとい うこと で 名付けられ たもので あ 

るから、 万里が 島と おなじであろう。 万里が 島 は 高麗 島と おなじように、 はるか 昔に 海底へ 沈んで しまったと 伝 

えられて いる。 

幼い とき 女中から 聞いた 島 脱出の 話の なかで 「万里が 島の 見えろ がな、 あり 王 島の 見えろ がな」 と あるよう に、 

万里が 島と 有 王 島 は 対句と なって いる。 有 王 は 俊 寛が 鬼界 島に 流された とき、 そこで 会い、 俊 寛の 死後 は 遺骨 を 

首に かけて 都に かえり、 俊 寛の 後生 をと むらった。 肥 前 は 盲 僧の 古い 根拠地で ある ことから、 柳 田 国 男 はこの 

「天地 始之 事」 も 琵琶に 合わせて 語った ので はない かと 田 北 氏に 話した という。 たしかに 文章 は 朗誦に 堪える 韻 

文の 体裁 をと つてい る けれども、 ^時の きびしい 迫害 状況から みると、 信者た ちが 声 を 出して 語るな どと は 考え 

にくい。 しかし、 口伝に よる 授受が 行なわれ たこと だけ はまちが いない。 そこで 平家物語に 縁 由の ある 有 王と い 

う 名前が 出て くるの はけつ して 意外で はない。 しかし、 万里が 島と 対句の 有 王 島と なると、 実際に 有 王に つなが 

りが あると は 思えず、 また 田 北 氏の ように 「有り合せ」 の 島の 意と 解す るので は、 万里が 島と 並 称する ことのつ 

じつ まが 合わな い。 では 有 王 島 は どのような 意味に 受け取つ たらよ いであろう か。 

南 島で は 海 彼の 常世 を 二 ー ラ とか 二 ロウと か 二 ー ル スクと 呼び、 それの 対句と して ァ 口 ゥ 島の 呼称 を 使用して 

いる。 私 はこの 有 王 島 はもと ァ ロウ 島の ことではなかった かと 想像す る。 柳 田 は 南 島で 海上 他界 を 二 ライ または 

二 ー ラと 呼ぶ ところから、 その 二 —ラの N 音が M 音に 転換して ミ ー ラと 変化し、 それが さらに ミ ー ラク、 ミ ミラ 

ク などの 地名と なった ので はない かとして、 五島の 三 井 楽 は、 二 ー ラク、 つまり 常世に 相当す る 南 島 語に 由来す 

ると 推察して いる。 五島 列島に 二 ー ラクに 縁 由の ある 地名が あつたと すれば、 ァ ロウ 島が あつたと して ふしぎで 

はない というの が 私の 推論の 根拠で ある。 



6 もし この 推定が 正しければ、 高麗 島、 万里が 島、 茶碗 島、 三 井 楽、 有 王 島な ど 名称 こそち がえ、 すべて 海 彼の 

原郷 であり、 洋上の 他界で ある。 それが ことごとく、 東シナ 海に 面する 九州 西海岸 や 離島に 伝承され ている こと 

は 注目に 価す る。 西教の 教典と 教義と を もたらす ために 万里の 波濤 を 越えて きた 不惜 身命の 紅毛人 は 聖書の 記事 

が 世界 最古の 唯一無二の ものであると 信じて いたが、 ノアの 洪水 を 了解で きる 素地と しての 洪水 伝承 は、 西教の 

渡来より はるか 前に 九州 西海岸に 存在して いたと 見なさねば ならぬ。 

洪水 伝承に かぎらず 「創世記」 と 酷似す る、 次の ような おどろくべき 伝承が わが 南 島に 存在して いた。 

伊波 普 ® が 近所の 老婆から 聞いた という 沖繙 本島の 属島で ある 古 宇 利 島の 例 を 見よう。 

昔 はじめて 男の子と 女の子が その 島に 出現した が、 二人 は 裸体で も 恥じる 心 を 知らず、 毎日 天から 降って くる 

餅 を 食べて 無邪気に 暮 していた。 餅の 食べ残し を 貯える という 分別が 出て くると、 いつしか 餅の 供給 はと まって 

しまった。 一 一人 は 食うた めに 働かねば ならず、 朝夕、 海浜で 貝 を 漁つ て 命 を つないだ。 あるいは 海馬 (ジ ュ ゴ 

ン) が 交尾す るの を 見て、 男女の 道 を 知った。 そこでよ うやく 裸体 を 恥ずかし いと 思うよう になり、 クバの 葉で 

恥部 を かくした。 沖繩 三十 六 島の 住民 はこの 一 一人の 子孫で ある。 

この 話 は 「創世記」 に 酷似して いる。 しかし 天から 降る 餅、 すなわち マナ を 貯えた から その 配給が とまって し 

まった とか、 交合の 方法 を 知った ので 裸体 を 恥じる ようになった というの は 「創世記」 に は 載って は、,, な、,。 ブ VJ 

れは 「創世記」 の 変形な のだろう か。 私 はそう は 思わない。 たとえば 八重 山に は 次の ような 伝承が 残って いる。 

大昔の こと、 浜お もとの 芽が 生いし げり、 次に やどかりが 地に はう。 次に うずらが, け、 それからし、 まらく し 

て、 男女 二人が あらわれた。 …… 神が 二人 を 大樹の 洞穴の なかに かくした。 時 を 移さず、 天 をく つがえ すば かり 

の 雨が 滝つ 瀬の ように 降り注ぎ、 大 洪水が 起こり、 野 も 山 も 一面の 海と なった。 こうして 数日ば かりたって、 さ 

しもの 洪水 も 退いた から、 神 は 毎日 餅 三 個ず つ をたず さえきて、 二人 を やしなった …… 。 



147 わたしの 「天地 始之 事」 



ここに もまた 神の さずける 餅が 出て くる。 もう 一 つの 例 を 見よう。 次は奄 美大 島の 中 村喬次 氏の 採集に かかわ 

る奄 美の 宇検村の 伝承で ある。 

大北 :!、 マ ジン (ハブ ) に は 翼が あつたと いう。 島に は 赤い 実の なる 木が 生えて いた。 天の 神が 人間た ちに その 

実は 毒 だから ぜったいに 食べて はいけ ない と 禁じて いたのに、 マ ジンが とんで きて、 ある 夫婦に 「その実に は 毒 

なんかない。 食べるな というの は、 天の 神が 独り 食いしたい ためだ。 食べろ 食べろ」 と そそのかした。 まず 女が 

贪 ベた。 おいしかった ので、 次に 男が 食べる と、 うまく ノドを 通らず 途中で ひっかかった。 これ を 見た 天の 神様 

はたい へ ん 怒つ て、 男に は 「おまえ は 一 生、 その実 をノド にかから せ」 といい、 女に は 「おまえが 子種 を 生む と 

きに は、 うんと 苦しめ」 と 罰 を 下した。 それで 男に はノ ドガ メ (喉仏) がで き、 女 はお 産に 死ぬ 苦しみ をな める 

ようになった。 

この 話 は アダムと エワの 話 を 土地の 説話と して 翻訳した と 思われる ほど、 両者 はよ く 似て いる。 奄 美に カトリ 

ックの 布教が 始められ たの は 明治 二十 四 年と 『大奄 美史』 は 記して いるから、 あるいは そうした こと も 考えられ 

なく はない。 しかし、 禁教 時代と ちがって、 わざわざ それ を 土地の 伝承と して 置き換える 必要 はない。 それに、 

ハブに 翼が あると いう 話 は 「創世記」 に は 見当らない。 おそらく、 両者 は 無縁に 成立した ものであろう。 たとえ 

ば 次の ような 説話 を どのように 考える か。 

昔、 南風 原に 一人の 巫女が いて 妊娠した とき、 阿 檀の実 を 食べたい と 思った。 ところが その 兄が その実 を 与え 

なかった ので、 妹の 巫女 は 怒って、 これから さき 阿檀の 実が むすぶ こと を 許さない、 と况詛 した。 それから 後と 

いう もの は、 阿 擅 は その 地に たくさん あつ て も 実 を むすばな か つ た。 

この 話 は 福音書の 揷話を 思い起こさせる。 その 話と いうの は、 イエスが 飢えた のでぎ 花果を 食べようと 思って、 

その 樹の 下にい つてみ ると、 葉 だけし かなかった、 それで 「今より 後、 いつまでも 果を むすば ざれ」 と 呢詛の 言 



148 



葉 を吐レ たと ころ、 無花果の 樹は 立ち どころ に 枯れた というの であるが、 両者の 主題 はまった く 一致して いる。 

沖繙の 巫女の 話 は、 十八 世紀、 キリシタン を きびしく とりしま つていた 沖繙 で、 首 里 王府の 編纂した 『遺老 説 

伝』 に 収録され たもので あるから、 これが 福音書に 由来す る もので はない こと は 明白で ある。 

「天地 始之 事」 は、 プチ ジ ヤン 師が長 崎の 浦 上に 潜伏して いた キリシタン 教徒の 間から 慶応 元年 四月に 発見した 

もので、 その後、 田 北 耕 也 氏な どの 写本の 発見 研究に よって 一般に 知られる ようになった。 この 書物 は、 禁教 時 

代に 口伝えに 伝えて きた もの を 文政 六 年 ( 一 八 二三) 頃に 書き取つ たと 考えられ ている。 プチ ジャ ン 司教と 同時 

代の 人で 長 崎 教区の 副 司教であった サル モン 神父 は 「奇怪な 伝説 を 交えた、 取る に 足らぬ ものであった」 と 述懐 

している が、 たしかに 正統 的な カトリック教会の 伝統 を ふまえた 教理 や 教義 内容と 比較 すれば 「奇怪な 伝説」 と 

して 一笑に 附 されうる ものである。 しかし 私 はこ こに 別の 積極的な 意味 を 「天地 始之 事」 に 見出す。 

私が この 書物から 受ける 感動の 一 つ は、 二百 五十 年の 禁教の 期間、 忘れ かけた 知識 を 土台に して、 創世記と 福 

音 書の 部分と を 新たに 作り出し ている ことで ある。 信者た ち は あいついで 此の世 を 去り、 あるいは 教理 を 捨てて 

四散し、 教理 や 聖書に ついての 記憶 は、 年 ごとに 稀薄に なって いく。 それにつ けて 空白の 部分 は 拡大す る。 その 

とき 何 を 以て その 空白 部分 を 埋める かとい う 問題が 起こる。 記憶 はう すれた にしても、 消し 忘れた ものが 微かに 

つてい その 箇所 を 再生の 手がかり とする しかない。 という ことから 素材 を かきあつめて、 筋 書と ィメ ー ジ 

の 再生 を はか つ た。 

潜伏 キリシタン は 漁民 や 農民が 大部分であった から、 格別 教養が ある わけで はない。 そこで その 素材 は 身の ま 

わりの 日常生活の なかから 引き出す 以外に 手段 はない。 つまり ありあわせの 民俗 的な 云 承 を もって、 天地創造と 



149 わたしの 「天地 始之 事」 



キリストの 一 代 記 を 語る という 方法 を 採る こと を 余儀なく させられ たので ある。 

一冊の 聖窗も 公教要理 も 見当らない とき、 潜伏 信徒た ち は 不確かな 形で 口伝され た 記憶の ほか は、 彼らの 日常 

周辺に 存在す る 伝承 を もって、 それ を 再構成す る ほかはなかった。 さいわい にも 天地の 始まりと 島の 滅亡の 説話 

があった。 また 人間の 邪悪 さの 起源 を 説明す る ものと して、 嬰児 殺しの 風習の 伝承 も 存在した。 これらが 取り入 

れ られ、 異質の 光に 照し 出されて 「天地 始之 事」 のなかで あたらしく 蘇え る ことにな つた。 とはいえ その 手持ち 

はき わめて 限られて いたから、 これの 民間伝承 はもち ろん のこと、 神社 や 寺に ついての 慣習 的な 知識 も それなり 

に 協力 させられる ことにな つ た。 

潜伏 信徒 は、 農民 や 漁民な どの 下層の 生活 民が ほとんどであって、 いわゆる 知識人ではなかった から、 教養の 

持ち合わせ はなく、 そこに はかず 多くの 訛伝 や 仮託が まじって いる。 丸い 石 を サンタマリア (丸 や)、 平らな 石 

は サンへ イト 口 (平と ろ、 ペトロ) の シンボルと 理解す るの は、 正統 的な カトリックの 思想から みれば、 とる に 

足らない 無意味な こじつけ かもしれ ない。 しかし 私 はそう は 思わない ので ある。 丸い 石に、 マリアの ィメ ー ジを 

求めた というの は、 母性への あこがれが 含まれて いよう。 平たい 石 を ペトロと みなす の は、 あるいは 教会の 基盤 

となる 岩と 通じ あう ことが 諒解され ていたの かもしれ ない。 カトリ ッ ク 教会の 思想に みられる すさまじい ほどの 

象徴 や 意味 づけ も、 詮 じつめ ると これに 類した ものであって、 潜伏 信徒の 発想 や 習慣 を かならずしも 笑う こと は 

できない ので ある。 

田 北 耕 也 氏 は 『日本 思想 大系』 の 解説の なかで 次の ような 感想 を つらねて いる。 

潜伏 キリシタンの 半数 強 は 百年 前に 教会に 帰った が、 残りの 半数 弱 は 潜伏 状態 をつ づけた。 そこに は 布教 

上の 不手際 も あるが、 それ を 責める より は、 むしろ 貴重な 宗教 民俗学の 資料 を 保存す る ことと なった 結果の 



方 を 重視すべき である。 史的 キリシタンの 不完全な 残存と して 軽視せ ず、 日本の 土壤 にしみ こんで 根付いた 

キリスト教の 民間 下降 を 重視すべき である。 「天地 始之 事」 はこの 資料 価値 を 代表して いる。 

田 北 耕 也 氏 は 明治に なつ て も カトリ ッ ク 教会に もどらず、 禁教 時代の 伝説 を かたくなに 守りつ いだ 潜伏 キリシ 

タン、 俗にい う 「はなれ キリシタン」 を 評価す る。 つまり 「貴重な 宗教 民俗学の 資料 を 保存」 したと いう 意味に 

おいて。 

これにた いして、 片岡弥 吉氏は 『日本 庶民 生活 史料 集成』 の 解説の なかで 次のように 述べて いる。 

「天地 始之 事」 はこの ような (迫害と 禁教 —— 引用 者 註) 外的、 内的 条件の 異常 さの 中で、 聖書 物語の 原形に、 

多くの 異質 的 要素が 混成され、 土俗 信仰的 変容 を 来した ものである。 しかし、 それ をよ い 意味の 風土 化と 見 

るの は 妥当で なく、 政治、 社会、 宗教な どの 異常な 環境 条件が、 いかに 人間の 思想 や 信仰まで 異常 化させる 

かとい うことの 事例と して 大切な 意味 を 持つ ので は あるまい か。 

片岡弥 吉氏は 「天地 始之 事」 が さまざまに デフォルメ されて いるの を 「異常 化」 と 見る のであって、 その デフ 

オル メ された 内容が カトリックの 正統 思想に どれほど 遠ざかつ ており、 変形され たかに 関心 を もつ。 田 北 氏の よ 

うに 宗教 民俗学の 資料と して その 内容 を 見ようと する までにい たって いない。 この 両者 を 比較 するとき、 私 は ど 

ちらかと いえば 田 北 氏の 考え方に 与したい。 しかし 田 北 氏の 考え だけで は 十分で はない。 「天地 始之 事」 はたん 

なる 「資料」 ではない。 そこに はいつ さいの 指導、 援助 を 絶 たれた 日本の 民衆が、 自力で 思想 を 構築し ようとす 

る 感動に 値する けなげな ふるまいが ある。 あらゆる 手持ちの 素材 を 総動員して 作り あげた 「天地 始之 事」 に 接す 



わたしの 「天地 始之 事. 



ると きの 感動 は、 天明 五 年に 鳥 島に 漂着した 人た ちが、 十二 年余 かかって、 海岸に 流れつ いた 板切れ を 二百 数十 

枚 も 拾い あつめ、 それ を はぎ 合せて 船 を 作り、 その 船に 乗って みごとに 無人島 を 脱出した という 話 を 読んだ とき 

の 感動と 似て いる。 

「天地 始之 事」 の 創作 過程に たどれる 再 組成の 方法 は レヴィ = スト 口 ー スが 『野生の 思考』 において ブリコ ラ ー 

ジュ (器用 作業) と 名 づけた ものに ほかならぬ。 計画に 即して 考案され 購入され る 材料 や 道具で もの を 作る ので 

はなく、 ありあわせの 材料 や 道具 を 使って、 もの を 作る のが ブリコ ラ ー ジュ である。 

レヴィ = ス トロ I スは 次に みられる ように 重要な 指摘 をお こなつ ている。 

神話 的 思考の 本性 は、 雑多な 要素から なり、 かった くさん あると はいっても やはり 限度の ある 材料 を 用い 

て 自分の 考え を 表現す る ことで ある。 何 をす る 場合で あっても、 神話 的 思考 はこの 材料 を 使わなければ なら 

ない。 手 もとに は 他に 何もない の だから。 したがって 神話 的 思考と は、 一種の 知的な 器用 仕事で ある。 (『野 

生の 思考』 大橋保 夫 訳) 

「天地 始之 事」 はま さしく 「神話 的 思考」 の 所産で ある。 それ は 柳 田 国 男 監修 『民俗学 辞典』 の 中の 「神話」 の 

説明に 照して みて も 適合す る。 

日本 民俗学で 神話と いう 場合、 それ は 語る 者が 言い伝えた 内容 を 堅く 信じ、 神 祭の 日の 如き 改まった 機会 

に、 必ず これ を 信じよう とする 人々 の 耳へ 一定の 形式 を 以て、 厳粛に 語り 1H えた もの を 指す ことにし ている- 

したが つ て それ は 現実に 伝承して いる 祭儀の 説明と な つ ている ものが 多い。 



「天地 始之 事」 も 信者の つどいの 中で、 一定の 祝日に、 耳から 耳へ と 語り伝えられ ていった。 同 辞典 はさら に 次 

のように いう。 

神話の 特質 は、 後世の 語り物と 昔話と 伝説との 三つに、 分割 相続され ている と考えられる。 

たしかに 「天地 始之 事」 は 語り物と 昔話と 伝説の 三つの 要素 を ことごとく 備えて いる。 それ は 後世の 語り物の 

ように 節 をつ けて 朗誦す るに たる 文章で ある。 その 一方で は 稚拙で あり、 また 奇蹟に みちた 筋 書で、 一種の 昔話 

または メルヘン として 読む こと も 可能で ある。 さらに、 創世記と キリスト 一代記との 接合した ものである だけに- 

きらびやかな 伝説 性 を 濃厚に 備えて いる。 これらがない まぜに なって いると ころに 「天地 始之 事」 の ふしぎな 魅 

力が ある。 

私 はこれ を 神話の 部類に 入れるべき か、 民話 や 伝説と して 扱う ことが 正しい かとい う 形式 分類に 関心 を もた な 

い。 たとえば 『古事記』 は その 全体が 文字 化されて いるもの だから 厳密な 意味で は 神話と はいいが たい 面 を もつ 

ている。 また 『古事記』 のなかで も、 出 雲 神話 は 話が 人間く さく、 筋立て も おもしろく 民話 ふうで ある。 

むしろ 私の 興味 は、 こうした 説話が 生まれる 機縁と なった 九州 西海岸の 生活 者の 歴史の ほうへ と 動いて いく。 

遣唐使 船が 五島 福 江 島の 三 井 楽の 柏 港 を 最後の 寄港地と したよう に、 また 俊寇の 巨魁の 王 直が 福 江 島 を 根 じろ と 

して 大陸 沿岸 を あらしまわ つ たように、 あるいは 補陀落 渡海の 船が 肥 後の 玉 名 や 伊倉の 海岸から 船出した ように、 

九州の 西海岸 一帯に は、 東 シナ海 をへ だてた 理想の 大陸への あこがれが、 つねに 存在した。 天草の 富 岡で は、 晴 

れた 静かな 日の 夕方 渚に 立つ と、 中国語が 聞え てく ると 土地の人た ちはいい 合って きた。 潜伏 をつ づける 信徒に 



153 わたしの 「天地 始之 事. 



とって 五島が 「口 ー マに 最も 近い」 島と 考えられ たの も、 こうした 考えの 延長に あった。 そこで 海の 彼方に た, - 

して 眼 を 凝らし 聴 耳 をた てる 慣習が 水平線 上に 血と 殉教、 愛と 殺戮の 物語 を 現出 させた としても おどろく ほどの 

ことで はな か つ た。 

幼時の 思い出の なかで もう 一 つ 書き残し ている ことがある。 私が イエスの 姿 を 見たい ときには、 となりの 小 母 

さんの 家に 「十字架の 道行」 の 御 絵 を 見に いった こと は 前に 述べた が、 小母さん は 家 を 戸 閉めに して ふいに 外出 

する ことが 多かった。 そのような とき どうした か。 昭和 初年の こと だが、 その 頃 私の 家に は、 H 社から 刊行され 

たばかりの 『世界 美術 全集』 がー 揃い 置いて あった。 私 は 父が いないと きを 見 計って、 全集の 置いて ある 父の 書 

斎に 入り こみ、 そっと 本 を ひろげて みるの が 楽しみだった。 頁 を 開く と、 強い インクの 匂いが した。 真白く、 光 

沢の ある ァ ー ト 紙の 口絵に ィ ェ スの 脇腹 や 手足から 真 赤な 血が 零れて いる 絵姿が 印刷して あるの を 見る と、 私の 

胸 はとき めいた。 中世の ぎこちない 磔刑 図 は、 幼い 私の 描く 稚拙な 十字架の 絵と あまり 変り なかった が、 ルネサ 

ン ス の 宗教画 は 官能的な ものに 変つ ていく。 そのな かで とりわけ 私の 眼 を ひきつけた 絵が あった。 

肉付きのよい 若者が 樹の 幹に 總で 縛られて くくられ ていた。 その 繙は 蛇の ように 若者の 身体に くいこん でいた „ 

若者 は 無数の 矢 を 射 こまれて、 両手 を あげ、 ひざがしらの あたり を 曲げて、 苦痛に 耐えて いた。 狱 犬に 追いつめ 

られ、 引き裂かれる 寸前の 大鹿 そっくり にも 思えた 若者の 眼 は、 ふしぎに 恐怖の 色が なく 澄んで した 

私 は 最初 それ を イエスと 思い こんでい たが、 どうやら ちがう ことが わかって きた。 イエスが 脇腹 を 槍で 突 カオ 

て 死んだ こと は、 私 は 映画で 見て 知っていた。 そこで それが 別の 人物の 殉教 図で ある ことに 気がついた。 この 殉 

教図 をみ ると き、 私 は イエスの 磔刑 図と はちが う 感情に おそわれた。 幼な 心に も 私 は 何 か 加害者の 側に 立って い 



4 る QI 分 を 発見した。 それに くらべて、 十字架の 道行の 絵に 描かれた 無力な イエスに 接する とき、 私 は イエスが 徹 

I 底して 侮蔑され る こと を 望みながら も、 自分が イエスに なり 切った ような 気持だった。 

父の 持つ ていた 闹集を 開いた とき 私 は 自分の なかに 加害者と 被害者の 双方の 感情が ひそんで いるの を 知 つ た。 

私 は 矢 を 打ち かけられた 若者 セバ ス チャン の 殉教 図に 接する とき は、 自分の 血管に 獵師の 本能が ひそんで いる こ 

と を 認めない わけに はいかな か つ た。 しかし ィ ェ ス の 磔刑 図 は その 逆の 迫害され た 犧牲の 獣の 感情 を 私に 起こさ 

せた。 

こうした こと を さらに 強く 意識す るよう になった の は、 青年期に 入って からだった。 私が 少年から 青年へ 成長 

した 時期、 日本 は、 満洲 事変に はじまる ながい 戦争に 乗り出し、 中日 戦争から 太平洋戦争 へと 戦火 を 拡大して い 

つた。 国家 は 軋り 声 を あげて、 重苦しく 私の 上に のしかか つていた。 だが 私 は 毎日の ように 新聞に 載る 戦死者の 

公報と 写真 を みても、 そこに 聖戦の 意義 を 見出す こと はでき なかった。 国策に はついて いけない が、 祖国 を 愛す 

る 気持 は 人一倍 強かった 私 は、 いつしか 自分に できうる こと は、 祖国から 迫害され る 道 を 歩く ことしかない とい 

う 倒錯した 考え を 抱く ようにな つ た。 それ は 屠られる 仔羊の もつ 苦痛の 快感に 近い もの だ つ たか もしれ ない。 

そのと きだった。 久しく 忘れて いた 幼児期 体験が よみがえ つたの は。 あの 燃える イバラの 冠 を かぶった イエス 

とハリ ネズミ のように 矢 を 背負った セ バス チャンと が、 私の まえに ふたたび あらわれた。 彼ら は 加害者と 被害者 

の 意識 を 代弁して いた。 加害者 はいう まで もな く 国家で あり、 被害者 は 私自身であった。 しかし 私自身の なかに 

も 自分に 対する 加害者 意識が あった。 加害者が いなければ、 被害者 は 存在せ ず、 殉教 はまつ とうされ ない。 とす 

れば、 加害者の 手 も 必要で ある。 その 双方 を 満足させる ものと して、 セ バス チャンと イエスの 狗教 図が 思い起こ 

された。 私の 屈折した 心境に こたえる ものと して は、 そのころ 読み 散らして いた 思想 書 や 文学 書の たぐい も、 幼 

年期に 私の 心 を さらった 束の間の 稲妻の ような 体験 ほどの 重さ を 持ちえ なか つ た。 



155 わたしの 「天地 始之 事」 



私が 女中の 実家の ある 〈鼠 島〉 にわた つてみ ようと 思い立つ たの は、 明日 を 期待で きない 日々 の 切迫した 感情 

のた めば かりではなかった。 青年期の 私 は 手 さぐりで、 一つの 名辞、 一つの 指示詞、 一つの 人称代名詞 を さがし 

求めて いた。 そして その はてに、 こだます る もの もない 万里が 島から、 私の 忘れ かけて いた 記憶が かえって きた 

〈鼠 島〉 にいって みれば 私の 求めて いるものが 何 かわかる かもしれ ない。 私の 幼い ときからの あこがれの 正体 を 

この 目で たしかめて みたかった。 私 は 父 も 母 も 死んで いて、 他に 係累 はなく、 行動 を 他人に わずらわされる こと 

はなかった。 

私が 長 崎 港から 機帆船に 便乗して 四時 間 余、 一本の 榕樹の 枝の ように 錯綜した 血族関係が 唯一 の 年代記で ある 

離島の 波止場に 降り 立 つ たと き、 出迎えて いる 老い かがま つ た 女中の 姿が 見えた 

真黒な 海鳥り を 背に した 硝子 窓に ラ ンプの 芯が ゆれ 映る 夜、 どぶろくの ふきた ぎる 鍋 を かきまわしな 力ら 女 

中と 話 をす るの は 私 を なぐさめた。 いろりから やや 離れた 畳の 上で、 彼女 は 老眼鏡 を かけ、 なに かつく ろい に専 

念して いた。 かたわらの 白い ぼろ 厨が、 蝸牛の 吐き だす 粘液 を 思わせた。 耳の 遠くな つた 彼女 は、 私の 話 を まつ 

たく 聞いて いないよ うだった が、 中途で 問われた 村の 風習な どに は、 それ はこうだった と 権威 ある ものの 口調で 

答える のだった。 私 は 彼女が 全身の 注意 を あつめて、 遠くから やって きた 私 を 縁者の 一人の ように 歓迎し、 私の 

もたらした 空気の なかに、 幸福 を 感じて いるの を 知った。 

〈鼠 島〉 に ははた して ジュ ワンの 伝説が 残って いた。 外洋に 突き出した 岬の はなの、 引潮のと き 波打 際 をた どら 

ねま ゆかれない 不便な 岩の 上に、 ジュ ワン を祀 つた 積 石の 祠 があった。 ジュ ワン はこの 屏風岩の いただきに 立つ 



156 



て、 追手の 船が 近づいて くるの をみ ると、 そのまま 海の 上 を 万里が 島の ほうへ 逃れて いったと いう。 これから 先 

は 島影 は 見えず、 私のお さない あこがれが ある だけだった。 まっこうから 吹きつける 強風が 私の 髪 毛 を さらった 八 

ここ は 地の 果 だった。 かくれ キリシタンの 視線が つくり 出した 幻の 島と、 それに ひきかえ、 青年期の 絶望が あつ 

た。 私の 見て いるまえ で、 海の 潮が 真 赤に 変化し、 碧空に 血が ながれた。 私 は 純潔 さの 本能と あらゆる 汚辱へ 身 

を まかせた いという 欲望と に ひきさかれた。 太陽の 下で 波が 暗く うねった。 何物 もい やすことの できない あの 苦 

さが、 私の 不幸の いっさいが、 海 鷲の つばさの 影の ように 私に おそいかかった。 遮る ものの ない 視界から 逃れよ 

うと 私 は 身 をよ じ つ た。 

そうした 日々 をす ごして いると き、 老女 中の 家に 一人の 若い 女が たずねて きた。 私 を 幼い ときに 映画に つれて 

いった 小母さんの 養女と いう 話だった。 小母さん は 私の 故郷の 町 を 引き揚げて 長 崎で 暮 していた。 しかし 小 母 さ 

んと 老女 中との つきあい は つづいて いた。 その 娘 は 食糧事情が 悪くな つたので、 この 島に 魚 を 買いに やって きた 

の だ つ た。 彼女 は ュ リ とい つ た。 

帰る 船便がない ままに、 私たち は 一週間、 毎日 顔を合わせた。 そして 暇に まかせて 島の なか を 歩き まわった。 

燃え あがる 雨 あがりの 赤土 道で は、 農具 を かついだ 若者た ちが 私たち を 冷やかして 通りす ぎた。 水 桶 を 担った 娘 

たちが 柘榴 のよう な 胸 乳 を のぞかせて、 私たちと すれちがった。 そのうし ろから 欲情 をく すぐり 灼く 代赭色の 笑 

いの 破片と、 きびしい 山椒の かおりが 吹き送られ てきた。 島の 裏が わの 部落まで きたと き、 人気の ない 辻に は驟 

雨 をよ ぶ 気味 わるい つむじ 風が、 枇杷の 葉 うら を 白く 吹き 靡け、 木蔭に よせた 馬車の まわりに、 はげしい 砂埃 を 

立てて いた。 強風に あおられた 鶏 どもが、 農家の 納屋の 梯子段に のぼって 避難して いる さまが おかしい といって、 

顔 を 見合せ て 笑った。 駁者 がいつ こうに 姿 を 現わさな いのに 業 を 煮やして、 私たち は 歩いて かえる ことにした。 

道に 沿う 海 は、 吹き出した 南風が 無数の 三角波 をつ くり、 その 片面 を きらきら 反射 させて いた。 ユリの たずねる 



157 わたしの 「天地 始之 事. 



ままに 私 は 幼時の 思い出 を 語った。 ユリが かくれ キリシタンに 関心 を もっている こと を 聞いて、 私の 本能 的な 警 

戒心が 解除され ていった のかと 自分に 問う ひまはなかった。 道ば たの 榕樹の 枝 は ざわめき 鳴り、 そこから 私の 思 

い 出は巢 別れして いった。 話と 話の 間に は 榕樹の 幹と、 するどい 光 を 投げ かえす 海が つづいた。 話が ひとくぎ り 

とぎれる と、 頭上に は どんなに 醒め 切つ て も 青の 負担に たえない と 思われる 空が あった。 

私 は 話 をしながら、 自分の 血に 含まれた 塩が 溶解し、 ユリの 血の なかに 等量に わけ 与えられる かすかな 動き を 

感じた。 何 かが 分裂す る ことなく 二つに 分かれ、 お 互いの なかに 溶け 沈んで ゆく の を おぼえた。 私 はふと つぶや 

ゝ こ 

レ た 

「業 は なぜか ::: 君に 会う まえから、 君 を 知ってい たような 気がする。 フ ラタ 二 ティ ::: 同胞の 情 ::: といった 

もの を 感じる」 

「ふしぎ だ わ …… 私 も …… そうな の」 

ユリ はし ずんだ 声で いった。 私の こめかみ は 高まる 沈黙で 鳴った。 だが そこで 会話 は とぎれた。 

船 着 場に つくと、 突堤に つないだ 船が ゆれお どって いた。 あちこちの 漁師の 家で 庭先の 紐に つるして あった ィ 

力が、 いくつ も 也 面に 落ちた。 白い 布 を 洗って 貼り 板に 乾かそうと していた 宿の 老女 中が、 それの 飛ばされ るの 

をお さえながら、 きびしい 顔で 沖の ほう をみ て 

11 風が 吹き出した ぞぉ 

それよ, 部落の 漁 を 何日 もな くさせ、 島と 本土の 交通 を 杜絶させる 悪い 風の まえぶれ を つげて いた。 私たち はし 

をいで i 可,^ を まとめる と、 出発 間際の 巡航船に ようやく 間にあった。 私と ユリが 船の 甲板で 手 を ふってい ると、 

皮 上: Jjg の 突堤に 立って いる 老女 中の 姿 は 遠ざかり、 船が 岬の ジュ ワンの 岩の あたり を まわる 頃に は、 その 姿 は U 

えなくな つた。 



159 わたしの 「天地 始之 事」 



旅の 中途な のか も 判らなかった。 木の葉の 散る ような かすかな 合図で あっても、 命令が あれば 旅立たねば ならな 

い。 マリアに とって、 時雨の わびし さも 冬の 凍る あかつき も 一言の 抗弁す る ことので きない 旅であった。 ユリ は 

歯に 鉄漿 をつ け、 うちかけ を 着た あでやかな 旅すが たの マリアに、 母 をみ た。 神の 意志に したがう ものと、 自分 

のこ ころの 声に 耳 を かたむける ものと ちがい は あつ て も、 未知の 運命の なかに 身 を まかせる 女の かなし さはお な 

じであった。 母 は 自分に 忠実に 生きよう として、 過去 をなん のみ れん もな く 捨て去った。 マリアの 画像の なかに 

二重 映しに なって いた 母の 運命が、 自分の 血の なかに、 烈しく よびさまされた。 ユリの 血 は ゆらいだ。 

「井戸 傍で それが R を さます と、 私 は 釣瓯を 捨てて、 もう 水 を 汲みませんでした。 魚 を 買いに 船 着 場まで 出かけ 

る 途中、 海の 果の ちょっとした 色合いが、 私 を つんぼに しました。 海の 泡の ように わびしく 光って いる 〈鼠 島〉 

に 前から 心 を 引かれて いたと いう こと はあり ましたが、 私が 〈鼠 島〉 にやって きたと きも、 ふと 思い立って、 そ 

の 足で 船に の つてし まった のです」 

と ユリ は 私へ の 手紙に 書いて よこした。 

こうして みれば 私が 「十字架の 道行」 の 御 絵 を 飽かずに 眺めて いた 子どもの 頃に、 ユリ は 旅すが たの 納戸 神の 

マリア を じっと見 つめていた ことが わかる。 私が 〈鼠 島〉 で、 「君に 会う まえから、 君 を 知ってい たような 気が 

する」 とひと り 言の ように つぶやいた とき、 ユリが うなずい たの は、 私たちが 似た ような 宗教 的な 幼時 期 体験 を 

共有して いる ことに、 彼女が 思い を はせ たからに ちがいなかった。 私たち は 精神的 血脈 をた どれば、 胞を おなじ 

くす る 兄妹と 呼ばれて さしつかえ なか つた。 イニス も マ リア もジ ュ ヮ ンも 私たちの 小さい 時分からの すこぶる 親 

しい 存在であった。 



i6i わたしの 「天地 始之 事. 



ささり、 血が 流れた。 その 血が とまらな いので 天に 向って 願い を かけ、 いつまでも 夫に したが: > ますと 誓レ をす 

ると、 血 はと まって しまった。 その 剣に よって 兄妹の 縁 は 切れ、 夫婦の ちぎり をむ すんだ。 夫婦の道 を 知って 十 

二度 子ども を 生んだ が、 みな 双子ば かりであった。 そうした ことから 近い 親戚の 結婚 はよ くないと いわれて いる。 

以上が その 大意で ある。 

「天地 始之 事」 に はこの あと、 人間が ふえて、 悪心 欲心の 世の中と なり、 それが 天帝の 怒り を 引き起こし、 津波 

襲来の 原因と なった ことが 述べられ ている。 津波 襲来の 原因 は 悪心 欲心であって、 兄妹 婚 による もので はない。 

兄妹の 緣が 切れて 夫婦と なった の だから、 それなりの 筋道 は 立って いる。 しかし 最初 は、 まぎれ もな く 兄妹 相!^ 

の 話が あり、 その 結果 大 津波が 起こった というので あったろう。 それが あまりに 生ま 生まし く、 背徳の 句い がす 

るので それ を やわらげる ための 趣向が 凝らされた のであった ろう。 

兄妹 相姦の 話 は 旧新約聖書 にも 西教の 教義に もま つ たく 見当らない もので、 長崎県 外海 地方に 残 つ た 伝承で あ 

つたこと は 推察が つく。 兄妹 婚の 伝説に かぎって いえば、 それ は ひろく 日本 各地に 分布して いる。 『信 濃』 (第 

三十 一巻、 第 八 号) によると、 双 体 道祖神の 多い 長野県 下 だけで 十七の 伝承が あり、 全国的に は 七十 九 例が みとめ 

られ ると 倉 石 忠彦氏 は 述べて いる。 したがって ここに 問題に する 必要が あるの は、 兄妹 婚と 洪水 説話の むすびつ 

きで なければ ならない。 

洪水の ために 人間が 絶えて しまったが、 兄妹 二人 だけが 生き残って やむをえず 夫婦に なった という 説話が、 東 

南アジアから 沖繙 列島に かけて 濃厚に みられる。 たとえば 八重 山の 鳩 間 島の 伝承に 次の 話が ある。 

昔、 鳩 間 島に 大 津波が おそい、 人々 は 皆、 津波に さらわれて しまったが、 兄妹 だけが 島の 一番 高い 所に や 

つとの がれた。 名前 はわから ない が、 神様 も 一緒にの がれて いた。 やがて 津波が ひくと、 神様 は 兄妹 を つれ 



^ て 里の 方に 降り かかった。 神様の 後に 妹が つづき、 最後に 兄が ついて きた。 途中の 坂道で 妹が 石に つ, まずき 

倒れた。 すると、 兄 もつ まずいて 妹の 上に 打ち倒れ、 二人 は 結ばれた。 妹 は 兄の 子 を 生み、 それ 以後、 子孫 

の 繁栄 をみ た。 

また 奄 美に は 次の 話が ある。 

昔、 大島郡 を 沈める 大浪 がで てきて、 アデ ッ (地名 • 用 安の 一部) の 兄妹 は、 大浪の 来る の を 知らずに 山 こ 

のぼって 助かり、 二人で 用 安 (奄 美本 島、 笠 利の 地名) をつ くった。 一- 

こう した 話 は沖繙 のみならず、 朝鮮に も 台湾に も ある。 では どうして 人類 起源 を 説明す る 伝承の なかで このよ 

うに 兄妹 婚が 問題に される のか。 伊藤 清 司 氏に よると、 それ は 世界 創始の カオス (自然) から コスモス (文化) 

形成へ 移行 するとき の 神話に ほかならぬ。 すなわち、 兄妹 婚の 結果、 最初に 生まれた 子供が 魚 や ムカデ や 骨の な 

ぃク ラゲで あると いう こと は、 同胞 相 女 g という 非人間的な 禁制 を 犯した ために、 非人間的な 異常 児が 最初に 生ま 

れ たこと を 意味して いる。 しかし 神意の 媒介と 罪の 意識の 表出が おこなわれる ことによって、 カオスから コスモ 

ス 形成への 移行が みられる という。 これ を ごく 平板に いえば、 神 を 媒介に して 原初 期の 近親相姦 を 合理化し たと 

もい える、 と 伊藤 氏 は 述べて いる。 この 所説 は、 説得 的であって、 異議 をと なえる 筋合 はない。 「天地 始之 事」 

もま さしく デウス の 神慮に よ つ て 兄妹の 血縁 関係 は 清算され たと する。 

だがし かし 私 は 「天地 始之 事」 において、 まず 兄妹 相姦の 話が 先行し、 その あとに 大 津波の 話が くると いう ふ 

うに 順序が 逆にな つてい る ことに 注目す る。 すなわち、 兄妹の 相姦の 結果、 子孫 はふえ たが、 悪心 悪事 もと もに 



1 63 わたしの 「天地 始之 事. 



„ ^一に ひろがり、 ついに 島の 滅亡が デウスに よって 宣 せられる" この 島の 滅亡の なかで 逃れる ことので きたの は/ 

ァに fli 当す る 「はっぱ 丸し」 という 帝王と その 七 人の子 ども たちだけ という ことにな つてい る。 この 筋 書 は 「創 

世 記」 に 忠実で あるが、 「創世記」 に は 兄妹 相 女 g の 話 はない。 一方 洪水 伝説と むすびついた 兄妹 婚 では、 洪水の 

まう が 先行す るの もこれ まで 見た 通りで ある。 とすれば 兄妹 婚を さきに 持 つ てきた というの は 特別の 意味が ある 

と 思われる。 それ は 何であろう か。 

そこに は 人類が 不合理で、 条理に もとる 関係から 出発した という 無意識の 主張が あるので はない か。 兄と 妹が 

たがいに 恋しくな つて、 谷と 山の 高みで 声 を 限りに 呼び かわす というの は、 あたかも 鳥 や 獣の 求愛の 状況 を 思い 

起こさせる。 それ は 「おそろし きみち」 という 言葉の 表現から も 嗅ぎと る ことができる ように、 不倫なる が ゆえ 

に 甘美なる 性愛の 光景で ある。 兄妹 姦 という 不条理な 「おそろし きみち」 と は ユンクの いう 人類の 始 源に さかの 

ぼる 「恥と 非道の 行為」 の 記憶と 受けと つても さしつかえない。 もとより 人間の 社会で は、 最初から インセスト 

が タブ— であった と は 考えられない。 人類 進化の ある 時点に おいて は、 その タブ ー の 侵犯が 人類の 滅亡 を もたら 

す 引き金と なるとい う 考えが 生まれる の はとう ぜんで ある。 

キリシタン 迫害 時代から 信徒た ちの 唱える 「エワの 子 吾等、 涙の 谷に 泣き叫びて」 という 祈禱 文の 一節 は、 九 

州 西海岸の 信徒た ちに と つ て は、 快楽の 谷が 涙の 谷に 変貌 するとい う 意味 を ひそかに 背負つ ていた かもしお なレ 

ノ 

それから しばらくして 私 は ュ リ から 次の ような 手紙 を 受けと つ た。 

〈鼠 島〉 であな たにお 会いして から ジュ ワン は 夜ごとに 私に あらわれました。 ばらまかれた 星々 が 彼の 言葉 



4 を つづる 記号でした。 私の ジュ ワン。 私の 彼。 そう 考える の はむしろ たのしい ことでした。 彼が 現実. の 男で 

はなかった からです。 彼の 胸の 骨 は、 榕樹の 枝で くみあわされて いました。 髪 は 海鳥の 巣。 その 眼 は 星で し 

た。 

私 は 夜空 を ひらく ようにして、 彼の 胸 をお し 開き、 青い シャツの 句い を かぎながら その 胸に 顔 をう ずめ ま 

す。 彼 は あおむけに なりながら やさしく いいます。 

11 お前 も わからない 女 だね。 傷 あとに 触れて みないと 承知 しないの だから。 

彼 は 私の 手 をと つて 自分の やせた 脇腹に おしあてます。 私の 空想の なかで はいつ のまに かジ ュ ワン は 槍で 

突かれた 傷 穴 を もつ 男でした。 私 は その 傷 穴に 指 を 入れて みないと 安心で きませんでした。 そらで 信ずる こ 

とので きない 女が 私でした。 

11 ジ ュ ワン。 私 は 傷 あとに 触れて みないと 承知で きない 女です。 

決心した 夜に 私 は 呼びかけました。 ジュ ワン はいつ ものよう に 孤島の 星空 一杯に あらわれました。 彼 は 私 

を わからない 女 だね、 とたし なめ はしませんでした。 しかしお さない ときから 親しんで きた 彼の 顔 は、 どこ 

かかな しげに みえました。 

この 手紙 をみ ると ユリの なかで は、 幼い ときから 親しんで きた ジュ ワンと イエスが 重なりあって いたにち が 

いなかった。 

文化 二 年、 天草 下 島の 高 浜 村の 潜伏 信徒が 発覚して 拷問 を 受けた が、 その 際、 女の 信者 百 十五 名 はすべ て マリ 

ァの霊 名で あり、 男 百 四十 名のう ち、 百 二十 九 名が ジュ ワンの 名 を もっていた。 このように、 信者の 男女の 霊的 

な 関係 は マリアと ジュ ワンに 代表され、 ジュ ワン は イエスの 代行者であった。 という ことで あれ、 ま、 ユリが ジュ 



1 65 わたしの 「天地 始之 事」 



ワンの なかに イエス を みたところで いっこうに おかし レ ことで はな 力った 

「天地 始之 事」 の 最後 は、 マリアに 懸想した ル ソンの 帝王が、 天国で は マリアと むすばれて 夫婦と なり、 「ぜし 

うす」、 つまり イエスと 呼ばれる、 という ことにな つてい る。 イエスと マリアが 結婚す る。 これ は 母子 姦を さえ 

暗示す る 奇妙な 結末と いう ほか はない。 すくなくとも イエスと マリアの 関係 は、 母と 子の つながりから 男と 女の 

立場に 変わって いる。 しかも 処女 生殖と いう 奇蹟 行為 を 媒介と している ために、 それ は 兄弟と 姉妹の 関係に 近い。 

ユリが ジュヮ ン のなかに それ をみ たの もとう ぜんで あつ た。 

だが ユリが ゆれうごく 気持 をく りかえ した あげく 「決心し」 て、 ジュ ワンと 訣別しょう としてい ると いうのに 

ュ リが 私の ほうに さらに 一 歩 ふみ 出す 決意 を 固めた ように 私 は 受けと つた。 「天地 始之 事」 にあら われる 兄と 妹 

の 相姦が 大 洪水と いう 破局 を ひき 起した ように、 兄妹の 情の なかに 性愛が もちこまれる ときの 危険な 逸脱と 甘美 

さ を、 私 はお それ、 そして 期待した。 

私 は 〈鼠 島〉 に 滞在して いる あいだに、 一度 だけ 島の 教会 をたず ねた ことがあった。 〈鼠 島〉 は 今もって はな 

れ キリシタン たちの 島であった。 彼ら は 自分た ち を 古 キリシタン とか 昔 キリシタンと 呼んで いた。 だが なかに S 

カトリック教会に 戻る もの もあった。 そうした 人 たちのた めに、 教会が 建てられて、 そこに 神父が 住んで いた。 

教会 は みすぼらしい 木造の 建物で、 聖堂の なかまで 鶏が 平気で 入り こんでいた。 私が 会った 神父 は、 神学校 を 出 

て 五、 六 年になる という 司祭で あつたが、 告解 室での 島の 娘た ちの 髪が ひどく 臭いの をが まんし なければ ならな 

い こと を 私に 訴える ともなく 語 つ た。 当時 は 戦時中で 物資が 極度に 不足して 石鹼 など もなかな か 入手で きな か つ 

た。 



6 「天地 始之 事」 に 登場す る マリア も、 その 髪 毛の 燃える ような 匂い を もっていた かもしれ ない。 

I マリア はル ソン 国の まずしい 大工の 娘であった。 彼女 は 幼少の 頃に 母に 死別れ、 父親の 手で 育てられた。 幼い 

ときから 器量が よく、 利発であった ので、 年頃に なると ル ソン 国王から 求婚され た。 しかしい つたん 童貞 女で お 

しとお す こと を 誓った 身の マリア は、 国王の いう こと をき かなかった。 それでも 国王 は 思いとどまらない。 そこ 

で マリア は 自分が ただの 人で ない こと を 示す ために、 皆の 前に 奇蹟 を 現出 させた。 マリアが 天に 向って 祈る と 

しょちゅう 

「ころ は 六月 暑中なる に、 ふしぎ や 俄かに 空かき 曇り、 雪 ちらちらと 降り出し、 間もなく 数 尺 積」 つた。 国王 を 

はじめ、 そこに 居合わせた 人び と は、 その 光景に ただ 茫然と していた。 その 隙に、 マリア は 天から降り てきた 花 

車に 乗って 昇天した という。 

この 話 はもと カトリック 教の 正伝に ある。 すなわち、 紀元 三 六 五 年に、 口 ー マの 貴族が 夢に マリアの お告げ を 

こうむり、 八月 五日の 朝、 口 ー マの 郊外に 雪の 降った ところが あるの を 発見し、 そこに サンタマリアの 教会 を 建 

てた という ものである。 この 話 は 日本の 信徒に とくに 愛好され たものと みえ、 明 暦 四 年 (一六 五八) の 『宗門 大 

要』 にも 載って いる。 『宗門 大要』 の 中で は 「雪の サンタマリアと 申す 事」 という 一条 だけが、 前後の 脈絡 もな 

く 挿入され ている。 つまり この 話 は とだえる ことなく 信徒の 間に 伝えられて 「天地 始之 事」 のなかで も 重要な 部 

分 を 占めて いるので ある。 新 村 出 は 『南蛮 更紗』 のなかで、 寛 永 十 一年 (一 六 三 四) のバ ス チヤ ン 暦に 陰暦 七月 

十二 日 を 雪の サンタマリアの 祝日と し、 それに 一聖 マリアの 雪 殿」 と 註して ある こと を 述べて いる。 雪が サン タ 

マリアの 形容で なく、 転倒され て 「雪」 という 人名と なる にお よんで、 童貞 女 マリア はまった く 日本的に 情緒 化 

し、 土着 化する。 

では どうして 夏の さかりに 雪が 降り 積る 話が わが国の 信徒に 迎えられた のであろう か。 柳 田 国 男の 『年中行事 

覚書』 の 中に 「六月 朔 日の 雪」 と 題す る 一文が ある。 そこに は 次の ような 伝説が 紹介して ある。 坂 上田 村 麻呂が 



1 67 わたしの 「天地 始之 事」 



東征した ときに、 武蔵 国の 比 企 郡 高 坂 村の 観音 堂で 悪 竜 を 退治した。 ところが 六月の はじめ、 金 をと かす ほどの 

炎暑の さなかに、 たちまち 指が 千切れ 落ちる ほどの 寒気が 起って、 一尺 以上の 積雪 を 見た。 そこで 僚 火 をたい て 

雪中の 寒気 をし のがねば ならなかった。 この 近郷で、 六月 朔 日に 僚 火 をた くの は、 その 時の 名残りで あると いう。 

もう 一 つの 例 は 上 州 確 氷 郡豊岡 村の 不動 {n- に まつわる もので、 八幡 太郎が この 地で 安倍の 残党 を 退治した とき、 

この 不動 堂で 祭 をお こなった ところ、 六月 朔 日に ふしぎに も 雪が うつ すらと 降って 川岸の 松の 葉が 白かった。 そ 

うすゆき ど よう 

こで この 地 を 薄雪 郡 土用 寒の 庄 といつ たが、 あとで 確 氷 郡豊岡 村と 名 を あらため たという。 

柳 田 はこの 二つの 事例 を 挙げたの ち、 この 雪 は 何 か、 とくに 六月の 朔 という 暑い さかりに 降るべき いわれが あ 

つたので はない か、 と 述べて いる。 坂 上田 村麻呂 にせよ 八幡 太郎 にせよ、 特定の 人間が 自然の 運行 を 妨げる ほど 

の 威力 を 発揮した という ことに かこ つけて、 超自然的な 霊 力が 自然 を 征服して、 凶を吉 とする 考えが ひろくお こ 

なわれ ていたので あったろう。 それが 意識の 土台の 部分に あって、 雪の サンタマリアの 故事が、 とりわけ 日本人 

の キリシタン 信徒に 好まれる 伝承と なった ので はない か。 

「天地 始之 事」 に は その あと 受胎告知と 処女 受胎 の 場面が つづいて い る。 

あるじ あまくだ もんじ 

折 ふし、 書物 を 御覧 あるに、 不思議 や 御主 天下らせ 給う、 と ある 文字 現われ 給う。 さてさて いずくに 御 出 

やと ぞ 待ち 給う。 さんがむ り や ありかん じょ (ガブリエル 大 天使) を以 つて、 天下らせ 給う。 童貞 女さん た 

丸 や (マリア) の 前に 膝まず き、 「このたび 御主 天下らせ 給いて、 其 元の すずしき、 きょき 御 体 を 御 貸し あ 

れ かし」 という。 丸 や 答えて、 「さて は、 いずかた にやと 案ぜし 所に、 此方に 御 出 や」 と、 大きに 悦び、 

「ずいぶん 御 心に 任せ 申すべし」 とぞ、 受け あいけ り、 「比 は 二月 中旬に 天下らせ たもう ゆえ、 よろしくた 

のみ 奉る 一と、 いうった えて ぞ かえりた もう。 



このな かの 「すずしき、 きょき 御 体」 とか 「ずいぶん 御 心に 任せ 申すべし」 というの は、 こなれ た 美しい 日本 

語で、 しかも 的確な 表現と なって いる。 その 次に 処女 受胎の 場面が つづく ので あるが、 そこ はどう 表現され てい 

るか。 

、 . ゆうくれ よそおい 

すでに 二月 中旬に なりければ、 今やお そしと、 身 をつつ しみて、 待ち 給う。 其夕暮 に、 蝶の 御 装 にて 天 

下せた まえて、 びる ぜん 丸 やの 御顔に 移らせた もう。 ころう どのさん た 丸 やと 名付けた まいて、 御 口の 中に 

とび 入りた もう。 それより すぐに 御 懐胎と ならせた もう。 

ここにい う 「ころう ど」 は ボルト ガル 語で 花冠の 意と 田 北 耕 也 氏 は 註記して いる。 聖霊 は 蝶の かっこう をして、 

マリアの 顔に 移り、 口の 中に 飛び こんだ ので ある。 たましい や 心 を 意味す る プシケ が 蝶の 羽 を もつ 美女であった 

ギ リシ ァ 神話 を 想起す るが、 日本で も 蝶 は 人間の 魂の かたどり であると いう 考えが 古くから 伝えられて きている。 

聖書の 記事 を 喉につつ かえながら 呑み こむ のと、 このように 日本 ふうに 置き かえて 信じよう とする のと、 どちら 

が 怠惰で あり、 どちらが 賢明で あるか は 人に よ つ てち がう ところで あるが、 私 は 断然 蝶の ほう をと るので ある。 

みすぼらしい 家の 窓に よりかか つ て 天使のお 告げに 心 を 騒がせる マリア。 泰西名画で おなじみの 受胎告知の 場面 

も、 ここで はかぎ りなく 日本的な 風景で ある。 早春、 薄暮の ひかり を 受けながら、 蝶が 若い 娘に 近づく 光景 は、 

その 舞台が ル ソン 国で ある こと を 忘れ、 五島 か 平 戸の 寒村の 話で あるかの ように 錯覚す る。 彼女 は 日本の 漁村で 

は どこでも 見かける ありふれた 娘の ひとりで ある。 



1 69 わたしの 「天地 始之 事」 



ユリが 小学校 を 卒業す る 頃に 引き取られた 「小母さん」 の 家に は、 そのと きすで に 養子が いた 養子 は 小 母 さ 

んの 甥に あたって いたが、 ユリ は その 養子 を 兄さんと 呼んで そだった。 小母さん は 養子に ユリ を娶 わせようと、 

ひとりで 心に きめてい たし、 養子の 方 も、 それ をとう ぜんの ことのよ うに 振舞う ことが 多かった。 しかし ユリ は 

それ を 頭から 拒否して 相手に しなかった。 ユリが 女学校 を 卒業した 年に、 養子 は 応召して 戦地に 赴いた。 ユリが 

一 つ 屋根の 下で 暮す ことの なくなった ことに 安堵して いた 矢先、 突然、 養子が 病気で 内地に 送還され て、 病院に 

入れられ ている という 報せ があった。 

私が 〈鼠 ds〉 で ユリに 出会った ときには、 彼女に 兄と 呼ぶ 人が いる こと を まだ 知らず、 彼女 は 小母さんと 二人 

きりの 暮 しと 思い こんでいた。 しかし 血の つながり はない にせよ、 日頃、 彼女に 兄と 呼ぶ 存在が あつたと すれば、 

私が 兄妹の 情 を おぼえる と 告白した とき、 ュ リの ほう も それ を 肯定した というの は、 私の 推察した 以上に つよい 

意味 を もつ ものに ちがいなかった。 しかし ユリ は 孤児の 身の上であった 自分 を 引き取って そだて、 女学校まで 出 

して くれた 小母さんに 義理 を 感じて いた。 

「兄から 求婚され るよう な ことにな つたら、 修道女に なるとい います わ」 

そのこと ばが 冗談とば かり 思われなかった こと は、 それまで 小母さんの すすめで、 長 崎 市の 教会に 公教要理 を 

月に 一 度 習いに 行つ ていた 彼女が、 急に 週に 一 度 習うよう にした こと だ。 

ユリが 教会から 帰る の を 私の ほうで 待ち受けて、 私たち は 道 を 歩いたり、 喫茶店で 話したり して 時 をす ごすの 

がき まり だ つ た。 

ある 初夏の 宵だった。 教会から 出て きた ユリ は、 私と 肩 を 並べて 舗道 を 歩きながら 報告した。 



70 



「今夜 はね。 とてもむ し 暑い ものです から、 司祭 館の 応接室の 窓 は みんな 開けて あつたんで すの。 黄金虫が 何 匹 

も 飛び こんで きて うるさい のね。 すると 神父 さま は、 かな ぶん をつ かまえて は、 脚 を みなもいで、 窓の 外につ ぎ 

つぎに 投げ捨てて しま うんです。 私ね …… だんだん 神父 さまの 手 付が 気になつ て …… お 話に 身が 入ら なくなつ て 

困りました わ」 

「ふうん。 カトリ ッ ク では 人間 以外の 小さな 動物なん て 取る にたりな いもの じ やない かな」 

私 はそう いいなが らも、 自分の 気持が カトリ ッ クに 近づいて い つ ている こと を 認めない わけに はいかな か つ た。 

ュ リ との 出会いが 灰と なつ て 眠って いた 私の 幼児期 体験 を ゆすぶり 起こした。 この 幼児期 体験の 延長 上に 精神的 

な 抵抗の 拠点 をき ずくし か 私に は 手 だてがなかった。 私 は 夢み ていた。 日本の 軍国主義 を 批判で きる 教会 を 自分 

の 砦に する こと を。 しかし その 教会 はもつ とも 祖国 を 愛する もので なければ ならなかった。 祖国 を 愛する が ゆえ 

に、 祖国に 抵抗し、 祖国から 迫害され る 教会 …… 私 は 自分の 夢見た 不可視の 教会に 近づいて いた。 

私の そのような 気持 は ュ リに 打明けて いた。 

しかし 彼女に はまた、 私と は 別の 事情が あると いう ことに 私 は 気が つかなかった。 

ある 日、 ユリと 会った とき、 彼女 は 心なし か 元気の ない 様子だった が、 やがて その 日の 明け方に 見た という 夢 

の 話 を はじめた。 

私が 幼い ときに 見た 納戸 神の 絵姿の ように 打 掛け を まと つた マ リア さまが 私の そばに 寝て いるんで す。 そ 

の マリア さま は なぜかい つもより 大きく、 やわらかで 蒼白く、 月の 女神の ようでした。 その マリア さまが 私 

にきつ い 声で いうんで すね。 おまえ は 他の 男に 心 を 移そうと してい るんだ ね。 どうしても そうす るんだ つた 

すすき 

ら、 そのかわりに 私の 蒲団 や 枕に 入れる 薄の 穂 をと つてき ておくれ —— つて。 そこで 私 は マリア さまの 言い 



171 わたしの 「天地 始之 事. 



つけ 通り、 薄の 穂 を 探して 湖の ほとり を 歩きました。 銀色に 光って いる 箇所 を 見付けて 近よ つてい きます と、 

薄の 穂 は 見当らず、 ただの 草 むらが あるば かりでした。 銀色の 光 を 追って ほかの 場所に ゆく と、 そこに も 薄 

の 穂 はなく、 光 は その 間に すばやく 移動して しまいました。 マリア さまが 月の 光 を 反射 させて、 私 を あざむ 

き 疲れさせ ている ことが わか つ てきました。 私 をい つまで もじらし ている マ リア さまの 思いがけない 仕打ち 

が 身に こたえ、 私 は 夢の なか でとうと う 悲鳴 を あげ てし まいました 。 

マリア さま も 女なん だ わ。 私の 心が あなたに 傾いて いるの を 嫉妬して、 私に 意地悪な 仕打ち をな さつたん 

だ わ …… 。 

私 は ュ リの 夢の 話 を 聞きながら、 彼女の 心が 揺れて いる こと を 察した。 

そのこと があって から 一週間 ほどした 夜、 私たち は 小川に 沿う 屋敷町 を 歩いて いた。 梅雨で 水かさ を 増した 小 

川 は 夜目に も 白く、 獨 流が 逆巻いて いた。 家々 の 塀から は 枇杷の 熟れた 実 を 葉 越しに のぞかせる 枝が、 私たちの 頭 

の 上に 垂れて いた。 私 は ぬかるみに 足 を とられまい として ゆっくり 歩きながら、 こうして ユリと 一緒の 時間 を 過 

ごすよう になった ふしぎ さに ついて 考えて いた。 その 考えが 私の 歩み を 運んで いった。 傍ら をす こし はなれて 歩 

く ユリ も 黙りこくった ままだった。 おた がいの 胸 を、 その 血 を 何 かが 流れ 合った。 私 は ユリの 心と 肉と を これ ほ 

どまでに 強く 感じた こと はな か つ た。 

だが その 夜の 充実 感は、 次に ユリに 会った とき、 たちまち 打ち破られた。 

私 は 彼女の 胸に、 それまで なか つ た 青地の 縁に 金色の 聖母 を 浮彫りに した 細い メ ダイ ュ が ゆれて いるの を 認め 

た。 ユリ は 怪訝そう に 見詰める 私に むかって、 

「私、 洗礼 を 受けました のよ。 ごめんなさい。 あなたに お知らせし なくって」 



72 



といった。 私 は ユリに、 どうして 自分に だまって 受洗した の だと 烈しい 憤り を おぼえた が、 それ を 口に 出す の を 

辛 じて 抑え、 頰を ひきしめた。 

彼女 はこの あいだ も 「神父 さまから 催促され ました わ。 公教要理 を 習い はじめてから 三年になります ね。 もう 

そろそろ どうでしょう つて。 私 は 答えて おき ましたの。 まだ そんな 気持に なれません つて。 でもね、 じつは その 

とき、 私の 頭に は あなたの ことがあつ たんです。 あなたと できれば 一緒に 受洗した いと 思って いたんです。 おな 

じ 日に 受洗の 儀式 をす るんで したら、 それ は 兄と 妹が 行なう 神の まえの 結婚式です もの」 

といった こと を おぼえて いたから だ。 それにた いして 私 は、 「それじゃい つになる かわからない ね。 ぼく はま だ 

三位一体の 教義 も、 聖母の 処女 受胎 も 信じて いないん だから …… 」 と 口 をに ごして おいた。 

ユリ は、 私と 一緒に 受洗した いという 気持 を 伝えて おきながら、 その 約束め いた ことば をた ちまち 破った の だ 

から、 私 は 裏切られ たような 気持に なった。 私 は 精一杯の 抗議の ことば を ユリに 投げつ けようと した。 しかし ふ 

いに ある 思いに 打 たれて、 彼女に 聞いた。 

「いつ 受洗した の。 このまえ 君と 会った とき は 何もい つてい なかった から、 もちろん 受洗 は その あとだね」 

「ええ、 八月 五日。 雪の サンタマリアの 祝日です」 

「それにしても、 あまりに 唐突 だな。 まるで 夏の 土用に 雪が 降る ような もの じ やない か。 君が 受洗した というの 

は 『天地 始之 事』 のなかで、 マリアが 暑い さかりに 雪 を 降らして みせた 話と おなじじゃなかった のか」 

「どういう こと?」 

「つまり、 あの ル ソン 国王が マリアに 懸想した ように、 君 も、 君の 兄さんと 呼ぶ 男性から、 つよく 求婚され たの 

じ やない かね」 

ユリ はう つむいて、 ぼつり と 洩らした。 



173 わたしの 「天地 始之 事」 



「これまで 黙って いました が、 兄 は 陸軍 病院 を 退院し、 除隊に なって、 二 力 月ば かり 前から 家に 帰って きている 

ん です」 

「どうして そのこと をい わな か つ た?」 

と 私 はなじ つ た。 

「でもね。 あなたの 関心 を 引く ために 私 は 自分が 兄から 求愛され ている 話 を 持ち出し たと 思われた くな か つ たん 

です。 自分 をせ りあげよう とする 女の 古い 術 を 使って いると 思われた く はな か つ たんです わ」 

「なるほど、 君の 考え はよ くわかった。 それで、 君 は 僕に 迷惑 を かけたくない ばかりに、 童貞 女の 身の 証し をた 

てる 必要が でて きた わけ だ」 

「受洗した からと い つ て、 何も 童貞 女になる と はき ま つてい ません わ」 

彼女 は 微笑んだ。 

「でも …… 」 

と 彼女 は 口ごもり ながらい つ た。 

「私 は 自分の 身の まわりに 起こって いる 切実な 問題の ために だけ、 受洗した わけで もな いんです。 あの 〈鼠 島〉 

で 五月の 初めの 日々 を あなたと 過ごした とき、 夕方、 すこし 暗くな つてから 海辺 を 散歩し ようと あなたが おつし 

やった ので、 教会の わき を 通りぬ けて 近道しょう とした ことがあ るんで すね。 その 教会の 敷地に となりあわせて 

〈女 部屋〉 が ある こと は 御存知 だと 思います。 島の 娘た ちが、 自発的に 神に つかえる 共同生活 をして いるんで す 

私 は 何気なく その 〈女 部屋〉 のまえ を 素通りしょう として、 思わず 内部の 光景に 眼 を うばわれ ましたの。 部屋の 

壁 も 祭壇 も 初夏の 花々 で 埋めつ くされ、 壁 際に 惜し気 もな く 立てられた 蜜蠟の 燭台 は、 爆け るよう に すさまじい 

明るさ を 作り出して いました。 二人の 島の 娘が、 着物 こそ 修道女の ように 白 や 黒の 服 を 着て はいませんでした、 ガ 



174 



無言の まま 立ったり ひざまずいたり していました。 今 考える と、 それ は 聖母 月の つとめ を 果してい たんです。 私 

は 〈女 部屋〉 の 入口で 立ち どまり ました。 私 は そのと きま だ、 聖母 マリア を 信じて いませんで したが、 祈り まし 

た。 自分の 心が 花々 や 蜜蠟の 炎の なかで 燃えつ きたよう な 気がし たんです。 私 は それまで 一度 も 祈った こと はな 

か つ たんです の。 私 はこの 幸福の 絶頂 感を 自分 だけの ものと はした くな か つたので す」 

ユリが はじめて 明かす その 話 を 私 はどう 受け取って よい かわからなかった。 しかし、 そのと き ユリの なかに と 

つ ぜん 蝶の ように 侵入した 異物の 意識が 「現存」 する こと だけ はまちが いなかった。 私 は むさぼる ような 目付き 

で 彼女 をな がめ、 話題 を 変えようと 試みた。 

「アニマの 名 はなん ていう の。 君の 霊 名の こと さ」 

「ァ シジの フランチ ヱスコ にあ やかって、 フランチ H スカ としまし たの。 でも 私の 家が まずしかった ので、 清貧 

は 美徳で もなんでも ありません。 あたりまえの ことなん です」 

そういいながら、 彼女 は 思い当った ように、 

「私 はもう 一 つ アニマ の 名 を もつ ていました わ。 生まれて 間もなく、 古 キリシタンのお 水 授け を 受けた ときの 名 

です。 ジュ ワン ナ です」 

「君 は ぼく 以上に ジ ュ ワンと 切っても 切れない 縁 を もちつづけて きたの だね」 

「私、 一度 中 江の 島に いってみ たいんで す。 私の 生まれて 最初の 記憶と いうの が、 どうも 生 月 島の 近くに ある 中 

江の 島ら しいんで すね。 なんでも 船に のせられ 父に 抱かれて、 小さい 島に 連れていかれ たこと を ぼんやり おぼえ 

ています。 島に 上陸して みんなで 弁当 を 食べた ような 気がします。 古 キリシタン では 船が 新造され ると 船 魂 入れ 

の 儀式 をお こない ました。 それから 平 戸 や 生 月で はかならず 中 江の 島に おまいりに いきました。 父 は 舟大工で し 

たから、 船主に 招待され て、 新しい 船に 乗って 中 江の 島に いったよ うです。 そうした とき、 祖母から サン ジュヮ 



175 わたしの 「天地 始之 事. 



ン さま を 貰つ てきて くれと よく 頼まれて いました。 はじめ サン ジュヮ ン さまと い つ て も 何の ことか 見当が つき ま 

せんで したが、 中 江の 島の 岩の あいだから 出る 聖水 をそう 呼ぶ ことがあ とで 判りました。 私が お 水 授け を 受けた 

ときのお 水 も 中 江の 島の サン ジ ュ ワン さまでした」 

私 は 喫茶店の 外 を 眺めた。 磨かれた 石の 舗道に 雲が 映って いた。 それが 海原の ような 錯覚 を 私に 与えた。 夕陽 

を 受けて 〈鼠 島〉 の 沖合 をと ぶ 飛魚の 群 をみ たこと を 私 は 思い出し ていた。 そのと き 私 は、 翼 を もった 魚の よう 

にこの 石の 舗道 を ユリと 一 緒に 飛ぶ 日の こと を 想像 もして いなか つ た。 

十一 

ユリの 話 は 私 を 動かした。 彼女の 記憶の 始源 をた どるた めに、 私 は 中 江の 島に いってみ たくな つた。 

私たち は 次の 週、 日 をえ らんで、 暗い うちに 長 崎 駅 始発の 汽車に のり、 平 戸口に 着いた。 平 戸 港から 生 月 島の 

館 浦まで 定期船で 二 時 問 余波に ゆられて いって、 館 浦で 小舟 を やとった。 ユリの 父親が、 かって 平 戸島の 舟大工 

をして おり、 ュ リも 幼児 洗礼 を 受けた ことの ある 古 キリシ タン だつ たという こと を 聞いて、 年老いた 漁師 は 快く 

自分の 舟 を 出して くれた。 館 浦から 中 江の 島まで 小 一 時間 かかる。 

中 江の 島 は 舟 着 場 もない、 岩 だらけの 無人島だった。 私たち は 靴 をぬ いで 小舟から 岩の 上に 飛び降りた。 岩の 

するどい 稜 角が 足 裏 をつ き 刺す 痛み をが まんしながら、 切りた つた 高い 絶壁の 下まで きた。 その 岩壁の 頂上で 殉 

教者は 首を切られ、 胴体 は 崖 下につ き 落された の だとい う。 岩壁の 節理 はたて に 割れて おり、 そこの 一部分 は濡 

"て 黒くな つて ハた。 そこから 滴り落ちる 水 を サン ジュ ワン さまと 呼ぶ、 と 漁師が 教えて くれた。 岩壁の 真下に 

は 一間 四方の 祠が あり、 三体の 地蔵が 祀 つてあった。 地蔵 はジュ ワン さま だとい う。 漁師 は その 祠 のまえ に 正座 

すると、 オラショ をと なえ はじめた。 その 声 は、 たくましく、 ものがなしく 私の 耳 を 刺した。 



176 



ジュ ワン 次郎 右衛門が 刑場で ある この 島に 牽 かれて いく 舟の 上で 「ここから 天国 はそう 遠くない」 と 叫んだ 話 

は 有名で ある。 殉教者が 最後に 地上に 足 をと どめた 島と 思えば、 岩 窪の 潮 だまりに 残された ひざら 貝 も、 岩の 上 

の 白い 海鳥の 翼 も、 島 をめ ぐる 烈風に さからう 鳶の翼 も、 すべてが なつかしく 感じられた。 おそらく 殉教者の 末 

期の 限に は、 中 江の 島の 空と 海が 倒錯した 形で 映り、 天 は 最大限に 地 は 最小限に みえた にちがいない。 レオン • 

パジ ヱスの 『日本 切支丹 宗門 史』 に は ヨハネ 次郎 右衛門と 記されて いる。 ヨハネの ボルト ガル 音 はジョ ワンで、 

それ を 九州で はジュ ワンと なまって いる。 同書に は、 ヨハネ 次郎 右衛門の ほか、 ヨハネ 坂 本左衛 門が おなじ 元 和 

元年 (一六 一 五) に 中 江の 島で 殉教した こと を 伝えて いる。 こうした こ と か ら中 江の 島と 一 一人の ジュ ワンとの 関 

わりが あった こと は 明らかで あるが、 それだけ ではなく 、パプ テス マの ヨハネ、 すなわち 洗礼 を 授ける 役と しての 

ヨハネ (ジ ュヮ ン) が 古 キリシ タ ン の 集団で はも つ とも 重要な 役柄と 考えられ たという こと も 無視で きない。 

中 江の 島 は 海ぎ わ は 岩 だらけ だが、 頂上 近く は 竹で 蔽 われて いる。 そうして 頂上に 一本 大きな 木が つき出した 

かっこうで 生えて いる。 時折 大きな 雲が 岩の 上に いる 私たちの 頭上 をす ぎていった。 そのたび に、 つば 広の 夏帽 

子 を かぶ つ た ュ リの 顔が 茶褐色に 翳った。 湖水の ような 海 をへ だてた 平 戸島の 安満 岳が 真 向う から 私たち を 見守 

つていた。 中 江の 島 は 満潮で なければ 舟 をつ ける こと はでき ない。 島 を はなれる にも、 ふたたび 潮が 満ちて くる 

まで 待たねば ならな か つ た。 

その あいだ 老 漁夫 は サ ン ジュヮ ン さまの 水の 湧き出る 岩間に 竹の 小枝 を 挿し、 その 小枝 を 伝つ て 滴り落ち てく 

る 水 を 瓶に 受けて いた。 夏の 日照りのと きだった から、 水 は 岩間から 渗み 出る 程度で しかなかった。 船頭 は 時折 

口の なかで オラショ を つぶやいた。 それ はどう やら 水が 出る ようにとの 呪文で あるら しか つ た。 

「こうやって いると、 かならず 水 は 出て きます たい」 

^頭 は 確信 あり 気に 答えた。 なるほど 帰る 頃になる と、 水 は 古びた 瓶の 底に たまって いた。 船頭の 話で は、 明 



177 わたしの 「天地 始之 事. 



日 は 「お直り」 が あるから、 サン ジュヮ ン さま を 家に も つて かえるの だとい う。 

「お直り」 という ことば は 耳 馴れなかった。 納戸 神 を あずかる 信者の 家から、 別の 信者の 家に 納戸 神 を 五 年に 一 

度 移す 行事が ある。 それ を 「お直り」 と 呼ぶ と 船頭 は 説明した。 納戸 神 を あずかる 家をッ モトと いい、 納戸 神の 

番をする 役 を 御番役 ともいう、 と 船頭 は 答えた。 老 船頭 はこ こ 五 年間、 御番役 をつ とめて いた。 

「私 も そのお 直りの 行事 を 拝観した いわ」 

ユリ はとつ さに いった。 もし 傍に 他の 人た ちがいたら、 軽率な 瀆 神の 発言と も 受け とられ かねなかった ろう。 

だが 老 船頭 はじ つ と 考え こんだ すえ、 

「あんた 方 は、 これから どうな さる」 

と 聞いた。 私たち は 長 崎から 生 月まで、 汽車 や 汽船 をのり ついでき たが、 意外に 時間が かかって しまった。 ひた 

すら 中 江の 島に 行きたい とそれば かり を 考えて、 乗物の 便の 悪い こと を 前 もつ て 勘定に 入れて いなか つ たこと を 

後悔し かけて いた 矢先 だ つ た。 そうした 気持 を 察する ように 船頭 はい つ た。 

「これから、 長 崎に かえる こと はむ つかしかろう。 よかったら 私の 家に 泊まん なさい。 家に 泊めた お客さん にお 

直りの 儀式 を 見るな という わけに もい かんだろう。 ただ、 わしの 家 は 居間 は 一間し か 無い。 それで 娘さん は 私の 

妹の 嫁入り さきに 話して あげる。 じつ をい うと、 妹の 縁づ いた 家もッ モトで、 こんどの 納戸 神のお 直り はわし の 

家から、 その 家に 移す 行事 を やる とだから」 

老 船頭 は ユリの 父が 平 戸島の 舟大工で、 かくれ キリシ タン だつ たこと に はじめから 好意 を よせていた ことが、 

その 口ぶりで わか つ た。 

こうして 私たち は 思いがけなく、 生 月 島の 山 田と いう 部落に 泊まる ことにな つた。 中 江の 島から ふたたび 館 浦 

に ひきかえす 小舟 は、 薄暮の 海 をす べっていった。 舟のへ さきに 真珠母の 鈍い 光が 砕け散った。 船頭の あやつる 



178 



櫓の しなう 音 を 聞いて いると、 私 は 元 和の 昔、 このお なじ 海 を 中 江の 島に むかって いった 一そう の 小舟 を 思い出 

さずに はす まなか つ た。 小舟に はョ ハ ネ (ジュ ワン) 坂 本左衛 門と ダ ミ ァ ン 出口が 刑吏と ともに 乗 つていた。 ダ 

ミ アン 出口 は 讚美歌 をうたい ながら 櫂 をと つて 舟 を こいだと いう。 異国の 旋律 を もった 聖歌と、 水 を 切るな めら 

かな 權の音 だけが ひびく 海の 面 を 私 は 想像した。 そのと きも また、 平 戸島の 安満 岳 は 沈黙しながら 彼らの 小舟 を 

見守つ ていたに ちがいなかった。 

館 浦に つく 頃 は 日 はとつ ぶりと 昏れ てし ま つていた。 山 田 部落 は 館 浦の 港から かなり 坂道 をの ぼ つ た 山手に あ 

つた。 私の 泊まる 老 漁師の 家と 大して 離れて いない 同じ 山 田 部落に、 ユリの 厄介になる 家 もあった。 私 は 彼女 を 

その 家のと ころまで 送る 老 漁師に ついていった。 段々 畠の 畦 道 を まがりくねりながら たど つ て 丘の 高みに 立つ と、 

東の 海の 水平線から、 うるんだ 大きな 夏の 月が あがる ところだった。 その 月に 照らされて、 中 江の 島 も 安満 岳 も 

黒々 としず まりかえ つていた。 

「今夜 は 白 月 だから」 

老 漁師 はつぶ やいた。 

白 月と いう ことば はなん のこと かと 問いた だすと、 旧の 十三 日から 十八、 九日までの およそ 一週間 を 生 月 島で 

は 白 月と 呼ぶ。 この 期間 は 月の 光が もっとも つよく、 魚 も 獲り にくい ところから、 漁師た ち は 海に 出て 漁 をす る 

こと を やめ、 舟の 手入れ をしたり、 家で 身体 を やすめる ことにし ている という ことだった。 西彼杵 半島の 外海 地 

方で は、 月夜 間と いうと 老 漁夫 はっけ 加えた。 数百 年の あいだ、 陽の 目 を 見る ことのなかった かくれ キリシタン 

の 信仰 も、 いって みれば 白 月 や 月夜 間の 信仰ではなかった か。 

ユリの 泊まる 家の 近くまで きて、 引き返す とき、 彼女が いくぶん 心細そう な 顔 をして いるので、 私 は 冗談め か 

して、 



179 わたしの 「天地 始之 事」 



「距離の 哀情 だね」 

といった。 ユリ は 神妙に、 

「ええ」 

と 答えて、 私を见 つめた。 「距離の 哀情」 というの は 受胎告知 について 書いた 本に あった ことばで、 マリアへの 

お告げの とき、 天使 は マリアから 離れた 位置に いる。 それが かえって 両者の 関係の 哀切 さ を 物語る ことになると 

説明され ていた。 私 は そのことば を ュ リに!^^っ たこと があった。 

その 夜、 私は老 漁夫の 家の いろりの 端で、 どぶろくの もてなし を 受けながら、 山 田 部落の かくれ キリシタンに 

ついて さまざまな こと を 聞いた。 山 田、 正 和、 日 草の 三つの 部落に は、 それぞれ 一人ず つ、 合計 三人の じい さま 

役が いる。 この じい さま 役 は 最高の 指導者であって、 洗礼 もじい さま 役の 手で 行なわれる。 その 下に、 山 田に n 

人、 正 和に 三人、 日 草に 二人の 御番 役が 御 i 仿 (ッ モト) に 納戸 神 を まつって いる。 このよう にして この 三つの 部 

落 は 九つの グ ル— プに 分かれて いる。 

とざ ど 

「風 止めの 願立て」 や 「風 止めの 願 成就」 の ときには、 半数の 信者 は 中 江の 島に いって 祈り、 他の 半数の 信者 は 

ッ モトの 家に とどまり、 中 江の 島から 信者た ちが 帰る の を 待って、 盛大な 祝宴 を 張る という 話だった。 また クリ 

ス マスに あたる 「霜月の 御 誕生」 の 日取り は 冬至の まえの 日曜日と きめられ ている という。 そうした こと を 聞い 

ている うちに、 いろりの 1:^ に 串刺しに して 焐 つてあった 魚が 急に 炎 を 引いて、 夜の 更けた こと を 告げた。 ふと 見 

ると、 どぶろくの 酔に 満足した 老 漁師が 居眠り を はじめていた。 

十二 

翌朝 私が 眼 を さました とき は、 老 漁夫 はすで に 起き、 羽織袴に 威儀 を 正して、 納戸 神 を まつる 棚 をき れいに 掃 



8o 



除して いた。 五 年 問、 彼が 朝な 夕な に 守りつ いでき た 神と も 今日は 別れねば ならない という 気持が、 日煆 けした 

彼の 顔 を きびしく させて いた。 私 は 納戸 神の 固 像に 顔 を 近づけて みた。 うすぐらい 棚の 奥に まつられて いるの は、 

いっか ユリが 幼い ときに 見た と 私に 話した マリアの 旅 姿の 御 絵だった。 私 は その まえに 立ちつ くした。 嬰児の ィ 

エス を つれて エジプト へ 逃がれ た マリアの 苦難の 旅 を 主題と して 描いた ものであるが、 それ はかくれ キリシ タ ン 

にと つて は、 自分た ちの 迫害の 歴史と 無縁と 考える こと はでき なかったろう。 それゆえに 切実な 思い を こめて 礼 

拝した。 しかし 私の 感慨 は それだけに とどまらなかった。 ユリが マリアの 画像に 母の おもかげ を 見た ように、 私 

に は なぜか その 画像に ユリの 運命 を 見る ような 気がした の だ。 私の 心 は ひそかに 波立 つ た。 

朝の 十 時 頃になる と、 羽織袴の 信者た ちが 五、 六 人 やって きた。 老 漁夫の 妻 も 正装して 土間の 一隅に 設けられ 

た 炊事場で かいがいしく 働いた。 質素な 家の なかに 朝の 光 は 満ち、 祝日ら しい さわやかな 気分が みなぎつ ていた。 

しばらくして 信者 一同 は 納戸 神の 懸軸を 棚から おろし、 巻いて 箱に 納めた。 棚の 下の 戸袋から 大小 二つの 甕、 サ 

ンジュ ワン さまの 聖水を 入れる 徳利 型 をした 三 個の 水 差、 古ぼけた 竹筒、 ほそい 繙を 束ねた ぉテ ペン シャ など を 

取り出して 畳の 上に 並べた。 このうち 大小 二つの 甕 は、 メ ダイ ュを 入れ 土中に 埋めて かくすた めの もので あり、 

また 竹筒 は聖 画像 を 納めて 天井裏に 秘匿す るた めの ものであった。 お テベ ンシャ はもと は 苦行 用の 鞭で あつたの 

が、 いつの 間に か 邪気 払いに 使われる ように 変って いた。 こうした 納戸 神と 神聖な 道具 類 は、 外で 待ち受け てい 

た 大八車に 積み こまれ、 信者の 若者が それ を 引いて、 あたらしく ッ モトになる 家に 出発した。 

それ を 見送った 信者た ち は、 御番 役で ある 老 漁師 を 先頭に して 一列に 並んだ。 老 漁師 は 手に サン ジュ ワン さま 

を 入れた 徳利 型の 白い 水 差 を かかえて ゆるやかに 歩き はじめた。 その 徳利に はィズ ッ ボと 呼ばれる 棒が さしこん 

であった。 老 漁師 は 歩きながら、 ィ ズッボ をと り 出して は その 棒の 先につ いた 水滴 を、 眼に 見えぬ 悪魔に むかつ 

て 振り かける 動作 をく りかえ した。 他の 信者た ち は、 納戸 神 を 入れた 箱 や 水 徳利 を もち、 老 漁師の あとに したが 



i8i わたしの 「天地 始之 事. 



つて、 お, b むろに 歩み をす すめた。 大きな 道が あるのに、 そこ を 通らず、 田の 畦 道 や 小道 をえ らんで 歩く の は 

きびしい 看視の 眼 を 掠める ための 心遣い を あらわして いるの だ つ た。 

こうして 一行が あたらしい ッ モトの 家に つくと、 御番 役の 当主 を はじめ、 家族 一同が 出迎えた が、 そのな かに、 

昨夜 その 家に 泊まった ュ リも 混って 私の 方 を 見て いた。 すでに 大八車で 到着して いた 納戸 神 や 付属の 道具 類 は 信 

者た ちの 手で 家の なかに はこびこまれ、 新たに もうけられた 棚に かざられた。 それが 終わる と、 信者た ち は 納戸 

神の まえに、 横 一列に 正座し、 オラショ を 唱え はじめた。 声 を 出さない ようにして 喉の 中で となえる オラショな 

ので、 どこかで かすかに 水が 湧き出る ような 音が 私たちに は 聞え る だけだった。 ときどき 御番 役が せきばらい を 

し. こ。 マ ごれ ょ卸番 がー つの オラショから 別の オラショ にかわる こと を 指示す る 合図であった。 日々 の 煩労から 

鎮を 解かれた 神秘的な 何物 かが 灯影に 照らされて 部屋 一杯に 羽ばたき ひろがった。 オラショが 終わる と、 こんど 

は 言 者 一 同 は 声 を 出して 「サン ジュヮ ン さまの 歌」 をうたい はじめた。 

前 は 泉水、 うしろ は 高き 岩なる やな 

前もう しろ も 潮で あかす る やな 

この 春 は 桜花 かや、 散る ぢる やな 

又 来る 春 は 蕾 開く る 花で ある ぞ やな 

参ろう やな、 パラ ィゾの 寺に 参ろう やな 

パ ライ ゾの 寺と は 申す る やな 



広い 寺と は 申す る やな 広い 狭い はわが 胸に ある ぞ やな 

あ びょうまん 

「^であ かする」 は 「潮で 飽かす る」 の 意であろう。 中 江の 島の まわり は森漫 たる 海 潮に とりかこまれ ている。 

その 島に は 桜の 木 はない が、 やがて 来る 春の 桜花に キリシタンの 信仰の 期待 を 歌い こめて いる。 この 歌に つづけ 

てし ばた 山の 歌が うたわれた。 

しばた 山 しばた 山な 

今 は 涙の 谷で ある ぞ やな 

先 はたす かる 道であろう ぞ やな 

しばた 山 は 「しばた」 という 木の 生えた 山で あると いう。 そこに は ジゴク の マリアと 弥 市兵衛 とその 子の ジュ 

ヮ ンの 三人 を祀る ダン ジク さまの 祠が ある。 三人 は羅 竹の なかに かくれて いたが、 子の ジ ュ ワンが 泣いた ので、 

船の 上から 見つけられ、 捕えられて 殺された。 ジゴク というの は、 ダン ジク さま を祀 つて ある 土地の 名で あり、 

ダン ジク は羅 竹の 方言で ある。 

この 歌が 終った あと、 ッ モトの 家で は 酒 や 肴が ととのえられ、 にぎやかな 祝宴が えんえんと つづいた。 私と ュ 

リは、 それが 終わって から 老 漁夫に 案内して もらい、 ダン ジク さま を祀る 場所に いってみ る ことにした。 それ は 

山 田 部落から さらに 山奥に 入り、 神ノ 川に 沿って 山道 をた どり、 南の 海岸に 降りた ところに あった。 絶壁に 近い 

急傾斜 をく だるのに、 わずかに 足 を 入れる ほどの 一筋の 道が ついている。 踏み 誤 まれば 転落す る ほかない けわし 

い 断崖 を、 私たち は 降りて いった。 ダン ジク さま は、 絶壁が 海ぎ わまで せり 出した 人気の ない 海岸の 羅竹 のしげ 



1 83 わたしの 「天地 始之 事」 



みのな かに 祀られ ていた。 今 は 水難 除け の 神と して、 漁夫た ちの 奉納の ダン ジク大 明 神と 記された 赤い 旗が 幾 本 

もた てかけて あった。 私 はこうして 隔絶した 場所に、 息を殺して 身 を ひそめて いたか くれ キリシタンの 信者た ち 

を 思い 浮べた。 私たちに とって もっとも 身近 かな ジュ ワン、 賢明な まなざし を もっている はずの 大人の ジュ ワン 

は、 ここで は きわけ のない 小児と なって いた。 ジュ ワンが 泣き わめいた ので、 その 家族 は 捕吏に 発見され たと 

いう。 そこ に gi; 圧 下の 信者の 弱さ を 見る こと もで きな く はない。 

信者が 海から 舟で のりつけて ダン ジク さまに 参詣す ると、 かならず 海が 荒れる という。 館 浦から 潮 見 岬 を まわ 

つて 南海 岸に むかう ところ は、 生 月 島と 平 戸島の 双方が つき出して、 その あいだ は 辰の 瀬戸と 呼ばれる せまい 水 

道に なって いて、 がまいて いる。 そうした 海の 難所 を 通過し なければ、 ダン ジク さま を祀 つて ある 海岸に 接岸 

する こと はでき ない。 その 瀬戸 をなん なく 航行で きる ようになった 現代で さえ、 かくれ キリシタンの 信者た ち は、 

木の 根 草の根 をつ かみながら、 断崖 を 降りて、 彼ら を 祀る祠 を 拝みに いっている。 捕吏の 船が 海から 近づいて 信 

者 を 発見した という ことがあ るので、 信者が 舟で やって きて は ダン ジク さまに 申 訳ない という。 こうした 慣習 は 

かくれ キリシタンの 信仰が、 かっての 殉教者へ の 思い入れ を 土台に している 事実 を 物語つ ている。 

私たち は その 日の 夕方、 疲れ切って 山 田 部落に もどった。 部落に 近づく につれ て、 中 江の 島が また 見えて きた 

とき、 私 は 生 月の 信者が その 島 を 精神的な 支柱と してきた わけが よく わかった。 朝な 夕な 洵教 者の 島 を 眺め 暮し 

ながら、 彼ら は 数百 年の 弾圧に 耐えた ので ある。 私たち は その 夜 も 島です ごし、 あくる 朝早く 生 月 島 を 出発して 

長 崎に かえった。 私たち は その 途中で 「お直り」 の 行事の こと を さまざま 話し合つ たが、 こんどの 生 月. cL? への i 

行が 幼年時代に その 名 をお ぼえ 親しんだ ジ ュ ヮ ン との 訣別と なる にちがいない こと は、 私もュ リも 心の中で 感じ 

とっていた。 



^ 十三 . 

青 樹を枯 すよう に 鳴いて いた 蟬の声 は 遠くに 散り、 灼けた 熱球の ように まどろん でいた 海の 果 から、 微風が 私 

の 住んで いる 坂 街に 届く 夕方に なった。 ユリから 会いたい という とつぜんの 電話 を 受けて、 私 はァパ ー 卜の 近く 

の レストランで 待って いた。 黄昏が ひときわ 濃くな つたころ になって、 ユリが 店の 中に 入って きた。 手に はス ー 

ッケ— スを さげて いた。 その 服装 は 皺 立って いて、 どこか 哀しげ にみ えた。 

「まるで 旅行に いくよう じ やない か」 

という ことばが 私の ロを衝 いて 出た が、 彼女 は、 

「ええ」 - 

といった まま、 それ を 否定し ようと はしなかった。 はじめ 黙りが ちだった ユリ は 注文した 皿の 肉 をつつ きながら、 

ぼつぼつ 語り はじめた。 

私たちが 一緒に 生 月 島に 旅行した ことで、 ユリ は 自分の 家の 小母さん や、 自分が 兄と 呼んで いる その 家の 養子 

から、 疑い を かけられる ことにな つた。 二人とも、 ユリの 説明 を 頭から 信ぜず、 はじめから 生 月 島に 宿泊す る 計 

画 を 立てて いた、 ときめて かかった。 そうした こと は カトリック 信者に ある まじき 行為 というわけだった。 独り 

暮し をして いる 私 は 迂闊に も、 ユリが 耐えられぬ 位の つらい 思い をして いる ことに 気がつかなかった。 彼女の ほ 

うから それにつ いて 私に 一言 も 語った ことはなかった のでな おさらの ことだった。 しかし 今、 店の あかるい 灯 を 

あてられて、 落ちく ぼんだ 頰ゃ色 をう しなった 唇が、 ユリの 置かれて いる 状態 を はっきり 物語って いた。 

「私ね、 今日、 家の 二階で 洗濯物に アイロン を かけて いたんで すの。 そうして いると きに ふいに 私の 気持が 固ま 

つたんで す。 自分で も 思いがけなかった のです が、 ぐずぐずして いると きではありません ので、 アイロン を 持つ 



1 85 わたしの 「天地 始之 事. 



手 を やすめ、 神に 祈りました。 そしてす ぐ 押入れから 引き出した ス ー ッケ ー スに 身の 廻りの 品々 や 衣類 を 投げ こ 

み、 それ を もって 家 を 抜け出し たんです」 

ユリ はさら にことば をつ いで、 〈鼠 島〉 にいった とき は、 船 着 場に 魚 を 買いに いった その 足で、 買物 かご を 下 

げた まま、 〈鼠 島〉 行きの 巡航船に 乗って しまった。 あのと き は 家出した 母と おなじ 血が 自分の なかで さわぐ と 

思って いたが、 今 はちが う。 今 自分に 決心 させた もの は 得体の 知れぬ 大きく、 強い 力 だとい つた。 そう 語る とき、 

ユリの 不安が 白熱した 状態で 私の 眼の 前にあった。 ユリの 不安 を 羽ばたかせ、 意の ままに 支配す る 神。 たえず あ 

り ふれた 意味 を 消し、 既知の もの を 未知の もの へと かえす 衝動に ュ リを かりたてる 神。 

神と 私 は ュ リの 飛躍 をた すける 共犯者の 親し さ を 見せて よりそつ ている。 レストランの 天井の あちこちから 投 

げ るいくつ かの 光の 波紋が 干渉し 合って、 暗い 縞 をつ くって いる。 私たちの もっている コップの なかの 氷が しだ 

いに 溶けて いく。 

「大体 見当つ いた。 君の 気の すむ まで 当分 僕のと ころに いたまえ、 その あと、 自分の 考え をき めたら よいだ ろ 

う」 

店 を 出た。 丘の 上の 建物の 灯 を 眺めて いる 彼女に むか つ て 私 はい つ た。 

「あの 灯の ひとつが …… 僕の 生活 さ」 

私たち は 緑の 句い のす る 坂道 をの ぼ つてい つた。 

私 は、 客間の ソファ を ユリに 提供し、 自分 は 寝室の ベッドの 上で 眼 を 閉じた。 すると 瑪墻の 切 口に 似た 茶褐色 

の 縞模様が、 まぶたの 裏で ほどけて まわる の を おぼえた。 今まで 緩やかな 水の 流れに したがっていた 小舟が、 渦 

のまく 急流に さしかかつ たという 思い は 否定し がたかった。 ユリ も 同じ 思いで 寝つ かれない のであろう か、 隣室 



86 



から 小さな 咳が 聞え てきた。 

数日 経った。 ユリ は 食事 を 作る ために 勝手に 立っても、 私の すすめる 本 を 読みながら も、 どこか 浮かない顔 を 

している。 ユリに は 新しい 疲れが 始まった よう だ。 どうした のか、 とその 訳 を 聞いて みた。 

「私が こうして い るの が あなたに 御迷惑 じ や な いかと 思 い ますの」 

「迷惑 だったら、 君 を 僕のと ころに 置い とき はしない さ」 

「だけど」 

「他人から なんとか 思われる というの かい。 じ や 結婚しょう」 

私が そういった とたん、 彼女の 乾いた 頰 がさつ と 紅潮し、 眼が 濡れた ように きらきら 光った。 

「楽しす ぎる わ …… 私、 それが こわい の」 

「どうして?」 

「 ::: だ つ て、 私 は 小さい 時から 楽しい 目に会つ たこと がな いんです もの」 

ユリ は 一瞬、 悲しげに 遠く を 見つめる 眼 付き をした。 

「君 さえよ ければ、 今からで も 一 緒に 市役所に い つ て 手続き をす まして こよう」 

「でも …… 教会の ほうが …… 神父 さまの 御意 見 は どんな かしら」 

「なるほど、 カトリ ッ ク 信者のば あい は それが あるんだ な」 

カトリック 1 一一 一口 者と 未信者と が 結婚す るば あい は、 配偶者が 相手の 信仰 をみ とめる こと、 そして 生まれた 子ども 

を 信者に するとい う 条件の ある ことに 私 は 思い 到らな か つ た。 

私 は ユリの ここ 数日の 不安の 真の 原因が そこにあった こと を、 はじめて 察した。 彼女の 家の 「小母さん」 はだ 

ま つ て 家 を あけた 彼女 をかん たんに 許すまい。 孤児の 彼女 を 少女の 頃から 自分の 家に 引きと つ て 面倒 をみ てきた 



1 87 わたしの 「天地 始之 事」 



の だから、 恩 を 仇で かえされ たと 思う にちがいない。 また 「小母さん」 は 教会の 有力な 信者の 一人と して 神父と 

も 日頃 親しい 付合い をして いたから、 神父に たいする 影響力 は 小さくない。 そうした とき、 私たちの 結婚が はた 

して 教会の 祝福 を 受ける ことができ るか、 ュ リが 心細く 思う の も 無理 はな か つ た。 

私 はとい えば、 書物 以外に 教会に たいして ほとんど 知識 を 持ち合せて はいなかった。 一度 だけ、 友人に 連れら 

れて 教会の 一 番 うしろの 庭で ミサ をの ぞいた ことがあった。 

信者た ちが 祭壇に ひざまずき、 司祭の 手から 小さな せんべいの かっこう をした 聖体 を 受ける ために、 舌 を 出し 

ている。 人間が 神 を 食べて いる ••:: 大昔、 神の まえで いけにえの けものの 肉を頒 ちあった 共 食 儀礼 そっくりの 光 

景 だった。 私 は 自分 だけが 吐き出される 異物の ような 苦し さ を 感じた。 そのと きのこと を 思い出す たびに、 私 は 

塩気の 強い 嫋を 食いす ぎた 猫の ように 顔をしかめ たくな つ た。 

しかし 今と なって は、 そういって ばかり も いられ なくなった。 私 は 神父と 会って、 その 意向 をた だす ことが ま 

ず 肝心な こと だと 思つ た。 そこで ユリと 一 緒に 神父 をたず ねて みる ことにした。 

私たち は 神父が あるいは いるか もしれ ない と、 教会の 裏手の 道から 聖堂の なかに 入って いった。 色 硝子に 染め 

られた 内部の 陽が 重苦しく 私たち を 遮った。 椅子の 上に は 手垢に よごれた 祈禱書 や、 乾いた 汗に ぴかぴか光った 

念珠が 投げ 散らして あった。 見 まわす と、 尼僧が ひとり 祈禱 台に うずくまり、 筋ば つた 掌で 顔を蔽 つた まま、 身 

動きし ないで いるの が 眼に ついた。 眠って いるの かな —— 近よ つてい くと、 両手の 間から きびしい まなざしが こ 

ちらに 向けられた。 小さな 顔に は 暑苦しく 乱れた 髮が 粘りつ き、 頰は 斑点 をつ けたよう に 異様な 上気 を 示して い 

た。 「はは あ、 甘美なる マリアの 御名に 酔つ たんだな」 私たち は そっと 引き返した。 

聖堂のと なりの 司祭 館の 玄関の 前に 立って ベル を 鳴らした が、 何の 答え もなかった。 家の 中で は 何に かぶつつ 

かる 音が 聞え てきた。 もう 一度 強く ベル を 押す と、 物音 は 急に やみ、 足音が して 扉が 開いた。 出口 を 求めて いた 



88 



家の 中から、 むせかえる ように 吹き出した 風と ともに、 痩せて 骨ぐ みの たくましい 神父が 立って いた。 頭 を 剃り、 

こめかみ は 青く 浮き出した 血管の ために ひきつれ、 素足に 丈夫な 革の サンダル を 穿いて いた。 

差 出した 名刺と 私の 顔 を 見 くらべながら、 神父 は 唇 を 引きし めた まま、 承知して いると いう ふうに うなずいた。 

彼 は 私たち を 玄関 脇の 応接室に 招き 入れた。 そこ は 三 坪 足らずの 狭い 室で、 磨 硝子の 窓に は、 神父の 席の 正面、 

眼の 高さのと ころに 一枚 だけ、 手のひら ほどの 透明な 硝子が 嵌め こんで あり、 そこから 教会の 門 際まで 見 透せ る 

ようにな つていた。 子 をへ だてて 神父と 私たち は 向いあった。 私 は 教会の 許可 を 得て ユリと 結婚した いと 申し 

出た。 しかし 神父 は 私たちが 婚 前に 同居して いる 不自然な 状態 を、 もとに 戻す ことが 先決 だと 主張して ゆずらな 

かった。 それ は、 ユリの 小母さんの 意向で ある こと も、 話して いる あいだに うすうす わかった。 しかし ユリが も 

との 家に もどらない 決心で いる 以上、 神父の 考えに したがう こと はで きないと、 私 は ユリの 気持 を 代弁して いつ 

た。 そして 私が 幼い ときから かくれ キリシタンに 関心 を 抱いて きた こと、 かくれ キリシタン は、 私の 考えに よれ 

ば 前 カトリ 、ン クと でも 称する ことので きる 宗教で ある こと を 力説した。 しかし それが かえつ て 神父 を 不快に 刺戟 

したら しか つ た。 

神父の 話で は、 彼 は 若い とき、 生 月 島の 教会に 赴任して いた ことがあった。 生 月 島 は 島の 人口、 二 千 戸のう ち、 

その 大半が かくれ キリシタン であり、 カトリック 信者 はわず か 七十 戸 程度で ある。 神父 は 生 月 島の 教会に 在任中、 

一 人の 信者 も ふやす ことができ なか つ た。 その 苦い 思いが かくれ キリシ タ ン に対する 印象 を 決定的に していた。 

彼 は 生 月 島で 孤立して いると 感じて いた。 かくれ キリシタンの 無知と 偏見が、 彼ら を 教会に 帰 正させな いでいる。 

それな のに、 かくれ キリシ タ ン は 自分た ちの ほうこ そ 禁教 時代の 潜伏 キリシ タ ン の 正統の 末裔と 信じ こんでいて、 

その 誇り を 手放そう としない。 かくれ キリシタンに いわせる と、 カトリック教会 は 新教であった。 この 言い方 は 

奇異に 聞え る。 しかし、 潜伏 キリシタンの 切実な 心情 は、 自分た ちかくれ キリシタンに 引きつ がれて いると 彼ら 



1 89 わたしの 「天地 始之 事. 



は 信じて いる。 それに くらべる と、 なんら 弹圧 をこう むらないで 公然と 信仰生活 をい となむ ことので きる カトリ 

ック 教会 は、 年季の 入らない 新しい 宗教で はない か、 とかくれ キリシタン はいう ので ある。 そうした かくれ キリ 

シ タンに むかって、 神父が あるとき はなれと 呼んだ ことから、 彼ら を 激怒 させた ことがあった。 自分た ち は 一度 

も 信仰から 離れた ことがない。 それな のに、 明治に 新しく 入って きた 教会から はなれ よばわり をされ る こと はは 

な はだ 心外で ある、 と 彼ら は 神父に 切り返し たの だ。 神父と 生 月 島の かくれ キリシタンの みぞ は 深まった。 彼 は 

司教に みずから 願い出て、 生 月 島の 教会から、 現在の 長 崎 市の 教会に 転任した。 以上の いきさつ を 神父 は 私たち 

に 話した。 彼 は そのと きの 昂奮が 今 もも どって くるら しく、 時折 椅子の 上に 坐り 直した。 そうして、 間違った 宗 

教を 信ずる の は、 宗教 を 何も 信じない より は 悪い こと だと 言い放った。 神父の 言葉 は、 私 だけでなく かく ゎキ 

リシ タンと して 幼児 洗礼 を 受けた ユリに も 向けられた ものの ように 思えた。 つまり、 ユリが まだ かくれ キリシ タ 

ンの 雰囲気に 捉 われて いて、 教会の 信仰が 堅固で ない という ことから、 今回の ように 軽はずみな 行為に 出た とい 

わんば かりで あつ た。 

これ 以上、 神父と 話し あっても 無駄と 思った 私 は、 それまで 一言 も 発しな いでいる ユリ を 促して 立ち上った。 

「教会 はいつ も 主観に 囚われ やすい 当事者の 考え を 是正す る 役目 を も つてい るので す」 

と 神父 はいった。 そのことば をう しろに して 私たち は 司祭 館 を 出た が、 けものの 粗 毛 を 焼く ような 夕陽の つよい 

光が、 睦 にいつ まで もつ きまと つて 離れなかった。 

私たちが 司祭 館 を 訪れてから 十日 後、 こんど は ユリ は ひとりで 頼んで みょうと 教会に 出かけて いった。 その 日 

の 夕方 こ 帰って きた ユリ は、 ァパ ー トの 玄関に 立つ と、 やっと 島に たどりつ いたと でもい うように、 私 を 見上げ 

た。 



190 



「どうしたんだ」 

「疲れ切つ ています の」 

ユリ は 靴下 を 脱ぎ かける と、 私の 傍に 横 坐りに すわり、 自分の 辛 さ を 押しつける ように 私 を 睨んだ。 それ を受 

け 取つ て くれる もの は 私 以外 にないと いうよう に。 

私 は 彼女から その 日の 神父との いきさつ をく わしく 聞いた。 

神父 は ユリに むかって、 不自然な 同居 生活 を はやく 解消す るよう にと、 くりかえす だけだった。 「信者と 未 信 

者 は、 人間と 石ころ ほどに ちがう のです」 と 力説し、 また 「教会 は 無関心な 未信者の 態度 を 咎め だてす るより は、 

むしろ 教会の 考え方に 疑惑 を 与え、 混乱させる 者の ほう を 警戒す るので す」 ともい い 添えた。 それが どういう 意 

味 を もつ ている かわからない が、 神父が 私に 好意 を もつ ていない こと を 示す ことばに はちが いなか つ た。 

それから ユリ は、 告解 をして 帰りたい と 神父に 申し出た。 神父 は 司祭 館の 横の 出口から 長 廊下 を 渡って、 聖堂 

の 裏側に 設けて ある 告解 室に ュ リを みちびいた。 

一 一 つ に 仕切られた 室の 一 方に 神父が はい つ た。 うすい 金網 を 隔てた 向う側に 神父の 耳が ぴ つ たりと くつ ついた。 

ユリ は 多くの 信者の 肱 や 膝で 黒く よごれ、 擦り 減った こちら 側の 台に ひざまずいた。 すべての 物音 は 消えた。 



「それだけで すね。 その他に は?」 

「別に …… 何も。 神父 さま」 

夜明けの 露に濡れた 蜂が 翅を 伸し かける ように、 ユリ はすこし 身体 を 動かした。 

「では、 あなたの 現在の 生活が 他の 信者の つまずき となる 危険 を 考えた ことがあります か」 



191 わたしの 「天地 始之 事」 



「御主に たいして 別に やましい ところ はなく とも、 私が 気づかない 間に 犯した 罪 は あるか も 知れません」 

ユリ は 再び 不安に 落ち入った。 

「それで は …… 何 か 特別に …… 」 神父 はいった。 

「 」 

「御 遠慮なくい つ て 下さい。 …… 第 六誡に 闘す る ことで も …… 」 

第 六 誠 …… 姦淫の 罪 …… 打ちのめされた ュ リは くずれ 落ちる 身体 を や つ と 台で 支えた。 石の ように 頰が蒼 ざめ 

て 光った。 何 かが ユリの 心 を 駆けめ ぐって、 声の ない 烈しい 叫びと 抗議 をつ づけた。 それ は 無垢の 後悔に 似た 感 

情だった。 神父 は 待って いるかの ように 兑 えた。 追い つめられた いけにえの 獣が 彼の 膝 もとに 屈服し、 自分への 

呪いと 神父への 讃美 を 発する 瞬間 を。 だが ユリ は いつまでも 黙った。 そして 咬傷 を 与えた 獲物 を 最後の 一撃の 手 

前で とり 逃した 神父 をの こして 立 上る と、 うすい 彼 衣を髮 にかけ たま ま 告解室 を 出た。 

ユリ は 教会の 外の、 市松 模様の 影 を 落した 舗道 をのろ のろ 歩いた。 

「なんという ことだろう。 告解 室で は 神父 はけつ して 自分から 誘ったり、 訊き 出したり して はならない のに、 う 

たぐり 深い 悪魔が 神父 さまの 环を そそのかして いるの だ。 ひしゃげ たきの この 形 をして、 生き物の ように 動く 神 

父 さまの 耳の 格好に たまらない 嫌悪 を おぼえる の だ。 悪魔の 火に 焦げた あの 耳が 教会の 淀を楣 にと つ て 私に 姦淫 

の 罪 をつ くりあげ、 告白 させようと している。 こんなみ じめ さ を 味わわねば ならぬ くらいなら …… いっその こと 

死んで しまえたら …… 」 

ュ リが沖 父に 何の 挨拶 もな く 立 上 つ て 告解室 を 出た こと は、 神父との 関係 を 悪化させる ことになるの はたし か 

だった。 それで は 教会の 承認 を 当分の 間 得られそう にもなかった。 それにつ いて 彼女が どんなに 口惜しい 思いで 

いるか、 私に は 痛い ほど わかった。 



192 



ュ リ は 。ほ つ りと いった。 

「私 は どんなに 暑い さかりで も、 木の葉の 落ちる 音 を 聞く ことができます わ」 

私 は 窓の 外に 眼 を 向けた。 沈んで いく 杜ゃ 丘の 間に 昏れ 切らぬ 夏の 夕方が 白い 鉱石の ように きらめい ていた。 

私 は ュ リの 気持 を 引き立てながら、 自分た ちの 道 をす すむ ほかない と 思つ ていった。 

「だが もう 蚋 を 漉し 出して 酪駝を 呑む ような 輩と はもう これ 以上 妥協の 道 はない よ」 

十四 

「つまり 教会 は 人間の 自然 さがす ベ てが まんなら ない のさ」 

私 は それ つ きりで 簡単に すます こと もで きたが、 ュ リは 自分の 信仰 を 守りつ づけよう とした。 私 は 教会の 承認 

を 得る ことの ほう は あとまわし にして、 市役所で 結婚の 手続き をして おこうとう ながした が、 ュ リは肯 じな か つ 

た。 日曜日に は、 彼女 は 自分の 居室に 閉じこもり 「ミサに 与り 得ざる 時の 祈り」 を 欠かさなかった。 壁に 十字架 

を かけて、 その 下で 告解を するとき めた 夜 は、 私 も ユリの 魂 を 乱すまい として、 必要 以上に は 口 を 利かなかった" 

ユリの 部屋に はいって、 ひざまず いている 彼女の 姿 を 見る と、 私 は 扉 を 閉めて 部屋の 外に 出た。 また ユリの 傍に 

念珠が あるの を 見る と、 私 は 触れて はならない ものと して 離れて 話す ことにした。 

高台に 静かな 夜が 訪れて いた。 ユリ は マリアの 御 絵 を 匱く 台の 敷物 を 作る ために 小さな 編 棒 を 動かしな がらい 

つ た。 

「寒くな つたら ガス スト ー ブを 買って、 この 部屋に 置きましょう ね。 私 はこん な ふうに して 編物 をしたり、 あな 

たのた めに 口 ザ リオ を 繰 つ てお 祈りしたり してす ごすの」 

私 は 彼女に ほほえみ かえそう とした。 しかし 私の 口 をつ いて 出た の はちが つ たことば だ つ た。 



193 わたしの 「天地 始之 事. 



「僕の ために? 何 を 祈ろうと する の?」 

「そり やい えない わ」 

「君 は 神 を 通して 僕 を 愛して いるんだ ね」 

「神が あるから あなた を いつわらずに 愛せ るんだ わ」 

「それで はつ まり 条件つ きとい うこと になる じ やない か」 

「私たち はまった く 逆の こと をい おうとし ている のね。 神の 助け を 借りる という こと は、 ありのままの あなた を 

愛して いる ことと おなじな の」 

「それ はわ かる。 しかし …… 」 

私 はためら い を 押し 5- つ て、 これまで 秘めて きた 感情 を 一 気に ほとばしらせた。 

「君が 公教要理 を 習いに 通う の を 教会の 門 際まで 送つ て、 君が 小径の 砂利 を 踏んで 教会の 奥に 遠ざか つてい くの 

を 見つめて いると、 君の 後 姿 は、 僕の 瞳に 肉色の 衣裳 をす つぼり 脱ぎ捨てて 投げ かえす ように、 とてもな やまし 

く 映つ たんだ。 君 は 神の 合図に 応じて、 僕の 許に かえって こなくなる かもしれ ない、 君 はもう 僕に とって 見お ぼ 

えの なくなった 人間になる かもしれ ない、 という 不安 を 感じたん だ。 しかし そのと き は、 不安で も、 何 か 僕 は 生 

き 生きした 感情に 支えられ ていた。 君が, V つ ぜん 受洗した とき、 その 不安の 感情 は 最高潮に 達した。 また 君が 小 

母さんの 家 を 出た とき は、 神と 僕と は 君の 脱出に 双方と も 力 を 貸した という 点で、 共犯 関係に あった。 あのと き 

『彼』 は 僕たちの 不安 を 存分に 羽ばたかせる 役目 を果 した。 しかし それ以来 『彼』 は 僕と 君の 間に うずくまって、 

動こうと しないんだ。 君が ひざまずいて 祈ったり している とき、 僕に は 亡霊の ように 『彼』 の 姿が 立ち ふさがつ 

て、 君が はっきり 見えな くな るんだ …… 」 

「 」 



94 



「僕 は 君の 神 を 信じて やしない。 その 存在 を 信じて いない 君の 神に 不安 を 感じる という こと は 矛盾 だとい うこと 

も 知っている。 それな のに 君と 僕との 間に 流れる 感情 は、 すべて 『彼』 を 通過し 屈折して いる こと を 認めざる を 

えな いんだ。 この ァパ ー 卜に 僕と 君 だけが いるん じゃなくて 『彼』 も 同居して いる こと を、 僕 ははつ きり 感じる 

んだ」 

「まあ、 あなた は 神 さまに 嫉妬して いらっしゃ るんだ わ。 でも、 わかって 下さる? 私の 中に 神が 死ぬ とき、 あ 

なた へ の 思い も 死ぬ のよ …… 」 

私 は ュ リ のことば をつ とめて 聞かない ように、 だまりこく つていた。 

ユリの 小母さんから、 厚い 封書が とどいた。 彼女が 小母さんの 家 を だまって 出た ことにつ いてお 詫びの 手紙 を 

出した のに 対する 返事だった。 小母さんの 養子 は、 彼が 応召す る 以前から 勤務して いた 会社の 都合で、 東京に 転 

勤す る ことにな り、 ュ リを 悩ます 者 は 家に いなくな つ たこと を 告げた のち、 今の ままで は 神父 を 説得す るに も 都 

合が 悪い から、 自分の 許に 帰って くるよう にと、 くりかえし 述べて あった。 教会 を 捨てた のでない 以上、 私との 

同居 生活が 正常で ない こと は、 ユリ 自身よ く 知っていた。 それに 今回の ユリの 行動に 寛大な 態度 を 示して いる 小 

母さんの 気持 を 無視す る わけに はいかな か つ た。 それでも なお ュ リは 小母さんの 家に 戻る こと を 私が 反対して く 

れ ると ひそかに 期待して いたらし かった。 手紙の 届いた 夜、 彼女 は 小母さんの 手紙 をみ せて 私の 判断 を 求めた。 

私 は 読み終え た 手紙 を だま つ て ユリの 膝 もとに 押し返した。 それが ュ リを昔 立た せた。 

「私に 小母さんの 家に 戻れと お つし やる のね」 

彼女の 声 は 冷ややかな 調子に 変った。 

「じ や 聞く が、 僕たちの 生活が このまま でい つまで もうまく いくと 思つ ている のかい I 



195 わたしの 「天地 始之 事」 



ュ リは 驚いた ように 眼 を 大きく 見張つ て 私 を 見詰めた。 けれども 予期して いなか つ たわけで はない という 口ぶ 

りで、 

「あなた 次第よ。 私 は 今の ままで 十分 だ わ」 

彼女 は 低い 声で つけ 足した。 

「行って しまえと いうん じ やない。 そんな ことで 僕たちの 間が どうにかなる、 などと は 思って はいない」 

ユリ は 突然 叫んだ。 

「わかった わ。 あなた は 私の 満足が 気に入らな いんだ わ。 あなた は 私の 不安が 必要な のよ。 私が 前 ぶれ もな く 洗 

礼 を 受けたり、 小母さんの 家 を だまって 出たり して、 どんな ふうに 飛躍す るか、 自分 も わからな いとき、 あなた 

に は 私が 生き生きと 見え るんだ わ。 でも、 こうして 私が 落着いて しまう と、 物たり なくなって しまう のね」 

私 は 否定し なか つ た。 

「たった 一 月足らずで …… ひどい 方」 

ユリ は 自分の 身悶え を 私に 受け取って くれと いわんばかりに、 髪 を 私の 胸に 烈しく 押しつけた。 しばらくして 

冷静に なると、 ュ リは 切なげ に 光る 視線 を 私に むけた。 

「いい わ、 私の ためとい うより、 私たちの ために 一度 小母さんの 家に 帰ります わ。 離れて いても あなたが 見守つ 

ていて 下さる …… それだけで しあわせよ。 向う に 行ったら しばらく お会いで きません わね。 もし 会って いたら、 

小母さんに よくない 印象 を 与える でしよう から」 

こうして ュ リ はふた たび 小母さんの 家に もど つてい つた。 

その後す ぐ、 私 は 彼女から 手紙 を 貰った が、 その 文章 は 暗い 感じの ものであった。 小母さん は、 ユリと 祌 父と 



96 



の 問 を 取りな すと いいながら、 かえって 神父との 関係 を 悪化 させて いた。 教会の 敷地に 新しく 建てられた 足の 

建設 資金 集めに 奔走して いた 小母さん は、 聖堂の 落成式の 当日、 司教の 祝福に 応える 晴れが ましい 席での 代表に 

分が 選ばれる と 確信して いた。 ところが、 その 思惑 は 外れた。 司教への 挨 の 儀式のと き、 高名な 大学教授 夫 

人が 進み出て、 うやうやしく ひざまず くと、 優雅な 物腰で 司教の 右手の 薬指に はまった 金の指輪に 接吻した。 そ 

の 光景 を 見せつ けられた 小母さん は 内心 ひどい 侮辱 を あじわった。 .0 分に その 役割が 与えられなかった の は、 神 

父の 差金に よる ものと 固く 思い こんだ 彼女 は、 それ以来、 別の 教会に 通う ことにした というの だった。 それで は 

小 23 さんが 神父との 間 を 取り もつ ことな ど、 もはや 不可能と 考えて よか つ た。 

ュ リが 私に 寄越す 手紙 は 切迫した 調子の ものに 変つ ていった。 

二、 三日 前の 夜、 ふしぎな 来客が ありました。 玄関の 外の ベルが 鳴って、 たまたま 小母さんが 不在だった 

ので、 私 は 扉 をし めた まま、 内側から 「どなた?」 と 聞きました。 外で はしば らく ためらう 気配が しました 

力 

r —— ァグ ネス、 それから ル チヤ」 

まるで 遠くで 発せられて いるよう な、 聞き馴れぬ 声が しました。 私が 扉 を 開けます と、 冷たい 夜気の 中に 

二つの マントの 影が 動き、 面紗の 白い 色が 私の 睦に 流れ こみました。 二 羽の 夜鳥の ような 修道女の 姿でした。 

私が 来訪の 目的 を 聞いても 何も 答えず、 客間で だま つ たま ま 小母さん を 待つ ていました。 

小母さんが 帰る と 一時間ば かり 低い 声で 話 をして いました。 小母さん は 客が 帰った あと、 蒼い 顔に 瞳 を あ 

やし くぎらつ かせながら、 なにやら 考え こんでいました。 そのこと があって から、 小母さん は 行 先 も 告げず、 

外出す る ことが 多くな りました。 どうやら 親しい 修道女た ちと 新しい 修道会 を 起こす ことに 熱中し 始めた よ 



197 わたしの 「天地 始之 事. 



うです。 私 は 置き忘れられ たように、 飼犬の テリ ャと 一緒に 終日 家に 閉じこもって います。 

私の 二階の 居室から は、 堺に かこまれ たせまい 庭が 見下せます。 私 も 秋の 薔薇の ように 閉ざされた 世界に 

住んで います。 庭の 薔薇に は 重なり あう 花弁 を わけて 抱き あう 大地と 空が あります のに、 私に は それが あり 

ません。 ^の 無花果 は 異様な 早 さで 色づ いています。 このところ 雨が 降らない せいか、 私の 部屋の 柱が 干 割 

れて、 「時」 の 裂ける ような 音 をた てて います。 

嵐の 前の 黄色つ ぼい 夕昏が この 街の 上に 蔽 いかぶ さ つ ています。 静まり返った 家 は 何 か 墓地 を 思わせます" 

人び と は 音 を 消して 動いて います。 淡い 雨の しぶきが 瓦の 上の 乾いた 夢 を 濡らして いきます。 そうして はか 

ない 賭け ごとの ような 人生に いる 私です。 時々 ふいと 白い 焰が めら めら と 燃え あがる ことがあります。 私 は 

何のた めに 生きて いるの だろう。 人 を 愛する と は 何だろう。 たしかに 私 は 生き甲斐 ももって いるし、 否定し 

ように もしえぬ 一人の ひと を 愛して いる。 しかし それが 何 だってい うのだろう。 鏡に むかう 自分の 唇が 蒼 ざ 

めて いくの を 見る ように —— 自分の 希望が 失われて いくの を 感じます。 …… そのと き 私 は 真の 人生の 姿をチ 

ラリと 見うる ような 気がします。 

暗い 室に ひとり 入れられた 子どもが、 夢中で 扉 を 叩く、 泣く、 叫んで みる。 そんな ふうに して 私 は あなた 

に 呼びかけて きました。 あなたの 胸 だけが 私 を 慰め 憩わせる ものと 思って いました の。 今、 何故 ともなく、 

あなたが 私の こうした よりかかり 方に 背 をお むけになる の を 感ずる のです。 でも それが 私に は 嬉しい のです 

わ。 るべき ところが なくと も、 いえ、 それだけに あなたが 心 楽しく 安らかに おいでの こと を 切に 願って い 



198 



ます 私の、 七の なかに ひそむ 女らし さは、 やはり さびしい と 思う のです けれど、 私 はどうしても 生まれつき 

そうした ものと は 遠く 生きねば ならぬ ように 運命 づけら れ ている 気がします。 そうした 団欒 を 窓の 外から 爪 

立ちして のぞく 子どもの ように。 距離の 哀情と いう ことば を 教えて 下さった あなたが わ,^ いわ. j ;。 あなたの 

与えて 下さる 幸福と いう ものが。 

こうした 手紙 を 受け取りながら、 私 はどうしょう もない 自分の 非力 を 感じて いた。 私 は ユリに 返事 を 出す こと 

はおろ か、 電話 を かける こと も、 しだいに 控える ようになった。 ユリからの 手紙 も 一時 途絶えた。 しかし ある 日、 

次の ような 手紙 を ュ リが よこした とき 私 は 覚悟 をき めた。 

この 家 を 出て ゆかねば なら なくなりました。 小母さん も 私 も。 この 家 は 教会の 所有す る 建物な のです が、 

小母さんが 借り受けて いたのです。 それが 神父との 間が 悪くな つて 以来、 期限つ きで 明け渡し を 要求され て 

いたらし いのです。 小母さん はよ もや 実行 しないと 多寡 をく くって いたので すが、 そうはい きませんでした。 

あと 五日し か 余裕が 与えられない というので、 小母さん は 私 をせ き 立てて 荷作りに とりかかり はじめました。 

そして 私の 結婚の ことな どまる で 忘れた かの ように、 新しい 修道会 をつ くるから 仕事 を 手伝って くれと いい 

出す 始末です。 そして ゆくゆく は 童貞の 誓願 を 立てて、 修道女に おなりよ 11 と 口走る こと もあります。 

私 はがけ の ふちまで 追い つめられ ています。 深淵から 照り返す おそろしい 光に 呑み こまれな いように 眼 を 

閉じよう として、 思わず 足の よろめく の を 感じます。 

お願いです。 どうか 私 を 迎えに きて 下さい。 いつも あなたと お会いし ていた 教会の 門 際に。 



199 わたしの 「天地 始之 事. 



そして その あとに 次の ような 文章が 書き つらねて あった。 それ は 自分の 独白 か、 私への 呼びかけ か、 神への 祈 

りか、 区別の つかない ものだった。 

私の 生活 を蔽 つていた 教会の 翼 は 破れました。 ただ 一 つの 強い 力が 私 を あなたの 許に ひきよせます。 主が 

私に 何 を 求めた まう か、 全身 を かけて それ を 確かめる ために、 私 は 教会 を 捨てて、 あなたの 許に 帰って まい 

ります 

いつの 曰か、 石の 心に も 火が 触れ、 時間と 季節 を 焼き 尽す 炎と 化すので ございましよう。 そのと きこ そ あ 

なた とも 袂を わかたねば ならぬ こと を 知つ ております。 

いつの 曰か、 私たちの ひとりが 地上 を 離れ、 握りし める 相手の 手 を 逃れて 他界の 星の 許に 去って ゆく 日の 

慟哭 を まえ もつ て 予感し 経験し なければ ならぬ という ふうに 過して まいりました。 

そのな かで、 あなたとの 交わり だけ は 長かった という ことので きる ために、 おた がいの 運命の 描く 半円 を 

能う かぎり 近づけよう とする 私の 気持 を、 主よ どうかお 許し 下さい まし。 

十五 

ユリ は 唐草模様 を涛た 教会の 鉄 格子の 扉の 前に、 パラソルで 顔 をな かば 隠す ようにして 立って いた。 しばらく 

会わなかった せいか、 ユリの 姿 をみ ると、 私 は 回帰線に 近づく 太陽の ように、 今までと は 一段とち がう 心音が 苦 

しく 鳴り ひびく の を どうしょう もなか つ た。 

「帰って きたかったら、 いつ でも 帰 つてき てよ ろしい とおつ しゃ つてた でしよう」 

ュ リは 挑む ように 私 を 見た。 



200 



「結局、 君 は 廻り 道 をした だけの こと さ」 

私 は ユリの 荷物 を さげて、 歩き 出そうと した。 

「待って 下さい。 教会に お別れ をして おきた いんです」 

ュ リ はそう いうと、 しぶる 私 を 引き立てて 教会の 門 をく ぐ つ た。 

新しくで きたば かりの 聖堂の なか は 人気が なく、 正面の 祭壇から かすかに 香煙が 立ち 昇って いた。 聖堂の 壁 際 

の 焼 絵 玻璃の なかの 天使 像 は 私たち を 追放す るよう に 剣 を ふりかざ していた。 

聖堂の 高い 破風に は 私たち を 監視す るかの ように 邪悪な 天使の 陽が 羽ばたい ていた。 薔薇 窓の 花弁 は、 犠牲の 

,m の 呻きに 飽かない 隠微な 快楽の 色に 染められた 赤瑪瑶 色の 火焰を 噴き出して 私たち を 焼こうと していた。 そこ 

に は淚に 濡れた 顔 も かわき、 驚愕から 諦め、 服従へ と 変って いく 世界が あった。 私たち は 教会の 敷石の 上 を 通り 

すぎながら、 あらゆる 新鮮な 真実の 息吹きが 集められ、 無慈悲な 伝説に 支えられ、 重い 色彩の 感情へ と 化して い 

く 世界 をもう 一度 ふりかえった。 陽 はかげり、 聖堂の 窓 は 黒 薔薇の ように かがやい ていた。 

その 夜、 私たち はァパ ー トの 居間で 向いあって いた。 雑談の 中で ユリ はいった。 

「私ね。 こんど 小母さんの 家に いたと き、 暗い 部屋に いて 独りで 黄色い 灯 をつ ける と、 私の 部屋が 浮び 出して、 

私 はさび しがり やで はない はずな のに、 生活の 空虚 さ を 見せつ けられた ように、 おもわず 頭 を ふりまし たの。 で 

も その 生活から ぬけ 出せた こと を、 ほんとうに 感謝して ますの よ」 

ュ リ はさら に 念 を 押す ように 私に い つ た。 

「私 は 自分の 友達が 両親の 膝に 甘えて いた 頃から、 他人に 後 指 を さされな いまつ とうな 結婚が 烈しい のぞみで し 

たの。 女学校に 通って いたと きも、 家出した 母の 噂 を かくすのに、 どんなに 恥 かしい 思い をし なければ ならな か 



201 わたしの 「天地 始之 事」 



つた か。 でも、 教会からの 認可がない のです から、 今 さら 区役所に 結婚 届 を 出す ことな どお 考えに ならないで 下 

さい。 世間へ 披露し、 世間 をみ とめさせる だけの 結婚。 それに 必要な 手続き や 契約、 それ はどうで もい いこと な 

ん です」 

「君が その 気 だったら、 僕 は 何もい うこと はない さ」 

私 は ユリに むかって、 哏 でい いかと 問うた。 ユリ は 私の 視線 を そらさずに 受けと め 教会な しの 生活 をす る 決心 

をし ました、 という 無言の 答え を 投げ返した。 

あきる ことのない 抱擁 11 私 は ユリの 骨が 私の 腕の 中で 小鳥の ように 砕け、 肉 を 呼ぶ の を 聞いた。 ユリの 歯 は 

血に 濡れ 光って いた。 肢 から 回復し ない ままの ユリ は 眼 をつ むって 満足そう に 見えた。 私 はしば らくして ユリ 

の 名 を 呼びながら 身体 を ゆす つ た。 

「どうしたんだ」 

「〈鼠 島〉 の 女 部屋の マリア さまに、 お詫びして いますの」 

ユリの 瞼から ひとすじの 涙が 毛髪 をぬ らし 耳腔に 流れお ちた。 

十六 

その 年 も 押しせ まった 十二月 中句、 私たち は 〈鼠 島〉 行きの 巡航船に 乗って いた。 船室の 丸窓から 右に 左に 傾 

いて 見える 水平線に、 どす 黒く 波 はう ねり かぶ さった。 五月に、 〈鼠 島〉 で 知りあった とき、 ユリと 帰りの 船に 

乗った の は、 生温 かい 南風が 吹いて、 榕樹の 枝 を 鳴らす 日だった。 私たち は 甲板で 海 を 見ながら くらげの ように 

陽に 溶け かかって いた。 しかし 今、 船 は そのと きと 同じ 海の 上 を、 悲しげに 汽笛 を 鳴らして 通って いた。 船室の 

卓上に おかれた 瓶の 液体 は 波立った。 そして 冬の 荒れた 海の 果てに、 短い 日が 落ち、 桃色の 夕焼けが 凝って いた „ 



私たち は 船室に 用意して ある 古毛 布 を かけた まま、 だまりこく つていた。 時折、 丸窓の 隙間から 飛び こんで くる 

海水の 冷たい しぶきが 膝 をぬ らした。 他に 客はなかった。 

あのと き は、 私たち は 鼠 問答 ともいうべき おかしな 会話 を かわしながら 時間 を 忘れた。 

「どうして 〈鼠 島〉 というので すか」 

「たぶん、 鼠の 繁殖が ものすごい からでしょう。 小猫ぐ らいの 野鼠 は ざら にいる そうです。 鼠 島 は ひどく 鼠に や 

られた ことがある のでしょう。 〈鼠 島〉 に 伝わる かくれ キリシタンの 伝承 をよ く 調べる と、 あるいはへ ロデ とい 

うの は 鼠の 悪 代官で、 手下の 鼠 を 連れて 荒し まわる という ふうに な つ ている かもしれ ない ね」 

私が そういうと ュ リの 初夏の かがやきに 染められた 入江の ような 瞳に 笑いの さ ざ 波が 立 つ た。 

「わかりました。 鼠の嫁入りの 昔話で、 鼠の 一族が あれほどい ばっている わけが …… 」 

「ところで、 〈鼠 島〉 というの は、 ほかにもう 一 つ あるので す。 正確に は 鼠 蔵 島と いうんで すがね。 熊本県の 八 

代 市の 不知火 海に 面した 海岸に。 その 島に は 鼠が 多い ので 地元で は 猫の 声を立てて はならぬ という きびしい タブ 

1 が あるんだ そうです。 猫の 声を立て ると、 鼠が さわぎ 出して 収拾つ かなく なること を 恐れて いるんで すね」 

「よく 御存知で すね」 

「僕の 母の 里が その 八 代 市なん です。 それで 母から 聞かされた ことがあります」 

そうした たわいない 話の 間に も、 波間 を 飛魚が するどく 飛んだ こと を おぼえて いる。 あの 翼 を もった 魚が 石の 

舗道 を とんで いくこと を 私たち は 夢見た。 そして 今、 私たち は、 もう 一度 最初の 出会いへ と 回帰しょう としてい 

た。 〈鼠 島〉 へいこう といい 出した のが 私たちの うちの どちらだった か はっきり しない。 しかしい ずれに しても 



203 わたしの 「天地 始之 事」 



相談 はすぐ まとまった。 束の間で はあった がかくれ キリシタンから 抜け出て、 カトリックの 体験 を あじわった ュ 

リは、 再び カトリ ッ クの 挫折の 体験 を もつ て あたらしい 手探り を はじめていた。 

〈鼠 島〉 についた の は 波止場の 榕樹の 下の 水面に 夕明りが かろうじて 残って いる 頃であった。 しばらく 歩く と、 

月が 出て きた。 

老女 中の 家 をたず ねたと き、 私が ユリ を 連れている こと を 問い はしなかった。 老婆 は 私 を そだてた ときと 同じ 

まなざしで 私 を 眺め 私の 気持 を 汲みと つていた。 老婆 はさり 気な く、 夕食 をと とのえ て、 私たちに すすめた。 私 

は 老婆が 私たち を もてなす だけで、 き 分 は 食事 をし ないで いるのに 気がついた。 その 訳 をたず ねる と、 老婆 はぜ 

ぜん だからと 答えた。 私が 聞き馴れぬ ことばに 反問す ると、 ぜ ぜん はかくれ キリシタンの 信徒た ちの 間で おこな 

われた 断食の こと だ、 と 説明した。 

いったい どういう 日な のかと、 こんど は ユリが 老婆に 聞いた。 

「御身の なた る」 

老婆 はか すれ 声で いった。 ユリ は その 意味が、 なかなか 見つからな いので 腹立たしげ に 見えた。 もど かしげに 

手探りし ている 様子だった が、 とつぜん 小さな 叫び声 を あげた。 ユリの 記憶の 井戸の 底から、 かすかな 波紋の ゆ 

りかえ しが 浮び あが つ てきた。 

「私のお ばあさん も クリスマス のこと を、 なた る、 と 呼んで いたわ。 ベレンの 国 を さまよつ ていた マリア さまが、 

大雪の 夜、 吹き さらしの 家畜 小屋で 御身 さまの イエス をお 生みに なった 話 は、 よく 聞かされました わ」 

ユリの 額 は 紅潮した。 

「その 夜 は 大変 さむかった ので、 生まれた ばかりの 御身 さまの 左右から 牛 や 馬が 息 を 吹つ かけて、 御身が こごえ 

ないよう にした。 マリア さま は、 はみ 桶で 御身 さまに うぶ 湯 をつ かわれた。 夜が 明ける と、 その 家の 女房が 出て 



204 



きて、 かわいそうに 思い、 自分の 家に 連れて かえった。 あいにく 薪がなかった ので、 糸 をつ むぐ 引き 機 や 織り 機 

を 折って 炉 にくべ、 御身 さまと その おん 母 さまの からだ を あたためて やった。 家の 女房が ご馳走に 薷 麦飯 を こし 

ら えて 差 出す と、 御身 さま はおん 母の ふところから 手 を 出して、 それ をいた だかれた。 このと きから おん 母 サン 

タマリ ァ さまにならせ 給うた」 

ュ リ はまる で 暗誦す るよう にい つ た。 

「ベ レ ン の 国に …… というおば あさんの 語り口 を 今でも おぼえて います」 

「ベ レンの 国と いう ことば は、 今でも 私たち かくれ キリシタン は、 オラショ を 唱える ときの 文句に 使つ とります 

ばい」 

と 老婆 はい つ た。 

「ベ レ ン の 国と いうの がかくれ キリ シ タンで、 ベ トレ ヘムと いうの が カトリ ッ ク かな。 こ のことば で 両方 は 区別 

できるな」 

と 私 はい つ た。 

「僕 はべ レ ンの 固と いう 遠い 国の 感じの する いい 方が 好きだな」 

「私 もそう なの」 

ュ リは 合槌を 打った。 

「私ね。 カトリックの 勉強に と 公教要理 を 習い はじめた 頃、 はじめて 聖書 を 読ん だんです が、 ィ^!スの御誕生の 

箇所に は、 牛 や 馬が 自分た ちの 吐く 息でから だ を あたためて やった なんて、 どこに も 出て こな いんです。 おば あ 

さス 力ら 聞かされ ている 話と ちがう ものです から、 とまどった ことがあ るんで す。 そのこと を 神父 さまに お 話す 

ると、 聖書の 記事の ほうが 正しい とおつ しゃつ たんです けれど、 私 はどうしても 合点が、" かな かったんで すね。 



205 わたしの 「天地 始之 事. 



幼い とき 聞かされた 話の ほうがず つと いいと 思つ て …; 」 

r ョ ー ロッパ では 牛 や 馬 は 人間に 奉仕し、 食べられる もの だからな。 彼らの 役割 は、 ョ ー 口 ッパの 肉屋の 店先に 

ぶらさがつ ている 肉の 塊 を 見れば わかる よ。 日本人 は 動物が 人 問の 下に あるな どと は 思って やしない。 自分た ち 

の 中間 だと 心得て いる。 両方 を 比べて みると、 聖書の 話より は、 『天地 始之 事』 などに かくれ キリシタンが 伝え 

てきて いる 話の ほうが、 ずっと 人 問 的 だ …… 」 

私の 話 を いていた 老婆 はいつ た。 

「御身の なた るの 前の 晚は、 牛小屋 をき れいに 掃除し ますば い。 そして 新しく 敷 藁 を 取り換えて やり、 ふだんよ 

りか 御馳走 をして やります。 牛が 御身 さま を 自分の 息で あたためて やった から、 その 御礼と いう わけです たし」 

「それ は 今でも や つて るんで すか」 

と ユリ は 聞いた。 

「私たち かくれ キリシタン は、 御 先祖 さまの 守つ て こられた こと を 受けつ いどる だけです」 

私 はまたい つ た。 

「さっきの 話の なかで、 家主の 女房が 自分の もっとも 大切に している 機織りの 機具 を 折って、 それ を 燃して マリ 

ァと イエス を もてなす なんて、 これ だって 聖書に はない 記事なん だ。 機織り は 日本の 女た ちが みんな やって きた 

仕事なん だ。 それで 一家の 者の 着物 を 織った。 しかし それだけ じ やなく、 機織り は 女の 学問で も あれば 教養で も 

あった。 日本の 上流 家庭で も 小さい ときから 女の子に 機織り を 習わせた。 だから 機織り 機具 は 女の 生命と いって 

もさし つかえない。 それ を 薪の かわりに 燃した というの は、 よほどの ことなんだ。 マグ ダラの マリアが ナ ルドの 

香油 をィ ュ スの 足に ぬり、 自分の 髮で 拭つ たという 話に も 匹敵す る 話なん だ」 

私 は 次第に 昂奮して しゃべ つ た。 



6 「十二月 二十四日に はま だ 間が あるのに、 どうして 今日は 御身の なた るなん です か」 

2 ユリ は 聞いた。 

「〈鼠 島〉 では 冬至の まえの 日曜日に 御身の なた る を 祝う のです」 

と 老婆 は 答えた。 何 世紀 もの 暗黒 をく ぐって 守りつ がれた 信仰の なかから、 孤島の 漁村で 主 は 確実に 生まれて い 

たの だ。 そのお そろし いほ どのた しか さが、 ユリ を ゆさぶった のか、 彼女の 顔 は 石の ように 固くなった。 

老婆 は 私たちに これから ジ ュ ヮ ン の祠で 祈り を あげる から、 一緒に こない か、 とさ そ つ た。 私たち は 老婆の あ 

とに ついて 家 を 出た。 老婆 は 道々、 〈鼠 島〉 で 子どもが 生まれる と、 早 船 を 仕立てて 受洗に 必要な サン ジュ ワン 

さまの 水 を 中 江の 島までと りに い つ たという 話 をした。 私たち は 老婆の 手 をと つ て 冬の 月に 照らされた 岬へ いく 

波打 際 を 歩いた。 磯の 香と 静かな 波音と 老婆と 私と ユリ は ひとつの 世界の ものだった。 刃物の ように 冷たい 波し 

ぶきが 足 を 濡らした が、 それ は 気にならなかった。 ジュ ワンの 岩で は、 七、 八 人が 集まって いた。 老婆 は、 

「とつつ あん、 わしの 大事な 人た ち を つれてき た」 

といった。 

とつつ あんと よばれた 老人 は 八十 をい くつ も 越した ようにみ え、 ほとんど 盲目だった。 つぶれた 目から 涙が た 

えずな がれ、 それ を 手拭で ふきとつ ていた。 私が 傍に いっても、 なんにもい わなかった。 屏風岩の 下の、 ジュヮ 

ンを祀 る 積 石の 祠 になん 本 も 蠟燭が 上げられ、 その 炎が 異様な ほど ま つす ぐに あたり を 照らして いた。 

やがて オラショの 祈りが はじまった。 しかし、 声 を 出す ので はなく、 無言で、 口の なかで 唱える。 とつつ あん 

が、 時折 咳ば らいす るの は、 そこで オラショの 文句が 他の 節に 変って いく 合図で あるの が 判った。 波の音 も 木の 

葉の 擦れ合う 音 も、 音と いう 音が いっせい にやんで、 沈黙した かの ようにみ えた。 何 世紀 も、 それ以上の 時間が 



207 わたしの 「天地 始之 事. 



過ぎて いくかと 思われる ながい 時間 を 私 は 体験した。 ものすごい 月の 光 だけが、 岩角 を くろぐろと 照らして いた。 

オラショが 終った とき、 とつぜん ユリが 私の 手 を 引つ ばって 屏風岩のう しろに まわった。 その さき はも はやさえ 

ぎる ものの ない 海だった。 月光に 浮び あがった ユリの 横顔 は、 ただならぬ 表情 を 見せて いた。 

「私ね、 今、 私のお ばあさんが 死んだ とき、 私の 家に 大勢の かくれ キリシタンの 信者が 集まった こと を 思い出し 

たんです。 その 人た ち は、 おばあさんの 冥福 を 祈る ために、 お 寺で 坊さんが 経 を あげてい る 最中に、 その 經の効 

力 を 消す 祈り をして いたと いう 話 を あとで 聞きました。 うわべ は 真宗の 寺に 帰依して、 自分た ちの 信仰 を 仏式に 

偽装す る ことが 必要だった のです が、 その 蔭で かくれ キリシタンの 信者た ち は 経 を 消す 祈り を やって いたんで 

す」 

「それで、 どうしょうと いうんだ」 

私 は ユリの 腕 をつ かまえた。 

「経 消しの 祈りと おなじように、 カトリックからの はっきりした 離脱の 祈りが できれば と、 オラショの 祈りが お 

こな われて いると きに 思つ たんです。 今 ここで、 そのこと を 頼んで いただけません か」 

思いつめた ユリの 顔 は、 明らかに 邪悪と い つ て 責められても 仕方がない 欲望に 支配され ていた。 

「私 は カトリック教会に 希望 を 抱く ことができず、 教会 を 捨てました。 しかし 灯の 消えた のち もわず かの 時間 存 

在す る カトリックの 残像 を はやく 始末して しまいた いんです。 気持の どこかで 教会に つながれて いるもの を、 こ 

と ごとく 断ち切って、 そこから すべて を 始めたい のです」 

今 は ュ リが 自分の 危機に うちかた ねばならぬ 瞬間であった。 

かくれ キリシタンに とって もっとも 重要な 御身の なた るの 夜に、 カトリック を 捨てる ために、 経 消しの 儀式 を 

やって 貰おうと パ うの だ。 ユリ はまた あたらしい 神 を 呼び 求めて、 飛躍し ようと 決意して いる。 私 は ユリの 手 を 



208 



と つ た。 

「わか つ た。 頼んで みょう」 

私の 中し 出に とつつ あん はいつ こうに 驚いた ふうはなかった。 かくれ キリシタンの 宗旨 は 神道 や 仏教な ど、 周 

りの iliin 仰 や 民間の 伝承 をす ベ て 取り入れ 混合して きた。 今 カトリ ッ クを 吸収した ところで、 と つ つ あんに はなん 

の ふしぎと も 思われな か つ たにち がいない。 彼に と つ て は、 カトリ ッ ク からか くれ キリシ タ ン へ 復帰す る こと は 

至極 当然の ことに ほかなら なか つ た。 

ュ リが 邪宗で ある カトリ ッ クの 教会に 身 を 売つ たこと を 抹殺す るた めに 悪魔払い をす るので あろう か、 とつつ 

あんの 唱える 况 文が 立ち ふさが つ た 岩に 鈍く こだました。 

ダイ テン グ • ダイ テン グ • ソコタ チノ ケロ • コノ ミチ ハ • ジュ ワン サ マノ ミチ 

と つ つ あんの 声 は、 波 や 木の葉 や 月影 や 岩 崖の 巣に ねむる 海鳥 や 幹に ひそむ 地虫に 呢文を 一 緒に となえる こと 

かしら 

を 命令して レ るよう に 私に は 聞え た。 ダイ テン グ というの は、 悪魔の 頭の ルシ フェル を 指して いるので あろう。 

月 はまえ とおなじように 波 を 照らして いた。 黒く かすかに 木の葉が ささやいた。 ジュ ワンの 祠 にたてた 蠟蜀が 動 

かない 人影 を 屏風岩の 肌に 釘付けに した。 その 大きな 影に ジュ ワンが ふたたび あらわれた のか、 と 私 は 思わず 身 

じろ ぎした。 

ゴザハ • ミ カン. マ クラ ハ • クルス • ソ ノミハ • シ ガイ. キ モノ ハ • フタ シテ. アニマ ハ • ジュ ワン 二 • 

サ サゲタ テマ ツル 



209 わたしの 「天地 始之 事. 



ユリ はいつ たん 棺桶に 入れられ、 ふた をされ て 死に、 ふたたび 生まれ かえった。 私たち はジュ ワンの 祠の ある 

岩 を はなれた。 信者 一同 はこれ からと つつ あんの 家で、 満潮の 時刻に あわせて、 御身の なた る を 祝い、 夜 を 明か 

すと いうの だった。 潮が そろそろ 満ちて きた 猪の 道 を 歩きながら、 私 はとつ つ あんが ァ 二 マ を アリマと 発音して 

、, たこと を ぼんやりと 思い出し ていた。 ユリと は 老婆の 家に 戻る まで、 口 を 利かなかった。 

数日 滞在して、 私たち は 〈鼠 島〉 を 去った。 波止場まで 老婆 は 見送って きた。 私 は 存在 そのものの ような 老婆 

のかた わらで、 眼 精に 烈しい 痛み を おぼえた。 季節外れの 南風が 吹き、 海 は 昨日と うってかわって 風いで いた。 

十七 

私たち は 〈鼠 島〉 からの 帰途、 西彼杵 半島の 海岸 を まわって みる ことにした。 そこ は レオン • パジェスの 『日 

本 切支丹 宗門 史』 に は ポ&と 記されて いるが、 現在 は m 海と 呼ばれて いる。 内海の 大村 湾に 対して 外海に 面して 

いるから そうした 呼称が 生まれた。 外海の 海岸に は 西方に 五島 列島が よこたわって いるが、 それでも 冬の 季節 周 

が 荒れ狂う とき、 東シナ 海の 波 は 烈しく 岸に うちよせる。 

この 外海 地方に は 海岸 ぞいに、 北から i& ら 牧野、 出津、 黒 崎、 樫 山な どの 小さな 集落が とぎれて はまた つづ 

いて、 かくれ キリシ タンが 今 も 昔ながら の 信仰 を 保ちながら 暮 している。 

私たち はまず 黒 崎まで いき、 枯松 神社 をお とずれ た。 かなり 急な 山道 を、 苔に 靴 を 滑らせながら のぼって いつ 

た 坂の 突き 当りに、 大きな 松が 二 本、 目印の ように 立って いて、 拫 もとに 一尺ば かりの 高さの 石の 祠 がもうけ て 

あった。 その 松 は 生き生きとした 枝 をのば している のに、 どういう わけ か枯松 さまと 呼ばれて いる。 また. P ン、 ン 

ュ ワン さまと いう 別名 ももって いる。 付近に は 積 石の 平たい 墓が いくつ も 点在して いた。 その かっこうから して 



2IO 



仏教徒の 石塔と はちがつ ており、 かくれ キリシタンの 信徒の 墓で ある こと はわかった。 この 枯松 さま は、 ジュヮ 

ンの 墓所 だとい う 伝承が ある。 黒 崎の 信徒た ち は、 昔 は 「悲しみ 節」 (四旬節) になる と、 毎晩 この 墓地に 集ま 

り、 この 地方で 「どん ざ」 と 呼ばれる どてら を 頭から かぶって、 オラショ を ひそかに 習った といわれ ている。 

ジュ ワン は 弟子の バス チャンと ともに、 外海 地方 を 伝道して 歩いて いたが、 神 浦の 落人の 水と いうと ころまで 

きたと き、 バス チャンと 水杯 を かわして 海上と おく 去った という 伝説が 一方に ある。 その ジュ ワンが この 枯松さ 

まのと ころに 葬られて いると いう 話 は つじつまが あわない が、 そんな こと はかくれ キリシ タ ンに とつ て はどうで 

もよ かった。 彼ら は それぞれの 地方、 それぞれの 谷間 や 海岸に 孤立して 暮 している から、 伝説 はいくら でも 作ら 

れ、 ふえてい く。 それに 信徒に とって は 自分た ちの 崇敬す る 聖人の 同時 存在 を 信じる ほうが、 身近 かに 感じられ 

ると いう こと も あ つ た。 

私たち は 黒 崎の 枯松 神社 を 去って 出津 にむ かった。 そこで 道 を 聞いた 老人 はかくれ キリシタンの 信徒の 一 人 だ 

つた。 道々 話して くれる 彼の 言葉の なかで、 心に 残ったの は、 「春の 上り」 (復活祭) のまえ の 枝の 日曜日 を 

「花」 と 呼んで、 その 日に は 刺身に 酒 を 注いで お祝い を するとい う 事実であった。 葡萄酒の かわりに 酒 を、 パン 

の 代用と して 魚の 刺身 を 使った にはちが いないが、 そこに はいかに も 敬虔な 信徒の 心情が こめられ ている。 魚 は 

あるいは キリスト を 意味して いるの かもしれ ない。 

私たち はかくれ キリシタン のもう 一 つの 聖地で ある 三重 村の 樫 山 をたず ねる ことにした。 海ぎ わに ある バス停 

で 一時間 ほど 待って やっとき た バス は、 今にも ころげ 落ちそう にして 断崖 を 走った。 道の 右手に 海が 開け、 なが 

くの びた 岬の 突端に は 波が 打ちつ け、 鷗が 舞って いた。 午前中 晴れて いた 大空 は 急に くもり、 雪で も 降りそう な 

気配 だ つ た。 私の 席のと なりに 坐つ ている ユリ はスカ ー フを つよく 巻いた。 

樫 山で バスから 降りる と、 教えられた とおり、 かくれ キリシタンの 檀那寺で ある 天福 寺の 脇 をと おって、 山道 



211 わたしの 「天地 始之事 _ 



をの ぼって いった。 黒 崎の 枯松 さまへ いく 道の ように は 険しく はなかった しばらく すると 大神宮の 小さな 拝殿 

が 立って いた。 私たち は その 石段に 腰 を 下した。 

そこ もジュ ワンの ゆかりの 地だった。 神 浦の 落人の 水から 帰国しょう とした ジュ ワン は、 難破して 命から がら 

三重 村の 海岸に たどりついて、 両手で この 赤 岳の ふもとに はい あがり、 山の 上に ある 一本松の 下の 石のと ころで 

休憩した という 話が ある。 一緒に 船に のった ジュ ワンの 七 人の 弟子 は 海で 死んだ ので、 その 霊 をと むらう 七 個の 

石が あり、 「七つ 塚」 と 呼ばれて いた。 安政 三年の 茂 重 騒動のと き、 汚される の を 避ける ために 山頂に その 石 を 

移し、 今 は 一個の 石し か 残って いない。 その 「七 人の 善人 さま」 は バス チャン 暦に ある 七 人 兄弟 マルジと つなが 

つてい るが、 一方で は、 日本の 民間に 伝承され ている 七 人 ミサ キの 話と もつな がって いるに ちがいない。 

石段の 真下に は 海が ひろが つ ていた。 私 は 一 気にし やべ つ た。 

「浦 上の キリシタン は、 浦 上の 谷の 西に ある 岩屋 山に のぼって、 この 赤 岳の ある 樫 山 を のぞみながら 祈った とい 

うんだ ね。 三度 岩屋 山に ぉ詣 りする と 一 度 樫 山に 参詣した ことになる。 三度 樫 山に ぉ詣 りすれば 一度 n 1 マの サ 

ンタ. エケ レンジ ァ (聖 なる 教会) に詣っ たこと になる、 といわれて きたそう だ。 だから こ の 樫 山の 海 は 口 ー マ 

につな がって いた。 口 ー マへの 漠然とした あこがれが あつたと いう だけで はない。 口 ー マと 視線で 結ぶ ことので 

きる 聖地が 樫 山に あった。 聖地と 聖地の 間 をむ すぶ 紐帯 はもち ろん ゼン チヨ (異教徒) に は 見る ことので きない 

ものであった。 

生 月の かくれ キリシタン は、 生 月 島、 平 戸島、 度 島、 大島 にか こまれた 中 江の 島 を 朝な 夕な に 眺めながら、 ひ 

そかに ガリ ラャの 海に なぞらえて いたにち がいない。 外海 地方の 出津 では、 ジュ ワン は 下駄 を 穿いて 五島の ほう 

に 海 を 渡つ ていつ たと されて いるが、 ガリ ラャの 海 を 歩く キリストの 姿が そこ にも あるの だ。 

こうした かくれ キリシタンの 聖地 信仰 はしかし、 彼らの 独創ではなかった。 浦 上の 近くの 岩屋 山に せよ、 東 樫 



213 わたしの 「天地 始之 事」 



「まるで 道行の 果 という かっこう だ わ。 心中す る 者た ち は、 穿き 物 を 脱ぐ というでしょう。 私 は 今 それ を ふっと 

思った の」 

「ここで 思い切って 雪で も 降り出して くれれば、 なおさらお 訛え 向き だが。 それにしても カトリック は 心中 を認 

めない よ。 心中した ところで 天国で 会う わけに はいかな いのが、 カトリック だ」 

「でも、 かくれ キリシタン はどう かしら。 『天地 始之 事』 では、 マリア さまに 恋い こがれて 死んだ ル ソン 国王 は、 

天国で は マ リア さまと 結ばれて 一 一人 は 夫婦と なるとい うこと にな つ ています わ」 

「そり やね。 天国で は 娶らず 嫁がず、 というの が キリストの 教え だが、 それ はかくれ キリシタンに 満足 を 与える 

ことができ なか つたんだ。 彼ら は 追い つめられて 生きた から、 むしろ 来世に おいて こそ、 人間く さい ハ ツビ ー ェ 

ンドが ほしかった。 しかし それ だって かくれ キリシタンの 発明 じ やない。 古くから、 日本人 は 死んで 後 も 生きて 

いると きと 同じ 生活 をつ づけて いく ものと 信じて きた。 来世 はま つ たく 別の 形で 生まれ かわる という こと を 考え 

る こと はでき なかった。 だから、 天国で 結ばれる というの は、 許されない 恋に 身 を やき、 相対死した 者た ちに も 

流れて きた 感情なん だ。 現に、 日本人の カトリック 信者 だって、 死んだら 親しい 身内の 者と 会える と 思って いる 

のが 大部分 だと 思うよ。 かくれ キリシタン もそう した 日本人の 伝統的な 考え を 受けつ いで、 自分た ちの 物語の 結 

末に 受け入れた だけなん だ」 



赤 岳に まつわる 茂重騷 動と いうの は 次の ようない きさつから 起った。 

安政 三年 (一八 五六) の 浦 上の 三番 崩れのと き 中 野郷長 与の 聞 役 をつ とめて いた 孫 蔵 は、 家宝と して 三体の 聖 

像 を 秘蔵して いたが、 それ を 樫 山に もっていって 樫 山の キリシタンの 指導者の 茂 重に あずけた。 茂 重 は それ を 箱 



4 に 入れて 赤 岳の ふもとに 埋めて おいた。 それが 露見して 茂 重 はついに 悲惨な 牢死 を とげる ことになる。 これ は 浦 

川 和 三郎の 『浦 上 切支丹 史』 が 伝える 茂 重 騒動の あらまし であるが、 これ をみ ると 浦 上と 外海の 樫 山との 関係 浅 

からぬ ものが あった ことが わかる。 

この 茂 重 騒動で、 役人が 赤 岳の 森 を 残らず 切って しまう という 噂が とんだ。 というの も 樫 山に バス チャンが 伝 

道して いた ころ、 この 赤 岳の 森の 中に あった 一尺 まわりの 椿の 樹に 指先で 十字架 を 記す と、 それが、 樹皮に あら 

われた という ことで、 潜伏 キリシタン は 赤 岳 を 霊地と して たっとび、 森に も 斧 を 入れなかった。 赤 岳が また 

は 神 山と 呼ばれて 邪宗の 徒の 聖地と なつ ている こと を 知った 役人 は、 その 森 を 切つ て 信仰 を 根絶やしに しょうと 

計った のであった。 この 噂に おどろいた 信徒 は、 バス チャンの 椿の 木 を 切り、 それ を 小さく 割って 各戸に 分配し 

た。 もし 死者が あるとき は 椿の 木の 小片 を 白 布に 包み、 死者の 額に 当てる ように 鉢巻 をして 葬り、 天国へ いくた 

めの みやげに したと いう。 バス チャンに 対する 信仰 は、 外海から 浦 上の 一本木 部落に も 伝わり、 一本木と いう 部 

落の 名称の 起源と なった。 その 部落で は、 樫 山の 御岳に ちなん で 一本の 椿 を霊樹 として たっとび、 バス チャン さ 

まが 浦 上に 来られた とき 休息され たと こ ろ だと 言い伝えて、 椿の 樹枝を 折る こと はもち ろん、 枝 や 実 を 拾う こと 

すら 厳禁した。 浦 上の 潜伏 信徒が 外海の 樫 山と 深い 交渉が あった こと は、 樫 山で 織った 木綿 を 死者に 着せる と 仕 

合わせが あると いうので、 信心家に なると 死ぬ 前に あらかじめ、 樫 山に 白木 綿 を 注文して おいた、 という 一事で 

も わかろう。 この 「バス チャンの 神 山」 すなわち 御岳の ある 三重 村の 東 樫 山 は 旧藩 時代 佐賀領 であるが、 西 樫 山 

の ほう は 大村領 にあた る。 浦 上 は 公領で あるから、 藩の 公領 を こえて、 神 山に 巡礼す る こと は 容易で はない。 そ 

こで、 浦 上の 谷の 西 を 阻む 岩屋 山に のぼり、 はるかに 樫 山 を 望みながら 祈って いた。 

バス チャン は 明 暦 三年 (一六 五 七) の、 大村 藩の 「郡 崩れ」 のとき、 追手が 迫った ので 樫 山 をの がれて、 神 浦 

と 出 律の 中間に ある 牧野の 「岳の 山」 に 身 を ひそめた が、 発見され、 長崎県 桜 町の 獄に 三年 三 力 月つな がれた の 



215 わたしの 「天地 始之 事」 



ち 斬罪され た。 バス チャンが 繙を打 たれて、 牧野から 出津の 浜に 引かれる 途中、 妻と 出会った が 物 をい いかわす 

こと もで きず、 目く ばせ して 別れた という 話が 残って いる。 また 処刑の 直前、 自分の 娘婿に あたる 出 津の重 次に 

十字架 を 届ける こと を 役人に 頼んだ という。 

こうした 話から すると、 バス チャン は 日本人の 信者で、 しかも 妻帯者で あり、 また かなりの 高齢者で あつたと 

推定され る。 ジュ ワンが ときには 紅毛人の 宣教師の ようで あり、 ときには 日本人の 信徒で もあって 伝承の なかの 

人物に ふさわし いのと 比べる と、 バス チャンの 人物像 は、 かなり 歴史 性 をお びて いる。 牧野に は バス チャン 屋敷 

や バス チャン 川、 バス チャンの 妻が 糸 を 繰った とされる 布 巻き 平な どの 地名が 残って いる。 また 出津に は、 バス 

チャン が ある。 バス チャンが 水の 出る ところ を 教えて 掘った 井戸 だとい い、 出津 のか くれ キリシタン は バス チ 

ャ ン 井の 水で 洗礼 をさず かる。 

バ ス チヤ ンは 処刑の まえに 次の 四つの こと を 預言して 死んだ。 

一 お前た ち を 七 代まで はわが 子と みなす が、 それから のち は 救 霊が むずかしくなる。 

二 コ ンへソ ー 口 (告白 をき く 司祭) が 大きな 黒船に のって くる。 週で も コンヒ サン (告白) がで きる。 

三 どこでも 大声で キリシ タ ン の 歌 をうた つ て 歩け るよう になる。 

四 途中で ゼン チヨ (異教徒) に 出会っても こちらから 道 を ゆずらぬ 先に 向う から 避ける だろう。 

この バ ス チャン の 預言が 成就され る 日 を 外海 地方の かくれ キリシ タ ン は 待望しながら 信仰 を 固く 持ちつ づけた „ 

キリシタンの 復活の 力に なった の は、 宣教師の 再 渡来 を 待つ 心に ちがいなかった。 その 心の 支柱 は 七 代 二百 余 年 

間 とだえる ことのな か つ たバ ス チャン の 預言で あつ た。 

外海に、 バス チャンの 祌山 (御岳) が あり、 バス チャンの 預言が あり、 それに 「、ハス チャン さまの 日 繰り」 と 

して 伝えられる キリシタン 暦が あると すれば、 それ は バス チャンの 影響と いうより は、 もはや バス チャン 信仰と 



6 ん だほうが ふさわしい かもしれ ない。 「天地 始之 事」 の 写本 は 主として 黒 崎に 残存し、 また バス チャン 暦の 見 

つかった のが 浦 上と 外海 地方お よび、 外海から キリシタンが 移住して いった 五島 列島で ある こと を 考える と、 外 

海が 潜伏 キリシ タ ン の 信仰の 中心で あ つたこと は ほぼ 疑いな く、 その 土台に バ ス チャン の 絶大な 存在が あった こ 

と は 否定で きない。 外海の 海岸 はすぐ 山に 迫り、 平地に とぼしく、 信者た ち は 小さな 谷 あいに 分散 孤立して 住む 

しかなかった から、 祝祭日 を 割り出す バス チャン 暦の 役割 は 大きい ものが あった。 外海で バス チャンが 活躍す る 

話が 作られた の は、 そうした ところに も 原因が ひそんで いた。 

ジュ ワン は ときには 日本人の 信徒で あるが、 ときには また 拘教の 危険 をの がれて 帰国した 紅毛人と な つてい る。 

ジ ュ ワンが 海上 を 歩いて い つたと いうの は、 ガリ ラャの 湖 を わたる ィ ェ ス の 故事から ヒ ントを 得た 話に ちがいな 

い。 ジュ ワン は 帰国に あたって、 弟子の バス チャンと いう 日本人 信者に、 宗教 暦の 繰り 方 を おしえた。 繰り 方 を 

十分 会得し ない バ ス チヤ ンに むか つて、 ジュ ワン は 「おまえ も わからぬ 男 じ やね。 仏法に 彼岸の 中日と いう もの 

が あるだろう。 あれに お告げの 祝日 を 合せて、 悲しみ 節の 真中になる ように 繰れば きちんと 合う のじ や」 といつ 

たと ある。 そして ジ ュ ワン は 海の 上 を 遠ざかり 波間に 消えて いった。 

こうした ことから ジュ ワン 信仰が 起こった のだろう が、 それよりも むしろ、 サン ジュ ワン バウチ シタ (洗礼 者 

聖 ヨハネ) への 親しみが もっと 強く 動いて いるので あろう。 潜伏 キリシタンの もっとも 大切な 仕事 は 幼児に 受洗 

する ことと、 祝祭日の 日 どり を 教会暦から 割り出す ことであった。 潜伏 集団の 指導 的な 役割 は、 日 繰 帳 をつ かさ 

どる 「帳 方」 と 受洗 者の 「水 方」 がに ぎつ ていた。 この 水 方に つながる 洗礼 者ョ ハ ネ (ジ ュ ヮ ン) はとく に 尊重 

すべき 聖人であった。 ジュ ワンの 泉と か、 ジュ ワンの 井戸と かが 残って いるの は、 民間の 太子 信仰と 癒合して、 

弘法 清水が いたるところに 生まれた のと 同じい きさつ をた ど つ たもので ある。 

東 樫 山の キリシタン は 御岳、 つまり バ ス チャンの 神 山の ふもと を 流れる 川の 水 を 汲んで 洗礼の 聖 水と してきた 



217 わたしの 「天地 始之 事. 



が、 その 川の 水に は 中 江の 島の 種 水 を 入れて きた。 潜伏 キリシタンの 集団の 組織が サン ジ ュ ワンに 因縁の ある 

「水 方」 とバ ス チヤ ン暦を つかさどる 「帳 方」 を両 軸に して 維持され ていく かぎり、 ジ ュ ワンと バ ス チャンの 二 

人の 聖人の 名 は 忘れよう としても 忘れる ことので きない ものであった。 

バス チャンの 名前 はセ バス チャンの セが 脱落した ものである。 かくれ キリシタンに とって、 いちばん 重要な 祭 

日 暦に バ ス チャンの 名が 冠せられ たの は、 セバ ス チャンに 対する 日本人の とくべ つの 愛着が あった からだと 思わ 

れる。 キリシタン 活動 時代に 外国 宣教師が インド 教管 区長に あてた 手紙に よると、 多い とき は ポルトガル 本国に 

五 万 枚の 聖画を 送る ように 注文して いる。 当時の ョ ー ロッパ の 殉教 図の なかで もっとも ポピ ュ ラ ー な もので あつ 

たセ バス チャンの 狗教 図が、 そのな かに 大量に まじって いた こと は 想像に 難くない。 バス チャン 暦が できあがつ 

たのと ほぼ 同時 期に 「マルチ リヨの 心得」 が 書かれた が、 それに はセ バス チャンの 名前が 記されて いるから、 寛 

永の 末年 頃に は 殉教者 セバ ス チヤ ンの 名前 は 知られて いたと 思われる。 キリシタン 信徒 はセバ ス チヤ ンに あやか 

つ て 殉教した いという 強烈な 願望 を もっていた にちがいない。 彼ら は 論理 以前の 感性の 段階で セバ ス チャンに 愛 

着 をよ せた が、 それに は狩獵 時代の 本能が 生ま 生まし く息づ いていた こと を 否定で きない。 日本人 信徒 は 追いつ 

めら れた 獣と 自己の 姿 を 重ね あわせた ので は あるまい か。 

十九 

にし そのぎ 

私たち は 西彼杵 半島 をめ ぐる 道に、 その 頃 評判に なって いた 横 光利 一 の 小説 『旅愁』 を 話題に してきた。 主人 

公 は 古神 道 を 信奉す る 矢 代で あり、 その 恋人 は カトリック 信者の 千 鶴 子で ある。 矢 代の 先祖 は キリシタン 大名の 

大友 宗麟の 大砲で ほろぼされた 城主で ある。 そこで 思想 的な 血脈 をた どれば、 恋人 同士の 先祖 は 敵対 関係に 立た 

された 間柄 だとい うこと を、 小説の 進行に 必要な 歯車と して 嚙み あわせて いく 方法 を 取って いる。 しかし 矢 代 は 



219 わたしの 「天地 始之 3 



向 や 豊前ゃ 肥 後に かぎらず、 九州から さらに 京、 大坂 などに も 飛火して いったら どうな つた かね。 きっと 宗麟の 

ような 大名 や 豪族が あちこちに 出て きて、 まるで 悪鬼に 憑かれた ように、 寺院 や 神社 を 焼いて しまったに ちがい 

ない。 おそらく 外国人の 宣教師 も それ を 奨励し な いまでも だまって 見す ごした と 思う。 ましてた ちの わるい 外国 

人の 宣教師が そそのかせば、 それ こそ 宗教の 名の 下に 殺人 も 放火 も 平気で やれる 時代だった。 封建時代 は 封建 領 

主が 絶大な 勢威 を ふるっていた。 彼ら はやろうと 思えば、 何でも やれた。 

そうな つたら、 日本の 伝統 文化 を 大切に 保存した 寺社 は 灰燼に なって しまい、 記録 類 はいつ さい 消滅し、 路傍 

の 神 や 野の 仏 を祀る 慣行 もす たれて しまって、 取り かえしが つか なくなつ たの はたし か だ。 日本人の 過去の 歴史 

を 知る よすがが 失われた こと はまちが いない。 僕 は つくづく 思う。 もし キリシタンが 禁制に ならなかったら どう 

だろうと ね。 秀吉 はじめ 日本の 偽 政 者が 信徒 を 弾圧し、 迫害し、 処刑した こと は 極悪 非道の 行為と しても、 日本 

の 伝統 文化 を 守る という 意味で は、 キリシタン を 禁制に した こと は、 はかり 知れない ほど さいわい したと 思うよ- 

天佑神助と 考えたい ぐらいだ」 

「まあ、 ずいぶんな こと を おっしゃる のね」 

と ユリ は 私の 語気に 抑され ながらい つ た。 

「うん、 僕が 教会に 近づこうと している とき は、 その 意味 はま だはつ きりわからなかった。 教会に かけて いた 希 

望 を 失って はじめて、 僕の 眼に 見えて きた。 考えて ごらん。 キリシタンが 禁制に なった ために、 信徒た ち は 潜伏 

せざる をえ なくなった。 そうして その 信仰 は、 神道 や 仏教 や 民間伝承 をなんでも 吸収した。 僕たち は そこに 排他 

的な カトリック にない 美徳 を 見出 すんだ。 カトリック でも 真に 日本に その 宗教 を根づ かせようと するならば、 か 

くれ キリシ タ ン の 歩んだ 道 を 自分た ち も 歩む ほかない」 

「わかる わ」 



221 わたしの 「天地 始之 事」 



二十 

キリシタン 時代の 書物 は、 日本人の 教化 を 目的と した もので あり、 それでなければ 外国人 宣教師が 日本語 を修 

得する 便宜の ためにつ くられた ものであって、 その 内容 自体に 思想 的な 価値 はと ぼしく、 問題 は もっぱら どのよ 

うに 翻訳され たか、 という ことに 関わる。 しかし その 選ばれた 文体 や 用語の 使用法に ついて みれば、 そこに はま 

ぎれ もない 特徴が あって、 当時の 伴天連 やその 教え を 受けた 日本人 信徒の 考え を 知る 手がかりに する ことができ 

る。 キリシタン 関係の 書物が どれほどし つかりした 日本 文に 移植され ている か は、 たとえば ずっと 年代が 降った 

阿片戦争の 頃、 マカオに いた ドイツ人の プロテスタント 宣教師が、 日本人 漂流 民の 助け を 借りて 訳した ヨハネ 伝 

の 冒頭 をみ る だけで 十分で ある。 

ハジ マリ 二 力 シコィ モノ ゴザ ル、 コノカ シコィ モノ、 ゴ クラ クト トモ ニゴ ザル、 コノカ シコィ モノ ヮゴ 

クラ ク 

となって いて、 未開社会 向けに ふさわしい 文章の 貧弱 さ を さらけだ している。 これで は キリシタン 時代の 日本人 

を 説得す る ことな ど は、 とてもで きなかった にちがいない。 

当時の 日本人 は キリシタンの 渡来まで 数百 年 を かけて、 仏教の 論理と 感覚 を 消化して いた。 未知の 宗教 世界観 

を 接受す る 素地が、 日本人の 教養の なかに 深く 準備され ていた。 あるとき は 仏教の 用語 を 借り、 あるとき は 原語 

しきしん 

のま まに 押し通す 識別の 能力が 十分に 備わって いた。 ふつう 「霊肉」 というと ころ を あえて 「アニマ 色 身」 とす 

れば、 観念と 感覚、 安定性と 新鮮さが 結合しながら、 精神の 内部に 衝擊を 与える ことが 可能で ある。 そこに 経験 



知に よる、 本能 的な 計算と もい える 配慮が 動いて いた こと は、 キリシタンの 宗教画が 日本人の 仏教 的 感覚に 親し 

い、 まんだら ふうの 形式 を 好んで とりあげ たので も わかる。 

それと 同時に 伴天連が、 日本の 民衆に 説教したり 懺悔 を 聞いたり する 必要から、 口語が 重要視 された。 こうし 

て 雅語と 卑語、 漢語と 洋語と を 取り まぜた 和漢 洋混清 文と いう、 一種 独得な キリシタンの 文体が 創始され た。 そ 

れ ははから ず も、 明治 期の 啓蒙 文学者、 森 鷗外ゃ 上田 敏の 文体の 先駆と なった ばかりでなく、 芥川龍之介 や 木 下 

空 太郎の 文体の 規範と なった。 彼らの キリシタンへの 関心 は 異国 趣味から だけで はない。 キリシタンの 文体に お 

のれの 文体の 血脈 を 発見した ので ある。 

私 は キリシタン の 文体と 用語が 日本 文の なかに たしかな 肉付け をされ ている こと を 評価す る。 慶長 年間に 書か 

れた 『御パ シ ョ ンの 観念』 のなかの、 たとえば、 

ご あいれん たす ひとたび たち 

さても 御 哀憐 深き 御主、 我らが 扶 かりの ために 路頭に 立ち 給い、 一度なら ず、 ここ かしこの 権門の 館へ 引 

ゆきき ご こら ご 

かれ 給い、 往来の 道の さし も 御難 儀なる こと を 受け 堪え 給う 御内 証 を 尊み、 拝し 奉る。 

とい つ た 箇所 は 今日で も 朗誦す るに たりる 大 文章で ある。 

さらに 用語の 選択が 賢明に なされた 例 を あげる と、 伴天連が、 魂と いう 文字に は、 たたり をす る 亡霊の 意味が 

あると して、 たましいと 平仮名 書きに し、 多く は アニマと 原語 を 使用した という ことがある。 また ザ ビエルが デ 

ウス を 大日と 訳して みて、 その 訳語に いかがわしい 陰 語の意味が あると 知り、 原語に かえした という 有名な 話が 

残って いる。 

キリシタンの 文体の 特徴 は、 文章 を 支配す る 主格が はっきり している ことで ある。 それ はつねに デウスで ある- 



223 わたしの 「天地 始之 事. 



キリシタンの 文体 は 日本の 物語 文学 や 仏教 文学に くらべて みて、 単純に すぎ、 陰影に も 映像に もと ぼしい かもし 

れ ない。 しかし 「日本語で は あいまいな のがい ちばんす ぐれて 尊重され る」 と 指摘した 伴天連 フロイスの 評言 を 

裏書きす るよう に、 従来の あいまいな 日本の 文章と ちがった 明晰 さが、 キリシタンの 文章 を つらぬい ている。 わ 

たした ちが 今日で も キリシタンの 文体の 上に 感じる、 ある 新しい かがやき は、 しかし それが 欧文 脈 や 洋語 を 取り 

入れて いるた めだけ ではない。 キリシタン 思想が 明確な 意志 を もって 当時の 社会に つけくわえた 精神的な 役割の 

ためで ある。 

永禄八 年の キリスト 降誕 祭に、 当時 交戦 中であった 三 好、 松 永 両軍の キリシタン 武士 は 敵 同士で ありながら、 

^の 教会に 集まって ともに 一夜 を 祝い、 翌 くる 日 再び 別れて 戦場に まみえ、 花々 しく 戦った という。 信仰 を 同じ 

くす る もの は、 敵 味方で ある 以前に 神の 兄弟で あると いう 思想 は、 日本の 武士道より は 西洋の 騎士道に 近い。 こ 

の 思想 は、 仏教の 世界から は 生まれえなかった。 仏教で は 敵 味方 を 区別せ ず、 ともに ねんごろに 葬った という こ 

と は あるが、 生きた もの 同士の 平等と いう こと はない。 この 思想 は 神と 人間の あいだに 引かれた 垂直 軸が、 人 問 

同士の 水平 軸と なること によ つ てはじめて 誕生した ものである。 

キリシタン は 当時 流行して いた 男色 や 蓄妾 や 問 引きの 風習 を 痛撃した が、 神の 前の 平等と いう 観念が、 身分 制 

や 男女の 差別 観 を 打破す る だけの 力 を 備えて いた こと は、 布教の 初期の 段階で こそ 大名 や 上級 武士の 間に 信者 を 

見出した ものの、 中期 以降 は 圧倒的に 女性 や 下層の 民衆 を ひきつけた 事実が 物語って いる。 こうした 生命の 尊重 

と 個人の 独立の 観念 を 前提と して、 あいまい さや 宿業 観 を 払底した キリシタンの 文体が 成立す る。 その 一例が 新 

村 出の 指摘す る 「大切」 という 訳語であろう。 神の愛 を 意味す るァモ ー ル という 原語 を、 どうして 愛と せずに、 

大切と 訳した か。 当時の 社会で は、 慈愛と いう 高尚な 使い方の 場合 も、 愛玩 愛撫と いう 卑俗な 使用の 場合 も、 上 

位 者と 下位 者の 関係 を 通した 感情の 表現であった。 それ は 神と 人間との 対等な 交流 関係 を 示す 語と して は 適当で 



はなかった。 そこで 「でう すの 愛」 という 代りに 「でう すの 御大 切」 という 表現 をと つたの だ、 と 新 村 出 は 推断 

する。 男女 間の 情愛が 差別され ており、 身分 間の 親愛が 平等ではなかった 時代、 平等な 愛 を 示す 語 を 探そうと す 

る 苦悶の なかに 私 は 日本語の 開国 を 見る 気がする。 

博愛の 観念 は 仏教に よって 日本に もたらされた。 地獄に 堕ちた 身近 かな 者の 魂 は なぜ 救われない のか、 とザビ 

エルに 訴えた 日本人 信徒の 歎きの 背後に は、 明らかに 仏教の 考えが 動いて いる。 仏教の 博愛 は キリスト教の それ 

よりも 広大で あると いえよう。 しかし 輪廻 観に 立つ 当時の 仏教 は、 平等への 欲求 を 欠いて いた。 仏教の 博愛し か 

理解で きなかった 日本人が、 キリシタンの 教養 をと おして、 平等と いう 観念 をお ぼろげ にっかむ ことができ たと 

いう 事実 は 重要で ある。 キリシタン は 神の 前の 平等 はわ かっていた。 では 神の 前の 自由 を どう 理解して いたか。 

師匠 われらが おん あるじ ゼズ キリシ ト、 クルスの 上に て われら を 解脱した まう によって なり。 

弟子 解脱と は 何事 ぞゃ。 

師匠 自由の 身と なること なり。 

弟子 何たる 人が 自由になる ぞ。 

師匠 とらわれ 人、 すでに 奴の 身と なりたる ものが 自由になる なり。 

(『ド チ リナ • キリシタン』) 

この 教義 問答から 察すれば、 キリシタン は 自由 を 解脱と 同じ 意味に とっている。 「選択の 自由」 は 認められず- 

マルチ リヨ (狗教 ) の 行為の なかに のみ、 自由の 発現 をみ たので ある。 仏教の 博愛が 不平等 を 拭いえなかった よ 

うに、 キリシタンの 平等 も 自由の 抑 E と 公然と 闘う 術の ない ものであった。 日本に 自由の 観念が 渡来す るの は、 



225 わたしの 「天地 始之 事. 



なお 数百 年 遅れた 時代で ある。 それ は カトリ ック国 スペイン に 反逆して 独立した プ 口 テス タント 国 オランダから 

初めても たらされた。 高 野 長英は オランダ 語の 自由 r フレ ー へ ー ド」 という 語 を 愛して いたが、 その 語 を 身 を も 

つて あがなう ために、 牢を 破り、 国中 を 逃亡して 廻り、 顔 を 焼いて 姿 を 変え、 ついに は 自殺 を 逃げた のであった。 

キリシタンの 文体 や 用語 は 別と して、 その 思想 は 直輸入に すぎて、 内容に 日本的な 発展が みられなかった こと 

は 否定で きない。 たとい 万国 共通の 教義で あろうと、 内容に 国籍がない かぎり、 日本人の 思想と 呼ぶ こと はむ ず 

かしい。 奈良時代 このかた、 仏教が 日本の 伝統と 習 合 妥協しながら、 民衆の なかに 拡がって いった その 道 を、 キ 

リシ タン の 思想 は 歩み 始める 前に、 烈しい 弾圧と 迫害に よ つ て 潰え 去 つた。 ではつ いに キリシタンの 思想の 日本 

化 は みられなかった であろう か。 潜伏 キリシタンの 間で 作られた 「天地 始之 事」 は それに 対する 答えに ほかなら 

ない。 

二十 一 

私たちが 三重の 樫 山から 長 崎 行の、、 ハスに 乗り こむ と まもなく、 雪が 降り出した。 重苦しげ な 音 をた てて 海 ぞい 

の 道 を 走る 木炭 バスの なかで、 私たち は 肩 をよ せあって いた。 長 崎に 帰って 幾日 かすれば 年を越す ことになると 

いう ことが、 私に は 何 か 物たり なかった。 折角の こと、 旅に 出た ついでに、 天草にまで 足 をのば して、 かくれ キ 

リシ タンが いた ことで 知られる 崎津の あたりで 年 を 迎える の も 興が あると 考え、 ユリに 相談した。 ユリ は 私の 気 

まぐれな 提案に 反対す るかと 思つ たが、 

「いきましょう。 それ こそ 道行の 旅 だ わ」 

と はしゃい でい つ た。 

私たち は 長 崎 市 を 素通りして 島 原 半島に 出、 尖端の 口之津で 一 泊した。 



226 



あくる 朝、 天な の 本 渡に わたる 機帆船に 便乗した。 甲板の 隅から 背 を こごめて 船室に 入る と、 破れた 畳の 上に 

は 『焼 玉 機関の 知識』 という 題の 本が 油に 染んで 表紙の 破れた まま 放り出され ていた。 出航 間際にな つて 船室に 

入って きた 魚 売りの 女た ち は、 機関室から つきあげて くる 烈しく するどい 音の なかで、 たえまなく しゃべつ てい 

た。 そして 時折 何やら 卑猥な ことがら を いいあう と、 あらわな 歯ぐ きに 算盤 玉の ような 鉄 漿の歯 をみ せて、 あた 

りか まわず 大声で 笑った。 女た ちの 独特の 抑揚 を もった 方言と、 その 傍らの びくから 発散す る 臭気が、 私たちの 

頗を 上気 させた。 

口之津 港 を はなれ 早 崎 瀬戸に さしかか ると、 引き潮 どきな ので、 船体 は 大きく 揺れ はじめた。 私たち は 冷たい 

光 を ひき 入れて いる 丸窓から、 うねりの 高い 沖合 を ながめて いた。 

本 渡の 船 着 場に 着く と、 貸 切 馬車が あつたので、 それ を やとった。 ひどく 悪い 道 を 馬車 は宙に はねあが るよう 

にして いそいだ。 崎津に 着いた の は、 夕方に 近い 時分で、 入江の ほとりに 素朴な 教会の 尖塔が 見えた とき ほっと 

した。 宿に 落ち着いて 外 を 眺める と、 尖塔の まわりの 冬の 夕靄が 濃くな り、 海 は昏れ ていった。 港の コンク リ ー 

トの 突堤と 海面 すれすれに 餌 を ひろう 鷗の白 さの 区別が つ かなくな つ た。 

夕食後 散歩に 出た 私たち は、 教会の 前に さしかかった とき 一瞬 ためらった。 私 は ユリに 目く ばせ して、 

「どうす る?.」 

と 聞いた。 彼女 は 私の 問い かけの 意味が わかった。 

み どう ふる 

「お 聖堂に 入って みましょう。 この あたりの 信者 は 古 キリシタンだった 人た ちです から、 信仰と いっても 私たち 

とそん なにち がい はしません わ」 

聖堂の 扉 を 押してな かに 入る と、 陶製の 粗末な 聖母 像が 手 を さしのべ ており、 聖者の 鼻の 欠けた 木ぎ 像が 農夫 

の 顔 付 をして 壁 際に 立って いた。 正面の 祭壇の 下で、 老 神父が うずくまる ようにして 祈って いた。 私たちが 外に 



227 わたしの 「天地 始之 事」 



出る と まもなく、 中庭 を 横切って 司祭 館に かえって いく 老 司祭の 後 姿が みえた。 やがて 司祭 館の 扉 をし める とき 

の 鈴の 音が やむ と、 あたり はもとの しずけさに かえった。 

「ここで は 信者 だけでなく、 聖母 マリア さま も、 聖人 も、 神父 さま もみん ない なかく さい わ。 漁師の 仲間 だ わ」 

あくる 日、 私 は 崎津の 町はずれ にある 古 キリシタンの ゆかりの 場所 を 見に いった。 そこ は 山に さしかかった 道 

の ほとりで、 大きな モミの 木が そびえて いた。 その モミの 木 を かくれ キリシタンの 人た ち は ひそかに 拝んで いた 

という。 モミの 木の下に は、 墓石が あり、 大翁 主と いう 最初の 三文 字 をの こして、 墓碑銘 は 削りと つてあった。 

案内して くれた 老人の 説明で は、 大翁 主と いうの は 仏家の 戒名の 形式で、 長寿 を 保って 亡くなった 男性に つける 

の だとい うこと であった。 かくれ キリシタン は 大翁主 を ダイ ウス、 あるいは デウスと 読んで ひそかに 信仰して い 

たこと がわかった。 

モミの 木 は クリスマス • ッリ ー を 連想させる が、 それだけで なく、 古 キリシタンに とって はこの 世の中 心、 つ 

まり 宇宙 樹の ようにみ なされて いたので はなかろう か。 その 下にい けば、 自分た ちの 信仰が 庇護され ると いう 心 

の 安らぎが あつたに ちがいない。 それの 証拠に は、 『御 パシ ヨンの 観念』 のなかに 世界 樹 あるいは 宇宙 樹 のこと 

が 述べて ある。 

ダ 二 ェ ル— ボ 口 へ タ の 経典に 見 ゆる は 「ナブ コ ドノ ソル の 夢に、 世界の 真中に 植えた る 一 本の 木 あり。 高 

きこと 雲 を 払い、 美しき 葉 茂り、 潤沢なる 実 を 結べり」 と あり。 この 木と いう は、 世界の 真中に て クルスに 

こ かげ ともから 

掛かり 給う ゼス— キリシ トのヒ グゥラ なり。 御パ シ ョ ンの 観念 を 以て この 木蔭に 休まん K は、 真に 甘露 を 

含む 木の実 を 潤沢に 求むべき なり。 



228 



ボ n へタは 預言者、 ヒグ ゥラは 象徴と か予 兆の 意と されて いる。 受難の 観念 を 心に つよく もって 十字架の. 木 を 

象徴す る 世界 樹の もとに 憩えば、 甘美な 木の実 をた くさん 得る ことができる という 意味で ある。 

宇宙 樹は 北欧神話 では トネ リコの 木の ユグドラシル となって いる。 神々 は 毎日 その 下で 会議 を 開いて いる。 そ 

の 木の 枝 は 世界中に ひろがり、 天上にまで 達する。 その 三本の 根が その 木 を 支える。 アルタイの 伝説で は、 大地 

のへ その上、 万物の 中心に、 地上の 樹 のなかで もっとも 高い 樹、 モミの 巨木が そびえて いて、 その 梢 は 最高 神の 

住居に 届いて いると されて いる。 

さきの 『ダニ エル 書』 に 述べられた 宇宙 樹は 「天地 始之 事」 にも 影 を 落して いる。 それによ ると、 

三ち り 島と いうと ころに 六十 六 間 もの 高さの あるく ろうすの 木が あ つ た。 この 木の もとに 天帝の デウスが 天降 

つて 火 をつ ける と、 火 はもえ つづけ、 この 木が 焼けて しまえば、 世界 はわず かの 時間に 焼滅 してし まう といわれ 

ている。 こうした ことから 根本の 三十 三 間 は 残して おいて、 上の ほうの 三十 三 間 を 切りと り、 それ を 磔刑の 台に 

こしらえ、 キリストに かつがせて、 かる わ 竜が 獄に うち 建てた ::: と ある。 

十字架の 材料と な つ たくろう すの 木 も キリストの 象徴 を も つ た 世界 樹 と考えられる。 三ち りと いうの は聖 三位 

一体 を あらわす。 したがって 三ち り 島と いうの は、 聖 三位一体の 島で ある。 生 月 島の オラショに は、 ばお つる 島 

という ことばが みられる。 ばお つる は ポルトガル語の バ プチ ス モの 訛った もの だが、 それ は 洗礼の 霊水 を 求める 

中 江の 島 を 連想して いる。 三ち り 島 もばお つる 島 も、 風土の なかで 宗教 観念 を 接受しょう とする 潜伏 キリシタン 

の 思考の あらわれと 見られる。 

二十 二 

私たち は 崎 律から 馬車で 牛 深へ 出、 牛 深から 船で 水 俣へ 渡った。 



229 わたしの 「天地 始之 事. 



水 侯で は、 水 侯 川 を さかのぼった 湯 出と いう 温泉宿に 十日 あまり 滞在した。 一軒し かない その 旅館 は、 溪流沿 

いに 立てられ ていて、 いつも 川が 耳許 を 流れて いるよう な 感じだった。 一室 だけが 洋間に なって いて、 そこから 

は 肥 後と 薩 摩の 国境の 山々 がみえ た。 夕食に むささびの 肉が 出た ことがあった。 聞けば 付近の 狱師 が、 獲った む 

ささび の 肉 を 旅館に 売りに くるの だとい う。 

旅館に 着いた 翌日、 ユリ は 部屋の 長椅子に 腰 を かけて いた。 

「あなた、 おぼえて いらっしゃる? あの 三重の 樫 山で 石段の 苔が 湿って いて 私が すべった こと を。 もともと 私 

の 靴 は 脱げ やすいんで すが、 あなたに 抱かれた かっこう になって、 まるで 心中 だとい つたこと を」 

「忘れて はいない よ」 

「そうしたら、 あなた は カトリック は 心中 はみ とめない が、 かくれ キリシタン は 天国で も むすばれる、 とおつ し 

やった わ」 

「何 をい いたいの かね」 

「なんでもない の。 そのと きの こと を ふっと 思い出し ただけ 」 

ユリの ことばに つられて、 私 はノ — ト ブックの 一枚 を ひきさき、 なぐり 書きした 数 行 を 彼女の 前に 差し出した" 

「僕が 詩 を 作つ たという からめず らしいだろう」 

君が 額 はわが 祭壇に して 

いくたび か 虚しき 夜に 口 づけし 

炎の あと を 

煉獄に 羽ばたく 陽に 



231 わたしの 「天地 始之 事. 



私 は 彼女 を ゆすぶり 起した。 

「夢を見て いたの。 どれ もこれ も あなた を さがし 求める 夢ば かりなの」 

彼女 は 私の 顔 をた しかめる と、 ほっと 安堵して 蒲団の 上に 坐り 直し、 今し がた 見た 荒 唐な 幻視 画の 話 をした。 

あなたが いなくな つたの。 私 は 食事 もろく に とらず 数日間 外 を ほつつ き 歩いて 探しました。 けばけば しい 

南京町み たいな 盛り場に 迷い こんで 人波に もまれながら 歩いて いると、 ふと 見世物 小屋の 入口に 寄贈の 花環 

が 立て かけて あって、 それに あなたの 名前が 書いて あるので す。 なかに 入る と、 小高い ところで、 裸の あな 

たが とても あぶない 曲芸 を やつ ています。 小さい 時から 売られた と 一 目で わかる 一 団が あなたの まわりに 立 

つてい ます。 あなたの みじかい 衣裳に ちりばめられた 貝殻が 時折、 流し目の ように 光って います。 あなた は 

私の 姿 をみ とめる と、 ますます 危険な 曲芸 を やり はじめました。 私 は 思わず 立ち あがりました。 すると 群集 

に ひきとめられて しまいました。 

私はァ ー ケ ー ドを くぐり、 階段 を 降りて 迷路の ような 一角に 入り こんでいました。 やけく ずれた 建物の 大 

きな 室に は 貧民が ごろごろ 転がって います。 いくつかの 通路 をす ぎて、 コンク リ ー トの 岩で 刻んだ 光のと ぼ 

しい 洞窟の かげに、 あなたが 四、 五 人の 女た ちと 一緒に 坐って いるの をみ ました。 いずれも 濃緑色の 衣裳の 

街の女た ちでした。 あなたの 顔 は むざんに 変り はて、 一方の 目 だけが、 うちくだかれた 貝の ように 大きく、 

それが どんな 笑い や よろこびの 表情 も あらわせない ものにして いました。 

あかるい 建物の 谐段 をい くつ も 走りの ぼって いきました。 です が、 あなたの 姿 は どこに もありません。 真 



232 



白い 室が 行儀よ く 両側に ならんで いる だけです。 つぎつぎに 室 を 開けて いきました。 やっと ベッドが 入る く 

らいの 細長い 室に 寝て いる あなたの 姿が 見えました。 あおむけの あなたの 顔に は タス マ 二 ァか どこかの 土人 

のよう な 刺青が 一面に 施して ありました。 その 渦状に 彩られた 刺青 をみ て、 私 は 烈しく 叫びながら、 あなた 

の 腕 をつ かんで ゆさぶりました。 すると、 あなた は 眠りから さめた ように 私 を 見つけて 微笑し ました。 とた 

んに顔 一 面の 醜い 刺青 はさ つ と 消えて、 あなた はもとの 姿に かえりました。 

ユリが とぎれとぎれに 語る 荒 唐な ジォ ラマ も、 彼女の 疲労した 心身が 作り出し たもの だから 日が 経てば、 それ 

は 消えて しまう ものと 軽く みていた。 しかしそう ではなく、 ユリが 夢魔に うなされ るの は 毎夜 つづいた。 

私 は 思い切って、 何 か 彼女に は 心配事 や 不安が あって、 それ を 私に 打明けられないで いるので はない か、 とュ 

リ にたず ねて みた。 ユリ はう つむいて いたが、 しばらくして 顔 を あげた。 

「じつは この 旅行が 終って から、 お話しし ようと 思って 黙って いました けれど、 私の 母の 消息が わかつ たんです。 

でも 病気が かなり 悪い らし いんです ね。 おなじ 平 戸の 出身で、 母と 東京で つきあって きていた 人が、 私の 養母 だ 

つた 小母さんの ところに 手紙 を 出して、 その 手紙が 今度の 旅行の 直前に、 私のと ころに 回送され てきたん です。 

私の 母 は 私に 会つ て 詫びたい とい つ ている そうです。 私 は 母から 詫びても らうつ もり は 毛頭ありません けれども、 

母が 生きて いる 間に、 一 度 会つ てお きたいん です」 

「じ や、 そうした らいい じ やない か」 

「でも このごろ、 毎日の ように 空襲が あるでしょう。 敵機 は 鉄道線路 や 列車 を ねらって 襲って きています わ。 

私が 東京に い つ たら、 もうあな たと はお 会いで きなくなる かもしれ ません わ」 

「それで わかった。 君が このところ、 あんな 夢 を毎晚 のように 見た ことが」 



233 わたしの 「天地 始之 事. 



「私の 心が 揺れて いるから、 それが 夢に あらわれ たのです わ」 

「しかし 君が お母さん を 看病 するとい つても、 病気が 長び くこと も 考えられ るし、 そう なれば、 お母さん をお い 

て 帰る わけに もい かないだろう」 

「母 はた ぶんこん どの 病気で は 助からな いと 思います。 その 間、 母の そばに つきそつ ていて やりた いんです。 そ 

れが どの位の 期間 かかる か、 わからな いんです けれど。 私 はちょう どよ い 機会 だと 思って いるんで す。 かくれ キ 

ひととぎ 

リシ タンの 私が カトリック になって、 それ はほんの 一時でした けれど、 また、 かくれ キリシタンの 世界に もどつ 

て、 それから、 一体 どうしようかと いう 時です から。 この 旅行の 間、 私 はもとの かくれ キリシタンに 帰った よう 

です けれど、 そうで はない ことに 気がついて きたんです。 ですから、 あなたと しばらく 離れて 生活して みるの は、 

これから のこと を 考える のにい い 機会 じ やない かと 思 つてい るんで す」 

私 は ュ リの 中の 〈不安〉 がまた 羽ばたき はじめた こと を 感じた。 まえに は ユリ は 私の 助け を 借りて 〈不安〉 を 

翼と して 飛躍しょう とした。 しかし 今、 彼女 は 私の 助け も 借りようと はして いない。 私 は ユリが もう 私の 許に 帰 

つて こない ので はない かとい うつよ い 危惧に おそわれた。 しかし その 〈不安〉 を 押しと どめようと は 思わな かつ 

た。 私 もまた ユリと おなじ 思いだった からだ。 

「君の いう 通り だ。 それじゃ 長 崎に かえって、 旅の 疲れが 癒ったら、 上京 するとい いよ」 

「長 崎の 自宅に 落着いたら、 未練が 出て 困ります わ。 あなたの 傍 を 離れる ことが いやになります わ。 私 はこの ま 

ま、 旅の 延長で、 いってし まいた いんです の」 

夜の 緑の 枝が 硝子 窓 を引搔 いて、 たえず 鳴らして いた。 私たちの 黒い 影が 力 ー テンの 襞に 折れ こみ、 壁 鏡に 照 

りかえ された 電灯の 光が、 部屋 いっぱいに 散らされた 品物の 上に 投げ かけて いた。 私の 眼 は、 着替えの 服 や 化粧 

道具 を 詰め こんだ 旅行 用の バッグ、 そして 二つの ス ー ッケ ー スの 上に 落ち、 彼女の 顔の あたり を さまよった。 



4 「道行の さいごが こうなる と は 思 つ て もみな か つ たね」 

2 私 はっとめ て 快活 さ をよ そお つてい つた。 

部屋の 隅に うずくま つていた ユリ は、 微笑 をして 私に 答えた。 彼女 は どんなと きで も 微笑ので きる 女だった。 

遠い昔の ことのよう にも、 昨日の ことのよう にも 思われる。 

それから 二、 三日、 私たち は 旅館に いた。 硝子 窓 ごしの 葉の しげみの 間に 白く 大きな 花が つぼみ をつ けて いる 

のがみ えた。 まえの 並木道に 人影 はなく、 風 だけが 時々 孤独な ロンド を 舞いに 降りて きた。 

私 は 所在ない ので、 ユリの 掛けて いる 長椅子の 傍で、 彼女の 足 を 写生した。 それ を 描きながら、 幼い とき 十字 

架の イエスの 足 を、 息 を 詰めて 描いた こと を 思い出した。 また 海の 上 を 万里が 島へ 渡って いった ジュ ワンの 足が 

眼前に 浮んで きた。 私 は 知らない間に ュ リの 足をィ エス ゃジュ ワン の 足と 重ね合わせ ている 自分 を 見出した。 

「どうして また 私の 足ば かりお 描きになる の?」 

ユリ は 怪訝そう にいった。 

「どうして かわからない が、 僕 は はじめから やり直し たく 思って いるんだ ね。 小さい とき ノ ー ト のきれ はしに 十 

字 架に かかった イエスの 足 を 描いた ように、 ね」 

「やり直した いって? 私たちの こと?」 

「もう 日本 もこの ままで は 敗け るに きまって いる。 そのと きのこと を 考えて いる。 どうしたらいい かとい うこと 

だ。 僕 は そこで かくれ キリシタンから 大きな 教訓 を 受け取 るんだ。 僕 は 日本 を 神国に 見た てるような 神が かりの 

史観 や、 また 西洋の 神 を 中心とした カトリシズム なんて 真平 だ。 そうした イデ ォロギ ィの害 は 身に みて あじわ 

つた。 カトリシズム は 日本の 細部 を 知らない。 その 点 皇国 史観 だって そうだ。 日本 を 知ってい ると 称しながら、 



235 わたしの 「天地 始之 事」 



彼ら は 日本に まったく 無知な の だ。 かくれ キリシタンの 信仰 は 不完全な 代物 だが、 イデ ォロ ギィの 支配 を 免 かれ 

ている という こと、 それに、 風土に 密着して いると いう 点で、 注目すべき もの を 含んで いる。 イデ ォロギ ィの体 

系が どんなに 完備して いようと も、 それでた たかえ るかと いえば、 そうじゃな いんだ。 かくれ キリシタンの 信仰 

は、 他人から みれば 夢の ように 奇異な 物語の 世界に すぎない が、 彼ら は それ を 守りながら、 荒い波の よせる 東シ 

ナ 海の ほとりで 二百 数十 年 もの 間、 気の 狂う ほどに ながい 弾圧 時代 を 耐え 抜い たんだ。 政治 権力の 彈圧を どのよ 

うに かわしながら、 それと たたかう かの 手本が そこに あると 思 うんだ。 だから 僕 はかくれ キリシタンの 教訓 を 土 

台に して、 もう 一度 日本の 歴史 や 思想 や 文化 を 見直して みたい。 抵抗の ための 精神的な 拠り 処を カトリック教会 

に 求めよう とした けれども、 それが 壁に つきあ たった今、 イデ ォ 口 ギィと は 無縁な 場所で 成立し うる 思想、 そし 

て 日本の 細部に ついての 無知の 上に 成り立つ 思想で はなく、 日本の 細部 を 熟知した 思想 を、 僕 は 必要と している 

んだ。 こうした 思想の なかから、 ときの 権力に よって 土 儘の 外に 押し出されよう としても、 土俵の 徳 俵に 足 を ふ 

みかけて 耐える ことので きる 思想が 生まれる と 思 うんだ。 さいわい 僕 は 東シナ 海の 海岸で 育った から、 思想と い 

う もの も、 海 ぞいの 谷間の あちこちから 毎日 夕方 立ちのぼる 炊 煙の ような もので なければ ならない ことが わか つ 

ている つもり だ。 これから 僕に 課せられて いるの は、 風土の 感覚 をと おしてた しかめる ことので きる 思想の 探求 

と 発見 だ」 

私 は ユリが 傍に いる こと を 忘れて、 しゃべった。 

旅の 疲れが ようやく とれた 日、 私たち は 旅館 を 出た。 上りの 鹿 児 島 本線の 列車 は鳥栖 駅で、 長 崎 行と 東京 行に 

分かれる。 鳥栖 駅で 待って いると、 まず 東京 行の 急行が きた。 その 列車の 姿 を 見る と、 私たち はホ ー ムの 上で 人 

目 も かまわず 手 を 握り あい、 焼けつ く 視線 を 注ぎあった。 これまでの 一切の 意味が 燃えた。 



236 



「君 を 大切に していた」 

かくれ キリシ タンの ことば を 使つ て、 私 は 心の なかの もの をい つた。 

「ああ、 私 は あなたに どんなに 感謝して いるか …; 」 

ユリ は 発車の ベルに 促が されて、 列車に 乗り こんだ。 そして 出入口の デッキの 上から、 ホ ー ムに 立ちつ くす 私 

にむ か つ て 微笑 をす ると、 その 小さな 手 提をも つ た 外套 姿が 見えな くな つ た。 

長 崎 市の ァパ ー 卜に 落着く と、 私 は ユリの 荷物 を 東京に 送った。 ひとりに なった ある 日、 私 は 郊外の 散策に 出 

かけた。 しばらく 歩いて いくと、 野原に かかった 土橋のと ころに 出た。 土橋の 下の 小川 は、 水が 涸れて、 亀裂し 

た 泥の 上に ところどころ 溜り を 作って いた。 その 溜りに は 太陽の 蒼白い 瞳が 映って いた。 冷たい 風が 小川の 両岸 

の 枯葦を 鳴らして いた。 葦の しげみに、 茶色の 毛 を 生やした 蟹が たくさんう ごめいて いた。 もし 動いて いなかつ 

たら、 まわりの 泥の 色と は ほとんど 区別が つかなかった ろう。 私 は その 風景 を 見る ともなく 見て いるう ちに、 背 

筋に つよい 恐怖 を おぼえた。 ふと 聖書の なかの 文句 を 思い出し ていた。 

けがれし 霊 人 を出づ ると き は 水な く 荒れた る処を めぐりて 安息 を 求 むれ ど …… 

穢ら わしい 毛 を 生やした 鋏の 間が とつぜん 口 を 利いた。 

「俺た ち を どうして くれる?」 

私 はび つくりして あたり を 見 まわした。 また、 一 つ 声が 追ってき た。 

「俺た ち を 忘れるな よ …… 」 



237 わたしの 「天地 始之 事. 



それ は 一瞬の 幻聴だった かもしれ ない。 しかし 私 は 熱病に かかった ように、 膝から 力がぬ けて いくの をお ぼえ 

た。 

私 は カトリシズム を 砦に する こと を 求めて いた。 それが 得られず、 その 空虚 惑から 自分の 精神の 状態が 以前よ 

りさら に 悪くな つてい る こと を 感じた。 ユリが いなくな つた 今 あらためて、 それが はっきり わかった。 

一 一十三 

ュ リは 東京に ついてから 手紙 をよ こした。 それによ ると 彼女の 母 は 陋巷の 奥の 大工 職の 家の 一 一階に 間借りして 

いた。 軋む 階段 を あがって いくと、 見る 影 もな く おとろえた 彼女の 母が、 みすぼらしい 蒲団に くるまって 寝て い 

た。 持物 は ほとんどなかった。 緑色の 硝子 窓の 傍に、 ユリの 幼い とき 見 おぼえの ある 鎌 倉 彫の ふるい 鏡台が ひと 

つ 残って いた。 彼女の 母 は ユリに 向って、 その 鏡台の ひきだし を 開ける ようにと いった。 ユリが そうすると、 そ 

のなかから、 髪油のに じんだ 美 濃 紙の 紙 包が 出て きた。 それに は 筆で 「ジュ ワン ナ へその を」 と 書いて あり、 

かたわらに ュ リの 名前と その 生年月日が 記して あ つた。 ジュ ワン ナ というの は、 ュ リの かくれ キリシ タ ン の 洗礼 

名であった。 ユリ は その 紙 包 を 開いて みた。 すると、 茶色に 変色した 臍の緒が 出て きた。 それ を しげしげと 見つ 

めて いる ユリ を、 彼女の 母が また 寝ながら 見て いた。 ながい 放浪の 人生の なかで も、 彼女の 母 は、 それが ユリと 

の 関係 を 示す 唯一 つの 証拠で あるかの ように、 たえず 持ち歩いて いたのだった。 それにしても、 平 戸の 舟大工に 

嫁いだ ユリの 母が、 大工 夫婦の 家に 間借りして いるの も、 偶然と はいえない 奇 しき 縁で あるよう に、 ユリに は 思 

われた。 

ユリの 母 は 彼女に みとられながら 死んだ。 彼女の 手紙に よると、 大工 夫婦が 即製の 棺を つくって くれたと いう- 



238 



大工と その 近所の 人た ちが 担いで いく 母の 柩 のうしろ にしたがって、 ユリ は、 蓬 草の うらが なしい 光が 流れる 野 

道 を あるいた。 空に は 黒雲の 切れ間に 薄氷 を 張った ような 日 ざしが いつまでも 消えなかった。 火葬場に は 五 尺に 

足らない、 押しつ ぶされ たような 頑丈な 小男が 二人、 積まれた 薪の 上で、 キ セル を 吸って いたが、 こおろぎ か 蛙 

のように とびはねながら、 二人で 柩を かかえ、 死体 窯の なかに 運び入れた。 薪が ついで 投げ こまれ、 鉄板が しま 

つた。 風が 強いので 火勢が 烈しく、 鉄板から 炎が はみ出して 凱歌 を あげた。 窯から ひき 出された 骨が 蓆の 上に ち 

らばった。 隠亡の ひとりが、 「頸椎 骨 を 拾いなさい。 そこに 仏が あるんだ から」 といいながら、 イカに 似た 奇妙 

な もの をつ まみ あげてみ せた。 男た ち はまた、 薪 不足の 時勢で 薪の ねだんが 高く ついた といって、 ユリに 余分な 

銭 をせ びった …… 。 

ユリが 幼い とき、 納戸 神の マリアの 旅 姿に その 面影 を 傲んだ 母 は、 旅の 中途で 窮死した。 母の 運命が 自分の 運 

命に ならない と は 言い切れな いこと を 感じた、 と ュ リの 手紙 は 結んで あった。 

そのうち、 三月 十日の 東京 大空 襲が あった。 ユリの 居所が 隅 田 川の 近くの 下町な ので、 私 は 気遣って 幾度 も 安 

否 をたず ねる 手紙 を 出した が、 返事がなかった。 

三月 末、 一通の 手紙が 私の 許に 届いた。 差出人 は ユリが 母の 死後 も 間借りし ていた 家の 大家で ある 大工で あつ 

た。 その 手紙に よると 大空 襲のと き、 二階の 居間に いた ユリ は 煙と 炎に まかれて 逃げお くれたの だとい う。 

私 はいつ か、 ユリと 一緒に、 夕 焼 空の 炎が 今にも 樹木の 梢に 燃え移り そうな 並木道 を 歩いた こと を 思い出した „ 

ユリ は そのと き、 樹木に 火が ついても 動かない ように、 自分 も 逃げないで 燃え尽きたい といった。 私に は ユリの 

そのことば がよ みがえ つた。 ユリ は ひどい 火傷 を 負って 死んだ という。 火葬に 付す まえに 大工の 妻が 切り取った 

という ユリの 遺髪の 束が 手紙に 同封して あった。 その 焦げた 匂いの する 髪が いたまし か つ た。 



-ム i ユリの 遺髮を もって 長 崎に 出、 長 崎から まっすぐに 〈鼠 島〉 にいった。 それ は 海の 面に 反射す る きらきら 

しい 光が むなしい までに 明るい 冬の 旅であった。 私 は 〈鼠 島〉 の 老女 中に 頼んで、 彼女の 遺髪 をジュ ワンの 積 石 

の祠 のす ぐ 近くに あるか くれ キリシタンの 墓地の 一 隅に 葬った。 そうして 私が 彼女と 知り合って 以来の 出来事 や 

感想 を 記して おいた ノ —トを 一緒に 埋めた。 埋める とき 私はノ ー トの 表紙に 「わたしの 天地 始之 事」 と 記した。 

墓 也の まわりの 榕樹が ひとしきり 風に 鳴って 挽歌 をうた つ た。 



外来 思想 はいかに すれば、 日本の 風土に 接受され、 そだつ かとい う 日本人に とって 永遠に 古く かつ 新しし 主題 

に、 私 も 二十代の 頃から 捉えられた。 その 主題 を 自分な りに 解き、 その 内容 を醱酵 させる のに、 私 は 自分の 戦後 

の 時間の ほとんど をつ いやした という ことができる。 最初 はどう 醱酵 させて よい かと まどって いたが、 私 は:^ 田 

民俗学と いう 酵母 を 知った とき、 それ こそが 私の ながい 間 待ち望ん でいた ものである こと を 確信した。 私が かく 

れ キリシタンの 思想に 興味 を 抱き はじめた の は 昭和 三十 年代に 入って からで あり、 したがって、 本書 は 自叙伝 風 

の 物語の 体裁 をと つて はいるが、 私の 自伝で はない。 ただ、 思想 は 風土に 受 肉され てはじめて 真に 思想の 名に 価 

するとい う 私の 主張の 骨子 を 述べる のに 私の 幼年期から 青年期に かけての 精神 史を 語る ことが 必要で あり、 その 

ために このような 物語の 手法 をと る ことにした。 

一 九 八 一 一年 十月 

谷川 健 一 



243 最後の 攘夷 党 



第一章 久留米 応変 隊 



応変 隊 という 名の 攘夷 派が 肩で 風 を 切つ て久 米の 城下 を あるいて いる。 

久留米 藩の 空気と いったら 明治に なっても、 文久、 元 治で なくと も 慶応の それ も 二 年 あたりまでの 空気に そつ 

だ。 ここで は 十 年お くれた 日本の 社会 をみ る ことができ るの だ。 一年が 何十 年に も 相当す る、 その 動乱 革命 

の 十 年で ある。 応変 隊 のなかで 気の はやい 奴 は、 自分の 屋敷の 床下に もぐって、 底土 を 掘った。 硝石 をと つて、 

火薬の 原料に する つもりな ので ある。 明日に でも、 日本の どこかで、 いくさが はじまり そうな 気が まえで いる。 

そして、 たえず 「何 かやらねば」 「やり 掛けねば」 と 気 を はり、 いら 立って いる。 といって、 応変 隊の目 ざす 目 

的が たやすく 見付かる わけで はない。 そこで 彼ら は 真昼 間から、 鶏の 首と 徳利 を ぶらさげて あるく。 四書の 講義 

など は そ つ ちのけで ある。 

その 風体 を あざけったり、 わざと 無視した りした もの は、 応変 隊を よろこばす ことになる だけだった。 たしか、 

明治 元年 も おしつまった 十二月 十六 日、 螢 川の 御先 手足 軽であった 星 野 順ニ郎 という 中年の 武士が、 同僚の 家で 

応変 欺 は 困り者 だとい つた。 無知で やくざ 者の あつまりに すぎない、 とのの しった。 そのと き 窓 下の 道 を 応変 隊 



4 の 若者が とおりかかって、 それ を 聞き咎めた。 若者に して みれば 獲物が 鳴 声で 自分の 在処を 知らせた ので ある。 

2 若者 は その 足で 家に 踏み こみ、 南薰 にある 応変 隊の詰 所に、 ひきずって いった。 星 野 は 屯所の 連中に とりかこま 

れて 切腹 を 強制され た。 また、 ある 武士が 応変 隊の やり 口 を 論難した。 それが 少しば かり 理路整然と しすぎて い 

たのが、 応変 隊の 気に くわなかった。 応変 隊 幹部の 田 中 誠 二が、 背後から 抜 打に、 それ こそ 唐 竹 割に 斬って しま 

つた。 

斬奸、 天誅の 名目 はどうで あれ、 彼ら は 手 成敗 自在で ある。 これに は 藩 庁 も 手出しで きない。 

しかし 応変 隊には 攘夷 を やる という 以外に これと いう 具体的な 目標 はない。 攘夷と いったと ころで、 文明開化 

の 号令が かかった 新時代に、 それが どう すれば よいの か 分って いるもの はいない。 藩 内 を あばれまわ るより ほか 

仕方がない。 彼ら は 手 あたり 次第、 叩き 斬った。 道ば たの 地蔵 もた めし 切りに された。 高 良 山 下の 新 清水で、 何 

十と ある 地蔵の 首 を 打ち落し、 その 胴体 を 下の 神 池に 投げ こんで しまった。 廃 仏 棄釈の 時代 だからと いう わけで 

もない 証拠に は、 その 神 池の なかの 鯉 をと つてく う。 神官 は 傍若無人 さに ただあきれ ている ばかりで ある。 

しかし 高 良 山 は 明治 一 一年の 六月 一 一十 六日に 鳴動した。 高 良 山が 鳴動 するとき は 何 か 変事が あると つたえられ、 

おそれられた。 篠山 城下の 人た ち は 応変 隊が高 良 山の 神仏 を 侮辱した ので、 いまに 神罰、 仏 罰が 下る と 云い あつ 

た。 

慶応 三年の 十月 十八、 十九 両日、 十二月 六日、 同 十一 日に も 高 良 山 は 鳴動した。 神社の 神鏡が 落ち、 拝殿と 絵 

馬 堂の 瓦が 損傷した。 久留米 藩 勤王 党の 面々 二十 五名が 五 年ぶりで 解囚 された の は それから 十日 もた たな か つ た。 

めいぜん どう 

藩の 首脳で ある 佐幕派 もこの 事件 を 重視、 藩学 明 善 堂の 学者に 調査 を 依頼し、 早速 勤王 党 を 釈放した ので ある。 

高 良 山 は 磐 井の 乱 以来 しばしば 合戦の あつたと ころで ある。 人馬の 死 血が 土中に 埋もれ、 それが あやしい 燐火と 

なっても える ことがあった。 また 血戦に たおれた 魂の 怨恨が 鳴動の 原因と いいふらす もの もいた。 



245 最後の 攘夷 党 



応変 隊の 若者た ちが、 こうした 城下の 噂 を 髪 毛に まつわる 藁 屑 ほどに も 気に かけなかった の は、 いうまでもな 

い。 その 点に かけて は 久留米 藩の 攘夷 党 は、 隣 藩の 熊 本 藩の 攘夷 党と まるで 反対であった。 のち 神風 連の 名で 知 

られる 熊 本 藩の 勤王 党 は、 大事 決行の 可否 をつ ねに 神 占に 託した。 そのために 好機 をむ ざむ ざと 犠牲に し、 最悪 

の^ 況で 蹶起す る こと を あえてい とわなかった。 応変 隊の 血脈 は、 むしろ 高杉晋 作た ちの 奇 兵隊に もっとも 近 か 

つた。 

それ も その 害で ある。 応変 隊は 明治 元年 五月に、 奇兵 隊を 真似て 久留米 藩 参政の 水 野 正 名が 創った からで ある" 

攘夷が そろそろ はやら なくなった 明治 戊辰の 年に、 どうして 奇 兵隊 まがいの 軍隊が 久留米 藩に 生まれた か。 その 

疑問の なか に 応変 隊 創出 の 秘密 も、 応変 隊 の 本質 も 隠 されて いる。 

久留米 勤王 党 は慶応 三年の 十一月に 赦免され たが、 まだ 藩 政に 参画す る こと は ゆるされず、 明治に なっても、 

久留米 藩 は 佐幕派が 牛耳って いた。 鳥 羽 伏 見の いくさが その 正月 早々 にあった。 しかし 久留米 藩の 首脳 は それ を 

ひた かくしに して、 藩 民に 知らせようと はしない。 それでいて 会津 藩の 使者が くると きわめてて いねいに とりあ 

つかう。 会津 藩と 通謀して、 徳川 氏の 恩顧に 報いる の は 今と、 執政の 有 馬監物 やその 腹心の 用人 不破美 作 は、 毎 

朝 八 時から 登城して、 会議 をつ づけ、 夜 は 十二時に ならねば 帰宅し ない 日が つづく。 佐賀 藩の 鍋 島閑叟 公の 側 用 

人 千 住大之 助が 使者と なって、 閑叟 公の 直 書 をった えたと きもそう だった。 今一度、 肥 前、 肥 後、 筑前、 筑 後の 

諸 藩が 一致して、 会 律と 桑 名 をた すけ、 徳川氏 を 征夷大将軍と したいと いう その 申出に たいして 久^ 米 藩の 代表 

者 不破美 作 は、 好意 ある 態度で 応対した。 

ハ つたい 佐幕派の 侍た ち は、 勤王と か 攘夷と か は、 下賤の 者の やる 火遊び だとい う 偏見が ある。 勤王と いって 



247 最後の 擴夷党 



古式に したがって 自分の 下着の 袖 を 切りと り、 それで 不 破の 首 を 包んだ そうして 同志 を ひきつれ、 家老の 有 馬 

主 膳 邸に 自首して、 不 破の 首級に 斬 奸状を そえて 差 出した。 有 馬主 膳 は 時 をお かず 登城して 報告した。 不破美 作 

の 首 は、 藩主の 有 馬 頼 威が 実検した。 

執政 有馬監 物の もとで、 実権 を ふるっていた 不破美 作が 殺された となると、 藩 庁 はどうし てよ いか 分からな く 

なった。 下手人た ち を 処罰す る だけの 勇気はなかった。 

会議 はなん ど 開かれても 結論が 出ず、 佐幕派の ほう を 罰すべき だとい うこと にな つ て も 罪の 軽重に つ いての 意 

見が まとまらない。 動揺の あまり、 判断 を 喪失した 藩 庁で は、 いっそ 小 河 真 文に 聞いた が 早 分り だとい うこと に 

なった。 小 河 は 同志 を あつめて 相談し、 佐幕派の 面々 の 名前の 上に、 黒丸、 半 黒丸、 白 丸の 印 をつ けて 藩 庁に 差 

出した。 

藩主 は 二月 初、 それによ つて 佐幕派 を 処断し、 小 河ら 二十 四 名の 暗殺者た ちにたい して は、 不破美 作を斃 した 

忠義の 志 を ほめ、 

—— 向後 一 統一 致して 士道の 本意 あいわき まえ、 忠勤 を はげむべし。 

との 沙汰が あった。 殺害者 は 忠臣と たたえられ、 不破美 作 は 1^ 臣 として 弾劾され た。 藩 論 は 一変した。 

水 野 正 名と 吉田博 文の 両 兄弟が 藩 政の 表面に おどり 出た。 佐幕 党の ため 十一 年間 獄に 投ぜ られ、 その後 五 年間 

五 卿に したがって 太宰府に おり、 藩 外に 去って いた 水 野 正 名が、 藩 政に 復帰した とき、 藩の 佐幕派 は 背中 をつ き 

あげる 畏怖の 情 を 禁ずる こと はでき なか つ た。 

水 野 正 名 は 党派心が ずば抜けて 旺盛だった からで ある。 彼 はとり きめられた 筋道 を ことごとく 破った。 水 野の 

反対派に たいする 攻撃 や 復警は 無 原則であった。 水 野が 政敵から もっとも にくまれ、 おそれられた 原因が そこに 

あった。 



8 水 野 正 名 は 前 藩主 有 馬 頼 永のと き 用 席 詰であった。 用 席と は 藩 政 を 藩主 親裁の もとに 議 する 機関で、 内閣に 相 

当す る。 殿中の 二階屋に 設けて ある 用 席に は、 藩主の ほか は 刀 をたず さえて ゆく こと はでき ない。 また 用 席 詰の 

者 以外 は、 部屋に 出入す る こと を いっさい 許されない。 それほど 警戒 を きびしく して 審議す る 藩 政の 内容 を、 水 

野 正 名 は かたっぱしから 同志で ある 勤王 党に ながした。 藩 政の 機密が 用 席 詰の 一 人から 洩れる とあって は ゆゆし 

い 問題で ある。 藩 政の 中枢に ある ものが 藩の 秩序 を 無視す ると は、 当時の 常識から して 考えられない ことにち が 

いなかった。 水 野 は 同志への 献身 を 藩への 忠誠の 上に おく ことで、 その 常識 を やぶった ので ある。 彼 は 党派心 を 

すべてに 優先させる 憎悪の 感情に たえず やしなわれた。 佐幕派の 面々 が、 十七 年ぶりで 藩 政に 復帰した 水 野 正 名 

から、 矢よりも はやく かえつ てく る 報復 を 覚悟した の は 当然な ことで あつ た。 

はたして 水 野 正 名が 参政に かえり 咲いた 翌々 月、 水 野の 佐幕派に たいする 報復が はじまった。 佐幕派の 一人 吉 

村 武兵衛 は、 久留米 藩 参政で あつたが、 藩主 頼咸の 奥方 精宮 にしたがって 帰国の 途中、 大阪 まで 下向した とき、 

とつぜん 水 野 正 名から 切腹 を 命じられた。 吉村 武兵衛 は、 自分が 水 野と 意見が あわぬ からといって 切腹 させられ 

るお ぼえ はない。 これまで 自分が 果してき た 職責 は、 すべて 藩 命 を 奉じて やって きたまで のこと だと 反論した。 

しかし、 抗 命したら 家族 や 親戚にまで わざわいが およぶ。 時勢が 変った の だから、 いさぎよく あきらめて くれと、 

まわりから 説得され て、 ついに 承知した。 切腹の 光景 をみ ようと 人だかり がするな かで、 吉村は 短刀 をと り、 つ 

き 立てた。 左から 右へ ひきまわして、 腹の まんなかまで きたと き、 見物人の なかから 「お 見事」 と 声が かかった。 

武兵衛 は 割腹の 手 を やすめて 「誰け ない」 と 云い 返した。 「そういう こと をい うの はだれ か」 と 反駁す る 久留米 

の 方言で ある。 武士が 切腹す るのに 見事 もく そ も ある もの か。 あたりまえの 話で はない か、 と 云い 放った ので あ 

る。 水 野 は 剛直の 士 として 藩 中に 知れ わたって いる 吉村 武兵衛 をまず 血 祭に あげて、 佐幕派 を 懷 伏させようと 狙 

つたので ある。 



249 最後の 攘夷 党 



水 野 はおな じ 四月に、 久留米 藩 佐幕派の 三十 一名に たいして、 いっせいに 断罪 を 下した。 執政の 有 馬 監物は 永 

蟄居、 他の 藩士た ち は 揚り屋 に 入れられた。 そして そのな かに 今 井 栄の名 を 見出した とき、 藩士た ち は 水 野 正 名 

の 処置の かげに どのような 復警 心が 秘められて いるか を おしはか つ て、 あらためて 畏怖の 念に 駆られた。 

今 井 栄は有 馬 監物ゃ 不破美 作と ともに 久留米 藩 政の 頂点の ひとつ を 形づくつ ていた ものの、 勤王 佐幕 両 派の 党 

派 あらそいに はなん の 興味 も、 関心 も 示さなかった からで ある。 今 井 は それよりも 久留米 藩 を どうして 富ます か 

に 腐心した。 彼 は 元 治 元年 このかた 久留米 藩の 開 成 方と なって 殖産 工業 をお こす ことにつ とめた。 また 筑 後川の 

川口に あたる 若津 港に 米 相場 をた てて その 税を とり、 若津の 遊女 屋 から 税 をと り 立てて 藩 経済の 確立 をい そいだ。 

そこで 佐幕 党の なかで も 今 井 を奸臣 とか 収斂の 臣 とかのの しる 手合いが すくなく なか つ た。 今 井が もっとも 非難 

をう けたの は、 慶応ニ 年の 九月 上海に 密航した ときで ある。 今 井 は 洋式 軍艦 を 購入す るた めに 長 崎に おもむいた 

が、 手頃の 軍艦がない。 今 井 は 独断で 上海まで いって 藩 海軍 を 近代化す るのに 必要な 船 を 買う こと を 決心した。 

彼 はたまた ま 長 崎に いた オランダの 上海 領事の 手引きに よ つ て 上海に 渡航、 一 一週間 滞在して 火 輪 船 四 隻を買 入れ 

る ことができた。 しかも 彼 は そのと きの 見聞 録 『秋 夜の 夢談』 で、 聖賢 は 東洋 だけの 産物で はない。 西洋 を 不当 

に 過小評価す るの は あやまり である、 と 述べた。 この ことが 烈しい 論議 を まきおこさな いはず はない。 

久留米 藩の 海軍 は、 今井栄 がー 身の 誤解 を かえりみず 上海から 購入して きた 晨風、 翔 風、 遼鶴、 玄 鳥の 四隻の 

軍艦 を 中核に して 形成され た。 あくる 慶応 三年に 千歳 丸 一隻 を くわえた 久留米 藩 は、 薩摩 藩に つぎ、 長 州 藩 や 肥 

前 藩と 肩 をなら ベ る 強大な 海軍 力 を もつ にいた つ た。 肥 前 藩が 倒幕の ために 大した 働き を 示さな か つたに も かか 

わらず、 明治 新 政府に 重用され たうら に は その 藩 海軍が 物 を 云った と 見られる ように、 久留米 藩の 海軍 力 は、 水 

野が にぎった 藩 権力に たいして 拮抗す る 力 を 充分に もっていた。 今 井 は その 藩 海軍の 創 成 者 だ つ た。 

水 野 は 今 井ら 佐幕派の 首脳 を 投獄した あくる 月、 応変 隊を つくった。 藩 内 をな がく 独占して いた 佐幕派の 勢力 



。 は、 その 重立った ものの 処刑 にもかかわらず、 きわめて 根づ よい ものが あった。 五 年間 も 藩 を はなれて 浪人な み 

2 の 扱いし かう けられない 水 野にたい して、 佐幕派の ほう は 巧妙な やり方で、 いつ 仕返しに 出る か 分らなかった。 

水 野に は 自分の 力 を 思う存分 ふるう 地盤がなかった。 彼 は 佐幕派の 報復 をお それ、 彼の 手中にした 独裁的な 立場 

を 守る 親衛隊 を 必要と した。 いわば、 応変 隊は水 野の 私設 軍隊であった。 水 野 は 末弟の 水 野 又 蔵 を 応変 隊長の 地 

位に つけた。 藩に は 士族 だけで 編成され た 正規の 軍隊が あった。 水 野 は、 それと は 別に 長 州の 奇 兵隊に ならって、 

身分 や 年齢 を わざと 無視す る 応変 隊を つくる ことで、 従来の 藩 秩序に 挑戦した。 そして 応変 隊を あばれる だけ あ 

ばれさせて、 佐幕派の 仕返し を 封 じょうとした。 

しかし 水 野が 七 百 名の 応変 隊を うしろだてに 藩 権力 を 手中に 収めた にしても、 それ は 陸軍 だけの 話で ある。 海 

軍の ほう はそう 簡単に は ゆかない。 今 井 は 水 野に よって 禁獄 させられながら、 依然として 水 野に 匹敵す る 実力者 

であった。 

水 野が 応変 隊を つくった 戊辰の 年の 五月、 上野 戦争が おこり、 戦火 は 北に 移って 秋 九月に は 奥 羽 戦争が はじま 

つた。 久留米 藩の 応変 隊も 討伐軍に 参加 を 命ぜられた。 陸戦 は ともかく として、 軍隊の 海上 輸送と 海戦に は、 藩 

海軍の 協力な しに は 不可能で ある。 水 野 は 政敵で ある 今 井 を 利用し ないで は 藩 海軍 を 動かせな いこと を 知る と、 

禁錮 中の 今 井 を 懐柔す る ことにつ とめた。 今 井 は 水 野の 申出に 応じて こころよく 協力した。 海軍の 士気 は 昂揚 さ 

れた。 藩 海軍の 主力で ある 砲艦の 晨風丸 は、 箱 館 征討の 際よ くた たかった。 水 野 は 朝廷に たいして 面目 を ほどこ 

した。 

しかし それによ つ て 水 野 は 皮肉に も 政敵 今 井の 存在 をい ま 一 度 確認せ ざる を 得 なくなった。 今 井 をた おさない 

かぎり、 権力の座に 安住で きない こと を 悟った 水 野の 復謦心 は、 今 井に とどめ を さす 機会 を 狙った。 佐幕派の 巨 

頭 不破美 作が 暗殺され てちょう ど 一 年 目 を 迎えよう とする 明治 一 一年の 正月 一 一十 四日、 水 野 はなん の 前 ぶれ もな く 



251 最後の 攘夷 党 



今井栄 はじめ 禁獄 中の 佐幕派 九 名に、 とつぜん 切腹 を 申し渡した。 佐幕派の 幹部が 明日 夕刻 寺 町徳雲 寺で 処刑 さ 

れ るとの 報 は、 篠山 城下に はげしい 初 雷の ように 鳴り わたった。 

「国是の 妨げと なる を も つ て 屠 腹 申し付ける」 

と ある ほか 一片の 理由 も 述べて ない 冷酷な 断罪 書の 末尾に、 今 井栄、 喜 多村弥 六、 北 川亘、 久徳与 十郎、 石 野道 

衛、 松 岡 伝 十郎、 本庄仲 太、 梯讓 平、 松 崎 誠 蔵の 九 名の 名前 を 見出した とき、 久留米 城下の 人た ち は、 ついにく 

る ものが きた、 という 戦慄 感を 禁ずる ことができ なか つ た。 



佐幕派 処刑の 報 をき いた 城下の 人た ちの 眼の うらに、 さして 遠くない 七 年 まえの 過去が よみがえった。 真 赤な 

炎が もえ 上り、 瞼 をつ きさして 槍の穂先が きらめいた。 

松明 を わしづかみ にした 四 人の 武士た ちが 馬に またがって、 かけまわ つていた。 眠り こみが ちな 城下の 夜 を さ 

まそうと する のか、 馬上の 武士た ち は こもごも 叫び、 その 下で 馬 は 白く 泡 を ふいた。 霜が 置く かと おもわれる ほ 

ど さむい 文久 三年 四月の 夜 ふけ だ つ た。 人び と は 格子戸の 奥 や 背戸の 裏に 息 を ひそめ ふるえながら みていた。 

その 夜、 佐幕 党の なかで も、 最も 過激派と 目され る 本庄仲 太、 吉村武 兵衛、 石 野道 衛、 久徳与 十 郎の四 人が、 

人目 をし のんで あわただしく 登城し、 藩主に 面謁を 迫った。 そうして、 勤王 党の 連中が 城に 火 を 放け る 計画 をし 

ている と 申立てて、 久留米 藩の 禍根で ある 真 木 和 泉 守の 命 を もらいたい とつめ よった。 真 木が いるた めに 藩 論 は 

分裂し、 藩 内 は 党 与に わかれて あらそう 結果 を まねいて いる。 真 木 さえい なければ、 勤王 党 は 支柱 をう しない、 

藩 論 は 一定して 安泰で ある。 真 木 は 藩の 運命 を 危地に おとし 入れて いる。 真 木 を 殺害す るの は 忠誠 行為に ほかな 

ら ぬと 主張した。 



前年の 文 久ニ年 二月、 真 木 和 泉 守が 十 年間の 閉居 生活 を とつぜん やぶって、 久留米 城下から 南へ 四 里の 水田 村 

を 脱出した 記憶 はま だ なまなましかった。 真 木 は 火 繮銃を かまえた 門弟に つきそわれ、 みずから も 抜 身の 槍 を ひ 

つ さげて 謫居を 出た。 剽盗の たぐいと も 見 まちがう 真 木の 威容に おそれ をな して、 警戒に あたって いる 藩 吏 も 近 

づ かない。 捕吏 を 尻目に かけて、 真 木 は 白昼 悠々 と 藩 境 を こえた。 真 木が 檻 を やぶった。 勤王 党の 首領が 逃げた。 

久留米 城下で は、 その 噂で もち 切りに なり、 藩 吏の だらしな さが 糾弾され た。 十 年の 忍苦 を 一瞬に かけた 真 木の 

不敵な 行動に ひそかに 喝采 をお くる 向 も 少なくな か つ た。 佐幕派と して は 忘れよう にも 忘れる ことので きない 屈 

辱の 恪印 であった。 その後 真 木 は 捕えられ 藩 地に 送り かえされた。 真 木 は 同志の 奔走で 釈放され たが 真 木 党に 内 

紛が おきた。 禁裡 を 護衛す る 御 親 兵の 選に もれた 真 木 党の 連中が 脱藩して でも 上京 するとい きまいた。 佐幕 党が 

この 機会 を 見の がす はず はな か つ た。 

登城した 四 人の 佐幕 党 は 藩主に むかって、 軽輩の 神官 ゃ庄 島の 下士 を 御 親 兵に する の は、 久留米 藩の 恥と 叫ん 

だ。 そして 真 木 党 は 脱藩 亡命 を くわだて ている。 それ を だまって みすごす つもり かと つめよった。 さすがの 藩主 

も 脱藩 を ゆるす とはいえない。 亡命す るお それが ある 場合 は、 捕えて よい かとい う 強談 判に、 藩主 はやむ を 得な 

いと 答えた。 強訴に 成功した 本庄仲 太、 吉村武 兵衛、 石 野道 衛、 久徳与 十 郎の四 人の 佐幕派 は、 ただちに 城 を さ 

がった。 そして、 馬 をとば して 番所から 番所へ と 指令して まわった。 

11 藩 公の 御 命令 だ。 真 木 和 泉と その 一類 をに がすな。 手 向いしたら、 容赦な く 討ち 捨てよ。 

11 廓の 門 を 閉じ、 小頭 町、 苧扱 川、 豆津の 出口 を かためよ。 

11 鉄砲がなければ、 手 槍で も、 ただし はジカ 棒で も かまわぬ。 

11 真 木 を 捕えよ。 尖りた ち を 殺せ。 

松明の 油煙に 照し 出された 彼らの 横顔 は、 復警の 快感に 乾き 切って ものすごかった。 本庄仲 太、 吉村武 兵衛、 



253 最後の 攘夷 党 



久徳与 十郎、 石 野道 衛の四 人の 佐幕派 は、 城内 や 三の 丸に 邸 を かまえる 大身の 侍 や、 重立った 武芸 師範まで 駆り 

出した。 西 は 肥 前との 境、 東 は宮陣 あたりまで かため、 藩 吏の おびただしい 長 槍の きらめきが、 勤王 党の 家々 を 

しらみつぶしにと りかこんだ。 勤王 党 はも はや 袋の 鼠で しかな く、 真 木 和 泉 守 を はじめ 二十 九 名が、 一網打尽に 

とらえられた。 

佐幕派 は それでも あき 足らず、 勤王 党の 家々 をお そうとい う 噂が しきりだった。 逮捕 をまぬ かれた 勤王 党の 同 

志た ち は、 瀬の 下の 水天宮 にある 真 木の 家に かけつけた。 

真 木の 一族 は、 女子供 を 避難 させ、 あつまった 同志た ちと 籠城 を 覚悟した。 狱 銃の 手入れ をす る 者が あった。 

倉の 一 一階に 長 持 を 運び あげる 者が いた。 長 持 は 床板 ごと 下から 槍で 突かれない ようにす るた めで ある。 

佐幕派の 巨頭で ある 有馬監 物の 邸で は、 武装した 面々 が あつまり、 乱戦に なった とき 働き やすいよ うに、 長 槍 

の 柄 を 半分に 切って 捨て、 勤王 党の 襲撃 を 待ち かまえた。 

久留米 藩で は 勤王 党 を 「尖り」 佐幕 党 を 「裏 尖り」 と 呼んだ。 尖りと 裏 尖り は、 憎悪 を するどく 磨き あい、 容 

赦 なく 相手 を 刺そうと みがまえた。 それ はまる で 蜂 合戦 を おもわせた。 二 群に 分れて たたかう 蜂 は、 相手 を 刺殺 

する まで は 攻撃 を やめない。 そして 最後 は、 自分 も 敵 味方の 区別の つかない 死骸の なかに まじる。 尖りと 裏 尖り 

が 相手の 存在 を 抹殺す るまで はやめない 狂気が みなぎった。 勤王 派と 佐幕派が、 藩の 統制 力 を 無視して、 激突す 

る 一 触即 発の 緊張した 空気が 城下に 立ち こめた。 

真 木た ちが 逮捕されて わずか 四日 目に、 はやく も 佐幕派 は 勤王 党 一 一十 九 名 を 死刑に 処す こと を 藩 庁に 迫った。 

もし 藩 庁が 死刑に ふみ 切らなかったら 「根 を 絶ち、 葉 を 枯らし、 他日の 御 憂 これな きょう」 に、 自分た ちの 手で 

尖りた ち を 成敗す ると 叫んだ。 藩学 校で ある 明 善 堂で は、 裏 尖りた ちが あつまって、 尖りた ちの 殺害 を 公然と 討 

議 した。 本庄仲 太と 梯讓平 は、 家老た ち を 訪問、 真 木の 首 を 刎ねよ と 談判した。 藩 庁 は 真 木の 取調べ を 開始した- 



4 真 木た ちの 命が 明日 を 期待で きない こと は、 だれの 目に もも はや あきらかであった。 . 

5 

2 久留米 勤王 党の 運命が 風前の灯で あるとの 報せ は 四方に 飛んだ。 たまたま 馬 関の 白 石 正 一 郎の 家に 逗留して い 

た 侍従の 中 山忠光 は、 勤王 党の 命脈が 切迫して いると 聞く と、 すばやく 馬 関 を 出発し、 久留 米に ついた。 

しかし 佐幕 党 は 大手 門 をと ざして、 忠 光の 一行 を 城内に 入れない。 それ どころ か、 縞濡 子の 袴 を はき、 太い 棒 

を 杖に して 立った 総髪の 若者 を まえにして 「偽 公卿」 とのの しった。 当時 京都に は 臂カは あるが くいつめた 公卿 

たちが ごろごろ していて、 青 蚊帳 を かぶって 金 持 を ゆすったり、 偽 綸旨を 出して 田舎 わたらい をす る ものが いた- 

忠光も その 一人と まちがえられ たので ある。 忠 光の 接待 役 は 佐幕 党の 松 岡 伝十郎 と久徳 与十郎 だった が、 忠 光の 

宿屋に 出向こうと もしない。 忠光 はすぐ さま 国賊 どもめ、 とのの しり かえし、 藩 吏の 応接 は 無礼 千万 だから、 じ 

ぶん は 長 州 兵 を ひきいて 久留米 を 討つ、 と 捨ぜり ふ をの こして ひきあげた。 

藩 庁 は その 報せ を 聞いて あわてた。 忠光は 血気な 公卿 だから 何 をされ るか わからぬ。 とくに 長 州 藩の ように 大 

藩の 兵 を ひきいて こられたら、 久留米 藩 は ひとたまりもない。 そこで 藩 庁 は、 本庄仲 太、 久徳 与十郎 などに あと 

を 追わせた。 

使者 は 早馬で 筑前 山家 駅に いる 忠 光の 一行に 追いつき、 無礼 を わびて 久留 米に ひき 返す よう 懇願した が、 忠光 

は 聞き入れない。 藩 庁 は 困惑した。 そして 忠 光の 気持 をな だめる に は、 佐幕 党の 久徳 ゃ本庄 のか わりに、 勤王 党 

の 山 木 実と 山 田 辰 三郎を 起用す る ほかない と 考えた。 山 木 実と 山 田 辰三郎 は、 佐幕 党の ために 禁獄 中だった ので、 

藩の 使者と なること を ためらって いると、 この 非常の 際に そんな 呑気な ことで はどうす るかと、 藩 吏 は 二人 を 叱 

りつけ て 励ます 始末であった。 

命 を 受けた 山 田 辰 三 郎と山 木 実は、 中山忠 光の いる 筑前 山家 駅へ 早 駕籠 をとば した。 そして、 どうか 長 州 兵 を 

差 向ける ことな どな さらない よう、 もしそう した ことにで も なれば、 久留米 藩 は 違 勅の 罪 を 犯す ことにな つて、 



255 最後の 攘夷 党 



藩 封 二十 一 万 石 を 減らされる ことになる かも 知れない、 久留米 藩 はかならず 真 木 和 泉 を解囚 する ことにします か 

らと、 ひたすら 懇願 説得に つとめ、 誠意の ほど を 披露す るた めに、 もと どり を 切った。 忠光は それに 感じて、 松 

崎に ある 久留米 藩主の 別荘まで 引き かえした。 しかし 藩 庁で は 何の 策 も ほどこそうと はしない。 真 木 党の 解囚を 

忠 光に 誓約した 山 田 辰三郎 は、 申 訳ない と 云って あやうく 自殺しょう として、 とめられた。 忠光 はいき どお つて、 

下 関へ むかった。 藩 庁 はお どろいて、 勤王 党の 長老 池 尻 茂 左 衛門を 使者と して 馬 関に つかわし 忠 光が 長 州 兵 を 動 

かさない ように 説得 を 命じた。 使者た ち は、 馬 関に いる 高杉晋 作ゃ久 坂玄瑞 にたの みこんで、 ようやく 久留米 出 

兵 を 見合わせて もらう ことができた。 

久留米 藩 庁が、 十八 歳の 青年 公卿 中山忠 光一 人に ひきずりまわされ ている とき、 長 州 藩の 使者が 久留 米に つい 

た。 

接待 役 は 久徳与 十 郎と吉 村 武兵衛 の 二人で ある。 長 州 藩の 使者が 明 善 堂で 久留米 藩主に 面 謁する ときいて、 佐 

幕 派の なかの もっとも 過激な 連中 は、 明 善 堂に つめかけた。 そうして、 無礼に も 刀 を さした まま 威嚇す るよう に 

謁見 席 をう かがって いた。 長 州 藩の 使者 は、 久留米 藩が 違 勅の 罪 を 受ける ようになっても よい 覚悟が あるの か。 

そのと き久 -55 米 藩の 存亡 はどうな ると 思って いるの か、 と 佐幕派の ほうに 開きな おり、 叱咤して やまなかった。 

そうして や つ と 勤王 党 解囚の 言質 を 藩主から 得た。 

真 木 和 泉が 赦免され、 木 村 三 郎と水 野 正 名 も 禁獄 を 解かれた。 木 村 三 郎と水 野 正 名 は、 嘉永五 年の 大獄のと き 

に 監禁され て 以来 十一 一年 目の 出獄で ある。 

それでも なお 佐幕 党 は 追求の 手 を ゆるめなかった。 久徳与 十 郎と石 野道 衛は、 上京す る 勤王 党 を 途中で 待 伏せ 

してみ なごろ しにし ようと 画策した。 彼ら は、 殲滅す るば かりにな つていた 勤王 党 を、 外圧の ため 取 逃した こと 

が あきらめ 切れなかった ので ある。 真 木 和 泉 守 は その 噂 を 聞く と、 獄 から 赦免され た その 足で 上京し、 永久に 家 



6 に 一民らなかった。 

2 真 木た ちが 京都で 国事に 奔走す る 時間 はき わめて みじかかった。 八月 十八 日に おこった 政変 は、 長 州 を 主と す 

る 全国の 急進派 を 一 挙に 没落 させた。 

久留米 勤王 党の 首領た ち は 七 卿に したがって、 長 州へ おちた。 木 村 三郎、 吉田博 文、 池 尻 茂左衛 門の 三人 は、 

長 州から 久留 米に 帰 藩した。 彼ら を 待って いた もの は、 八月の 政変 以来い きおい を とりもどした 佐幕 党の 過激派 

であった。 彼ら 三人 を はじめ 藩 内の 勤王 党 二十 五名が ふたたび 捕えられて、 監禁され た。 

あくる 元 治 甲子 は、 久留米 勤王 党に と つ て 忘れる ことので きない 年であった。 

前年 八月 中山忠 光に したがって 大和に 兵 を あげた 鶴田陶 司、 江 頭 種 八、 酒 井 伝 次郎、 荒巻 羊 三郎、 中垣 健太郎 

は、 幕 兵に 捕えられ、 この 年の 二月、 京都 六角 獄で 惨殺され た。 池尻嶽 五郎と 水田 謙 次 は、 六月、 藤 田 小 四郎の 

挙兵に 投じて たたかい、 水田 謙 次 は筑波 山に 戦死した。 池尻嶽 五郎 は 捕えられて 殺された。 

また 真 木 和 £ 水 とともに 長 州から 問罪の 師に くわわって 上京した 原 道 太と、 天誅 組の 生き残り 半田 門吉 は、 七月、 

禁 門の 変が おこる と、 会津 兵と たたかい、 鷹 司 殿で 屠 腹して 死んだ。 真 木 和 泉 守と 加 藤 常吉、 松 浦 八郎、 池 尻 茂 

四郎 は、 山 崎の 天王山で 自決して 果てた。 池 尻 茂 左 衛門は 茂 四 郎と嶽 五郎の 二子 を この 年に うしなった。 こうし 

て ある 者 は 戦死し、 ある 者 は 捕えられて 殺害され、 ある 者 は 自決し、 藩 外にいて 活躍した 久留米 藩の 勤王 党 は ほ 

とん ど 全滅した。 三条実 美ら 五 卿に したがって 長 州に いた 水 野 正 名 は、 かろうじて 死 を 免 かれた が、 いつ 五 卿の 

運命に 殉ず るか、 はかり 知れない 日々 をお くって いた。 

元 治 元年の 禁 門の 変が 長 州 兵の 敗退で おわり を 告げる と、 幕府 は 時 をお かず 西 国 三十 五 藩に 征長令 を 下した。 

幕 命に 呼応して 久留米 藩 も 出兵す る ことにな つた。 いきおいづいた 久留米 藩の 佐幕派 は、 出発す るに あたって、 

幕府に 二心の ない こと を 示す ために、 勤王 党 二十 五名の 囚人た ちの 首 を 刎ねよ と 主張した。 しかし 藩 庁 は、 それ 



257 最後の 攘夷 党 



を ゆるさなかった。 そして 佐幕 党の 襲撃に そなえ、 それまで 個々 ばらばらに 幽閉して いた 勤王 党の 面々 を 一力 

所に まとめ、 厳重に 警戒した。 

あくる 慶応 元年、 幕府 は 長 州 再征 令 を 下した。 またしても 久留米 藩の 佐幕派 は、 門出の 血 祭に 勤王 党の 殺害 を 

もくろんだ。 しかし このと きも 藩 庁に 妨げられて 果 さなかった。 

慶応ニ 年 十月、 久招 米の 藩 情 は 騒然と なった。 隣 藩の 福 岡 藩が、 同藩の 勤王 党首 脳 二十 一名に 切腹 を 命じ、 四 

十数 名 を 幽閉 または 流罪に 処 したとの 報が 久招米 城下に つたわる と 久留米 藩の 佐幕派 は 沸騰した。 彼ら はいくた 

びか 藩 庁に 抑えられながら、 勤王 党 を 殺害しょう とする 衝動 を いささかもう しなって いなかった。 福 岡 藩が 同藩 

の 勤王 党 を 大量 処刑した となれば、 久留米 藩 も、 勤王 党の 殺戮 を 叫ぶ 佐幕 党の 要請 を 無下に 拒否で きなくなる の 

はとう ぜんで ある。 佐幕 党の 動き を 制御したら、 久 米 藩 ib は、 同藩の 勤王 党 を 擁護して いると 非難され、 幕府 

にたい しても 顔が 立た なくなる。 これまで たびたび 処刑の 危機 を 免 かれて きた 勤王 党の 囚人た ち も、 こんど こそ 

最後が 迫った と 予感した。 獄中の 木 村三郎 は、 牢番の 山 木 卯 蔵に むかって、 勤王 党の 危急 を、 太宰府で 五 卿の 守 

護に あた つてい る 水 野 正 名に 訴える よう 鎖んだ。 

山 木 卯 蔵 は 勤王 党の 囚人が 輪番 長屋に 移される とき、 そこの 獄卒 を 志願した のだった。 城下 庄 島の 足軽の 家に 

生まれた 山 木 卯 蔵 は、 幼い ときから 兄た ちが 刀 研ぎの 内職 をす るかた わらで、 刀の 鞘の 漆ぬ り を 手伝わされた。 

卯 蔵 は 刀 研ぎ を 頼みに や つ てく る 庄,! の 勤王 党の 若者た ちの 話 を 見き きして、 彼らの 活動に 做いたい とひ そかに 

願って いた。 そこで 牢番に なっても 勤王 党の 囚人と 獄 外の 連絡 をす すんで 買って出 ていた。 

山 木 卯 蔵 はい まこ そ 木 村の 頼みに 挺身すべき ときが きたと 悟った。 彼 は、 家人に は 夜釣りに ゆく と 称して すば 

やく 身 仕度 をし、 そして 夜 どお し 太宰府への 街道 を 走った。 山 木の 訴え をき いた 水 野 正 名 はお どろいて、 薩摩藩 

へ 事の 次第 を 告げた。 薩摩藩 はすぐ に 使者 を 久^ 米に おくって、 強硬な 干渉 を くわえた。 薩摩 藩の 強大な 力 は、 



8 久留米 藩の 無視で きない ものであった。 久留米 勤王 党 は 間一髪のところで あやうく 救われた。 . 

2 すなわち 慶応 三年の はじめ、 薩摩 藩の 黒田嘉 右衛門が 久留米 をお とずれ て、 勤王 党の 解囚 をつ よく 勧告した。 

接待に あたった の は 今 井栄と 磯部 勘 平の 二人であった。 今 井 栄は開 宴の 席上 勤王 党の 解囚を 約束した。 同年の 四 

月に 今 井が 藩 命 をお びて 東行した その 留守に、 佐幕派の 過激 分子 は、 藩議を 一変 させ、 勤王 党の 釈放 はとり やめ 

になった。 今 井 は 帰 藩して 残念が つたが、 しかし そのために 今 井 は 過激な 佐幕派から は、 解囚 主張者と して はげ 

しくに くまれた。 

勤王 党の 面々 が 出獄 を ゆるされ たの は、 慶応 三年 十一月、 王政復古の わずか 一月 まえであった。 しかし 佐幕派 

は、 勤王 党の 長老 池 尻 茂 左衛門 だけ は 釈放し なかった。 彼ら は 勤王 党 をの こらず 解囚 する ことに、 どこまでも 未 

練 を もった ので ある。 池 尻 は庄島 出身の 学者で、 葛覃と 号して いた。 かずら 塀と いう 意味で ある。 大身の 佐幕派 

はもち ろん、 勤王 党の 水 野 兄弟で さえ も、 池 尻 を 「所詮 翰林 中の 学士」 と 呼んで 軽侮の 念 を かくさなかった。 そ 

こに は 勤王 佐幕 両派を 問わず 身分の 低い ものに たいする 蔑視が みられた。 すさまじい 執念のと りこと な つていた 

佐幕派 は、 下士 出身の 池 尻 茂 左 衛門を 犠牲に する ことで、 勤王 党への せめての あてつけと したので ある。 

六十 五 歳の 老 勤王 党員 は、 獄中で みじかい 白髪 を搔 きながら、 戦死した 二人の 子供の 幻と むかいあ つていた。 

獄屋 獄屋 似掌大 吾生 寓為 一 世界 俯仰 纔見寸 天地 日月 未 曽照四 体 寒徹 肌骨 手 脚 凍 媼袍 欲襲不 自在… 



池 尻 茂左衛 門が 解囚 された の は、 あくる 明治 元年 二月 八日、 すなわち 不破美 作 暗殺の やっと 半月 後の ことで あ 

る 



259 最後の 瘦夷党 



明治 二 年 正月 二十 五日、 吐く 息 も 白く 凍る 夕 空に、 今 井栄、 久徳与 十郎、 松 岡 伝 十郎、 梯讓 平、 北 川亘、 本庄 

仲 太、 石 野道 衛、 松 崎 誠 蔵、 喜 多村弥 六の 九 名の 佐幕派 藩士が、 久留 米徳雲 寺の 刑場に ひき 出された。 一番 はじ 

め は、 今井栄 だった。 庭の 筵に 引きす えられた 今井栄 のまえ で 「御 国是の 妨げと なる を もって 屠 腹 申 付ける」 と 

矢 野 幸 太夫が よみあげた。 今 井 は、 

— どうも 文意が 分りません。 もう 一 度 御 読み 聞け をお 願いし ます。 

と 云った。 見守る 役人 を はじめ、 とりまく 人垣の なかに ざわめきが おこった。 文意が 分らない というの は、 その 

宣告 文が 納得で きないと いう 抗議で ある。 矢 野 はもう 丁度 読んだ。 今 井 は それ を 聞いて、 一字 も 間違えな いよう 

に 暗誦した。 水際立った あざやか さだった。 そして 三宝に のった 短刀 をと つた。 みんなが 固唾をのんで いると、 

今 井 は 爪先 ほどの 切 尖 を のぞかせて 短刀 をまい た 布 を 解き はじめた。 短刀 をに ぎる と、 介錯 人の 井上 武ニ郎 に、 

11 武ー 一郎、 立派に 切れ。 

と 云った。 そうして 今 井 は 深 腹 を 切った。 

今 井 を 最初に、 死 を 賜うた 八 人の 侍た ちが つぎつぎに 腹 を 切った。 松 岡 伝 十郎、 本庄仲 太、 石 野道 衛、 梯讓 平、 

松 崎 誠 蔵、 北 川亘、 喜 多村弥 六と 切腹 はす すんだ。 今井栄 のとき は 血 凝りの ような 色 をみ せて いた 夕 空 は 褪色し、 

ついに 夜に 入った。 幔幕 を はりめぐらした 柱の 上に 高 張 提灯が 立てられ、 その 下 を 藩の 役人た ちが 右往左往した。 

切腹 者の 一人 は 首の 落し 方が まずい と 介錯 人に 叱 言 を 云った。 他の 一人 は 役人に 懐紙 を もとめた が、 最後に な 

つて こんなに たくさん は 必要で ない と 笑いながら 返した。 介錯 人に えらばれ たの は、 その ほとんどが 志願した 応 

あば 

変隊の 若者た ちで、 吉田藤 太 や 鹿 毛 松 次 も そのな かに まじって いた。 日頃 手に 負えない 暴れ者た ちが、 佐幕派の 



切腹 者た ちに 呑まれて、 まるで 人が 変った ように まごついたり、 やり 損じたり した。 

切腹 者の 最後 は久徳 与十郎 だった。 久徳は 元 治 甲子の 京師 変乱のと き、 会 桑に 味方して、 給 御門で 勇敢に たた 

かった。 白い 陣羽織に 墨で 雲 竜 を 画いた もの を 着て 指揮 をと つた。 その 姿 は 明 智左馬 之 助が 近 江の 湖水 を わたつ 

たと きを 思わせる と、 藩 中の 語り草と なった くらいで ある。 

久徳与 十郎の 乗った 駕籠が いよいよ 楊り 屋を 出て 徳雲 寺に むか つ て 急ぐ とき、 ちょうど 寺 町の 入口です でに 切 

腹した 松 岡 伝 十 郎の棺 を はこんで くるのに 出会った。 棺を かつぐ 人夫が、 松 岡 様の 棺が京 町 法 泉 寺に ゆく ところ 

です、 と 知らせる と、 それ を 耳に した 久徳 与十郎 は、 駕籠の なかから、 

—— 伝十郎 さきに ゆきおる か、 おれ も あとから ゆく から 待つ てお れい。 

と 大声で 呼ば わった。 そのと き、 駕籠 かき も棺を 担ぐ 人夫 も 真白い 息 を 吐いて いた。 

徳雲 寺に つくと、 御堂の なかには 久徳の 家族た ちが 待って いた。 家族が 別れに きて よろしい と 内示が 出て いた 

からだ。 嗣子の 仁 之 助 は 蒼く うなだれ ている。 加 藤 田 平 八郎の 門下で、 長刀 を とらせたら 久留米 藩 随一と いう 久 

徳の 二人の 娘た ち も、 いま すすり泣 いている。 久徳の 妻が 別れの 盃を とり 出した。 久徳は それ を まわし 呑みす る 

と、 やおら 立ち あがり、 謡曲 『田 村』 の 一節 を高唱 しながら、 御堂せ ましと 舞った。 やがて 刑吏の 呼び出し を受 

けた 久徳 は、 庭に 出て 筵に すわる と、 短刀 をぐ つと 突き立てた。 左から 右へ 引く と、 こんど は 肋から 引き下げ、 

下から 引き上げた。 十文字に 腹 を 切った。 十文字 は、 怨を 含んで 切腹 するとき である。 一瞬 役人 も 見物人た ち も 

鳴り を ひそめた。 . 

これら 豪胆な 侍た ち は、 死んでも 賭け を やめないで、 彼ら を 死に 追い こんだ ものと 勝負 を あらそう つもりで あ 

る。 しかも まだ 勝負 はついて いない …… 。 

九 人の 佐幕派が 怨恨 を 抱いた まま 切腹す るの を 見た 瞬間、 久留米 藩が あやまちの 一歩 を 踏み出し たこと を、 背 



26l 最後の 擴夷党 



骨で 感得した もの は 少なくな か つ た ひ 

まえに は 佐幕派に 好意 を よせてい なか つ た 人々 までが、 水 野の やり方 を きびしく 非難して やまな か つ た。 

水 野 は 前年の 明治 元年 四月に、 今井栄 ゃ久徳 与十郎 たち 三十 一名の 佐幕派 を 禁錮した そのと き は 「志 正しから 

ず 会 桑 等へ ふかく まじわり …… 」 とか 「俗論 あいとな え 勤王の 大道 をと りうし ない …… 」 とか きめつけた 上で 

r …… といえ ども 御 容赦に あいなり、 罪 一等 を 減ぜられ、 知行 召 上げられ、 ながく 揚り屋 へ 差し越す」 こと を 命 

じて、 死 一等 を 減じて 寛大な 措置に 出た こと を 示して いる。 このように いったん 恩 を 売りつ けて おきながら、 処 

刑ず みに なった 罪人に、 死刑 を 加重す ると は 何事 か。 そのような こと はたと い 将軍 や 藩主で あっても ゆるしが た 

い 行為で あるのに、 平然と 法 を ふみにじり、 とつぜん 佐幕派に 死 を 命じて いる。 彼 は 自分の 怨恨 を 大義名分の 上 

に 置こうと している。 彼 は 勤王 党 を 迫害した 佐幕派への 報復 を、 相手方の 死によ つて 決着つ けようと している。 

その 証拠に は、 はじめ 水 野が えらんだ 処刑 者の 名簿の なかには、 古庄 忠吾ゃ 馬場 織 右衛門、 磯部 勘 平な ど、 他 

に 幾人 もの 名前が まじって いたの を、 あんまり 私怨 を 露骨に しすぎる というので、 家臣の 佐 田 白 茅が 藩主に つよ 

く 進言して、 とりのぞかせた というで はない か。 死刑に なった 今 井 栄ゃ松 崎 誠 蔵、 それに、 名簿から とりのぞか 

れた 古庄 忠 吾と 磯部 勘 平の 四 人 は、 慶応 三年 七月 水 軍 取調 方に 任命され た 久留米 藩 海軍の 最高 幹部で ある。 水 野 

正 名 は 佐幕 党の 過激派と 同時に 藩 海軍の 幹部 を 一 挙に 屠って、 自分の 面前から 邪魔物 を とりのぞこう としたの だ „ 

ほとんど 常識で は 信じが たいこと が 横行して いる。 今 井 は あれほど 獄中で 水 野に つくした にもかかわらず、 水 

il- にだ まされた あげく 殺されて しまった。 水 野のと つた 仕 打 は、 なんという 涙の ないやり 口な のだろう。 

今 井 は 上海に 渡った とき、 鴉片 戦争で 清国が どんなに 苦しんで いるか をみ て 帰った。 彼 は 長英の 『夢物語』 に 

做った 『秋 夜の 夢談』 で 世界の 大勢に 暗く、 時勢の かわり を 知らない 攘夷論 者 を、 腐儒、 俗吏と 罵し つてい る。 

そして まえに はやれ 佐幕派 だの 開港 派 だのと 罵 しられて いた 不破ゃ 今 井の つくった 開 成 方、 開 物 方、 それ を 何十 



2 倍 もの 大きな 力で、 政府 自体が おしすすめ ている。 奸賊不 破 美 作と 今 井栄の 亡霊が、 いまみ ごとに 生き かえって 

2 きたんだ! 

水 野 をに くむ 人び と は 蔭で ひそかに 噂し あった。 しかし こうした 批判 を 公然と 口にする ものはなかった。 それ 

を もし 犯せば、 口 を 開く より はやく かえつ てく る 水 野と 応変 隊の 復譬を 覚悟し なければ ならな か つ た。 



その 年の 六月、 版籍 奉還に よって 有 馬 頼 咸は久 留米藩 知事と なり、 十一月に 水 野 正 名 は久留 米藩大 参事と なつ 

て、 頓咸 につぐ 藩 内 第一人者の 地位 を 占めた。 今井栄 をた おし、 佐幕派に とどめ を さして 藩 内に おそれる 者が な 

いとなる と 水 野 正 名 は、 久留米 藩 を あげて、 はげしい 政府 批判の 方向へ と 一歩 を ふみ 出した。 王政 は 復古した が、 

擅 夷 はま だ 実行され ていない。 それな のに 新 政府 は 幕府 を そのままう けついだ かの ように、 不当な 条約の もとで 

開港し、 外 夷の 侮蔑に あまんじ ている。 昨日まで 高唱 した 攘夷 は どこへ いった か。 身分 秩序 をのり こえる ために 

尊王の 志が あつたと すれば、 攘夷 こそ は はじめて めばえた 国家 意識で あり、 国民の 誇の 自覚で ある。 それ を 新政 

府 はまる で 無視して しま つてい る。 

外国の 儀 は 先帝 多年 宸憂 する 所な りし も 幕府 従来の 失錯 を 以て 因循 今に 至れり 今や 世態 一 変し 復た 鎖国 を 

主と すべ からず 因て 宇内の 公法に 基き 各国との 公 誼 を 開く 上下 一 致して 此旨を 遵守せ よ 

と 厚顔無恥な 布告 を 幼 帝の 勅語に 借りて 発し、 すべての 不手際 を 幕府に なすりつけ ている。 かっての 同志た ち 

が、 外 夷に 屈従して このような 詔勅 を 起草して いるの をみ たら 真 木 和 泉 守 を はじめ 久留米 勤王 党の 英霊 は、 どん 



263 最後の 攘夷 党 



な 感慨 を もつ だろう か。 

この 上 は 政府に 迫って、 その 過誤 を 正さねば ならぬ。 水 野の 胸中に は、 いっか 久留米 藩が 蹶起し なければ なら 

ふるま つかん じ 

ぬと きの 情景が 去来し はじめた。 応変 隊の 指導者で ある 古松 簡ニ、 小 河 真 文の 二人 も、 水 野と 気脈 をつ うじ、 情 

報 を 交換し あった。 

たとえば 熊 本 藩の 実学 党が 新時代の 開化の 路線に そい、 兵制 一 変 すれば 金城 湯 池 も 無用の 贅物 だとして 熊 本 城 

を とりこわそうと 考えて いると き、 水 野 はこと もあろう に 久留米 藩 内に あたらしく 築城 を 計画した。 彼 は 古松 簡 

二の 建言 を容れ て、 明治 一 一年 夏、 三 力 月に わたって 日 田 街道す じの 竹 野 郡 石垣から 山 本 郡 草 野までの あいだ を 調 

查 させ、 計画 をね つた。 結局 築城 は 実現し なかった が、 水 野の 眼に はは やく も 実戦の 幻が 火花の ように 散って い 

たので ある。 

血気 を もてあました 応変 隊の 若者に、 水 野が 描き出して みせる その 幻が こころよくない 笞 はなかった。 幻影に 

憑かれた 彼ら は、 藩 秩序 や 身分 を 真 向から 無視し、 自分た ちに 加えられる 批判 をす ベて 封 じた。 

しかし、 破壊への 趣味が いつまでも ながつづき する もので はない。 応変 隊の 若者た ち は、 あてどの ない 憤怒に 

身 を まかせながら、 とも すれば 無頼の 世界に おちこん でい つ た。 

だから 明治 二 年 十二月、 奇 兵隊 はじめ 諸隊 が、 山 口 藩 庁の 解隊 要求に したがわず、 藩 当局と するどく 対立して 

いると いう 報せ が、 久留米 藩に 到着した とき、 応変 隊の 受けた 衝撃 は、 兄弟 党の 危急 を 憂慮 するとい うより は、 

や つ と 目的が 見付か つた よろこびに 近かった。 

—— 山 口 藩の 奇 兵隊に たいする やり方 は、 豆 がらで 豆 を 焚く のとお なじ だ。 

—— 釜 ゆでに されて は、 奇 兵隊と いえ ども、 沸騰 せざるを得ない ではない か。 

応変 隊の 若者た ち は、 激昂して、 いますぐ でも 奇兵 隊 支援の 行動 をお こせと 叫んだ。 



4 奇 兵隊と 山 口 藩 当局の 対立の 知らせ は、 つぎつぎに 久留米 藩に つたえられ てきた —— 。 

山 口 藩 は その 十月、 朝廷に 御 親 兵 を 差 出す ために、 奇兵、 遊撃、 整武、 振武、 鋭武、 建武 の諸隊 を、 常備 隊に 

再編成した。 諸隊は 解散す る ことにな つたが、 元 治 元年の 禁 門の 変 このかた 勇名 を はせ た 奇兵、 遊撃の 部隊に し 

て みれば、 それ はたえが たいこと であった。 

論功行賞の 問題が それに からんだ。 維新の 功業 を 推進した 褒賞と して、 政府 は 十万 石の 賞 典 禄を山 口 藩主に あ 

たえた。 そのな かから 藩 庁 はわず か 三両を 諸隊の 戦死者の 香 花 料と して 出す にと どまった。 身命 を 国家に ささげ 

て それが 三両の 報いと は あまりな 仕 打で ある。 それ は 一 兵卒の 給料の 三 力 月 分に しか あたらない 額で ある。 兵士 

の 給料に したと ころで わずかな なかから 半分 は 上 まえ を はねられ ている。 それにい ま 藩 庁 は、 戦 病 傷者と 四十 以 

上の 高齢者 は 常備軍に くり 入れず、 除隊 させて ほうり 出そうと している。 それ は そのまま 失業に つながる 血 も 涙 

もない 措置で はない か。 このような 形勢に 追い こんだ の は、 諸隊の 長官が 無能 貪欲で 指導が 悪かった せいで ある。 

彼ら は 他 藩に 出張しても 本陣 どまり で 仕事 をし ない。 京都 や 東京で は 軍律 を やぶ つ て 遊蕩 三昧で 兵士の 難 苦 を か 

えりみ ない。 根本 は 藩 吏が 腐敗して いるから 混乱が おこった の だとして、 諸隊 長官の 罷免、 藩 政の 改革 を 要求し 

た。 藩の 軍事 局 は 不平 分子の 多い 遊撃隊 を 除外して、 他の 諸隊 から 常備 隊を 選抜しょう とした。 それが また 遊擊 

隊の 憤激 を 買つ た。 

藩 庁と 諸隊の 対立 は、 遊撃隊 はじめ 諸隊の 兵士 二 千 名が 山 口 を 脱出して、 宮 市に 屯 集した 十二月 三日に、 急展 

開した。 脱隊 兵た ち は 山 口と 宮市 をむ すぶ 山道の あちこちに 砲台 をき ずいた。 これにた いして、 山 口 藩 庁 は諸隊 

の 不満 を 慰撫す るた めに、 使者 を宮 市の 本陣に つかわし、 重病 不具の もの はもち ろん、 一般 兵卒 も 困窮 しないよ 

うに 考慮す る こと を 約束した。 つづいて 山 口 藩主 毛 利 敬 親父 子 も、 脱隊 兵に 直 書 を 発して、 鎮静に かえる こと を 

もとめた。 しかし これら は、 矯激な 脱隊 兵に かえって 気勢 を あげさせる ことにな つた。 脱隊 兵の 不穏分子 は諸隊 



265 最後の 攘夷 党 



の 長官の なかで 不適任な 者 を やめさせ、 諸隊に ひきわたせと 要求し、 さらに は 常備軍 は 解散す べしと 主張して と 

どまる こと を 知らなかった。 失業の 不安が、 藩 政の 批判と なって 動き 出した。 どう 収拾 策が 見付かる のか 見当が 

つかない ままに 両者の 間 は 険悪 さ をます いつぼう だ つ た。 

応変 隊の 指導者 古松 簡ニ は、 奇 兵隊の 動向 を 更に 詳しく 知る ために、 彼の 弟子で 応変 隊の 若者で ある 山 木 卯 蔵 

に、 山 口 藩 情 を さぐって くる こと を 命じた。 古松 は、 かっての 彼の 同志で ある 大楽 源太郎 にも 会って、 その 考え 

を 仔細に 聞け と 云った。 

山 木 卯 蔵が 久留米 を 出発した の は 明治 一 一年の 十一 一月 も おしつまつ たと きであった。 

彼 は、 冷水の 峠 を こえて 飯 塚、 直 方、 木屋の 瀬、 黒 崎の 宿駅 をす ぎ、 小 倉から 久留米 藩の 飛地で ある 大 里に 出 

た。 大 里から 舟で 下 関へ わたり、 そこから 小 郡 をへ て、 山 口へ むかおう とした。 

小 郡の 宿で 一泊した 山 木 は、 あけがた 往来の ただならぬ 音に 目 を さました。 部隊が 整列して どこかへ 出発す る 

ような 様子で ある。 敷石 をす ベる おもい 砲車の 音が、 彼の 頭に ひびきながら 遠ざかって ゆく。 山 木 は 起きる とす 

ぐ、 宿の 主人 や 女中に 問い あわせて みたが はっきり しない。 山 口へ ゆけば 事情が わかる だろうと、 山 口へ むかう 

柳 井田の 関門に さしかかった。 山 木 卯 蔵が 近づく と、 大木 戸 は ぴったりし まっている。 その まえにい る 兵士の 一 

人が、 やおら 立上り、 銃 をつ きつけて、 声高く、 とまれ、 と 叫んだ。 山 木 は 藩籍と 姓名 をつ げた。 兵士の 態度 は 

丁重に なった。 それでも 一歩 も ひかぬ 気が まえ をみ せて、 今朝が たから 藩の 命令で とおす わけに は ゆか なくなつ 

た、 と 云った。 膚を 刺す ばかりの ものものしい 緊張ぶ りに、 山 木 は 山 口 城下に 入る こと を 断念した。 そして 道 を 

東に と つ て 山陽 道 をす すんだ。 



266 



小 郡から 陶村、 铸銭司 村 をと おりす ぎ、 大道 村に さしかか ると、 凍てつ いた 往還の 上に 叉銃して 焚火 をして い 

る 兵士た ちがいる。 柳 井田の 関門 を かためて いる 山 口 藩の 常備 隊と 対峙す る奇 兵隊の 哨兵と 知れた。 服装 はまち 

まちで、 洋服に 下駄 穿き という もの も あれば、 短 かい 袴の 下に 脚 評 をつ けて いるもの も ある。 兵士の ひとりが 誰 

何した。 山 木 はまえ とおなじように、 藩籍と 姓名 を 名のり、 古松から 大楽 源太郎 にあて た 添書 をと り 出して、 兵 

士に みせた。 兵士の 表情が やわらいだ。 左手の 森 を ゆびさして、 あの 中に 見える 屋根 瓦の 棟が 大楽 先生の 家塾 だ 

と 教えた。 しかし 大楽 先生 は、 二、 三日 まえに 山 口の 藩 庁から 喚 出されて まだ 帰られな いから、 今たず ねて いつ 

て も 留守 だと つけくわえた。 口ぶり からして その 兵士 は大 楽の 門人 かも 知れなかった。 大 楽に 会えない となって 

山 木 卯 蔵 は 落 担した。 奇 兵隊の 本陣が ある 宮 市まで いって、 隊長に 会って みようかと 思った が、 宮 市まで は 六、 

七 里 あるとの こと、 宮 市に ゆく となれば、 三、 四日 はか かってし まう ので やめに した。 山 口から いつ 帰って くる 

かわからない 大楽を 待って いる わけに も ゆかなかった。 ぐずぐずして いると、 奇 兵隊と 常備 隊の 激突に まきこま 

れる かも わからなかった。 

山 木 卯 蔵 はいそいで 帰 藩して 応変 隊 のとるべき 態度 を 協議し なければ ならぬ と 決心した。 彼に は奇 兵隊の 追い 

こまれようと している 運命が、 明日 は 応変 隊の 上に ふりかからぬ こと を 保障す る もの は 何もない と 思われた。 

山 木 は、 帰り道 何 かの 拍子に 誤解され る こと をお それて、 古松から 託された 大楽 源太郎 あての 親書 を やぶり 捨 

てた。 



267 最後の 攘夷 党 



第一 一章 晚鳥 大将 



古老の 語り伝える ところでは、 大楽 源太郎 は、 背が 低く がっちりした 肩つ きをして いた。 客と 対談して いて 火 

鉢の 1:^ を かきならす 手 付 はすば やかった。 よその 家に ゆく と、 敷居の 上に 爪立って、 床の間の 額 や 掛軸の 文字 を 

大声で よむ くせが あった。 大 楽が 自分の 背の 低い こと を 気にして いたらし いこと と、 彼が 田舎 学者であった こと 

を、 この 揷話は 物語つ ている。 

面な がの 顔で、 鼻 はとが つていた。 しかし 一見 整って みえる 顔に、 どこか 不均衡が 感じられ、 それが 彼と 対す 

る もの を 不安に した。 大 楽に は 相手 を 不安に する こと を わざと 狙って いると 思われる 節が あった。 大楽は 烈しい 

口調で、 見境な く 攻撃す るので、 尊擴の 志士た ちと 深く まじわりながら、 だれ を 尊敬し、 だれ を 信頼して いるの 

か 分らなかった。 明治に なって にわかに 時め く 同志た ちへの 嫉視が、 志 を 得ない この 人物 を 虚無的な 言動へ 追い 

やった。 鋭敏な 木戸 孝 允 や 木戸が 引きた てた 大村益 次郎の 冷静な 行動が、 大 楽に 圧迫 を 与えた、 と 見る こと もで 

きる。 強いてい えば、 大楽は 萩の 前 原 一誠 や 山 県有 朋と うまがあった。 この 友人た ちの 陰性の 気質 は、 大 楽の 性 

質 を 想像す るのに 役立つ。 



文久 三年の 春の こと だ。 京都 木屋 町の 長 州 藩邸に 寓居して いた 高杉晋 作から、 大楽源 太 郎に呼 出 状が きた。 何 

事 かとい つてみ ると、 同志が 二十 名ば かり あつまつ ていた。 そのな かに 伊藤 俊 輔ゃ品 川 弥ニ郎 の 顔 もみえ た。 

高 杉 は 一同に はかった。 折から 上京中の 将軍家 茂が、 朝廷 方の 攘夷 実行 祈願に つきあわされ るの を いやがって、 

京都 を そそく さと 退去しょう としてい る。 朝廷が 許さぬ のなら ば 届け 捨てに しても 江戸に かえろうと している。 

そうなら 違 勅の 罪 を 犯した ことになる。 将軍 を 断固 5^ 明し なければ ならぬ が、 それに はどうし たらよ いか。 

一同 は、 朝廷に 伺候して いる 家 茂が 退出す る 途中 を 要撃し ようと 議決した。 当然 そのような 結論になる の は、 

はじめから 分って いた。 いずれも 血の気の 多い 面々 だった。 将軍と あって は、 相手に 不足はなかった。 

その 座に、 肥 後 藩の 堤 松左衛 門が いた。 堤 は 江戸で 横 井 小 楠 を 切り 損じた あと、 京都の 長 州 藩邸に 身 をよ せた。 

堤の 先輩 格に あたる 宮部鼎 蔵 は、 堤にたい する 肥 後 藩の 嫌悪が ふかいので、 国事に 関係 させて くれるな と、 たの 

ん でいた。 その 手前 同志 は、 堤 を こんどの 襲撃に くわえまい とした。 堤 は 自分が 疎外され たと なると 憤激し、 自 

分 独りで、 将軍の 滞京 を 進言す る。 聞き入れられなかったら、 その 場 を 去らず 割腹す る。 それまで 要撃 を 控えて 

くれ、 と 云い 出した。 声は嗄 がれ 膝 はかす かに ふるえて いる。 堤が 並々 ならぬ 決意 を 秘めて いる ことが、 傍に い 

る大 楽の 身体に もった わって きた。 一同 はとめに かかった が、 堤 はなん としても 翻意しょう としない。 みんなが 

困り はてた とき、 大楽は 自分の 喉の 奥から 一 つの 声が あがって くるの を 感じた。 それ はどうしょう もない 衝動、 

つまり 他人から 自分 を きわだた せたいと いう 衝動 だ つ た。 

—— 堤 ひとりに こ のこと を やらせる わけに は ゆかない。 

大楽は 一 同 をみ まわしながら 云った。 



271 最後の 攘夷 党 



—— 同志 を 見殺しに する わけに は ゆかぬ から わたし も 行動 を俱 にしよう。 

大 楽が 同行の 役目 を 買って出る という 申出 は、 同志と しての 情誼に かなった ものに ちがいなかった。 一座の な 

かに は 堤に 何 をし でかされ るか 判らない 不安が あつたので、 大楽を 目 付に して、 堤 を やむなく ゆかせる ことにした „ 

だが その 夜 一 一人が 一 橋慶喜 邸に つくと、 事態が 急に 落着して、 将軍家 茂 は 勅命 を 奉じて 滞京す る ことにき まつ 

たと、 告げ 知らされた。 あとで 聞く と、 高 杉ら は 鷹 司 邸に おしかけて、 将軍が 東 帰す るよう であれば ただです ま 

されぬ こと を 句 わせ、 それが 結局 効 を 奏した わけで あつたが、 ともかく 意気込んで 一橋 邸に いった 堤と 大楽は あ 

つけに とられた。 

堤 は そのと きから だまりこくつ て 道 を あるきつづけた。 

—— 横 井 を 切り 損じた あと 死んで おれば よかった の だ。 藩 公に めいわく を かけて、 まことに 申し わけない。 

堤は大 楽に なぐさめられ、 口の なかで ぼそぼそと 眩いた。 

—— 死に花 を 咲かせる 機会 をせ つ かく 狙って いたのに …… 。 

堤が くやしそう につぶ やいて いるの をみ て、 大楽は そのと き、 彼が ただならぬ 決心 を かためて いるのに 気がつ 

いた。 堤 は 死神に さそわれて そちらに 歩き かけて いる。 しかし 大楽 はそう ではなかった。 彼が 堤に 同行 するとい 

うの も、 自分の 弁舌 や 才知 を みんなに 示す 機会 をつ かみたかった からだ。 死にたがって いる やつのお 供 をす る わ 

けに は ゆかない。 大楽は 堤に むかって これから 同志に 報告す るから、 はやまらないで しばらく 待って いて ほしい 

と、 強調した。 堤 は 世に もさび しそうな 目 付で 大楽を ながめた。 

その あくる 朝、 堤の 割腹 死体が 南 禅寺の 大日 堂の 縁 下で みっかつ た。 

私儀 さる 十一 一月 江戸に おいてお 国の ためと 存じ こみ 横 井 そのほか 奸物 討ち はたし かかり 申し 候。 公儀 を か 



えりみ ず 右の しだい 恐れ入り 奉り 候。 死後の 余罪な おさら 恐れ入り 奉り 候 , 

と 血 を 指に つけて 白木 綿の 肌着に 書いて あった。 

大楽は 前夜 同志の 所に 連絡に ゆかな か つ た。 連絡に ゆけば なぜ 堤 を ひとりお いてきた と 非難され るに きま つ て 

いる。 しかも、 将軍が 滞京す る ことにき まった の だから、 堤 は 死ぬ 理由 なぞない の だ。 堤 は 割腹したがって いた- 

丁度 その 好機が はずされた、 という それだけ のために 死ぬ。 大楽は 死にたがって いる 堤 を どうす る こと もで きな 

い。 大楽 としても 将軍 を 説得して それが 聞き入れられなかったら、 そのと きはい さぎよ く 死んだ であろうが、 し 

かし 事 は 思い どおりに なった の だ。 死ぬ 理由がない。 

論理の すじ は大 楽の ほうがむ しろと お つてい る。 しかし それならば なぜ 堤と 同行す る 役割 を 買つ てで たかと 難 

詰され る。 

いずれにしても 大楽は 同志に 顔が 立た なくな つ た。 死生の 間で は 論理 は 粗雑で も 面目が 立つ かどう かが 問われ 

る。 肥 後 藩の 同志た ちへの 顧慮 も そのな かに 含まれて いた。 

というの は、 堤た ちが 江戸で 小 楠 をお そった とき、 小 楠 は 刺客の あいだ をす り 抜け、 越 前 藩邸へ かけつけて、 

刀 を もって ひきかえ したが、 もはや 刺客の すがた はみ えなかった。 しかし 武士た る ものが 刺客に 殺された 人 を 見 

捨てて にげた と は、 ある まじき ふるまいだ といって、 肥 後 藩士の 間で ごうごう たる 非難が おこって いた。 それと 

おなじ ことが 大 楽に ふりかか つ た。 

長 州 藩の 同志た ち は 知り合いの 所に ひそんで いる 大楽を 見つけ 出して 難詰した。 大 楽が ひきこもった まま 同志 

たちに 連絡し なかった ことが、 同志た ちの 憤激 を 買った の だ。 大楽は 広言 はする が、 いざと いうと き 堤の 屠 腹 を 

ひきとめ もせず、 堤に 狗 ずる こと もしなかった、 同志の 風上に おけない やつ だとい つて、 彼ら は大 楽に 自決 をせ 



273 最後の 攘夷 党 



まった。 中に 立って なだめる ものが あつたの は大 楽に とってし あわせだった 大楽 はかろう じて 死 をの がれ、 同 

志た ちとの つきあい を 絶って、 一時 郷里に 戻った …… 。 

大 楽の 功名心 は 最初の 機会に つまずいた。 

大楽は 同志た ちから 臆病者と 面罵され た。 腹が 切れる ものなら 切って みろ と、 ののしられ、 返す 言葉が なかつ 

た" 

大 楽が 同志の 死 を 看過した という 嚀は、 いちはやく 藩 地に つたわり、 大楽は 屈辱 感に なやまされた。 大 楽は不 

名誉 を 挽回した いと あせった。 彼の 目に は、 故郷の 大道 村旦の 漁師 浦が 幼少のと きょりい つそう 味気ない ものに 

映った。 海岸に は 倦怠に みちた 波が くりかえす だけで、 一切の 風景が 白々 しく、 大 楽から 逃げて ゆく ような 気が 

した。 大楽を 信じた の は、 彼の 父 信 七郎を のぞけば、 弟の 山 県 源 吾 ひとりだった。 大楽は その 源 吾に、 邪歴 にあ 

たる ことが 多かった。 それな のに、 源 吾の ほう は、 兄への 敬愛の まなざし を 捨てず、 いつまでも 大 楽の あと をつ 

いてきた。 

大楽は 名誉 を 挽回す るつ ぎの 機会 を 狙った。 同志た ちの 彼 を 見る目 は 冷たかった が、 それでも 烈しい 変動の な 

かで、 同志た ちの 憤激 はう すらいで いた。 それ を 知る と 大楽は ひそかに 京都に のぼった。 京都で は 一年 足らずの 

あいだ やつぎばやな 暗殺の ために 「奸 物」 の 数 はすく なくなり、 「奸 物」 のうば いあいが おこって いた。 猿の 文 

吉を、 生 きざらし にした ときの ように、 志願者が 多く、 くじ を ひいて 実行者 をき めねば ならぬ こと さえあった。 

大楽は それとなく 獲物 を 物色した。 

文 久が元 治と あらたまった 年の 五月 五日、 大楽 源太郎 は、 連れの 侍と ともに、 大和 丹 波 市の はずれ を 走る 駕籠 

の あと をつ けて いた。 麦畑の なかの 道に さしかか ると、 大楽は 駕籠に 走りより、 赤 鞘の 脇差 を ふるって、 簾 ごと 

駕籠の なかにつつ こんだ。 にぶい 抵抗の 感触が 大 楽の 手に つたわった。 かすかな 呻きと ともに 反対側に 転がり 出 



274 



た。 つれの 侍が その 身体 を とらえ、 首 を 打ち落した。 麦畑の なかで 働いて いた 百姓の 女が 声 もな く 立ちつ くして 

いた。 

大楽は 泥の ついた 首 を かかえ、 つれの 侍 をうな がして、 丹 波 市から 大阪 へむ かう 街道 を ひた 走りに 走った。 そ 

して 夜に まぎれて、 大阪南 御堂の 石燈 籠に、 首の 耳に 穴 を あけ、 それに 鎖 をと おしてし ばりつ けた。 かたわらに 

冷泉 為恭を 殺した 斬 奸状を 貼りつ けて、 世人の 反応 を 待った。 

しかし 結果 は大 楽に かんばしくなかった。 世人 はむしろ 冷泉 為恭に 同情した。 同志た ちも大 楽の やり方が くど 

すぎる と 非難した。 冷泉 為恭は 王朝 風の 美の 世界に あこがれた 一介の 大和 絵師、 臆病な 鬼に すぎない。 それ を大 

楽 は 狐に 見立てて 狐 狩 をた のしみ、 さいごに なぶり 殺した といわれ たの だ。 大楽は あてが はずれた。 

幕府 方に 内通して いると いうか どで、 最初 為恭を 襲った の は、 長 尾 郁太郎だった。 長 尾 はしかし 仕損じた。 彼 

は それ をたい そうく やしが つて、 いっか は 仕留めて やりたい と 洩らして いた。 それ を 聞く と大 楽に は 場 当りと せ 

めら れても 仕方のない 競争心が おこった。 大楽は 長 尾の 鼻 を あかして やろうと いう、 それだけ のために、 為恭を 

執念ぶ かく 狙った の だ。 

大楽 は、 京都 室町の 邸から すがた をく らまして いた 為恭の 居所 をつ きとめる ために、 彼の 妻の 綠衣 にしつ こく 

問いた だし、 脅迫 さえした が 緣衣は 口 を 割らなかった。 そのうち 大楽 は、 緣 衣が 堺の隠 家に いる 夫に 会いに ゆく 

の をつ きとめた。 居所 を 知られた 為 恭は丹 波 市の はずれの 寺へ にげて ひそんだ。 しかし 大楽は 途中で 追跡 を やめ 

るよう な こと はしない。 堺の かくれ 家の 主人 を 白刃で おどし、 為恭の 逃亡 先 を 白状させる と、 彼 を 先に 立てて 案 

内 させ、 ついに 為恭 をお びき 出す ことに 成功した ので ある。 

しかし 大 楽が 為恭を このように 執念ぶ かく つけまわし たのが、 気短 かな 同志た ちに は 不可解 だ つ たと みえて、 

いっか 大楽は 美女の 名の 高かった 綠 衣に 懸想し、 それ を 拒絶され て、 意趣返し をした と 噂 を 立てられた。 



275 最後の 擴夷党 



まえに は 臆病者と ののしられ、 こんど はく どい と 非難され た。 臆病者 だからく ど いのは あたりまえ だとい うこ 

とに なった。 大楽は 事件 を ひきおこして、 かえって 自分が 世間から も 同志から も 難詰 をこう むった となると、 下 

手 人の 役割が いかに 損 か を 痛切に 悟った。 自分が 直接 手 を 下さず とも、 手先と なって 嬉しげ に 2^ 刃 を ふるう もの 

は、 たくさん いる。 それ をした てる 煽動 家の 方が、 役者が 一枚上で あると 大楽は 考えた。 

その 直後、 彼 は 折から 上洛 中の 佐 久間象 山 を 斬る と 云った。 久 坂玄瑞 などが 止めた が、 大 楽に 斬る つもりが つ 

よくあつ たわけで はない。 刺客た ちの 手に 暗示 を 与えて みる だけの ことだった。 効果 はすぐ その あと あらわれた- 

元 治 元年 七月 十一 日、 肥 後 藩の 河上彦 斎ら が 白昼 佐 久間象 山 をお そった の だ。 



元 治が 元年で おわり、 つぎの 慶応 から 明治の ころに なると 大 楽の 煽動ぶ り も、 一段と 進境 をみ せて いた。 大楽 

は 思想家め かした 粉飾が 爆 動 者に 必要な こと を 知った。 彼 は 慶応ニ 年、 郷里の 大道 村 上り 熊に 西 山 書屋を 開いた- 

敬神 堂と 額の かかつ た 教室の 下にと おく 松原が 連なって おり 旦の 波止場の さきに、 周 防の 海が 開けて いた。 

西 山 塾の 教科の 内容 は 論語 を のぞけば、 日本 外史、 弘道館 記述 義、 新 論、 靖献 遺言が すべてであった。 水 戸 学 

が 学問に ふさわしい ものである かどう か は 別と して、 その 排他的で 狂信的な 内容が、 大 楽の 激烈な 口調 をと おし 

て 語られる とき、 若者た ちをひき つける に は 充分だった。 水 戸 学の なかには 党派心 を かき 立て 分裂 をうな がす 種 

子が ひめられ ている。 この種 子 こそ、 爆 動 者の 火種であった。 

大楽は 自分の 思想が 土臭く、 燃え やすい 若者た ちに すぐ 反応す る だけで は 満足し なくなつ ていた。 大楽 は、 一 

定の 潜伏期 間 をお いて、 彼の 思った とおりの 時期に 反応が あらわれる ように、 計算した。 それに は大 楽が、 生き 

た 人間 を まるで 人形 かなに かの ように 自在に あやつる ことに、 興味 を おぼえて いたから ではない。 下手人と 自分 



との 関係 を 否定す るた めの 不在証明が じっさいに 必要だった からで ある。 影響 を 与えて、 素知らぬ顔 をす る こと、 

そして 効果 を 待つ こと、 刺客に 仕上る 時期 を 計量し、 行動の 時期 を あらかじめ 測定して おく こと、 それ も ひとり 

ではない。 二人 も 三人 も 同時にち がった 方法で、 自分の 思いのままに 動かせる ようにす る こと、 それが 大楽 のめ 

がけた ところだった。 そして そのと おりの ことが、 明治 二 年 九月 四日、 京都 木屋 町の 大 村の 客舎で 立証され た。 

神代 直 人、 団伸 ニ郎、 太 田 光太郎の 三人が 兵 部 大輔大 村 益次郎 をお そった 刺客 たちのな かに まじって いた。 いず 

れも大 楽が 西 山 塾で 教えた ことの ある 門下生 だ つ た。 

明治に なつ ても大 楽が 西 山 塾で あいかわらず 勤王攘夷 を 説いて いる あいだに、 世の中 は 一 年が 何十 年に E1 敵す 

る はやさで 変って しまった。 志操の 堅固 さと 純粋 さ を 誇示して いる 者た ち を、 時代 は 葬り さろうと する いきおい 

で 進んだ。 大 楽の 同志の ほとんどが 安穏な くらしに 転進した。 大楽は 投げ与えられた 餌 をく わなかった が、 多 

くの 者 は 要路の 地位が えられな いので、 大楽は 不満に 思って いるの だと、 大 楽の 尊大 さ を 笑い草に した。 大楽は 

いたるところで 息が 詰った。 その 胸苦し さ こそ は、 社会が 大 楽の 思想に 与える 無作法な 侮蔑に ちがいな か つ た。 

大楽 としても、 ののしられたり、 非難され たりした ので あれば、 じっと 耐え もしたろう。 しかし 社会 は 大楽を 無 

視し、 平気で 忘れ去ろ うとした。 それ は、 派手で 目立つ 行為の すきな 大 楽に とって、 ゆるしが たい 侮辱に ほかな 

ら なかった。 大楽は 自分の 犯した 大きな 誤算 をみ とめたくなかった。 それ どころ か、 大楽は 自分が まだ 生きて い 

る こと、 そして 呼吸して いる こと、 要するに 自分の 存在 を 社会に たいして 思い知らせた いという 一念に 燃え立つ 

た。 そして それに は復警 という 手段し かない ことが はっきり していた。 

そして 皮肉な めぐりあわせ であるが、 大道 村と となりあわせの!: 銭 司 村の 出身で ある 大村 益次郎 が、 大 楽の 存 

在 を 抹殺す る 相手と して、 立ち ふさがった。 

大村 はかね がね 国力の 進歩 発展 は、 鉄砲の 口径 を そろえる ところから 始まる という 鋭い 洞察の もとに、 武士の 



277 最後の 擴夷党 



被 髪 脱 刀と 徴兵制の 施行 を 大胆に 推進しょう としていた。 それ は 封建思想への 真 向う からの 挑戦で あり、 その 一 

方 奇兵 隊員の 失職と そのまま つながる ものであった。 大 楽が 門下生に 多い 奇兵 隊員の 不安 を そのまま 見す ごす は 

ずがない。 大楽 はかね て 西 山 塾で 大村 益次郎 への 烈しい 攻撃 をた やさな か つ た。 

大村は 戊辰の いくさ を、 まるで 玩具の 戦争 ごっこ だと 放言して、 責 とい 戦死者の 血 を 侮蔑して いる。 それが 罪 

状の 第一で ある。 つぎに 新式 銃 を すみやかに 入手す るた めに 横 浜 あたりの 外国の 武器 商人に、 卑屈な 態度 をみ せ 

ている。 罪状の 二で ある。 伊勢神宮の 祭祀料な ど 無用の 費え だ、 猿が 後手に にぎれる 位の 米 を やって おけば よい • 

神祇官な ども 不要 だと うそぶいて、 不敬な 言 を 吐いて いる。 罪状の 三で ある。 さいごに、 これが 一番 重要 だが 大 

村 は 東北 諸 藩を片 づけたら、 こんど は 西南 雄 藩 をた たきつ ぶす 番と 考え、 そのために 兵学校 や 火薬庫 を 東京に お 

かず、 上方に もってゆこうと 画策して いる ことで ある。 西南 雄 藩の なかで 最強の 陸軍 は、 長 州 藩の 奇兵 隊 だと は 

衆目の みると ころ だ。 大村は 長 州 藩の 出身で ありながら、 今と なって は奇 兵隊が 目障りで 解散に 追い こもうと 計 

画 をね つてい るの だ。 

大楽は それ をた えずく りかえ した。 郷土愛の ない 外国 かぶれの 洋学 者。 それが 大 楽の 大村 攻撃の 核心だった。 

どだい、 大 村の 家 は 武士の 出で はない。 もともと 百姓な の だ。 それ も 本 軒 百姓、 つまり 本 百姓と いうので はな 

い。 本 軒の 半分の 半 軒 百姓、 つまり 五段 百姓な の だ。 もと 刀 を 差して いなかった ものが、 刀 を 捨てる。 これほど 

たやすい こと はない。 大 村に とって 被 髮脱刀 はなん の 苦 もない こと だ。 ところが 主君に 忠誠 を 誓ってき た 家臣に 

とって は、 髮を 切り 刀 を 捨てる こと は、 外形 を 否定す る こと だけで はない。 武士の 魂 を 抹殺す る ことになるの だ „ 

百姓 そだちの ものに は、 武士の 苦しみ は 分らない。 それ は 当然の こと だ …… 。 

大 楽が 大村を きめつける たびに、 門下生た ち は、 大 村への 憎しみ を 燃やして いった。 大楽は 顔 を 火照らし 別人 

の 目つ きにな つ た 門人た ちの 中から 用心ぶ かく 三人 をえ らんだの だ つ た。 



8 その ひとり 太 w 光太郎 は大 楽の 旧師 太 田 稲 香の 長男で、 明治 二 年の 春 三月 頃、 塾 則 を 犯した かどで 大 楽が 破門 

2 放逐して いた。 - 

団伸 ニ郎は S 儿 行の ニカ月 まえの 七月、 九州に 修行に ゆかせた。 団が 別れの 挨拶に きたと き、 大楽は 冗談に まぎ 

らしながら、 高 杉晋 作が 西 行 を 慕い 西 行に 做って、 しかし 東行と 号した 訳が 分る かと 云った。 団 はきつ い 目 をし 

て 大楽を 見返しながら 判ります、 と 答えた。 

こうじろ なおと 

神代 直 人 は 日ごろ 札つ きの 無頼で、 みんなから 殺し屋 同然に おそれられ ていた。 大楽 はい ざと いうと き 仕損じ 

ないよう、 場 なれして 肚の すわ つ た 神代 を まじえて おく ことが 肝要 だと 考えた。 

団 伸ニ郎 は、 はたして 九州に は ゆかなかった。 そして 太 田 光太郎、 神代 直 人と どこかで 落ち あい、 便船 を やと 

つて 瀬戸 内 を 京都へ むかった。 大村益 次郎が 九月 四日 京都の 宿舎で おそわれ、 刺客の なかに 大 楽の 門下生 三人が 

まじつ ている という 報せ があった の は、 それから 一 一力 月 あとの ことで ある。 

大楽は 自分の 測定が あやまたなかった こと を、 ひそかに 誇った。 しかしそう なると 彼への 疑惑が 高まらずに は 

すまなかった。 大楽 はまった く 迷惑な 話 だと 方々 に 弁解して まわった。 百 人から いる 西 山 塾の 門下生の なかに 不 

埒を 働く 若者が 二、 三人いた ところで、 それが 自分の 責任と なる わけで は あるまい。 それに 団 伸ニ郎 は、 九州へ 

修行に ゆく と 云って 自分に 挨拶に きた ほど だし、 神代 や 太 田 は 元来 無頼の 輩で、 半年 まえに 追放され ての ち は 塾 

によりつ かない。 …… 大 村が a- 刃の ために 傷つ けられた の は、 彼の やり方 や 考え をに くんで いるものが 全国に わ 

たって おびただしく いるからで、 自業自得に すぎない …… 。 

大 楽が 大村 襲撃の 事件に 関係ない こと は、 彼 自身の 不在証明で 一応 はっきりして いるよう にみ えた。 しかし M- 

は大 楽の いいわけ にもかかわらず、 一向にお さまらなかった。 とくに 大 村の 出身 村で ある 祷銭 司の 村民 は、 大楽 

が 門下生 を そそのかして、 大村 をお そわせた と、 かたく 信じて いる 風が あった。 



279 最後の 攘夷 党 



そのうち 団伸ー 一郎と 太 田 光太郎 は 北 陸路へ 逃走 中に つかま つたの だが、 神代 は 行 直後す がた をく らました ま 

まだった。 そして 神代 は大 楽が かくして いると いう 噂が どこから ともなく 流れて きた。 その 噂 は 日 ましに つのる 

、まかりで、 大楽は 喚問され かね まじい 状況に 追い こまれた。 ぐずぐずして いると、 神代が 捕えられて 口 を 割る か 

も 知れなかった。 大楽は 弟の 山 県 源 吾と 門下生の 小 野 精太郎 を、 豊 後の 姫 島に つかわし、 そこの 庄屋 古庄 虎二の 

家に かくまわれ ている 神代 直 人 を つれ 戻す ことにした。 古庄 虎二 は、 馬 関 戦争のと き、 四 力 国の 連合艦隊 十八 隻 

が姬 島の 西 浦 沖に 停泊して いる こと を、 いちはやく 長 州 藩に 注進した 勤王家で あり、 大 楽と は 親交が あった。 ま 

た 古庄 虎二の 父 小 右衛門 は、 大楽源 太 郎の父 信 七郎と 始終 手紙の やりとり があった。 神代 直 人が 逃亡 先 を 姫 島に 

えらん ピと 聞いた とき、 大楽は 自分の かねての 暗示に よる もの だとい うこと を、 すこしもうた がわなかった 

大楽 はかね がね 神代 直 人に、 いざと いうと き 姫 島の 古庄が 庇護 者に なって くれる こと を、 おしえて おいた 神 

a 表向きに は、 行 直後 京都の 宿で たまたま 知りあった 男の 手引きで、 兵 庫から 船に のり、 途中より 道 をし 

ながら、 一月ば かり かかつ て 娘 島に ついた ことにして いたので ある。 

大楽 は、 姬島を 経て 国 東半 島 や 豊後鶴 崎 あたりまで 陶器 や 日用品 雑 器 類 を 売り まわる 三 田 尻の 文吉 という 男 を 

知っていた。 日頃 攘夷 党に 心 を よせてい る 文吉の 船に たのんで、 大楽は 弟の 山 県 源 吾と 門弟の 小 野 精 太 郎を姫 島 

へお くった。 ^は ダシの 風 を 帆に うけて あっとい う 間に 姫 島に ついた。 山 県と 小 野の 説得に 神代 直 人 は、 傷 を 負 

わせた 大 村が 死ぬ かどう か を 見届けな いうちに 自首す るの は、 まことに 心残りが する し 力し、 禍>> 力き の 身に 

およぶ ようならば 仕方がない 11 とおと なしく 云う こと を 聞いた。 古庄 虎一 一の 家で 催された 別離の 宴で 一 同が 打 

沈んで いるな か を、 神代 は 首す じ を 真 赤に 染めながら、 こころよく 酔った。 そして 色紙 を 求める と、 辞世の 今様 

を 書きの こした。 



o 露み て だに も 都 辺 かばね さらしし わが 友の 魂 かとば かり 思 ほれて 秋 こそ もの はかなし けれ 

2 

神代 は 京都の 客舎に 大村を 襲撃した 同志た ちの 運命に 思い を馳 せ、 自分の 最後 を かなしん だの だ つ た。 

神代 は、 山 県と 小 野に つれられ、 文吉の 船に 身 を ひそませて 旦に むかった。 神代 は 艫に うずくまって 動かな か 

つた。 星の ない 夜だった。 旦に 着く と、 小 野が 大 楽の 家へ いって 神代 を つれてき たこと を 注進した。 大楽は その 

夜、 舫ぃ 船が 眠たげ な 音 をた てて いる 波止場の 蔭の 網 小屋に 神代 を 訪ねた。 師弟 は 闇の なかで 対面した。 大楽 は、 

自首して 梟首になる くらいなら、 いっそ ここで 自決した がよ いと 論した。 神代 はに ぎりし めた 大 楽の 手の甲に 涙 

をお とした。 

あくる 朝、 網 小屋で 屠 腹して 苦しがつ ている 男 を、 漁師が 発見して、 小 郡の 役人に 急報した。 かけつけた 役人 

は、 神代 直 人と わかる と 虫の息の 神代から 口 書 をと つた。 神代 は 姫 島に いた こと は 白状した が、 大楽 のこと は 鵜 

の 毛 ほど も 出さなかった。 役人 は 神代の 生命が おぼつかな いとみて、 首 を 打 落して 持って かえった。 

大楽は 神代に、 どうせ 極刑 をまぬ かれない の だから、 自決した がいさぎ よいと すすめた。 弟子に たいする 不偶 

を 示した ので あつたが、 世間 はそう はとらなかった。 神代 は大 楽に おびき 出され 因果 を ふくめられた、 大楽は 神 

代の 口から 事の 真相が 洩れる の を ふせぐ ために、 証拠 湮滅 を はかった と 噂し あった。 噂 を 否定す るた めに、 大楽 

が さまざまな 計略 をめ ぐらせば めぐらす ほど、 それが また 噂 をう む 土台になる。 政府筋の 嫌疑 も 晴れる 気配 をみ 

せる どころ かますます 疑いの 色 を こくす るば かりだ つ た。 大楽 はにわ かに 身の 危険 を 感じた。 

大 村が 刺客に おそわれ 重傷 を 負った と 聞いて もっとも 激怒した のが 木戸 孝 允であった。 木戸 は 大村を 起用して 

兵制 改革に 着手しょう とする 矢先、 計画が 頓挫 をき たした ので ある。 あるいは 11 という 恐怖の 本能が 大 楽の 頭 

を 掠める ことが 多くな つた。 刺客 を 使って 敵を斃 そうとする もの は、 敵が 刺客 をつ かう の を 是認し ない わけに は 



28i 最後の 攘夷 党 



ゆかない。 しかし それが 一番お そろし い。 憎しみの 最短距離 だから だ。 大楽は 身辺 を 警戒し はじめた。 大楽は 上 

り 熊の 塾のう しろに あずまや 風の はなれや を こしらえて、 旦浦 にある 自宅から、 彼 ひとり そこに 移った。 塾 は 松 

林に かこまれて、 うしろ は 山つ づきに なって いる。 刺客が きたら 山 づたいに 逃げる ことができる。 また 塾の 近く 

に は、 ふつう 鬼 穴と よばれて いる 深さの 知れない 横穴が ある。 大楽 はい ざと いうと きそ こに 身 を ひそませる こと 

も 考えた。 ふところに は 和綴の 詩集 をし のばせた。 刺客が むかって きたと き、 それ を 投げつ ける。 あるいは 心臓 

を 利刃から 守る のに も 役立つ。 

大栾が 住居 を 移す と、 噂が また 彼の あと を 追つ かけて きた。 大楽 はやまし いから そうする の だ。 身に おぼえが 

なければ、 逃げる 必要 はないで はない か、 というの である。 大楽は 三人の 門下生 を 殺し、 自分 は 逃げ まわって い 

る。 大言壮語す るば かりで、 いざと いうと き肚 のす わらない 男 だと 非難され た。 

大楽 はもと より 臆病者の つもりではなかった。 有利 か 不利 かの 見き わめの つかない 乱戦 模様の なかで、 大 楽が 

危険な 代償 を はらって まなんだ の は、 急転す る 状勢に 機敏に 対応す る 術で ある。 いって みれば、 堤 松左衛 門の 死 

に 同調し なかった の も、 冷泉 為恭を 殺した の も、 大 村襲擊 を指猴 したの も、 神代 直 人 を 召還して 自 裁に もってゆ 

かせた の も そのこと ごとくが、 大 楽の 状況判断の 上に なり 立った 行為で あり、 人が 非難す るよう に ゆきあたりば 

つたり な 進退で はない と、 彼 自身 はかた く iirn じていた。 したがって 刺客 を さけて 住居 を 移した の も、 大 楽に とつ 

て は、 その 論理の 延長 線 上に あった わけで ある。 

秋が ふかまり、 塾 をと りかこむ 松林 や 背後の 機 林に 葺の 匂い はし なくなった。 林の 間から みえる 周 防の 海 は 鉛 

色に なった。 しかし 大楽は 叢の あいだから 飛 立つ 小綬鶏に おどろかされて いただけ ではない。 

大楽 は大村 益次郎 にたいする 一 般 藩士た ちの 反感が ますます つのる の をみ ると、 つぎの 行動に とりかかつ た。 

大村益 次郎は 切断した ときの 右足の 傷が もとでつ いに 死んだ。 大 村の 遺骸が 大阪の 八 軒 家から 船で はこばれて 



2 大道 村の 旦 にっき、 そこから 铸銭司 村の 天神 原の 自宅に かえった の は、 十一月 十五 日で ある。 その 夜、 大村 家の 

家族 や 近親者が 通夜 をして いる その 場へ 玄関の 高 張 提灯 を ふみたおして、 数人の 暴徒が 乱入した。 みんな 覆面 を 

している ので、 誰 だか 分らない。 その 一人が 焼香 の^を まき 散らした。 大村益 次郎の 未亡人 琴 子が いそいで 灯 を 

消した ので、 暴徒 は 暗がりの 中 を ひきあげ ていった。 

それば かりで はない。 大 村の 遺骸が 铸銭司 村の 田 中 山に 葬られる と、 こんど は 数十 人が 大 村の 墓 を あばきに 押 

しかけた。 これ を 知った 铸銭 司の 村民 は、 矢来 や 墓石 をお したおし ている 暴徒た ちに、 石 や 棒切れ を 投げつ けて、 

防禦した。 暴徒 は 墓 を あばく こと は あきらめて ひきあげ たが、 その なかには 大 楽の 門人 多数が まじって いるの を 

みて、 これ もまた 大 楽の 差金に ちがいな いと、 铸銭 司の 村民 は 激昂した。 手下の 刺客 を 使って 大村 をお そわせた 

だけでなく、 その 死屍 を ひきずり 出して 鞭打とう とする 行為。 その 執拗 きわまり ないやり 口 は、 誰の 目に も 異常 

と 映らずに はす まなか つ た。 

それから まだ 日数 もた たない 頃、 大村 家に 夜な か 強盗が 押入り、 琴 子 未亡人から 金 を まきあげて、 立ち去った。 

またしても 大楽 のい やがらせ にちがいないと、 大 村の 家族た ち はやく ざ さながらの 手口 を 憎んで やまな か つ た。 

未亡人の 琴 子 はいたって 気丈な 女だった が、 それ以来 大村 家で 大 楽の 名 は 禁句と なった。 誰かが 大 楽の 名 を 口に 

しょうものなら 門外に つき 出されて、 二度と 家に 入れて もらえな いと 覚悟し なければ ならなかった。 …… 

大 楽は大 村への 復警 行為で、 民心の 動向 を いちはやく 捉え、 それ を ぎりぎりまで 利用しょう とする 煽動 家の 酷 

薄 さ を 遺憾な く 発揮した。 それ を果 すと、 大楽 はいよ いよつ ぎの 煽動に とりかかった。 彼 を 冷遇す る 時代への 復 

警心 は、 大村を 暗殺した だけで はみ たされなかった。 

まえにの ベた ように 奇兵 隊は 論功行賞の 不公平、 失職の 不安な どから 発して、 山 口 藩 庁 や 常備 隊 への 憤激 を 日 

一日と つのらせ ていた。 大 楽の 門下生に は奇 兵隊 はじめ 諸隊の 若者が 多数 ふくまれて いたから、 彼らの 不平不満 



283 最後の 攘夷 党 



に 火 を 放け るの はたやす かった。 

大 楽を奇 兵隊の 反抗の 黒幕と みなした 山 口 藩 庁 は、 彼 をなん ども 山 口に よんで 奇 兵隊の 慰撫 を 頼んだ。 大楽は 

奇 兵隊の 指導者と して 至極て いねいに 扱われた。 大楽は 得意で なく もなかつ たが、 藩 庁の 慇穀 すぎる ものごしの 

うちに、 ぞっとす る 冷た さ を 感じと つた。 大楽は 藩 庁が 自分 を 利用した あと は、 いずれ 処刑へ 追い こもうと する 

にちがいない こと を 察した。 大 楽が 大村 暗殺 を 指嗾 したと いう 疑い を 藩 庁が 捨てて いない こと もた しかで ある。 

藩 庁が そのこと について 触れな いのも 無気味であった。 そこで 大 楽の ほうで も、 うわべ は 藩 庁に したがいながら、 

うしろに まわって、 奇 兵隊の 若者た ち を 煽動して まわった。 

久留米 藩の 山 木 卯 蔵が 古松 簡ー 一から 大楽 源太郎 への 添書 を もつ て 山 口 藩へ 旅行した の はこの 時期の ことで ある。 



明治 三年 一月 二十 六日、 奇兵 隊は千 余 名が 大挙して 山 口に 押し かけ、 藩 公の 邸 をと りかこみ、 藩主 をと じこめ 

て、 外部との 連絡 を 遮断す るな どの 乱暴 を 働いた。 不穏分子の うごき は、 たちまち 庶民に 波及し、 吉田、 船 木、 

小 郡 付近に 土民の 暴動が おこ つ て、 奇 兵隊に 呼応す る 形勢 を 示した。 

兵士た ちの 不満 を 藩 政 改革まで 発展 させ、 ひいては 山 口 藩の 力 を もつ て 政府に 迫ろうと する 大楽 たちの 策動 は 

効 を 奏した ようにみ えた。 

しかし、 二月 八日に は 木戸 孝 允た ちの 奇 兵隊への 反撃が はじまった。 常備 隊は 最初 苦戦に 陥った が、 ただちに 

勢力 を もりかえし、 三 田 尻から 山 口へ 進撃した。 この 常備 隊を 千切 峠で 阻もうと してた たかった の は、 その 多く 

が大 楽の 門下生だった。 大楽 はこの 暴動に くわわらず 大道 村に いたが、 終日 烈しい 銃声 をき き、 負傷者が 担架で 

はこばれて 家に かえるの をみ た。 大楽は その 慎重な 態度 にもかかわらず、 反乱 を 計画し、 策動した 首謀者の ひと 



4 りと みなされた。 そしてと うとう 三月 五日に は諸隊 会議 11^ から 召喚 をう けた。 

8 - 

大楽 はかね て大村 暗殺の 嫌疑 を かけられて いたので、 こんどよ び 出されたら 生きて かえれぬ と 観念した。 すで 

に 佐々 木祥 一 郎 はじめ 反乱の 首謀者た ち はとら えられて いた。 彼らと おなじく 大楽を 待つ ている のが 極刑の 運命 

である こと は あきらか であつ た。 

大楽は 門下生た ちと 相談し、 脱走 を 計画した。 大楽 はお 人よ しの 山 根と いう 門下 を わざと えらび、 彼に つきそ 

われて 出立した。 大道 村から、 激戦の おこなわれた 千切 峠を越して、 小 鯖 筋 をと おり 山 口へ むかった。 小 鯖 八幡 

宮 のまえ の杉屋 という 茶屋で 休憩した とき 大楽は 厠 を 借りたい と 云 つ て、 にわかに 両刀 を 山 根へ あずけて 家の 裏 

手に まわった が、 そのまま 出て こなかった。 山 根 はお どろき あわてて 探した が、 日 は昏れ てし まった。 山中に か 

くれていた 大楽 は、 夜陰に 乗じて 大道 村に かえり、 山 県 家 や 妙 蓮 寺に ひそんだ。 しかし 危険が 迫った ことが 察知 

された ので、 大楽 源太郎 は、 用意の 漁船に 身 をし のばせ、 弟の 山 県 源 吾、 門人の 小 野 精太郎 とともに、 旦 浦から 

姫 島への がれた。 

姫 島 は杵築 藩に 属し、 国 東半 島まで 三 里、 防 州へ は 十三 里の 島で ある。 山 口 藩 を 奪回す るた めの 足場で あるば 

かりで なく、 九州 本土 へ しりぞく にもつごう がよ いところ である。 

大楽 は姬. 島 では 頼って いた 古庄 虎二の 世話で、 鉄漿 村の 中 城 幸 助の 家に ひそんだ。 

大楽は 彼の あと を 追って ぞくぞくと 逃げて くる 門下生の 脱走兵た ち を 相手に、 山 口 藩 を 恢復す る 計画 をね つた。 

彼らの 士気 を 鼓舞す るた めに、 ときには 七 尺 以上の 大幟 をつ くり それに 「回天 軍」 と 大書して 意気 さかんな とこ 

ろ をみ せた。 いつぼう 門下生の 小 野 精 太郎を 九州 本土へ おくって、 奇 兵隊の 失権 恢復に たいする 各藩の 同志の 協 

力 を もとめた。 

小 野 精 太郎が 久留米 藩に あらわれ ると、 奇 兵隊が 一 敗 地に 塗れた ときいて 切歯扼腕 していた 応変 隊の 若者た ち 



285 最後の 攘夷 党 



は、 小 野 を 賓客の ように 迎えた。 彼が もってき た r 昭妖 鏡」 は大 楽が 姫 島で 一気呵成に 書き あげた ものであった _ 

奇 兵隊 暴動 の 経緯と 藩 政 批判 を のべた この 文章 は、 

…… ああ 悲しい かな 痛い かな 尊攘の 大義 を も つ て 天下に さき 立ち、 おそれ 多く も 柱石とまで 御 依頼の 叙智を 

こうむり 候 ほどの ことにて 御座 候と ころ、 姦臣の 不所存に より、 聡明 をぬ り、 汚名 を 万世に 遺さん とする が 

ゆえに、 われら 雲霧 を ひらき 誠実 を つらぬ かんとす …… 

と 誇りた かい 奇 兵隊が 反乱に ふみ 切 つ た 動機 を 釈明し、 奇兵 隊は 民衆の 財産 をう ば つ たりぬ すんだり して 夜盗の 

ごとき ありさま であると いう 山 口 藩の 非難に たいして は、 

…… 不臣 を こらす の 挙動 を もってなん ぞ 一 己の 私欲と いわん や。 農 商の 私財 を かすむ と はこれ 稼 渦の 大 虚言 

なり。 下民に おいて は 渴望を 諸隊に 帰し、 艱難 苦楚 みずから 家財 を かたむけ あたう。 常備の 徒 をば、 パテレン 

隊と 称し 一 民 もこれ がた めに は こころよく 用 をな す 者な し。 これ 民の 誹怨 すると ころ は 天の 絶つ ところな り- 

民の 思慕す ると ころ は 天の くみする ところな り。 藩 内の 民 あげてに くみ 好む ところ、 すなわち 正邪の 分る る 

ところな り。 一正 一 邪 薰と薩 とのごと し。 人み な 鼻 あり。 

とつよ く 反撥して いる。 また 奇 兵隊と 対立す る 常備軍が 檄文 を 発して、 

正月 二十 六日 千 余人 を もって 御 屋形を かこみ、 出入 を 絶し、 君 上の 御 膳 米 をた ち、 強詞 奪理、 君 上に 逼り 



6 たてまつり 候に いたりて は、 じつに 狂暴 凶 逆、 天地 も 覆 載す る こと あたわず、 こころみに みよ 上下 古今 数千 

年の 間 かくの ごとき 逆臣 かくの ごとき 乱賊 あり や、 いやしくも 耳目 ありて 今日の 形 を 見聞す る 者 だれか 感激 

憤懣し、 その 肉 をく らい その 皮に 寝ぬ る を 思わ ざらん …… 

と 極度に 憤激す ると、 奇 兵隊が わ は、 

奸吏事 を 左右に 託し 藩 政 恢復の 措置 遷延す るが ゆえに 一 統 おして 鹿 堂に 出て これ を 歎願す。 この 一 事 を もつ 

て 此文を 潤飾せ るの み。 

と 反駁す る。 内容 は 空疎で も 歯切れの よい 言葉が、 応変 隊の 若者た ちに ひどく 気に入つ たので ある。 

大楽 自身 も 諒解 工作の ために 姫 島から 九州 本土 へ わたった。 

熊 本 藩の 飛地で ある 豊 後の 鶴 崎に は、 大 楽の 知り合いの 老 学者 毛 利 空 桑の ほかに、 大 楽が 文久 元年の ころ 京都 

で 行動 を俱 にした ことの ある 高 田 源兵衛 がいた。 高 田 は 佐 久間象 山 を 斬った 男と して 誰知らぬ 者の ない 河 上彦斎 

である。 河 上と いう 名に 血の 句い がつ いて まわる からであろう か、 明治に なつてから 藩 公の 命で 高 田 源 兵 衛と名 

を 変えて いた。 高 田 は 兵学者の 毛 利 空 桑と 協力して、 熊 本 藩の 兵学校 有終 館の 指導に あたった。 訓練 隊長で ある 

高 田の 下に は、 古庄 嘉門ゃ 木 村 弦 雄が おり、 彼ら は 二百の 海兵 百の 陸兵の 猛 訓練に あたって いた。 

大楽は 鶴 崎に おもむき 高 田 源 兵衛を 有終 館に おとずれた。 高 田 は 色白の 小男 だ つ たが その 窪んだ 眼 は 鉄粉 をく 

ベた ようにつ よい 光 を 放って いた。 高 田は大 楽に むかう と、 奇兵 隊を そそのかして、 勝 目の ないいく さ を どうし 

て やらせた のかと なじった。 それにた いして 大楽 は、 こんどの 反乱 は 暴 虎 憑 河の 行為で、 一敗 地に まみれる こと 



287 最後の 攘夷 党 



は 自分に はよ く 判って いた。 だから 時機 を まてと 説得した が、 血気の 若者 は 聞き入れず、 とうとう この 不覚 をと 

つてし まった、 と 神妙に 弁解した。 

大 楽が 奇 兵隊の 不平 兵士 を まったく 鎮撫し なかった わけではなかった。 彼 は 鎮撫 するとみ せて、 その実 は 無学 

な 農兵た ち を 煽動した ので ある。 一 見 判断し にくい 地点に 自分の 身 を 置く こと、 それに は 大楽は 人後に おちない 

自信が あった。 しかし それ も 高 田にたい して は 何の 効目 もない こと を 大楽は 感じないで はいられなかった。 大楽 

は 相手 を 不安に する 術 を 心得て いたが、 高 田と 対座す ると、 自分が 訳の わからない 重苦し さに おさえつけられる 

の を どうしょう もなか つ た。 

大楽は 圧迫感 を ふり 切りながら、 高 田の 蹶起 をうな がした。 高 田が 立てば、 風 を 望んで いる 九州 各藩に、 大き 

な 反応が まきおころう。 久留米 藩の 応変 隊と、 豊津 藩の 志 津野拙 三ら 同志 は、 鶴 崎の 兵 を 主力に おしたてて、 そ 

の 両翼と なり、 小 倉 をつ き、 下 関へ おしわたる。 大 楽は奇 兵隊の 残党 を 糾合して、 姫 島から 三 田 尻へ 上陸す る。 

こうして 山 口 を 挾 撃す る 態勢 をつ くりあげれば、 全国の 不満 分子 は 呼応して 参加しょう。 

このような 大 楽の 懸命の 煽動に たいして、 高 田の 返答 は、 いま 攘夷 党の 同志が どんなに はぎしりした ところで、 

勝 目の ない の 一事に 尽きて いた。 それ 以上 大楽 がいくら たたみかけても、 高 田 は 反つ 歯 をみ せて 笑う ばかりで、 

相手に ならな か つ た。 

高 田の 説明に よると、 彼 は 熊 本 藩の 実学 党 幹部から 蛇蝎の ようにお それられ ていた。 熊 本 藩に は 幕末から 三つ 

の 党派が あった。 政権 をに ぎって いたの は 佐幕派の 学校 党で あつたが、 明治に なると 没落した。 そこで 高 田 源 兵 

衛らの 勤王 党と、 横 井 小 楠の 流れ を ひく 実学 党が、 政権 をめ ぐって するどく 対立 抗争した。 実学 党 はまえ に は 高 

田 を 熊 本から 鶴 崎に 追い やった が、 鶴 崎に 高 田 をお くこと は、 火薬 撐 のかた わらで、 火 を もやして いるよう なお 

それ を 抱き はじめた。 そこで こんど は 鶴 崎から 高 田 を 熊 本の 城下に ひきもどそうと 躍起に なって いた。 その上で 



8 高 田に 復警 しょうと 隙 を 狙って いた。 高 田 は 明治 二 年 正月 五日、 横 井 小 楠 を 暗殺した 者た ちと 関係が あると にら 

2 まれて いたので ある。 横 井門 下で ある 実学 党の 太 田 黒 惟信 や 安場 保 和な どが 上京して は、 木戸 ゃ大久 保の 邸に 出 

入して、 高 田にたい する 報復 を 策謀して いると いう 情報 も、 鶴 崎に つたわつ てきた。 

高 田 は 事情 を さらにく わしく 説明した。 横 井 暗殺事件 は彈正 台が 暗殺 犯人 を かばう 態度 をみ せた ことで さらに 

もつれ をみ せた。 彈正台 は 刑 部 省に 申し入れて、 ャソ 信者で 国賊と いってよ い 横 井の 殺害 犯人 は、 死 一等 を 減ず 

べきで あると 主張した。 これにた いして、 刑 部 省 は 横 井 は 開国 論者 だが、 ャソ教 と は 関係ない。 たとい ャソ 教徒 

であった にしても、 国法 を 犯した 罪 を 減ずべき ではない と反駭 した。 そして 刑 部 省 は彈正 台に 小 楠 を 国賊と みと 

める 証拠 を 出せと 迫った。 弾 正 台 は 百日の 猶予 を もとめ、 弾 正台大 巡察の 古 賀十郎 を 熊 本に 派遣した。 古 賀は攘 

夷 家で、 加尾栄 太な ど 肥 後 勤王 党と かねてから 親しかった。 彼らと 話しあった のち、 古 賀はニ 年 十月 七日 阿蘇 神 

これはる てんどう かくめい ろん 

社に 参拝した。 時の 大宮司 阿蘇 惟治 は 勤王家であった。 古賀が 阿蘇 神社に 参拝した 折も折、 「天道 覚明 論」 と 題 

し、 小 楠の 署名の ある 文章が 境内に 落ちて いた。 

大宮司 はこれ を 古 賀十郎 に 手渡し、 古賀は それ を もって かえった。 弾 正 台 は 阿蘇 大宮司に 出頭 を 命じ 事情の 説 

明 を 求めた が、 大宮司 は 病と称し 出頭し なかった。 この 「天道 覚明 論」 が あきらかに 偽書で ある こと は 誰の 目に 

も 判った からで ある。 熊 本の 勤王 党の 立場 はすこぶ る 悪くな つ た。 

「いま 下手に 動いたら、 それ こそよ い 口実と なる だろう」 それが 高 田の 意見だった。 大 楽に は、 高 田が 日々 非と 

なつ て ゆく 形勢 を 眺めながら 諦観の なかに 佇立して いるよう に 見えた。 けっして 動こうと しないで 自滅 を 待つ て 

いる 高 田の 心境が 大 楽に は 理解で きな か つ た。 高 田 は 他人に むか つ てと 同様に 自分にたい しても 冷酷 無惨で あつ 

たので ある。 

高 田 を 煽動 蹶起させる ことが 無駄 だと 知る と、 大楽は 高 田にたい して、 このまま 捕えられて 斬首され る 位なら、 



289 最後の 攘夷 党 



死 を 決して 山 口へ 立ち かえり 再挙 を はかりたい。 ついては、 有終 館の 武器 弾薬 を 貸して もらえな いか、 と 訴えた- 

高 田 は 黙然と していた が、 しばらくして せっかくの お頼み だが、 有終 館に ある 兵器 や 弾薬 は、 藩 公から あずか 

つてい る官 品で、 勝手に 貸す という わけに は ゆかない。 しかし 武器 弾薬が、 官舎から 盗み出され たという ことに 

なれば、 仕方がない ではない か。 武器 弾薬 を 与える わけに は ゆかない が、 自分 はもち 出されても、 みて みぬふり 

をしたい、 …と 答えた。 

大 楽の 頰に 思わず 血の 色が のぼった。 大楽 はとり つくし まの ないように 見える 高 田の 胸の なかに、 同志の つよ 

い 友情が ながれて いる こと を 感じた。 

大 楽が 鶴 崎から 姬 島へ もどる と、 そのわず かな 間に、 山 口 藩の 同志から 姬 島に よせられる 情報 は 一変した。 奇 

兵隊の 脱走 者で 斬首の もの 七十 余 名、 投獄され たり 流罪に 処 せられた りした もの 百 二十 余 名に のぼった。 そのう 

え、 姫 島に は 山 口 藩の 密偵が 入り こみ、 大楽 たちの 動静 は 逐一 報告され た。 姫 島 を 領有す る 杵築藩 も、 強大な 山 

口 藩にたい して 気が ねして 大楽を 監視し はじめた。 失権 回復に 一切 を 賭ける 大 楽の 希望 は うちくだかれた。 山 口 

に 攻め入ろう とするな ど は、 思い も よらなかった。 大楽は 彼の あと を 追ってき ていた 数十 名の 脱 隊兵ゃ 門下生と 

ともに、 姬島を 捨てて、 九州 本土へ と 逃走 を 開始した。 

大楽 はふた たび 鶴 崎 をお とずれ て、 面目ない がかく まって ほしいと、 毛 利 空 桑と 高 田 源兵衛 にた のんだ。 毛 利 

空 桑 は 四 人の子 ども 登、 精、 莫、 熊に 命じて、 自分の 塾 中に 大 楽と 彼の 同志 を かくまった。 高 田 は 部下の 古庄 嘉 

門 や 木 村 弦 雄と 力 を あわせて、 衣類 や 食糧 をお くった。 また 大 楽の あと を 追って やってくる 脱走兵た ち は 寺の 庫 

裡ゃ 旧家の 納戸 や 商家の 土蔵な どに 分散 潜伏 させた。 



291 最後の 懷夷党 



岡 藩に とどまる つもりで、 竹 田に つくと すぐ 赤 座の 宅 をたず ねた。 明治 三年 六月 朔、 明け きらぬ 梅雨空が 岡 城の 

上を蔽 い、 はげしい 雷が 鳴って いる 日だった。 赤 座 はこん ども 大楽を こころよく もてなした。 盃を とりかわす 主 

客の 顔に 稲妻が とき 折 閃めいた。 大 楽と 赤 座 は 漢詩 を 唱和した。 大楽は 即興の 詩 を 赤 座に 示した。 

暮雨 山城 黯 くして 開かず 

陰 雲 堆裡風 雷 あり 

書生 あたか も 梁 間 の 燕 に 似たり 

厭うな かれ 頻々 と 去り またき たる - 

相手の 好意に すがろう とする 逃亡者の 自嘲と 不安が そこ に こめられ てい た。 

赤 座 は 大楽を 玉 来 町の 矢 野 勘 三 郎ゃ田 中 村の 角 石 虎太郎な ど 同志の 家に あずけた。 大楽は 岡 藩に きて、 姫 島 や 

鶴 崎に いたと きとち が つ た 孤立 感を あじわ つ た。 山国の 夏 はわび しいだ けで するどい 反応が まわりに なか つ た。 

そこに は、 いつわりの 平穏が あった。 一時的な しずけさと、 それが いつ 搔き 乱される か 分からない 奇妙な 頼りな 

さが 感じられた。 はたして 大 楽の 門下生が 彼の まえに とつぜん 姿 をみ せ 大楽を おどろかす ことがあった。 大 楽の 

脱走 をた すけた 郷里の 門下生た ち は、 禍が 自分の 身に およぶ こと をお それ、 馬丁と なったり 乞食に 身 を やつした 

りして 密偵の 目 をく らましながら、 姬 島から 鶴 崎へ、 鶴 崎から 竹 田へ と大 楽の あと を 追って やって きたの だった „ 

路銀 をつ かいはた した 彼らの 道中 は、 店頭の 餅 をぬ すみぐ いしたり 百姓 屋の 牛小屋に 寝たり して 闲難 をき わめ 

た。 彼らの うちある 者 は 途中から 引き返し、 ある 者 は 自殺しょう とした。 そして どこで 大 楽の 居所 を 嗅ぎつ けた 

かそのう ち 二人、 三人が、 ある 日 予告 もな く、 彼の まえに 現われた。 彼 を 頼りに してやつ てきた 門下生た ち を、 



2 大楽は 思わず 邪慳に とりあつかった。 門下生の 足 どり から、 彼の 隠れ家の 分る おそれが、 門人の 顔 をみ る よろこ 

2 びに 先立った。 

それでも 門下生の 口から きく 話 は、 大楽を おどろかす ところが 少なくなかった。 防 州吉敷 郡の 代官と 軍 監が大 

道 村に 出張して きて、 脱走 人の 家族 を 詰問した 上、 大楽ゃ 山 県の 妻た ちに、 自分の 夫 を さがす ように 命じた とい 

う。 そこで 大 楽と 山 県の 妻 は 仕方なく、 脱走した 門下生の 妻 数人と 九州へ わたった。 門下生の ひとり は、 鶴 崎で 

旅 姿の 彼女ら と 会った という。 門下生 は 見る 影 もな くや つれ はてた 大 楽の 妻から、 もし 大 楽に 会う ことがあった 

ら 渡して くれと 頓 まれて、 大 楽の 父 山 県 信 七郎の 手紙 を あずかつ てきた という。 門下生の 差 出した 手紙 は、 大道 

村旦で 出船が 迫 つ ている ときい そいで 書いた もので、 「何事 も その 方の 仕事との 御 事の 由、 さてさて 相 済まざる 

ことと 心痛つ かまつ りおり 候」 と 世間から 冷たい 目 を 向けられ ている こと を 悲しみ、 文の 末尾に 「親鳥の ゆくえ 

も 知らで い たづら に 破れ かかりし 巣に あそぶな り」 の 一 首が 添えて あった。 

大 楽の 父 信七郎 は、 故郷に 残された 家族の 悲惨 さ を 筆の はしに 訴えて いる。 大楽には^,ぃとゎ|^?とぃぅ五歳に 

なる 双生児の 娘が あった。 大楽は 鏡の 砕ける ような 双生児た ちの 笑い声 を 一 瞬 思い出した。 

門下生の ひとりが 鶴 崎で 大 楽の 妻に 会った とき、 鶴 崎 は 廃墟 さながらの わびしい 夏の 光 を 浴びて いた。 六月す 

えに は 有終 館 はとり つぶされ、 七月に は 藩 命に よって、 高 田 源 兵衛、 古庄 嘉門、 木 村 弦 雄 は 熊 本に 召還され てい 

た。 毛 利 空 桑と その子 供た ち は、 閉門 を 仰せつ けられた。 有終 館 や 知 来 館に 分宿して 訓練 を 受けて いた 兵士た ち 

は、 すべて 解散して 去った。 理由の 一切 は、 奇 兵隊の 脱走 人た ち を 隠匿した からと いうので あった。 

同様の ことが 姫 島に も 起こって いた。 古庄 虎二 は杵築 藩から 捕縛され る 寸前、 身 一 つで 大阪 にの がれ、 家人の 

ひそかに 話す ところでは 和紙 問屋の 使用人と なって 潜伏して いると いう ことであった。 姫 島に 話が ふれて、 大楽 

のか わいた 瞳 はかす かにう るんだ。 



293 最後の 攘夷 党 



あま ざ かる ひなの あり そ の あまお とめ ときよ もしら に たまも かりつつ 

「天 疎 流 鄙 乃 荒磯 能 安麻 於 登 女 時世 茂 志羅弥 玉藻 刈 乍」 

と 大楽は 姫 島で 万 葉 調の 歌 をつ くった。 大楽は 国事 奔走の かたわら、 まずしい 蛋 乙女に も 目 をと めて いたので あ 

る。 大 楽が 冷泉 為恭を 刺殺した の は その 妻綠 衣に 懸想して 拒絶され たからで はない かと 取沙汰され たように、 大 

楽の 色好み は 同志の なかで も 知れ わたって いた。 大 楽の 妻 は、 彼が 慶応 元年 奇 兵隊の 挙兵に 呼応して、 宮 市で 忠 

賁隊を 組織した とき、 しげしげと 通つ た 宮市前 小路の 湯屋の 女で あつ た。 

大 楽の 目に とまった 女が、 古庄の 世話で、 彼の 身辺に かしずい たの は、 わずか 一月の あいだの あわただしい 日 

日で あつ,, こ、: A、 女 は 身 ごもった。 古庄 は 大阪に 逃亡す る まえ、 家人に その 女と、 やがて 生まれ 出る 子の こと をく 

れ ぐれ も 頼む と 云い 残した という。 

大楽 は、 姬 島の 女に しろ、 郷里の 妻た ちに しろ、 門下生に しろ、 いったん 破壊し 去った と 思った 過去が、 いつ 

まで も 自分 を 追ってく るのに、 苛立ち を 感じた。 大 楽の 逃げて ゆく ところ、 ことごとくが あと をつ けられ、 過去 

に まきこまれた。 大楽は 本能 的な 恐怖に 駆られた。 その 恐怖 は 大道 村で 刺客 をお それて 居所 を 移した とき 以来の 

ことであった。 あのと き は、 しかし 反撃に 転化す る 時間の 予測が あった。 こんどの ばあい は 彼の 足場が つぎつぎ 

につぶ されて、 しかも 反転の 手がかりが つかめな いという 底の 知れない 不安が あった。 

大楽は 赤 座 弥太郎 に 手紙 を 出し、 どこかち がう 場所に かくして ほしいと 懇願した。 赤 座 は 承諾し、 大楽 をみ ず 

から 案内して、 山 や 峠 をい くつ も 越え、 水の 涸れた 川原で 休み、 炭 焼の 小屋に 幾晚も 寝て、 ゆきどまりの 村に つ 

いた。 ゆくてに は 山の 壁が 立ち ふさがり、 その 壁の 真下の あばら 寺に 大楽は あずけられた。 住職 は 七十 を 越した 

老人で ひど ハ聾 であつ た。 大楽 として は 国な まりが 気 どられ ないです むつごう のよ さが あつ た。 



294 



猪 垣で とりかこまれた 山村に はやい 秋が おとずれた。 九月 十七 日に 大 楽の 平和 はとつ ぜん やぶられた。 

久留米 藩の 古松 簡ー 一が 赤 座 弥太郎 に 道順 を 聞いて きたと い つ て、 弟子の 山 木 卯 蔵 を つれて 大楽 のまえ にあら わ 

れ たの だ。 古松と 大 楽と は 文久元 治の まえからの 旧い 知り あいだった。 いま 大楽は 三十 七 歳、 古松 は 一 つ 年下の 

三十 六 歳であった。 

古松と 山 木 は、 草鞋の 紐 をと き大 楽が 運んで くれた 筧の 水で 足 を 濯いだ。 その 間 大楽は 古松た ちが 何のた めに 

やって きたの か、 といら いらした 手 を 膝の 上で もてあましたり、 おびえた 目 付で 庭 をみ たりした。 古松が 山国の 

きつい 光に 顔をしかめながら 笑う と、 大楽は 童顔が 消え残つ ている 古松の 顔に、 かっての 友情の しるし を 探そう 

としていた。 

おた がいに 久潤を 叙し、 ひとしきり 雑談に 時が 移った。 頃合い をみ て、 古松が 脱走 者の 命乞い をす るに は、 大 

楽に 自首して もらう ほかない —— と 切り出す と、 大 楽の 顔色が さっと 変った。 自首と いうから に は、 同志から 売 

られ るので はない かとい う 怒りの まじった 疑いが、 大 楽の 全身 を わななかせた。 古松 は大 楽の 昂奮 をお さえよう 

とつと めながら、 一語一語 区切る ように、 説明し はじめた。 古松の 話 はこうであった。 

古松 は久留 米の 南 四 里に あたる 下 妻 郡 溝 口村の 出身だった ので、 はじめは その 村の 庄屋 横枕覚 助に たのんで、 

脱走 人た ち を かくして おいた。 横 枕 は 古松の 弟子の なかで も、 とりわけ 肚の すわった 横着 者だった し、 田畑 も か 

なり もってい たから、 古松 は それ を 見込んだ の だ。 横 枕 は 引受けた。 しかし 脱走 人 はつぎから つぎへ と あと をた 

たず、 横 枕の 家 は 一杯に なって しまった。 庄屋の 家 だから 人目 にもつき やすい。 脱走 人た ち は 山 口 藩の 奪回な ど 

と うそぶいて 強がって いるが、 結局 はてい のよ い 居候で ある。 うす 汚ない 浮浪 人 風情の ものが、 家の なかで ごろ 

ごろして いて は、 まず 妻 や 娘が 嫌悪す る。 さすがの 横 枕 も 不平 を 洩らした。 古松 は 横 枕の 苦情 を 聞いて、 あふれ 

た 脱走 人た ち を 上 妻 郡 平 村の 庄屋 彦 助に あずか つ て もらったり、 柳 河 藩の 同志 広田彦 麿のと ころに かくした りし 



293 最後の 攘夷 党 



た。 しかし 単なる 同情 だけで は 解決に ならない。 I 狡 兎 死して 走狗 烹ら る」 とか 「窮鳥 ふところに 入る」 とか 景 

気の いいこと を 云って いても、 何十 人と やってくる 脱走 人 を 引受ける の は 大変で ある。 たえまの ない 緊張と 配慮、 

おびただしい 経費が 要る。 かくれ 家 を 世話し、 食物 を 与え、 小 遣の 心配 さえし なければ ならない。 

はじめ、 古松の 指導す る 応変 隊は、 時め く 山 口 藩 を 相手に まわして、 一歩 も 退かない 気が まえ をみ せた。 あわ 

よくば 奇 兵隊の 残党 を 擁して、 山 口 藩の 恢復に 打って出よう という 野心 さえ 隠さなかった。 四月す えに 山 口 藩 庁 

は、 奇 兵隊 残党の 追 捕 令 を 出し、 脱 隊兵を 見つけ 次第 捕縛す るか 山 口 藩に 連絡して ほしいと いう 要請 状 を 九州 各 

藩に まわした。 しかし それ は奇 兵隊の 残党に たいする 応変 隊の 保護者 気どり を 促進させる のに 役立 つ ただけ であ 

つた。 藩 庁 は、 応変 隊の いささか 常軌を逸した 援助ぶ り を、 みて みぬふり をして いた。 

それにした ところで、 脱隊 兵が どんどん 藩 をた よってく ると、 政府 や 山 口 藩の 手前 捨てて おけなくなる。 久留 

米 藩に 入り こんだ 密偵の 報告に もとづいて、 やがて きびしい 警告と 抗議が なされる こと は、 覚悟し なければ なら 

なかった。 久 §m 米 藩 全体が のつ びきなら なくなる かも 知れない というお それが、 藩 当局の 背骨 を 走った。 

古松 も、 久留米 藩 をと おからず 襲う 政府の 指弾、 山 口 藩の 乱 明 を 考える と、 このままで すませる と は 思えな か 

つた。 

そうした ところへ、 八月のと ある 日、 松 代 藩の 金山 次郎 という 男が 古松 を 訪ねて きた。 何の 用 かと 古松が 会つ 

てみ ると、 金山 は、 自分 はまえ まえから、 奇 兵隊の 残党 を 見付け 次第 山 口 藩が 斬首 を 宣告して いるの を、 気の毒 

にお もい、 なんとか すくう 方法 はない かと 考えて いた。 たまたま 弾 正 台の 大忠渡 辺 昇が、 福 岡 藩の 紙幣 偽造 事件 

をと りしら べに やって きていた ので、 渡 辺 大忠と 会って、 助命の 話 をして みると、 渡 辺 は、 脱走兵の なかの 巨魁 

が 名乗り出て、 脱走兵の 命乞い をす るよう にしたら、 どんな もの か。 そう なれば 自分 も 力 を 貸したい という。 

金山 は 渡 辺の 話 を久留 米に もってき て、 古松に 周旋して ほしいと はかった。 古松 は脱隊 兵た ちの 自滅 をなん と 



^ 力して 防ぎた しと 考えて いた 矢先な ので 金山の 話に 動かされた。 そこで 自分が 長 崎まで 出張して きている 度辺大 

忠に 会って、 金山の 話のと おり かどう か をた しかめて みると、 それに まちがいない ことが 分った。 古松 は 思い立 

つ て 岡 藩に ひそんで いると 聞いて いる 大 楽に 会う 決心 をした。 

古松の 説明 を 聞いて いる 大 楽の 顔が 急に けわしく なった。 眼 はにくし みの 光 を はまから ず 押し出した。 大 楽よ 

古松に つけ 入らせな いように 身が まえしながら、 するどく 反驳 した。 11 この 段に なって 悔悟 謝罪な ど はもつ C 

の ほか だ。 いずれ 山 口 藩の 実権 をう ばい 返し、 宿怨 を晴 したいば かりに、 このような 屈辱 を たえしのんで いる。 

いまおめ おめと 巧言に つられて 出頭したら、 策略に かかつ て 殺される のが 落ち だ。 

山 口 藩の やり方 を 信用で きる とおもう のか。 この 五月だった かに は、 日 田 県に 脱走兵 四 人が 自首した。 自首す 

る もの は 斬らない という 約束だった から、 それ を 山 口 藩に たしかめた 上で、 日 田 県から 引き渡した ところ、 藩の 

ほうで はの こらず 斬首して しまった。 山 口 藩 庁 や 政府の やり方 は、 みんな こうだ。 そのと きの 保障 を、 前もって 

だォ かして くれる のか。 たとい、 渡 辺 大忠が 引受けた といっても、 いや 彈 正大 忠で あれば なおさら のこと、 かえ 

つて 法 を 枉げる わけに も ゆくまい。 かりに 彈 正大 忠が 保障す るに しても、 彈正 台と 対立す る 刑 部 省の ほうが だま 

つてみ てはいまい。 いま 大村 襲撃の 一件 以来 自分 を 疑い、 なんとかして 仕返して やろうと いう 木戸が そのままで 

いる わけはない。 万事に しっこい 木戸の こと だ。 途中で 和解したり 放り出した りする こと はとても 考えられな、。 

どうせ 殺される ものなら い つ そ 死に花 を 咲かせて みたい …… 。 

彼の 云い 分 は 筋が とおって いた。 古松 は 手 を こまねいて いるより ほか 仕方がなかった。 大 楽の 智摘 どおり、 古 

松の 助命 論 こそ、 実現 を 期待で きない 感傷 論 かも 知れなかった。 古松 は大 楽に やりこめられて 憮然と した。 しか 

し 助命 運動 以外に 脱走 者の 自滅 を ふせぐ 道が あると もみえない、 とそれ をく りかえ し、 また やってく るから、 大 

楽に 居所 を 変えな いで ほしい —— と 念 を 押して 引き あげた …… 。 



297 最後の 攘夷 党 



大楽は 古松た ちが 帰る とすぐ 四面 山で かこまれた 岡 藩で 孤立す るより は、 久留米 藩に ゆき 古松に 一 泡 ふかせる 

決心 をした。 大 楽の 寂寥に は 古松への 憎悪が 重なり合った。 かっての 同志に たいする 友情 は 一変した。 古松が 云 

つ ていた 松 代 藩の 金山 次郎と 聞く からに 藩籍も 姓名 も いかがわしい 男が ある 日 とつぜん 大楽 のまえ にあら われて、 

自分 はじつ は 弾 正 台の かくし 目 付 だ つ たと 誇らしげ に 名乗る にちがいない。 その 日 こそ 大 楽の 滅亡の 日で あり、 

そのと きになって、 はかられ たと 云っても、 追われる 大 楽の 方に、 正義 も 理由 も ある わけで はない。 後悔す る 暇 

もな く、 辞世の 歌 をお しつけられる のが 落ち だ。 大楽 は、 古松の 本拠の 久留米 藩に のりこんで、 彼の 助命 論 を 打 

枠こうと いう 衝動に かき 立てられた。 大楽は 自分の 命と 引き換えに、 脱走 人 を 助けよう とする 古松 を ゆるす こと 

がで きなかった。 彼の 誇が 傷つ けられた。 いったい 自分 を 誰 だと 考えて いるの か。 それ を これから 思い知らせて 

やる。 大 楽の 胸に は 復警の 鬼火が もえあがった。 大楽 は、 けものの ように、 怒り を頰 ぶく ろに ためて、 久留米 藩 

にむ か つ た。 

だが 応変 隊の 若者た ち は、 大 楽の 沸々 と 煮えた ぎって いる 心境 を 知らなかった。 彼ら は大楽 を、 亡命 先の 英雄 

がかえ つ てきた ように 歓迎した。 

—— 奇 兵隊の 指導者が あらわれた! 

過激派の 若者た ちはいつ せいに 色めき立った。 ある 若者の 母 は、 新しい 着物 を 徹夜で ぬいあげて 大 楽に 送った。 

大楽は 虱の ついた ぶつ さき 羽織に 義経袴 を ぬぎすてて、 さっそく 新調の 衣服に 着が えた。 久留米 藩の 若者た ちに 

かしずかれて、 大 楽の 顔に 半年ぶ りに 生気が のぼった。 屈辱の 日々 から 彼 は 解放され たの だ。 

大楽は 応変 隊の 過激派の 一人で ある 寺 崎 三 矢吉の 家に かくまわれた。 大楽は 奥の 部屋に とじこもった まま、 一 



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歩 も 外に 出る こと はしなかった が、 彼の 部屋に は大 楽の 話 を 聞きに、 若い 同志た ちが 日夜つ めかけた。 

彼ら を感- 憤させる に は、 漢訳の 万国 公法 も 仏国 革命 史も 要らなかった。 大 楽が 郷里の 大道 村 上り 熊の 家塾で く 

りかえ していた 弘道館 記述 義、 新 論、 靖献 遺言、 それで 充分であった。 大 楽の なすべき ことと いって は、 あと は- 

若者た ちに 憎しみ を 教える だけ だ つ た。 

それに は、 大楽は 自信が あった。 若者 を 狂言 的な ふるまいに 駆り立て るに は、 味方の なかに 敵 を 発見 すれば よ 

いのだった。 つまり そうする ことで、 信念 は 自分 以外の 一切 を 聞くまい とする 不寛容 さ を もつ にいた る。 自分と 

一致し ない もの をけ つして 許すまい とする 排他的な 行動に 転化す る。 行動が まずつつ 走る。 日蝕が おわった とき 

のように、 とつぜん 黒い 布 を 目から とりはず してやる。 とたんに 刺客が できあがる。 大楽は 自分の 考え どおりに 

行動す る 刺客 を 仕立てる のに、 ものの 一月 を かけた こと はない、 とつねに 豪語して いた。 

彼 は久留 米に やって きた その 日から、 慎重に 用心ぶ かく、 憎しみ を 応変 隊の 若者た ちの 胸に 植えつ けた。 大楽 

は あけつ ぴ ろげ な 態度で、 若者た ち を 油断 させながら、 毒の 量 を 少しずつ ふやした。 同志の 古松 簡ニ をに くむ こ 

と を 教えた。 応変 隊の 若者た ちが、 彼の 言葉の 虞と なって、 しだいに 夢中に なって いくの を、 大楽は 冷静に 計算 

した。 行動 を 欲しがつ ている 若者た ちに、 同志 愛な ど を 説いた ところで はじまらない。 憎しみ こそが 若者た ちの 

行動の 原動力な の だ、 という こと を 大楽は 心得て いた。 彼らの 日頃 口走る 攘夷 も 勤王 も 所詮 彼らの 過激な 行動 を 

保障す る 理由 づけに すぎない こと を、 大楽は みてとつ ていた。 こうした 若者た ちの 心理 こそ、 大 楽の 好餌だった „ 

大楽は 身 一 つ 扱い あぐねて いる 若者た ちから 匕首 をつ くり 上げようと している こと を 寸時 も 忘れなかった。 憎し 

みこ そが、 憎しみの みが、 敵の 胸 を 切り裂く 鋭利な 刃になる の だ。 大楽は 匕首 を そだてる ために、 血気に はやる 

若者た ち を 激越な 言辞で うちまかした。 若者た ち を 議論で 屈服 させ、 やがて 自分の 思いのままに 動かす ことに、 

彼 は 習熟して いたので ある。 



299 最後の 攘夷 党 



大栾の 憎悪の 情念 をと めど もな くさせた の は、 古松が 大楽は 事 を俱に はかる ような 人物で はない。 久留米 藩 は 

大 楽に まきこまれない ようにすべき だ、 と 側近に 洩 した ことが 耳に 入った からで ある。 彼 は 自分が 大した 人物で 

ない といわれ ている ことに 烈しい 侮辱 を 感じた。 そして 久留米 藩の 同志に 見捨てられな いため、 古松に たいする 

先制攻撃 を はじめた。 

大楽 は、 応変 隊の 過激派に むかって、 古松の 脱 人 助命 論 は、 思いやりの こもった 人道 論の ようにみ える が、 じ 

つ は 味方の 分裂 を みちびく 邪 論で あり、 できそこないの 空想で あると、 つよく きめつけた。 もし 古松の いうと お 

り 現実と 妥協す るなら ば、 結果 は 政府の 思う壺に みずから はまる ものである。 それならば、 勤王 も 攘夷 も 不要と 

なる ではない か、 と 攻撃した。 古松 は 同志 を 敵に 売ろうと する 張本人で あり、 勤王 派に とって、 もっとも 有害 悪 

質な 人物で あると、 罵倒した。 

応変 隊の 指導者で ある 古松が、 大 楽の 槍玉に あがる の をみ ると、 若者た ちの 眼に 古松の 助命 論 は、 急に 色 あせ 

て、 あやふやで 頼りなげ な ものに みえて きた。 古松 は 動揺し、 情勢 論に 屈服した、 と 彼ら は 考えた。 それ をみ て 

とる と、 大楽は 追いう ち を かけた。 

古松 簡ー 一は 元 治 元年 藤 田 小 四 郎の筑 波の 義挙に くわわ つ たとい つ ている が、 やくざな 関東 長 脇差た ちの 頭領で 

あつたに すぎず、 古松 は 国定 忠次を 説得して 米、 兵糧 を 提供 させた と 威張って いるが、 そのと き忠次 はも はや 死 

んで いるので、 でたらめな 手柄 話 以外の 何物で もない。 古松 は 博徒 を 煽動して いくさに 参加 させよう とし、 犬し 

たいく さもしな いうちに、 藤 田 小 四郎と 意見が 衝突して 戦線 を 離脱した といって いるが、 彼が 率いた 久^ 米 藩の 

池尻嶽 五郎 や 水田 謙 次 は 残って たたかい、 二人とも 戦死して いると ころから みれば、 その 話 もす こぶる あやしい。 

古松 は 勝ち目の ないいく さ を 見越し 同志 を 捨てて ずら か つたに ちがいな いの だ。 とくに 池尻嶽 五郎 は 彼の いとこ 

だとい うで はない か。 血 を わけたい とこ を 置き去りに すると は 何事 か。 古松 は 江戸へ 逃げて 新 宿、 品 川、 吉 原と 



300 



遊廓に とまって 逃げ あるいた が、 その後 彼 は 尻 噴 観音 然として 京都の 市中に すがた を あらわし ている。 さらに 長 

州へ 下った とき、 馬 関で は 米 を 積んだ 北 前 船 をお そって、 海賊 同様の くらし をして いて、 船頭た ちから 訴えられ 

た 藩の 役人が 詮議して いる 途中、 船で 広 島 藩へ 逃げ、 御手洗で 畑 泥棒 をして いるの を 見つけられ、 穢多から ふん 

縛られ、 牢屋に 一年 あまり も ぶちこまれた …… 。 

大楽は 古松が いかに 筋のと おらない やくざな 生き方 をして き たかを 指摘し、 彼 を 戯画の 対象と して 嘲笑 をお し 

みなく あびせた。 

大楽 はこうして 若者た ちの 間に きずきあげられ ていた 古松の 権威 を はぎとる こと を 狙った。 最後に 大楽 は、 古 

松が 長 州で 大 楽から 多額の 金 を 借りた まま、 今もって 返そうと もしない ばかり か、 言訳 もしない と 非難し、 古松 

は 政府の 廻し 者で ある 金山 次郎と 共謀して いる。 おそらく 金山から 金 を もらつ ている にちがいないと 云い 放った" 

大 楽の まわりに あつまる 応変 隊の 過激派に は、 古松の 門下生が 多かった から、 大 楽が 古松 を 嘲弄して いる 話 は、 

古松の 耳に いやおうなしに 入った。 古松 は 尾羽 打ち 枯らした 逃亡者 を 相手に する の は、 大人気な いと 思って いた „ 

けれども、 過激派の 若者た ちが ことごとく 大 楽の 弁舌のと りこと なって、 古松への 中傷 を 本気で 信じて いく 様子 

なので、 古松 も だまって いる わけに は ゆか なくなった。 古松 は 自分の 手塩に かけた 応変 隊の 過激派が 事 もあろう 

に大 楽に すつ かり 影響され てし ま つ ている の を ゆゆしい 事態に な つ たと 思った。 大 楽の 毒が 古松の 人格 を 腐蝕す 

るのに するどい 効果 を 発揮して いるの を 知る と 彼は大 楽に つよい 反撥 をみ せた。 

11 大 楽の 行動に 不審な 点 はいくら も ある。 文久 三年 二月、 攘夷の 同志た ちが 足 利 尊 氏の 木像 を さらし 首にし 

た 事件に、 大楽も くわわって いると 云って いるが、 どうも まゆつ ばの ようで ある。 また あくる 年の 元 治 甲子の 変 

で 大楽は 真 木 和 泉 守らと 山 崎の 陣中に いた こと はたし か だが、 その 数日後お こった 激戦のと き、 大楽は 鷹 司 邸に 

も辦 御門に もまして 天王山に いたか どうかうた がわし いの だ。 …… 



30I 最後の 攘夷 党 



古松 は 長 州に 落ちた とき、 真 木 和 泉 守 を はじめ、 原 道 太、 半田 門吉、 加 藤 常吉、 松 浦 八郎、 池 尻 茂四郎 など 元 

治 甲子 七月の 変で 死んだ 久留米 藩の 同志の 最後が 知りたい ので、 大楽 になん ども 聞いて みるが、 どこか はっきり 

しない ままに 言葉 を 濁して いると ころが ある。 

大 楽は禁 門の 変の のち 一 一十 日 あまり 京都に 潜伏して いて、 八月 十三 日に 山 崎 をす ぎて 帰国の 途 について いる。 

途中 天王山の 下 をと おり 十三夜の 月光 を あびながら 酒盃を 捧げて、 真 木 和 泉 守 以下 自 裁した 十七 名の 同志 を 傲ん 

でい る。 

良夜 無心 一 杯 をと る 

諸 公 は 屠 腹して 余哀 あり 

凄凉 たり 看つ くす 屋 梁の 月 

遙 かに 照らす 天王山 上より きたる を 

大 楽の 「八月 十三 日」 と 題す る その 詩に は、 どこか 傍観者 流の よそよそし さが ある。 砲火 をく ぐって やぶれた 

者の 情念がない。 それな のに 体裁 だけ をつ くろって いる。 そこが おかしい の だ。 大楽 はもし かする と、 堺 御門 や 

鷹 司 邸の 激闘に くわわらず、 どこか 安全な 場所に ひそんで いたので はない か。 それに 思いお よんだ の は、 木戸 孝 

允が 堺 御門の 死闘に くわわらなかった という 噂が ながれて いるから だ。 木戸 は、 彼が 因幡から 京都へ かえってみ 

ると、 激戦が おこなわれ ている。 銃声の きこえる ほうに かけつけよう としたが 途中で 阻止され てとうと う 参加で 

きなかった、 というの だ。 木戸 はそう 弁解して いるが、 当然 予期され た 死闘に おじけ づ いたので はない かと、 木 

戸に 好意 を よせてい ない もの はしき りに 噂し あってい る。 おそらく、 大楽も 木戸と おなじように 戦闘の どさくさ 



302 



に まぎれて、 どこかに 身 を 隠して いたので はない か。 - 

六月 五 口の 京都 池 田 屋の変 を、 早 駕籠で 長 州 藩 地に 知らせた の は大楽 だ。 それが、 長 州 藩が 上京して 問罪の 師 

を 起こす 直接の きっかけ になった の だ。 それでいて 激突の 場面に はくわ わろうと しない。 大 楽のう ごき は、 大村 

暗殺のば あいでも わかる とおり、 人 をお だてて おいて、 死まで 追いつめながら、 自分 はする りと 脱け る。 魚が 自 

分の 影 を つれて 水中 を 泳ぎ 鋅先を ごまかす ように、 大楽 は、 ときには どちらが 本体 か 判らな くさせる 術 を 心得て 

いる 11 。 

古松 は、 応変 隊の 過激派が 進路 を あやまる こと を 危惧して、 大 楽の 過去 を あばいて みせた。 

しかし 過激な 大 楽の ほうに 心が 傾いて いた 応変 隊の 若者た ち は、 古松が 大楽を 攻撃す ると は、 指導者に ある ま 

じい やり 口 だと、 いきり 立った。 

大楽を 自分の 家に かくま つ て大 楽に 心酔して いる 寺 崎 三矢吉 など は、 古松と 道で 出会つ て も 口 を 利かない よう 

になった。 古松の 第一 の 弟子と 自他と もに 任じて いた 寺 崎と して は、 おどろくべき 変化だった。 古松 は 寺 崎の 誤 

解 をと くた めに、 彼の 家に わざわざ 出かけた が 門前払い を くら つ て 仕方なく 引き かえした。 

古松から 脱走 人の 世話 をた のまれて いた 横 枕覚助 も、 いまと な つ て奇 兵隊の 同志 を 裏切る こと はで きないと、 

古松に 反抗した。 

それば かりで はない。 寺 崎 三 矢 吉ゃ横 枕 覚助を はじめ 応変 隊の 過激派 は、 昨日まで 師と 仕えて いた 古松 簡ニを 

片付けねば、 真の 勤王 をな しとげる こと はで きないと 口走る ようになった。 古松が 助命 運動の いきさつ を 渡辺大 

忠に 報告す るた めに 長 崎に ゆく こと を 知 つ た 過激派 は、 久留米 瀬の 下から 筑 後川 を 下 つ て 若 津で船 をのり かえ、 

有 明 海 を 横断して 長 崎に ゆく 古松 を、 旅の 途中で 待ち伏せして 殺して しまおうと 物騒な 計画 をた てた。 しかし 要 

撃の 計画 は、 応変 隊 のもう 一人の 指導者 小 河 真 文に よって、 間一髪のところで 差し とめられた。 小 河 は 明治 元年 



303 最後の 懷夷党 



正月、 佐幕派の 不破美 作 襲撃 を 指揮して から、 過激派の 若者の 信望 を あつめて いた。 

古松 は 長 崎に おもむい たが 渡 辺と 会えず、 渡 辺の あと を 追つ かけて 東京へ いった。 そのころ は 古松 を そそのか 

した 金山 次郎 など は 影 も 形 もみえ なか つ た。 金山 はや つ ばり 弾 正 台の 隠し 目 付 だ つ たという 噂で もち 切り だ つ た。 

古松が 藩 外に 去る と 大楽は 久留米 藩の 軍務 局 総裁で あり、 やがて 藩の 少 参事と な つ た 木 村 三郎の 攻撃に とり か 

かった。 木 村 は、 中央政府の 意向 を 汲んで、 久留米 藩の 軍制 改革に 手 をつ けようと していた。 それ は 政府の 企図 

する 徴兵制への 前触れと なる 措置で あり、 当然 応変 隊の 解散 を 前提と した ものであった から、 木 村 は 応変 隊の憤 

激を 買った。 

一 年 まえ 奇 兵隊が 解散 させられて 山 口 藩の 常備 隊へ 編入され ようとして 惹起され た 事態が、 久留米 藩の 応変 隊 

にも ふりかかって きたので ある。 大楽は 奇兵 隊員 を 煽動した 経験が あるから、 応変 隊の 若者た ちに 解隊 にと もな 

う 不利 を 説く の はわけ はなかった。 一人前の 応変 隊員 は 米 六合と 銭 百匁 を 給料 としてもら つていた。 あばれる ほ 

かに 取 柄の ない 若者た ちが 金 を 貰える の は 応変 隊 しかな か つ た。 

木 村 は 真 木 和 泉 守と ともに 久留米 勤王 党の 草分けで あり、 嘉永五 年から 慶応 三年までの 十五 年間 投獄され てい 

て、 その 間 半年 足らず 出獄した だけであった。 この 老 勤王 党員 は 応変 隊の 若者た ちにたい して 「むかし はいたる 

ところに 敵が いた。 そして 斬れば 突こう、 打てば 当ろうと たえず かまえて いた。 おぬし たちのよ うに 敵の いない 

ところでい ばったと ころで 何になる」 とたし なめた。 木 村 はつね 日頃 「よく 戯謔 すれ ど虐 をな さず」 と 評された 

温厚な 人物で あつ たが、 旧 勤王 党の 苦難 を 知ろうと もしない 応変 隊の 若者た ちの ふるまいが さすがに 目にあ ま つ 

たので ある。 しかし 応変 隊の ほうで は、 木 村が 明治に なって 新 政府の 方針に 協力す るの は、 安穏な 生活が 欲しい 

からだと つよく 非難した。 それ どころ か大 楽の 爆 動に のせられて、 木 村 は奸物 だから 斬らねば ならぬ と 主張す る 

ものが でて きた。 そうして 応変 隊の 風潮に のって 飯 田 大三郎 という 血気な 若者 は、 同志 数人と ともに、 木 村 を 殺 



そうと 画策した。 これが 橋 爪 正 太、 田 中 誠 二な ど 応変 隊の 幹部に 聞え ると、 彼ら は 軍律の きびしさ を 誇示す るた 

めに、 飯 田 を 捕えて 斬首した。 そうする ことで、 じつは 木 村 を 牽制し、 威嚇した ので ある。 これ は 手下 を 成敗し 

て 敵 を 畏怖させる やくざの 手口 そのまま である。 飯 田 は 処刑の 直前、 辞世の 詩 を 書 残したい と 中し 出た。 隊員の 

一人が 両手 をし ばられ たま まの 飯 田の 口に 筆 をつ きさした。 飯 田 は 口 を 動かして 七 言 絶句 を 書き、 首 を 斬られた _ 

応変 隊は大 楽の 影響 をう けて、 一切の 慎重 論 を 軟弱と きめつけ、 情勢 論 を 変節との のしった。 まかりまちがえ 

ば、 同志 間の 錯乱に おわる かも 知れない 殺気だった 空気が、 久留米 藩 ぜんたい を 繭の ように 閉じ こめた。 

応变隊 を 指導で きる の は 小 河 真 文た だ ひとりと なった。 脱隊 者の 庇護の 役 も、 藩 外に 去った 古松の 手から 小 河 

にかわった。 - 

小 河 は 大楽を 一 力 所に おく こと を 危険と 感じ、 寺 崎 三 矢吉の 家から、 横枕覚 助の 家に 移した。 山 口 藩の 使者 山 

拫秀輔 が 久^ 米に 出向いて 脱走兵の 引渡し を 要求した の は、 それから 十日 も 経って いなかった。 おどろく ほどの 

はやさで 情報が つたえられて いたので ある。 久留米 藩の 方で は、 これまで くり 返した とおなじように、 他 藩の 潜 

伏 者 はいない と 突つ ばねた が、 山 根 はちゃん と 調べ あげて あると 答えて、 ゆずらなかった。 そして、 脱走兵た ち 

を 逮捕す るた めに、 応変 隊をー 小隊 借り受け たいと 申し出た。 山 根の 狙い は、 脱走兵と 通謀して いる はずの 応変 

隊を わざと つかう ことで あ つ た。 山 根の 底意 を 察しながら この 申出 を 久留米 藩 庁 は しりぞける ことができ なか つ 

た。 

閏 十月 一日、 山 根の 指揮す る 応変 隊が、 下 妻 郡 溝 口村に おもむいて、 横 枕の 家 をと りかこむ と、 はたして 階下 

にいた 三人の 潜伏 者が 捕えられた。 残りの 者 はどうし たかと 山 根が 聞く と、 立 会った 横 枕 は 平然として、 脱 徒た 

ち は 昨夜、 城下 大石 村の 山 田 某 宅で 密議 するとい つて 出かけた まま、 まだ 帰らない、 と 答えた。 その 言葉 はいか 

にも まことし やかで、 家宅捜索 をお こなう 隙 を あたえなかった。 山 根と 捕手の 兵隊た ち は、 脱 徒の 密会 宅 をめ ざ 



305 最後の 攘夷 党 



して、 ひき 上げて い つ た。 

そのと き大 楽た ち 八、 九 名の 脱 徒 は 二階に いて 息を殺し ていた。 もはや 駄目 だと 観念し、 しかし 捕手の 兵隊が 

ふみこん できたら、 階段の 上り口の ところで、 切って 捨てようと 刀 を 抜いて 待ち かまえた。 ところが なかに まじ 

つた 島 田 助 七と いう 脱 徒 だけ は、 奇妙な 行為 を さっきから くりかえす。 膝頭で 床板 をた たき、 同志が なんど 制止 

しても、 また はじめる。 大楽 たちが 抜刀して いるので、 大っ びら にす る わけに は ゆかない。 しかし 音 をた てて 階 

下に 知らせよう とする 行為 を やめな か つ た。 

島 田が 山 口 藩の 密偵であった ことが 判明した。 その 日から 彼の 姿 は 消えた。 山 根 は 島 田の 連絡で 大楽 たちの 所 

在 を 知った のだった。 島 田 助 七に ついて さらにく わしい 情報が あがった。 城下 三本 松の 岡 松 枝 は、 島 田に 買収 さ 

れ ていた 女の 一人で、 脱走兵の うごき を 逐一 知らせて いたと いうので ある。 島 田 は 脱走兵 を 殺して 相鑑 をう ばい 

とり、 奇 兵隊の 残党に なりすまして、 久留 米に 入り こんでいた のだった。 

山 口 藩 は 横 枕 党 助の 家で 三人の 脱 徒 を 逮捕した が、 応変 隊の 若者た ち は、 それ を 山 口 藩へ 引き渡さな いといき 

まいて、 騒ぎ立てた。 水 野 を はじめ、 藩 庁 首脳 は 協議した がどうす るかき まらない。 したがって 山 口 藩の 使節に 

何の 回答 もす る ことができない。 

山 口 藩 は、 もはや 久留米 藩 を 相手に していて は缚が あかない から、 自分た ちの 手で 吟味し ようと 決意した。 そ 

こで 久留米 藩に かけあい、 横枕覚 助、 その 父 兎 平、 また 平 村の 彦 助の 三 名にたい して、 脱 徒 を かくした かどで、 

山 口の 藩 庁へ 出頭 を 命じた。 

他 藩の 者 を よびつけて 取調べる こと は、 あきらかに 藩 政への 干渉で ある。 しかし 久留米 藩 は それ を 拒む ことの 

できない 窮地に 追い こまれて いた。 

大楽 たち は 横 枕の 家に 手入れが あると すぐ 分散 逃走した。 大楽は 久留米 藩と 柳 原 藩の 境で ある 尾 島に ひそんだ _ 



藩 境 を 越えて 逃げ やすいよ うにで ある。 大楽は そこから 小 河と 連絡 をと り、 さらに 水野大 参事 をつ うじて、. 久留 

米 藩主 有 馬 頼咸に 働き かける こと を 狙つ た。 

大楽は 藩主 をう ごかす ことに 全力 を ふりしぼった。 このままむ ざむ ざと 餌食になる の は、 なんとしても 大 楽の 

承服し がたいと ころだった。 

ここで 水 野 正 名と 藩主 頼 威の 関係に ついて 言及して おかねば ならない。 久留米 藩 は、 佐幕 藩だった ために、 維 

新になる と 朝廷 や 政府の 不信 を 買った。 その 疑惑 をと く 道 は、 三条実 美ら 五 卿に 随従して 艱難 をと もに した 水 野 

正 名 をつ うじる より ほかなかった。 頼 咸は水 野が いたた めに、 かろうじて 朝廷に 面目 を ほどこす ことができ るの 

を、 身 を もって 経験して いた。 福 岡 藩主の 黒 田長溥 は、 太宰府の 五 卿 を 冷遇 圧迫した かどで、 参内 も ゆるされな 

い。 三条 邸に 伺候しても、 つねに 門前払い である。 有 馬頼咸 のとり なしで、 やっとお 目通りが 叶う という ありさ 

まで ある。 頼咸が 斡旋者の 地位に 立ち 得た の も、 水 野 正 名が いたれば こそであった。 

頼 咸は水 野 を 信任し、 指導者と して 師事す る 水 野から、 思想 的な つよい 影響 をう けたの は 当然で ある。 明治に 

いたる までの 十数 年間、 藩主 頼 威の 地位 は、 久留米 勤王 佐幕 両 派の 党争の 道具に され、 両党の かけひき のために 

翻弄され つづけた。 藩主の 人間性 は 無視され、 邪魔物 あっかいに された。 頼咸 とその 異母 弟の 富之丞 公子 をめ ぐ 

る 藩主 継嗣 問題が あらそわれ たと きも、 勤王 派 は 頼 威、 佐幕派 は 富之丞 とわ かれ、 名分 を 主張しながら、 その実 

は 両党 はと もに、 自 派の 勢力 を 拡張して、 藩 権力 をに ぎる ことし か 念頭に なかった。 頼咸は 勤王 佐幕 両 派の 息 詰 

まる 権力 あらそいに 自分 を 喪失した。 喪失し まいと すれば 遊蕩の 巷に 沈湎 する ほかなかった。 頼咸は 虚無的な 傾 

向に おち 入り、 酒色に 惑 弱した。 そして 維新と なって、 彼に は 心気 一転す る 機会が はじめて おとずれ たので ある * 



307 最後の 攘夷 党 



水 野 正 名の ほう はどう か。 水 野と ともに 五 卿に 随従して いてむ しろ 水 野より 地位の 低 か つ た 土 佐 藩の 土方 久元 

は、 自 藩の 功績 を うしろだて にして、 いちはやく 新 政府の 要職に ついた。 しかし 久留米 藩 は 佐幕 藩と みなされて 

いたので、 水 野に は 満足な 地位が 与えられなかった。 水 野 は 不平の ままに 帰 藩し、 藩 政の 責任者と なった。 彼が 

僻地 太宰府で つんぼ 浅 敷に おかれて いると き、 時代 はものす ごい 勢で 走り出し ていた。 水 野 は 尊王攘夷の 立場 を 

固執しながら、 時代の 呪詛 者と なった。 浮薄な 時代に 復警 したいと いう 耐えが たい 情念が、 彼の 身 を嚙ん だ。 彼 

の 攘夷論 は、 時代に 逆行 すれば する ほど、 理念と して 昇華した。 彼 は 新 政府の 方針に 自分 を 適応 させて ゆく 姿勢 

をす でに 喪失して いた。 

頼咸 はこうした 水 野の 心情 を 吟味 もせずに うけついだ。 お人好しで 派手ず きな 頼咸 は、 いっぱしの 政治家 気 ど 

りで、 東京に 都 を遷す ことに 反対して、 明治 二 年 二月に は、 遷都 論者の 木戸 孝 允と 激論 さえした。 権力者 をむ こ 

うに まわした 頼咸の 軽率な 行動 は、 すぐ 自分の 身に はねかえった。 政府の 方針が 遷都と きまる と、 政府 は 軍務 官 

副知事であった 有 馬頼咸 に、 東京 行幸の 行列の 先駆 を 命じた ので ある。 

頼 咸は藩 政が まだと とのわない からと いう 理由で、 供奉の 役目 を 辞退し、 久留米 藩 地へ かえって しまった。 政 

府は頼 威が 朝 命 を 受けず、 時勢 を 観望して いると 猜疑し、 藩 地に いる 頼咸を 喚問した。 頼 咸は折 悪しく 病気に か 

か つていて 上京で きないと 返答した。 政府 は 頼咸が 仮病 を 使って 抗 命して いるとう たがい 東京 赤 羽の 久留米 藩邸 

にいる 頼 威の 家臣 を、 彈正 台に 呼びつ けて とりしらべた。 家臣の 必死の 弁明で、 藩主 は 罪せられる こと はな かつ 

たが、 二 年 五月に は、 頼咸は 軍務 官 副知事 を 罷免され てし まった。 

明治に なっても 攘夷 は 実行され ず、 しかも 宮闕は 東京に 遷移 するとあって は 頑固な 尊王攘夷 論者 は おさまらな 

い。 攘夷 実行 を 迫る うごき は征韓 論と なり、 恋闕の 心情 は、 遷都 反対運動 となって 反政府 運動と むすびついた。 

当時 京都の 市民 感清は こぞって 東京 遷都に 反対して いた。 とりわけ 宮中の 女官 は 住み なれた 京都 を はなれる の 



8 力 耐えが たかった。 彼女ら は 天皇が 東京から 京都へ 還 幸す るよう、 あらゆる 手 をつ かって 運動 をす すめた。 

秋 田 藩の 大 参事 初 岡 敬 治 は、 藩の 軍艦 を 東京湾に のり 入れ、 宮城 を 一挙に 衝 いて 宮中に 火 を 放ち、 どさくさに 

まぎれて 主上 を 京都に うばい 返す 計画 を 練った。 柳 原 藩の 大 巡察 古 賀十郎 は、 初 岡と 通謀して 事 を 起こそうと 図 

お たきみ ちて る と やま 

つた 宮中の 女官に 煽動され た 愛宕 通 旭と 外 山 光輔の 両 侍従が、 この 陰謀の 中心と なった。 頼咸 はし だいに その 

渦中に まきこまれ てい つ た。 

頼咸は あるとき、 異母 兄に あたる 津和野 侯 亀 井玆監 に、 君側の 奸を はらわね ばなら ぬと 打明けた ことがある。 

兹監は そのこと を 家臣の 福 羽 美静に 洩らした。 福 羽 はこれ を 政府の 顕官に 密告した。 政府 は 頼 威が 政府 転覆の 陰 

謀に くわわって いるので はない かとかん ぐって、 頼咸 から 目 を はなさなかった。 こうした 折も折、 水 野 は 大楽を 

手引して 帰 藩 中の 藩主に 引き あわせた。 会見 は 柳 原 御殿で 極秘 裡に おこなわれた。 水 野が、 政府の 監視 を 受けて 

いる 頼咸 に、 山 口 藩の 追求す る 大楽を あわせた こと は、 ゆゆしい ことにち がいなかった。 藩主 接見の 事実が 万一 

政府 や 山 口 藩に 洩れた ばあい をお もんば かって、 久留米 藩の 首脳 は、 戦慄 を 禁じ 得なかった。 

山 口 藩から 捕縛した 三 名の 脱 徒 を 引き渡せ という 要求に 久留米 藩 は なんら 回答して いない。 それば かりで なく 

朝廷から も、 久留米 藩にたい して、 再度に わたって 布告が あり、 脱 徒 潜 匿に ついての 報告が もとめられた。 しか 

し 藩主 頼咸 は、 藩 内の 強硬派に おし 切られ、 久留米 藩に はも はや 脱 徒 はい なくなつ たと 復命した。 こうした 逢 巡 

と 虚偽の 申し立て とが 久留米 藩に どんな 結果 を 生む もの か、 すこしで も 外部の 形勢 を 知っている 者なら ば、 たや 

すく 想像の つく ことであった。 しかし 最強 硬 論者が たどる 宿命の コ ー スに みちびかれ ていった 応変 隊は、 そうし 

た 不安 を 表明す る こと を 一 切 許そうと しな か つ た。 

水 野と 関係の ふかい 三 条実美 は、 まえまえから 水 野に、 応変 隊の 抱く 封建の 制への 固執 を 捨てさせ、 久留米 藩 

も、 政府の 意向に そって 郡県 制への 切換え を 準備す るよう にうな がして いた。 水 野 は三条 公に は 承諾しながら、 



309 最後の 攘夷 党 



帰国 後 は 応変 隊の 反対に 遭う こと をお それて、 何 一 つ 手 を 施さなかった。 また 山 口 藩の 脱 徒 を 処分せ よと いわれ、 

誓って 処分す ると 復命しながら、 応変 隊の 拒否に あって、 そのままに 時 をす ごした。 

久留 米の 藩 情 は、 近く おそいかかる 強圧 を 予測して、 急速に 分裂の 兆 をみ せた。 藩 論に は 正常 を 逸脱した とげ 

とげし さがいた ると ころに あらわれた。 外圧に もっとも よわい 藩主 頼 威 は、 水 野が 藩主 も 政府 を も 無視して いる 

ことにつ よい 不満 をお ぼえ はじめた。 頼 咸は水 野に 再三 上京 を 催促して、 政府 ゃ三条 公に 諒解 を 得る ように 命令 

した。 しかし 水 野 は 上京の 日取り を わざとお くらし、 久留米 藩の 立場 を 朝廷 ゃ三条 公に 釈明す る こと を 怠って、 

頼咸を 苛立た せた。 

藩主 を 無視す る 水 野の 動きに 業 をに やした 藩主 は、 藩 知事の 職 を やめたい と 水 野に 申出た。 水 野 はおし とどめ 

て、 頓咸が 藩 知事 を やめる となれば、 政府の 疑惑 をつ よくす るば かりだと 藩 公 をお どかして、 辞職 を ゆるさな か 

つた。 迫りく る 久留米 藩の 危難 を まえにしながら 水 野 は、 政府に 正面から 異を となえる こと もせず、 手 をつ かね 

て 黙過した。 応変 隊を 放置して 歯止め をし なかったならば、 不測の 事態 を ひきおこし、 久留米 藩 は 存立が あやう 

くなる。 といって 応変 隊を 解散 すれば、 そのと きこ そ 久留米 藩に おける 水 野の 独裁的な 地位 は 崩壊す る。 この 矛 

盾 を 解く 力 はも はや 水 野に はなかった。 政府と 応変 隊 との 板ば さみに あった まま、 引裂かれて 苦悶に みちた その 

心が、 水 野に かえって 仮面の ような 平静 さ を 装わせて いた。 

しかし 大楽は 久留米 藩の そのような 分裂 を 黙視す る こと はでき なか つ た。 彼 は 久留米 藩 内 を 転々 と 逃げ まわり 

ながら、 最後の 力 を ふり 起こした。 彼の 眼 は 藩 境 を こえて 豊 後一 帯の 不穏な 政情に むけられた。 

十一月、 豊 後日 田の 県庁 はすこぶ る 緊張して いた。 ちょうど 取 立 中の 租税 米 を 狙って 奇 兵隊の 脱 徒が 日 田 をお 

そうとい う 噂が しきりに 流れて いた。 それ を 裏書す るよう な 情報が、 十一月 十一 日に 日 田 県庁に 入った。 豊前宇 

佐 郡で 六十 名ば かりの 浪人が 金 持の 家に 押し入った。 浪人の ひとり を とらえて 調べて みると、 重大な こと を 自白 



日 田 県の 役人た ちが、 農民 を 捕えたり 傷つけ たりして、 刺激した ので ある。 激昂した 農民た ち は. 十一月 十八 日 

突如 行動 を 起こし、 いたるところで 打ち こわし を やりながら、 日 田に むかって 進撃した。 近在の 農民 も 蹶起し、 

ケ逾を ひつ さげ、 長柄 鎌 を ふるって 一揆に くわわり、 日 田に ついた とき は、 七十 二 力 村 三 万の 大群 集に ふくれ あ 

がって いた。 

一 撲勢は 柱 を 切り、 壁 を やぶり 屋根 瓦 を ひきはがし、 棟木に 太い 棕招鼯 をく くりつけ ひきたおした。 打ち こわ 

しにあった 掛屋ゃ 地 役人な どの 家 は 二百 八十 軒に 及んだ。 この 騒動 はたち まち 玖珠 郡へ と 波及した。 日 田の 百姓 

一揆 は 政府の 命令で、 近接 諸 藩の 武力が 介入した ため 二十 一日 を 境に して、 下火になって 鎮静した。 しかし 十二 

弓 五日 こよ 内 藩に、 十五 日に は 日 田 県別府 支庁に、 また その 十八 日に は 日 田 県の 農民 騒擾の あおり をう けた 民 

衆が が. が 藩に 蜂起し、 混乱した。 そして 豊後 一帯に わたる 広汎な 一揆の 背後に は、 大楽源 太郎が 暗躍し、 煽動し、 

指 軍して いると 置 じられ、 警戒され た。 いたるところで 大 楽の 名が ささやかれた。 農民た ち は、 大楽 とその 一党 

がつ むじ 風の ように やって きて は、 米倉 をお さえ、 日 田 金 をば らまき、 彼ら をた すける こと を 期待した 大楽は 

どこ こで もお り、 また どこに もい なかった。 このと き 大楽は 出没 自在の まぼろしの 英雄であった。 

あげ のしよう 

それば かりで はない。 奇 兵隊の 残党 数十 名が 豊後鶴 崎から 周防大 島の 安下庄 付近に 上陸し、 大島 郡の 勘 場 を あ 

らして ひき 揚げる という 事件が 起こった。 その 報せ を 聞いた 山 口 藩 庁 は 事態 を 重視し 一 中隊 を 軍艦に のせて 現地 

党 へ 急行させる ほどに 狼狽した。 政府、 その 中で も、 木戸 孝 允の 焦慮 は 極度に 達した。 木戸 は大 楽ら の 反政府 行動 

§ が 数万の 農民 一 摸と むすびついた 場合 を 想定して 恐怖した。 東 九州が 蜂起に 加担し、 反乱の 舞台と なれば、 それ 

& は 山 口 藩に 飛火して 一 揆を ひきおこし、 奇 兵隊の 残党に 失権 回復の 機会 を あたえる こと は 目に 見えて いた。 

政^よ 十一月 二十 八日に は 彈正少 弼の河 野敏缣 を、 三十日に は 民 部 大丞の 松 方正 業 を 日 田 県へ つかわし、 さら 

リ こ. それでも 安、.: r がなら ず 十二月 二十 一 日に は、 陸軍 少将 四 条隆謌 を 巡察 使と して 日 田に 送った。 四条 巡察 使 は 五 



2 日間 日 田に とどまった だけで、 筑 後川 を 下り 久留 米に つき、 久留 米に 二 泊して、 太宰府に むかった。 そして 政府 

にたいして 日 田 暴動 は 鎮圧され、 久留米 藩 内に はも はや 脱 徒 は ひそんで いないと 復命した。 木戸 孝 允は豊 後一 帯 

に 余燼が まだく すぶりつ づけ、 いつ 再 爆発す るか 分らない とき、 四条 巡察 使が 大した 調査 も 探索 もせずに 引 揚げ 

たこと に、 あからさまな 不満の 色 をみ せた。 政府の 密偵 は大 楽の 足 どり を もとめて、 豊後 一帯 を さがしまわった。 

山 口 藩 も おびただしい 密偵 を 送り こんだ。 

十二月 二十四日 夜、 岡 藩の 赤 座 弥太郎 が 大楽を かくまった かどで 捕縛され た。 すでに そのこと を 覚悟して いた 

赤 座 は、 その 夜 妻 や 門下生た ちと ひそかに 訣別の 宴 を はった。 赤 座 は 自作の 和歌 や 漢詩 を高唱 して 激し、 ある も 

の は 鼓 をう つて これ を 唱和し、 ある もの は 刀 を 抜いて 舞った。 宴が まさにた けな わのと き、 捕吏が ふみこんで、 

日 田 県の 弾 正 台で 勘 問が あるから 護送す ると 申 渡した。 赤 座 は 妻に 着替え を させ、 黒い 衣に 黄色い 袴 をつ けて そ 

の 裏に 白衣 を 着 こんだ。 夜 ふけな ので 駕籠が やって こない。 赤 座 は、 膝 も 没す る ほど 積んで いる 雪の なか を、 あ 

るいて 日 田に むかった。 竹 田から 城 原、 久住、 瀬 本、 黒 川、 豆 田と 吹雪の あれくるう 久住 高原の 道 を 昼夜兼行で 

あるいた。 瀬 本で は 一歩 もす すめ なくなり、 捕吏 もろとも 獵師の 家に とまった。 

九重の 山の 吹雪の はげしくて 麓の 宿に しばし 寝に けり 

と 赤 座 は 行路 難 を 詠んだ。 日 田で 取調べ を 受けた 赤 座が 一時 帰宅 を ゆるされ たの は、 明治 四 年の 一月 三 白で ある。 

一 月 十七 日に は、 久留米 藩に ひそむ 大 楽から 赤 座の 許に ひそかに 詩が とどけられた。 

時事 冷 如 1^ 熱 腸 日 九 回 



313 最後の 攘夷 党 



非 兇 又 非 虎 曠野 使心哀 

茫々 九 国際 誰是済 世才 

この 詩の 示す ように 大楽は 追い つめられ、 そして もっとも 寂寥な 孤独 感を嚙 みしめ ていたの である。 山 口 藩の 

密偵の 目の 光る ところ 三日と 一 力 所に とどまる こと はでき ず、 かくれ 家 を 変転した。 檻 はせば まった。 

一月、 山 口 藩 は 朝廷に 強硬な 建白書 を呈 した。 いわく、 

r …… すでに 久^ 米 藩 内に おいて 現在 脱 隊の魁 首た る 者 を かくしお り 候 を 当 藩より 探索。 すでに 捕縛に およ 

ぶべき の処 あやまつ てとり 逃し、 その後 同藩へ 潜伏いた し 候 段、 いかがの 藩 論に 候 や。 元来 脱隊之 儀に つき 

て は 深く 朝 旨 を わずらわせ たてまつり、 追い 追い 諸 藩へ も 厳重 追 捕の 儀く だされ、 命じお き 候処、 宛然 聞か 

ざる ごときの みならず、 すべて 逆 首 を 庇 陰し 候 儀 も、 何とも その 意 を 得ず 。 かかる 重大の 変 故 も その ま 

まう ち 捨てお き、 厳重の 御 処分 これな くして はこの 後い かようの 大難 を 発し、 朝廷 を 覆 敗し 国家 を 乱 亡し、 

神州 無窮の 大辱を ひき 出し 候 儀 も はかりが たし …… 」 

久留 米が 上 は 藩主 頼 咸ゃ大 参事 水 野 正 名から、 下 は 応変 隊の 若者に いたる まで 一 丸と なって 奇 兵隊の 脱 徒 を か 

くして いる こと は、 山 口 藩に とって ゆるしが たい 挑戦に ちがいなかった。 

「 …… 右に つきて は 当 藩より 朝廷 へ 召 出 候御官 員なら びに 兵隊の 者 ども、 しばらくの 間お ひま をた まわり 

一 応 残らず 藩へ 引き取り 候よう 仰せつ けられた く …… 」 



315 最後の 壊 夷 党 



の 田 中 隆吉、 草 野 村 竹 尾の 石橋 六郎、 藍 野 村の 百姓 赤 司 政 一郎な どの 家に 移された。 山 口 藩の 密偵 は大 楽の まわ 

り を 嗅ぎ はじめた。 大楽は 包囲 網 を せばめられた 狐の ように 閉塞す る ほかな か つ た。 

三月 はじめ 大楽は 高 良 山中の 村に 移された。 そこ は 一村 こぞって、 狱を する 村で、 大 楽の 宿の 主人 も 猪 やむ さ 

さび をと つた。 むささび は、 夜中 木の 枝に 提灯 を ぶらさげて おくと、 それ を 目が けて とぶ。 その 瞬間 を 狙って 鉄 

砲で うつ。 肉 は 食用と なる ので、 近在の 村に 売り あるく。 むささび はまた 晚鳥 ともよ ばれて いる。 ばん どり とい 

うの は、 もちろん 夜中に 鳥 さながらの 活躍 をす るから だ。 高 良 山中の 村び とたち が、 夜に 馬の 目 をお そうとい つ 

てお それて いる シィ という 怪鳥 は、 おそらく この 晚鳥 のこと ではない かと 思う と、 鉄瓶の ふたで 輒 銃の 弾丸 を ま 

るめ ながら 宿の 主人 は大 楽に 語った。 .- 

大楽は その 家に 二 夜 ひそむ と、 また 高 良 山 をお りた。 草に すべり、 木の 根 や 小石に けつまず き、 坂に ころび、 

手 さぐりしながら 杉 木立の なか を 下って いった。 どこかで 森の 中の 大木の 幹が ひわれる 音が する。 そのたび に、 

胸 を とどろかす。 くだる にしたがって、 杉 木立の 間から、 久 §5 米 城下の 灯が みえ かくれす る。 それが なんともい 

えない あまさで、 大 楽の 心 をうる おす。 大栾 は、 はっと われに かえった。 おれの ように 夜な かで ない と 動け ない 

お尋ね者 は、 晚鳥 大将と よばれる のに ふさわしい。 そして さいご は、 灯 を 慕って 近よ つたと ころ を、 ねらわれて 

死ぬ。 大楽は その 時期が 間近く せまって いる 予感が した。 それ はもう 不吉な 予想で はない。 透きと おった 虚無の 

色 をみ せて 彼に 迫つ てく る 現実で あつ た。 



317 最後の 攘夷 党 



口 藩 参謀 山 根 秀輔、 熊 本 藩 参謀 太 田 黒 惟信 の 列座す るな かで 11 東京 に い る 藩 知事 有 馬 頼 威と 権大 参事 吉 田 博 文 

よ、 三月 十日 5^ 正 台から 呼 出され、 取調べ を 受けて いる はず、 また 赤 羽に ある 久留米 藩邸 は、 津和 野、 前 橋両藩 

の 兵士 数百 名に 包囲され、 出入 を 監視され ている はずで ある。 ついては、 久留米 表で はけつ して 不都合の 儀 はこ 

れ なきよう、 もし 万一 不都合の ことがあったら、 藩主の ために も 藩の ために もなら ぬから 気をつける ようにと、 

するどく 警告した。 

そして、 あくる 十三 日の 夕刻まで、 水 野 正 名、 小 河 真 文、 沢 之 高の 三 名 を 巡察 使 本営に 差 出す よう 厳命した。 

木 村 三郎は 久留米 藩の 代表と して 日 田 表に とどまり、 鶴 飼 広 登が 巡察 使の 命令 を 実行す るた めに、 山 木 卯 蔵 を 

つれて、 久留 米に ひきかえした。 日 田の 町 は 山 口 藩と 熊 本 藩の 兵隊で ごったがえし、 道路 は 馬の いななき 車の き 

しみ、 隊長の 号令な どで あふれて いた。 兵士た ち は、 銃 を 肩に かけ、 ケット を 入れた 三 貫目 もあろう かと 思われ 

る ランド を 背負つ て、 ものものしい ばかりの 武装 をして いる。 

鶴 飼と 山 木の 頭に は、 稲妻の ような 戦慄が 走った。 三百 年に わたる 久留米 藩の 歴史が、 官 兵のう そ さむい 銃剣 

の 先に 照し 出された。 久留米 藩の 終末が、 無気味な くすぶり をみ せて、 いま 目の前で 燃え はじめて いる。 

鵜 飼と 山 木の 乗った 駕籠 は、 日 田の 町並 をぬ け、 そね と 呼ばれる 条里制の 遺 溝の 見られる 山つ きの 道 をい そい 

だ。 その 行 手に は、 切迫した 情勢が 渦巻き、 せめぎ あっていた。 一歩 あやまれば、 藩と 藩主の 命運が ただちにつ 

きる こと は あきらかであった。 攄の 並木の かげで、 駕籠から 出て 時折 休憩 するとき も、 鵜 飼 は ほとんど 口 をき か 

なか つ た。 

鵜 飼の もたらした 報せ が 十二 日の 夕方、 城下に つたわる と、 久留米 藩 は 震駭した。 藩 論 はい やが 上に も 沸騰し 

た。 櫛 原 や 十 間 屋敷な ど 小路に かこまれた 武家屋敷 では、 防戦の 準備が はじまった。 

南 虞: にある 応変 欺の 屯所 は、 ただならぬ 緊張につつ まれた。 「豪 蕩不覊 平日の 用な き」 こと を 自任し、 非常の 



8 能が ある もの は、 非常の 失が あっても かまわな いと うそぶい ていた 連中に、 待ちに 待った 晴れの日が やっとお と 

ずれた の だ。 この 日が 待ち 切れな さに、 若者た ち は 地蔵 を斬奸 し、 同志 を 成敗し、 志 を あやうく 持ちつ づける た 

めの、 あらゆる 努力 をつ づけて きたので はなかった か。 

その 夜、 空 高く 打 揚げ 花火が あがった。 応変 隊の 兵士た ち は、 その物 音に さっそく 所定の 場所に かけよろうと 

した。 しかし 花火 は つづけざまに 打 揚げられ、 雨 もよ いの 空 を はなやかに いろどり、 そして 夜の にぎわい とつな 

がって いた。 若者た ち は、 いぶか しげに 空 を 見上げた。 

「近く 演習の ために、 高 良 山、 内野、 遣 水、 一条、 浦 湯 あたりで、 夜中 発砲す る ことがある かも 知れない から、 

心得る ように」 と、 藩 庁から 各 庄屋に 布告が あつたの はわず か 十日 前の ことで ある。 その 布告に は 徴発した ば あ 

いの 人夫の 手当 額 さえきめ てあつて、 混乱が おきない ようにし てあつた。 演習に 出かける と は、 久留米 城下 を 中 

心に して その 数 里のと ころに 弧を描き、 警戒 陣を 布く ことに ほかなら なかった。 夜中に 発砲す る こと は、 もちろ 

ん 兵士 集合の 合図に ちがいなかった。 

応変 隊の 屯所から 藩 庁へ 問 合わせに いった 兵士の ひとりが、 息 を 切らせて 帰って きた。 そして 水野大 参事が、 

とつぜん 芝居 や 歌舞 音曲 を 許可す る 布 達 を 出した の だと 伝えた。 その 報告す る 声 は 怒気 を ふくんで いた。 頼 或の 

よりと お 

異母 兄に あたる 先主の 有 馬 頼 永が、 弘化ニ 年に 大儉令 を 発して 一切の 奢侈 を 禁じて 以来、 そのような 催し は 三十 

年 近く 許されて いなかった。 頼 永 は、 彼の 奥方が、 せめて 帯の ひとつ 位 は 絹物 をつ けたいと 願った とき それ を 許 

さず、 強いてと いうなら 実家に 帰って ほしいと 云い 切った 位 徹底して いた。 応変 隊の 屯所と となりあわせ にある 

五穀 神社の 能舞台が こわされてから、 もはや ひさしかった。 

日 田にまで 迫った 官 兵と 実力で 対抗す るのに、 十日 前の 布告 を 実行に 移さねば ならぬ 折も折、 こと もあろう に 

歌舞 音曲 を 差し ゆるす とはいった いどうし たわけ か。 水 野犬 参事 は 血迷った のか。 そうした 応変 隊の とまどいに 



319 最後の 攘夷 党 



も かかわらず、 その 夜 はとき ならぬ 祭礼の 幕 あけと なった の だ。 町方 在方 は、 水 野の 措置に 感謝す るた めに 花火 

を あげたと いう ことだった。 花火の 寄進 者 は、 筑 後川 を 下った 若 律の 遊廓の 主人 たちだと 噂す る もの もいた。 

花火が 方々 で 打 揚げられる たびに、 群集の ざわめき は 夜の 潮の ように ふくれ 高まり、 三味線 を 手に した 瞽女 や 

白粉 をぬ りたく つた 遊芸 人が、 降って湧い たように 姿 をみ せた。 高 良 山 玉 垂宮の 祭礼で 若い とき 勇み肌 をみ せて 

きた 瀬の 下の 老人た ち は、 ひときわ 生き生き とみえた。 にわかづくりの 桟敷の 上で、 酔った 祭文 語り を、 格子戸 

の 奥からの ぞく もの も ある。 

応変 隊の 若者た ち は、 生まれて はじめて あじわう 雑沓であった。 藩の 常備 隊が四 辻に 立って 整理して いる。 彼 

らは あふれ 出る 群集 を とりしまる わけで はなく、 群集の 雰囲気に あきらかに 同調して いる。 この 意外な 光景に、 

応変 隊の 連中 も あきれながら みている ばかりで ある。 

このと き篠 山城の 内に ある 藩 庁で は、 浮き立った 町な かの ざわめき をよ そに、 鵜 飼 広 登が 中心と なって 善後策 

が 必死に 話し合われ ていた。 あす 十三 日の 夕刻まで、 水 野、 小 河、 沢の 三人 を 日 田に 護送し なければ ならぬ こと 

は 至上命令 である。 

収拾 策 を 話しあって いる 鵜 飼の 部屋に、 とつぜん 応変 隊の 隊長で ある 鹿野淳 二が 入って きた。 鹿 野 は 沈痛な 額 

を あつめて いる 人び と を 尻目に、 鵜 飼の 机の 上に 一通の 書状 をお いて 出て いった。 鵜 飼 は 封 を 切って、 書面に 目 

をと おした。 

r …… 長 州 肥 後の 兵隊、 日 田 県へ 出張 仰せつ けられ 候 由、 右 は 如何 体の 訳より 前条の 次第に 立ちいたり 候 や。 

;… もはや 奸藩 鳳輦 を 擁し 候い きおいに なりて、 日 田 県へ 大 巡察 御 出張の 上 は、 …… わが 藩にたい してい か 

ほどの 非理 暴 制し かけ 候よう の 儀 も はかりが たく …… 一 



読みす すむ 鶴 飼の 眉 を するどい 碧が よぎつ た。 

「 ::: かかる 上 は、 い つ たん われより 兵端 を あい 開き …… 一 時に 天下 を 一 掃し …… その 期に いたり 事なら ざ 

ると き は、 只今 大義名分 を あきらかにし、 上下 一同 進退 決し 申すべく …… たとい 朝敵の 名 をこう むり 候と も、 

遺憾 御座な く …… 。」 

建白書 は、 朝 命への 公然たる 挑戦状であった。 いや それ は、 鵜 飼が 動けば 久留米 藩 ぜんたいが 動く と 見越して 

の、 鵜 飼にたい する 呼びかけ であり、 蹶起の 趣意書に ちがいなかった。 鵜 飼 は 久留米 藩 刑法 局 総裁と して 藩 内 を 

取締る 役に ありながら、 同時に 応変 隊 から は、 同志の 先輩と 目され ていたの である。 

鵜 飼 は、 同席して いる 権少 参事の 姉 川 行 道に むかって、 水 野、 小 河、 沢の 三 名 を 日 田に 護送す る 役目 を 依 _g し 

た。 姉 川 は 久留米 勤王 党の ひとりで、 維新まで 七 年間 牢に 入って いた。 戊辰の 秋の 奥 羽 戦争で は 久留米 藩 参謀と 

して 手柄が あった。 鵜 飼 は 姉 川に 応変 隊の 建白書 を 見せながら 云った。 

11 応変 隊が、 水 野 氏 や 小 河 氏 を 守って ゆかせ まいと 妨害す るの だったら、 抵抗 を 排除して でも 連れて ゆく ほ 

かない。 そのつ もりで やってくれ。 明日の 夕方に 間に あうよう に 今夜 中に 出立の 手 害に して くれ。 

姉 川 は 支度す るた めに 鵜 飼の 部屋から 出て いったが、 引返して きた。 いつも 沈着 豪胆な 姉 川の 唇が かすかに ひ 

きつれ ている。 姉 川の 報告に よると、 たったいま、 熊 本 藩 参謀の 太 田 黒 惟信が、 二百 五十 名の 兵隊 を ひきいて、 

日 田から 筑 後川 を 下り、 善導 寺に 進駐した という 知らせが、 同村の 庄屋から あつたと いうので ある。 善導 寺は久 

留米 城下まで わずか 三 里のと ころで ある。 > 



太 田 黒 参謀 は、 だれの 目に も あきらかな 挑発 行為 を 犯しながら 久留米 藩 を 刺激し、 その 戦意 をた めそうと して 

いる。 ここで 憤激した 応変 隊が、 あやまって 官 兵に 手出し をしょう ものなら、 それ を 口実に して 一挙に 久留米 藩 

を 粉砕し ようと 考えての 行動に ちがいない。 しかし 藩 境 を 勝手に 越えて 侵入した 兵隊に、 官兵 とはいえ その 理由 

を 問いた ださぬ 法 はない。 藩と しての 当然の 業務 を 行使し なければ ならぬ。 

鵜 飼 は、 太 田 黒 参謀に かけあって くるよう に 姉 川に 頼んだ。 

姉 川との 打ち合わ せがす むと、 鵜 飼 は、 久留米 藩 大属の 山 田 辰 三郎を 使者と して、 鹿 児 島へ やる 手 害 をと との 

えた。 

山 田 辰三郎 は、 八 年 まえの 文久 三年に、 藩の 佐幕 党の ために 投獄され ていたが、 藩 命 をう けて、 侍従 中 山忠光 

を筑 前山 家に 追い、 久留米 藩の 立場 を 百方 諒解に つとめた ことがある。 山 田 辰 三郎の 誠意 を こめた 懇願に、 中 山 

忠光も 心 を 動かされ、 久^ 米 藩 は 削 封され る ことがなくて 済んだ。 ひとたび 藩の 危急 を 救った 山 田の 経験 を ふた 

たび 生かさねば ならぬ ときが きた。 

久留米 藩の 苦境 を 打開す るに は、 もはや 鹿 児 島 藩し かなかった。 朝廷 をう ごかして 日 田に 自 藩の 軍隊 をす すめ 

ている 山 口 藩 を 牽制で きる の は 鹿 児 島 藩 だけであった。 廟堂で ことごとに 勢力 あらそい をつ づけて いる 鹿 児 島 藩 

が 山 口 藩の 独走 を 抑制し なかったら、 久留米 藩 は、 すでに 山 口 藩の ために 躁躪 されて いた はずで ある。 

党 しかし 久留米 藩の 老練な 使者が 鹿 児 島に つくまで 途中で 捕縛され ない 保障はなかった。 熊 本 藩 は、 応変 隊が高 

i 田 源 兵衛ら 攘夷 党と 気脈 をつ うじて いると いうか どで、 すくなからぬ 敵意 を 抱いて いた。 それ は自 藩の 兵と 実学 

^ 党の 太 田 黒 惟信 を 日 田に おくり、 巡察 使に すすんで 協力して いる 行動に あらわれ ていた。 巡察 使 は、 久留米 藩に 

最 , 

I 潜 匿され ている 脱 徒た ちが、 藩 外に 逃走す るの を 極度に 警戒して いた。 もし 捕えられたら 使命が 果せなくなる ば 

3 かりで なく、 久留米 藩への 疑惑 は、 いっそう 解けなくなる こと はたし かで ある。 早 駕籠なら ば、 姿 を かくした の 



ではない かと あやしまれ、 あらぬ 嫌疑 も かけられよう。 鵜 飼 は そのば あい をお もんば かって、 山 田 を 早馬で ゆか 

せる ことにした。 

山 田 辰 三 郎が鵜 飼の 部屋 を 出て ゆく のと 入れち がいに、 林 田守隆 と本庄 一行の 二人の 家臣が、 藩主 頼咸の 親書 

をたず さえて、 東京から 到着した。 藩 庁に かけつけて 鵜 飼に 面会 を 求める 二人の 顔 は 汗と 垢に まみれ、 極度の 疲 

労と 緊張 を まざまざと つたえて いた。 



三月 六日、 有 馬 頼 威 は彈正 台からの 喚 出 状 を うけとる と、 林 田と 本庄を よびよせ、 この 際 藩 地に 急行して、 水 

野 正 名と 小 河 真 文に 暴挙 を かたくつ つし むように 説得す る こと を 命じた。 林 田と 本庄は 自分に 課せられた 責 壬の 

重大 さに 押し ひし がれた。 11 九死に一生 を 得て、 両人 を 説得す る ことができましたら、 そのと き はどう か 御 安 

堵 して 下さい。 もし 斃れ たら、 藩 公 も 御 処決な さって 下さい、 と こもごも のべる 家臣の 言葉に 頼咸は 決意 をみ な 

ぎら せて、 ふかくうな ずいた。 

頼 威 は 仏国から 輸入した ばかりの 馬車で、 すぐ 出発し ろと 云った。 二人 は 藩 公邸の 玄関先に 停って いる 藩主 専 

用の 馬車で 横 浜に かけつけ、 その 日 横 浜 を 出港して 長 崎に むかう 飛脚 船 アリゾナ 号に 間にあった。 長 崎に つくと 

そこから 駕籠で 諫 早に 出、 諫早船 を やとって 有 明 海 を 横断した。 烈しい 東風が 真 向から 吹きつけ、 おじけ づ いた 

船頭が なんども 引き かえそう とする の を 二人 は 白刃で おどかし、 嵐の 海 を 乗 切った。 若津 につく と、 そこから 川 

舟に のりかえて 筑 後川 を さかのぼり、 久留米 城下の 瀬の 下に 上陸した。 二人 は 藩 庁に 出頭して 鵜 飼に 到着の 報告 

をす ると、 旅 姿 を 解く いと まもなく、 水野大 参事の 邸 を 訪問した。 

水 野 は、 藩主の 直 書 を 読み終る と 即座に、 すべての 責任 を 自分に 引受けて 事を処 し、 禍が 藩と 藩主に かからな 



323 最後の 擴夷党 



いこと を、 約束した" 水 野の 心境 はも はや あきらめに 閉ざされ ていた" ここ 数 力 月、 水 野が 政府と 応変 隊の 間に 

引き裂かれた 苦悩から すれば、 彼が 極刑 を 覚悟して 事態 収拾の 責任 をと つたの は、 彼 自身に あきらめに ともなう 

安堵 感、 いや 解放感 すら 与える ものであった。 彼 は 一日 もはやく 今日に いたる こと を 待ち望ん でいた ともい える。 

それにしても なんという 運命の 皮肉だろう か。 水 野 を 1 問す る 巡察 使 四 条隆謌 は、 長 州から 太宰府へ と 水 野が 

護衛して まわった 五 卿の 一人で ある。 かって は 生死 を俱 にす ると 誓いあった 主従が、 いま 裁く ものと 裁かれる 者 

との 立場に わかれて、 きびしく 向かいあって いる。 門 を かたく 閉ざした 水 野 邸の まわりに はも はや 靄の ような 宿 

命の 色が たちこめ ていた。 

しかし 小 河 真 文の ほう は、 そうはた やすく ゆかなかった。 

いま 藩主 頼咸 は、 弾 正 台に 喚問され、 藩邸 は 他 藩の 兵士に 包囲され て、 人質 同然と なって いる。 政府と 山 口 藩 

は、 頼咸の 襟く び をつ かみ、 短刀 を 咽喉に 擬 しながら、 久留米 藩の 出方 をみ ようとし ている。 頼咸は 苦しい 息の 

下から、 この 際 暴挙 をつつ しんでくれ。 一切 は 自分が 知らなかった ことにして くれ。 そして 水 野と 小 河の 一存と 

いう ことにして 欲しい と 哀訴して いる。 頼咸の 使者が つたえる 藩主の 苦衷 は 小 河の 胸 を 刺した。 

しかし 藩主の 云う とおりに したがえば、 水 野と 小 河 は そのまま 捕えられ、 応変 隊は 支柱 をう しなって 自滅す る。 

一切 は 無に なり、 藩 はあって ぬけがら になり、 藩主 はいても、 傀儡 同然になる。 そこまでして 藩主の 地位と 藩 を 

まもらねば ならぬ のか。 小 河 は 自分自身に それ を 認めさせる こと はでき なか つ た。 

いまこ こで 屈服 すれば、 水火 も 辞せず と 決めて きた 宿志 を 捨て、 山 口 藩の 同志た ち を 見殺しに しなければ なら 

ぬ。 それ は 耐えが たいと 小 河 は 云った。 頼 威の 使者が、 三百 年来 恩顧 を うけてき た 有 馬 家 は 断絶の 瀬戸際に 立つ 

ている。 藩主の 窮状 を 汲んでも らいたい と 懇願す ると、 小 河 は、 窮境に 追い こまれて いるの は、 藩主ば かりで な 

い。 応変 隊も大 楽 源 太郎ら 同志 もお なじ だ、 と つっぱね た。 



324 



しかし 顿咸の 使者 は 引き さがらなかった。 小 河の 憂国の 志 はよ くわ かるが、 官 兵が 日 田に 迫って いる 以上、 久 

留米藩 は 蹶起の 時機 を 逸して しまった。 この 上 は 隠忍 自重して、 あらためて 問罪の 師を おこす ほかない こと を 説 

いた。 それにた いして 小 河 は、 時機が おそいと は 思えない。 久留米 藩が、 要路の 奸臣 をた おすた めに、 いま 立ち 

上れば、 全国の 同志 は 呼応す る。 その 準備 は 完了して いる。 長 崎に は 中古の 蒸気船 を 購入して あって、 いつでも 

利用で きる 態勢に あると 反論した。 

林 田と 本庄 は、 このたびの 久留米 藩の 苦境 も、 もとはと いえば 大楽 のせいだ。 大楽 ひとりと 久招米 藩の 運命 を 

引換えに できない だろうと、 小 河に 詰めよ つた。 

しかし 小 河 は 首 をた てに ふらなかった。 そして、 事 ここにい たって は騎 虎の いきおいで どうす る こと もで きに 

くい、 と 云い 捨てた。 

林 田と 本庄の 必死の 説得 も 小 河に はなん の 効き目 を ももた なか つ た。 

小 河 は 虎の 皮の 敷物に すわった まま、 黙然と 目 をつ むって いた。 誰に 弾かせて いるので あろう。 隣室から 琴 を 

ひく 音が 聞え てきた。 

応変 隊の 若者た ち は 時折 部屋に 入って きて は、 二人の 使者 を 威嚇し、 小 河 を 牽制す るよう になが め まわして、 

出て ゆく。 時間 は 飛ぶ ようにす ぎて ゆく。 もし 小 河 をつ いに 説得で きなかったら、 応変 隊は小 河 を 擁して 立 上る 

だろう。 久留米 藩 は、 蜂の巣 をつつ いたよう に 混乱して、 それ を 口実に、 巡察 使の ひきいる 軍隊 は、 久留米 藩に 

おそいかか るだろう。 

—— 古語に も、 君 辱し めら るれば 臣 死す、 という 言葉が ある。 あなたが 君命 を あくまで 奉じようと しなかった 

ら、 わたしたち はなん の 面目が あって、 ふたたび 藩 公に まみえ る ことができよう …… 。 林 田と 本庄 は、 小 河と 刺 

しちが える 覚悟 をき めた。 



325 最後の 攘夷 党 



頼 威の 使者た ちの 左手 は 腿に 釘付けに されて いたが、 脇差に 触れん ばかりに なった。 

とつぜん、 応変 隊の 若者が 小 河に 近づいて 耳 打した。 不自由な 足 を ひきずって、 小 河 は 部屋 を 出て いった。 小 

河 を 逃して はとり 返しが つかぬ と、 林 田と 本庄は 目く ばせ して 立 上ろうと した。 小 河が 戻って きた。 その 態度 は 

今までと がらり と 変つ ていた。 

11 これまでです。 

小 河 はみ じかく 云った。 二人 はお どろいて 小 河の 顔 をみ つめた。 隣室の 琴の 音 は、 いつのまにか 止んで いた。 

ぞっとす る 沈黙の 底から、 小 河の かすれた 声が、 やっと 浮び 上って きた。 

—— じつは 

小 河 はわる びれ ずに 話 をし はじめた。 

その 説明で は 11 京都で 同志た ちと 蹶起の 準備 をす すめて いた 吉田藤 太、 鹿 毛 松 次、 笠 林 太郎の 三人の 久留米 

藩士が 捕えられ、 その 中の 一人が 口 を わって 逆 謀の 内容が 洩れた という 知らせが 只今 小 河に つたえられた。 鹿 毛 

と 笠 は 二月 十三 日の 重大 謀議に、 京都の 有志 総代 立 石 庄介を 案内して 参加 させた あと 上洛 中 捕えられ たの だ。 そ 

の 15 報に もとづいて 政府 は、 二月の 晦日 を 期して 全国 いっせいに 手入れ を 始めた 模様で ある。 その 日 柳 河 藩の 古 

賀 十郎、 鶴 崎の 毛 利 空 桑 父子、 もみん な とらえられて しまった。 外 山 光輔 は 三月 六日に 京都で とらえられた。 愛 

宕通 旭が 捕えられ るの も 時日の 問題で ある。 政府の 手の つけ 方が、 ほんの 一足 はやかった。 もはや 蹶起 は 不可能 

である。 わたし は 責任 を 自分に 引受け、 同志 を 鎮撫し、 死んで 藩 公に おわびしょう。 どうか はやく 上京して、 君 

公に 御 安心 下さる よう 復命 をね がいたい 。 

というと 小 河 は、 落涙した。 

藩主の 吏 者が^ 河の 説得に 息詰まる 瞬間 を あらそつ ていた ころ、 応変 隊の 屯所 は 過激派の 若者た ちがせ わしく 



6 出入りし ていた。 太 田 黒 参謀が、 熊 本 藩の 兵 を ひきいて 善導 寺にまで 迫った とった えられる と、 若者た ち は廣激 

2 

3 した。 

姊川行 道が 早馬 をとば して 現地に おもむき、 まえもって 何の 沙汰 もな く、 兵隊 を 善導 寺まで 出される の は、 い 

かなる 理由 か。 それで は 藩 民が たいそう 動揺す る。 訳 をう かがいたい、 と 詰問す ると、 太 田 黒 は 傲然と して、 久 

留 米の 藩 庁の なかに、 山 口 藩の 脱 徒 を 庇護して いるものが あると 聞いて いるから、 これから 藩 庁に ふみこもうと 

考えて いると ころ だと、 うそぶいた。 姉 川 は、 官 兵が 久留 米の 城下に 足 を ふみ 入れたら、 気の はやい 連中が、 ど 

んな 不心得 をす るか わからない、 と 応変 隊の 抵抗 をつ よく ほのめかし、 太 田 黒が 調子に のって 出 すぎたこと をし 

たら、 ただで はす まされぬ こと を 相手に 悟らせた という。 

肺 川が 太 田 黒に 抗議した という 知らせ は 応変 隊の 若者た ち を かぎりなく 勇躍 させた。 彼らの 意識の なかで は、 

両軍の 尖兵 は 激突し、 前哨戦 はすで に はじまつ ていた。 この 上 はじつ さいに 戦端 を 開く ために 目く ばせ すると か 

指 一本 あげる とか、 小 河の かすかな 合図が あれば よかった。 

その 合図 を ひたすら 待ち焦がれる 若者た ちに、 小 河が 蹶起 を 断念した という 報告が 入 つ た。 

彼ら はとつ ぜん 自分の 利き腕が 斬り 落された に ひとしい 衝撃 を 受けた。 若者た ちの 顔 はみ にくく 歪んだ。 その 

眼 や 鼻孔から 火が 噴いた。 応変 隊の 幹部 や 過激派の 若者た ち は、 とる もの もとり あえず 小 河の 家へ かけつけた。 

小 河 は、 開戦 を 迫る 連中に むかって、 全国の 同志が 捕縛され てし まった 以上、 挙兵 は 断念し なければ ならぬ と 

論し、 もし 応変 隊が 過激な 行動に 出るならば、 自分の 首を切って その あとに して くれと いって、 うごかなかったら 

小 河が つ い に 蹶起 を 断念した という 知らせ は 藩 庁に 詰めている 鵜 飼ら 藩 首脳 を 安堵 させた が、 それです ベての 

憂慮が 解消した わけではなかった。 真夜中ち かく 日 田 詰の 木 村 三郎が 派遣した 早馬の 使者が、 藩 庁に 着いて、 鵜 

飼の 部屋の 扉 をた たいた からで ある。 



327 最後の 擴夷党 



使者の 報告に よると、 その 日の 夕方、 四条 巡察 使から 木 村三郎 にたいして 尋問が あった。 

今年の 正月 久招米 藩主 有 馬頼咸 が、 水 野 正 名に 急ぎ 上京 を 命じて、 久留米 藩の 善後策 を 相談した とき、 水 野 は 

藩主に たいして、 大楽源 太 郎は熊 戸山 中に 潜伏 させて おいた から 心配 はいらな いと 答えた という こと だが、 どう 

したわけ か。 また、 熊 戸山の 山つ づきに、 樅 鶴と いうと ころが あり、 そこ は 人跡 まれな 深山の あいだで、 炭 焼 小 

屋が ある くらいだ が、 その 樅 鶴に あやしい 男が いて、 久留米 藩 庁から 扶持 を もらい、 長 州と も 往き来して いると 

いう 話が ある。 それ はいった いどうし たわけ か。 

巡察 使の 詰問に たいして、 木 村 三郎は そのような 事実 はまった く 知らない、 無根の 噂に ちがいな いと 答えた。 

巡察 使 は 木 村の 返答に 耳を贷 さず、 島 田 助 七 はじめ 五名の 山 口 藩士 を すぐさま 熊 戸山から 樅 鶴に かけて 探 策に や 

つ たという。 

それ を 聞いた 面々 は、 鵜 飼 を はじめ 茫然と して 声 を 呑んだ。 

熊 戸山 は筑 後と 豊 後との 国 ざ かいに ある 深山で ある。 「九州 豊 後の 熊 戸の 山の 藁で 髪 結た 炭 焼 小 五郎」 という 

歌が つたえられて きたよう に、 日頃 は 炭 焼 窯が あるく らいのと ころに、 黄金と むすびいた 炭 焼 伝説が あるの は、 

近くに 日 田 金が 唸る 天領の 日 田が あつたから であろう。 日 田に は 大名 さえ も 頭の あがらぬ 掛屋 がさ かえ、 租税 を 

収納す る 米倉が 甍 をなら ベて いる。 地の利から 云っても、 日 田 は 九州の 中央で ある。 

日 田 を 押えれば 九州 一円に 号令が できる として、 政府 側 も 反政府 側 も 注目して やまぬ ところで ある。 日 田に 百 

姓 一 撲が おこ つ たと き、 政府 や 山 口 藩が 色 をう しなう ほど 事態 を 重大視して 大楽源 太 郎らの 計画的な 騒擾で ある 

とうたぐ つたの も 無理 はな か つ た。 

熊 戸山から 山越しで ゆけば、 日 田へ はわず か 数 里の 道のりで しかない。 熊 戸山 は 日 田の すぐ 裏側に ありながら、 

街道す じで ないた めに 人目に つかぬ 場所で ある。 それ こそ 屈強な 死角に ちがいな いの だ。 



329 最後の 攘夷 党 



藩 首脳 は 色 を 失ない、 唇 を わななかせて、 「熊 戸山!」 「樅 鶴!」 という 言葉 を咀符 のように くりかえした。 

大 楽が 熊 戸山へ 逃げ去つ たので はない よう、 ひたすら 念じた。 それ はなが くつ づけば、 狂気に 陥り かねない 烈し 

いものに ちがいなかった。 

夜 はやつ と 明けた。 明治 四 年 三月 十三 日。 それ は あるいは 久留米 藩に とって 最後の 一日と なる かも 知れない の 

だった。 昨夜から 開戦 を 主張して ゆずらない 血気の 面々 は、 首領の 小 河 真 文が 蒸発す るの をお それる ように、 小 

河の 家の 廊下 や 玄関先に とまりこんで、 眠りの 不足した 血走った 顔つき をして いた。 

あけがた、 山 口 藩の 隊長が 熊 本 藩の 兵隊 数名 を ひきい、 久留米 藩の 役人 同道で、 小 河の 家に 踏み こんだ。 

小 河 は 不意 を 襲われて とる もの もとり あえず 身 仕度す ると、 同志た ちと 別れ を 告げた。 開戦 論 を 最強 硬に 主張 

していた 寺 崎 三矢吉 は、 捕吏の 隙 をう かがい、 小 河 を 別室に ひき 入れて、 最後の 機会 を とりにが すまいと 必死に 

訴えた。 

—— 先生ら 三人の 駕籠が 善導 寺で 官 兵に 引渡されて、 日 田に 護送され る 途中、 夜に さしかかる。 そこ を 見 はか 

ら つて 待 伏せし、 駕籠 をう ばいと り、 兵 を あげて、 この 屈辱 を 晴らしたい。 

小 河の 眼が とつぜん 妖しく 光った。 小 河 は 寺 崎の 右手 を かたくに ぎりし めて、 

—— よし、 断行せ よ。 

と 云った。 小 河の 別れ 際の その 一言 は、 寺 崎に 電撃 的な 効き目 を もたらした。 その 顔に みるみる 血が のぼった。 

寺 崎 はすぐ さま 手下の 太 田 要 蔵 や 今 村 円 兵衛ら に、 過激派の 同志た ち を 彼の 家に 呼び あつめる よう 指令した。 

もえ 上った 開戦 論に、 さらに 油 を そそいだ の は、 寺 崎 三 矢吉ゃ 横枕覚 助ら 過激派 十数 名にたい して、 



o 「其方 儀御不 i 称の 次第 これ あり、 明 十四日、 日 田 県 日 田 町に 護送 あいなる」 

3 と 久留米 藩の 刑法 局から 内示が 申し渡され たこと である。 今日 一 日し かない。 寺 崎た ち は 追い つめられ、 殺気 だ 

つた。 

その 日の 夕方、 小 河、 水 野、 沢の 三人 を 善導 寺に 護送した 藩 吏が 帰って きて、 受け渡しの 模様 をった えた。 駕 

籠が 善導 寺 に つ くな り 太 田 黒 参謀 の 兵が とりかこんだ。 

まだ 罪名が きまって いる わけで はない から 帯刀 だけ はお ゆるしね がいたい、 と 久留米 藩の 責任者 姉 川 行 道が 云 

うと、 太 田 黒 は、 ならぬ、 とすげ なく はねつけた。 姉 川が 重ねて 懇願す ると、 久留米 藩で できなければ、 その ま 

ま 引き わたせ、 と 答えた。 

太 田 黒の 命令で、 官兵 はすぐ さま 水 野、 小 河、 沢 を 駕籠から ひきずり 出し、 刀 をと りあげて、 しばり 上げた。 

三人 は 網 乗物に 移され、 熊 本 藩の 兵隊に きびしく 護ら れ、 日 田への 路を 送られて いったと いう。 

武士の 魂で ある 刀 をと りあげ、 罪人の 駕籠に のせる と は、 武士 同士の 情誼 を 知らぬ ものと 応変 隊は 烈しく いき 

り 立 つ た。 

鵜 飼 は、 寺 崎た ちが やけくそ になって 暴発す る こと を 憂慮し、 山 木 卯 蔵に、 寺 崎た ちの 様子 を 見て くるよう に 

命じた。 万一 不穏な 行動に 移る よう だったら、 なんとして でも 防いで くれと 頼んだ。 

山 木が 久徳仁 之 助 ほか 親しい 同志 数名 を ひきつれて 寺 崎の 家に い つたの は、 ようやく 夜に さしかか つ たと き だ 

つた。 巷の 通りに は、 昨日に まして 群集が 堰を きった 河と なって ながれ 出して いた。 山 木が 鵜 飼から 聞いた とこ 

ろで は、 水 野犬 参事が 久留米 藩の 空気が とげとげしく なれば 官 兵の 挑発に かえつ て 乗ぜられ やすい こと を 懸念し- 

緊張 を やわらげる ために、 とつぜん 芝居 興行 や 地 狂言 を ゆるした という ことだった。 藩の 危難が 目捷に 迫って い 

る こと を 全く 知らぬ 気の 群集 は、 ながく きびしい 儉約令 もす ぎ 去った 一日の ことで しかなかった ように、 浮き立 



331 最後の 攘夷 党 



つていた。 いきおいこんだ 官 兵の ほう も、 お 祭 さわぎ をみ て は 久留米 藩の 戦意 をうた がう だろうと いう 水 野の 狙 

いはま さしく 成功した ように 見えた。 山 木た ちの 肩と ふれあう 民衆 は、 武士階級の 苦悩 をよ そに、 疲れ を 知らぬ 

弾力 を まざまざと 示して いた …… 。 

寺 崎の 家に つくと、 応変 隊の 若者が 大勢 あつまり、 座敷の ふすま ははず され、 台所の 隅まで 寺 崎 派の 同志が い 

つ ぱいつ めかけて いた。 寺 崎 は 床柱 を 背負い、 その 左右に やはり 明日 呼出し を 受けて いる 太 田 要 蔵と 今 村 円兵衛 

の 二人の 配下 をした がえ、 昂然と 胸 を はって いた。 

11 小 河 先生が 最後の 瞬間に 恭順 説 を かなぐり 捨てた。 志 を つらぬかねば、 死んでも 死に 切れぬ。 そのために 

は 藩主 も 藩 もない。 藩 当局が おそれおののいて いると ころで、 それが いったい どうした というの だ。 

寺 崎 はそう 叫んで いた。 部屋の なかで は 声が 乱れ、 盃が とび、 まわりに 饒舌と 昂奮 をた かめて いった。 間断な 

いやり とりが 頭上 を かすめ、 天井に ぶつつ かって 思わぬ 所に おち、 ちがった 声に ひきつがれた。 そして 議論と 議 

論の あいだに は、 

—— だから、 叩き 斬れつ というんだ! 

と い う 言葉が くりかえされた。 

その 声 は 山 木と その 同志た ちの 耳 を ことさら 刺激した。 山 木 は師の 古松 簡ニ にしたがって、 岡 藩に ひそむ 大楽 

をたず ねる ことがあ つたが、 脱 人の 助命に 奔走す る 古松の 気持が よく 分った。 そこで 寺 崎た ちの 古松 を 要撃し よ 

うとす る 計画に 反対した。 寺 崎た ち は、 古松が 藩 を 去った あとで も、 山 木に 妨害され たこと を 遺憾に おもい、 寺 

崎 派と 山 木 派に わかれて 両 派の しこり はとれ なかった。 藩の 危機が 切迫す るに つれて 両 派の みぞ は 深まる 一 方 だ 

つた。 寺 崎 派 は 山 木 派 を 軟弱 論との のしり 山 木 派 は 寺 崎 派 を 一時の 決 を むさぼる ものと 反驳 し、 たがいに 大義 を 

忘れた ものと 非難し あった。 



332 



はたして 寺 崎 一派と 山 木 一派の 間に、 感情の 絡みつ いた 烈しい 論争が まき 起こった。 , 

—— 水 野、 小河両 先生の 駕籠 をと りかえ しこ こで 一挙に こと を 決し、 朝 命 を ゆがめた 奴 原を片 つばし からみな 

ごろし にして、 錦旗 をう ばい、 君側の 奸を 清める ことに ふみ 切れ …… 。 

, I その 兵が どの 藩の ものである にしろ、 官 兵に 手 向ったら 朝敵の 賊名 を 蒙って、 天下の 兵 を ひきうけて たた 

かわねば ならぬ。 久留米 城下が 焦土と なり、 藩 公から 何も 知らぬ 庶民に いたる まで、 塗炭の苦しみ をな めねば な 

らぬ。 それでよ いか。 

11 しかし、 日 田 表に いる 山 口 藩の 兵隊 は、 干城 隊 四百 人 あまり。 それに 熊 本 藩の 兵力 を あわせても、 すべて 

七 百 人 程度 だ。 それで は 久留米 藩の 戦意 をつ ぶす こと はでき ぬ。 

—— だが いずれ は 久留米 藩 は、 四 境に 敵 を 受ける ようにな るの は 火 をみ るより あきらか だ。 日 田の 近くの 森 藩 

など は、 粟粒の ような 小 藩 だが、 はやく も 長 州 兵の 地理 案内の ために 一 小隊 をう ごかして いると いう 知らせが 入 

つてい る。 

, I このまま 事態 を 坐視したら、 この あと 多くの 藩士が 召 捕えられて、 久留米 勤王 党の 伝統 は とだえる の だ。 

生きる 屍と なる か、 切り 死して 絶滅す るか。 どちら か を えらぶ しかない。 

—— そうじゃない。 いま は 恭順の 意 を あらわして、 いったん は 政府の 兵 を かえし、 その あとで 準備 をと とのえ、 

天下に 檄 をとば し、 無名の 軍 を 政府に むかって 起こすべき なの だ。 小 河 先生 も 昨夜、 口 を 酸く して、 自重し ろと 

い つ たで はない か。 

. I ちがう、 小 河 先生 は 護送され る 間際に、 断然た たかえ、 と 云った。 

小 河 先生 は本庄 一行に あざむかれて、 挙兵 を 断念 させられ たの を 後悔し たんだ。 本庄 は、 佐幕派の 巨魁だった 

不破美 作の 子分な の だ。 三年 まえの 正月、 勤王 党の 同志た ちが 小 河 先生に 指揮され て 不破を 暗殺した。 そのと き 



333 最後の 攘夷 党 



用人 上席であった 本庄 は、 藩 公に 献言して、 法 を 無視して、 藩 政の 責任者 を 成敗す るの は、 理由の いかん を 問わ 

ず、 容赦すべき ではない。 法に 照らして、 襲撃した 連中 を 断然 処分すべき であると 極力 主張した というで はない 

i 

力 

本庄の 進言が 実行され たら、 小 河 先生 は 屠 腹 を 命ぜられ ていた はず だ。 いわば 本 庄は小 河 先生の 敵で ある。 不 

破 美 作が 殺された こと を、 今もって 恨みに おもって いる その 本庄 が、 心から 小 河 先生の 為 を 考えて いる こと は あ 

り 辱ない。 本庄 はお そらく 自分から 使者の 役 を 買って出て、 いまこ そ 復警の 仕上げ をしょう としてい るの だ ..^ 

河 先生 は うまうまと 本庄 のこしら えた 弊に かか つ てし ま つ たんだ。 小 河 先生 は本庄 にして やられ たんだ。 

本庄の やり 口 をみ ろ。 佐幕派 はこれ まで 機会 を 狙って いたの だ。 最後の どたん 場に なって、 藩 論 を 恭順 派の 方 

向に まとめ、 同志た ち を 敵に わたし、 その あと は 藩 政 を 乗つ とろうと している の だ …… 。 

寺 崎 派 の 若者た ち は 見境な く C 巧 奮し は じ め た。 

11 恭順 派の 仮面 を かぶ つ た 佐幕派 はたた き 出せ。 

11 佐幕派と 内通す る 恭順 派 を 叩き 斬れ。 

その 言葉 は 山 木のと なりに いる 彼の 友人の 久徳仁 之 助 をつ よく ゆすぶ つ た。 

二 年 まえの 明治 二 年 正月、 佐幕派と して 処刑され た 久徳与 十郎の 嫡子 仁 之 助が 応変 隊に 参加して いるの を、 か 

ねがね 白眼視す る 連中が いた。 彼ら は 久徳仁 之 助 を 油断なら ない 人物と してう ちとけ ず、 警戒の 目 を ゆるめな か 

つた。 その 不信 感が いま 久徳仁 之 助の 胸元に 投げつ けられた の だ。 久徳仁 之 助 は 一瞬 蒼白に なった が、 つぎの 瞬 

間 顔 を 紅潮 させて 口 を 切つ た。 

—— 久留米 藩の ように 大藩 でない ところ は、 まかりまちがえば 藩 はたち まち 滅亡と なって、 藩士 はこと ごとく 

討死し、 その 家族 は 路頭に 迷わなければ ならなくなる。 数千 人の 浮沈が 藩の 動きに かかって いるの だ。 久留米 藩 



は、 薩摩ゃ 長 州の ように 地の利 も 財力 もない。 たとい 藩の 理想が あっても、 それ を 独立で 達成で きる 運命に はな 

いの だ。 中央の 命令一下、 大小の 各藩が 久留米 藩の まわり をと りかこむ の は 必至で ある。 

それ は 御 一 新 まえ も 今と かわり はない。 だから こそ 朝廷から 京都 守護の ために 出兵せ よと 命令が あれば 定めら 

れた 数の 御 親 兵 を 上洛 させ、 つぎに 幕府の 長 州 征伐 ともなれば、 久留米 藩も筑 前山 家に 出兵し、 長 州 再征のと き 

は 豊前小 倉に 出兵した。 長 州 藩が 力 を もてば、 藩 内の 勤王 派 を 京都に 出して 長 州に 協力 させ、 こんど は 会 桑の 羽 

振が よくなる と、 藩 内の 佐幕派 を 京都に 出して、 会 津ゃ薩 摩と 力 を あわせる。 こうやって 藩の 生存が やっと 保て 

たで はない か。 

久留米 藩のば あい 佐幕派と か 勤王 派と かいっても、 藩 を 維持す るた めに 必要であって、 その 一方が 消滅したら 

維新まで 藩の 命脈が 保てた かどう かうた がわし いの だ。 藩の 内部で こそ 相 容れぬ 存在で あつたが、 ひろく 天下の 

見地に たてば、 勤王 佐幕 両派は 藩 を 守る ためになくて はならぬ もの だ つたの だ。 

久留米 藩が いかに 外部 勢力に 気が ね をして きた か。 それが 一 番 よく あらわれて いるの は 久留米 藩の 飛地で ある 

豊 前の 大 里に 出兵して、 長 州 藩の 外国 船 打ち はらい を 応援せ よと いう 指令が 朝廷から 下された ときの こと だ。 出 

兵した 藩 兵 は 高杉晋 作から 大砲 を 借りて 試射しょう とした。 しかし 馬 関 海峡に のぞむ 大里 は、 久留米 藩が 小 倉の 

小 笠 原 藩から 借り うけてい ると ころで あり、 小 笠 原 藩が 幕府 方で ある 手前、 気が ねして 発射で きない。 

長 州 藩と 小 倉 藩の 板ば さみに あつ て そこで 久留米 藩の 隊長 山村 源 太夫 は、 もと どり を 切って お詫びし たという 

こと だ。 右往左往 する 山村の あわれな 姿 は、 久留米 藩の 姿 そのもの なの だ。 

それから また 藩 公の 奥方 精宮 は、 有 栖川宮 の 王女で あるが、 徳川 氏が これ を 養女に した 上頼咸 公に め わ あせた- 

将軍家から 妃を 迎えれば 莫大な 婚礼の 費用が いる。 それ を 覚悟の 上で、 将軍家の 申出 を 受諾し なければ ならな か 

つたの は、 久招米 藩の 立場 上 やむ を 得なかった。 ところが 明治に なると、 すぐ 藩 公夫 人 は 有 栖川宮 に 復帰す る こ 



335 最後の 擁夷党 



と を 願い出られた。 これ も 久留米 藩が いかに 面従腹背して、 藩 を 保存し なければ ならな かつ たかを 物語る もの 

ではない か。 

久 米 藩 は 双方の 顔を立てなければ、 自分の 顔 も 立たない の だ。 それ をし も 無定見 無節操と いうの ならば、 今 

ごろ 久留米 藩が 薩 摩に たすけ を 求めて 使者 を 派遣した の はなん という 自家撞着 であるか。 

そもそも 今 井 栄ゃ不 破 美 作な ど 藩の 佐幕 開港 派は薩 摩に あやつられ ている。 薩 摩と 気脈 をつ うじ、 薩摩 のさし 

ず を 受けて いると はげしく 彈 劾した の はだれ であった か。 薩摩は 密貿易で 強大に な つ た 国 だから 貿易の 利 を 忘れ 

る こと はでき ない。 だから 摘 夷 も 要するに 討幕の 口実で、 腹のう ち は 佐幕 開港 派と つうじあって いるの だと 非難 

したの は、 ほかならぬ 久招米 勤王 党ではなかった か。 

薩 摩が 英国に 莫大な 借金 を 背負いながら 今 もつ て それ を 返却し ないで いるの は、 英国に わが国の 開港 場の 土地 

を ゆずり、 宵 (易の 特権 を あたえる 密約 をして いるに ちがいない …… と 昨年 秋頼咸 公に 言上した の は 水 野大參 事で 

はなかった か。 こうして 水 野 は、 薩摩は 正義の 藩で はない。 反覆つ ねな き奸 藩で ある。 薩摩 討つべし と、 討薩論 

を 応変 隊 のなかに まきおこした。 

たといい ま 藩が 窮地に 追い こまれた とはいえ、 口 をき わめて 罵倒して きた 薩 摩にたい して、 よくも 救い を 求め 

る 気にな つ たもの だ …… 。 

父の 与 十 郎を水 野に 殺された 久徳仁 之 助の たえがたい 恨みが 噴出した。 久徳の するどい 反論に、 寺 崎 派 は 一瞬 

鳴り を ひそめた が、 また 切り返した。 

II では、 このままむ ざむ ざと 屈服し ろと いうの か。 

—— そうじゃない。 追い つめられれば 節操 を わすれて 日頃 攻撃す る 藩に とりなし を 頼もうと する。 それで は恭 

頃 派の 面々 を 非難す る 資格 はない というの だ。 同志が つね 日頃の 信念 を 貫ぬ こうと するなら、 あくまで 四隣に 救 



336 



い を もとめず、 延命 を はからず、 戦う か誅に 伏す るか、 それ をすべき だ。 わたし は 開戦 論に 正反対 だが. しかし 

一 切の 顧慮 を なげうつ て 君ら がいよ いよ 自力で やる となれば、 わたし も 自分の 立場 を 捨てて 参加したい。 

久徳仁 之 助 はそう 云い 切った。 その 筋のと おった 云い 分 は、 寺 崎 派の 急所 を衝 いた。 

しかしす でに 酔の まわ つ た 若者た ち は 相手の 言葉 を 聞こうと しない。 その 語気 は あらく みじかい。 

. I 臆病者の 議論 は、 聞いて いる ほど、 迷いが でる。 

. I だから 叩つ 斬れと いうんだ。 

— ぐずぐずし ていたら、 時間が たつば かりだ。 邪魔 もの は 追い出せ! 

山 木 卯 蔵と その 友人た ち は 歯 をく いしば つた。 寺 崎の 奴 は、 明日 呼び出されて 日 田へ 護送され る ことにな つて 

いるから、 臆病風に 吹かれて みんな を 煽動し、 巻き添えに しょうとして いるの だ。 あいつら は、 出て ゆく の を 嫌 

つて、 同志 を そそのか している。 どうせ 処刑され る 位なら ば 斬り 死しょう と 思って いる。 それ を みんな は 真に 受 

けて、 ト河 たちの 駕籠 を 途中で 待ち伏せ しょうと はやって いる。 そうしたら、 久留米 藩の 運命 は、 立ち どころ に 

終り を 告げる こと は 必至だ。 寺 崎が こちらの いう こと を 聞かず、 要撃 を 主張す るなら ば、 仕方がない。 寺 崎 を 殺 

してし まおう。 そうしたら、 寺 崎に 同意す る もの も、 だまって しまう だろう。 

山 木 卯 蔵よ. 恭順 派の 同志と、 そうさ さやき かわしながら、 脇差 を 身に ひきつけ ていた。 寺 崎 派が、 腰 抜 侍 ども 

ばかり だから、 水 野. 小河両 先生 をみ すみす 渡す ことにな つたと、 いまにも つかみかからん ばかりの いきおいで 

ののしった とき、 山 木 は 心の なかで ぷ つつり 切れる 音が した。 

山 木 は 目をつぶった まま 立 上ろうと した。 こめかみが 怒張し、 心臓の 音 だけが はっきり きこえた。 すると 次の 

瞬間、 部屋の 隅で、 烈しい 喧騒が もりあがった。 みると、 酒に したた か 酔った 寺 崎 派の 若者 二人が、 些細な はず 

みで 乱闘 を はじめた の だ。 刀が 一方の 鞘から 抜かれて おり、 まわりの ものが それ を 押しと どめて いた。 ひとり は 



337 最後の 擴夷党 



掌 を 斬ったら しく 血が 流れ、 相手 は 羽織の 片 袖が やぶれて いた。 寺 崎 はな かに 割って はいった。 しかし 双方と も 

かえって 自制 をな くして、 いきおいづいた。 寺 崎 は 刀 を 抜いた 方 を 別室に つれていった。 もとの 座に 帰って きた 

とき、 その 男 は 小指 を 詰めていた。 

このお もわぬ 騒ぎのお かげで、 山 木 は 立 上る 機会 を はずされ、 寺 崎 派の 開戦 論 は、 もりあがる 力 をう しなった。 

寺 崎 派と 山 木 派の 激突 は 回避され た。 

山 木 卯 蔵た ち は、 できるだけ 寺 崎 派 を 釘 づけしょう とした。 夜半の 十二時 頃に なれば、 水 野 や 小 河た ちの 駕籠 

は、 あたりまで は ゆく だろう。 そう なれば 寺 崎た ちが どんなに 追い かけて いっても、 追いつく こと はでき 

まい。 山 木は肚 のなかで 時間 を はかりながら 寺 崎 派と 議論 を かわし、 盃の ふち を甜 めて いた。 

三月 十四日の 未明、 山 口 藩の 兵士が、 疲れて 寝込んで いる 寺 崎 三 矢吉の 寝所 をお そった。 沓も ぬがずに 枕許に 

立った 兵士の 一人が、 寺 崎の 襟 をつ かんで 引きお こし、 「御 嫌疑の 筋 あり」 と 云い ざま、 両手 をし ばった。 ひげ 

面の 隊長が、 短銃の 火ぶ た を 切って つきつけながら、 「寺 田 三 矢吉と 申す もの はお 前 か」 と 尋問した。 「寺 田で 

はない、 寺 崎 だ」 と 答える と、 兵士た ち はお 互いに 目く ばせ して、 「こいつ だ」 と 眩いた。 寺 崎 は 無礼な 態度に 

怒りが こみ上げて 「あなた 方 はいった いど この 藩の 人た ちか」 と 詰った。 「さっき 嫌疑の 筋と いったのに、 どこ 

の 藩 かと は不 届な やつ だ。 抵抗す る 気 か」 と 隊長 は 寺 崎 を 庭に ひきずり 出し 短銃の 尻で なぐりつけた。 部下の 兵 

こち も 縁の下に 積んで ある 薪で、 寺 崎 を 顔から 血ので る ほどうち すえた。 そうして 寺 崎の 老父 やお 娠 した 妻が 

とりすがる なか を、 刑法 局へ 引き立て ていった。 

その 日の 午前、 久留 米から 日 田に 通じる 街道 を 罪人 護送の 列が つづいた。 駕籠の 上に 麻緦を はった 陰 霧な 唐 丸 



339 最後の 擴夷党 



有 栖川宮 にたいして 懇願 書 を 出す ことで あつ た。 それ も 東京で 人質 同然に な つ ている 藩主の 危急 を 知らせる ので 

は、 まだ るつこい。 一刻 を あらそう この 時点で は、 久留 米の 柳 原 御殿に ひとり 残って いる 宮の 姫君、 つまり 精宮 

の 受難 を 訴える ことであった。 そのために、 長 崎まで 歎願 書 を 持参し、 そこで 上京の 途中 船待ちし ている 藩の 役 

人 丸 岡 一学に 手渡しす る ことであった。 ところが 鵜 飼の 出した 使者 は 引返して きた。 若 律に は佐賀 藩の 兵士 二 小 

隊が 入り こみ、 厳重に とりしま つてい る。. これで は 出国 はとうて いで きないと いうので ある。 

それば かりで はない。 佐 藩の 兵隊 は、 久留米 郊外の 筑後リ 畔の豆 律まで くり 出し、 筑 後川 をへ だてた 千 栗 山 

に は 大砲が 東向きに すえつけられて いるとの 情報が はい つ た。 

柳 河 藩 は 久留米 藩との 国境 を 閉鎖した。 そして 藩 外の もの は、 親戚で も 家に 置く こと はで きないと 布告 を 発し 

- J 

東 は 高 良 山 御殿まで 山 口 藩の 兵が せまり、 南の 熊 本 藩 は、 久留米 藩 を 敵視して 藩 境 を 警戒して いる。 

久留米 藩 は 封鎖され たこと を 感じた。 

しかし 坐視す る こと は 死 を 意味して いた。 

鵜 飼 は 重ねて 二人の 使者 を 出した。 二日 まえに 出発して 陸路 をた どった 使者の 山 田 辰三郎 が、 途中で 捕縛され 

ずに 鹿 児 島に 着いた かどう か 安心なら なかった。 二人の 使者 は 夜に はいるの を 待って、 筑 後川の 川口から ひそか 

に 漁船 を 出し、 有 明 海 を 横切って 茂 木に つく。 ひとり は 茂 木から 天草の 内海 を 南下して、 薩摩 藩の 米の 津へ 到着 

する 計 le である。 もう ひとり は 茂 木から 長 崎へ ゆく。 丸 岡 一学に 会うた めで ある。 

また 隣 藩の よしみに すが つ て、 福 岡 藩と 佐賀 藩へ もとりな し を もとめた。 

そして その 日 はすべ て昏れ てい つ た。 どこかで 子供た ちの 歌う 声が 聞こえた。 

久留米 藩 を あげての 必死の 努力 にもかかわらず、 十四日 夜まで 藩と 藩主の 安全 を 保障す る もの は 何 一 つな かつ 



た。 久^ 米 藩士の なかに、 誰が いつ 喚問され るか わからない 焦慮と も 不安と もっかな いものが みなぎった。 おた 

がい 喋って いて ふと 黙り こみ、 相手の 瞳の なかに、 自分の 安全 さ をた しかめよう とする。 

山 木 卯 蔵が 応変 隊の 屯所 を 出て、 庄島 にある 自宅の 門 際まで くると、 一時 雨の あがった 近くの 森から 梟の 鳴 声 

が 間え てきた。 それ は 幼い とき 山 木が 母から 教わった ように、 

こうぞう こうぞう から く 

I 小僧、 小僧、 辛 かが 喰う か 

と 鳴いて いた。 辛い けれども 食わねば ならぬ。 山 木 は 自分に むかって そう 答えて いた。 



三月 十五 日の あさ、 折からの 雨を衝 いて、 越後 某 寺の 僧 賢 正と 名のる うす 汚ない 男が、 山 木 卯 蔵 をたず ねて き 

た。 耶蘇 探 策の ために 九州に やって きて 久留 米に 立 寄った という。 心 当りがない と 山 木が 云う と、 路銀 をめ ぐむ 

まえに そそく さと 立ち去った。 すぐお いかけた が、 姿 はみ えなかった。 山 木 は 胡乱な 僧の ことが 気に かかった。 

政府 や 山 口 藩の 密偵が 自分の ような 者にまで 目 をつ け 探 策 を はじめた のかと あらためて 身辺 を 見 まわした。 とい 

つて 長兄 夫婦の 世話になつ ている 独り者で、 病人の 母 を のぞけば、 係累に 心残りが ある わけで はない。 

昼 まえ、 久徳仁 之 助が 山 木の 家に やって きた。 久徳を 招じ入れ ると、 久徳 はかね がね 借りて いた 書物 を ふろし 

きから とり 出した。 久留米 藩 もじ ぶんた ち 藩士の 運命 も、 すべてが 最後の 瞬間に 近づいて いる 思いが、 若者た ち 

の 胸 を かきむしった。 しかし それ を 口にする こと を はばかって、 二人 は 湿つ ぼい 畳に 仰向けに なって いた。 

久徳は 自分の 母の 烈しい 反対 をお しきって 応変 隊に はいって から、 一年し か 経って いなかった。 山 木の 推薦が 

あつたと はいえ、 久徳は 自分が どうして 応変 隊に はいった か、 その 理由 を 説明す る こと はでき ない。 それ は 山 木 

の 進もうと する 方向への 嫉妬 だ つたの か。 嫉妬と は ほかならぬ 友愛の 変形であった のか。 



最後の 攘夷 党 



し.^ し 今と なって は、 それで すら 表面的な どうで もよ い 理由の ような 気が 彼に は 13 る 

久徳 は、 青春の 欝屈 を、 あてどの ない にくしみ を、 そのな かで どれ だけつら ぬき、 高める ことができる 力試し 

てみたかった。 にくしみ がその 反対 物に 転化す る 機会 を、 応変 隊 のなかに はいって、 摑 みたかつ たという ほうが 

正確だろう。 

風が 波頭 を 切る ように 一 一人の 胸 をみ じかい 青春の 歳月が 掠め とんだ。 

自分た ちの 身 ひとつ を 扱い あぐねて、 こと もあろう に 山 口 藩の もっとも 憎悪す る奇 兵隊の 脱走 者た ち を、 わざ 

わざ 誘い 入れ、 何事 かが 起こる の を 待ち受けた。 何 かが 起こって ほしかった。 若者た ちの 合図に 応えて、 それ は 

身 を 起こし 炬火の ような 目 を 光らして、 近づいて きた。 だが 若者た ちの 前に あらわれた それ は、 事件と いうより 

は あまりに 巨大な 怪物の 姿 だ つ た。 

:=: 木と 久 お-いが、 山 木の 兄 嫂の つくって くれた そばが きをた ベて いると、 大 鳥居 菅吉の 使いの 者が 縁側に 立って 

、た。 山 木に 直ぐにき て くれと いう。 大 鳥居 菅吉 は、 真 木 和 泉 守の 甥に あたり、 呉服町に ひとり 下宿して いた。 

そこ は 奥ま つ た 部屋で、 密談 をす るのに つごうの よい 場所 だ つ た。 

い つたいなん のこと だろう、 と 山 木 卯 蔵 は 久徳仁 之 助 を ともなって そこ へ い つ てみ た。 

大 鳥居の ほかに 島 田 荘太郎 と、 吉田足 穂の 二人が その 場に いた。 彼ら は、 山 木が つれた 久徳 を、 ちらと 見咎め 

たが、 それ 以上 何も 云わなかった。 口 をき くの も懶 いほ どみんな の 顔 はや つれ 異様に ひきつれ ている。 

山 木 を まえにして、 大 鳥居が あらたまった 声で、 

11 おい、 山 木、 大楽 は久留 米に いる ぞ。 

と 云った。 その ささやき は、 こめかみ を 破る ほど 烈しく、 部屋 中に 鳴り ひびいた 



342 



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莊 とよし な 山 



山 本 はお どろいて 跳 上らん ばかり だ つ た。 

. I 冗談い うな。 そんな はずが あるか。 大 楽は豊 後の方に 逃げた というで はない か。 

口 藩の 兵隊が 熊 戸山と 樅 鶴の 一帯 を 探し まわった が、 こわれた 炭 焼の 番小屋が あるく らいで、 大楽は 発 

か つ たと 昨日 藩 庁に 報告が あつ たの は 知ってい るか。 

かし 久招 米に いる はず はない。 大楽 はい ざと いう 場合 は、 久留米 藩に 迷惑が かからぬ ようにす る、 と 口 

うにい つていた。 何 かの 間違い じ やない のか …… 。 

ころが …… 。 

太 郎が山 木の 言葉 を ひきと つ て 答えた。 

河 先生が 一昨日の 十三 日 早朝、 いよいよ 日 田に 呼 出されて 出立され る 間際に、 わたし を 呼んで、 じつは 

うに 逃げた 大 楽が 明 方に 舞 戻って、 田 中 隆吉の 家に ひそんで いる。 官 兵の 警戒が よほど 厳重な ので 大楽 

仕方がなかった ろうが、 これでい ままでの 苦心 も 水の 泡と なって しまった。 あと はよ ろしく 頼む と 耳 打 

けられ たんだ …… 。 

口 をつ ぐんだ。 山 木 は、 はたと 思い あたった。 

る ほど。 小 河 先生が どたん 場に なって 恭順の 意 を ひるがえし、 自分の 駕籠 をう ばいかえ してた たかえ… 

にい われた 意味が わかった。 先生 は 最後の 瞬間に、 一切の 顧慮、 一切の 努力と 忍耐、 すべてが 空し かつ 

認めたん だ。 自分の 死が 犬 死 だとい う 絶望が、 護送の 間際に 先生 をお そつたん だ …… 。 大楽 がまい 戻つ 

…- どうす る。 

うする。 いや、 われわれ はこの 二日 そのこと ばかり 考えて きた。 大 楽に ひそかに 面会して、 よそに 逃げ 

. いっても、 大楽は 久留米 藩 を ひっかきまわし にきた、 といわん ばかりな の だ。 それに、 よそへ 逃げる 途 



中、 運 わるく 大 楽が 捕えられたら、 それ こそ 藩と 藩 公の 最後 だ …… 。 

1 では、 若津 にある 藩の 軍艦の 千歳 丸に 大楽 をのせ、 自分た ち も 乗船して 姿 をく らまして しまって はどう か。 

—— それ はもう だめ だ。 昨日から 若 律に きていた 佐賀の 兵隊た ちが、 千歳 丸の 大砲 を ひきおろし、 器 機 類に 封 

印した という 知らせが はい つ ている …… 。 

山 木 は 自分の 提案が しりぞけられて 落胆した。 

ほかに 方策 はなさそう だった。 すべての 脱出 路は封 じられ、 官兵は 草の根 を わけても 藩 内 を 探し まわる だろう。 

1 じ や、 どう すれば よいの だ。 

11 殺す ほかない。 - 

誰かの 声が 匕首の ように 山 木に つきささった。 窓の 外に は、 春雨が 音 をた てて 降りしき つていた。 黄色い 光が 

大 鳥居、 島 田、 吉 田の 顔に おちる の を 山 木 は 見た。 とつぜん、 いままで 沈黙 をつ づけて いた 久徳仁 之 助が 口 を 開 

いた。 久徳の 顔 は 皺 だらけに なり、 唇 は 皮肉に 歪められ ていた。 

いよいよ t 付ける ことにき める のか。 半年 も かくまつ てきた 同志 を、 この 期に 及んで 殺す というの は あ 

まりむ ご、 士打じ やない か。 天下の 事を俱 にしようと してきた 同志 を 殺して、 自分 たちだけ 助かる というのに 

おれ は 許せぬ。 どうして もやる というなら やる がよ い。 おれ は 今から 刑法 局に 訴え出る 

党 気まず い 空気が 一 瞬な がれた。 島 田 は それ をと りなす ように 久徳 にむ きなお つ た。 

觀 — じゃどうし たらよ いか。 ひとつで も 生かして 置け る 道が あれば、 われわれ も それにした がおうと、 額 を あ 

後 つめている 最中 じ やない か。 よい 考えが あれば 教えて くれ。 

3 久徳は 無造作に 云った。 

3 , 1 それよ 簡単 だ。 大楽 たち を 城内に ある 倉の 中に 入れて、 生米で も嚙ら せて おけば、 まず 見付かる 心配 S な 



い。 そのうち 宫兵も 引き あげてし まう だろう。 それまで 辛抱 すれば よい。 

— それ もよ い 思いつき のよう だが、 われわれ は 明日で も 呼 出される か 分らない。 その あと、 大 楽の 面倒 はだ 

れ がみる か。 もし 大 楽が 捕まって 何もかも 白状して みろ。 そうな つて は、 取り かえしが つかぬ。 

久徳は それでも 自説 を まげず、 

11 やるなら やれ、 おれ は 刑法 局に うったえ 出る。 

岛田は 久徳を いささか もてあまし 気味に な つて 云った。 

11 刑法 局に 訴えるなら 訴え出る がよ い。 しかし 刑法 局の 総裁 は 鵜 飼 だ。 われわれの 同志 じ やない か。 訴えて 

もなん の 役に も 立たぬ ぞ。 

11 こうな つたら、 のこる はた だ 一 つ。 大 楽に 自決 をす すめる 以外に ない。 

山 木 は 咬いた。 みんな も 山 木と おなじ 意見だった。 

久徳は 黙り こんだ。 その 顔 は 老人の ようだった。 

久徳 はさそう わけに は ゆかない ので 島 田、 大 鳥居、 吉田、 山 木 は 四 人で 水野大 参事の 役宅へ 出向く ことにした。 

その 役宅 はいつ も は 空 家と な つ ていたが、 ときには 同志た ちの 集合場所に あてられ ていた。 

大楽 は、 田 中 隆吉の 家に ながく 置く のが 危 いので、 弟の 山 県 源 吾、 門弟の 小 野 精 太郎、 下僕の 村 上要吉 とと も 

に、 そこに 移されて いると いうの だった。 

四 人 はまず 自宅に 帰り、 紋 付の 羽織に、 白衣の 下着 をつ けて、 大 楽に 面会に 出かけた。 雨 はやまなかった。 一 

時 小 降りに なるとき もあった が、 また 降りつ いだ。 傘で 顔 を かくすよ うにして 袴の 股 立 をと り、 役宅に 着いて み 

ん なの 顔が 会った ところで、 大 楽に むかって 自決の こと を それとなく 切り出した。 大 楽が あいまいに 言葉 を 濁す 

ので、 業 をに やした 四 人 は、 こもごも、 



345 最後の 攘夷 党 



- 1 藩 情が ここにい たったの だから、 致し方がない。 大楽 氏。 もはや 免 かれない から、 いさぎよく 死んでくれ- 

われわれ もお 供す る。 

と はっきり 云 つ た。 

大楽は 覚悟 を きめていた とみえ、 古松 簡 二が 自首 をす すめた ときの ように は、 色 を 失わなかった。 沈痛で は あ 

つたが、 張りつ めた 声で、 

—— ごもっとも。 わたし はもう 死んでも よいと おもって いる。 生きる の はつらい。 逃げ まわっても 所詮お なじ 

こと だと わたし はなん ど 自分に 云い 聞かせた ことか。 しかし それ をみ とめた とき、 わたしの 使命 はお わるの だ… 

;。 食物 もろく に とらなかった この 一年間の 困窮が、 わたしの 目から 視力 をう ばって しまった。 昼 はかくれ 家に 

ひそみ 夜中 を 見計らって 転々 する わたしの 生活 は、 夜分に だけ 活動す るむ ささび …… この 地方で いう 晚鳥 そつく 

り だ。 しかし 狱 犬に くれてやっても よい 命 を、 わたしが なぜ 大切に している か。 なぜ わたし は 敵の まえに 飛 出し 

たくなる 衝動 をお さえて、 漬物 桶 や 長 持の かびくさい 匂い をが まんして いるの か。 わたしが 今 ここで 死ぬ こと は、 

斃れた 同志た ちにたい して、 盟約 を やぶる ことになる からだ。 彼らの 死 を 無駄に しないた めに は、 死ぬ ほうがた 

やすい 瀬戸際に なお 生きる こと だ。 最後の 機会が 最大の 機会 だと は、 この こと をい うの だ。 ここで 頑張る 必要が 

ある。 

久留米 藩の 同志ば かりで はない。 古庄 虎二、 高 田 源 兵衛、 古庄 嘉門、 木 村 弦 雄、 毛 利 空 桑と その子 どもた ち、 

赤 座 弥太郎 …… あたら 天下の 同志た ちがわた しのた めに 罪 を 負わねば ならな か つ た。 わたしの ために あらゆる 惨 

苦 を 嘗めた。 この こと はも はや わたしの 身が、 自分の 考え だけで 行動で きる もので なく、 同志す ベての もの だと 

いう こと を 意味して いる。 わたし はなん としてで も、 生きて 同志た ちの 恨み を かえさせねば ならぬ。 

それにつ けても 思い出す の は、 今の 久留米 藩の 状態が、 かっての 山 口 藩の 状態と 寸分 もちが わない こと だ。 そ 



346 



のころ 俗論 党 は 藩の 実権 を 左右して いた。 三人の 家老と 四 人の 参謀が、 つぎつぎに 死 を 強制され、 藩主 は 幽閉 さ 

れ、 封土 は 削られよ うとし、 しかも 幕府の 軍 は 四 境に 迫ろうと していた。 藩 内の 正義 党 は 日夜 暗殺の 危険に さら 

されて、 手 も 足 も 出ない 状態だった。 そうした とき、 高杉晋 作が 馬 関に 兵 を あげ、 疾風の ように 行動し、 たち ま 

ち 俗論 党 を 制圧し、 藩の 意向 を 自分の 手中に 握った。 久留米 藩 もい ま、 ここで 思い切り やる かどう か、 決心す ベ 

き 時な のに、 君ら は それ を どう 考えて いるの か。 

君た ち はまえ に は、 やれ 青 蓮院、 やれ 花 山院、 やれ 鷲 尾 侍従、 やれ 愛宕 侍従と、 いろいろな 人た ち を 担いで 一 

旗 あげようと 画策した。 それ を 今 はすつ かり 忘れ はてて いる。 

しかしつ ぎの こと だけ は 知って おくが よい。 政府、 とくに 木戸 孝 允 は 久留米 藩 をた たきつ ぶして、 藩 を 廃す る 

こと を ためらつ ている 諸 藩への みせしめに しょうと している。 とくに 封建の 制に 固執して いる 薩摩藩 は、 郡県 制 

に 反対す る 諸 藩の なかで ずば抜けて 強大で、 政府 も 一朝一夕に つぶす わけに は ゆかない。 だから 薩摩 藩と 対抗す 

る 山 口 藩 は、 まず 久留米 藩 を 狙った の だ。 久留米 藩 は薩摩 藩の かわりに 犠牲者の 役割り を 引き受け ねばなら ぬの 

だ。 つまり 久留米 藩の 役割り は、 木戸の 書いた 筋 書の なかです でに 振られて いる。 君た ち は その 筋 書 を 無視して 

自由な 考え方 をしょう とねが つてい るが、 そうは ゆかない。 

それが 証拠に は、 山 口 藩 は なぜ わたし を 今日まで 捕えなかった のか。 密偵 ども はわた し を 追跡して いたよう に 

みえる が、 しかし その実 は、 追跡 するとみ せかけ て、 わたし を 久留米 藩に 追い こんだ の だ。 それ も わたし はじめ 

奇 兵隊の 残党 を 捕える のが 目的で はない。 尾羽 打ち 枯 した 脱 隊兵 たちに なにほどの 意味が あろう か。 わずかば か 

りの 逃亡者 を とらえる のに、 山 口、 熊本両 藩の 兵隊 を 大挙 動員す る だけの 値 打が あろう か。 まさしく 鶏 を 剖く に 

牛刀 を 用いる たぐいで はない か。 その 大げさな やり方 を 承知の 上で、 しっこく 木戸が 追い まわして いる 真意 は 脱 

隊 兵の 追 捕と は 別な ところに、 久留米 藩 を 挑発し、 粉砕す ると ころに ある。 それが 木戸の 執念な の だ。 諸君 は そ 



347 最後の m 夷 党 



れを 悟らない のか。 大楽 ひとり を 殺す ことで、 万事が うまく ゆく と 思う ほど お人好し なのか …… 君た ち は、 大 

楽 は 久留米 藩 を 死地に 陥れた と 非難す る。 いかにも わたし は 久留米 藩 を わざわざ 死地に 陥れに やって きた。 勤王 

の 志が 果せる かどう か。 わたし は それが みたい の だ。 毛 利 は 三十 六 万 石 を 賭けた が、 有 馬 は 二十 一万 石が それ ほ 

ど 惜しい のか。 

大 楽の するどい 弁舌 は、 ここにお いて 決定的な 効果 を 発揮した。 それ を反駭 する こと は 不可能だった。 白衣 を 

着て 大 楽に 自裁を すすめに いった 四 人 は、 締め切った 障子の 外に 音 をた てる 雨 を 聞きながら、 影の ように 釘付け 

にされ て、 坐った まま だ つ た。 

三月 十六 日と なった。 その 日 も 朝から 霧の ような こまかい 雨が 降って いた。 筑 後川 は 水かさ を 増し、 瀬の 下の 

淵で は 六尺 以上と なった。 古老の 話で は、 筑 後川 はおよ そ 十八 年 ごとに 手の つけられない あばれ 川と 変る、 その 

年に あたって いた。 この 分で は 洪水のお それが あるから、 注意す るよう にと 触れが 出された。 あいかわらず 山 口 

藩の 密偵が、 家 ごとに 嗅ぎ まわり、 官 兵が 馬で 町 を かけて いった。 

子どもたち だけが、 兵隊と 仲好しに なつ て 軒下で たわむれる 光景が みられた。 

四条 さん 寺 町お 出の こしらえ は 頭 ィガ栗 坊主で チョッキ リ髪 靴 穿いて ズボン や 半纏 釣り 刀 鉄 

砲 担げて チヨ イチ ョィ …… 。 

子どもたち はもう 歌 をつ くって、 はやした てた。 



8 その 午後、 昨日の 面々 を 中心とした 同志た ち は、 ふたたび 大 鳥居 营吉の 下宿に あつまった。 みんなで 十三 名で 

3 ある。 あつまった 者の 心 は 重かった。 

島 田 荘太郎 が 説明した。 

大楽は 久留米 藩と 藩 公に 迷惑 を かけて いる ことの 反省が いささか もない。 捕まったら あの 調子で、 わが 身 

かわい さに なに を しゃべる か 知れた もので はない。 自決 をす すめても、 言 を 左右に して 肯 じない。 あまり 腹が立 

つたので、 昨日 も その 場で 一気に 片付けて しまおうと 思った くらいだ。 しかし 大楽 のかた わらに は、 弟の 山 県 源 

五 口、 門下生の 小 野 精 太郎、 下僕の 村 上 要吉が ひかえて いる。 こちらが 山 木、 吉田、 大 鳥居、 わたしの 四 人で 大楽 

の ほうが 四 人と いう ことで は、 部屋の なかで 乱戦に なり、 手傷 を 負わない とも かぎらぬ。 そうしたら たちまち 外 

に 波れ て 知れ わたって しまう。 そこで ひとまず 引 揚げて かえった。 もう 万策 尽きた。 大楽を 生かして おく 方法 は 

ないし、 大 楽が 自決 を 拒否す ると すれば、 最後の 手段し かない。 明日に でも われわれに は 刑法 局から 出頭命令が 

くる かも 知れぬ。 そう なれば 万事お わりだ。 断然 今夜 決行すべき である …… 。 

みんな 島 田の 意見に 異論の ある 害はなかった。 それが 唯一の 解決 方法に ちがいなかった。 一同に まじって 首 を 

垂れて いた 久徳仁 之 助が、 とつぜん 顔 を あげて 云った。 

11 そんなに 藩 公が 大切 か。 

なんとい うこと をい うの だ。 

山 木 はたしな めた。 久徳は 昨日の 仲間で も あるので、 今日 この 場所に つれてき たが、 山 木 は そのこと を 後悔し 

た。 久徳は 山 木 を ふり 切って、 

11 そうじゃ ないか。 われわれが 藩主に 殉 ずる こと はあって も、 藩主がゎれゎれに^^,じたとぃぅ話は聞ぃたこ 

なが ひろ 

とがない。 となりの 福 岡 藩主 黒 田長溥 など は、 明治に なって、 佐幕派の 重臣で ある 野 村、 浦 上、 久 野の 三人の 家 



349 最後の 擴夷党 



老に 「上 重々 心外と も 何とも 仰せ 聞 けられるべき 様 もこれ なく 候え ども、 切腹いた し 呉れ 候よう」 といって 詰 腹 

を 切らせて いる。 朝廷から 何 かのとが めが あった わけで ない が、 とにかく 腹 を 切って くれ、 と は 一体 何事 か。 朝 

廷に顔 をた てるた めに、 家臣 をい けにえ にして、 それと 引き かえに 自分の 延命 を はかって いる。 とどのつまり は 

藩主が わが 身 かわい さに やる だけの ことで はない か。 

わたしの 父 久徳与 十 郎がニ 年 まえに 処刑され たと き、 わたし は 自分の 目 をうたがった。 わたしの 父 は 公武合体 

ん冊 者で あつたが、 藩 命 を 忠実に 守った までで ある。 藩と 藩主の ために 京師の 間に 奔走した。 それが 時勢が 変った 

とはいえ、 罰 を 受けて 死なねば ならぬ わけが どうしても わからなかった。 わたし は その わけ をた しかめる ために、 

母に 反抗して、 応変 隊に 入隊した。 藩主から 見殺しに された 家臣 を 父に もつ わたし は、 もはや 佐幕派の ように 藩 

と 藩主に 忠誠 を尽 そうな どと はまった く 思わず、 それ を ふみにじって、 大義に 生きよう とした。 藩主の 命令 どお 

りつく してきた 家臣 を まもろう としな か つ た 藩主 へのぬ きがたい 不信が あった。 応変 隊 はそう したわた しの 願い 

を 生かして くれる ただ 一 つの 場所だった。 

しかし、 身 を 捨てて 大義に 生きる とか、 国家の ために 奔走す ると か 口ぐ せの ように 云って きた ものが、 日頃の 

志よ どこ へら、 小心 翼々 と 藩主の 身の上 を 気遣う だけにお わるの を 見る の はたえが たい。 わずか 四日 まえに は萄 

や 藩主の 安全 はおろ か、 朝廷 を 向こうに まわしても かまわぬ とまで 建白書で 云い 切った ものが、 いまの ありさま 

は、 何とい う 矛盾 だ。 

わたしが せっかく、 君た ちのお かげで、 藩と 藩主に 執着す る 忠誠 心つ まり 佐幕派の 忠誠 心から 離脱し 得た と 思 

つてい る 矢先、 君た ちの ほう は、 かっての 佐幕派よりも さらに 佐幕派の 心情に かえって しまった ではない か。 

I では、 どうす り やい いの か。 君 は 恭順 派じゃなかった のか。 それが 寺 崎 派の ように 暴発し ろと いう 意見に 

かわった のか。 



350 



誰かが いらいらした 声で 反驳 した。 , 

11 いや 寺 崎た ちの 暴発 論に は 反対 だ。 意気 旺んな 主戦論の よう だが、 藩 外の 勢力 を 頼みに している。 あだな 

依 鎖 心が つ よす ぎる の だ。 

11 あるいは ほかになにか、 解決の 法が あるの か。 

—— それ はない。 

11 久徳。 君の ほうこ そ 矛盾 じ やない か。 解決がない と 云いながら、 われわれに 難題 を ふっかけ ている。 

11 そうか も 知れぬ。 しかし 同志 を 殺す ことが 矛盾の 解決に はならぬ の だ。 たかが 一人 位の 命と 思う かも 知れ 

ない が、 それ は 自分の 志 を 殺して しまう ことになるの だ。 木の 切株 を ひきぬいた あとに ぼっかり 穴が あき、 水が 

たまる ように、 心の なかに 穴が あく。 そのよう に 自分の 志と 刺し ちがえて 引き換えに 得る の は 空虚 だけ だ。 それ 

がお そろし いの だ。 ひとたびそう なると、 なんでも できるようになる。 自分が 自分でなくなる からだ。 自分の 節 

を枉 げたから だ。 自分 を 裏切った からだ。 自分に 屈服した からだ。 それが 許せぬ …… 。 

久徳は 一気に 云い 切って しまう と、 やにわに 肌 を あらわして —— 御免、 というと、 腹に 刀 をつつ 立てよう とし 

た。 山 木 はお どろいて —— 何 をす る。 気で も 狂った か。 

と 咎めた。 久徳は とめられた 手 を しずかに ほどく と、 ふたたび 首 を たれ、 

—— 日頃 盟約 を ふかめて きた 諸君 を 面罵して 申 訳ない。 自分で も 自分が どうしてよ いかわ からない。 

と 低い 声で 答えた。 山 木 は久徳 をな だめ、 

—— 久徳、 君 はしば らく わたしの 家に おって くれ。 

と 久徳を 座から はずした。 

久徳が 去る と、 一同 はぐった りした 様子で あつたが、 そうしても いられな いので、 ふたたび 打合せに とりかか 



351 最後の 攘夷 党 



つた。 

大楽 たち は、 一箇所に あつまって いると 発見され やすく 危険 だからと、 前夜から ひき 分けて 潜伏 させて あった。 

大楽 ひとり は、 太 田 茂が 原 古 I 只の 親戚のと ころに、 また 大 楽の 下僕 村 上要吉 も、 山 県 源 吾と 小 野 精 太郎の 二人と 

は 別な 場所に つれて いってあった。 その 方が いざと いう 場合に 処理し やす か つ たから だ。 

それぞれ 手分けした。 

大 楽の かかり は、 山 木 卯 蔵、 吉田足 穂、 太 田 茂。 

山 県と 小 野の かかり は、 島田荘 太郎、 大 鳥居 菅吉、 樋 口 良臣、 篠本廉 蔵、 本山 岩 之丞、 川口 誠 夫。 

また 村 上の かかり は、 鹿野淳 二、 井上 達 也、 下川襄 助の 三人。 

一同 は受 持お きめる と、 落 あう 場所 を うちあわせ、 それぞれ 家に もどって 日の 昏れ るの を 待つ ことにな つた。 

そのと き 吉田足 穂が とつぜん 座 を 見 まわして、 主張した。 

久徳仁 之 助 は、 大楽を 殺す ような こと をしたら 刑法 局に 訴え出る、 といきまい ている。 いま も 考えが 変- 

て いないの は、 はっきりした。 大事 決行の 問 際に、 われわれの 計画が 洩れる かも 知れぬ。 久徳 をまず 殺して しま 

おう。 その 方が 先決で はない か。 

山 木 は 顔から 血の気が ひく 思い をした。 彼 は 膝 をのり 出して 叫んだ。 

久徳: A 本、, :! でそう 云 つ たと は 思えな い。 また 云 つ たと しても、 同志 を 裏切る 行為に 出る と は 考えられない 

久徳 はむしろ 危険な 役 を 買いた が つてい るの だ。 彼 は 応変 隊 からい つまで も 旧 佐幕派と 見られる ことに 反撥し、 

自分の 証し がしたい の だ。 

— しかし 万一と いう こと も ある。 そうな つた 場合 は、 とりかえしの つかぬこと になって、 悔を 千載に のこす 

ことにな つ てし まう。 



吉 m 足 穂 は 声を昂 ぶら せた。 山 木 は 一座の 空気が、 吉 田の 考えに 同調し、 決断 をし ぶって いる 自分 を 暗黙に 非 

難して いる こと を、 はっきりと 感じた。 山 木 は 弁 辞に 窮 したす えに やっと 思いついて 云った。 

——ー 筑 前の 秋 月 領には 同志の 宮崎車 之 助が いるから、 宮 崎に 会って 大楽を ひきうけて くれる よう、 久徳に 交渉 

させる。 もちろん 大楽を 秋 月に 落して やる、 という ことにす るの だ。 久徳 がわれ われの 行動 を 邪魔し ないように、 

一両日 はなん とか 理由 をつ けて、 久徳が 城下に かえって こない よう、 手配して おく。 

山 木の 提案 は 同志た ちに 受 入れられた。 山 木 はすぐ さま 家に かえると、 彼の 部屋に 待って いた 久徳 にむ かって、 

秋月領 へ、 大 楽の 逃亡の 手助け をして くれる よう、 そのために 宮崎車 之 助に 受 入れ 態勢 をと とのえ るよう 相談し 

てきて くれ、 と 頼んだ。 久徳 はすぐ 引受けた。 先刻の 疲労の 隈に かこまれた その 眼 は、 たちまち 生気 を とりもど 

した。 

山 木 は、 久 i ,がその 足で 秋 月 をめ ざして 出発す るの を 見送る と、 納屋から 一挺の 鍬 をと り 出した。 その 鍬 を 袴 

の 下に かくし、 人目に つかぬ よう 傘 を ふかく さして、 ぶら りと 家 を 出た。 

山 木が 大 鳥居の 下宿に つくと、 吉田足 穂が 夜に 入つ て やっと 姿 を あらわした。 

11 おそかった じ やない か。 

—— うん。 

吉田は 浮かぬ顔 をして いる。 眼 は ただならぬ 昂奮 を 宿した まま 落着かない。 山 県と 小 野 を 誘殺す るた めに、 大 

鳥居 はすで に 出かけた あとだつ たが、 彼の 残して おいた にぎり 飯 を、 二人 は頰 ばった。 

—— 久徳は 秋 月に むけて 出発した からもう 城下に はいない。 

山 木が、 吉田 にそう 云う と、 吉田は 坐り 直し、 

11 山 木、 久徳 はおれが 追い かけて 二番 堰の ところで 斬って きた。 • 



353 最後の 擴夷党 



ZUK よたべ かけて いたにぎ り 飯 を 皿に おき 身体 をう しろに ずらせながら、 自分の 耳 を 疑った。 久徳の 出発 間際 

の 言葉が まだ 耳朶に 残って いた。 

— 君が 引受ける、 と 云った が、 どうしても 安心なら なかった。 もしもの ことがあって、 久徳が 城下に はやく 

帰つ てきたり したと きのこと を 考えたら、 じっとして おれな か つ た。 

11 おれ は 許せぬ。 

山 木 は 刀の 柄に 手 を かけ 烈しい いきおいで 叫んだ。 

吉田は 片手 を あげて 押しと どめた。 

—— 待って くれ。 今夜の 決行が 控えて いる。 その あと、 どうで もして くれ。 

— よし、 同志 の 信 誼 を ふみにじった 行為に い ずれ 決着 を つけて やる。 

山 木 は 荒い 息 を 吐いて、 吉田を 睨みつ けた。 それから 二人 はもう 必要 以上に 言葉 を かわさなかった。 櫛 原の 栅 

門 を 出て、 田圃 道 をた どりながら、 高 野 八幡宮の 裏手に まわった。 

雨の 夜な ので、 さすがに 道 ゆく 者 もな く、 途中 だれに も 見咎められなかった。 

暈 を かぶった 月が かかり、 筑 後川の ながれが ぼんやりと たしかめられる。 二人 は 土 堤 ぞいの 笹 やぶ を かきわけ 

て 身 を ひそめた。 

ぐし よ、 需れ こ, なりながら、 とおくから 近づいて くる 物音 をのが すまいと、 全身の 注意 を とぎすました。 だ 力 十 

二 時 をす ぎ、 真夜中の 丑 三 近くに なっても、 大楽を つれてくる 太 田の すがたが あらわれない。 久徳が 殺されて し 

まった 衝撃の 上に、 太 田が 大楽 をと り 逃がした ので はない かとい う 不安が くわわって、 山 木の 苛立ち は 耐え 切れ 

なくな つ てきた。 

ハ つもなら、 吉 田に むかって その 不安 を 訴えられ るのに、 今 は 無言の ままで ある。 眼が 合いそう になる と、 二 



4 人 は あわてて そらす。 ついに 失敗した か。 ほとんど 吐瀉物の ように 口腔 中に あふれる 絶望 を 吐き出そう としても 

て あまして いたと き、 二人の ひそんで いるすぐ かたわら を、 山 木と 吉 田の 名 を ささやきながら、 太 田の 吉が ゆつ 

くりとお りすぎ て ゆく。 

一 一人 は 

11 茂さん、 茂さん。 

と 小声で 呼びながら 笹 やぶ を 飛 出した。 

11 い つたい、 どうしたんだ。 

山 木 は うわずった 声で、 思わず 太 田 をな じった。 

—— いや、 大 楽が 手 こずら せる ので、 意外に おそくな つてし まった。 

太 田 は 雨に 濡れ そぼちながら、 いきさつ を 説明した 11 。 

太 田 茂 は、 ひとりで は 心細い ので、 彼の 家に きあわせた 同志 二人 を 語らって、 大楽を あずけて ある 原 古 賀の親 

戚の 家に いった。 そして、 大 楽に むかって、 

—— いよいよ 久留米 藩の 同志 は 蹶起す る ことにき めた。 それに は 準備が 必要 だから、 その あいだ 他領に 逃げて 

いて くれ。 き 分た ちが 道案内す るから。 

といった。 しかし 大楽は 何度 促されても、 いっこうに 動こうと しない。 一歩 外に 出たら 死の 領域に かこまれ てい 

る こと を 本能 的に 察知して いる。 太 田た ち は、 時刻が 迫って くるので、 おびえき つた 大楽 をせ き 立てて、 畳から 引 

き剝 がすよう にして 腰 を あげさせた。 大楽 はふろ しき 包 を 一 つ さげて 外へ 出た。 そのほか 彼の 持物 は 何もな かつ 

た。 太 田と 二人の 同志が 大 楽の まわり をと りかこんだ。 話 を すれば 聞き咎められる からと、 町な か は 無言で ある。 

大楽 は、 どうしても 自分が 先に 立って 歩こうと しない。 うしろから 斬りつ けられる の をお それて いる。 その 歩 



355 最後の 壊 夷 党 



みは 急ぎ足に なった かと 思う と、 道ば たに 立ち どまって 動かぬ と 思われる ほどに のろくなる。 そしてた えず 脇 f 沮 

へそれ ようとす る。 それ を ひきもどして、 また 連れて ゆく。 

十 軒 屋敷の 六つ 門 をへ て、 通り 町 を 横切り、 櫛 原の 栅 門に 差し かかった。 太 田 は 自分が いると、 大 楽が 警戒し 

すぎる ので、 一時す がた を かくした がよ い、 と 考えて、 

11 これから、 わたし は 応変 隊の 屯所に いって 兵 を あげる 打ち あわせ をす る。 君た ち は 本道 を ゆく と 見咎めら 

れ るから 間道 をと おり、 高 野の 浜に 出て、 そこから 漁船で 筑 後川 を 宮陣の ほうへ わたって くれ。 宮陣 の宝満 川に 

かかって いる 思案 橋から むこう は、 もう 肥 前の 田代領 だから、 そちらに 落ちて くれ ::: 。 

そう 云って 別れる と、 太 田 は 近道 をして 高 野の 浜に 一足 早く やって きた、 という。 

そうして いるう ち、 高 野 八幡宮の 杉の 森の 蔭 を、 新 堀の むこうから、 人声が 近づいて くる。 大 楽と 彼 を 案内す 

る 同志た ちの 声 だ。 

—— きた! 

三人 はとつ さの 間に 走り出し ていた。 ぬかるみと 水たまりの 土 堤 道 を 駆けお りて、 笹 のしげ みのな かに、 ひと 

りび とり 分れて 飛び こんだ。 話し声 はます ます 近づいた。 雨 をと おして 聞え てく る その 声 は、 ひどく のんびりし 

ている。 山 木 は 咽喉が かわいた。 足 許の 土が すべった。 刀の 柄に かけた 手 をに ぎりし めた。 

話し声が とつぜん、 やんだ。 大楽 がば たばた つと 河原への 坂 を 駆け 降りた。 その 刹那、 飛 出した 吉田足 ir がう 

しろから 刺した。 大楽は 河原に 走った。 山 木が あと を 追った。 太 田と 二人の 同志 も つづいた。 山 木 は 水際に 迫つ 

た。 砂浜に たおれた 武士が、 起き 上り ざま 上段に かまえた。 もう 一人 は 濁流に 飛び こんで 泳いで いる。 山 木が 切 

り 捨てようと 限に 近づけた 刃の 光で みると、 彼に むかって 真 向に 刀 を ふりかざして いるの は 古田で ある。 山 木 は 

すぐさま 水中に 身 をお どらせ、 向う 岸に 泳ぎつ こうと あがいて いる 大楽を 追った。 川底に 足 をつ けようと しても、 



356 



胸元まで 水が あって、 流れが 烈しい ので、 身体が 浮き 上って しまう。 山 木 は 泳ぎながら、 片手 打で 大 楽の 足に 斬 

りつけ た。 大 楽のう ごきが 急に にぶくな り、 そのまま 十 間 あまり も 下流に おしながされた。 山 木が、 虫の息の 大 

楽の 身体 を 岸に ひきずり あげた。 みんなの 見て いるまえ で、 吉 田が もと どり をつ かみ、 太 田が 大 楽の 首 を 落した。 

それから 跡始末に かかった。 身体 や 刀に ついた 血痕 を 水際で 洗いお としたり、 傘の なかに 川 水 をす くい 入れて、 

吉 田が 大 楽の 背 を 刺した 坂道の あたり を 洗ったり、 思い思いに 殺害の しるし を 消そうと つとめた。 

山 木は笹 やぶに かくして おいた 鍬 をと り 出して、 大 楽の 死骸 を 埋める ために、 砂浜に 穴 を 掘った。 

しかし 連日の 雨で 川 水 は あふれ、 砂 はかた わらから くずれて、 いっこう 深く はならぬ、 あせれば あせる ほど、 

水 は 烈しく 湧き出て くる。 そのうち 時刻 は 立つ。 みんな もよ つてた かって、 鍬 や 掌で 掘って みるが、 死体 はい や 

がらせ をす るよう に、 きちんと 埋まって くれない。 苛立ちに まみれて、 疲労 はぎりぎ りのと ころに きた。 死体 を 

放り出して 逃げ かえりた いの をかろう じて がまんして、 総が かりで 砂の 中に 埋め こんだ。 

それが すむ と、 大 楽の 首と、 大小の ふろしきと を もって、 河原から 土 堤に あがった。 

11 いそがねば、 まにあわぬ。 

山 木が 先頭に 立って、 五 人 は 蓮 田の 畔を、 いっさんに 帰り かかった。 雨 は 降り つづいて いる。 くるぶし を 埋め 

る やわらかな 泥に 足が すべって、 思うよう に 走れない。 大 楽の 首 は 重かった。 ひとりで 長く もちつづける こと は 

できない。 みんな はか わるが わる 首 を もち かわりしながら、 走りつ づけた。 吉 田が 足 を ふみはずして、 大 楽の 首 

を かかえた まま、 蓮 田の なかに 落ちた。 みんな 泥 まみれに なりながら 走る その上 を、 容赦ない 雨が 降りしきった。 

夜 明の かすかな しるし を、 みんな はお それた。 無限と 思われた 焦燥 感に やっとお わりがきた。 夜が 白む まえに 櫛 

原の 栅 門に たどりつく ことができた とき、 城下 は 何事 もなかった ように、 寝 しずまつ ていた。 

しかし、 一晩中 寝ないで、 山 木ら の 帰り を 待ちわび ている 者た ちがいた。 前日 大 楽に 自決 をす すめに いった 水 



357 最後の 攘夷 党 



野の 殳宅 にあつ まった 同志だった" 五 人が 玄関に やっと たどりつ くと、 座敷の 方から、 豪胆で 知られる 島 田荘太 

郎 がいつ になく せっぱつまつ た 調子で、 

— どうして こんなに 遅かった のか。 仕損じた のか。 それとも、 とり 逃した のか。 

と 声をかけた。 部屋に はいるな り、 山 木 はだ まって 大 楽の 首 を 差し出した。 

一升 徳利 を ひきす え、 冷酒 を 飲んで いた 同志た ちの 顔が、 一瞬 こわばった。 それ は 変り はてた 同志の すがた を 

むかえる 目 付だった。 島 田 はちよ つと 待って くれと 云って 紙 を ひろげた。 

車座の まんなかに 大 楽の 首 はお かれた。 

島 田が、 鄭重な 手つきで 茶碗に 酒 をつ ぎ、 それ を もって 首の まえに、 にじりよった。 

一同 は 水 を 打った ように しずまりかえった。 同志 を 殺さねば ならなかった 苦衷が、 みんなの 胸 を しめつけた。 

11 大楽 氏かん にんして くれ。 

島 田の 感 きわまった 声が、 ほとばしった。 

—— 藩 難 もこ こに きわまり、 百計 つきはてた。 藩と 藩 公の ために やむ を 得ず、 この 通りに した。 このうら みは、 

おっつけ 報 ゆる ことにする。 どうか 瞑目して くれ。 

そこに は 久留米 藩の 重みと 引き かえられた 者の 首が あった。 髪 は 頭に ねばりつき 雨滴 はした たって、 下の 紙 を 

ぬらした。 面な がの 顔 はや つれ 果てて いたが、 考え こむ ように、 瞼 を ひきおろ していた。 

しかし、 反り かえった 唇 は、 端に 血が こびり ついた まま、 今でも もの を 問い たげ な 様子 を 示して いた 

その 夜、 大楽を 首尾よく うち 果し たか どうか を 心配して いるものが、 ほかにもう 一人あった。 それ は 久留米 藩 

代表の 鵜 飼 広 登だった。 鵜 飼 は 久留米 藩 刑法 局 総裁と して、 巡察 使の 指図の ままに 久留米 藩士の 逮捕に あたって 

、: こ。 しかし ハま鵜 飼 は 久留米 勤王 党の 同志の 一人に かえった。 鵜 飼 は 一睡 もしないで、 自分の 家の 座敷に 端座 



8 して、 报せを 待って いた。 

5 

島 田、 山 木、 太 田の 三人が 鵜 飼 をお とずれ 大 楽の 首級 を 床の間に そなえる と、 鵜 飼 は 首 を じっとみ つめ、 それ 

から 瞑目し、 

—— これでお 互いが 安心 さるる。 

とつぶ やいた。 

すべ て 夜が 明けない 間に 始末し なければ ならな か つ た。 

大 楽の 首 は、 鵜 飼のと ころで 借りた 大きな 御 鉢 袋に 入れて、 ふたたび 水 野の 役宅へ 持ち かえった。 

その 道々、 島 田が、 大 楽の 弟の 山 県と 門下生の 小 野 を 殺害した 模様 を 手み じかに 語った。 島 田ら 六 名の 同志 は、 

高 野の 浜から 約 一里の 川下に あたる 豆津の 浜に、 山 県と 小 野の 二人 をお びき 出した。 二人とも 背中 を あわせ、 目 

を あたりに 配つ て はなればなれに なろうと しない。 そこで 同志た ち は 一 一人 を 一 度に 斬らねば ならぬ とひ そかに 打 

合せた。 大 鳥居、 山 県、 小 野、 本山の 順で 砂浜に 降りる 小径に 差し かかった。 島 田ら あとの 同志 はすこし はなれ 

て 見張った。 川原に 足 を ふみ 入れた とたん、 大 鳥居が 山 県に、 本山が 小 野に 同時に 切り かかった。 本山 は 小 野 を 

斬り 捨てた。 しかし そのと き 山 県 は 刀 を 抜いて 先頭の 大 鳥居に 切りつ けた。 大 鳥居 はふり むき ざまに 山 県の 刀 を 

受け、 山 県の 眉間から 切り下げた。 もし それ を 受け そこなって いたら、 大 鳥居の 方が 殺ら れ ていたと ころだった。 

大 楽の 下僕の 村 上要吉 は、 鹿野淳 二ら 三人が 津 福の 森の 墓 原に つれて ゆき、 そこで 自刃 させた という。 

山 木た ちが 水 野の 役宅に かえると、 残って いた 同志た ち は、 みんな 泥の ように 眠り こんでいた。 茶碗 はころ が 

り、 重箱 は 投げ出された まま、 そして 部屋の 隅の 行燈の 火が 窓から 流れ 入る ほの 暗い 朝の 光と たたかつ ていた。 

車座の 上に 大きな 疲労の 輪が 落ちて いた。 それ は 行為 をな しとげた 者の 安堵と いやし さ を 示して いた。 けものの 

ように^り 声を立てながら 眠り 呆けて いる 者 たちのす がた は、 虚無の 悲しみに 包まれて いた。 



359 最後の 攘夷 党 



大 楽の 首 は、 役宅の 床の間の 袋戸棚に ひとまず かくして おいた。 山 木は大 楽が 書類 を 入れた ふろしき 包み を自 

宅に もって かえった。 彼の 家で は、 嫂が 朝飯の 仕度 をして いると ころだった。 乳色の 靄の なかに うごく 赤い 襻が 

いやに 目につき、 たくしあげられた 二の 腕の 白い 肌が なまめかしかった。 その 声 はつば をのみ こむ ように やわら 

かだった。 平和な 一日が はじまろうと していた。 山 木 は 書類 を 引裂いて は、 つぎつぎに かまどに 燃やして しまつ 

た。 ふと 書類の 間から、 大 楽の 手帖が 落ちて きた。 それに はつぎの 歌が 記されて あった。 

春雨 はいたくな 降り そ あしび きの 山桜 花 散ら まく 惜し も 

大 楽、: A あわただしく、 頼りない 逃走の 日々 に 書きつ けた ものに ちがいない。 昨夜の 雨に ぬれ、 墨色 はう すく、 

字 はみだれ、 にじんで いた。 

山 木 は 連日の 雨に 増水した 川べ り を、 そこで あえない 命 を 捨てた 大楽を 思い 浮べた。 それ は大 楽が 生前 自分で 

作って おいた 鎮魂 歌で あるよう に 思われた。 大 楽の 苦し さは、 やがて 大楽 自身に も、 また みんなに も 忘れられる 

であろう。 それ をのち のちまで 思いお こすの は 誰か。 大楽を 殺した 者た ちの 胸の 暗やみ だけ だ。 山 木 は その 歌 を 

し つ かり おぼえこ むと 手帖 を 火に 投じても やして しま つ た。 その 日 も 雨 は あいかわらず やまな か つ た。 

山 木 は 自分の 部屋に とじこも ると、 烈しい 虚無に おそわれて 倒れた。 それ は 無数の 切り傷 を 身体に うけた よう 

な 身動き ならぬ 疲れだった。 久徳は 死んだ。 彼の 胸の 上 を 冷たい 滴の ような ものが、 しずかに 流れす ぎた。 しか 

し 吉田足 穂に 親友 を 殺された 復警の 念 は、 いつの 間に か 消えて いた。 久徳が あれほど かばおう とした 大栾 を、 山 

木 は 殺さねば ならなかった。 山 木 はい まは吉 田と は 共犯者の 感情に つながれ ていた。 同志 を 殺す ことが、 その ま 

ま 志 を 殺す こと だ、 と久 ip 心 はくり かえし 説いて やまなかった。 それ を 山 木 は 裏切った の だ。 山 木に は 吉田を 成敗 



360 



する〉 ほ 格 はも はやない と 思えた。 彼の 手 も 同志 を 殺した 殺人者の 血に よごれて いたの だ。 

その 思い は、 山 木が 吉田、 太 田と 三人で その 夜 ふたたび 高 野の 浜へ しのんで いったと きいつそう はっきりした。 

連日の 雨で ふかさ をました 筑 後川の 潟った 水が 大 楽の 死体 を 犬 猫の 死骸 同様に、 川下に 押しな がし、 岸辺に うち 

あげで もしたら、 それ こそ 九仞の功 を 一 簣に 欠く ことになる。 

おそれた 三人 は 仮埋めに した 大 楽の 死骸 を 掘り出した。 大 楽の 死骸 は、 水 を 吸って ふくれあが つていた。 三人 

は、 哲 のない 死体 を薦 につつ み、 荒纈を かけた。 太 田 は 水 野の 役宅に まわって、 大 楽の 首 をと つてく ると 云って 

先に 去った。 そこで 大 楽の 死骸 をく るんだ 薦は、 山 木と 吉 田が 前後で 担ぎ あげ、 筑 後川の 土 堤 ぞいに 歩いて いつ 

た。 雨 を 透して 照る あわい 月の 光 をた よりに、 足がぬ めらぬ ように 気 をく ばり、 肩に くい 入る 重み を 支えた。 そ 

の はげしい 重み は、 まさしく 共犯者の 感情から 抜けられぬ こと を 山 木に 伝えて いた。 

二人 は 人目 を はばかりながら、 物 も 云わず 京 町の 法 泉 寺に ついた。 法 泉 寺は吉 田家の 墓所が あつたので、 吉田 

足穗は そこに 愛犬の 死骸 を 埋める からと、 住職に ことわって、 昼の あいだに 穴 を ほって おいた ので ある。 墓石の 

かたわらに 人影が うずくま つていた。 水 野の 役宅から 大 楽の 首 を もってき た 太 田だった。 三人 は大 楽の 死骸と 首 

を あわせて、 そこに 埋めた。 

豆津の 渡しに 埋めて おいた 山 県と 小 野の 死骸 は、 やはり 見つかる 危険が あると いうので 別の 同志た ちがい つ て、 

砂浜から 死骸 を 掘り出し、 これ を さらに 下流の、 肥 前の 領分に なって いると ころに 運んで いった。 そこに は筑後 

川が 湾曲して、 渦の まく 淵 をつ くって いた。 山 県と 小 野の 死骸 はまず 舟と 舟の あいだに 浮かし、 石 をく くりつけ 

た 棕櫚繩 を 死骸に むすびつけて、 淀の 深みに 沈めた。 



36i 最後の 攘夷 党 



大 楽の 口 を 永久に 塞いで、 陰謀の 漏洩す る こと は ともかく 防いだ と 思った の も 束の間の 気 やすめに すぎな か つ 

た。 

山 県と 小 野の 死骸 を筑 後川の 淵に 沈めた 作業の 最中に、 漁船が とおりかかって 異様な 光景 を 見咎めた。 そして 

いちはやく 藩 庁に 届け出た。 

藩 庁の 方 も、 その 訴え出 を 無視す る わけに は ゆかなかった。 応変 隊の 強引な やり方に 反感 を もつ もの はすくな 

くなかった。 いたるところの 眼が 応変 隊の 動向 を 注視して いた。 応変 隊の 同志が 大楽を 殺害した 噂 は、 急速に ひ 

ろが つた。 応変 隊の 主戦 派 は、 十四日に 出頭 を 命ぜられた 寺 崎 三 矢吉ら 十数 名 を はじめと して、 ぞくぞく 刑法 局 

に 呼 出されて いた。 やがて 山 木ら も 取調べの ために 出頭 を 命ぜられ るの は、 必至の 形勢と なった。 

こうな つて は、 最後 をい さぎよ くしょうと 同志た ち は 自決し ようと 話しあった。 だが、 十数 名の 応変 隊の 若者 

たちが 一度に 自決した とあって は、 政府 や 山 口 藩が 自殺 行為の 背後に 只事で ない ものが ある こと を 察して、 詮索 

にの り 出す の は 当然で ある。 ついに は 大楽を 殺して 証拠の 湮滅 を はかった ことが 問われ、 藩主に めいわくが 及ぶ 

の はまちが いない。 自決 は 提案され たが、 実現し なかった。 

しかし 捕縛され るの は、 時日の 問題で ある。 屈辱 を 受ける より は、 いっそ 自訴 しょうと いう ことにな つた。 

大楽を 殺害して 十日 目の 三月 二十 六日、 同志 一同 は 水 野の 役宅に あつまり、 自訴 する こと を 正式に 決めた。 こ 

の 上 は、 どんな 拷問に あっても、 自分た ち は 一切の 陰謀 や 殺害に 関与せ ず、 また 大 楽の ゆくえ を 知らぬ と 云い 張 

る こと を みんな は替 いあつた。 同志た ち は、 自分自身にたい しても、 お 互いの 間で も、 くりかえし 問いた だした" 

青竹 を ささらに して 叩く、 身体 を宙 釣りに する。 おそろし いのは、 そろばん 責めで ある。 それら 拷問に 耐え 得る 

か …… 耐え 得る。 そして 藩主に 禍 がふり かからぬ ようにし なければ ならぬ。 同志た ち は 一致して 云いあった。 

しかし 山 木 はなに か 空しかった。 親友の 久徳が 力説した ように、 藩と 藩主に たいする 小さな 忠誠 心 を こえて、 



2 もっと 大義に つながろ うとした 若者た ちが、 ついに 志 を 捨てる 結果に おわった。 天下 を 相手に 何 か を やろうと 野 

6 

. 心に もえて いた ものが、 いざと いう 場合に は、 結局 藩と 藩主に とらわれて、 その 枠から 抜け出されなかった。 そ 

れ では まるで 佐幕派の 忠誠 心と すこしも 変る ところ はないで はない か。 しかも 藩と 藩主の 利益と 安全 を まもるた 

めに 大楽を 殺害しながら、 巡察 使 や 山 口 藩の もっとも 憎悪して さがしもとめた 敵 を ころす ことにな つた。 動機の 

如何に かかわらず、 官 兵に 協力した という かたち を とらざる を 得なかった。 政府に 反抗した のが、 政府の 意図に 

協力した かっこうで おわり を 告げる と は、 どういう ことか、 そうした 結果に 反抗す る ためこの 上 は 呼び出し をう 

けて 拷問に たえて みせる こと、 それだけが 望みと なった。 それ とても 行為の 一貫性 を 自分に 証明す る ことにすぎ 

なかった。 目的 を 喪って とりかえしの つかない 虚し さが、 山 木の 胸に 噴い 入った。 

一同 は そこから 刑法 局に 出向く ことにし たが、 山 木 卯 蔵 は ひとまず 家に 帰って、 母に 別れ を 告げたい と 思った „ 

帰宅の 道中、 道で 出会った 刑法 局 中 監察の 友人に、 山 木 は 自分 も大楽 殺害事件に 関係が ある、 と 洩らした。 山 木 

の 一言に、 君 もそう だった か、 と 友人 はお どろいた。 恭順 派の 中心であった 山 木 卯 蔵が まさか 大 楽の 殺害に 関係 

している と は 思えなかった のであろう。 しかし 友人 はすぐ 自分に 立ち かえった。 そして、 

—— 監察の 職に ある 以上 は 帰す わけに は ゆかない。 刑法 局に 連行す る。 

とその 場から 山 木の 腕 をと つて 引きた てた。 刑法 局の 玄関に 上る と、 友人 は 山 木の 所持品 を あらため、 山 木の 大 

小の ほか 『万葉集 雑 調』 と 題す る 書物、 太政官 札と 藩札が 入って いる 紫 縮緬の 財布 を、 法に よって、 預り 申す と 

いって、 とりあげた。 

山 木 は そのまま、 奥の 評定の 間に 連れて ゆかれた。 そこに は 水 野の 役宅から 直行した 同志た ちがす でに あつま 

つていた。 

となりの 室から 役人が あらわれた。 見る と奇 兵隊の 脱走兵に なりすまして、 大楽 たちと 横 枕の 家に ひそんで い 



363 最後の 攘夷 党 



た 島 田 助 七で はない か。 巡察 使の 日 田 出張に は、 山 口 藩の 探索 元締と してやって きたの だった。 島 田 は 一同 を 見 

渡す と、 精悍な 顔 を ほころ ばせ て、 その 節 は 世話にな つたと 挨 接した。 そして、 なに か 心残りで も あれば、 今の 

うちに 申し出る ように、 と 好意 をみ せた。 山 木 は、 ほかに 心残り はない。 しかし 母に 一度 会って、 暇乞い をして 

きたかった、 と 云った。 島 田 は、 手紙 だったら、 取次いでも よい、 と 答えた。 そのほかに は? と 聞かれて、 鰻 

を 存分に 食いたい、 と 誰かが 云う と、 島 田 は 微笑して うなずいた。 

しばらく すると、 大きな 箱に 鰻の 蒲 焼が ど さっと もちこまれた。 みんな 冷酒 をのみながら、 鰻 を 食った。 

やがて 自 訴状 を 書かねば ならぬ ことにな つ た。 

同志た ち は、 巡察 使の 所に 出れば 死刑 はまぬ がれない と 決心して いた。 それ は 覚悟の まえで ある 答だった。 し 

かし 自 訴状に 自分の 名 を 認める 段になる と、 誰が 真 先に 書く かで、 ためらいの 色が 見られた。 

島 田 荘太郎 は 柱に よりかかり、 足 を 投げ出して 鰻 をく つていた が、 

11 どれ、 おれが 巨魁に なろう。 

と自 訴状の 筆頭に 自分の 名前 を 書いた。 島 田に つづいて 同志た ちが、 それぞれ 自分の 名 を 連ねて いった。 

その 日のう ちに 山 木の 母から 返書が あった。 刑法 局の 使いの 者 を 待たせて 書いたら しく、 くれぐれも 見苦しい 

最後に ならない ように …… と 念 をお してあった。 返書と 同時に、 山 木の 母が いつの 間に 用意して 蔵って おいた も 

のか、 真新しい 紋 付の 羽織と 白無垢の 羽 一 一重の 下着が 山 木に 届けられた。 

その あくる 日、 山 木た ち 同志の 面々 は 唐 丸 駕籠に のせられ、 刑法 局から、 巡察 使の 先発が 着陣 している 高 良 山 

はんみょう 

御殿へ 送られて いった。 斑猫が 駕籠の 列 を みちびいた。 

雨が やっと あがった 高 良 山の 坂道に、 陽炎が 立った。 

坂道の 曲り角から、 杉 木立の 木の間が くれに 久留 米の 城下が 見渡された。 背 振 山脈 や 九 千 部 山の 左手に 德 山城 



364 



は 何事 もなかつ たように まどろん でいた。 町並 を つらぬいて 遠くに 消える 街道が 白く 光って いた。 刀の 鞘 塗り を 

しなければ くらして ゆかれない 足軽の 身分から 抜けで たいと それば かり 思い悩ん でいた 日の ことが 思い出された。 

みな 殺しの 憂目に あおうと する 勤王 党の 危急 を 告げる ために、 北斗七星の かがやく 道 を 太宰府へ 走った ときの 跪 

の 火照る 痛みが よみがえった。 

筑 後川が 城の かたわら をう ねって いた。 瀬の 下の 淵で 唇が 紫色になる まで 泳いだ 幼少の 記憶 は、 つい 十日 まえ 

大楽を 川べ りで 殺した 思 出と そのまま つなが つ た。 

山 木は大 楽に 自決 をす すめに い つ たと き、 大楽は 高 良 山中に かくれて いた 話の ついでに 晚鳥 大将と 自嘲して い 

たこと が 頭 を 掠めた。 いまの ぼって ゆく この 坂道 を、 追い つめられた 大 楽が 二十日 まえ 転げ落ちる 石の 音に 自分 

の 孤独 をった えながら 下って いった こと を 山 木 は 思い出した。 ばん どり ::: むささび •::. か。 すると、 昨日まで 

肌身 はなさず 愛読して いた 『万葉集 雑 調』 のなかの 歌が、 せまくるしい 駕籠の なかで よみがえった。 

こ ぬれ あしび き さつお 

むささび は 木末 もとむ と 足曳の 山の 獵夫 にあいに ける かも 

山 木 はこの 千年 以上 もまえ の 古歌が 大 楽の 死 を 云い あてて いるのに、 ぞっとした。 ついに 陽の 目 をみ なかった 

大 楽の 志が、 いま 山 木の 眼の まえに つづいて ゆく 暗い 杉 木立の あいだ を 横切る ような 気がした。 その 執念の 影 は、 

木立から 木立へ と 跳びう つりながら、 いつまでも、 彼の 眼前 を 去ろうと しなかった。 

とつぜん 駕籠が とまって、 大楽 をめ ぐる 山 木の 感慨 は 中断され た。 警 吏の 手で 駕籠から 引き出された 山 木 は、 

両手 をし ばられ たま ま、 高 良 山 御殿の 破風に 描かれた いかめしい 梶の 葉の 紋章が 彼の 瞳 を 射る の をみ とめた。 

明治 四 年 三月 一 一十 七日の ことで ある。 



36 う 最後の 攘夷 党 



終 章 憑かれた 人々 



山 木 卯 蔵が 高 良 山に 護送され た その 日から 直ちに 訊問が 始ま つ た。 

御 使者 屋に呼 出された 山 木 は、 はば 一間 も ある 縁側に しいた 薄べ りの 上に 坐った。 山 木の 両手の 拇指 は、 彼の 

袴の 紐に 紙撚 でしば つ て ある。 それ は 士族 を あっかう ときの 礼儀で ある。 

大広間の 最前列 中央に 山 口 藩の 山 根 秀輔、 大蔵 大丞の 井田 讓、 熊 本 藩の 太 田 黒 惟信が すわり、 その 左右に 山 口 

藩の 人た ちが 並んだ。 うしろに は 巡察 使 四 条隆謌 の 直属で ある 近衛の 将校が、 百 名ば かり も 控えて いる。 

勘 問す るの は 主として 山 口 藩の 山 根 参謀で ある。 型 どおりの 訊問の のち、 山 根 は 山 木た ちが 尊攘 をと なえ、 藩 

知事 有 馬 頼咸の 内命 を 受けて、 逆 謀 を 企図した ので はない か、 と 訊問の 核心に 入った。 

山 木 卯 蔵 は、 ずらり と 居並ぶ 面々 を 見詰めながら、 藩 知事に は なんら 関係 はない。 自発的に 古松 簡ニゃ 小 河 真 

文 を 首領と して 国事に 奔走した と 答える ばかりで ある。 万国 交際の さかんな 今日、 攘夷 を 唱える というよ うな 非 

常識な 考え はもたない。 不企を はかるな どと 大 それ こと は 思っても みた こと もない、 と 突つ ばねた。 

大楽 に関する 質問に たいして は、 藩 知事が 山 口 藩の 脱 徒 は 久留米 藩の 領内に もはや 一人 もい ない、 と 朝廷に 明 



366 



言した のに、 潜伏の 事実が 判明 すれば 知事の 面目 はつ ぶれ その 身に 禍 がふり かかる。 臣下の 分際と して は、. 大楽 

主従 を ひそかに 殺して 知事の 言葉 を 真実と する ほかな か つ た。 そうして 武士の 意気地 を たてとおす つもりで あつ 

た …… と 答えた。 

それ は 同志た ちと 打合せて 用意して おいた 答で あり、 自 訴状に 記した 文章 以外に は、 一切 出ない。 

しかし 山 根 はもと よりそれ に 満足し ない。 山 口 藩が 朝廷に 迫って 二 藩の 兵 を ひきつれ、 日 田から 久留米 城下へ 

とのり こんだ 手前、 久留米 藩 を あげての 陰謀の 事実 をつ きとめない ままに おい それと 引退る わけに は ゆかない。 

藩主に 迷惑の かかる の を はばかって、 大楽を 誘殺した という だけで は、 山 根の 望む 事件の 本質に 触れた ことに は 

ならなかった。 山 木と その 同志が すべて 口 うら を あわせた ように、 訊問に おなじ 答し か 発しな いのも、 その 裏に 

何 かが 隠されて いる こと を 疑わせる に 充分であった。 

山 根 は、 はじめは 「お 手前が」 という ふうに ていねいな 言葉つ きで あつたが、 追求の 調子 は、 しだいに きびし 

くな つた。 言葉尻 を とらえ、 いいがかり をつ けて 山 木 を 怒らせ、 泥 を 吐かせよう とする。 

山 木が おなじ こと をく りかえ すば かりで、 応答に 缚が 空かない とみる と、 山 根 はちよ つと 合図した。 かたわら 

にいた 尋問 掛の 役人が 山 木の 襟首 をつ かんで、 その 身体 を ひきずった。 山 木 は 縁から ずり 落ちて、 庭の 砂利の 上 

に 敷いて ある 荒 筵の 上に 引きす えられた。 尋問 掛は、 山 木の 袴 をと つた。 そして 彼の 臂を まくり上げ ると、 太い 

青竹で めった 打ちした。 青竹 は、 割れ 飛んで、 みる まに ささらに なった。 皮膚 はや ぶれ 血が にじみ 出た。 

尋問 掛は それでも あき 足らず、 こんど は 山 木の 両腕 をう しろ 手に しばり、 横木に 繙で つりあげた。 頭の 上に の 

び 切った 両手 は、 身体の 重みで 耐えられない ほど、 萎えて しまう。 しかし 白状し ない。 少しで も 口が ほころびる 

と、 つぎつぎに 拷問に かけて は 白状 させて ゆく、 と 聞いて いたから だ。 

尋問 掛は 宙吊りに なった 山 木の 股 を 乱打した。 山 木 卯 蔵 は、 はじめ その 数 を かぞえて いたが、 いっか 気が とお 



367 最後の 攘夷 党 



くな りかけ た。 

もうよ かろう。 

山 根 参謀の ひと 声で、 その 日 はすんだ。 番卒が 山 木 卯 蔵の 身体 を 肩に ささえて、 御殿の 近くに ある 百姓家の 宿 

所に はこんだ。 山 木と おなじ 部屋に 収容され ていた 吉田足 穂と 大 鳥居 菅吉 が、 山 木の 身体 を 抱き かかえ、 双方 か 

ら手を そえ、 丸太 棒 をた おすよう にして、 寝かせつ けた。 そして 宿の 主人に 金 を わたして、 生 豆腐 を 買って こさ 

せる と、 赤く そげた 皮膚に 塗りつ けた。 山 木 は 寝が えりも 自由に ならず、 一晩中 呻いた。 

あくる 日 はいつ そう ひどかった。 前日 打 たれて 爛れて いる 場所 を ごし ごし こさぐ。 腫れ あがった 傷口から は、 

いったん 収まった 血が みる まに 噴き出た。 山 木 はし ぼる ような 悲鳴 を あげた。 とこん ど は、 ふたたび 山 木 を宙吊 

りに かけた。 そして 尋問 掛が、 

—— さあ、 ありていに 白状しなさい。 白状 すれば すぐお 許しになる。 白状す る ほうが、 身の ためで ある。 白状 

しないと、 いつまでもこう する。 

とい つ て、 山 木の 蒼 黒く 血の よどんで いる 下半身 を 思う さま 撲り つづけた。 

三日 目、 庭先に ひきす えられた 山 木に むかって、 山 根 参謀 は、 山 木の 同志が 一切 を 白状して しまったから、 い 

い 加減に したら どう だ、 と 云った。 どうせ 鎌 を かけられる のだろう と、 山 木が 相手に しないで 押し だまって いる 

と、 山 根 は 日時 や 場所な ど をく わしく あげて、 大楽を 殺したい きさつ を 説明し はじめた。 

啞 然とした 山 木の 顔 をな がめ まわす 山 根に は、 勝ち誇った 色が あった。 まさか、 あの 同志が 一度 や 二度の 拷問 

をう けた だけで 度 をう しなって、 自白した と は 山 木に は 信じられなかった。 日頃 大言壮語 していた 同志が、 そん 

なに たわいなかった のか。 山 木 は 眼 先が 暗くな つた。 しかし 気 をと り 直して、 

—— そんなに 事が 明白に わか つ ている のなら、 この 山 木に お聞きに ならぬ でもよ ろしかろう。 



368 



と 答えた。 山 根の 唇から 微笑が 消えた。 その 眼に 憎しみの 色が すばやく 動いた。 

II それなら、 東京から 送 つ てきた 弾 正 台の 5i 明 書 を 読みき かせて やろう。 

山 根 はかた わらの 箱から 文書 を とりだした。 

眼 をと じている 山 木の 顔に、 抑えが たい 不安が ほとばしった。 彼の 瞼の うらに は、 弾 正 台の 役人の 追求に、 必 

死の 面 持で 哀訴 弁解す る 藩主の すがたが はなれな か つ た。 

山 根 は 区切りの たびに 山 木の 顔に 目 を そそぎながら、 ゆ つ くり 読みす すんだ。 

問。 横枕覚 助の 家で 捕縛され た 三人の 脱 徒 を 山 口 藩へ 引き渡す となれば、 藩 内が 収拾つ かなくな つて 混乱 

する こと をお それ、 引渡し を ひきのばし、 また 朝廷へ 届け出る こと も ためらった というが、 どうした 訳 か。 

答。 山 口 藩の 脱 徒 を 引渡す ことで は、 藩 庁の 協議が まとまらず、 結論が でなかった。 そこで 水 野犬 参事 を 

上京させる ことにし たが、 たまたま 久留米 藩 地に きていた 鹿 児 島 藩士 高 橋 金 次郎の 意見に したがって、 大久 

保 参議の 内意 を 伺つ た 上で、 朝廷へ お届けす るか どうか をき めた がよ いという ことにな つ た。 

上京した 水 野太 参事 は、 高 橋から 大久保 参議に あてた 添書 を もって、 二度 大久保 を 訪問した が 対面が なく- 

やむなく 大久保 参議の 部下の 内 田 少辨に 面会した。 その 折、 大久 保から は 水 野との 面会 は 断 わるが、 朝廷へ 

は 届けねば ならない 旨の 伝達が あった。 しかし 水 野と して は、 久留米 藩が、 脱 徒 引渡の 件に ついて 山 口 藩へ 

の 回答 もま だ 引きのば している ときで あり、 その まえに 朝廷へ お届けす るの はかえ つて 不都合と 思って、 そ 

のま ま 帰 藩した と 答えた。 それで は 上京 させた 甲斐 もな く、 朝廷に も はなはだ 済まない 次第 だと わたし は 正 

名 をつ よく きめつけた。 正 名 は いささか 閉口 恐縮の 体であった。 

問。 そうだと すれば 水 野 正 名が 一己の 権 を もって 御 布告の 趣旨に そむき、 また 知事の 命 を も 曲げて しまつ 



369 最後の 懷夷党 



た その 罪 は 軽く はない。 そこで どういう 処置 をした か。 

答。 そう 云われる と 申 訳ない が、 実は 何も 処置に 及ばず、 差しす ごした。 

問。 処置に 及ばず 差しす ごした、 というの は 漠然とそう したの か。 別に 深い 考えが あって やった ことか。 

答。 それ は 漠然とい うわけ でもな く、 別に ふかい 考えが あった 上で もない。 恥 かしい こと だが、 水 野 正 名 

の 専横が つのって きたので、 いずれ 上京して 正 名の 進退 を ある 筋へ 伺いたい と 思いながら、 そのまま すごし 

てし ま つ た。 

問。 久留米 藩の 攘夷論 は その 根元に は 応変 隊 があって、 藩 政府で も 多分に この 輩の 鼻息 をう かがって 処置 

していた というが、 どうか。 

答。 小 河 真 文 や 古松 簡 二が、 攘夷論 を もって 過激な 若者た ち をし きりに 爐 動し、 御 政体 を 誹議し、 天下 国 

家の 権 は 浮浪の 徒に ありな ど 妄説 をと なえ、 矯激 粗暴の ふるまいが 多かった。 水 野 正 名から 信用され ている 

こと をよ いこと にして、 彼ら は 無理無体な こと を 藩 政府に しばしば 強要した。 水 野 正 名が 彼らに 機密 を 洩ら 

した こと も 少なくない。 正 名が、 彼らの 鼻息 をう かがった と 云われても 仕方がない。 

問。 過激な 輩の 鼻息 をう かがって 処置 しないと、 藩が 治まらない 旨 を 正 名が 申し出て、 藩主が それに 同意 

したので はない か。 

答。 そのような 申出が あった こと はない。 あつたに しても 許す はずがない。 しかし 過激な 輩 は 水野大 参事 

を かつぎあげ、 自分た ちの 意見 を 藩 論 だと 主張して、 鼓動して いた。 

問。 正 名が 過激な 輩の 鼻息 を 伺って いると いう こと を 明白に 知りながら、 そのままに 差し置いた というの 

はどうい うわけ か。 

答。 この こと は 一朝一夕の ことで はない。 一昨年の 明治 二 年 春に、 わたしが 政府から 嫌疑 をこう むった の 



370 



も, まったく 水 野 正 名が 古松 簡 二と 共謀して、 京都で 浮浪の 徒と 合体し、 東京 遷都 反対 を 過激に 主唱した た 

めだ。 政府の 御 嫌疑 もい つたん は 晴れた が、 その後 も 古松 や 小 河な ど は 激烈な 論議 を 重ね、 攘夷論 を やめな 

かった。 わたし は そのこと を 心痛し、 水 野、 吉 田の 両 兄弟 や、 古松、 小 河 を きびしく 取り締まらずに は、 藩 

内 を 一掃で きないと 考えて いた。 といっても 手 を 下し かね、 そこで 昨年に は 知事 職 を 辞任す る内存 で、 一藩 

中へ つたえた ところ 藩 中の 者から この 節まで は 是非 思いとどまる ように 引き留められた。 そこで ひとまずみ 

ん なの 意見に したがつ たが、 正 名の 進退 を ある 筋へ うかがい、 それ を 手 はじめに 藩 内 を 一掃す る 所存で いた。 

それが できない となれば 断然 知事の 職 を やめる 決心 だ つ た。 その 矢先 この度の 藩 難が おこ つ て 宿志 はついに 

むなしくなった 次第で ある …… 。 

ある 筋と いうの はお そらく 三 条実美 公の ことだろう か。 山 木 は、 山 根が 彈正 台の 亂明書 をよ みあげる の を 聞き 

ながら、 首尾 一 貧して ともかくも 破綻 をみ せない 藩主の 応答に 安堵 を おぼえた。 と 同時に、 一切の 後始末 は 家臣 

たちが 引受けて くれる だろうと 考えて いる 藩主の 態度に、 うそう そし さ を おぼえた。 最後の 瞬間に は、 藩主 は自 

分た ち を 見捨てる の だ、 と 叫んだ 親友 久徳仁 之 助の 言葉が、 彼の 背後から しのびこん できた。 そして 山 木 は、 全 

身 傷 だらけに なりながら、 耐えて いる。 何 を 耐えて いるの か …… それへの 答 は 彼 自身に もなかった。 その 空し さ 

こそ は、 山 根が あらかじめ 狙い をつ け、 するどく 衝 こうと した ものに ほかなら なかった。 

山 根 は、 藩 知事 はすべ ての 罪 を 山 木た ちに おしつけようと している、 と 云った。 大義への 渴望 を、 過激の 徒の 

盲動と して 蔑視して いる。 これで は 久留米 勤王 党 も 浮かばれまい とも 云った。 真 木 和 泉 守 はじめ 山 口 藩と ふかい 

関係 を もってき た 久留米 勤王 党が、 このよう にして 葬り去られ るの をみ るの は、 見る にしの びないと 同情した。 

やがて 廃藩置県になる。 その 準備 を 政府 はいます すめて いる。 廃藩置県 になれば、 藩 知事 は 県知事と なり、 一介 



371 最後の 攘夷 党 



の 役人と なって、 領民と はまった く 縁が 切れて しまう。 それが 分って いるのに、 みすみす 藩主に 殉 じょうと する 

の は 愚劣で はない か、 と 嘲笑した。 藩主に 尽 そうとする 心底 は 賞讃に 値しよう。 しかし 藩主に さからい、 鼓動し 

ていたと あって は 忠誠と はい われまい。 むしろ 藩主の 命に したがつ たと 云え。 その 方が 家臣と しての 忠誠が 政府 

にも 認められ、 したがって 罪状 も 軽くな ろう、 と 仄めかした。 

山 木 は 追い つめられ たこと を 感じた。 彼 は 自白して しまいたい 衝動 を、 自分の 全 重量 を かけて 踏みに じった。 

そうして、 藩 公と は 何の 関係 もない、 と 白 を 切った。 藩主が 大 楽と 面会した ことが、 大 楽の 口から 暴露され る こ 

と をお それて、 殺した という こと だけ は、 同志との 申し あわせど おり、 なんとして でも かくし 蔽 さねば ならな か 

つた。 それが せめても の 同志への 信 誼であった。 

その 報復 はたち まちき た。 尋問 掛は山 木 を 縁側から 庭に 引摺 りおろ すと、 三角形の 尖った 木 を 並べた 上に 坐ら 

せた。 山 木の 結髪 は ほどかれ、 彼の 髮 毛と 両手と 足の 拇指 は それぞれ 紐で、 うしろに 立てられた 棒に むすびつけ 

られ た。 山 木 は 身じろぎ もで きない。 足の 腔 は、 三角の するどい 尖り 目にあた つてい る。 尋問 掛は、 一寸 五分 位 

の 厚い 板 を、 山 木の ひざに のせた。 いよいよ、 そろばん 責めが 始まる。 山 木 は 観念した。 はたして、 板の 上に 四 

貫目 も ある 四角な 石が のせられた。 それだけ でも 気絶す る ほど 痛い のに、 役人 は 木槌 を もって、 横 あいから、 板 

をび しりと 打つ。 すると、 足の 陘は、 剃刀の 刃の ような 三角の 尖り 目に くいこむ。 山 木 は 四 貫目の 石 を 二つ かさ 

ねる まで は、 どうやらが まんした が、 三つの せた とき 気 を 失った。 

すると 心得た 尋問 掛は、 強情な やつ だと 眩きながら、 しばりつけ ている 紐 を ほどき、 身体 を さかしま にして 水 

を 顔に ふきかけて、 意識 を さます。 そして はじめから おなじ こと をく りかえ す。 

その 日、 山 木が 番卒の 肩に 凭れて、 息 たえだえな 格好で 百姓家の 宿所に もどる と、 そこの 家族た ち は、 山 木が 

責め 殺される と 思い こみ、 燈明を あげて 祈って いた。 その 日から、 苦痛に 歪んだ 山 木の 左足 はついに もとに 一 W ら 



なか つ た。 

四日 目、 山 木 はも はやた すからない と 覚悟した。 山 根 は、 島 田 荘太郎 と 山 木 卯 蔵に 目星 をつ けて、 5i 明 を 集中 

している ことが はっきり してきた。 武士の 意地と 意地 を かけた 対決 は、 訊問 を 受ける 者が、 死 を もって 応える 以 

外に 終結 をみ る 手段 はない。 

山 木が 二目と 見られない 格好で、 足 を 引きずりながら 引き立てられて ゆく と、 その 日の 尋問 はにわ かに 中止と 

いう ことにな つた。 山 木 は そのまま 宿所に かえされた。 

番卒の 語る ところでは、 鹿 児 島 藩の 権大 参事 大山 格 之 助が、 前日の 二十 九日に、 久留米 城下に 姿 をみ せ、 その 

足で 巡察 使の いる 日 田に おもむいた。 山 根 はじめ 各 参謀 は、 大山に 応接す るた めに、 高 良 山の 支 営から 日 田に 出 

向いた、 とのこと である。 

去る 十二 日に 鵜 飼 広 登が 山 田 辰 三郎を 使者に 立てて、 鹿 児 島 藩に 救い を もとめた 反応が やっと あらわれた、 大 

山 格 之 助 は西郷 隆盛の 直属の 配下 だからお そらく 西郷の 内命 を 含んで きたに ちがいない、 と 山 木た ち は ひそかに 

よろこ んだ。 

この 春 一月、 山 口 藩 は 朝廷に 上書して 脱 徒 探索の ために、 山 口 藩の 兵 を 出動 させたい と 願った が、 はじめ 朝廷 

は 許可し なかった。 木戸 孝 允 は それ を 不満と して 朝廷への 出仕 を 辞退す る 素 振 をみ せた。 三条、 岩 倉 両公は 木戸 

を 慰撫す るた めに やむなく 出兵 を 許す ことにし たが、 山 口 藩の 単独 出兵 はみ とめず、 御 親 兵と して 召 上げられる 

山 口、 鹿 児 島、 高 知の 三 藩、 それに 派兵 を 希望す る 熊 本 藩 を くわえて、 四 藩に 鎮撫 出動の 命 を 下した。 このうち 

高 知 藩 は 背後 を 守備す る 任務で 四国す じに とどまった、 鹿 児 島 藩 も、 山 口、 熊本両 藩と ともに 日 田に 出兵 を 命じ 

られ たが 今日まで それ を 実行して いなか つ た。 

はたして 大山 は、 巡察 使の 列 坐す る まえで、 井田 参謀に むかって、 鹿 児 島 藩の 立場 を 釈明した。 11 



373 最後の 攘夷 党 



久留米 藩が、 藩ぐ るみ 不穏な 形勢で も あれば 出兵しても 当然だろう。 しかし 事件 は、 せいぜい 過激の 徒輩と わ 

ず かば かりの 脱 人に 関する ことで ある。 巡察 使 または 弾 正 台の 吟味ぐ らいです むのに、 熊 本、 山ロ両 藩に 日 田 出 

兵 を, 卬せ つけられた ばかりでなく、 わが 鹿 児 島 藩に も 出兵す るよう 四 度 も 催促が あった。 おそらく 山 口 藩が 朝廷 

にむ かって、 鹿 児 島 藩に 出兵させる よう 矢の ように 催促して いるから にちがいない。 それでも わが 鹿 児 島 藩 を 差 

し 出さないで いるの は、 出兵が 朝廷の 御 評議の 目的と くいちがって いると 思われる からだ。 委細 を 聞いた 上に し 

ようと、 只今 日 田に やって きた 次第 だ。 

大山 は 山 根へ 開き直つ た。 

この 一月の 山 口 藩の 朝廷に たいする 建白、 または 今般の 山 口 藩の 処置ぶ り は、 納得で きない。 山 口 藩の やり方 

が 不手際で 奇 兵隊が 沸騰し、 その あげく 久 米 藩へ わずかな 脱 徒た ちが 逃げ こんで きたの を、 山 口、 熊本両 藩の 

兵隊 だけで は 満足せ ず、 鹿 児 島 藩の 兵隊まで 引き出して 糾弾しょう というの が 合点が ゆかない。 奇 兵隊が 破裂し 

て、 脱走し なければ ならなかった の は、 山 口 藩の 失政が 原因と なって いるから ではない か。 その 根本のと ころ を 

論じないで、 枝葉末節で あるわず かば かりの 脱 徒 潜 匿 を 大仰に 申し立てて いるが、 その 罪状 を くらべて みれば、 

山 口 藩と 久留米 藩の どちらが 重い か。 山 口 藩が 朝廷に 上書した 上で みずから も 出兵に 加わる とあって は、 はたか 

ら みて けっして 公平で はない。 山 口 藩 は 当然 出兵 を 見 あわせて、 不公平の 嫌疑 を 避ける かと 思って いたと ころが、 

出兵した うえに、 拷問 を ほしいままに している 噂が あるの はどうい うこと なのか。 

大山 はまた、 井田、 山 根、 太 田 黒の 各 参謀 を まえにして 抗議す る。 

天下の 形勢 はい まま さに 薄氷 を ふむ ような 姿で ある。 憂国の 士は 一 日と して 寝食 を 安んじる ことができない あ 

りさまで ある。 しかるに、 些々 たる 事件の ために 三 藩の 出兵 を 仰せつ けられ、 すでに 十数 日 を 経過して いる。 わ 

ず かな 人数 を 糾弾す るた めに、 重要な 官職に ある ものが 大ぜぃ 出張した とあって は、 いかにも 腑に 落ちない。 皇 



4 国 維持の 大 基本 を 建て 万民 そのと ころに 安んじる こと を 考える ことこ そ、 当今の 大 着眼で よなかろ うか。 

フ 

鹿 児 島 藩の 実力 を 背景に した 大山の きびしい 論難 を 受けて、 各 参謀 は逡 巡し、 巡察 使に は あきらかに 困惑め 色 

がみえ た。 

これまで 四条 巡察 使 は、 山 根の 強硬な 態度に ひきずられ ていたが、 足 並 はかならず しも 揃ってい なかった。 大 

山 は 巡察 使が わの 不一致 を、 たくみに 衝 きながら、 山 口 藩の 図に のって 出す ぎた やり方に 一撃 を くわえた ので あ 

る 

大山の 強打に あって、 日 田 表 は 一変した。 山 根 だけが なんとか 大山に 反駭を くわえようと こころみ たがむな し 

かった。 山 根 はこれ 以上 久留米 藩 を 包囲 弾圧して、 拷問 をつ づける こと は、 政府にたい しても まずい という こと 

を 敏感に みてとった。 山 口 藩の 専断 を こころよく 思わな いのは、 ひとり 鹿 児 島 藩 だけではなかった。 四月 八日、 

四条 巡察 使 は、 各 参謀と 高 良 山 御殿で 大会 議を 開き、 撒 退 を 決定した。 

井田 参謀 はこの こと を 朝廷に 報告 裁許 を 得る ために、 即日 東京へ 急行した。 四月 十日 山 口、 熊本両 藩の 兵士 は、 

山 根、 太 田 黒 参謀に ひきいられて、 それぞれ 帰国 を 開始した。 それと 入れ かわりに、 鹿 児 島 藩の 二 小隊が、 海路 

から 筑 後川 をの ぼって 若津 港に ついた。 一 小隊 は 大山の 命で そのまま 帰 藩した が、 一 小隊 は、 四条 巡察 使が 高 良 

山 御殿 を ひきはらって、 柳 川から 長 崎へ むかう 途中 を 護衛した。 

このあいだ、 四月 朔に は、 自供に もとづいて、 大 楽の 死骸 改めが おこなわれ ていた。 四 人の 役人が 立 合って 吟 

味した。 その 一人 は、 山 口 藩の 島 田 助 七で ある。 大 楽の 死骸 は、 塩と 白 灰 をつ めた 箱に 入れ、 牢屋 敷へ あずけた 

上、 その あと 山 口 へ 送られた。 

山 木と その 同志た ち は、 巡察 使の 出発と 同時に、 高 良 山から 日 田へ 護送され た。 官兵も 礼 問 をう ける 久留米 藩 

士も、 大 楽の 死骸まで が 城下から すがた を 消し、 久留米 はにわ かに 平穏 を とりもどした。 しかし それ は 破壊力が 



375 最後の 擴夷党 



あれくる つ たのち の 廃墟の しずけさに ひとし か つ た。 

山 木 卯 蔵 は 唐 丸 駕籠で 四月 十四日に 日 田に ついた。 日 田赂の 役人から かるい 訊問 を 受けた のち、 山 木 は 牢に入 

れられ る ことにな つた。 

牢役人の 手で 衣類 を 改められた 上、 丸裸になって 牢屋の 戸口から 入ろうと する 山 木に、 隅の 方から 大喝 一声、 

向う をむ いて 尻から 入れと 叫ぶ ものが ある。 山 木 は 云われる とおり、 尻から 入り こむ と、 牢屋の 暗がりから はじ 

ける ような 笑い声が 起こった。 よくみ ると、 寺 崎 三 矢吉と 横枕覚 助で はない か。 山 木 はかつ となって くってかか 

つたが、 たちまち 一月ぶ りの 再会 をた がいに 喜びあった。 

寺 崎 も 横 枕 も、 もちろん 山 木 や 島 田た ちが、 大 楽の 処理に 窮 して 殺害した こと を 知らなかった ので、 ひどく お 

どろいた。 寺 崎から 恭順 派と ののしられた 山 木た ちが、 後始末 をし なければ ならなかった こと を、 寺 崎と 横 枕 は、 

信じられない 顔 付で むさぼり 閬 いていた。 

横 枕覚助 は、 大楽 たち 山 口 藩の 脱 徒 を 自分の 家に かくまつ たこと を 糾弾され たが、 自分 は師の 古松 簡 二から、 

国家に 忠義 を尽 したのに、 俗論 家に 殺されようと している 人 たちだから 助けて やれ、 と 云われて その 命に したが 

つたまで である。 自分 は 庄屋 だから、 何も 知らぬ。 しかし 忠義 をした 人び と を 助ける と、 罪 を 犯した ことになる 

のかと 反問して、 切り抜けた。 また 山 口 藩 恢復の 謀議に 預 つたろうと 訊問され ると、 恢復と はなん のこと かと 白 

ばくれ、 時折 古松 や 脱 徒た ちがな にやら 密談して いる こと もあった が、 百姓の 悲し さ、 その 席に も くわわれず 疎 

外されて いたと 答え、 そのために 拷問に も あわず すんだ という こと だ つ た。 

しかし 武装蜂起 による 反逆 を 計画した と 睨まれて いる 寺 崎 三矢吉 はそう はいかな か つ た。 寺 崎の 語る ところで 



6 は、 ものすごい 拷問 をう けた。 竹 を 小 割りにして 革袋に 入れた 袋 ささらで、 全身が 栗色に 変る まで 打ちす えられ 

た。 連日の 拷問の あまりの 残酷 さに、 太 田 黒 参謀が 一 旦 中止 を 命じた ほどだった という。 . 

話に あきる と、 牢屋の 退屈し のぎに 山 木 や 寺 崎 は 漢詩 を 朗吟した。 山 口 藩と 熊 本 藩の 役人 はすで に 退去し、 監 

視す るの は久留 米から 出張して きた 役人と、 日 田 県の 役人であった ので、 牢獄の 取締り は 寛大であった。 横 枕 は 

自作の かぞえ 歌 を 披露した。 

いのち 

三つと さあ 身の上 思わず 人ば かり 殺す 心の 義理 しらず 命 は 誰でもお なじ ことお のれが からだ を 押してみ よせ 

つない つらい はおな じこと そり やあん まり じ や 

四つと さあよ その 国まで かきまぜ てこ ろして やろうとの 心根 は奸悪 邪慳の ことかい な そり やあん まり じ や… 

日頃 山野の 中で 鍛えた 彼の 声 はよ く 透り、 牢屋 中の 同志た ち も 牢役人 も 思わず 耳 を 傾けた。 

四月 十六 日、 山 木 は 横 枕、 寺 崎と ともに 白洲に 引き出され、 糾弾 吏から 

「その 方 儀、 今般 日出 藩 兵 を もって、 東京へ 護送 あいなり 条、 道中 謹慎して まかり 登るべき ものな り」 

と 申し渡された。 そして、 日 田に 詰めていた 久§5 米 藩 役人から、 日出 藩 兵に ひきわたされて 手錠 を かけられ、 

網 乗物で 即日 日 田 を 出発した。 弾 正 台の 大 巡察が つきそい、 日出 藩の 隊長に 引率され た 一 小隊 五、 六十 名ば かり 

の 兵士が、 山 木た ちの 駕籠 を 護送した。 剣 付 鉄砲 を 肩に した 兵士た ちに かこまれる 罪人 駕籠の 行列 を、 黒山の よ 

うな 人だかりが 遮ぎ り、 なか をの ぞいて はよ ろけ た。 駕籠 はみ る まに 十一 挺に なった。 あと 八挺に はだれ がの つ 

ている だろうと、 思いながら 山 木 は 駕籠に ゆられて いた。 久留米 を はなれ、 日 田 を 去って、 いよいよ 死 出の 旅路 



377 最後の 攘夷 党 



につく 思いだった。 母の 顔が ちらつく ほか は、 親友 久徳の 死が かなしまれる ばかりで、 思いの こす こと は ほかに 

は 何もな か つ た。 彼 は 夏め いてきた 道ば たの 一 木 一 草に 別れ を 告げて いた。 

その 夕方、 駕籠の 列 は、 ある 寺院の 庭に 担ぎ こまれた。 手 绽曳繩 のかつ こうで 駕籠 を 出た 山 木 は、 そこに 水 野 

正 名、 小 河 真 文、 島田荘 太郎、 太 田 茂、 鹿野淳 二、 大 鳥居 菅吉、 吉田足 穂と いった 面々 がいる の を 見た。 それ は 

なつかし さとい つ て は 不充分 きわまる、 天地の なかで 彼ら だけが 自分と 共同の 運命に 立た された 人 たちだと いう 

感情であった。 そのほかに 見知らぬ ものが 一人いた。 柳 原 藩士の 古 賀十郎 と 知らされた。 

警戒の 兵隊の 隙 をみ て、 お 互いに 久澗を よろこびあった。 水 野 や 小 河 も 山 木 たちあと に 残った 同志た ちが、 大 

楽 を 殺して 事件の しめくくりをつけ ねばなら なか つ たと 聞いて、 その 意外な 結末に おどろき を かくさな か つ た。 

その 日、 日出 藩の 兵隊た ち は 近くの 百姓家に 民宿し、 山 木た ち は 寺の 本堂に 屛風 をへ だてて 二 組に わかれて 寝 

た。 水 野と 小 河 はおた がい 引き はなされ ていたが、 あと は 引率の 宮崎 隊長の 好意で、 自由に 往来が でき、 夜を徹 

して 話しあった。 

ひとわたり 話が すむ と 同志の 話 はこの 中で 誰の 刑が 一 番重 いかと いう ことに 自然に 移った。 山 木た ち は 殺人罪 

を 犯した からに は、 極刑 はまぬ がれない と 力説す る。 寺 崎 はい や 大楽は 政府 や 山 口 藩に つかまって、 当然 殺され 

る はずだった の だから、 それ を 殺した というの は、 むしろ ほめられる 行為で はない かと 反駁し、 それに くらべた 

ら、 武力で 国家 を 転覆 させようと 画策した 自分の ほうが、 反逆罪と して 殺人 以上の 重罪に 処 せられる こと は 必至 

だと 強調す る。 横 枕 は、 自分 は 山 口 藩の もっとも 憎悪す る 脱 徒 を 潜 匿 させた の だから、 口 さきだけ の 謀議と はく 

らべ ものに ならない 悪質の 犯罪と みなされる だろうと 主張す る。 同志た ち は 自分の 刑の 重さ を 固執し 口角 泡 をと 

ばして、 たがいに ゆずろう としない。 極刑に 魁せられ るの をよ ほど 望んで いるよう だな、 と 山 木が いうと、 みん 

な その 態 変のお かし さに 気が ついて、 最後に は 顔 を 見 あわせて 笑 を 洩らす 始末 だ つ た。 



379 最後の 攘夷 党 



り 看守の 眼 をぬ すんで、 他の 檻 房の 同志た ちと 立 話す るの が 精 一 杯の ぜいたく だ つ た。 

山 木 を なぐさめ たの は、 彼の 檻 房のと なりに 古松 簡ー 一が 収 檻され ている こと を 知つ たこと であった。 

入 檻の 翌日、 その 気配 を 感じた 山 木 は、 彼の おぼえて いる 古松の 詩 『日長く して 睡 はじめて 覚め、 朱 を 研いで 

周易 を 点ず』 を吟 じて みた。 すると 板壁の むこうで 咳ば らいが はねかえつ てきた。 それから 番人の 監視の 眼 をぬ 

すんで は、 壁 越しに 絶えず 話 を かわして 苦痛 を まぎらわした。 

古松 は、 脱 人 助命 運動の ために 上京 奔走して いたが 思うよう に 事が はこばぬ。 そこで 三年の 暮に熊 本 藩の 同志 

でもと 鶴 崎の 高 田 源 兵衛の 配下であった 中 村 六 蔵 を つれて 久留 米に 帰 藩した が、 この 中 村に は 参議の 広 沢 真臣を 

暗殺した という 嫌疑が かけられた。 ふたたび 上京した 古松 は その 連累 者と して 東京で 逮捕され たので ある。 

山 木 は 古松と なんとかして 文通 をしょう と はかり 一 計 を 案じた。 彼 はまず 食べ残しの 飯粒 を 板壁に なすりつけ 

て 夜 を 待った。 夜 ふけに なると、 鼠が 入って きて 走り まわる。 彼 は 鼠に 眼 玉 や 唇 や 鼻 をく いっかれ ないように 衣 

服 をす つぼり かぶって 眠る。 すると 鼠 は 板壁に ぬりつけた 飯粒 を かじる。 それ を 根気よ くやって いるう ちに、 板 

壁に 小さな 穴が あいた。 

夜 はまた 蚊 軍が 来襲し、 単衣 を かぶって 防ぐ 位で は、 どうす る こと もで きない。 単衣 を 二 枚 かさねる か 袷 を も 

ち だし、 暑い の をが まんす る ほかなかった。 山 木 は 彼 をお そう 蚊の 群に 目 をつ けた。 血 を 吸った 蚊 は、 朝方み る 

と 檻の 内側に 何十 匹と なくと まっている。 山 木 は それ をつ まむ と 吸われた 血 をと りかえ し、 椀の 糸底に 溜め、 割 

り 箸 を 歯で むしりと がらして 楊枝の 先の ようにし、 それ を 筆の かわりにして、 古松への 手紙 を 書いた。 紙 は 便所 

の 落し紙 を 大事に かくしも つていて、 それ をつ かう。 

こうして 文書に よる 師弟の 奇妙な 交流が はじま つ た。 山 木が 夜 ふけ 輾転 として いつまでも 寝つ かれない 気配 を 

察する と、 古松 は 板壁の 穴から 紙片 をお くりこんだ。 



夜 深く して 獄奴 眠り 

森閑と して 人語 絶 ゆ 

老樹に 悪 梟 鳴き . 

空 梁に 飢鼠 齧る 

漏 鼓 さだめて 幾更ぞ 

青燈 明るく また 滅ゅ 

幸いに 同 襟の 人 あり ; 

心象 まさに 懲 勃たり 

扉 を 隣して 相 喚 呼す , 

山 木 は 古松の 力 づけに 感謝した。 山 木 は 奔放不羈な 半生 をお くつ てきた 古松の かくれた 優し さに 獄中で はじめ 

て 触れた 気がした。 古松 は慶応 三年に 広 島の 獄に投 ぜられ て 一年 あまりす ごした 經験 もあって、 獄中の 身の 処理 

の 仕方に 馴れて いた。 山 木が せま 苦しい 檻 倉の 苦痛 を 訴える と、 板壁の 穴から 小さい 紙片が 出て きた。 山 木 はい 

そいで それ を 開いて みた。 

嗟 乎 余 拘留 せらる こと 十五 旬 

半弓の 囹圄 屈伸し がた し 

頭 脚わず かに 揺が せば すなわち 牴触し 



38i 最後の 攘夷 党 



槁木兀 坐して 昏晨 をお くる 

即ち 知る 形踢 まれば 神 も亦踢 まること を 

夢 遊 魂 行す ベて 苦 辛す 

崔嵬涉 らんと 欲して 馬 足 を 折り 

浩漾泛 ば んと 欲して 舟津に 膠す 

困頓 きわまる 処 空しく 帰 去し 

一 覚 毎に 見る 汗 身に あまね きを …… 

古松 は、 自分が 二月す えから 檻 房に 入れられ、 夢の なかで さえ 楽で ない こと を 告げ、 おなじ 苦痛に あえぐ 山 木 

を なぐさめようと している。 

七月 九日に は、 とつぜん 大 暴風雨が 東京 をお そった。 檻 倉 は 木の葉の ように 揺れ、 便所 はさながら 海上の 脬の 

ようであった。 山 木た ち は 生きた 心 持がなかった。 囚人 はさ わぎ 立て、 一時 檻 を 開放して ほしいと 牢番に たのん 

だ。 牢番 は 上司に うかがい をた てた が、 ゆるされない。 それ どころ か、 囚人た ち は 重要な 国事犯で あり、 脱走の 

危険が ある 連中 だから、 たとい 吹きた おされても 檻 倉 を 開放して はならぬ と 命令 を 下し、 それでも 安心が ならぬ 

とみたの か、 番人 ども を 一 力 所に あつめ、 空いた 檻 倉に おしこめて 外から 錠 をお ろして しまった。 番人た ち も 上 

司にたい して、 ひどく 憤慨し、 そのの ち は 囚人た ちの ほうに 何かと 便宜 を はかって くれる ようになった 

あくる 七月 十日に なると、 古松から 山 木に 蚊の 血で 書いた 詩が 届いた。 

梁 折れ 柱 裂けて 瓦掀 翻し 



2 

8 



大風 吹いて 屋を 吹きく つがえ さんと 欲す 



乾 維 絶え 坤軸摧 け 

もつ て わが 心 胸 を 掃蕩し 

これ を 駆って 不平の 気 万丈 長 虹の ごとき を 一 吐せ しむ 

七月 十四日の 夕飯に は、 赤飯に 頭の ついた 小魚が そえて あった。 なんの 日だろう と 山 木が 聞く と、 天子の 詔が 

下って いよいよ 藩が 廃され て 県が 置かれる の だ、 と 語った。 山 木 を 拷問した 山 口 藩の 山 根 参謀が くりかえし 云つ 

ていたよ うに、 久留 米と 三百 年の つながり を もった 有 馬 家が、 なんの 関係 もなくなる 日が きたので ある。 はじめ 

は 同志 を 擁して 天下に 呼号し、 あとに は その 同志 を 殺す という 前後 矛盾した 行為 を 犯した の も、 詮 ずれば、 藩と 

藩主の ためであった。 その 藩が いま 廃せられ、 藩主 は 知事 を やめて 久留米 を 去り、 東京 住いと なる。 山 木 ははげ 

しい 感傷に おそわれないで はすまなかった。 彼の 忠誠 心が、 いや 彼の 青春 そのものが、 彼方に 去って ゆく の を、 

山 木 は 一 日中 うすぐらい 檻 倉の 奥から 見つめて いた。 

九月 二十日、 山 木 は 大判 事 玉 乃 世 履と 少 参事 島 本 仲 道から 呼び出された。 玉 乃、 島 本と もに 辣腕 家で、 山 木た 

ちの 陳述 を 翻弄したり 追いつめたり、 その やり 口が にくい ほどた くみな ので、 みんなから おそれられ もして いた。 

玉 乃 は 山 木に むか つ て、 

—— これまで 道理 をと き、 大楽 たち を 殺した 真意 を 云わせよう とした けれども、 頑として 云おうと しないのに 

は 深い 理由が あるの だろう。 わざわいが 藩 知事の 身に およばない ようにと、 殺した にち がい あるまい。 けれども 



383 最後の 攘夷 党 



主君の ためにと 決心して やった 行為で ある 以上、 この 上 は どんなに きびしい 吟味 をく わえ、 たとい 拷問に かけて 

も、 云わぬ だろう から、 もう 吟味 はせ ぬ。 心底 を 察し、 情 を 酌みと り、 武士の 面目 は 保た せて やる。 けれども ほ 

しい ままに 天下の 罪人 を ころし、 これ を 隠蔽しょう とした 罪 はまぬ がれぬ ぞ。 

とつよ くきめ つけ 訊問 調査の 結果で ある 口 書 を かたわらの 書記に 命じて よみきかせた。 山 木 も 玉 乃から そうい わ 

れて は、 抗弁の 余地が なく 服す る ほかなかった。 

その 日 九月 二十日で、 みんなの 口 書が 済んだ。 そこで 朝飯 時から 夕飯 時まで は、 檻 倉の 扉 を 開放して、 在 檻 人 

の 往来 を 黙許した。 裁判の 取調べが ひととおり 終り 宣告 を 待つ ばかりの こと を 示した ので ある。 山 木の 同志た ち 

は、 歓呼の 声 を あげて 檻から あふれ 出、 いままで 不自由だった 交歓 を ほしいまま にした。 収容され ていたの は 山 

木、 古松、 寺 崎、 横 枕、 鹿 野、 吉田 足德、 島 田、 大 鳥居、 京都で 捕縛され た 鹿 毛 松 次、 笠 林 太郎、 吉田藤 太、 久 

>§m 米 藩から 護送され てきた 少 参事の 鵜 飼 広 登、 そのほか 熊 本 藩の 高 田 源 兵衛、 高 知 藩の 岡崎恭 助、 豊津 藩の 志津 

野 拙 三、 杵築 藩の 守 口 如 瓶、 柳 川 藩の 古賀 十郎、 秋 田 藩の 初 岡 敬 治、 愛宕 通 旭の 家扶 疋田源 二な ど、 他 藩の 検挙 

者 も大ぜ いま じって、 すべて 五十 余人が いた。 

ひととおりの 交歓が すむ とみんな は あちこちより あつまって は、 新 律 綱領に よって 刑法の 研究 を はじめた。 辞 

世の 詩歌 を 書いて 藩 地の 遺族に 託送しょう とする もの もあった。 なけなしの 所持金 を はたいて、 菓子 や 酒 を 買い 

束の間の 別れ をお しむ もの もいた。 変って いたの は 熊 本 藩の 高 田 源兵衛 であった。 高 田 は 檻から 出されても、 寡 

黙で、 ものしずかな かっこうだった。 これが、 人斬り 彦 斎と 毒蛇の ようにお それられた 人物 かと、 山 木 は あらた 

めて ふしぎな 思いが した。 高 田の 態度 は、 雄弁で とどまる こと を 知らぬ 慷慨 家の 古 賀十郎 とよい 対照 をな してい 

た。 他の 者 はこれ まで しばしば 訊問に ひき 出された が、 高 田 は 一回の 釓問 もなかった という。 ある 日 玉 乃 判 察が 

彼の 檻 房 をたず ねて、 攘夷の 説 を 捨てて 政府の 意見に したがう こと はでき ぬかと、 もし それ を 高 田が 承諾 すれば- 



384 



赦免す る こと を 匂わせた そうで ある。 しかし 高 田 は 尊攘の 志 を 捨てる 意向の ない こと をのべ て、 玉 乃の 好意 を 言 

下に 謝絶した という。 

山 木 は 板壁 越しに 話したり 文通して いた 古松と、 百 四、 五十 日ぶ りに 手 を とりあう ことので きた よろこび を か 

みしめ た。 が、 この 欽 楽の のち は 殺される ものと 覚悟し なければ ならぬ と 云う と、 古松 は、 まさに そのと おりだ 

とうなず いた。 

九月 一 一十 日から 半月た つ た 十月 三日 山 木 は 他の 同志た ちと 東京 府 大白 州に 呼び出され 

「其方 共 儀 入牢 申 付と の こ と 也」 

と 申し わたされた。 山 木 は その 日 ただちに 江戸時代から 有名な 小伝 馬 町の 牢獄に 送られた。 いかめし くつく りか 

まえた 牢の表 大門 はび つ たり 閉ざされ ている。 くぐり 戸 を 入れば またむ こうに 門が あつ た。 

いくつもの 門 をと おりす ぎた ところに、 長屋 ふうの 建物が あって、 そこが 西と 東と にわかれ ていた。 山 木 は 島 

田荘 太郎、 大 鳥居 菅吉、 吉田足 穂と ともに、 東 一番の 楊り 屋に 入れられた。 そこ は 三尺 檻の 戸籍と はまった くち 

が つ た 天地 だ つ た。 

畳 一 一十 四 枚 をし くことの できる 揚り屋 に は 畳の 数倍の 囚人が ひしめき あつ ていた。 山 木た ちが そのな かに 投げ 

入れられ ると、 ひとりず つ 揚り屋 の 後方に もうけて ある 便所に つれて ゆかれた。 囚人の 一人が 首 根 をお さえつけ、 

額 を 床板に こすりつけさせて 便器に 礼拝 させた。 つぎに は、 世間で 犯した 罪科 来歴 を 云わせられた。 それ を揚り 

屋の 隅に 畳 を 十 枚 ほど も 高く つみかさね、 その上に 毛布 や 座蒲団 をし いて 坐った 牢名主が 聞いて いる。 世間で 犯 

した 悪事が 多い ほど はばが 利く。 山 木た ち は 殺人 を 犯した かどで、 幾分 丁重に 扱われた。 しかし 昼 は 畳 一枚に 六 

人す わり、 夜 は 二 枚の 畳に 六 人が ねて、 ここで も 身動き ならぬ 痛苦 を あじわった。 話す こと は 悪事の 自慢話 か、 

そのための 工夫 研究ば かりとあって は、 山 木た ちの 忠誠と か 大義と かも、 この 地獄で は、 何の 用に も 立たない。 



385 最後の;!! 夷 党 



ここ の 徒を受 入れて 悪人 志願 を 決心す るし かない。 

山 木 はついに 病気に なった。 島 田た ちが 懸命に 看病して くれた。 

小伝 馬 町の 獄 では 十一月 十七 日、 宮中 即位の ための 大嘗 祭が とりおこなわれ、 その 際、 大赦が かならず あると 

いう 噂が、 まえから しきりに ながれて いた。 山 木た ち は 一代に 一度し かない 大嘗 祭に めぐりあ うこと は 自分た ち 

がま だ 運に 見放されて いないの だと 云いあった。 しかし 待ちに 待った その 日 は 何事もなくて すぎ、 囚人た ちをひ 

どく 落胆 させた。 それ どころ か 死刑に 処 せられる ものが でて きた。 それ も 一日で なく 幾日も つづいて 牢獄 中 を 恐 

怖に 陥し 入れた。 

そしてつ いに 十二月 三日、 入牢 二 力 月 目に 山 木た ちに 呼出しが きた。 その 朝 山 木が 牢番に つれられて、 揚り屋 

のまえ に ゆく と、 同志た ち は 腰に も 腕に も纈を かけられ 用意が ととのつ ていた。 昨夜から 降り 積んだ 雪で、 あた 

り 一面 真白で ある。 同志た ちの 吐く 息 だけが 切な 気で ある。 隣に いた 吉田足 穂が 山 木の そばに よって、 どうせ 死 

罪に 処 せられる だろう が、 絞罪 だけ はどうい われても 承諾すまい、 みんな 切腹 を 願い出る 積り でい るから、 君 も 

承知して いて くれ、 とさ さやいた。 山 木 はうな ずいた。 同志 は みんな 庭に ならべた 駕籠に のせられて、 そのまま 

坐った。 

まもなく 獄卒が やって きて、 駕籠の 外が わに li を かけ はじめた。 前の 方に 並んで いる 駕籠に は 三本の 繩を かけ 

た。 しかし 山 木た ちの 駕籠に は 一筋し かかけ ない。 そこに 上役が やって きて 今日 呼 出される 囚人 はみ な 三本 繩な 

のに、 なぜ 三本 かけない のかと 獄卒 を 叱りつ けた。 

山 木 ははつ とした。 死刑に 処 せられる 者 をのせ る 駕籠 は 三本 繙を かけ、 その他 は 一本と いうき まり だと、 獄中 

で、 しばしば 聞いて いたから だ。 一本 繩 を かけられた とき はま だ 望みが あると 思う 間もなく、 三本 ii を かけ 直さ 

れた。 いよいよ 死罪に 処 せられる かと、 一切の 望み を 山 木 は 捨てた。 そして さっき 吉田足 穂が 切腹 を 願い出よう 



387 最後の 攘夷 党 



悠々 と 出て きて、 畳の 上に すわった。 大判 事 は、 書付 を 目八分に ささげて 読み はじめた。 

其方 儀 島 田 荘太郎 の 発意に 同じ、 山 口 藩 大楽源 太郎を 殺害した る段不 届に つき …… 

そこでい つたん、 言葉 を 切った。 山 木 はかね て 教えられ ていたと おり、 敷 台から 砂利の 上の 荒 筵に すばやくと 

びお りた。 無限に ながい 一 瞬 だ つ た。 

庶 人に 下し …… 禁獄 七 力 年 申しつ ける。 , 

山 木 は 太陽よりも あつい: 熱 体が 彼の まえ をと おりす ぎる 気がした。 生きる ことの 稀 有な 輝 やき、 その 奇蹟に 

目が くらんだ。 

山 木 は 呆然と していた が 11 下がれ、 と 云う 役人の 大声に 気 をと り 直した。 山 木 は 御 白洲から 牢役人に みちび 

かれて、 仮り 牢に 入れられた。 そこに は 水 野犬 参事と 吉 田権大 参事が いた。 おいおい 同志た ち も あつまつ てきた „ 

小 河、 古お、 初 岡、 疋田、 高 田の 五 人 は 御 白洲 を 出る とこの 仮り 牢に 入れられず そのまま、 駕籠で どこかに 運び 

去られた という。 

仮り 牢 から 引き出された 山 木 は、 庶 人に 下された ので、 呼出しのと きとうって かわって 袴 も 羽織 もみな うばい 

とられた。 また 駕籠に もの せられず、 山 木 は 同志た ちとう しろ 手に 数珠つな ぎと なって、 素足で ぬかるみ 道 を あ 

るかされ た。 一人が ころぶ とたち まち 他の 同志の 小手に ひびいて 痛い ので、 おた がいに 注意しょう という。 その 

言葉が まだお わらない のに、 注意した 本人が また ころぼう とする。 彼らの 上 を 雪 どけの 風が 吹いて いった。 



388 



明治 四 年 反政府 事件 判決 



割腹 

斬首 



終身 禁獄 



愛宕 通 旭 

外 山 光輔 

小 河 真 文 

高 田 源兵衛 

初 岡 敬 治 

疋田 源 二 

古賀 十郎 

水 野 正 名 

古松 簡ー 一 

吉田 博 文 

寺 崎 三矢吉 

岡 崎 恭助 

立 石 庄介 

丸 山 作 楽 

鹿 毛 松 次 

吉田 藤 太 

笠 林太郎 



389 最後の 擴夷党 



十 年 禁獄 

七 年 禁獄 



三年 禁獄 



閉門 三十日 



島 田 荘太郎 

志 津野拙 三 

山 木 卯 蔵 

太 田 茂 

大 鳥居 菅吉 

擦 本 廉蔵 

鹿 野 淳ニ 

吉田 足 穂 

本山 岩之丞 

川口 誠 夫 

井上 達 也 

下 川 襄介 

鵜 飼 広 登 

赤 座 弥太郎 

横 枕 覚助 

有 馬 頼 威 

〔以下 略〕 



あとがき 



明治 四 年 反政府 事件 は、 明治に なって おこった 士族の 反乱の なかで も いくつかの 特徴 を もっている。 第一 に、 

全国的な 反政府 謀議の 連絡 組織が あった こと、 第二に、 一 つの 藩が その 事件の ために 包囲され たこと、 第二 一に、 

藩主が その 事件に 関係 を もってい たこと、 第 四に、 安政 大獄 以来と いわれる 百 数十 名に のぼる 大量の 処刑 者 を だ 

した ことで ある。 そして 第五に、 もっとも 重要な 点で あるが、 それが 攘夷 党の 間で くわだてられた 権力 奪取の た 

めの 最後の 反乱で あつ たという ことで ある。 

こう 云えば、 明治 九 年の 神風 連の 乱が 反射的に 思い起こされよう。 しかし 神風 連の 乱 は、 明治 四 年の 挫折 体験 

の 上に 立って、 むしろ 行動の 成否 を 放棄し、 そのかわりみ ずからの 思想 的な 意味 を 問おうと した 事件で ある。 よ 

じめ から 必敗を 覚悟しての 行動であった。 特異な 思想 的 事件で あり 得ても、 もはや 政治 権力 を 脅かす もので まち 

り 得なかった ゆえんで ある。 同年の 秋の、 获の 乱に いたって は、 あまりに 局地的な 小 反乱に すぎない。 

それにた いして 明治 四 年の 反政府 事件 は、 幕末 このかたの 尊王攘夷 運動の 延長 上に おこった ものである。 討幕 

運動の 推進力であった 尊攘 思想 は、 衝撃 力 を まだ ことごとく は 失って いなかった。 求心力と しての 尊王と 遠し 力 

としての 攘夷の 相互作用 のなかに 正統 思想 を 見出し それ を 受けつ いだと 自任す る 人々 が、 新 政府の あざやかな 政 

策 転換 を 異端視して、 不安と 不信 を かくさな か つたの は あたり ま. 



391 最後の 攘夷 党 



実力に よる その 最初の 意志 表示が、 明治 三年 春の 奇兵 隊 暴動であった。 それ を 導火線と する 明治 四 年 春の 久留 

米 藩 難 を 契機に、 反乱 は 未発にお わり、 全国の 攘夷 運動の 勢力 はと どめ を さされた。 このの ち 攘夷 運動 は、 征韓 

ム? として 疏外 化する か、 または 情勢 論 を 一擲して、 神風 連の ように 挫折の 思想 的な 意味に 固執す るか、 どちら か 

しかなかった。 

しかし この 反政府 事件の 舞台と なった 二 年間、 つまり 版籍 奉還から 廃藩置県に いたる までの 期間 は、 日本 近代 

史 のなかで きわだって 特色 を もった 「熱い 時代」 であった。 藩主 は 藩 知事と なった が、 各藩 は それぞれ 藩 政府、 

軍隊、 藩札 を もっていた。 中央集権と 地方分権の 行政 上の 二重 組織が 平行して みられ、 あらゆる 点に 微妙な 陰影 

を かもし 出して いた。 

忠誠 心 は 政府と 藩の 双方に 帰厲を 要求され て、 たえず 動揺した。 政府 は 正統 思想と しての 攘夷 を 実行せ ず、 藩 

よ 旧 本 制の 単位で あるかぎり において、 あたらしい 意味 を もたなかった。 忠誠 心 を つらぬこう とすれば、 反政府、 

反 1^ の 立場 を 余儀なく させられた。 忠誠 心の ゆきつく ところが、 つねに 反逆で あると いう 一見 矛盾した 論理の 一 

貫 性が そこから 発生す る。 忠誠 心 は その 帰巣本能 を 遮断され て、 帰属す ると ころがない。 したがって 明治 二 年 半 

、まから guf 半、 まに. A けての 二 年間 は、 忠誠 心の 意味 を 自己に 回帰 させないで はすまない 時代で あり、 本質的な 意 

味で、 転向の 時代であった といえる。 

尊攘 思想 を 指導 理念と する 時代 はすで に 去った。 それ を ふりかざす こと は 戯画の 対象と ならざる を 得な か つ た 

が、 戯画に なり 切れない 現実が 一面 そこに は 存在した。 この 時点で は、 攘夷 思想 はま だ 少数の 論者に 独占され て 

おらず、 草莾 のなかに ひろい 支持 層 を 見出しながら、 反政府 運動 を 強力に 展開す る 根拠 をう しなって いなかった、 

それが 久留米 応変^ を 中核と する 明治 四 年 反政府 事件で、 終止符 をう たれ 一掃され たので ある。 . 



政府 は 尊攘 思想の イデ ォ a — グ たち を 極刑に 処 する ことで、 彼らの 口 を 封 じた。 

しかし 果 されなかった 欲望 は、 それが 成就され なかった ために 時間の 泥土に 埋もれて、 かえって 時間の 腐 触に 

たえる。 記録され た 史料が 空気に さらされて 鐫 やすいのに たいして、 記録から 姿を消した 思想 や 情念 は、 出土品 

のように おどろく ほどの なまなまし さ を つ たえる ことがある。 

これ を 歴史 資料と 呼んで よい もの か。 それ は 記録され ないかぎ り、 未 公認の 資料であろう。 しかし 歴史の 深層 

に 埋没した かにみ える 思想 や 情念 を、 証拠 資料と みとめる とき、 挫折した 人々 の 復権 要求 は 可能と なる ので はな 

、 i 

I 力 

一 つの 事件 を 記述 するとき、 それ を つらぬく 情念 や 思想が 記録の 中に 発見で きないから といって、 抹殺され て 

よい はずの もので はなく、 またお なじ 理由で、 恣意 を 逞しく してよ いもので もない。 

記録が すべてで あると いう 考え方 も、 記録 以外の こと は どのような 勝手な 想像 も 許される という 立場 も、 とも 

に 事件の 全貌 をった える ことから 遠ざかる。 

第三の 方法が あるので はない か。 

すなわち 記録に 忠実で あり、 しかも 記録 を 絶対と せず、 記録 以外に、 記録と ともに 存在す る 思想 や 情念に も忠 

実であろう とする 道で ある。 それ は 記録で ありながら、 しかも 記録 記述 者の 禁欲 を 超えて、 事物の 全体 性に つな 

がろうと する 欲望、 すなわち 最近 ノンフィクション 小説の 名で よばれて いるものになる ので はなかろう か。 これ 

は 作者の 恣意 を できるだけ 排 して、 当時 存在し 得た であろうと 思われる 情念 や 思想 を 貪婪に さぐ つ て ゆく もので 

ある、 とわたし が 理解す るかぎ りに おいて、 わたしの 好みに 合った ものである。 はたして 本書が、 その ささやか 

な 一例に 価す る もので あるか、 わたしに はわから ない。 

昭和 四十 一年 二月 著 者 



393 第 十 巻 あとがき 



第 十 巻 あとがき 



少年 小説の 愛読者であった 私が、 本格的な 文学の 与える 感動 を はじめて 知った の は、 旧 

制 中学の 一年のと きであった。 私 はふと した ことで 黒 岩 涙 香の 「巌窟 王」 を 読み、 文学の 

もつ 底知れぬ 魅力に 心 を うばわれた。 それが きっかけで、 当時、 春陽 堂 文庫に おさめられ 

ていた 涙 香の 翻案 小説 を はじめ、 探偵小説 を つぎつぎに 買い漁って は 読んだ。 夢野久 作の 

「氷の 涯」 や 木々 高 太郎の 「人生の 阿呆」 などが 記憶に 残って いる。 

私が 下宿して いた 母方の 祖父母の 家から、 数 分 歩く と 県立 図書館が あった。 私の 通って 

いた 中学で は、 夜間に 外出す る こと も、 無断で 図書館に いくこと も 禁止され ていたが、 私 

は 毎晩 そこに 入りび たりに なって、 片端から 探偵小説 や 文学 書 を 濫読した。 こうして、 ま 

たたく 間に、 いっぱしの 文学 少年が できあがった。 いつしか 短歌 をつ くる こと もお ぼえ、 

中学 三年から 五 年までの 三年 間、 それに 熱中した。 

その 傍ら、 思想 的な 目 ざめ も 体験した。 さまざまな 思想 書 を 手に したが、 なかで も 私 を 

虜 にした の は 「荘 子」 であった。 その 中に 含まれた 虚無の 爆発と でも 言う しかない 音 を 聞 

き、 その 閃光に、 少年の 胸に 芽生えた はかない 立身出世の 夢な どは灼 いてし まった。 旧制 



394 



高校に 入って パスカルに 関心 を 寄せた の も、 その 延長 上で ある。 私 は パスカル を 通して、 

次第に カトリシズムに 傾斜して いった。 軍靴の 音のと どろく 日本で は、 もはや マル キシズ 

ムは 徹底して 弾圧され、 その 思想に 触れる 機会 はまった くなかった。 いきおい 私 は 自分の 

思想 的な 抵抗の 拠点 を カトリ シズ ムに 求める という ことにな つた。 しかし それだけ ではな 

かった。 幼児 体験が 太平洋戦争の さなかに、 とつぜん よみがえった。 

六 歳のと き、 故郷 水 俣 市の ル— テル 教会で キリストの 一生と 題す る 映画 を 見て、 心に 深 

い 衝撃 を 受けた。 それ以来、 私 は 暇 さえ あれば ノ ー トゃ 書物の 余白に、 十字架に かかった 

キリストの 姿 を 描く 子供に 変って いた。 私の 家の 隣り にあった カトリ ッ クの 信者の 家で は- 

一室が 聖堂に あてられ ており、 その 聖堂の 壁に は 十字架 を 担ぎながら、 刑場に 牽 かれて い 

く キリストの 道行の 絵が 十二 枚懸 つていた。 私 は その 家に 遊びに いって は、 飽き もせず、 

十字架の 道行の 絵 を むさぼり 眺めた。 こうした キリストへの 恋情の ような もの は、 一年ば 

かり つづいて、 ふっと 消えた。 

幼年期の 原 体験が 青年期に 思い起され、 私 は カトリ シズ ム へ の 傾斜 をい つそう 深める こ 

とに なった。 し かし 普遍的 宗教と 称す る カトリシズムが 所詮 はョ ー Q ッパの 神であった こ 

とが 分って、 私 は 懐疑に 陥った。 日本の カトリック教会 は、 戦争 肯定の 立場 をと り、 迫害 

を 蒙る こと をお それて 保身に つとめ、 私 は それに も 落胆 を かくす こと はでき なか つ た。 

敗戦の 年、 私 は 二十 四 歳であった、 そのと き、 私の 精神の 中 は、 軍国主義の もとと なつ 

た 皇国 史観へ の 拒絶と 共に、 外来の イデ ォ ロギィ にたいする 警戒の 念が 強く そだ つていた „ 

敗戦 直後の 怒濤の ような 外来 思想の 流入 氾濫 をよ そに、 日本の 中に 日本 を 越える 道 を 探す 



395 第 十 巻 あとがき 



ほかない こと を 考え、 模索し はじめた が、 私が 柳 田 国 男の 民俗学に たどりつ くまで、 更に 

十 年 かかった。 

私の 立場 は 日本 主義者の ように、 外来の イデ ォロ ギィを 一切 排斥す る もので はない。 外 

国 直輸入 の 思想 を 鵜 呑 みに する こと をい さぎよ しとせ ず、 それが どのよう にして 定着した 

か、 また 定着し 得る か、 すなわち 思想の 受 肉の あり方 を 重視す るので ある。 

私 は 現代の カトリシズムに は 失望した が、 江戸時代の 潜伏 キリシタンの 信徒が 彈 圧と 迫 

害の 幾 百年の 間、 信仰 を 守りつ づけよう とした 苦闘に は 敬意 を 表する。 彼ら かくれ キリシ 

タンの 口伝の 書で ある 「天地 始之 事」 は、 そこに 見られる 民俗 的 屈折 にもかかわらず、 い 

な、 それが ある だけに、 私 は 思想の 受肉 化と して 高く 評価す る。 また それが 九州 西 海の 農 

民 や 漁民の 素朴な 信仰 を 伝えて いるのに、 私 は 限りない 愛着 を 抱いて いる。 

こうして 私 は 「天地 始之 事」 に 自分の 幼児 体験 を 接 木して、 ー篇の 自伝 風物 語 を 書いた。 

そこに は 私の 幼時 や 青年期の 精神 史の 素描 は 見られる ものの、 自伝と はちが う。 一例 を 示 

せば、 私 は 長 崎に 住んだ こと はなく、 鼠 島と いう 島 も 五島 列島の どこに も 見当らない。 た 

だ 物語の 舞台 を、 かくれ キリシ タ ンの 生活が 今日で も 見られる 西 海に 設立す る 必要が あ つ 

たので ある。 

もともと、 私の 故郷の 水 俣 は 不知火 海の 海岸に 臨んで おり、 南との つながりの 強いと こ 

ろであった。 そのこと は 私の 幼時の 日常 感覚の 中に 刻まれて いたが、 沖繙を 重視す る 民俗 

学に 深入りす るに したがって、 南 島との 距離 はさら に 縮まった。 

民俗学に 関心 を もち はじめた 頃、 私 は 小 田 急 線 沿線の 喜 多 見に 住んで いた。 家の 近くに、 



396 



沖繙 出身の 学生寮が あった。 たまたま そこにいた 青年の 一人から 身上 話 を 聞いて、 私 はた 

いそう 興味 を そそられた。 その 青年 を 自宅に 招いて ノ ー トに メモ はとった ものの、 当時 は 

私 は沖緦 にいった こ ともなく、 現地の 見当が つかずに なかなか 完成し なかった。 そこで 物 

書きに なつてから、 沖鼯 通い をく りかえ し、 八重 山に 住む 糸満 漁夫た ちに も 会い、 二十 年 

かかって やっと まとめる ことができた。 それが 「海の 群 星」 である。 

一九 六 〇 年代の はじめ 頃、 私 は 旧 久留米 藩士であった 川 島 澄 之 助の 「久留 米 藩 難 記」 を 

読んだ。 それに 刺激され 「最後の 攘夷 党」 を 書いた が、 それ以来、 ー篇の 小説 も 書こうと 

思わな か つた。 と いうの も 民俗学の 中に 小説 以上の 文学的な 世界 を 見出して きたから であ 

る。 しかし 「天地 始之 事」 の 中の 説話に せよ、 「海の 群 星」 の 中の 哀れな 子供の 体験談に 

せよ、 民俗学の 枠組に おさまり 切れない 深い 人間的な 感動 をお ぼえずに はす まなか つ た。 

そこで 民俗学の 考察の 一般的 記述と、 主人公の 述懐と いう 主観的 記述と を 交互に くりかえ 

して、 私の 伝えたい 世界の 全体 像 を 表現す る ことにした。 それ は 文学 志向の 世界に は 背 を 

向けて いた 私が、 やむ を 得ず とった 試みであった。 こうして 私 はふた たび、 後向きに 文学 

の 世界に 接近す る ことにな つたので あ つ た。 

一 九 八 五 年 十一 一月 

谷川 健 一 



8 

3 初出 一覧 

第 十 巻 は、 『海の 群 星』 (集英社 刊 一九 八 一年) 『わたしの 「天地 始之 事」』 (筑摩 書房 刊 一九 八 二 年) 『最後の 

攘夷 党』 (三 一書 房刊 一九 六 六 年) を 収録した。 

それぞれの 初出 雑誌 は 次のと おりで ある。 

「海の 群 星」 (『すばる』 一 九 八 一 年 四月 号) 

「わたしの 「天地 始 之事ヒ (『歴史 公論』 一 九 八 〇 年 一 月 号より 一九 八 一年 一 月 号に 連載) 



谷川 健 I 著作 集 第 十 巻 (第 八 回 配本) 



一九 八 六 年 一月 三十 一日 第一 版 第一 刷 発行 



著者 谷川 健 一 

© 一 九 八 六 年 

発行者 荒 木 和 夫 

発行所 株式会社 三 一 書 房 

東京都 千代 田 区 神 田 駿河台 一 一 の 九 

電 話 〇 三 (二 九 一) 三 ニニ 一番 

振替 東京 九— 八 四 一六 〇 番 

郵便番号 一 〇 一 

印刷所 文栄 印刷 株式会社 

製本 所 株式会社 鈴 木製 本 所 

落丁 . 乱丁 本 はおとり かえいた します 



谷川 健 一 著作 集 



全十卷 



* は 既刊 



© 第 一巻. = 民俗学 篇 I * 

魔の 系譜 神. 人間. 動物 

魔の 系譜 (全) 神. 人間. 動物 (全) 

⑩ 第二 卷= 民俗学 篇 n * 

民俗の 神 民俗 紀行 

民俗の 神 (全) 出 雲の 神々 (全) 流浪の 皇子た ち 

埋もれた 日本 地図 白峯 紀行 他 

• 第三 卷= 民俗学 篇 m * 

柳 田 学と 折 口 学 

「遠 野 物語」 の 世界 山人と 平地 人 柳 田 国 男の 

冒険 折 口 信 夫 再考 共感の 精神と は 何 か 他 

第 四 卷= 古代 学篇 I * 

古代史 ノオト 信仰と 神話 

古代史 ノオト (全) 豊 玉姫考 祭場と 葬 所 古代 

一観 察 日本 神話の 風土 性 他 



嚳 第五 卷= 古代 学篇 n * 

青銅の 神の 足跡 鍛冶屋の 母 

青銅の 神の 足跡 (全) 鍛冶屋の 母 (全) 

秦第六 卷= 沖 緙学篇 * 

琉球 弧の 世界 

北国の 旅人 宫古綾 語と 八重 山の 悲歌 与那国 

石垣. 宮 古の 旅 太陽の 洞窟 わが 沖 緙 他 



纛 第七卷 h 女性 史篇 * 

女の 風土記 無告の 民 

女の 風土記 (全) 無告の K 非 日 <s 世界との 交錯 

日本の ュ— ト ピア 近代の 暗黒 他 



© 第 八 卷= 民俗学 篇 W 

常世 論 日本人の 宇宙観 

常世 論 (全) 古代人の 宇宙 創造 古代人の 力』 

念 王権の 発生と 構造 儀式の 演劇 性 他 



、観 



⑩第九 卷= 民俗学 篇 V 

地名と 風土 

地名 I 土地に 刻まれた 文化遺産 地名と H 本人 

火の 国の 譜 呼吸す る K 俗文 化 海山の あいだ 他 



秦第十 卷= 文学 篇 * 

海の 群 星 わたしの 

最後の 攘夷 党 



, 天地 始 之事, 



A5 判 \ 上製 函入 \ 平均 各 四 〇〇 頁 

定価 一 , -七卷 各 四 八 〇〇 円 

八,.^ 十卷 各 五八 〇〇 円